オリジナル小説

星のカケラ~episode5~

2021年10月23日

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シホのカケラ

 

「ううっ」

 明け方、腹痛に襲われてしほは唸り出す。うっすらと目を開けるとまだ暗くて、スマホをつけると時刻は4時だった。横向きになり、ぐっと布団を引き寄せて、自身の身体に巻き付けるようにくるまると、背中を丸めて再び目を瞑る。

 腹痛といっても、腸というよりは、胃が痛いようなそんな気もする。鳩尾あたりに続く、鋭い内側から針を刺されるかのような感覚。全身にジワリと広がる嫌な汗。

「バチが当たったのかも」

 そう呟いてさらに小さく丸まる。

 今の自分はフラフラしてしまっている。店長との約束を蔑ろにするようなことをしてしまって、それで店長に怒られたからといって、今度はあの男の子との約束をどうしようか悩んでしまっているのだから。

 優柔不断で、どちらとの約束も中途半端で曖昧で、最悪。

 痛みに耐えかね、胃の辺りを押さえながら考える。

「……普通に食中毒とか、そういうのかな」

 もしそうであれば、恐らくは原因はケーキではなく、自分の焼いたクッキー。焼いたまま、適当にお皿にのせてラップしてそのまま置いてたし。
 店長の作ったケーキでお腹を壊すはずはない。
 もちろん、長時間外で待ってくれていたので、男の子がくれたケーキは傷んでいた可能性はあるけれど、あれは大丈夫だったはず。

 そう、もしお腹を壊す原因があるとしたら、しほが自分で焼いたクッキー以外に存在してはならないのだ。

「ううう」

 明日の朝、病院とか、行くべきかな。こんな風にお腹が痛くなったのは初めてで、しほはじっと身体を丸めたまま、布団の中で悩む。

「ふうううう。ううううう」

 でもお腹が痛いと言えば、何を食べたのか聞かれちゃうよね。やっぱり、病院は行かない。だけど、家に腹痛用の薬も無ければ、胃薬だってない。

「ふうううう。ううううう」

 とりあえず、この痛みとしばらく戦わなければ。深呼吸をして、リズムを作って。それをひたすら繰り返していく。そうすると、そのうちに、ウトウトと瞼が再び重くなり、しほはいつの間にかまた眠ってしまっていた。

 

 次に目が覚めたのは、スマホの着信音。

「だ、誰?」

 明け方よりマシにはなっていたものの、まだしほを襲う腹痛は続いていた。メールならば無視しようと思ったものの、着信だ。のそのそと布団から腕を出し、スマホを引き込む。画面をみると、それは萌咲からであった。

「もしもし、萌咲?」
『あ、しほ。やっと出た。ねぇ、昨日のメールみた?』
「……みてない」
『縁日の時に仲良くなったメンバーで遊ぼうって言ってたでしょ? 急遽、みんな休みが被ったから、昼から海街喫茶に行こうってなったの。しほも今日はバイトない日でしょ?』

 海街喫茶、と聞いてさらにお腹ではなく胸が痛くなる。そうしたら、目頭に涙が浮かんできて、笑顔で断ろうと思っていたのに、もう、溢れるままに言葉が口から零れ始める。

「うわーん。もえー。お腹が痛いよー」
『ええっ!? お腹!? 今、どこ?』
「家。ずっと、お腹が痛いの。もう胸も苦しい。動けない。布団から出たくない」
『わかった。とりあえず、家に行くから待ってて』
「うん。うん。ごめん」

 そのまままた布団にくるまって、もう声を上げて泣き出す。

 だってお腹が痛いんだもん。だって、胸が苦しいんだもん。だって、海街喫茶行きたかったんだもん。

 泣きだしたら、どこが痛くて、何がしんどいのか分からなくなって、むしろ泣くことに夢中になってしまった。

 ああ、こんな風に声をあげて大泣きしたのはいつぶりだったかな。

 程なくして、家のベルが鳴った。のそのそと布団から這いつくばって玄関までいく。動いたらやっぱりお腹が痛くて、声を出すのさえ億劫になった。パジャマだけど、萌咲だからそのままでもいいかなと思い、ドアを開けようとして、ピタリと立ち止まる。昨日の店長の言葉が頭を過ったのだ。

「萌咲?」
「しほ!? 大丈夫!? 私よ!」
「も、もえー」

 萌咲の声を聞いて、また泣きだしながら、玄関を開ける。

「うわっ。大丈夫? そんなに痛いの?」

 布団をマントのように頭からかぶり、声を上げて泣いている自分。それを見て、ぎょっとした顔で、萌咲が慌てて駆け寄る。

「ねぇ、病院に行こう。タクシー呼ぶね」
「ダメダメ。病院はダメ」
「怖いの? 大丈夫。腹痛なら、そんなに痛いことしないと思うし、薬をもらったら……」
「違うの。違うの。昨日食べたのはケーキだから、ダメ」
「どういうこと? 泣くほど痛いなら、病院に行かなくっちゃ」
「違うの。昨日、ケーキいっぱい食べたの。びょ、病院に行ったら、何食べたか聞かれちゃう」
「そうね。食中毒だったら困るし……」

 そう呟いて、萌咲がはっとした顔をして、聞いてくれる。

「吐き気は? 嘔吐は?」
「ない」
「すぐに病院に行った方がいいけど、まだ9時前だし、病院が開く時間までは待機しよう。それまで我慢できる?」
「でも……」
「それまでに治まったら、今日は様子みよう。ずっと痛いようだったら、無理矢理でも連れていく。大丈夫。食中毒じゃないってわかるまで、どこの何て言わずに、ただケーキ食べたとしか言わなければ大丈夫だから」
「う、うん……」
「さ、それまで横になって」

