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星のカケラ~episode2.5~守りたいカケラ―sideヒロandセト

2021年9月23日

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星のカケラ~episode2.5~守りたいカケラ―side ヒロ 

 

 まずい。流石にやり過ぎた、と浩は思う。
 今時あんなコメディ映画のようにオレンジを箱ごと転がす奴なんていないだろう。

 しほちゃんが絡まれていたから、とはいえ、悔いはなくとも公私混同してしまった自分に自己嫌悪が募る。さらに言うと、これにより、明らかにオレンジが足りなくなった。
 今から追加で焼くはずだった、焼き菓子用のオレンジケーキと夜用のフルーツケーキ。自分が分身でもしない限り、作る作業と買い直し作業の両方を行うことはできないだろう。

 とりあえず、フルーツケーキの方の生地を作りながら、オレンジの代わりになるものがないか、思案する。

 真夏のシーズン。生のケーキもよいが、手土産用に焼き菓子の細かい在庫管理は欠かせない。今日は思いがけず、焼き菓子が多く出た。

 基本的に果物の搬入は専門の業者に頼んでいる。だからこそ、近隣の店でも質の良いものが手に入るであろう、オレンジを使うケーキを焼こうとした訳だが。

「このシーズン苺もないし、はちみつの在庫も微妙だなぁ……」

 そして、箱に詰まったオレンジをみやる。

「うーん。この使えないオレンジは俺で買い取るとしても……。さっきの店で領収書切っちゃったし。それも含めて修正しないとね」

 すると、厨房の扉の向こうでノックが響き渡る。はいと真面目な顔を作り直して軽く返事をする。

「店長! オレンジ、買ってきました! よかったら品質チェックして、使えそうなもの使ってください!」

 それは、つい先刻、派手にオレンジを転がした時に分かれた切りのしほちゃんで。

「しほちゃん! よかった、あの後大丈夫だった?」
「はい!」

 彼女は大事そうに溢れんばかりのオレンジの入った袋を抱えていた。それを見て、浩は目を瞬かせる。

「わざわざ、買ってきてくれたの?」
「はい!」
「そっか……。オレンジなんだけど、助かったよ。俺のミスで格好悪い所みせちゃったなぁ」

 そう言いつつも、視線をしほちゃんには合わせられない自分がいた。思わず、かき混ぜているボウルから目が離せないという風に取り繕う。

 しほちゃんが無事で本当によかったと心の底から思っている。けれど、それと同時に、あのまましほちゃんだけの手を取って走って逃げられたら、どんなにスマートで、大人で、格好良く決まっただろうか、とも思ってしまう自分もいる。

 あの時の自分にはしほちゃんも彼女の友人も守る術がなく、オレンジを無様に転がすということしかできず。
 揚げ句、守りたかった張本人に、気を遣わせてその転がしたオレンジを買い直させてしまっている状況だ。

「ははは。本当に、ごめんね。後でオレンジの代金支払うから領収証を……」

 そう言って、何とか笑って見せる。上手く笑えているだろうか。本当に情けない。

「いいえ。オレンジまだ足りないですよね? それ第一弾です。もう一軒、回ってきます。品質はこれくらいで大丈夫でしょうか?」
「え、いいよ。そんな」
「ダメです。それに、店長やっぱり大人だなぁって。あの場を収めるために、ああいう風にしてくれたんですよね。誰かが怒ったり、変に止めに入ったら、余計に揉めちゃうから」

 しほちゃんが、明るく笑う。まるで太陽のように、元気よく。格好悪い、大人になり切れていない自分の弱々しい部分さえも弾き飛ばすかのように。

「いや、それは……」
「それに、ごめんなさい。店長は食材大事に扱うのに、酷いことさせちゃった。お店の在庫管理とかもきっちりしてるし、私のせいで迷惑かけちゃいましたよね」
「そんなことないよ。本当に、俺が偶然、転んだだけなんだ」

 しほちゃんが、緩やかに首を振る。

「いいえ。私が下手に杏奈助けようとしたから、事態が大きくなっちゃった。だからせめて、オレンジの買い出し手伝わせて下さい。えっと、さっきのオレンジ分の領収証ありますか?」
「全然、しほちゃんは悪くない。本当に俺が勝手にオレンジ落としただけだから。だけど……」

