オリジナル童話

秘密の地下鉄~世界の子どもシリーズ―秘密編―~

2020年12月16日

スポンサーリンク

「秘密の……地下鉄に、乗るといい」

 兄弟にとって唯一の味方である大人。そんな人物が久しぶりに声を発したのは、こんな不思議な言葉だった。けれども、兄弟にとっては大好きな祖父の声が最後に聞ければ、それが何を意味しようが、どんな言葉でもよかった。

 車イスの祖父を挟むようにして、駆けよる。
 すると、しゅわくちゃの震える手で、棚の上の方を指さしながら、祖父がもう一度言う。

「秘密の地下鉄に乗るといい」

 兄弟はゆっくりと祖父の指の先を追う。そこには金属でできた天秤が飾ってあった。確か、あれと全く同じものを母も持っていたような気がする。何か思い出の品なのかもしれない。無意識に頷きながら、分かったと伝えるように祖父のその手を握った。

 90歳をこえる祖父は認知症を患っている。生活をするのにも介護が必要だし、いつからか誰の事も分からなくなってしまった。今、まさに手を握っている、可愛い孫たちの存在も。

「あらあら。またお得意のベッドタイムストーリーですか? ……そろそろ、面会時間は終わりですよ」

 そう言いながら、ハウスキーパーがゆっくりとこちらへとやってくる。与えられた面会時間はほんのわずかだった。

 離れたくなくて、握っていた祖父の手をさらにギュッと強く握る。
 すると、ハウスキーパーが祖父の車イスに触れようとしたその時、祖父が続きを話し出した。

「天秤には……メダルが……必要なんだ」
「……何となく、お別れなのが分かるのかしら?」

 しんみりとした顔でハウスキーパーはあと少しだけ、と言って再び席を外してくれた。

 もう以前のように会話は成立しないけれど、優しい笑顔は認知症になっても、皆のことを忘れてしまっても変わることはなかった。微笑みながら、祖父は震えるその手で、そっと兄弟の手を自ら握り返してくれた。とても、とても温かく。

 兄弟たちは握り返された手と祖父の優しい笑顔を交互に見つめ、涙を滲ませる。

「メダル……。長年かけて……ようやく、見つけたんだ」

 やはり、言葉の意味は理解できなかったが、祖父が懸命に何かを伝えようとしてくれているのはよく分かった。それに応えようと、兄弟たちは何度も何度も頷いた。

 そんな兄弟たちを愛おし気にみつめ、祖父は手を離すと、今度はごそごそとポケットから1枚の黄金のメダルを取り出した。
 そのメダルには天秤の絵柄が書かれており、中央には美しい碧色の石が埋め込まれている。

「魔法の……メダル。1枚だけしか……ないけれど、お前たちにあげよう」

 祖父はそっと、兄の方の掌にその美しいメダルを握らせた。

 それと同時にハウスキーパーが戻ってくる。

「さぁ、戻りましょう。ご挨拶をしてください」
「……挨拶? 誰か来たのかい?」

 そう言って、先ほどまで会話をしていたのをすっかりと忘れてしまったようで、キョロキョロとしてから再び兄弟が傍に立っていることを認識すると、変わらない笑顔をこちらへと向けてくる。

「やぁ。初めまして。可愛い子たちだね。ゆっくり屋敷で遊んで行ってくれたまえ」

 その言葉に困ったように、申し訳なさそうにハウスキーパーは眉を寄せながら車イスに手をかける。

「やっぱり、分からないですかね。クリス様のことはお任せください。どうか、どうか……お幸せにお暮しくださいね」

 ハウスキーパーは丁寧に兄弟に挨拶をすると、祖父と共に屋敷の奥へと消えていった。

 そして、少し後方で事の様子をみていた恐ろしい大人たちが、兄弟たちを無理やり連れて行った。

 

***

 

 テオは妹の手を引き、夜のロンドンの街を駆け抜ける。ビッグベンの時計の針が、刻一刻と午前0時に近づいていた。久しぶりのよく晴れた夜。満月が主役の時間だと言わんばかりに明るく輝いている。

「お兄ちゃん、本当に地下鉄に乗れるかな?」
「きっと大丈夫。無事に地下鉄に乗れたら、これからも二人一緒にいられる」

 テオはそう言いながら、子どもらしからぬ真剣な表情で、繋いでいた妹の手をギュッと強く握り直した。ソフィアもまた何も言わずに、兄の手を握り返す。

 テオとソフィアには時間が無かった。父と母を事故で無くしたのはつい数か月前のこと。悲しむ間もなく、父方の厳しいギルダー伯父夫婦の元へと一時的に保護された。けれども正式に養子と決まったのはテオのみだった。