 萌咲に促されて、再びベッドに戻る。そのまま萌咲が手を握ってくれて、泣いてスッキリしたのか、安心したのか、しほの目は自然と閉じていった。腹痛で体力が削げているのか、明け方目が覚めたからかは分からないけれど、とても深い眠りについた。

 

 

「しほ、しほ。ごめんね、一度起きて。調子はどう?」

 ゆっくりと目を開き、瞬きをする。日の光が差し込むと共に、ぼんやりと人のシルエットが浮かび上がり、しほは目を擦る。

「お母さん……?」

 そのまま手が伸びてきて、しほのおでこに触れる。

「熱は大丈夫そうだけど……一回起きれる?」

 さらに何度か瞬きして、だんだんと視界がよくなってきて、そこにいるのが萌咲だと分かってくる。そして、しほはがばっと起き上がる。

「萌咲!」
「しほ、急に起きたらダメ。大丈夫だから」
「ご、ごめ」

 寝ぼけて、お母さんなんて言ってしまった。一人でいて、こんな風に弱って、優しくされて、つい気が緩んでしまったのだろう。泣いて寝たものだから、まるで、子どもの頃に戻ったかのような感覚に陥ってしまった。

 恥ずかしくって、頬をほんのりと赤く染める。気まずくチラリと萌咲の方をみると、いつもの穏やかな笑みでこちらを見てくれていて、しほは安心する。

「今ね、12時前なの。午前診に行こうと思ったら、もうでなくちゃ。お腹の調子はどう?」

 そう問われ、しほはふと布団の下に隠れている自分のお腹の方をみる。

「……痛くないみたい」
「本当に嘘ついてない? 大丈夫?」
「うん、本当に、もう痛くない」
「よかった。でも、今日一日様子見て、また痛くなりそうだったら絶対に病院連れて行くからね」
「うん。でも、大丈夫。これくらいなら、何かあっても一人で歩けそう。萌咲はまだ間に合う? みんなで海街喫茶行くんだよね?」
「おバカね。一人にするわけないでしょ? 私としほはもう断ってるから安心して。だから今日は一緒にいる。土曜日の午後も空いてる病院いくつかチェックしといたから、このまま家でゆっくりしとこ?」
「……ありがとう」
「もう、むしろもっと早く言ってよね」
「うん、ありがとう」

 自分を優先してくれたことが嬉しくて、しほは照れながら萌咲に礼を言う。顔を布団で隠し、チラリと上目遣いで萌咲をみると、また優しくほほ笑んでくれて、ウルっとしてしまった。

 最近、みんな就活で忙しくて、それで彼氏がいる子が多くって、少し寂しかったのかもしれない。海街喫茶も結局行けなかったけど、店長とも行けそうにはないけれど、誘ってもらえただけでも、ものすごく嬉しい。

 涙目のしほを見て、萌咲が頭を撫でてくれる。横になってて、と言われ甘えることにした。そうしたら、近くの薬局で胃薬や痛み止め、消化によさそうなものを買ってきてくれて、お粥を作ってくれた。

「食べられそう?」
「うーんと、少しだけ」
「大丈夫、一口二口でいいの。薬が飲めたらいいから。でも、どの薬にしようか。本当は病院行く方がいいけど」
「ううん。多分、治まったから食べ過ぎだと思う。胃薬貰おうかな」
「食べ過ぎ? 珍しい。どうしたの?」
「うーんと、色々あって、ケーキを沢山食べて」
「また新作のケーキ、2~3個食べちゃったの?」
「ううん。たくさん貰って、ケーキ5個と……」
「5個!?」
「……フィナンシェと、クッキーを」
「……おバカね」

 呆れながらもお粥を食べさせてくれて、薬を用意してくれる萌咲。あんなに泣いていたことも、何故ケーキを大量に食べたのかも聞かずに、ただ傍にいてくれる。

「萌咲、色々ありがとう」

 薬を飲み終わり、しほは萌咲を見つめながら言う。

「何? 急に。こんなの当たり前でしょ?」
「うん。ありがとう。大好き」

 ふふと互いに笑い合う。その空気感がとても心地よい。

 萌咲がずっと、しほが話せるようになるまで、話したくなるまで待っていてくれているのが、言葉にしなくても聞かなくても分かる。

 しほの中に溜まってしまっていた何かが、今なら吐き出せるような、そんな気がしてくる。

「あのね……、ずっと相談したかったの」

 しほは萌咲をみて話し出す。夏のちびっこ海空キャンプのこと、店長とのこと、進路のこと。ついでに、みんなに彼氏ができてしまってちょっと寂しかったこと、遠慮してたこと。

 いつの間にか上手く輝かすことが出来なかった星のカケラは光を失い、塵となって心の奥底に溜まってしまっていたようだ。それらをしほは懸命に言葉にして吐き出していく。時折、泣きそうになりながら。時折、恥じらいながら。時折、熱っぽく。一番信頼できる、親友に。

 

 萌咲はじっと最後まで、しほの話を聞いてくれた。

「……おバカね」

 第一声は予想通りの言葉だったけれど、しほは甘んじてそれを受け止めて静かに頷く。そして、真顔で尋ねる。

「……どこら辺が、一番そう思う?」
「……全部よ。全部」
「うーん、全部?」
「いや、全部は言い過ぎたかな。進路に迷うのは誰だってそうだけど」
「うんうん」
「まず! 何で言ってくれないの? 彼氏ができても友達は友達でしょ? 海街喫茶だって行きたいならすぐに誘ってくれたらいいし、店長さんのことも進路のことも相談してくれたらいつだって相談にのったのに!」