 迷いながらも、チラリと時計を見て、腹をくくる。格好悪くても、しほちゃんに頼るしかない。

「だけど、しほちゃんが手伝ってくれたら助かる。今日はシフトの人数もギリギリで、誰にも買い出しを頼めなかったんだ。夜も必ずフルーツケーキは数が出るだろうし、木曜日だから明日からの週末にかけてのオレンジケーキが足りそうにないんだ」
「はい! 任せてください!!」

 しほちゃんが顔を綻ばせながら、頷いてくれる。喜びたいのはこっちなのに、どうしてしほちゃんが喜ぶのか。

 ふっと、笑みが漏れる。

 そして、改めて思う。今この時間。俺は、この店の店長だ、と。

 自分の誇りは美味しいケーキを作ること。そのケーキを沢山の人に届けること。食べてくれた人を笑顔にすること。
 そして、今、目の前で手伝うと申し出てくれている子は、自分の好きな女の子という前に、一緒にこのケーキ屋で笑顔を届けてくれる大切な仲間。

 格好つけたいのは、男としての自分の都合。そして、店長としてすることは、信頼できる従業員を頼るということ。

「何個、買ってきてくれたのかな?」
「今で20個です」
「じゃあ、予備も含めてあと20個前後お願いできるかな? 品質も……うん。これでバッチリ」
「よかった! あと、領収証もお願いします。値段がなるべく同額になるように調整するので」
「助かるよ。箱と一緒に置いてるファイルに挟んである」
「分かりました!」

 そう言って、彼女は颯爽と駆けていった。

 結局、しほちゃんはオレンジケーキを焼きまくった後のラッピング作業まで手伝ってくれた。それで、先ほどの落としたオレンジの方の領収証も、わざわざ自分の名前で修正してもらってきてくれていたのだ。

「領収証まで、ごめんね。俺が全部買い取るから」
「いいえ。私の名前で修正してもらったので、私が買い取ります」
「いやいや、俺が……」

 しほちゃんが、真っすぐな目で見つめてくる。

「店長が、本当に優しさで言ってくれているの、分かってます。それに甘えさせてもらいたい気持ちもあるんですが、きっと、店長に買い取ってもらったって後で知ったら、友達が気を遣うと思うんです。私、オレンジケーキを焼く練習するって言ってあるんで、それを友達に配ります。そしたら、色々信じてくれると思うので」
「だけど……」
「あ、もちろん、調整しきれなかった差額分は頂戴しますね。じゃないと、申告するときの金額が合わなくなりますもんね!」

 笑顔でそう言われると、情けないことに、何も言えなくって。浩はしぶしぶ、差額分だけを渡す。

「それじゃあ、お疲れ様でした!」

 せめて、と言って、嫌がるしほちゃんに無理やりタイムカードを渡して今日の作業分のバイト代をつけさせてもらった。そんなのじゃ、足りないくらいの作業と自己負担をさせてしまったのに。

 きっと、今から家に帰ってあの大量のオレンジを置いてから、もう一度オレンジを買いに行くのだろう。嘘を本当にするために。夜に友達に配る為のオレンジケーキを焼く為に。

 オレンジケーキはオレンジの皮ごと必要だ。落ちたオレンジを、あの子が練習であったとしても、友達に焼いて渡すはずなどない。

「オレンジゼリーに、オレンジジュースに、オレンジのシャーベットかな?」

 誰にも聞こえないくらいの声で、オレンジの実だけで作れるレシピを呟いてみる。

「まさかね」 

 そうしたら、あくる日からしほちゃんは本当に、連日、バイトのお弁当にオレンジジュースやオレンジゼリーを持ってくるのだから、愛しくて、切なくて、悲しくなった。

「しほちゃ……」
「うーん、どうしよう。ちょっと予算が、足りないかも。でも……バイト掛け持ちしようかな」

 休憩時間、声をかけようとすると、そんな彼女の独り言が聞こえてきて、慌てて身を隠す。

「やっぱり、そうだよな」

 いつ頃から、しほちゃんはバイトにお弁当を持ってくるようになっただろうか。いつ頃から、いつもバイト後に買って帰っていたケーキを控えるようになっただろうか。

 しほちゃんは、一生懸命、何かの為にお金を貯めていたはずだ。だからどうしても、あのオレンジ代は自分が持ってあげたかった。

 一人の彼女を想う、男として。一人の彼女を見守る、大人として。

「だけど……」

 相談さえされていない自分では、手を差し伸べることができないのだ。

 まだ大学生の彼女と、一回りも年上な自分。
 店長の自分と従業員の彼女。

 軽々しくは距離を埋められない、年齢差。
 今更変えるのには勇気のいる、この関係。

 横に並ぶことは愚か、恋愛感情が邪魔をして、上手く大人として導いてあげることもできない自分がいる。
 けれど、そうやって身を引くだけでは、彼女に何もしてあげることができないのだ。

