「ショップのご利用ですか?」
女性にそう尋ねられ、シエナは一瞬焦る。しかし、その様子をみていた男性がパッと顔を輝かせ、シエナの前に一歩近づく。
「茶屋のご利用ですか?」
「あ、はい……えっと、お茶はできますか?」
「もちろんです! どうぞ、ご案内します」
「はい、お願いします」
「うちは茶屋なんですが、妻のアクセサリーも一緒に置いてるんです。最近はショップのみのご利用の方も多いんです」
そう説明しながら、男性が嬉しそうに奥の窓際の席へと案内してくれる。店内は少し薄暗いがおしゃれなランプが暖色の優しい色を放っており、不気味な雰囲気は一切ない。それどころか、天井には月や星の小さなオブジェがセンスよく羅列されており、それに合わせて星空柄のカーテンがキラキラと輝くので、まるでプラネタリウムにいるかのように落ち着く空間となっていた。
そして窓とは反対側にはいくつものアクセサリーが飾られており、使われている石が窓から差し込む日差しに反射して神秘的な光を放っている。それらが店内で統一されているクラシカルなアンティーク家具とマッチして、どこか中世の不思議な世界へと迷い込んだかのような気分にさせてくれる。
「とってもオシャレですね。まるで、魔法使いの家みたい。魔法茶屋ってぴったりですね」
席に腰掛けながら、ターバンの男性にそういうと、一瞬目を丸くした後に、爽やかな笑顔で訂正される。
「みたいな、が間違いかな。俺もナタリーも本当に魔法使いだからね」
「え? ああ!」
一瞬戸惑うも、店の雰囲気からしてそういうコンセプトなのか、と納得する。そのまま楽しく会話にのることにした。
「では、お兄さんとナタリーさんはどういう魔法が得意なんですか?」
そういうと、男性は腕を組み、真剣に唸りながら言う。
「うーん、人間界では魔法は使えないんだよねぇ」
「そうですか、残念です」
ふふ、と笑いながらシエナがメニュー表に手を伸ばすと、男性が突然そのメニュー表をひょいと取り上げた。驚いて顔をあげると、ひらめいたと言わんばかりのいたずらっ子のような笑顔でこちらをみていた。
「いやー、そこまで言われたら魔法使いの名が廃るからね。実はね、人間界でも使える魔法がひとつだけあるんだ。君にはその特別メニューを提供しよう」
「え、えっと……」
「あ、俺のことはお兄さんじゃなくて、キースって呼んでくれたらいいよ」
有無を言わさぬ展開にシエナが戸惑っていると奥からやってきたナタリーさんがキースさんを小突いた。
「ちょっと、キース。こっちではマナーはしっかりって言ったでしょ。敬語が崩れてるし、お客様が困ってるわ」
怒られているのに、キースさんは全く悪びれる様子がなく、チラリと窓の外をみると、ナタリーさんにわざとらしくウィンクする。
「ほら? ね、これは放っておけない匂いがしない?」
「そうねぇ。それで一体、今の私たちに何の魔法が使えるっていうの?」
そういって二人は何かを相談し始めた。シエナは戸惑いはあるものの、いきなりメニュー表を取り上げられたり、魔法をみせるなんて突拍子のないことを言われても、何故か怖い感じは全くせず、席を立つ気にもならなかった。
もし高い商品を売られそうになったら逃げたらいいしね。そう思い、なりゆきに任せることにしたのだ。
そして、二人がじっと見ている窓の向こうが気になりシエナも覗いてみる。
すると、そこにはタクとトビーがいたのだ。既にタクは後ろ姿で、小さくなりつつあり、こちらに気づいたトビーが去り際に手を振ってくれた。
小さくシエナも手を振り返し、今度はキースさんとナタリーさんの方をみる。
「だから、そういうこと!」
「なるほどね。それは確かに魔法だわ」
話が纏まったらしく、ナタリーさんがクスリと笑った。その笑顔はとても素直で自然に出たものだからだろうか。艶やかな雰囲気が一変、とても無邪気で可愛らしい女性に見えた。
ミステリアスな印象が取れれば、その姿はまるで女神のようで、同じ女であるシエナでさえ思わず赤面してしまう程に綺麗だった。そうなると、本当にこの人たちは魔法使いなのかもしれない、とも思えてくる。
見とれている私に気づいたナタリーさんが、不思議そうに首を傾げた。
「あ、え、えと。その、私はどうしたらいいですか……ね?」
すると、オッホンとわざとらしく咳払いをしたキースさんが、少し紳士風に話し出す。
