オリジナル小説

星のカケラ~episode6~

2021年11月4日

スポンサーリンク

シホのカケラ

 

「ご、ごめんね。今日はよろしくお願いします」

 正門の前で、萌咲と共に瀬戸君とその友達と合流する。

「全然大丈夫。俺のことは知ってるよね。縁日の時はありがとう。それでこっちは」
「水戸です」
「うん。瀬戸君だよね。いつも萌咲から聞いてるよ。それに水戸君、初めまして。縁日の時はこちらこそありがとう。それで今日も本当にありがとう」

 しほが笑うと、瀬戸君は萌咲の方をみて照れ笑いする。いつも萌咲から聞いているというのが、恥ずかしかったのかもしれない。
 水戸君はカチャカチャと眼鏡を押し上げている。瀬戸君と話している時からずっとそうしているから、それが癖なのだろう。

 瀬戸君は縁日の時から話しやすく、萌咲の彼氏ということもあって自然と信頼ができるのだが、水戸君は初めてなのにいきなりしほの用事に付き合わせるのが悪いと思っていた。

 けれども、しほと目が合うと、微笑みこそしてくれないものの、ペコリと頭を下げてくれる。それに釣られてしほもペコリと頭を下げる。

 キリっとした眉に少し吊り上がった瞳、きっちりとセンターで分けられた前髪。一見、生真面目でとっつきにくそうに見えるけれど、紫と白のボーダーのパーカーに黄土色の短パン。スニーカーも紫に合わせていて、ちょっと遊び心があり、ポップな感じが親近感を持たせてくれる。

 初対面の人と話をするのは本当は緊張するのだけれど、思いのほか、水戸君が話しやすそうで、しほは安心する。

「水戸君、初めましてなのにいきなり私の用事に付き合わせてごめんね」
「いや。あの狼の着ぐるみは実は俺の所属する演劇部のなんだけど、あれからあの狼の着ぐるみがすごく好評で、結果、俺もメリットがあったから気にしなくていい」
「あ、そうなんだ。あの狼、なんか憎めない顔しててよかったよね。へぇ~、演劇部なんだ」

 萌咲がクスクスと笑い、瀬戸君と水戸君も一緒に他愛もない話をしていく。自然と会話が広がっていって、ただの雑談なのに、何だか楽しい。

 変にへこんだり、たくさん悩んだり、お腹が痛くなったり。心身ともに大忙しの一週間で、今も尚、緊張を隠せないけれど、こういう時間がしほに安らぎを与え、それらがまた心に余裕を生み出して、きっと次へと進む何かになるのだろう。

 例えば、今はこんな風についてきてもらって申し訳ないという感情を、演劇部の話を聞いたり、縁日の思い出話をすることで、しほは前向きなものへと着実に変えていくことができている。

「それで、何時にくるのかは分からないのよね?」
「うん、迎えにいくとしか」
「本当に来るのかな? この間の絡んできた子だよね。俺も足かけちゃったしな……」

 ははは、と三人で苦笑いする。

「あの歩いてくる男の子ではないのか?」

 正面の道の方を見ながら水戸君が言った。皆で一斉にそちらの方をみると、本当にあの男の子がこちらに向かって歩いてきていて、しほに気づいたらしく、軽く手を振ってくれる。

「あ、うん。あの子!」

 そう言って、しほも手を振り返す。今日もまた、髪は下ろしていて、服装も爽やかな白いシャツにグレーのチノパンで、雰囲気も優しく真面目そうだった。

「「えっ、全然違う」」

 萌咲と瀬戸君が同時に声を揃えて言い、二人で顔を見合わせて驚いている。それを見て、しほはクスクスと笑いながら、言う。

「ね、言ったでしょ? すごく雰囲気が変わってるって」

 男の子がしほの前に辿り着き、全員の顔を見て軽く一礼する。

「今日はわざわざありがとう。みんなで来てくれるってことでいいかな?」
「あ、うん。えっと、友達と大人数になるんだけど、大丈夫?」
「うん。病院内で騒ぎさえしなければ大丈夫。むしろ、人数が多くて弟は喜ぶと思う」
「そっか」

 しほは心の中で安堵の息をつく。友達と来てもいいと言ってくれていたけれど、友達と来るということは即ち、警戒していますというのを丸だしでもあるからだ。

 けれど男の子は嫌な顔ひとつせず、むしろ丁寧にひとりひとりに挨拶をしてくれて、穏やかな笑みを浮かべている。

 そして、萌咲と瀬戸君の方を見て、改めて言う。

「前は驚かせちゃってごめん。絶対に追いかけたり絡んだりしないように皆にも言ってあるし、俺自身も絶対にそんなことしないって約束するから」
「だけど、君が皆に言うだけでそれを守ってくれるかどうかは……」

 瀬戸君が訝し気に男の子の方をみやる。それに対し、穏やかな笑みを浮かべて、彼は続ける。

「これでもアメフトのキャプテンなんだ。だから、大丈夫。街でのマナーや他大学との交流をちゃんとしない奴は全員退部って決まりになったから」
「……そうなんだ」

 瀬戸君がまだ心配気に眉を顰めている。きっと、絡まれたときに一緒だった萌咲のことも心配なのだろう。

「ははは、信じにくいよね。本当にごめん。どうしても、弟に会ってほしくて少し強引な感じにしてしまったなってすごく反省してる。でもちゃんと、あのモデルの子にも絶対にちょっかい出さないように言ってるよ」
「そうなの?」

 しほが尋ねると、男の子はしっかりとこちらを見つめ返して頷いてくれた。

「まぁ、レインが……あの子の彼氏もアメフトのエースで、次のキャプテンに決まってるんだ。だから、誰も逆らわないと思う」
「レイン……そういうことかぁ」

 しほはいつの日か追いかけられた時のことをぼんやりと思い出して、納得する。
 雨じゃなくて、名前かぁ。じゃあ、もしかして、あの金髪の男の子ってそうだったのかなぁ。

 結局のところ、彼氏と仲直りしたとしか聞いていないので、あまり詳しくは知らないけれど、上手くいってそうで何よりである。

「えっと、とりあえずは、信じてもらえないだろうか? 改めて、この間はごめん。それに、今日は本当に弟のためにわざわざありがとう」

 そう言って、再度、一礼してくれる。

「う、うん。俺の方こそ、何か足かけたりとか」
「いや、あんなの全然大丈夫。俺たちが悪かったんだから」

 瀬戸君までもが男の子の変貌ぶりに驚いている。けれども、何となく、こちらが素なのかな、と思わせる雰囲気や話し方なのだ。

 しほがチラリと萌咲の方をみると、萌咲も少し驚いた顔をしながらも、頷いてくれた。きっと、大丈夫そうな気がする、という意味だと思う。

「それじゃあ、病院まで案内するよ」

 全員がコクリと頷いて、彼に続く。

 

 

「あ、自己紹介がまだだったね。俺は隼人。原田隼人。弟は奏汰。今日も本当にありがとう」
「あ、えっと。私はしほ。三波しほです。えっと、今日奏汰君の体調はどう?」
「うん、しほちゃん。改めてよろしく。奏汰も今日は調子よさそうだったから大丈夫」
「そっか。よかった。えっと……」