 いつもいつも自分に問う。

 横に並び彼氏として助けるのか、大人として適切な距離で見守るのか。

「俺はズルいから、まだ決めきれない」

 そう呟いて、ぎゅっと拳を握り、目を瞑って深呼吸をする。そして、気持ちを落ち着かせ、いつものように店長の顔で、休憩しているしほちゃんの方へと向かう。

「しほちゃん、ちょっといい?」
「はい、大丈夫です」

 そう返事をしながらも、彼女はそそくさとオレンジゼリーを隠す。
 きっと自分に気を遣わせない為だろうが、その隠し方が本当に下手くそでバレバレで。だけど、それがまた愛しくて堪らない。

 ふっと笑みを零し、少し意地悪をしてみる。

「今日もお弁当なんだ。手作り?」
「はい。オレンジゼ……じゃなかった、サンドイッチを少々」
「そうなんだ」

 そんな反応をみて、思う。
 少々ズルくても、やっぱり、この子を守りたい、と。

 だって、彼女はいつも我慢して、みんなの前では笑顔しかみせず、影で悩んで一人涙を零す子だから。

「えっと、何かの用事……ですか?」
「うん、そうなんだ。実は来月から新しいメニューを加えようと思ってて。しほちゃんさえよければ、多めにバイト入ってくれたりしないかな?」
「え、いいんですか? ちょうど、夏休みだしバイト掛け持ちしようか悩んでたんです」

 また、彼女が太陽のような笑顔で、浩の心を照らす。ちょっとズルいと思う、自分の罪悪感さえも弾き飛ばすかのように。

「そうなんだ。ちょうどよかった。助かるよ。繁忙期の手当ても付けるから、またよろしく頼むね」
「やったー! ありがとうございます!」

 これで、少しは君の助けになるだろうか。

 本当に、俺の方が助かる。
 一人の大人として、こうして君を守らせてくれて。

 本当は、俺の方が嬉しい。
 一人の男として、こうして君と会う口実が増えて。

 けれど、そんなことは一切顔には出さずに、店長として君と接する。
 そして、休憩時間を終えて去った彼女が座っていた席を見つめながら、密かに誓う。

 必ず、自分も嘘を本当にしてみせると。

「さて、本当に新作メニュー考えないとな」

 正直、この辺りは激戦区。店の経営も油断ならない状況。バイトを増やしている余裕はあまりないのが現状だ。何か、イベントでも考えた方がいいかもしれない。

 そう思っている所に一本の電話が鳴り響く。

「はい、星宙パティスリーです」

 どうか、この電話が仕事の依頼でありますように。
 せめて、君に店長としての格好がつけられるくらいの。

 

星のカケラ~episode2.5~守りたいカケラ side セト

 

「すごいね、バイトの時からそうだと思ってたけど、やっぱり手先が器用だ」
「本当? こんな風に褒められると思ってなかったから、誰にも言ったことなかったの。……嬉しい」

 彼女が俯き気味に笑う。照れているのか、耳に髪をかけながら。
 彼女は自身のことを可愛くもキレイでもないなんていうけれど、実はバイト先でも密かに人気の女の子であった。

 自分がいつもどれだけ、ヤキモキさせられていたかなんて、露ほど知らず、彼女はそう言ってのけるのだ。
 長いまつ毛を震わせながら、照れ臭そうに笑うその笑顔だけでなく、仕草だっていちいち可愛くて、とても微笑ましい。白い肌に透き通るようなブラウンの円らな瞳。その瞳の中に、彼女を見つめる自分の姿が映る。

 そのことが、彼女の横に今いるのは自分なのだという幸せを実感させる。

 頬を掻きながら、笑って言う。

「うん。本当にすごく、上手いと思う。コンテストとかさ、出してみたらいいんじゃない?」

 もっともっと、自分の容姿や特技にも自信を持ったらいいのに、と心の底から思う。

 彼女の作った見事な切り絵。お互いの趣味の話になり、少し悩みながらようやく見せてくれたのだ。本人曰く、得意な人も多いし、見せる程のものじゃない、とのことだが、素人目で見てもかなり上手いことが一目瞭然だった。

