オリジナル小説

星のカケラ~episode7~

2021年11月15日

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シホのカケラ

 

 火照った頬に、熱を持った掌。足だけを動かして、ぼんやりとしたまま、萌咲たちについていく。気を遣ってくれているのか、前を歩く瀬戸君と水戸君はある程度の距離を保ったまま進んでくれている。声は聞こえるけれど、会話までは分からないくらいに。そして時折後ろを振り向いては、はぐれていないかを確認しながら。

「……ねぇ、告白されたでしょ?」

 何度目かの瀬戸君の振り返りに手を振って応えた萌咲が、正面を向いたまましほに言った。

「……そうなんだよね。だけど……えっ」

 慌てて横を向くと、萌咲がやっぱりと言わんばかりの顔で微笑んでいた。

「言わなくても分かるよ。だって、原田君ずっとしほのことしか見てなかったしね。それで二人きりで話したいって言われたら、何となく」
「でっ、でも、それだけで、分かるものなの?」
「うーん、何て言うか、あとは笑い方が違うんだよね」
「笑い方?」
「そうそう。しほと奏汰君にだけ、ちょっと特別な笑顔って感じがあった。もちろん、私たちにも笑ってくれてたし、礼儀正しくしてくれてたんだけど」
「そう……なのかな。確かにあの笑顔みてたら、ちょっと懐かしくなるんだ」
「……でも、どうするの?」

 そう問われ、しほは首を傾げる。

「何が?」
「店長よ、店長! 原田君と店長……しほはどっちものこと、どう思ってるの?」
「て、店長も!?」
「そう。だって、今日は何でダメだったのかとか、色々聞いてない」
「そう、そうだった! それもすごく話したかったの」

 しほの中では、今日の奏汰君との大切なひとときが特別で、何となく店長のことを話す気分がすっとんでしまっていたのだ。

 それでも、確かにこの悩みから逃げるのもまた違うので、しほはぽつりぽつりと昨日の出来事を萌咲に話していく。

 

 

「お見合い!?」
「そうなんだよね。それで、取り乱したというか、こう、つい……」
「つい……?」
「おめでとうございますって」

 そう言うと、萌咲が目を丸くさせて、程なくして声を上げて笑い出した。

「ふふ。あははは。言っちゃったんだ?」
「そう。それも、すんごい完璧な笑顔で言えた気がする」
「あはは、ふふ。うん、いいよ! 全然いい!」
「……本当に? なんかこう、急にイライラして、気が付いたら勝手に口が動いてて……」
「いや、わかる。だって、そうだよねえ。なら二人だけでカフェとか誘わないでってなる」
「でしょ?」

 そして、シフトを気にかけてくれたこと、製菓学校の件がバレてしまったこと、他の女の子と代わると言われて勝手に傷ついたことを加えて説明し、もう店長のいるバイト先にはいられないと思ったことを素直に口に出してみる。

「うん。辛いよね。そのまま他のお嫁さん連れてこられて、それみて働くのって」
「そう、そうなの」
「それに何て言うか……」
「そう、そうなの。相手の女の人からしたら、自分のお見合い相手に好意寄せてる子が店でバイトしてたら嫌だよね?」
「うん、逆の立場からしても何て言うか、複雑よね」

 二人で顔を合わせて、どちらからともなく、笑いだす。

「最悪、最悪、最悪! 私、失恋しちゃったの」
「……そうかな? まだ確定ではないかも」
「ううん。なんか、約束を曖昧にしちゃう私も悪かったし、逆にお見合いとか二人でカフェとかそういうのを曖昧にされるのも嫌って思ったんだ」
「そっか。まぁ、でも、今時お見合いってあんまりしないし……何か事情があるとかかも」
「分からない……分からないんだけど」

 そう呟いて空を見上げる。まだまだ青い空に、白い雲がとても気持ちよさそうに浮かんでいて、少し羨ましくなった。

「……だけど、店長を好きな気持ちと、お菓子が好きな気持ちはちゃんと別だって、今日すごく思ったんだ」
「……うん。あんなに練習してるなんて知らなかった」

 しほは改めて自分に問う。また、失恋したから好きなものを変えるのか、と。もう緑は嫌いになったのか、と。

「私ね、前に少しだけ先輩とお試しで付き合ってみて、好きなものも嫌いなものも分からなくなって、全部、先輩の好みに合わせてたって言ってたでしょ?」
「…………」

 しほは萌咲の方をみて、微笑む。

「私、星宙パティスリーでバイトして、緑色がすごく好きになった。それで、お菓子作るのが好きになった」
「うん」
「そういうきっかけを与えてくれたのは確かに店長なんだけど、緑色が好きとか、お菓子が好きとか、そういうの、もう変えられない。変えたくない。ちゃんと恋愛とは別の部分で、私の大切な一部になってる」