 歩きながら会話をする。自然と、しほと原田君が並びその後ろに萌咲や瀬戸君たちという形に落ち着いた。

 何を話せばよいか、詰まってしまう。けれど、原田君は特に無理に会話を促す訳でもなく歩幅をしほに合わせてゆっくりと歩きながら、時折、こちらをみて微笑んでくれる。

「そういえば……高熱で覚えてないこと、奏汰君は何て言ってた?」
「正直、泣いてたし、落ち込んでた」
「そう」

 それを聞いて、しほは俯く。本当にこのまま会って大丈夫なのだろうか。

 けれど、原田君がまたしほの方を向いて、目を細めて優しく微笑む。

「でも、大丈夫。あのオレンジケーキ、すごく喜んでたよ」
「え?」
「もう一度仲良くなるためのプレゼントって預かってきたよって言ったら、泣き止んで元気になったんだ」
「そっか! そっかぁ。よかった」

 傍からみたらしほの行動は馬鹿のように見えるかもしれない。こうやって見ず知らずの男の子に付いて来て、友達を巻き込んで、店長と喧嘩してまで来たのだから。けれど、その時に出来うる行動ひとつひとつが、あの時に出来た精一杯のオレンジケーキが何かに繋がっている。何だかそれは、悪くないかもしれない。

「うん。本当に、ありがとう。助けてくれた時も、オレンジケーキも、今も」

 しっかりとしほを見つめながらお礼を言ってくれるので、何だかものすごく照れ臭くなる。

「う、うん。あのケーキ、焼き菓子の中で一番のお気に入りなんだ」
「そうなんだ」

 そのままぽつり、ぽつりとケーキの話をしたり、アメフトの話をしたり、時折、沈黙になったり。
 だけど、途切れ途切れの会話もちょっとした沈黙も何故か嫌な感じはしなくって、すごく不思議な感覚に陥る。

「あ、ここ右なんだ」
「うん」

 この感じ、何だか前にもあったような気がする。そう思いながら、ぼんやりと横を歩く原田君を見上げる。

「もしかして、夏のちびっこ海空キャンプの時、原田君とも結構仲良かった?」

 そう問うと、彼は少し驚いたようにこちらを向いて、優しく微笑んだ。

「着いたよ。面会手続きしてくるから、ちょっと待ってて」
「……うん」

 何となく、はぐらかされてしまった。確かあのキャンプ自体は1週間程度のものだったけれど、学生の方は事前打ち合わせや事後反省会などもう少し関わり合いが深かったはずだ。

 しほはぼんやりと、病院へと入っていく原田君の後姿を見つめる。その大きな背中は、アメフトをしているからとかそういうのではなく、とても頼りになるそんな背中だったような気がした。

「どうしたの? 何か道中、嫌なことでも言われた?」
「ううん。ただ、なんか……。もしかしたら原田君とも結構、キャンプの時喋ったりしたことがあったのかも。一瞬、懐かしく感じたんだ」
「そうなんだ……」

 萌咲が心配そうに顔を覗いてくれるので、しほは努めて明るく笑ってみせる。

「大丈夫。それに、弟君もね、記憶が曖昧なことを知っても、もう一度会いたいって」
「そう」

 すると、瀬戸君と水戸君が病院を見上げながら言う。

「正直、病院に着くまではまだ少し疑ってたんだけど、本当みたいだね」
「確かに雰囲気や言動から嘘をついている感じはなかった」

 萌咲としほも大きく頷いて、それに同意する。程なくして、病院の自動ドアが開き、原田君が駆けてきた。

「お待たせ、本当にわざわざありがとう。案内するからついて来てもらっていいかな?」
「うん」

 外から見ただけでかなり大きな建物であることが見て取れたけれど、大学の附属病院ということもあって、中に入っても迷いそうなくらい、広かった。正面にある受付ロビーを抜けて、売店コーナーを抜け、入院病棟へとつながる奥のエレベーターの方へ向かう。

 その移動途中も顔見知りの看護師さんに挨拶をしたり、すれ違い様に患者さんにさり気なく手を貸したりと、原田君はとても礼儀正しく親切であった。

 そのことに対し感心すると共に、この慣れ方に、今まさに彼の家族がここに入院しているのというのを強く実感して、複雑な気持ちになる。他のみんなもしほと同じように黙って彼についていく。

 そんなみんなの沈黙に対し何を言うでもなく、原田君は時折こちらを振り返り、穏やかに微笑みながら進んでくれていた。

「3階なんだ」

 辿り着いたエレベーターの前で、原田君は特に表情を変えることなく、言った。
 降りてくる車いすの患者さんに上手く道を開けながら、ここでも慣れた様子でエレベーターへと乗り込んで行く。

 全員が近すぎず遠すぎない距離で、密室のエレベーターが着くのを待つ。その間、何だか落ち着かなくて、グッと息をひそめる。何度か原田君と目が合って声をかけようとしたけれど、上手く言葉がでてこなくって、しほは無言で原田君をみつめたまま瞬きをしては下を向くのを繰り返した。

 ポーンと到着の音が響き、そのままの流れで外へと出る。しかし、その瞬間から同じ病院内であるのに1階とは少し雰囲気が変わったのがわかった。

 廊下の真っ白な壁は季節を感じさせる紅葉やドングリなどの折り紙で飾られている。

 その廊下を進んでいくとナースステーションがあり、その正面に『憩いのスペース』と書かれた、カラフルで小さな椅子や脚の低い机が設置されている空間が目を引いた。そこには使い古された本に、可愛らしいキャラクターのぬいぐるみに、積み木といった簡単な玩具が置かれている。
 そんな憩いのスペースで一番目立つのは、壁一面の大きな掲示板。そこには、一人一人のお誕生日の名前入りの似顔絵が貼られていた。

 その中に、『8月1日 奏汰君 お誕生日おめでとう』と書いてあるのを見つけて、しほは小さく息をのんだ。似顔絵の男の子はニコニコの笑顔で、今はもう9月の末。笑顔の男の子と、真夏の誕生日と、秋の紅葉やドングリの飾り付け。

 何だかそれがとても寂しくて、切なくて、胸が締め付けられて、しほはその光景をしっかりと目に焼き付けた。

 今から会う奏汰君が、そして、今歩いているこの病棟の一部屋一部屋にいる子どもたちが、一生懸命、ここで生きているんだということを忘れないために。

「ここなんだ」

 そう言って原田君が止まった病室の前には確かに『原田 奏汰』というネームプレートがついていた。

 原田君は一度しほの方を向いて微笑むと、軽くノックをして、「入るぞ」と声をかけ扉をスライドさせる。彼は開ききった扉を支えながら、「どうぞ」と軽く頭を下げて、しほたちの入室を促す。