「ダメダメ。だって、切り絵って、上手い人はめちゃくちゃ上手いんだもん。私のなんて恥ずかしくって出せないよ」
「そうかな? 俺はめちゃくちゃ凄いと思うけどな。じゃあ、SNSにあげてみるとか」
「うーん、ダメよ。私そういうの、周りの反応とか気にしちゃうタイプなんだもの」
「そっか。まぁ、楽しく創るのが一番だからね」
「うん。でも、ありがとう。凄く嬉しい。見せてよかった」

 そう言いながらハニカム彼女の笑顔を、ずっと見ていたい、と思った。

「陸野さん!」
「あ、瀬戸君」

 入口付近のテントで、彼女は受付をしている。自分の声に合わせて、ゆっくりと振り向いた彼女の笑顔は少し弱々しくて、眉が下がり切っていて、すぐに何かあったに違いないと確信する。

「何かあった?」
「え、あ、何もないよ。それよりも、来てくれてありがとう。あと、予定変えさせちゃってごめんね?」
「いや、俺は会えたらそれでいいんだ」

 誤魔化す彼女がさらに笑うが、その笑顔がどこか痛々しくて、胸が苦しくなる。自分には相談できない、何かがあるのだろうか。

 今は堂々と、彼女の横に立てる位置にいるはずなのに。
 まだ自分では頼りないのかもしれない。

 今日は彼女の大学のイベントで、姉妹幼稚園の子らを招待して縁日を行うのだとか。本来ならば、一緒に美術館へと行く約束をしていたのだが、急遽、昨日から手伝いをすることになったらしいのだ。

 招待状があれば見学も兼ねて姉妹幼稚園以外の一般客も入場可能とのことで、美術館の代わりにそのままこの縁日の招待状を貰って大学の方に来させてもらった。

 元気のない彼女に、何か明るい話題をと思い、ふと視線を上げると、自身の背丈と同じくらいの位置に見事な切り絵が飾られていることに気がついた。

「これ、すごい!」

 とても綺麗に作られているだけでなく、精巧で目を凝らしてみても、隅々まで美しかった。一体、どうやって作ったのか。

 瀬戸は切り絵に誘われるように進んでいき、付近に飾られているものひとつひとつを見て回っていく。それらはズラリと、大学の門から建物の入り口にかけて数十メートルはある通路の両サイドに並ぶテントに一定間隔に吊るされていた。どれひとつとして、クオリティが落ちることなく、繊細で美しく、そして丁寧に作られている。

「うわ……」

 そして、風が吹いた瞬間にそれらが一斉に揺れ、まるで風車が回っているかのように、切り絵が回転し始めた。その隙間から空が映り込み、絶妙な角度で、魚が泳いでいるかのように動いた。

 心に焼き付くような、光景。白いテントに、鮮やかな赤や黄色が真っ青な空に浮かぶかのように揺れる。
 それはまるで金魚が空を飛んでいるかのようで、爽やかな夏の思い出の一瞬を作り上げていた。

「すごーい、空飛ぶ金魚みたい」

 周りの観客が、口々に感嘆のため息や誉め言葉を零していく。
 瀬戸は改めて萌咲のもとへと戻り、少し興奮気味に言う。

「本当に、すごい! 空飛ぶ金魚みたいだ。これ、全部、陸野さんが作ったんでしょ?」

 やっぱり、彼女はすごい。そう思い、満面の笑みを浮かべる。すると、彼女は目を見開いて、驚いた後に、泣きそうな顔で笑ったのだ。

「うん。うん……! 私が作ったの」

 そう呟きながら。

「陸野さん……?」

 すると、さらに観客の声が聞こえてくる。

「知ってる? このイベントってモデルのANNAが全部ひとりで準備したらしいよ」
「え、すごーい。じゃあ、この空飛ぶ金魚も? ANNAってセンスいいね」
「これって手作りじゃない? ANNAって手先も器用なんだ」
「すごいよね。あんなに綺麗で、売れっ子モデルで、この大学の理事長の娘。成績も優秀らしいよー」
「そうなんだぁ。ANNAと一緒に通えるとか、いいなぁ、ここの大学の子たち!」