 そう言われて、そうだなとしほは改めて思った。萌咲が、友達を蔑ろにするはずないのだから。

「ごめん。自分でもそう思う。何でだろう、みんな彼氏ができて、自分だけ置いてきぼりで、周りが大人にみえたのかも」

 力なくしほが笑うと、萌咲も困ったように笑い返してくれた。

「私も一緒。前に私だけ輝いてないって、悩んでたでしょ? なんか、しほが急に大人っぽくなって、どんどん綺麗になって、置いていかれちゃったような気がしたの」

 しほはそれを聞き、目をぱちくりさせる。

「杏奈にじゃなくて、私に? 私が大人っぽい?!」

 今度は萌咲が目をぱちくりさせて、そのまま声をあげて笑いだした。

「うん、そう。ちゃんと自分のしたいこと見つけて、こうやって頑張ってるんだもん。ふふ、ふはは。でも、大人っぽいはやっぱり違うかも」
「えーー。そこ取り消すのー?」
「ううん、そうじゃなくって、大人っぽい子どもぽいじゃなくて、何かこうやって話してたらやっぱり、しほはしほだなぁて安心したんだ」

 そう言われると、何だかしほも気が抜けてくる。ああ、自分はいつから大人っぽい子どもっぽいと気にしすぎていたのだろうか。

「うん、そうかも。うん、そっかぁ。へへ、私も何だか安心したかも」

 やっぱり自分は何にも変わっていなくって、それでこうやって悩んでいるからこそ何かしら成長しているし、これからも何も変わらないまま、何かが成長していくのだろう。

「ねぇ、どうやったら大人になれるんだろうね。私たち年齢的には成人してるでしょ? でも、子どもの頃から何ら変わらないと思わない? 見た目はもちろん、変わってるけれど」
「うん。全然変わらない。どうやったら大人になれるのか、よく分からない」
「それに、成人って18歳の国が多いけど、早いところは14歳のところだってあるし、お酒が飲めるのだって20歳、21歳、国によって違うわ」
「え、そんなに違うんだ」
「成人したら社会的なルールは変わるけれど、成人したから偉いって訳じゃないんだろうね」

 そう言って萌咲はそっと耳に髪を掛けながら静かに微笑んだ。その笑みが慈しみに溢れていて、その仕草が美しくって同じ年とは思えないくらいに、とても大人に見えた。

 けれど、一緒にいるこの心地よさは出会った頃から変わらずに、しほのよく知っている萌咲のままで、二人でブランコに乗ったり、こうやって大人とは何かと話したり、子どもっぽいことも一緒にして笑い合うのはこれからも変わらないのだろうな、とすぐに思った。

 それに萌咲の言う通り、成人したからと言って偉い訳ではないのだろう。しほの周りの大人が全て素敵な人かと言えば、ぶつかっても謝らなかったり、平気で嘘をついたり、ニュースになるような信じられないくらいに酷いことをする人だっている訳なのだから。

「そうだよね。大人がみんな偉かったら、きっと世の中平和で怖い人なんていないもんね」

 しみじみとそう呟くと、萌咲が苦笑いしながら言う。

「そうよ? そういえば、今日はちゃんと玄関を開ける前に誰か確認して偉かった。店長さんに怒られたのがよっぽど効いたってことじゃない?」
「……そういえば、そうみたい」

 しほはいつも、萌咲と約束している日は確認せずにすぐに玄関を開けるので、ちゃんと確認するようにと度々怒られていた。萌咲しか来ないし、とつい思ってしまっていたけれど、店長の言葉は自分が思っている以上に影響があったのだろう。

「何度言っても聞かなかったのに。日ごろから思うんだけど、危機管理能力に関しては私も店長さんに同意だな」

 萌咲がまた苦笑いをしている。日ごろから萌咲には色々なことをよく注意されているので、しほも誤魔化すように笑いながらも、「へへ、ごめん」と素直に一言添えた。

「正直、そのままその男の子についていくのは危ないと思う」
「うん……。だよねぇ」

 どうしようかな、としほは唸る。すると、萌咲が真剣な顔でこちらを見て、続ける。

「でも、手術する子が控えているって聞いて放っておけないのも分かるし、何より……」
「うん……?」
「記憶がない時に出会ってる人って、気になって当たり前だと思う」

 その言葉にしほはまた涙が溢れ出す。

「本当? 私、おかしくない?」
「うん。おかしくない。でも……」
「でも?」
「そのままついていくのはやっぱり危ない」
「うん」

 萌咲がハンカチを取り出し、しほの涙を拭いながら微笑む。

「杏奈に確認してみた?」

 そう問われ、しほは緩やかに首を振る。

「やっぱり、追いかけられてたことがあるから、杏奈には聞きにくくて」
「そうだよね……」
「少し前に、夏のちびっこ海空キャンプのことは聞いてみたことがあるんだけど」

 ちょうどあの男の子に追いかけられた少し後のこと。
 しほは偶然、夏のちびっこ海空キャンプについて杏奈に聞いてみたことがあった。就活で、ちびっこ海空キャンプのことも面接で話したり、履歴書に書くかもしれないから、どんな感じだったか知りたい、と。

 すると、杏奈は困ったような顔をして、そのまま面接対策や履歴書の書き方といった違う話題に話をすり替えてしまった。しほも杏奈を困らせたい訳ではなかったので、それ以上キャンプについては聞けなくなってしまったのだ。

 何故か杏奈は、いつも夏のちびっこ海空キャンプの話をすると、口をつぐんでしまう。

 確かにしほにとって記憶はないものの、川に落ちたという恐怖の感情が心の奥底に残っている。時折、夢でうなされるときがあり、そういう時は決まって、川で流されかけたような、そんな情景なのである。きっと、あのキャンプの時のものなのだろう。

