オリジナル童話

月の子ども~前編~

2021年10月19日

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 私は月。
 日々、太陽と交互にこの世界を照らしている。

 私が見守るこの世界には様々な種族が共存している。例えば、威勢よく天を飛び交う竜族。空と陸を自由に舞う鳥族。壮大な大地を駆け巡るケンタウロス。海で鮮やかに踊る人魚や水や火を操る精霊たち。なかには魔法を使うことに長けた魔法族などもいる。

 皆、私と太陽にとっては可愛い子どものようなもの。

 なんて愛しいのでしょう。

 そんな私には、最近、特に目にかけている子どもがいる。
 名をウィルと言い、確か歳は15くらい。どこまでも続く闇夜に溶け込むかのような漆黒の髪に、星を飲み込むかのような深く黒い瞳をもっている。とても大人しい少年。

 ウィルは私が太陽と入れ替わるかどうか、空が薄紫色に染まりだした頃に街へとやってくる。他の魔法族の子らよりも、ほんの少しほど早く。

 そして今日もまた、ウィルはこの場所へとやってきた。街を一望できる坂の上から、森に背を向け、じっと下の方を見つめている。そうして、街にぽつりぽつりと灯りがつき始めるのを待っているのだ。

 

「なんだ。あいつ、今日も来ないのか」

 ウィルがこの場所にいるのを知ってか知らないでか、街の方からこんな声が響いてきた。

「いいじゃないか。あいつがいたら何も学べやしない。天才の考えることなんて分からないさ」
「そうだな。一番遠くの星まで詠めるか何だか知らないけど、なら学校にだって来なくていいじゃないか」

 魔法族の少年たちだ。遠くの方で、魔法族の少女たちが少年たちを呼び、彼らは建物の中へと入っていった。すっかりと太陽がその身を隠し、私の光で空を照らし始めたころ、星々がいそいそと目を覚まし、輝き始める。空いっぱいに。

 そして完全に街の灯りがつききると、小さな子どもらは学校へ、大きな子どもらは仕事へと行き、星を詠むのだ。私の灯りを道標に。

「今日は何をして過ごそうかな」

 ただ一人、街を見下ろしながら、ウィルが呟いた。

 私は知っている。本当はウィルがとても心優しい少年であることを。
 ウィルがこの坂の上にくるようになったのは、確かあの出来事が起こってから。

 学校の一室、魔法薬の授業でのことだ。その日は満月で、私は窓からしっかりとその様子を見ていた。

 教室の壁一面に備え付けられた棚に、色とりどりの液体の入った瓶が並んでおり、生徒たちは皆、テーブルごとにグループで大鍋を煮詰めたり、棚からとってきた魔法薬をフラスコに混ぜ合わせては詠唱を繰り返している最中だった。

「これは危ないから」

 たった一言、ウィルはそう言った。

 そして他の子らが触っていた魔法薬を取り上げようとしたのだ。けれども、彼らはそれを拒んだ。

「なんだよ。いつも偉そうぶって! ひとり星が遠くまで詠めるからって」
「お前、俺らがすごい魔法薬作れそうだからって、邪魔してるんだろ。なんだよ、自分よりも俺らが良い成績をとるのが怖いのか? ふん」
「違う……」
「じゃあ、何なんだよ。離せってば」

 そう言って、ウィルが取り上げていた魔法薬を他の少年たちが無理やり取り返そうとする。

「やめっ、本当にただ危ないだけなんだ」

 二人がかりでウィルを押さえつけ、一人が力づくで魔法薬を彼の腕からもぎ取る形で。

「勝手にいつもみたいに、一人でやってろよ」
「…………っつ」

 魔法薬を奪い返すと、彼らはウィルを押し投げた。勢いよく地面へと突っ伏し、ウィルは四つん這いになったまま、しばらくじっと床を見ていた。彼の肩くらいまである髪がその表情を隠しているが、私には全てお見通し。