「し、失礼しまーす」

 しほは思わず緊張してしまい、ぎゅっと持っていたトートバッグの持ち手の部分を強く握る。

 ヒーローなんて言ってもらっていて、嬉しいけれど、実際に今の自分と会って、それで奏汰君を勇気づけるなんてすごいこと、できるのだろうか。しほなんかより、ずっとずっと奏汰君の方が頑張っているのに。
 それで、もし、逆に夢を壊したりしてしまったらどうしよう。あと記憶のことも、ケーキで元気になってくれたって言ってたけど、また泣かせてしまったらどしよう。

 たくさんの不安がしほを襲うも、今の自分にできること、を強く考える。それは本当に情けないけれど、少なくって。せめて、笑顔で会いたい、と気持ちを切り替えて病室へと足を踏み入れる。私は今から、もう一度仲良くなるために、奏汰君と会うんだ。そう言い聞かせながら。

 部屋の中には原田君とは少し雰囲気の違う、目のクリっとした可愛らしい男の子がベッドに腰かけていた。頬は丸くて、きっとまだ小学校中学年くらい。顔つきは何だか優しいというよりは気弱そうで、きっとどちらかがお父さん似で、どちらかがお母さん似なのだろう。そういうのが一目瞭然なくらい、顔はあまり似ていない。それなのに、髪型だけは原田君にそっくりだった。

 何だかそれが可笑しくて、ふっとしほは笑みを漏らす。すると、こちらをみた奏汰君が、ガバリと布団を跳ねのけて前のめりになり、目を見開く。

「お、お姉ちゃん!!!」

 予想以上の反応に、しほはどうしてよいのか分からずに固まっていると、そっと原田君が背中に軽く手を添えて、言ってくれる。

「本当にごめん、今のまま、ただ会ってやってくれたら嬉しい。もう一度、初めましてからでいいんだ」

 戸惑うしほが振り返ると、原田君は少し申し訳なさげに、眉を下げて笑ってくれた。そうしたら、ものすごく奏汰君に表情がそっくりで、しほは目を揺らす。ああ、顔は似てないけれど、やっぱり兄弟なんだな、そう思いながら。

 しほは原田君に静かに頷くと、今度は小さな原田君の方へと向き直る。そうしたら、少し不安げに自分の反応を待っている円らな瞳と目が合った。

「奏汰君、こんにちは」
「お姉ちゃん!!! 僕……」
「こら、奏汰。まずは挨拶」

 原田君に叱られ、しゅんと眉をさらに下げて、奏汰君がこちらの様子を伺いながら、小さな声で言う。

「こんにちは。今日は、来てくださってありがとうございます」

 その素直な様子が可愛らしくて、しほは奏汰君に近づいていく。

「うん。今日は、誘ってくれてありがとう」
「うん!」

 微笑むと、パッと目を輝かせて、明るく頷いてくれた。

「あのね、あのね、僕また一緒に遊ぶの楽しみにしてたんだ」
「奏汰!」

 原田君が止めてくれたけれど、無邪気な笑顔で奏汰君にそう言われ、しほの胸はズキリと痛む。けれど、それを隠す訳にはいかず、困ったように微笑みながら言う。

「私もまた奏汰君に会えて嬉しい。でもね、前に遊んでた時のこと、あんまり覚えてないの」
「……本当に覚えてないの? 本当に、本当?」
「うん……ごめんね」
「奏汰、今日は遊ぶために来てもらったんじゃないだろ?」
「いいの、ねぇ、何して遊ぶ?」

 そう言うと、原田君はしほに向かって緩やかに首を振り、奏汰君の横に腰掛けて、言う。奏汰君の手を握りながら。

「大丈夫だから。誤魔化さずに、ちゃんと言うんだ。言ってた通り、本当に会いに来てくれただろう?」
「うん……」

 奏汰君が悲し気に、チラリとこちらを見上げながら、しほに向かって言う。微かに震えながら、大好きであろうお兄ちゃんの大きな手を強く握り返しながら。

「あの時、川に落ちた時、助けてくれてありがとう」

 その言葉が、記憶はないはずなのに、しほの胸にガツンと強い衝撃と共に響く。何故だか分からないけれど、思わず泣きそうになって、少し涙を滲ませながらもぐっと喉を引き締めて言う。

「うん。奏汰君が無事で、ほ、本当に……よかった」

 途中、声が震えてしまったけれど、涙を零さずにちゃんと答えることができた。しほが微笑むと、奏汰君が堰を切ったように泣き始める。

「うわぁああああああん」
「大丈夫だ。頑張れ」

 原田君に背中をさすられながら、奏汰君が泣きじゃくる。それを黙ったまま、しほはその場に立ち尽くして、ただ見ることしか出来なくて。いつの間にか、しほの頬にも涙が伝っていた。

「ぼ、僕。ご、ごめんなさい。川の近くでっ。こ、子どもだけで行ったら、ダメって。危ないから、ち、近づいたらっつ。うっ、うっつ、ダメって。言われてたのにっつ」

 原田君がとても優しい表情で、奏汰君の頭を撫でる。それもまた既視感があって、たくさんの意味で胸がいっぱいになる。

「うん、うん。話してくれて、ありがとう」

 泣き笑いをしながら言うしほに、奏汰君が続ける。

「あ、あのねっ。タロー。あの時の子犬も大きくなったよ」

 首を傾げていると、原田君が手招きしてくれるので、しほはさらに近づいていく。そしたら、そっとスマホのある画像をみせてくれる。

「夏のちびっこ海空キャンプで、みんなでお世話してた子犬。この子、俺たちの家で引き取ったんだ」

 可愛らしいベージュと白のふっくらとした柴犬が、幸せそうな顔で寝そべっている。その横に、満面の笑みで笑う原田君と奏汰君の姿もあった。

 その写真をみた瞬間に、みんなで子犬のお世話をして遊んでいる光景が一瞬、しほの脳内に過る。

「あの時、リードが外れて……。タローが、か、川で溺れそうになって。ぼ、僕助けなきゃって思ったんだ」
「そう、そうだったんだ」
「でも、ぼ、僕。足が、つかなくて。そ、それで」

 チラリと原田君の方を見て、それに気づいた彼がしほを見ながら頷いてくれたので、しほはそっと奏汰君の傍により、原田君に変わって奏汰君の手を握る。

「大丈夫だよ。もう大丈夫。だから、奏汰君も無理に川のこと思い出さなくったっていいよ」
「え?」
「奏汰君も怖かったよね。タローを助けてくれてありがとう」
「うっ、うっ。僕、ごめんね。お姉ちゃん、僕のせいで記憶なくなっちゃって、ごめんね」

 しほは泣きながらそう言う奏汰君の手をさらにぎゅっと握って、微笑む。

「奏汰君のせいじゃないよ。自然ってとっても綺麗で、それで、怖いよね。誰だって自然には勝てないよ。だから、今度から、一緒に気を付けよう」
「うん……」
「じゃあ、約束しよう?」

 涙を滲ませながら、奏汰君が首を傾げる。

「もう川にはいかないって約束?」

 そう言われ、しほは目を丸くして、一拍置いてから言う。

「うーんと、もう行かないんじゃなくって、二人とも川とか海とかに行く時は危ないことが沢山あるから、気を付けようって約束。それから、記憶は戻らないかもしれないけど、また仲良くなることはできるから。だから、もう一度、お友達になる約束」
「うん!」