 あの時、一人暮らしのしほを病院へと連れて行ってくれたのは杏奈だ。そのまま入院になったものの、もしかしたらその時点で結構うなされていたのかもしれない。

「杏奈はあの時のこと、気遣ってくれてるみたいで、キャンプの話を聞いてもいつも誤魔化されちゃうんだ」

 杏奈に相談したら、反対されるような、そんな気がしている。そして、もししほがあの男の子についていくと言えば、杏奈も一緒に行くと言ってくれるだろう。けれど、今、杏奈は彼氏と上手くいっていて、それで、ファッションショーも無事に決まり、今まで以上に忙しくしている。どうしても、言うに言えないのだ。

 ただ、あの困った顔の反応がしほにはどういう意味だったのか分からないのである。キャンプの話をするのに困ったのか、あの男の子がキャンプに来ていた子だったから嫌だったのかどうか。

 杏奈があの男の子から逃げていたのが、キャンプに関係なく、ナンパから逃れるためなのか、そもそも知り合いではないのか。そこもしほには分からない。

 ただ、確かにあの男の子は髪を上げているかいないか、服装や表情でかなり雰囲気が変わる。そういう意味では遠目からならば分からない、気づかないということもあり得る。

 そしてあの時、杏奈からはしほが川に落ちていきなりびしょびしょで帰ってきたとしか聞いていない。川に落ちたという事実以外、杏奈自身も何があったのか明確に知らないのではないだろうか。

「そっかぁ。杏奈は気遣ってあまりその話、しないようにしてくれてるんだったけ。でも、逃げてたってことはあの男の子と知り合いじゃなかったってこと? でも……」

 萌咲も思うところがあるようで、うーんと考え込んでいる。

「あの男の子、なんか、すごく雰囲気が変わるんだ。普段と大学ではちょっと違うというか、何て言うか。上手く言えないんだけど……」
「うーん、あの男の子が優しそうっていうのが想像つかないんだけど。でも、そもそも、杏奈としほって全然タイプが違うから、仲良くなる子が違ってもおかしくないし、杏奈がキャンプで一緒だったとしてその男の子と知り合いだったかどうかは分からないよね……」
「そうなんだよね。確か、キャンプの時、そもそも杏奈と班自体、違った気がするんだ。というか、どっちにしても、もう約束しちゃってるしなぁ」

「「うーん」」

 しばらく二人して考え込んで、突如、萌咲がパッと顔を明るくして言う。

「ねぇ、店長さんに事情を話してついて来てもらうのはどう?」

 店長に事情を話してついて来てもらう、思いつきもしなかったことを言われ、しほは驚いて息をのむ。

「確かにそのまま会いに行くのは危険な気がするけど、店長さんが一緒なら、安心じゃない?」
「で、でも。怒っちゃったし。ついて来てくれるかな? もう日がないし……」
「もちろん、私も一緒についていく準備をしとくから大丈夫。店長さんが無理なら私。そうだな、女だけで行くのも危ないかもしれないから、瀬戸君とその友達にもお願いしておく。これでどう?」
「う、うん……」

 歯切れの悪い返事をし、しほはぼんやりと天井を見上げる

 でもあの時、あの男の子も店長さんについてきてもらってもいいって言ってたような気がする。それに、水曜日に行くと言うのを聞いていて、そのことに触れないということは、店長はついていくのが嫌ってことなんじゃ……

 萌咲が小さく笑いながら、少し呆れたように息を漏らす。

「まーた考えすぎてるんでしょ? 大丈夫。店長さんならついて来てくれる気がするの。それにその後、二人で約束通り海街喫茶に行けばいいしね」

 萌咲の方を見て、しほはそのまま立てていた膝に顔を埋める。

「う、ん……。でも、なんか、店長に来てもらえる自信がないかも。自分に関して、もう子どもも大人も関係ないのかなって思えても、やっぱり店長は大人に感じちゃうんだ。だから……」
「だから?」

 しほは頬を染めながら、チラリと再び萌咲の方を見ながら言う。

「保護者としてついて来てもらうのって、何だかこう、気持ち的に、何て言うか」

 すると、萌咲が声を上げて笑いだした。

「なんだ、まだ恋じゃないとか言いながら、店長さんの立ち位置が保護者じゃ嫌なのね?」
「うー、ううう、うん」

 ついに認めてしまった。まあ、あれだけ泣いてしまった後なのだから、認めざるを得ないのだろうけれど。

 諦めるように、小さくため息をついて、しほは言う。

「なかなか大人にはなれないけど、もう何が大人かよく分らないんだけど、大人な男性に恋してもいいと思う?」
「もちろん。全然いいと思う」
「恋は片想いでもいいから?」
「うーん、それもあるけど」

 今度は萌咲が天井を見上げながら言う。

「私、自分に自信がなくてずっと悩んでたんだけど、思ったんだ。どうせ、いくつになったってその時その時に悩みがあって、悩みが無くなることなんてないから、時には思い切っちゃってもいいのかなって。そういう意味では、自分がどうしたいかで大人も子どもも関係ないのかも」
「確かに……。大人になったからって悩みが無くなるわけじゃないよね」
「だから、恋愛に年齢って関係ないような気がするの。同級生と付き合おうが、年下と付き合おうが悩む時は悩むと思う」
「そうだね。年齢じゃなくて、お互いの気持ちだよね。そう考えたら、好きな人に好きになってもらうってすごいことなんだね」

 萌咲の方を見ながら、緩くほほ笑む。「じゃあ、今の私は遠いなぁ」と呟きながら。好きな人に好きになってもらうことの大変さをしみじみとしほは感じる。

 すると、萌咲が何も言わずにしほの横に腰をかけ直す。そして、二人でコツンと頭を寄り添い合わせて、どちらからともなく微笑み合う。

 私たちは成人していて、だけど、まだ学生で。だけど、もうすぐ卒業で、進路も恋も何もかも自分たちで生きる道を決めなければならない。

 心が大人になっていなかろうが、何が大人か分かっていなかろうが、心が子どものままであろうが、子どものような悩みがあるままであろうが、進まなくちゃダメなんだ。

「ねぇ、もっと瀬戸君との話を聞かせて?」
「うん。でも、しほと店長さんの話ももっと詳しく聞かせてよ?」

 あははと二人で笑い合いながら、たくさん沢山、恋の話をした。それで、思い出話からこれからの進路の話まで尽きることなく、話をした。そうしたら普通に夜が来て、結局、お腹が痛くなることはもうなかった。