 テオはまだ12歳とは思えない程、大人びた雰囲気をもつ少年だ。元々利口な方ではあったが、この数カ月の環境が彼をそう変えてしまったのかもしれない。ブロンドがかった淡い茶色の短髪に、キリっとした目。その瞳は彼の芯の強さと利口さを象徴しているかのよう。それでも、決してきつくはみえず、どこか上品さが見え隠れするのは、瞳の色が髪によく合う淡いヘーゼルナッツ色だからだろう。一目見て、彼の父親を知る者ならば、父親似だと言うに違いない。

 一方の6つ程年下である妹のソフィアは、控えめでいつも兄の後ろに隠れてはついて回る、内気な少女だった。細かいカールがかった長めの髪は、兄とは違い、少し濃い茶色をしている。そして、クリっとした垂れ目の大きな瞳は不思議と惹き込まれるような緑をしていた。その華やかな瞳が幼いながらに彼女の美しさを引き立て、大人しい性格にも関わらず、人目を惹く雰囲気をもたらしている。もちろん、イギリス人において緑色の瞳は珍しくはない。けれども、透き通るような緑とも、深い翡翠のような緑ともとれる、何とも言えない美しいその緑色は、母親にそっくりであった。

 階級を重んじる伯母は昔からテオたちの母親を毛嫌いしていた。それは母が遠い国からやって来て、出自がはっきりしないからだとか。結婚の時も猛反対し、彼らの血のつながらない祖父、クリスが一度養子に引き取ったことで、父と母は何とか一緒になることができたと聞いたことがある。

 それが理由なのか、伯父夫婦は母親似のソフィアにかなりきつくあたり、結局、テオのみを養子にすることにしたのだ。

 ソフィアはソフィアで、その麗しい容姿は瞬く間に気に入られ、すでに新しい里親の話が持ち上がっている。恐らく、近日中にも正式に決まることだろう。

 けれども、厳しい伯母がソフィアと定期的に会うことは愚か、新しい家の連絡先さえ教えてくれるとは思えない。最悪の場合、一度離れれば、二度と会えないかもしれないのだ。もしかすると、今日で二人一緒にいられるのは、最後かもしれない。

 そんなのは、ごめんだった。クリスとも引き離されてしまった今、残された唯一の家族と離れる訳にはどうしてもいかなかった。

 

「こっちだ」

 人影をみつけては、テオは慌てて狭い路地へと道を変える。大好きなロンドンアイの華々しい光が、こんなにも鬱陶しく感じるのは生まれて初めてだ。

 どうか、僕たちを照らさないでほしい。

 テオは常に神経を尖らせ、心臓をうるさく鳴り響かせていた。

 こんな夜中に10歳前後の子どもだけで出歩いていると分かれば、必ず補導されるだろう。そうなれば、ソフィアと一緒に地下鉄へと乗り込むチャンスはもう二度と訪れない。

 足が時々、震えそうになる。振り返れば、手を繋ぐ幼い妹の不安げな顔が目に入る。

 僕が守らなければ。必ず、地下鉄を見つけなければ。もう引き返すことはできないんだ!

 テオは自分に何度も何度もそう言い聞かせた。何としても、あの地下鉄に乗らなくてはならない。怯みそうな気持ちを震い立たせて、ソフィアにバレないように小さく深呼吸をし、隙をみては目的地まで走り続けた。妹が安心できるように、優しく微笑み続けながら。

 そうして辿り着いたのは、特別な場所ではない。テムズ川沿いにあるただのベンチだ。ただし、このベンチからはビッグベンと満月がとてもよく見える。

 テオとソフィアは息を切らしながら、ベンチに腰かけた。もう大丈夫。そう思った時だった。コツ、コツと足音が響き、こちらのベンチへと誰かが近づいてくる。暗くてはっきりと姿は見えないものの、そのシルエットから、大人であることは間違いなかった。

「お、お兄ちゃん!」

 ソフィアが不安そうに、テオの肩を揺する。

「だ、大丈夫」

 妹を宥めつつ、テオは慌てて鞄から金属でできた天秤を取り出す。

 それは子どもにはまだずっしりと重たいものだった。

 その天秤をみつめながら、母がよくしてくれていた眠る前のお話、自分たちだけのベッドタイムストーリーを思い出す。大好きだったあの秘密の地下鉄のお話を。

 ロンドンにはね、秘密の地下鉄が存在するの。
 その存在を知っている人はとっても少ないわ。
 それからね、乗るのもとっても難しいの。
 その方法はね――……

 12歳にもなって、ベッドタイムストーリーを信じているのは馬鹿げているのかもしれない。
 今ならば、二度と脱走なんてしないと約束して、ソフィアの連絡先を教えてほしいと伯母に懇願すれば、まだ何とかなるかもしれない。