 そう言って握っていた手をさらに強く握りあい、二人で笑い合いながら約束をする。戻らない記憶であっても、新しく築くことが出来るから。生きていればもう一度、キャンプでも川でも何処へだって行けるから。怖いことがあっても、そこから学び、今度は気を付けることができるから。

「それじゃあ、ちょっとだけ遊ぼうか。体調はどうかな?」
「いいの? 遊ぶ!! 僕、折り紙がしたい!」
「いいよ。何作る?」

 萌咲と話し合ってたくさん持ってきた、本や塗り絵や簡単な工作道具。その中にはもちろん、折り紙もある。
 しほはトートバッグの中から、いそいそと折り紙を取り出す。

「僕ね、お舟作りたい! お姉ちゃん、すっごく上手だったよね」

 そう言われて、しほはピタリと固まる。折り紙は大学でもたくさん習っているのである程度作れるが、しほは舟など作ったことがない。そして、本にいくつか舟の作り方が載っているのは知っているが、確か何種類もあって、奏汰君が言っているのがどれなのかも正直分からない。そして実は、折り紙は得意ではない。

「ふ、舟だね……えっと」

 きっと、奏汰君に悪気はないのだろうし、折り紙の作り方まで忘れているなんて、思いもしないのだろう。

 しほが困っているのを察したのか、原田君が口を開こうとしたその時、後ろから萌咲の声が響く。

「奏汰君こんにちは。あのね、このお姉ちゃんのお友達の萌咲っていいます」
「わあ、こんにちは」
「それでこっちのお兄ちゃんたちもお友達なの。私たちも一緒に遊んでもいい?」
「うん!」

 萌咲がしほの方をみて、優しい瞳で目配せしてくれる。

「ありがとう。それでね、コレみて? お姉ちゃん実は、切り絵が得意なの」
「わぁああ! すごい!!」
「今日は特別に、折り紙で切り絵の舟を作ってみない?」
「これってもしかして、この間、友達が縁日で工作教室したって言ってたやつ? 僕もしたい!!」
「うん。そうだよ、工作教室と同じやつ。今日はこれを皆でしよう」

 萌咲が上手く誘導してくれて、奏汰君を悲しませることなく、遊びへと持っていくことができた。
 しほがありがとうの想いを込めて振り返ると、萌咲だけでなく、瀬戸君も水戸君も微笑んでくれて、すごくホッとして、肩の力が抜けた。

 

 

 そのまま「何色にしようか?」なんて言いながら、原田君も奏汰君も一緒に、全員で切り絵をするために折り紙を選んでいく。

「でも、これじゃあ狭いよう」
「あはは、そうだよねぇ」

 だけど、病室内のテーブルで全員は作業できないことに改めて気が付いて、誰からともなく笑いながら、チームを二つに分ける。

「じゃあ、お兄ちゃんたち3人はあっちの憩いのスペースで作ってきて」
「「「えっ」」」
「えへへ。僕はお姉ちゃんたちとするんだ!」
「えー、兄ちゃんも切り絵のやり方知らないんだけど」
「あー、この間の工作教室のだったら少しだけ俺、分かりますよ?」
「マジで?」
「……俺も初めてだ」

 男性陣3人組は「不利だー」なんて言いながら、ちゃっかり自分の好きな色の組み合わせの折り紙を数枚とって、それを持っていく。

「じゃあ、私たちも作ろっか」
「うん! 出来上がったら、お姉ちゃんにあげる」
「嬉しい! 楽しみだなぁ」

 しほの横で、奏汰君がいっぱい失敗しながら、一生懸命に切り絵を作っていく。
 時々唸りながら、何度も何度もやり直して、そうしてとうとう、折り紙をぐしゃぐしゃに丸めて投げ捨ててしまった。半泣き状態で。

「難しいよ! こんなの、できない!」

 もちろん、カッターは危ないし難しいから、萌咲がハサミで出来る簡単なものを教えてくれている。それでも、手先が不器用な子であれば、なかなか苦戦するだろう。
 現に、しほだって何となく作っているだけで、萌咲のようにはもちろんのこと、どちらかというと一般的にも綺麗には作れているとは言えない出来栄えだ。

「えっと、じゃあ、違うの作ってみる?」

 萌咲がいくつかの違うレパートリーの絵柄を見せようとするも、奏汰君はプイっとそっぽ向いて言う。

「もういい。僕、やらない。だってできないんだもん」

 奏汰君は依然、そっぽ向いたままで、萌咲の方をみようとはしない。
 しほはじっと黙って、折り紙と奏汰君を見比べる。そして、小さく息をついて思う。

 折り紙も切り絵も楽しく遊ぶ方がいいよね。無理強いするのはよくない。

「そうだね。じゃあ、塗り絵とか違う遊びにする?」

 すると、そのタイミングでノックがして、病室の扉が開いた。

「奏汰、できたかー? 兄ちゃん、得意かもしれない」

 そう言って、原田君が簡単な子ども向けのものとは言え、言葉通りに初めてとは思えないくらいに綺麗な切り絵を手にしていた。

「本当だ……。ちょっと、私も悔しいくらいに」

 萌咲もマジマジとそれを見つめている。
 すると、慌てて振り向いた奏汰君が、原田君の切り絵を見て、目を見開いた。

「なっ。そんなの、萌咲お姉ちゃんの方が上手だもん!」
「それは当たり前だろー? それで、奏汰はできたのか?」

 そう言って近づいてきた原田君が、ベッドの下にくしゃくしゃに丸められた折り紙に気づく。

「奏汰……お前、また」

 その瞬間に、奏汰君が俯く。しほの位置からその表情はよく見えないけれど、ふと窓をみると、そこには悲し気な瞳以上に、悔しそうに食いしばる口元が印象的な男の子の横顔が反射して映っていた。

 ああ、奏汰君は葛藤しているんだ、きっと。

 しほは原田君の方に向き直って、言う。

「私たちのチーム、まだ完成してないの。もう少しだけ外で待ってて?」
「あ、うん。分かった……」
「原田君、本当にめちゃくちゃ上手。でも、こっちは萌咲がいるから一勝は確実。だから、まだ分からないよ! 私も奏汰君も頑張るんだもん」
「……そっか。うん、そうだな。楽しみに外で待ってる」

 そう言いながら、原田君が優しく微笑んだ。その声色までが、どこか優しくて。その言葉を聞いた瞬間に、奏汰君が勢いよく顔を上げた。そして、去りゆく兄の後姿を、目を瞬かせて扉が閉まるその瞬間まで見つめていた。

「……お姉ちゃん」
「うん?」
「さっきはごめんね」

 萌咲と顔を合わせて、ふっと笑う。そして、笑顔で言う。

「「いいよ」」

 すると、安心したように、奏汰君が話し始める。

「僕、何にもできないんだ。お兄ちゃんは昔からかっこよくて、何でもできて、それで強いんだ」
「そうなの?」
「うん! お兄ちゃんは強くて優しくて、何でもできるんだ。でも、僕は全然ダメ。身体も弱いし、運動だってできない。勉強も同じ歳の友達みたいにできないし、工作も音楽も苦手。何にもできない」
「…………」