 ウィルはとても悲しそうな顔をしていた。とても切なそうに、誰にも聞こえない声で呟いた。

「ただ、危ないんだ」と。

 その苦しさいっぱいの声は私にしか響かなかった。けれど、もし周りのものが聞こうと思えば届くはずの声であったとも私は知っている。その声に皆が、気が付かなかったことが、私はとても悲しくて悔しい。

 そこに、魔法族の少女たちがやってきた。

「やめなさいよ、乱暴よ」
「そうよ。大丈夫?」
「…………」

 ウィルは小さく頷いた。少女たちはウィルを立たせながら、クスクス笑って言う。

「ねぇ、別にいつも一位じゃなくたっていいのよ?」
「そうよ、誰だって完璧じゃないんだもの」

 ウィルはグッと眉をひそめて、さらに言う。

「そうじゃ、ないんだ……」
「なあに?」

 少女たちがウィルの顔をのぞき込む。微笑む少女たちに、ウィルは応えることなく、無表情のまま顔をそむけた。

 ウィルは決して、背が高く、逞しい体つきという訳でもなければ、運動神経が良いというわけでもない。むしろ、それらは平均的、いや、平均よりも低かったかもしれない。ただ、左右のバランスの取れた美しい顔と、誰よりも深い漆黒の髪と瞳はみなを惹きつけた。魔法族の中で、その髪や瞳は黒ければ黒いほど、魔力が強いとされていたからだ。

 それを自分自身で証明したかのように、成績優秀なウィルは、誰よりも深く黒い瞳に遥か遠くの星々の光を映し出し、また見事にそれらを詠んでみせた。
 歴代の魔法族の中でも一、二を争うくらいの秀才だと言われるくらいに。最年少の天才魔法使いだと魔法族の皆が知ることとなるくらいに。

 だから、家族たちはウィルの才能を持て余す。大人たちはウィルに期待する。少女たちはウィルをもてはやす。少年たちはウィルに嫉妬する。

 ウィルはいつもひとりぼっち。

「ほら、そうやってすぐに媚びるんだ!」
「なあに? 嫉妬?」
「はいはい。ほら、続きをやりましょうよ」

 そう言って、皆が魔法薬の続きを作り始めた。一人の少年が、真っ赤な小瓶の薬品を取り出す。その瓶に、危険薬という注意書きが書いてあったのに、そのラベルが床に剥がれて落ちてしまっていた。そのことに誰も気づいていない。私とウィル以外は。

 ああ。私は思わず目を瞑った。

「ダメだ! それを入れてはいけない!」
「は?」

 ウィルが声をあげた時にはもう遅かった。その少年はウィルが先ほど取り上げようとした魔法薬にその赤い薬を一滴、落としてしまったのだ。

 すると、瞬く間にその魔法薬は淡いエメラルドグリーンから、薄紫へと変色していき、巨大なフラスコに稲妻を走らせて、ちかちかと光り始めた。とても不気味に。

「な、なんだよこれ!」
「きゃあ!」

 フラスコから、灰色の煙が渦を巻くように部屋一面に広がっていき、皆の視界を奪っていく。

「うわあっ。熱い」

 フラスコを持っていた少年が叫ぶ。フラスコの中で稲妻が益々大きくなり、青白く光る。
 それと同時に、ピキっとガラスにヒビの入る音が響いた。

「フラスコを離して!」

 ウィルが叫ぶと、少年は慌ててそれを放り投げた。

 辺りは一面、灰色の煙一色で、目を開けることなんて到底できるものではなかった。そんな中で、教室にいる全員が、瞼の外で眩い光を感じながら、全身に強烈な風を感じていたと思う。爆音と共に、皆が教室から吹き飛ばされた。多くのうめき声と共に、瓦礫があちこちに吹き飛ぶ。