 一瞬、そんな考えが過るも、最後にメダルを託してくれたクリスの顔が思い浮かぶ。あの時だけは自分たちのことを忘れる前の祖父に戻っていた、そんな気がするのだ。

   母の優しい声と、祖父の温かな手がテオの背中を押す。

 妹と一緒にいるためならば、何だってする。
 脱走だろうが、魔法だろうが。縋れるものには何でも縋る。

「満月の夜。テムズ川沿いのベンチ。天秤の鍵に、魔法のメダル……」

 まずは、クリスから渡された魔法のメダルを窪みにはめ込む。

「よしっ」

 メダルは気持ちの良いくらいにピッタリとはまった。

 そして、その支点をビッグベンに合わせると、そこから左目を瞑り、満月が右の天秤の皿の中央に綺麗に乗る絶妙な角度を探していく。

 その間にも足音はこちらへと近づいてきていた。ついに足音が外灯の下へと差し掛かったその時、その誰かとは運の悪いことに巡回中の警官であることが分かった。同じく、こちらに気づいた警官が、声をかけてくる。

「君たち、こんな時間に何をしている?」
「お、お兄ちゃん!!」

 先ほどよりも強く、ソフィアが叫ぶ。

 あと少し。あと、少し。

 テオは額に汗を滲ませながら、ようやく天秤の皿にぴったりと満月の乗る絶妙な角度を見つけ出した。

「あった!」

 それと同時に、ビッグベンの針が動き、午前0時を告げた。すると、どこからか聞いたことのない鐘の音が不思議なメロディを奏でながら鳴り始めた。

「これは、もうひとつのビッグベンの音……なのか?」

 その音色はまるで、地面から響いてくるかのようであった。さらには、鐘の音に反応するかのように天秤が眩い光を放ち、地震のような揺れと共に、ベンチごと地面へと引き込まれていく。

「お兄ちゃん!!」
「ソフィア!!」

 抱きつくソフィアを左手で支えながら、揺れる衝撃で右手に持つ天秤を落としてしまわないようにテオは細心の注意を払う。天秤の光はテオとソフィアの座っているベンチをほんのりと照らしてくれているものの、ベンチより外は完全なる闇。何一つ、見えない。
 そんな中で感じ取れるのは横にいる妹の温もりと、天秤のひんやりとした金属の冷たさ。落ちゆく風の音と、天秤の皿が小刻みに揺れるカチャカチャとした音。ベンチから伝わる振動だった。
 恐怖のあまり、テオもソフィアも思わず目を瞑ってしまう。

 まだ、風は止まない。
 音も止まない。
 落ち続けている。

 そう思うと、一秒一秒が、長く、とても恐ろしく感じられた。

「現れろ、地下鉄……!」

 そうテオが叫んだ時だった。天秤は光を失い、ドンっとお尻に衝撃が走ったかと思うと、ベンチはピタリと動きを止めた。

 数十秒の沈黙。
 油断は禁物だ。

 怖いながらに神経を尖らせる。

 振動はない。
 風はやんだ。
 音ももうない。

 ……これ以上ベンチは動かないだろう。
 そう判断し、テオは恐る恐る瞑っていた目を開ける。

 すると、真っ暗闇の中で、巨大な何かがギロリと二つの獰猛な目を光らせていた。

「う、うわぁ」

 手に汗を握り、尚も抱きついているソフィアをギュッと抱きしめ身構える。けれども、その巨大な何かは、一向に襲ってくる気配はなかった。そして、この薄暗さに目が慣れてくると、その光が列車のライトであることが分かった。その横にホームが続いている。

 よく見ると、テオとソフィアが座っているベンチはホームに並ぶひとつへと変わっていた。
 テオは何度も何度も列車とホームを確認し、ようやく今日初めての子どもらしい無邪気な笑顔を見せる。

「ソフィア! ソフィア! 着いたよ!!」

 妹の肩をゆすり、目を開けさせる。ソフィアもまた、列車とホームを何度も見返している。

「……駅?」

 きょとんとする妹に、テオは興奮気味で続ける。

「秘密の地下鉄だよ!!」

 その言葉を聞き、今度はソフィアが顔を綻ばせていく。そして、二人で顔を見合わせ、抱き合った。

 テオとソフィアは確かに、希望をつないだのだ。

※秘密の地下鉄は掲載期間終了の完結作品です✶続きは下記アーカイブか、本よりお願い致します♡

↓↓アーカイブより続きを読む↓↓

秘密の地下鉄~episode2

↓↓本で続きを読む↓↓

世界の子どもシリーズ―秘密編―

この世を繋ぐもの―海と地下鉄と扉―

世界の子どもタイトル別一覧

世界の子ども時系列順全一覧

フィフィの物語

はるぽの物語図鑑

-オリジナル童話

© 2023 はるぽの和み書房