 そのまま萌咲に泊まってもらって、二人で消化に良いうどんを食べて、二人で一緒に眠った。

 きっと、この心配をかけた腹痛騒動も大人になりゆく自分たちには大切な思い出になって、いつの日かまたこの話をして笑うのだろう。

 その時、自分たちは何をしているのかな。その時、自分たちの横には誰がパートナーとして立っているんだろうね。それでまた、大人って何かなって話すのかな。

 その晩、萌咲の寝息が子守歌のようにしほを安心させ、ぐっすりと心地の良い眠りへと誘った。夢の中で、しほは塵となってしまった星のカケラの山をかき分けて、再び光を取り戻した星のカケラをみつけたような気がした。

 

 

 

 あくる日、萌咲の厳しい体調チェックの後、しほはバイトへと赴いた。

 いつも通り着替えて、いつも通り休憩室でバイトが始まるまで待機する。今日は日曜日ということもあって、仲良しのパートのおばちゃんたちではなく、しほと同じ年くらいの学生のアルバイトの子たちばかりだ。

 程よく相槌を打ちながら、最近のオススメのファッションとか、オススメのコスメとかの話を聞き流していく。

 すると、これもまたいつも通り、ノックが響いて店長が入ってくる。

「みんな、今日も一日よろしくね」
「「はーい」」

 他のアルバイトの女の子たちから、先ほどの会話よりもワントーン高くなった甘さの含まれる声が響く。

 店長ってやっぱりモテるんだよね。今までそこまで意識したことはなかったけれど、周りはよくよく考えればライバルだらけで、それで、皆ちゃんと自分がどれくらい可愛いのかとか、どこが魅力的なのかとか分かっているのだと思う。

 店長が恒例通り、一人一人に声をかけて、今日の作業を確認していく。
 長いまつ毛を瞬かせて上目遣いで頷く子や、円らな瞳を揺らしてほほ笑む子。みんな、すごく可愛い。
 それで店長も店長で、いつもの優しい笑みを皆に見せていくんだ。

「木梨さんは今日も接客のレジメインで。よろしくね」
「はい!」

 萌咲に話して、恋と認めた途端に、他の女の子と話している様子をみると、モヤモヤとした感情が心の中に渦巻いていく。

 自分って何て単純で、何て嫌な奴なんだろう。

 だから、私はただのアルバイトなのに。
 そう言い聞かせながら、いつも通りの自分の番を待つ。

 先日怒られて、海街喫茶の約束が流れてしまった状況。さらにそこに、今日は事情を説明して水曜日に病院までついて来てもらえないかと頼むというミッションが加わる。

 しほにとってはハードルが高すぎる。だけど、水曜日までもう日がない。だからまずは、普通にいつも通り会話することから。そう思っていたのだけれど……。

「午前中は焼き菓子の梱包作業をしてもらおうかな。午後から接客で。今日もよろしくね」

 いつも通りの笑顔で、早口に用件だけ言って店長はあっという間に去ってしまった。しほが返事をする間もなく。

 バタりと店長が店へと出て、しほはいそいそと厨房と事務室の間のスペースへと向かう。

「今日は……名前も呼んでもらえなかった」

 しほちゃん、といつも挨拶の時につけてくれていたのに。これは、大学に入ってすぐにアルバイトを開始した、古株のしほの特権だと思っていたのに。

「めちゃくちゃ怒ってる。やっぱり、頼めないかも」

 ぼんやりとしていても、手先はそれを覚えていて、しほは手際よく梱包を終わらせていく。時折、店長が焼き菓子を運んできて、何度か目が合ったけれど、ただそれだけ。どちらからともなく、視線を逸らして事務的に言う。

「次、これ頼むね」
「はい」

 このやりとりの繰り返し。そうしたらあっという間に午前中が過ぎて、それで忙しい日曜日は午後の接客なんて一瞬で過ぎてしまった。

 けれど、しっかりと笑えていたような気がするのは、萌咲のおかげ。

 大丈夫、好きなのは自由。大丈夫、大人じゃなくたっていい。

「大丈夫、だって萌咲がついて来てくれるって言ってたし」

 

 まともな会話さえなくバイトの時間は終わってしまい、着替え終わっても休憩室には誰もいなくって、しほは誰に向かって言うでもなく、一人呟く。

「お疲れ様でした」

 恋だとちゃんと認めてから初めて店長と顔を合わせた今日。何だか勢いで、頑張れるようなそんな気がしてしまっていた。けれど、理想と現実はやっぱり違って、そこにタイミングの悪さも加わって。

 ケーキの甘い匂いだけが身体に染みついて、心には切なさと焦燥だけが募るばかりだった。

 

 

 月曜日。今日は一日授業の日だ。けれど、卒業間近の授業は忙しすぎてゆっくりと萌咲と話せるのはランチタイムくらいだった。
 体調と恋の進捗について報告をし、結局、瀬戸君とその友達についてきてもらえないかお願いをしてもらうこととなった。

 返事が来たのはその夜のこと。

『二人とも大丈夫だって。水曜日、授業の終わりに正門で待ち合わせでいい?』

 メッセージを開き、しほは瞬きをしながら声を上げる。

「え!? 本当についてきてくれるの?」

 瀬戸君もその友達も二つ返事でいいよと言ってくれたとのことで、しほは驚きを隠せなかった。

『ごめんね、本当にありがとう! 今度、みんなにお礼するね!』

 そう慌てて返事をすると、すぐに萌咲から返信がきた。

『瀬戸君がね、縁日の時、しほが道具を集めてくれたり、工作教室手伝ってくれたお礼がしたいってずっと言ってくれてたの。だから、喜んで協力するって。本当にお礼とか気にしないで』