 しほには何となく、奏汰君の気持ちが分かるような気がした。
 しほも保育学科なのに折り紙だって得意ではないし、一人暮らしをしているけれど料理も家事もそこそこ。あんなに練習しているのに、お菓子作りの腕の伸びは緩やか。それで、他にも特段、萌咲や杏奈のように突出した特技はない。
 そして、奏汰君とは比べ物にならないかもしれないけれど、自分だけ出遅れるというのを経験したことがある。高熱で入院して記憶が曖昧になった際、完全に復活するのにかなりの期間を要した。その際、アルバイトは休んで色々な作業が鈍って、置いてきぼりにされて。夏休みを挟んだからこそ何とかなったものの、授業もいくつか休まざるを得なくて、取り戻すのが大変だった。だから、ほんの少しだけ、心に距離が出来て、同じ時期に入った学生アルバイトの子たちよりも、パートのおばちゃんの方が話しやすくて、自然とおばちゃんたちと仲良くなった。それで、学部の友達も入学して慣れ始めた頃の夏だったから、正直、普段から一緒にいる萌咲や杏奈たち以外の子には少し遠慮してしまう。

 そういうのを、奏汰君は学校へは行けずこの病室で感じているのかもしれない。しほよりももっと、深く、辛く、多く。

「だけど、お兄ちゃんがさっき、楽しみに待ってるって……」
「うん。言ってたね」
「でも、僕、上手にできないんだ。どうしたらいい?」

 しほはじっと、こちらを見上げる奏汰君の瞳を見つめる。それは先ほどの悲し気なもの以上に、焦燥と決意が見て取れるようなそんな気がした。

 その瞳を見て、しほは心を決める。うん、と小さく呟いて、奏汰君の肩を軽くたたく。

「よし。じゃあ、お姉ちゃんの秘密を教えてあげる」
「え、秘密? 上手にできる方法じゃなくって?」
「うん」

 そう言ってしほはスマホをいじり出し、とある画面を開く。それを見た瞬間に、思わず苦笑いしてしまった。そう思うくらいに、酷い。

「みて、コレ」
「え、何?」

 そう言って、奏汰君だけでなく、萌咲までも覗きこむ。

「え、私も初めてみたかも。うーんと、石?」
「もしかして、キャンプの時に拾ったの? お宝だったの!?」

 萌咲が不思議そうに、そして奏汰君が目をキラキラさせて問う。そこに真顔で、しほは応える。

「……ケーキ」
「え?」

 画面の中には、掌サイズの、そして見るからに硬そうで、真っ黒で絶妙な加減で柄のように焦げ茶の混ざる塊が、ライトの光を浴びて堂々と皿の上に鎮座している。やたらと高級感のある、皿の上に。

 親戚の結婚式の引き出物でもらった、しほの唯一もっている高価な食器。真っ白で、皿の淵に花柄の模様の型が焼かれている、お気に入りのやつ。

「あ、あら……」

 何かを察した萌咲が、誤魔化すように微笑む。まだピンとこない奏汰君は、純粋な瞳と心でさらに問う。

「ケーキの形の石だったの?」

 しほは目を瞑って、ふふふと笑いながら首を振る。

「ううん。お姉ちゃんが初めて作ったケーキ」

 奏汰君はパチパチと瞬きしながら、画面としほを交互に見る。

「……ケーキ、お姉ちゃんが、作った?? でもケーキって柔らかくて、白いクリームがのってたり、果物がのってたり……」

 流石のしほも恥ずかしくなって、ほんのりと頬を染めながら、小さな声で言う。

「初めて作って、それで……失敗したの」

 どうしても自分で作ってみたくって、焼いたケーキ。まずは普通のパウンドケーキにしてみたものの、まさかあんなことになるなんて思いもしなかったのだ。だけど、初めて焼いたから、少しでも達成感が欲しくて、お気に入りのお皿の上にのせてみたのである。

 もちろん、硬すぎて、フォークが刺さらなくって、無理矢理かぶりついてみたら苦すぎて、しほの第一号のケーキはお腹に収まることなく、さよならを告げた。

 だけど、お皿に乗ることで、食べ物として最初の一歩を踏み出した、記念のケーキ。しほにとっては誰にも言えないくらいに恥ずかしくって、だけど絶対にどこか新しい道への扉が開いた大切なもの。だから石みたいで不格好だけど、写真に残したのだ。情けなくって、痛々しいけれど、自分を奮い起こさせるそんなケーキだから。

「お姉ちゃん、僕が何もできないから、もしかして石をケーキって言って、気を遣って嘘を言ってるの?」

 小さな男の子の口から、気を遣う、なんて言葉が飛び出してきて、しほは胸がズキリと痛んだ。萌咲も驚いている。あと、色んな意味で傷つく。

「違うよ。本当にお姉ちゃんが焼いたケーキ。大失敗だけど、初めて作った大切なケーキなんだ」
「嘘だ! ケーキがそんな風になるなんて、僕聞いたことない。それに、お姉ちゃんは何だってできるのに、失敗するなんて、絶対に嘘だ」

 逆に、この純粋で真っすぐな言葉が強く突き刺さって、しほは苦笑いする。そして、付け加える。

「ううん。本当に私が焼いたんだよ。奏汰君に嘘なんてつかない。熱が出て、覚えてないことも正直にちゃんと話したでしょ?」
「う、うん」

 そう言いながら、ニコリと微笑んでしほはスマホの画面をスライドしていく。

「次は、コレ」
「うん。また石だ」
「違うわ。よく見て? 茶色の部分が増えたんだから」
「そうね。確かに1枚目より茶色いかも?」
「次はコレ」
「うーんと、茶色い石?」
「違うわ。初めてフォークが刺さったんだから」
「そう……ね。この色味ならフォークも刺さったかもしれない」
「次はコレ」
「うーんと、今度は粉? 茶色い粉?」
「違うわ。初めて、ポロポロに崩れたけど、食べられたんだから」
「……食べたの?」
「あ、見て! 次はコレ!」
「わぁあ! 硬そうだけど、ケーキだ!」
「違うわ。これは味がちょっとしょっぱかった」
「砂糖と塩を間違えたのね?」
「……次はコレ」
「うーんと、ちょっと焦げてるけど、ケーキ?」
「そう! このころから、食べ物として食べられるようになった」
「すごい! ケーキになってる」

 次々と写真をめくっていく。何十枚目かで、この夏に焼いたあのオレンジケーキが飛び出してきた。

「あ、コレ知ってる。お姉ちゃんのお店のケーキでしょ? オレンジケーキ! あのケーキ美味しかった」

 そう言われて、しほは奏汰君の方を見つめる。元気よく微笑み返してくれて、それが嬉しくて目を揺らす。

「……そう。このオレンジケーキ、お姉ちゃんが焼いたの」
「え?」
「奏汰君に渡したお店のケーキみたいに味は完璧じゃないけど、何回も練習してお姉ちゃんが焼いたんだ」
「ええ!? 本当に??」