 その言葉にはっとする。貰った招待状やパンフレットには、ANNA主催と書いてあり、全てANNAがプロデュースというのが宣伝文となっていた。

 また俯く萌咲を見て、瀬戸は複雑な気持ちになる。こんなのって、あんまりだと。

「実は、提灯が業者のミスで用意できなかったの」

 そう声をかけてきたのは、萌咲の友人のしほちゃんだ。

「そう、なんだ」
「だからね、萌咲が今まで自分でコツコツ作ってた作品、わざわざ朝一番に持ってきて、飾ってくれたの。子どもたちが喜ぶからって」
「うん。子どもたちは、すごく喜んでると思う」

 大学内で縁日を楽しむ子どもたちは、とても嬉しそうに、空飛ぶ金魚を見上げながら走り回っている。みんな、とてもよい笑顔だ。

「でも……」

 そう言いながら、見せられたのはSNSの画面で。

 ANNAプロデュース 空飛ぶ金魚
 #ANNA #空飛ぶ金魚 #切り絵 #アート

 ANNA 空飛ぶ金魚
 #大学 #縁日 #子どもと一緒に #モデル #ANNA #切り絵

 ANNA 切り絵
 #空飛ぶ金魚 #夏の思い出 #縁日

 沢山の写真と共に、タグ付きで話題になっていた。

「バズってるの。すごく嬉しいことなんだけど……でも」
「うん。俺は、この広まり方は嫌だ」

 ぎゅっと、拳をきつく握る。

「おまけに、話題になったからテレビの取材が来てて、ANNAプロデュースのイベントとして、紹介されちゃったんだ」
「でも、そんなの」
「うん。切り絵がANNAの作品とは言ってないんだけど、ANNAプロデュースの空飛ぶ金魚っていう形で、紹介されて。結果、みんな、ANNAの作品と思ってると思う」
「あんなに、頑張って陸野さんが作ったのに?」
「うん……。杏奈も知らないの。これが萌咲の手作りだって。杏奈はさっき来たところで、テレビの取材にかかりきりで、伝えるタイミングがなくて。まさか、こんなことになるなんて」

 萌咲の方を再びみると、本当の感情を押し殺して、子どもたちや来客に笑顔を向けている。みんなには普通に笑顔に見えるかもしれないけれど、あんなの、自分が大好きな彼女の本当の笑顔じゃない。

「空飛ぶ金魚、すごーい! ANNAって本当に何でもできるんでね」
「喜んで頂けて光栄です」
「ANNAに伝えといてください。空飛ぶ金魚、感動したって」
「……はい」

 萌咲が、来客にそう言っているのを聞いて、ずかずかと歩き、彼女の手を無理やり引っ張る。

「休憩いこう?」
「え、瀬戸君?」
「任せて、私が受付するわ!」

 しほちゃんに受付を代わってもらい、食堂の一角へと、彼女の手を引き、無言で歩いていく。

 きっと、相談できないんじゃなくって、誰にも言えなかったんだ。

「何飲む?」
「あ、えっと。お茶でいいかな」
「わかった」

 自販機で買ったお茶を二つ、机の上に並べて、二人で腰掛ける。

「瀬戸君が、見てすぐに私が作ったって分かってくれて嬉しかった」
「うん。一度でも陸野さんの作品みたことがあったら、すぐわかよ」
「ふふ、大さだなぁ……」

 徐々に彼女の声が震えていく。

「私、情けないし、心狭いし、何て奴なんだろ……っつ、って」
「全然、そんなことない」
「杏奈は友達でっつ、そ、それでっつ、大学のイベントに貢献できたし……」
「うん」
「こ、子どもたちが、よ、喜んでくれたらっつ、それでいいのにっ……」
「うん」
「だけど、モヤモヤしちゃって」
「うん」