「実はですね、ひとつ人間界でも使える魔法があるのですよ。それが……」
「あのね、この世には誰でも使える魔法があるのよ」
そのキースさんの声を遮り、今度はナタリーさんが彼にチャーミングなウィンクをする。そして、シエナに向き直ると優しい笑みを浮かべながら説明を始めてくれる。
「誰にでも使える魔法……ですか? 私、別に魔法なんて使えません」
「いいえ、あなたも私もキースも使えるわ」
シエナは首を傾げる。その様子にふふ、と笑いながらナタリーさんが続ける。
「勇気よ」
「勇気?」
「何か新しいことをしようとしたり、行動をするときって勇気がいるでしょう?」
そう言われ、シエナは思い当たることがたくさんあり、大きく頷く。今日、水質調査へ来ること自体、とても勇気のいることだった。
「そして、自分の行動次第で良くも悪くも全てが変わるわ。だけど、上手くいかなかったらと思うと誰でも足が竦んでしまう。でも……」
シエナはうんうん、と何度も頷き、固唾をのんで言葉の続きを待つ。
「行動をしないと何も変わらない」
それを聞いて、シエナははっとする。自分はこれまでに何度、行動することを避けただろうか。
「だから言い換えると、行動するというのは何かを変えるということ。何かを変える時には勇気がいるもの。だから、勇気ってすごいのよ」
「すごく、わかります。確かに勇気って魔法かもしれません。私はずっと勇気がないから魔法が使えないんですね」
素直に言葉にしてみると、何故だか分からないけれど、ほんのりと涙が滲み出た。安心させるかのように、ナタリーさんがほほ笑みながら続ける。
「大丈夫。私たちは、今はもう魔法世界の魔法は使えないけど、勇気を増やすのは得意だから」
「勇気を……増やす?」
「そう。ここではアクセサリーやお茶を通して、自信を届けてるの。自信はあなたの背中を押して、勇気を増やしてくれるわ」
すると、キースさんがシエナの前にコトンと何かを置いた。お茶だ。ナタリーさんと話している間に用意してくれていたらしい。
しかし、それが注がれているのはティーカップではなく、丸い取っ手のない陶器。さらにそのお茶の色は少し濃いめの緑色。
「これって……」
「キースの特別メニュー。玉露のお茶になります」
「ぎょくろ……?」
「そう、日本茶だよ。君の悩みはさっきの黒髪の青年じゃないの?」
タクのことを話題に出され、シエナは目を見開く。
「タクのこと知ってるんですか!?」
「へぇ、彼、タクっていうんだ。残念ながら、知り合いという訳ではないんだけどね~。ちょっと、見かけたことがあってね」
「見かけただけ……。でも、それじゃあ、何で私が彼のことで悩んでるって分かったんですか? どうやって?」
疑問と焦りが一度に押し寄せ、シエナは捲し立てるように早口で質問していく。つい、前のめりになりながら。
それを落ち着かせるように「まぁまぁ」と言いながら、キースさんがお茶の方にスッと手をやる。
「まずは、冷めないうちにこちらをどうぞ」
そう言われ、シエナはゆっくりと席に掛けなおし、改めて目の前の緑色のお茶を見つめる。色々気になるが、確かに先に出されたお茶をいただくべきだと思い、そっと湯飲みを持ち上げる。
玉露を口に含むと、日本茶独特の渋みはあるのに心地の良い甘みがゆっくりと広がっていった。
「甘い」
後味も苦みはなく、どこか胸をいっぱいにさせる香りだけがしっかりと口に残っている。
「……美味しい」
ほうっと息をつく。
先ほどまでの焦りが嘘のように落ち着いている。そして、ふっと笑みが零れた。
「日本茶って、こんなに美味しかったんですね」
「うん、美味しいでしょ?」
シエナは小さく頷く。
「私、苦いのが苦手で。日本茶は飲んだことがなかったんです。思ったよりも甘いんですね」
「ははは、苦いってイメージがあるよね。うん、玉露のお茶はね、日本茶の中でも甘みが強い方なんだ」
「そうなんですか。知らなかった」
すると、今度はナタリーさんがニッコリと微笑みながら、シエナに尋ねてくる。
「どうだった? 彼の出身国のお茶は。よかったら話してみない?」
そう優しい声色で言われ、シエナの瞳から涙がぽろりぽろりと零れ落ちていく。温かいお茶で、心が解れてきたからかもしれない。
そっとナタリーさんがハンカチを渡してくれる。顔をあげると、静かに頷いてくれた。そうしたら、さらに涙が溢れてシエナは小さな子どものようにひっくひっくと泣き始めた。