 そう言って、奏汰君が目をパチパチと瞬かせながら、また画面としほを交互にみる。

「ふふ。あはは。ビックリするよね。でも、嘘じゃないよ。私もこのオレンジケーキ食べさせてもらったもの」

 今度は萌咲が笑いながら、自分のスマホを取り出して、とある写真を見せてくれる。

「え、萌咲写真まで撮ってくれたの?」
「うん。しほが初めて手作りのお菓子をくれて、すごく嬉しかったんだ」

 その写真は何枚かあって、切り分けられたオレンジケーキ単体と、萌咲と杏奈と三人でオレンジケーキを学食で食べている時のものと、学部の他の友達にもおすそ分けして皆で食べている時のものが何枚かあった。

「みんな笑ってる。美味しかったんだね」
「そう。すっごく美味しくて、何より、みんなにって焼いて来てくれたのが嬉しかったんだ」

 萌咲が笑顔でそう言ってくれて、じわじわと胸が温かくなる。そしたら、奏汰君も「すごいや」と小さく呟きながら、再び萌咲のスマホの写真を食い入るように見ていた。

 それがすごく嬉しくって、しほは奏汰君と萌咲に向かって笑う。「へへ、ありがとう」と頭を掻いて照れながら。

「まさか、こんなに練習してたなんて知らなかったなぁ」

 そう萌咲が呟いたのを聞いて、奏汰君がしほの方を向く。

「石なんて言ってごめんね」
「ううん。それは、大丈夫。ね? 恥ずかしいでしょ? だから秘密なの」
「あはは。そっか、そうなんだ」
「うん。だから二人とも内緒ね? 石ちゃんケーキは秘密」
「うん、僕、言わない」
「私も練習いっぱいしてたってだけ、皆には言うわ」

 そう言って三人で笑い合う。

「ねぇ、奏汰君。最初は誰だって、出来ないんだよ」
「うん……」
「できないことは少しずつ、出来るようになったらいいんだって。昔、お姉ちゃんが子どもの頃に教えてもらったんだ」

 しほはふと、窓の外の空を見ながら、子どもの頃のことを思い出す。田舎育ちで、近くに同じ年ごろの子どもがいなくって、よく近所の歳の離れたお兄ちゃんたちや親戚のおばさんたちが遊んでくれていた。

 それがすごく楽しくって、だからしほはいつも笑顔で過ごせていたのだと思う。だから、その思い出が強くって、自然とこういう教育学部へと辿り着いたのだと、今、改めて気づく。

「出来ないことは、少しずつ?」

 奏汰君に聞き返され、しほは視線を空から目の前の純粋な男の子の方へと戻す。

「うん、少しずつ。ねぇ、奏汰君は将来、何になりたい?」
「まだ、分からない。それに、僕、何もできないし……」
「そっかぁ。じゃあ、今からたくさんのことを勉強して、やりたいことやってみて、奏汰君が嫌いなこと、奏汰君が好きなことがみつかるといいね」
「僕が嫌いなことも?」
「うん。嫌いなものが分からないと、好きなものが分からない。今は分からなくっても、遊んだり、勉強してたら、嫌いなことや好きなことが分かって、そのうち将来なりたいものが見つかるかもしれない」
「う、ん……?」
「えへへ。ちょっと難しいよねぇ。だからね、最初からできる人なんて誰もいなくって、みんな練習して上手になっていくんだ。だから練習の途中は、完璧じゃなくても、上手じゃなくてもいいんだよ」
「上手じゃなくてもいいの?」
「うん。上手じゃなくてもいいの。まずは、やってみるだけでもいいの」
「まずはやってみる……」
「うん。それでね、今は何がやってみたい?」

 そう言いながら、しほは折り紙をもう一枚取り出して、奏汰君へと渡す。

「僕、お兄ちゃんのチームに勝ちたい!」
「うん!」

 萌咲がそっと、くしゃくしゃになった折り紙を拾って、広げていく。

「それじゃあ、二人にはちょっとオシャレな切り絵を教えてあげる」
「「本当?」」
「うん」

 こうして再び、三人で切り絵を始めていく。

 

 

「おーい、入るぞ?」

 ノックの音と共に、再び原田君が入ってくる。もうすぐ14時半で、そろそろ面会時間も終わってしまう頃合いだ。

「お兄ちゃん、みてー!」

 扉が空いた瞬間に、奏汰君が作り上げた切り絵を原田君の方へと見せる。

「お、おお?」
「すごいでしょー?」

 奏汰君が明るく笑い、原田君が少し口を開いて驚きを隠せない様子で、奏汰君の切り絵をみている。

「波が、動いてるみたいだな」

 萌咲の案で、しゅわくちゃになった折り紙を伸ばして、そこに白い折り紙を縞々に切って重ね、さらに舟の形の切り絵を重ねたのだ。
 偶然にも奏汰君が選んでいた折り紙が水色だったので、くしゃくしゃに丸めたことで、それらが波の揺れのように、白い折り紙と重ねることで演出されている。

「へっへーん。これで勝負だ!」

 そう言って、奏汰君がその一枚を、萌咲の作ったものと一緒に差し出す。

「あれ? 二枚だけ? しほちゃんのは?」

 そう問われ、しほは奏汰君と目を合わせて、二人してふふふと笑う。

「共作なんだぁ。二人で一緒に作ったの」

 奏汰君には白の折り紙が縞々になるように、切ってもらった。そして、さっきよりも難易度を上げた舟の切り絵をしほが担当したのだ。

「えー、ズルいなぁ」
「でも、共作はダメだなんてルールはないもん。ね、奏汰君?」
「そうだよ、お姉ちゃんと一緒に作ったんだー! 羨ましいでしょう?」

 しほと奏汰君がそう言って笑いかけると、原田君がまた目を細めて優しく笑い返してくれた。その笑顔はしほに対してなのか、奏汰君に対してなのか、二人ともに対してなのか。それは分からないけれど、この感覚がまた、何だかとても懐かしく感じられた。けれども、この懐かしく思うというこの感覚はしほだけの内緒。きっと、その方がいい。

「この切り絵と陸野さんの切り絵だと兄ちゃんたちの負けだな」

 その一言に対し、瀬戸君も水戸君も頷いてくれた。水戸君もすごく綺麗な切り絵を作っていたけれど、瀬戸君は何故か工作教室の時よりも下手になっていて、萌咲が首を傾げていた。

「やったー! お兄ちゃんたちに勝った!」
「うんうん! やったね!!」

 そう言って、奏汰君と萌咲としほとの三人でハイタッチする。

「じゃあ、コレ、お姉ちゃんに……しほお姉ちゃんにあげる」

 奏汰君が上手にできた舟の切り絵をしほへと渡してくれる。

「でも、いいの? これ一つしかないし……」
「うん。しほお姉ちゃんに貰って欲しいんだ。初めて最後までちゃんとやってみたやつだから。すごく大切だから、貰って欲しい。オレンジケーキのお礼!」
「そっか。すごく、すごく嬉しい! 大事にするね」
「うん!」

 

 最後は奏汰君とそれぞれがハグをして、言葉では表すことのできない想いを激励として伝えた。
 大切な約束をして、それで楽しく遊んで、こんなに頑張っている子に、手術頑張れなんて言うのは何か違う気がしたから。