 そう小さく涙を零す彼女の手を、そっと握る。

「大丈夫……。大丈夫。こんなの、誰だって、嫌だよ」
「でも……」
「少なくとも、俺は嫌だ。陸野さんの作品は、陸野さんの作品だ」
「……瀬戸君」

 グッと、心の中に込み上げる誰にでもない怒りを抑え込む。彼女を守りたいのに、笑顔を見ていたいのに、どうすることもできない。

 すると、食堂の向こう側で、子どもたちの大きな声が響いてくる。

「空飛ぶ金魚、すげー! 俺も作りたい」
「あんな難しそうなの、ママじゃ分からないわ」
「えーーー」

 子どもが駄々をこねながら、そのまま縁日の人混みへと消えていった。それを聞いて、あることを思いつく。

「陸野さん! ここで、待ってて」
「え?」
「一人にさせて、ごめん。でも、10分、いや、5分でいいから、待ってて。絶対に、戻ってくるから」
「う、うん」

 そう言って、握っていた手をさらにもう一度強く握ってから、手を放す。そして、ガタリと椅子を慌てて動かして、瀬戸は全速力で駆けて行く。

「コンビニ! コンビニ!!」

 大急ぎで買ってきたのは、折り紙。あるだけ全部を買ってきた。その足で、受付のしほちゃんに助けを求める。

「あのさ!」
「瀬戸君?」
「は、ハサミとか……の、のり、借りられない?」
「え、ハサミならあるけど……」
「できたら、ある、だけ……全部」

 息を切らしながら、必死に伝える。けれどいまいち伝わらなくて、ガバリとコンビニで買ってきた大量の折り紙の入った袋を持ち上げて、見せる。

「工作教室! したいんだ」

 しほちゃんが、目を見開く。

「わかった! 先に萌咲の所、行ってて。道具は私が集めるから!」
「よろしく!」

 そう言って、再び全速力で食堂へと戻る。まだ、彼女は先ほどの席にぽつりと座っていて。窓の外を切なげな表情で、見ているんだ。みんなが喜んでいる、自分が放ったはずの鮮やかな空飛ぶ金魚を。

「萌咲!!」

 たった一人、一番輝かないといけない本当の金魚が、泣いているのに。みんな、空を泳ぐ金魚しか褒めないんだ。

 それしか、見ないんだ。
 だから。

「これ!! 工作教室しよう」

 萌咲が振り向く。今度は、悲し気な笑顔じゃなくって、度肝を抜かれたような驚いた顔。一歩、前進。絶対に、またいつもの優しい笑顔に戻してみせるから。

「瀬戸君、持ってきたよ!」

 そう言って、すぐにしほちゃんがハサミやのり、そして、カッターやカッター台まで用意してきてくれたのだ。

「瀬戸君、しほ……」

 机に折り紙や道具を並べてみるも、今度は食堂にどうやって子どもたちを呼び込むかが、分からない。建物の中は、手洗いの用途で以外は子どもや観客は入ってこないのだ。

「やっぱり、いきなりだと難しいかな?」

 萌咲が気を遣うかのように、弱々しく笑う。

「いや、絶対に子どもたちは来る。待ってて」

 瀬戸はスマホを見やり、急ぎ正門の方へと向かう。キョロキョロと確認すると、すぐさま気難しそうな顔をしながら、眼鏡をカチャカチャとかけ直す友人の姿を発見した。

「あったか?」
「まあね。というか、この休日の呼び出しは高くつくからね」
「わかった。また、今度何か奢る」
「まあ、別にいいけど。でも、そんなの何に使うんだ?」
「呼び込み。それで、子ども受けしそうな動物あったか?」
「いや。お前みたいに大柄な奴が入れそうなサイズはそれしかなかった」

 そう言いながら渡されたのは、狼の着ぐるみ。コンビニへと走っている最中、演劇部の友人に頼みこんで、着ぐるみを借りることにしたのだ。

「よりによって狼か……大丈夫かな」
「無いよりいいだろう。まあ頑張って」

 早々に帰っていく友人と別れると、瀬戸は急ぎトイレで着替える。真夏に走り回ったせいで、もう汗だくだ。お気に入りの深緑のシャツは脱ぎ捨てて、中のランニング一枚になる。

「あっつ」

 そう言いながら、炎天下の中、狼の着ぐるみで外を歩き出した。
 自分はいつも、このでかい身体と目つきの悪さで、子どもを泣かしてしまう。だから、せめて着ぐるみをと思ったのに。

「うわぁあああん」
「ちょっと! あなた何なの!?」

 やはり、狼なのがよくなかったのだろうか。逆に、子どもたちを怖がらせてしまったようだ。

「が、ガオー……」

 弱々しく鳴いてみるけれど、どうにもならない。焦る気持ちと、子どもを泣かせてしまった罪悪感が膨らんでいく。

 真夏に走りこんで、こんな着ぐるみを着て。ぐるぐるぐるぐると、暑さと焦りと慣れないことをした反動で、目が回りそうになる。そこに突き刺さる、保護者や観客からの冷たい白い目。怯える子どもたちの声。