 これをみて、しほは萌咲が絶対に今、ほんのりと頬を染めて照れているに違いないと確信する。

「へへへ。仲いいなぁ」

 何だかしほまで嬉しくなり、そのまま何通か萌咲とやり取りをしてベッドに寝転がる。

『でも、もしチャンスがあれば明日もう一度店長さんにお願いできないか聞いてみたら? こっちは水曜日どちらでも大丈夫だから』

 そして、萌咲が最後に言ってくれたことを何度も何度も頭の中で考えて、脳内作戦会議を開始してみる。

「うーん、でも、何をどう頼めばいいんだろう。例えば、謝るとして、水曜日に先に約束しちゃったことをかな?」

 でも、時間を夕方からにしてもらおうと思っていたとは伝えていて、それは断られてしまっていて。

「やっぱりついて来て下さい、とか図々しいよね」

 だけど、心配はしてくれてたし、もういっそ、子どもでいいから開き直ってお願いしてみるのもいいかも。

「でも、保護者みたいな感じで頼むのもなぁ」

 変にしほの中で店長との関係性について、名前がないにしても、異性として意識してほしいという、願望のようなものが芽生えてきてしまっていた。前のままの方が、素直に何でもお願いできたかもしれない。

 そうして思い浮かべるのは、他の女の子にも同じように笑いかけていて、何事もなかったかのように事務的な会話だけを続ける店長の姿。

「みんなと一緒ってことは、やっぱり脈ナシってことだよね。じゃあやっぱり、あれはデートじゃなくて、お菓子同好会みたな感じ?」

 そうなると、だんだんとモヤモヤがイライラに変化してきて、しほはそのまま感情をぶつけるかのように、抱き枕に力を加える。

「じゃあ、やっぱり色々、からかわれてたってこと?」

 公園での真夜中のお茶会のことを思い出し、ムムムと頬を膨らませ、数秒考えた後にボスンと抱き枕に顔を埋める。

「でも店長って優しいし、からかったんじゃなくて本当に優しさから生まれたお菓子同好会かも……その可能性が高い」

 あーあ。やっぱり、一瞬でも自惚れてはダメだったし、恋だと認めてはいけないパターンだったのかもしれない。あーあ。ダメだって何度も自分に言い聞かせてたのに!

「でも……」

 もう認めざるを得ないくらいに、しほの恋心は大きくなってしまっていたのだ。だから仕方ない、仕方ないのだけれど。

「やっぱり恋って面倒。なのに……」

 それなのに、全然今は上手くいってなくても、店長の優しい笑顔が思い浮かんだら胸がぎゅっと締め付けられるのだ。
 最初はきゅんと、とても甘く。それで程なくして現実を思い出して、今度は壊れそうな程切なく。

「好き……」

 好きって大変。

 今晩も眠れないかと思っていたのに、病み上がりのアルバイトで疲れたのか、思いのほかすぐに眠ることができた。

 ああ、今、私のカケラは何色に輝いている?

 

 

 そうして、迎えた火曜日。今日が店長にお願いするラストチャンスだ。
 午前中は何度も何度も萌咲に励まされて、落ち着かない中で授業をやり過ごし、勇気と決意をもって、午後からのアルバイトへとやってきた。

「今日もよろしくね」

 けれど、この日も名前を呼んでもらえないまま、しほは接客業務をこなすこととなった。

 いつものように注文されたケーキを箱に詰めて、レジを打って、お客様に渡していく。

 こんなにもぼんやりとしているのに、ケーキをつぶさずに詰められるのだから、やっぱり成長している。だけど、バースデーケーキの注文なのに、上手く笑えているのか分からなくなって、気を抜いたら涙が出そうで、やっぱり、全然成長なんてしていない。その繰り返しで、時間が過ぎていく。

 ああ、いつの日かのことを思い出す。それは先輩とお別れをしたあの時と一緒。

 あの時はまだ恋に憧れていただけで、ちゃんとした恋ではなかったのだと今では思う。先輩の好きな色に合わせて、先輩の好きなものに合わせて、自分の嫌いなものに目を瞑り、自分の嫌いなものえ分からなくなっていたのだから。

 ただ、初めて誰かを好きになるということを経験して、それが上手くいかなくて、とても悲しかったのを覚えている。

 だからきっと、もう一度、あの星のカケラで自分の色をみつけて歩みだしたあの時から、何かが自分の中で成長していったのだと思う。

 仕事の合間、チラリと厨房の方を盗み見る。一瞬だけ、扉の隙間のガラス越しにこちらの方を向いた店長と目が合ったような気がした。
 目が合ったというよりも、自分が店長を見ている時に偶然店長がこちらを振り向いただけだけれど。

 きっと、お客様の状況確認だろう。それでも、店長の姿をみることができて、しほの中で決意が固まる。やっぱり、ちゃんと頑張りたい、と。

 