 

 面会時間の終わりが来て、原田君は看護師さんと話し始めた。ご両親の仕事が終わるまで、原田君が説明を聞き、奏汰君に付きそうのだとか。
 邪魔にならないよう、小さくお辞儀をしてしほたちは病院を後にする。

 

「よかったね、奏汰君喜んでくれて」
「うん」
「皆、ついて来てくれてありがとう」

 しほは立ち止まり、深々とお辞儀をする。
 すると、萌咲がそっとしほに触れて、しほの身体を起こしてくれる。

「ううん。私の方こそ、一緒に来させてくれてありがとう」
「え?」
「何だか、逆に私たちの方が元気貰っちゃったし、切り絵がこんな風に何かを繋いでくれたのが嬉しかった。凄く、貴重な体験をさせてもらったなって」

 すると、瀬戸君と水戸君も同じように、頷いてくれる。

「うん。俺たちもすごく、勉強って言ったら変なんだけど、たくさんのことを学ばせてもらったっていうか。うん。貴重な時間を分けてもらった感じ」
「俺も同感だな。せっかくだから、今度はもっと、子どもたちに喜んでもらえるような演目で、演劇がしたいな。笑顔が、溢れるような」

 瀬戸君も萌咲も穏やかに微笑んでくれて、あまり笑わない水戸君まで笑ってくれた。

「それじゃあ、みんなで海街喫茶でも寄って帰らない?」
「え、いいの?」
「もちろん! 瀬戸君と水戸君はこの後も予定大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
「俺も。話題の喫茶は舞台演出の役に立つし」
「やった、私ずっと行ってみたかったの」

 そう言って、しほはぼんやりと思う。もしかしたら今頃、店長と海街喫茶でお茶をしていたかもしれないのか、と。

 もちろん、残念だと思う気持ちはある。けれども、不思議なことに今のしほには一切の後悔がなかった。
 それは店長がお見合いをするとか、どうとか、そういう問題があるからではなく、しほとして、恋愛の前に自分にとっての大切なものを、原田君と奏汰君のおかげで、そしてそれを手伝ってくれた友達たちのおかげで見つけることができたからだ。

「決まり、じゃあ行こう」

 萌咲に言われ、しほははっとして笑顔で頷く。すると、向こうの方から「待って!」と声がして、しほと萌咲は振り返る。

「は、原田君!?」

 彼はしほの目の前で立ち止まり、膝に手をつき、息をきらしている。

「よ、よかった。間に合って」
「えっと、奏汰君は大丈夫なの?」
「あ、うん。奏汰は今からしばらく立ち会えない診察が続くから。もちろん、すぐ戻るんだけど」

 息を整えた原田君が、姿勢を整えて言う。

「えっと、しほちゃんも陸野さんも瀬戸君も水戸君も今日は本当にありがとう」
「私こそ、今日はありがとう。奏汰君と会えてよかった」

 萌咲や瀬戸君たちも同じように笑みを浮かべている。

「……それに切り絵も。奏汰はすぐに病気のせいにして、自分は何もできないって、投げ出すクセがあって。今日、最後まで作りきって驚いた」
「ふふふ。念願のお兄ちゃんに勝ったんだもんね」

 萌咲がそう言うと、原田君はすごく嬉しそうに続ける。

「うん。あれを作り切ることができて、奏汰の中で自信につながったみたいだ。さっきも嫌がらずに、検査頑張ってくるって自分から行って、俺、感動した」
「そうなんだ。そっかぁ。本当によかった。私、あの切り絵大切にするね」
「ありがとう」

 原田君と微笑み合う。

「あのさ……」
「ん?」
「少しだけ……しほちゃんと二人で話せないかな?」

 躊躇い気味に原田君がそう言い、頭を掻きながら、しほの方をみる。

「えっと」
「すぐに戻らないとダメだから、本当に5分だけ」
「5分……だけ」
「ははっ。こんなの、前と同じだな。でも、どうしても最後に話がしたくって。3分だけ、ダメかな?」
「あ、うん。えっと……」

 チラリと萌咲の方を見ると、軽く頷いてくれる。

「私たち、向こうの交差点の信号の所で待ってるね」
「ごめん、助かる。今日は本当にありがとう」
「すぐに追いかけるね!」
「俺たちも奏汰君の手術が上手くいくこと、祈ってる」
「わざわざ追いかけてくれてありがとう。また皆でお見舞いに行かせてもらうね」
「では、原田君も気を付けて。奏汰君にもよろしく」

 手を振りながら、萌咲たちが別れを告げて離れていく。その様子をしばらく見届けて、しほは改めて原田君と向き合う。背の高い彼に合わせて視線を上げると、目があった。そしたら、再び目を細めて、優しく微笑んでくれる。

 やっぱり、なんだかとても、懐かしい。

「ごめん。呼び止めて」
「ううん。私もちゃんと話をしたかったんだ」
「そうなんだ、よかった」

 そう言って、今度は明るく笑ってくれて、よく見ると彼の額にうっすらと汗が滲んでいるのに気が付いた。
 辺りを見渡すと、もうしほの大学のすぐ傍まで来ていて、病院から結構離れてしまっている。それなのに、ここまで検査の合間の時間に追いかけてくれたのだ。

「えっと、さっき萌咲も言ってたけど、本当にわざわざ追いかけてくれてありがとう。あと、今日、私も奏汰君に会えてよかった。何だか、大切なことに気づけた気がする」
「ううん。こっちこそ、最後バタバタしてちゃんと挨拶できずにむしろ気遣わせてごめん。それで、奏汰に会ってやってくれて、ありがとう。記憶がない時のことなのに、無理にいろいろと……」
「ううん。直接奏汰君に会って、昔の私、やるじゃん! って、本当によかったって。初めて自分がこんなに誇らしく思えて、いろんなことで胸がいっぱいになった」
「…………」

 急に原田君の声が止まって、何気なく彼を見上げると、今度は真剣な表情で静かに瞳を揺らす彼と視線がぶつかった。その眼差しがあまりにも真っすぐで、しほは一瞬、息が止まりそうになる。
 ずっと穏やかな表情を先日と今日とで見てきたものだから、驚いてしまったのだ。

 つい先ほどまで奏汰君のお兄ちゃん、と言う感じだったのが途端に、隼人君に変わったかのような、不思議な感覚がしほを襲う。
 ずっと、原田君は原田君であるというのに。

 ただ、目の前にいるのは誰かのお兄ちゃんではなく、一人のしほよりも背の高い、男性だった。とても弟思いで、礼儀正しくて、優しくて、ちょっと強引なそんな男性。

「本当に、君は変わらないね」
「え?」

 先に沈黙を破ったのは原田君だった。こんなにも長く男の人と視線を合わせることに慣れていなくって、しほは何だかドキドキと緊張してきてしまう。心なし、頬も火照ってきたような気がする。