 自分は何をしているんだ。そして、萌咲に何をしてあげられるのだろう。

「瀬戸君!」

 そこに駆けてきたのは萌咲で。ペタリと、何かを頭の上や背中へと貼り付ける。

「……?」
「あはははは。変なのー」

 急に子どもたちが笑い出した。

「怖い狼が、リボンつけてるー!」

 萌咲がいつもの笑顔で振り返りながら、自分の手を引く。

「ありがとう。私も準備できた。行こう」

 初めての着ぐるみでは上手くしゃべれなくって、ブンブンと大きく首を振る。それに合わせて、折り紙の可愛らしいリボンが揺れる。

「あ、見てー!」

 食堂にて
 空飛ぶ金魚 工作教室
 子ども 無料

 走るたびに、背中からピラピラと音がした。その音に合わせて、空飛ぶ金魚が鮮やかに飛び跳ねる。自分の前を行く、たった一人の美しい金魚が輝く。自分の後ろを、子どもたちが追いかけてくる。

 こうして、大盛況となった工作教室。もちろん、子どもたちにいきなりあんな難しい切り絵なんてできないから、萌咲が調整した簡単な金魚バージョンになったけれど。

 萌咲も、子どもたちも、自分も、みんな笑顔だった。

 途中、大盛況過ぎて食堂にクレームが来て慌てたけれど、偶然通りかかった理事長が、正式にイベントの一部として特別な許可をくれた。

 イベント終了時刻を過ぎ、二人で散らかった折り紙の切れ端を黙々と集めていく。一番奥のテーブルに脱ぎ捨てられた、リボンがいくつもいくつもつけられた、狼の着ぐるみだけが瀬戸と萌咲の様子を見守っている。

「……今日は、ありがとう」

 ポツリと呟いたのは萌咲だった。屈んだ状態で、こちらを見上げながら、さらに続ける。

「私、今日、瀬戸君がいてくれないとダメだった」

 フワリと優しく彼女がほほ笑む。

「萌咲」

 そっと彼女に手を差し出し、彼女がその手を握るや否や、引っ張り上げて立ち上がらせる。

「わっ」

 そしてそのまま、ぐっと自分の胸元へと引き寄せる。背の高い自分より彼女は頭二つ分くらい小さくて。肩よりもほんの少し長い髪が、冷房の風で緩やかに揺れる。その髪には、小さな折り紙の切れ端が付いていて、そっと彼女の髪を撫でると、ふわりと小さな金魚のように地面へと消えていった。

「……瀬戸君?」

 こちらを見上げる彼女にそっと微笑んで、そのまま顔が見えないように、抱きしめる。強くではなく、壊れ物を扱うかのように、そっと優しく、包み込むように。精巧な切り絵を慈しむかのように。

「今日の空飛ぶ金魚。俺はずっと、絶対に覚えてるから。萌咲が空に羽ばたかせた美しい色だってこと」
「……うん」

 自分のランニングがほんのりと湿ってくる。彼女がきっと、涙を零しているんだ。

「それで、絶対に伝わる人には伝わるから。今日の子どもたちみたいに」

 SNSにはANNAのタグで空飛ぶ金魚の写真が溢れている。けれども、その中で、いくつか本物の金魚が紛れているのを、瀬戸は見つけたのだ。

 空飛ぶ金魚 工作教室
 お姉ちゃんと狼と金魚を作ったよ
 #お姉ちゃんありがとう #リボンの狼 #僕だけの金魚

 彼女はずっと、友達との友情と自分の作品への気持ちとの複雑な感情の中をたった一人で泳いでいた。一番真っ先に、空へと自由に泳いでよい金魚だったのに。一番美しい、今日の華やぐ金魚だったのに。

 そんなのを見失うなんて、みんな損をしている。だから、真っ先に気づいた俺だけが一番にこの美しい金魚を自分の目と心に焼き付けておくんだ。彼女が飛ばせた鮮やかな空飛ぶ金魚と共に。

 それで、何にも左右されない純粋な子どもたちにだけ、それを教えてあげたんだ。

 そっと、静かに泣く萌咲の顔を上げさせて、そのおでこにキスを落とす。

「今度こそ、コンテストに出そう。応援するし、絶対に守る」

 俺だけの、光り輝く金魚。
 俺と萌咲の夏の思い出。

 守りたい、彼女のカケラ。

 いつの日か、自由に輝くその日まで。
 叶うならば、彼女が華やぐその後も。

 

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