「お疲れ様でした」

 今日はクローズまでのシフトで、しほは後片付けの作業も慣れた手つきでこなしていく。そうして、ひとつ、ケーキが残っていることに気づく。

 もうすぐ着替えに行って、帰らなければならない。今、このケーキを買いたいと言うと、きっと店長が従業員割引で購入させてくれるだろう。そうなれば、話すきっかけになる。

「あの……」
「ん?」
「今日はひとつケーキが……」
「ああ、それはね」

 店長にスムーズに声がかけられた、と思った瞬間にそのケーキは箱へと詰められていった。

「あら? しほちゃんもケーキ買って帰るんだった?」

 仲良しのパートのおばちゃんが、そう尋ねてくれる。

「いいえ。クローズの時に一つ残ってるな、と思っただけなので」
「そう? 珍しいわよね。一つでも残るなんて」
「そうですね」

 おばちゃんと話しているうちに、店長は行ってしまった。そしてそのままの流れで着替え終わり、どうしようもなくて、しほは沈んだ気持ちでタイムカードに手をかける。

「しほちゃん」

 すると、店長の声がして、しほはぱっと顔をあげる。つい、反射的に何も考えずに嬉しそうな顔をしてしまった。名前を呼んでもらったのも、嬉しかったのかもしれない。

「あ、えっと。これからのシフトのことなんだけど」

 そう言われて、しほははっとする。そうだ、やっぱり自分と店長は従業員と店長の関係で、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
 しほは慌てて、取り繕うような笑みをして、会話に入っていく。

「えっと、シフトが何でしょう?」

 すると、店長が困ったような顔で頭を掻きながら、言う。

「その、就活でシフト減らすって言ってたでしょう? どれくらい減らしたいかなーって思って」
「あ……」

 そうだ。そう言えば、しほにとってはこっちの方も大問題だった。もう、面接の申し込み期限は迫っている。そして、製菓学校の申し込みだって、するのならばそろそろ動かなければならない時期だ。

 もし、学校へと行くのならば、それは何かしらの形でアルバイトをしながら週5日間しっかりと通うのか。それとも一度就職して、そのまま社会人コースとして緩やかに通うのか。
 それさえもまだ、結論を出せていなかった。

 つい黙ってしまうしほに、店長が違う意味で悩んでいると思ったらしく、少し寂し気に笑いながら付け加える。

「えっと、木梨さんがもう就職決まりそうだから、シフト増やしてもいいって言ってくれてるんだよね。だから、しほちゃんとシフトの量入れ替えで調整してもらおうかなと思って。代わりの子もいるし、気にしなくって……」

「あ、店長―!」

 その時、パートのおばちゃんの一人が慌てた様子で声をかける。何か急ぎの用件があるようで、ごめんね、と言って二人で話し始めた。

 しほはそれに対して笑顔で頷き、内心、ほっと息をつく。

 代わりの子。先ほどの店長の言葉が胸に突き刺さる。
 シフトの調整でいうと、それは当たり前のことだけれども、何だかすごく、嫌に思ってしまった。ああ、これ以上聞きたくない、と。

 木梨さんだってとても仕事がテキパキとできて、ケーキを詰めるのも綺麗で速ければ、ラッピングも上手いし、レジだって完璧。とても可愛らしい子だし、接客だってお手のもの。

 自分にとって自信があることと言えば、学生の中では一番の古株で長くここでアルバイトさせてもらっているということ。それで、ケーキが大好きだということ。

 だから、代わりというと、きっとしほ以上に木梨さんは戦力になるのだろう。だけど、それでも自分の方がよく知っているのに、慣れているのに、という嫉妬のような感情が湧き上がってしまう。

 けれど、それさえも元々自分から言っていた話なのだ。秋からシフトを減らしてほしいと。

 なんて自分勝手なのだろう。本当に、自分って子ども。弱々しい笑みを漏らしつつも、気を取り直して、話し込んでいる店長とパートのおばちゃんの方へと耳を傾ける。

「じゃあ、お見合いの件、進めておくわね」
「あー、えっと」
「もう、今彼女いないんでしょ? 会うだけ会ってみればいいじゃない。それじゃ、写真置いておくからねぇ」
「いや、その……」

 そう言って、休憩室のテーブルに分厚い高級感のある赤い台紙をおばちゃんは置いていく。

「しほちゃん、邪魔しちゃってごめんねぇ。それじゃあ、お先に失礼します」
「いえ、お疲れ様です」

 本当は気が気ではないけれど、何とか笑顔を作ってしほはおばちゃんに挨拶をする。
 
 ドクリドクリと心臓が嫌な音を鳴らしはじめ、店長と自分だけになってしまった休憩室がしんと静まり返る。

 沈黙が続いた後に、先に口を開いたのは店長だ。

「あー、えっと」

 さっさとシフトの話を進めてくれたらいいのに。

 そう思うと同時に、シフトの話をすれば木梨さんの話に。世間話をすればお見合いの話になる訳である。

 どちらも聞きたくない。けれど、お見合いというフレーズが頭から離れず、だんだんとイライラとしてきてしまった。

 お見合いなんてするなら、お菓子同好会でも、いくらしほが子どものように思えるのであっても海街喫茶に二人で行くものじゃない。それに、やっぱり、色々からかわれてたのかも。

「店長、お見合いされるんですか?」
「あー、うん。ずっと独り身だから、そろそろって周りに薦められてて。ただ……」
「そうなんですね。おめでとうございます」
「…………う、ん」

 完璧な営業スマイルで、しほは言ってのける。

「あと、シフトの件もお気遣いありがとうございます。木梨さんと交代の方向でよろしくお願いします」

 そう言ってお辞儀をして去ろうとすると、店長に腕を掴まれる。

「待って」
「わっ」

 すると、その拍子に鞄を落としてしまい、しほのグレーのトートバッグから教科書やら筆箱やらが床に散らばっていく。

「わ、ごめんね」
「いえ」

 そう言ってしゃがみ込み、しほはいそいそと教科書やらを拾っていく。
 店長も慌ててそれらを拾い始める。

「あのさ……」
「はい」

 拾うのに忙しいフリをして、しほは店長の方を向かない。少し間があいてから、店長が躊躇い気味に続けていく。

「しほちゃんって、もしかしてお金貯めてたりしてない?」
「え?」

 ずっと床と教科書しか見ていなかったけれど、予想だにしない質問に思わず顔をあげてしまう。そうしたら、心配そうにこちらを見つめて瞳を揺らす店長と視線がぶつかった。

「気のせいだったらごめんね。だけど、この秋までシフト多めにって増やせるだけ増やしてたし、お弁当作ったりとかしてたでしょ? だから、確認せずにこのままシフト減らしちゃっていいのか、その、気になってて」