 この空気感と緊張に、しほは視線を逸らしたくなってしまうも、それは何だか失礼な気がして、必死に逸らすまいと視線をぶつけ続けた。

「ぷっ、くっくくく」
「ええっ!?」

 そうしたら、急に原田君が顔を抑えて声を上げて笑い始めたのだ。

「何!?」

 緊張して損したかも。そう思ってしほが剥れ気味に言うと、まだ笑いながら原田君が再び話し始める。

「いや、だって。にらめっこでもしてるかのような顔をするから。くくっ、はは、ははは」
「人の顔みて笑うなんて、失礼ですー」
「うん、そうだよね。ごめん。別にそういう意味じゃないよ、しほちゃんは可愛い」

 ツンと顔をそっぽ向けるも、原田君がちゃんと笑うのをやめてくれたからしほも再び原田君の方をみる。そしたらまた、奏汰君のお兄ちゃん、の原田君の穏やかで優しい笑顔に戻っていた。

「今更煽てたって遅いんだから」
「ううん。本当に、しほちゃんは可愛い」
「べ、別に褒めてほしくて怒ったんじゃ、ないよ」
「うん」

 原田君は少し俯いて、また頭を掻いて、そのまましほの方を見ずに続ける。

「今度は奏汰のためじゃなくって、普通に俺と会うことって、できないかな?」
「え?」

 原田君が意を決したように顔を上げて、しほの方を再び見つめて言う。

「君が好きだった。やっぱり、今も好きだと思った」
「っつ……」

 しほにとって、こんなにもストレートに男の人に好きだと言われたことは生まれて初めてのことで、途端に頭がいっぱいいっぱいになってしまう。心臓がいきなりバクバクと激しく鼓動すると共に、きっと頬は真っ赤。先ほどとは比べ物にならないくらいに、熱を帯びている。

「わ、私……でも」

 どうしていいか分からずに、思わず下を向いてしまって。だけど、原田君の方を見なくちゃとまた彼を見上げて。そうしたら、やっぱり、奏汰君のお兄ちゃんじゃなくて、目の前にいるのは一人の男性の隼人君だった。

 ずっと、原田君は原田君。そう、一人の男性で、優しいお兄ちゃんで、どっちもが隼人君。

 真っ赤になったまま、しほは震えそうな声で続ける。

「で、でも、私。覚えて……ないの」

 それだけ精一杯言うと、しほはもうこれ以上視線を合わせられなくて、俯いてしまう。

「うん。だから、思い出すんじゃなくって、今からの俺ともう一度、会って新しくしほちゃんと進んでいきたい。出来たら、恋人として」

 すっと、下を向くしほの視界に原田君の手が伸びてくる。筋張ったその大きな手は、きっとアメフトをしているからだろう、しほが知っている他の男の人よりもほんの少し逞しい。その手には一枚のメモが握られていた。

 その逞しい腕に沿って視線を上げていくと、少し寂し気に、瞼を伏せ気味みに、笑った原田君がいた。

「そんなに困らないで。今の俺だとマイナスだって、ちゃんと分かってるんだ」
「あ、その。そういう意味じゃなくて……私、どうしたらいいか分からないし、いきなりは考えられなくって」
「うん。それに俺、家族で引っ越すからね。だから、遠距離になるし、ダメ元で」
「でも、大学は……」
「もうほとんど単位取り終わってるから。何回か、卒論関係で俺だけこっちに来ることはあるけど、奏汰の手術が終わったら、許可が出次第、すぐに転院するんだ」
「……そう、だよね。奏汰君と一緒に空気の綺麗なところにって言ってたもんね。じゃ、じゃあ、次のお見舞いまでに……。奏汰君にも会いたいし」

 すると、原田君はしほの腕をグイっと引っ張って、差し出していた紙を強引に握らせる。

「ダメだ。奏汰と君は友達で、俺と君は何でもない。俺は君にとって、奏汰のお兄ちゃん」

 全てを見透かされているような気がして、しほは何も言えなくなる。

「だから、もし、少しでもまた俺自身にも会いたいと思ったら、連絡して」
「え、えっと」
「大丈夫。君の負担にならないように、携帯じゃなくて、自宅の電話番号にしてる。引っ越したら繋がらないやつ」

 そう言われ、握らされたメモをみると、そこには確かに自宅の電話番号らしきものが書かれていた。

「あっ! あと、奏汰の手術の結果は、正直、転院して回復してからじゃないと分からないんだ。だから、それに関しては落ち着いたら、きっと奏汰が友達として君に連絡するから心配しないで」
「あ、その」
「ごめん。もう行かなくちゃ。みんなにも伝えといてほしい。術後、面会謝絶で移動の許可がでたらすぐに転院なんだ。だから、次のお見舞いは気持ちだけもらっておくって。それで、必ず、何かしらの方法で報告する」
「わ、わかった!」

 原田君はまた、しほの方をみて、一度ニコリと優しく微笑んだらそのまま病院の方を向いて歩きだした。

「は、原田君……!」

 そのまま進んでしまって、振り返ってはくれなくって。もう一度、しほは彼の名前を呼ぶ。

「隼人君!」

 ピタリと、彼が立ち止まる。そして、視線を合わせず、首だけ少しこちらを振り返って、言う。

「連絡待ってる。本当に、隼人としてまた会いたいって思ってくれた時に電話して」
「あっ」

 そのまま、隼人君は病院まで走って行ってしまった。しほの心が呆然としていたからか、それとも彼の運動神経がいいからかは分からないけれど、しほを置いてあっという間に彼は嵐のように去って、見えなくなってしまった。

 

 

episode7

 

コラボページに戻る

 

終わる終わる詐欺第二弾になってしまいました……。すみません。(笑)そしてちょっと長いですが、今回はここまでを区切りとさせて頂いております。シホのカケラ完結の後、番外編のepisode2.8とepilogueを予定しております。また公開予定にはいれておりませんが、小話と店長目線のもの、隼人君目線のものをいくつか書きたいなと思っております。
作中に登場するお菓子の再現なども行っております°˖✧それらもまた何かの機会にブログかあとがきなどにまとめられたらなと思います。ご閲覧ありがとうございました!

 

はるぽ
こちらはコラボ企画の小説になります!お縁描き堂・rieさんのイラストからイメージを受け、作詞・ストーリー作成をはるのぽこがさせて頂きました!共作でしか生まれない世界観を楽しんで頂けたなら幸いです♪

 

 

❁イラストのお問い合わせはコチラまで❁

お縁描き堂・rie

お縁描き堂・rie

Instagram https://www.instagram.com/rie_y13
Twitter https://twitter.com/oekakidou_rie
ココナラ https://coconala.com/users/838663

※現在、お縁描き堂・rieさんはお仕事も受付中です! お仕事のご依頼はココナラもしくは各種SNSのDMまで!

❁作詞・ストーリーのお問い合わせはコチラまで❁

はるのぽこ

HPお問い合わせフォームよりお願い致します。

 

注意

イラストの著作権はお縁描き堂・rieさん、作詞・文章の著作権ははるのぽこのものとなります。無断転載、複製、自作発言等はご遠慮くださいませ。ご理解、ご協力の程、よろしくお願い致します。

-オリジナル小説

© 2021 はるぽの和み書房