「っつ、ってー」
「うっ、うっ」

 ある者は泣き、ある者は痛みで声がでなかった。けれども、全員が吹き飛ばされて身体を強打するくらいに留まったのは奇跡であったと言えよう。

 その奇跡が偶然起こったのかと言えば、そうではない。クラス中の者の身体の周りに薄い透明な膜のシールドが張られ、瓦礫が当たるのが防がれていたから惨劇が免れたのだ。

 ただ、皆、起こらなかった出来事をどう正しく想像できただろうか。そのことではなく、目の前の吹き飛ばされた衝撃と痛みしか、想像することができないのだ。

「ひっ……」
「きゃっ…」

 落ち着いて皆が目を開けた時、そこには皆を守ったシールドを球体のようにして、フラスコを抑え込むウィルが突っ立っていた。
 その美しい頬を炭で黒く染め、額から血を流しながら。彼の服はボロボロで、シャツの袖は半分と残っていない。足には瓦礫がいくつも刺さり、痛々しくそこからも出血している。

 彼の乱れた長めの髪が顔にかかり、その表情はみてとれない。痛みを感じていたかもしれないし、怒りを感じていたかもしれないし、悲しみを感じていたかもしれない。

 ただ、髪の隙間から彼の左目がゆらりと揺れた。その瞳には圧縮されているフラスコの中の稲妻が映し出されていた。

「ば、化け物……」

 自分たちが招いたことだというのに、少年たちは腰を抜かしたまま、後ずさる。ウィルに言い寄っていた少女たちだって、無言で涙を浮かべながらそれに倣った。

「…………」

 ウィルは何も言わぬまま、そのフラスコを抑え込んでいる球体を左手に浮かせながら、さも当たり前のように、まるで日常の会話かのように詠唱し、そこら一体に雨を降らせた。

 クラスのものは皆、シールドで守られていて、一滴だって雨粒がその髪にも、頬にも身体にも触れることはない。

 ただ、教室のど真ん中に突っ立っているウィルだけが、激しく降る雨を全身に浴び続けた。ウィルの周りに、痛々しい血の混じった水たまりができていく。

 ウィルは一切の詠唱以外の言葉を漏らさずに、一切の表情を見せずに、ただ雨を降らせ続けて、熱のこもった危険な球体を抑え込んだ。

「おい、何があった!?!?」

 駆けこんだ大人と呼ばれるものたちが口々にそう問う。

「ウィ、ウィルが……」

 一人の少年が呆然とウィルを恐れ一色の瞳で見つめながらそう言い、周りの者が無言のまま頷いた。

 誰もそれ以上の言葉を続けなかった。誰も真実を言わなかった。大人と呼ばれる者たちは、周りの子がシールドで守られているという状態をしっかりと見ようとはしなかった。ただ、荒れ果てた教室に一人の少年が雨を降らせながら危険物を所持している。その事実しか見ようとはしなかったのだ。

「お前には期待していたのに」
「何てことをしてくれたんだ」

 先生を始めとする、大人と呼ばれる者が期待という言葉を口にする。家族と呼ばれる者たちが困ったという言葉を口にする。
一方でクラスの全員が言葉を口にしない。

 だから、ウィルも何も言わなかった。たった一人でいる自分が言う真実ではなく、大勢でいる周りの言うことが真実となることを知っていたから。

 他の魔法族の少年たちは口をつぐみ、時間が経つにつれ、また嫉妬を思い出して、そのままにした。他の魔法族の少女たちも口をつぐみ、時間が経っても恐れだけを残して、そのままにした。

 ウィルは今日も、魔法族で一人だけ、星を詠まない。ただひたすらに街の灯りが消えるのを待ち、日が差し始めて全員が帰路についたのを確認してから、自宅へと戻る。

 私は何も言えない自分がもどかしい。

 見守ることしかできない自分が不甲斐ない。

 私の光を浴びる全ての者が、可愛い子ども。誰一人欠けることなく、愛しい存在。

 けれど、私の愛しい子どもたちは知らない。力の大きさで優劣が決まるのではなく、力の使い方でそれらが決まることを。

 それがまた、もどかしい。

 

月の子ども~後編~

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