 そう言われて、しほは目を見開く。

「あ、えっと……」

 やっぱり、店長は優しいのかもしれない。ちゃんと、古株の自分のことをみてくれていたのだ。誰にも気づかれずに、コツコツとお金を貯めていたのに。

 まだ学校のことは決めきれていない。だけど、学校のことは伏せて、お金を貯めているからという理由で、一旦、シフトの件は待ってもらおうかな、そう思ったその時、店長が呟く。

「……製菓、学校?」

 慌てて店長の方をみると、偶然、店長が手にしていたのは例の製菓学校のパンフレットであった。しほは半ば反射的にそれを奪い取る形で店長の手から貰うと素早く鞄へと突っ込む。

「ひ、拾って頂いてありがとうございました!」

 恥ずかしい! 恥ずかしい! 見られてしまった。

「しほちゃん、もしかして……」
「あの、私、今日は失礼します!」
「待って!」

 勢いよく立ち上がり、そのまま駆けるように外に出ようとして再び腕を掴まれる。

「あのさ」

 そう話し出す店長の方を振り向いたその時、視界の奥に、あの赤いお見合い写真の台紙が映りこむ。

 ああ、ダメ。ここにいたら、きっとダメ。

「シフトの件! 本当に大丈夫です。木梨さんと代わってください」
「でも!」

 心も頭もいっぱいいっぱいになって、しほは掴まれていた腕を勢いよく振り払う。

「私も、木梨さんみたいに就職決めなくちゃ!」
「……っつ」
「私もちゃんと大人になって、それで、ちゃんと就職して、ちゃんと……」

 涙が滲み始め、それを必死に抑えて、店長の方を見上げる。

「ちゃんと恋、しなくっちゃ。私、恋するの下手くそみたいだから」

 大人で、カッコよくて、モテモテで。それで、人気のお店のパティシエで、これからお見合いをする人に、まだまだ子どものしほの気持ちなんて分からない。

 やっぱり、保護者としてだって、明日はついてきてほしくない。
 お見合いをする人を巻き込めない。
 だってこれでも、年齢と見た目は成人してるんだから。

 従業員として店長にこれ以上迷惑はかけられない。
 だって店長としてはお店が上手く回るようにシフトを作らなくっちゃダメでしょう?
 それくらい、しほにだってわかる。

「……しほちゃ」
「お疲れ様でした」

 精一杯の強がりで、涙を引っ込めて、まるでお客様にケーキを渡すときのように完璧に笑って見せる。
 否、お客様にケーキを渡すときは、もっと自然に笑っているかも。

 今、自分は笑っていないのに、完璧に笑っている変な自信がある。

 しほはそのまま、駆け足で家まで帰っていった。そうして、家に辿り着き、ベッドにダイブして、呟く。

「私、やっぱりちょっと大人になったかも」

 でも、大人ってなんか嫌だな。こうやって沢山我慢して、色々なことをなかったことにしていくんだろうな。

 そして小さくため息をつく。一言、明日は予定通り、ついて来てほしいと萌咲にメッセージを送りながら。

 そうしたら、またジワリと涙が滲んできた。結局、店長に病院の件を話してみることさえできなかったけれど、馬鹿みたいに素直に頼まなくてよかった。それで、海街喫茶だって、やっぱり流れてよかったや。

 

「明日は水曜日。お見舞いに行く日。きっと、大丈夫だよね?」

 あの男の子、嘘ついているようには見えなかったし。
 そして、先日の約束を思い返しているうちに、ふと、ある言葉を思い出す。

 周りに誰も大人がいなくって、しほが助けなければ弟君は助からなかった、と言っていた。弟君にとって、しほはヒーローだと。

 例えば、大人でなくても、子どものままの自分でもあの時、確かに誰かの役にたっていたのなら、それはしほが生きる上で、何か大切なものに変わるかもしれない。

 気が付いたら、萌咲から『了解、みんなでついていくから』と返信が来ていた。

 本当は店長がお見合いするっていうのもすぐに萌咲に言いたい。だけど、思い出すだけで泣きそうになる。

 しほは深呼吸をして、気持ちを落ち着かせ、無理矢理涙を引っ込める。
 今日は決して、涙は零さない。一滴だって、零したくない。

「お見舞いは優しい気持ちで行きたいし」

 だから、明日のお見舞いが終わるまで、恋の話は封印。終わった後で、いっぱいまた萌咲に聞いてもらうんだ。

 大丈夫、別に恋人がいなくたって一人ではないし。別に他の子のように進路がまだ決まっていなくたって、ちゃんと毎日、しほなりに前に進んでいるし。別に保護者がいなくたって、それなりに危機管理能力だって身についてきているし。

 

episode6

 

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終わる終わる詐欺をしてしまいました(笑)すみません。もう少し、続きます!今回で本編は終わろうか悩んだのですが、しほの悩みはしほの悩みごと、あえてそのまま書き進めていきたいなと思い、しっかりと書き込むことに致しました。思いがけず続いてしまいましたので、episode6はなるべく、早めに更新したいなと考えております。episode0から読んでくださっている方、本当にありがとうございます。長くなってしまいましたが、もうしばらくお付き合い頂けますと幸いです。改めまして、ご閲覧ありがとうございました!

 

はるぽ
こちらはコラボ企画の小説になります!お縁描き堂・rieさんのイラストからイメージを受け、作詞・ストーリー作成をはるのぽこがさせて頂きました!共作でしか生まれない世界観を楽しんで頂けたなら幸いです♪

 

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