 萌咲が瞳を揺らして、しほを見つめ返す。どちらからともなく、歩んでいた足が止まる。

「今日、奏汰君を見てて思ったんだ。子どもだからダメなんて、違うよね」

 年上の人に恋をして、子どもっぽいとか大人っぽいとかを変に意識して。恋愛も進路も上手くいかない自分に、就職しなくちゃ、ちゃんと恋しなくちゃって言い聞かせて。早く大人になろうとか、子どもでいられないとか色々悩んでいたけれど、恋に関わらず、生きることにおいて、子どもも大人もきっと関係ないのだ。

「奏汰君もそうだし、他の病室の子だってきっとそう。皆、すっごく頑張ってた」
「……うん」
「だから、子どもだとか大人だとか関係なく、私自身で、しほ自身でちゃんと頑張らなくっちゃって、思ったんだ」
「……私も。縁日の時からずっと、もう切り絵やめちゃおうかなって思ってた。就職したら忙しくなるし。だけど、今日、こんな風に喜んでもらえるんだって思ったら嬉しくなって、それで、切り絵、すごく好きだなって改めて思ったの」
「そうなんだ。うん。そうだよね。私はね……」

 しほはぎゅっとトートバッグの持ち手の部分を握りしめ、言う。宣言するかのように。

「誰かを笑顔にするのが、好きだったみたい。だからそれって、子どもだけに限らないんだ」
「そっかぁ」
「うん。それでね、ケーキって特別な時に食べることが多いでしょ? お祝いとか、来客とか、ご褒美とか。それって誰かの大切なひと時の笑顔に繋がると思うんだ。だから……決めたの」
「うん」
「私はやっぱり、学校にもう一度通う! だから、逃げない。やっぱりこの辺りで一番のケーキ屋さんは星宙パティスリーだと思うから。だから、自分の目標のためにここでお金貯めて頑張る!」
「うん。それでいいと思う。今から別のバイト探すのって大変だし、まずは卒業まで予定通りアルバイトして、自分のために、店長が本当にお見合いして結婚したら、いつだって辞めたらいいよ。それに、新しい恋を始めるっていう選択肢もあるしね」
「……新しい恋?」
「原田君のこと、本当は気になってるんじゃないの?」

 そう問われ、しほは一瞬胸がギュッと締め付けられる。それは切ないというよりも、ほんの少し甘く、慌ただしく、しほの心をかき乱すように、ドキドキとさせるもの。

 けれど、それ以上に覆いかぶさるのは、苦しく締め付けるような、泣きそうになるような、悔しくて、情けないのにどうしようもなく好きと言う、決して甘くはない、恋の感情。

 思い浮かぶのはあの少し滲んで見えた視界に映る赤い台紙と店長の顔。すごく寂しそうな顔から、ちょっとズルいあの口角をあげた妖艶な笑顔までしほの頭からこびりついて離れない。それで、皆に優しいのに、時折、シフトを気にかけてくれたり、元気がないのに気付いてくれたり、困っているからと助けてくれたり、何度自分にダメだと言い聞かせてもその壁を壊してしまうくらいに意識させて、それで、しほのことを振り回すのだ。

 そして、店長のことを思い出すと、あの香水とお菓子の甘さの混じった香りまでもが連想され、嗅覚までもがしほの心をいっぱいにする。

 今も尚、自分の心は店長に囚われていて、それをいきなり変えられるほど、自分は器用ではない。

 しほは目を伏せて、ゆっくりと首を振る。

「……うん。気にならないって言ったら嘘になる。嘘になるのに……」
「うん」
「まだ、隼人君への想いは恋じゃないの」

 だって、先にこんな風に胸をいっぱいにする感情を自分は知ってしまっているのだから。

 頭ではきっと、新しい恋に目を向けた方がいいと分かっているのに、心が追い付くには全ての時間が浅すぎて。しほにはまだ彼の手を取ることが難しい。

 そして、あんなに真剣に想いをぶつけてくれたからこそ、しほは今の状態で隼人君の想いには応えることは出来ないし、中途半端なままでは逆に失礼だとも分かっている。

 あの時、紙を渡してくれた隼人君の手が震えていたのに本当は気づいていた。
 何となくだけれども、隼人君は一人になりたくなかったのではないかと、しほは思う。

 大切な弟の手術前の検査。その待ち時間。

 あれほど仲の良い兄弟なのだ。落ち着かない訳がない。必死に何かをして時間を埋めようと思ったその時に、わざわざしほたちを追いかけて、しほに想いを伝えるということを隼人君はあの時、選んでくれたのである。

 あのまますぐに返事をして、あの手を握りしめることが出来たのなら、どれほどよかったのだろうか。
 そうしなかった時点できっと、もう心は決まっていて、隼人君も何かに気づいているのだと思う。

 このまま下を向いていたら、うっかりまた、涙を零してしまいそう。

 そう思っていたら、萌咲がぎゅっと手を握ってくれて、顔をあげると、やっぱりしほのこの想いも聞き入れて、ただ黙って微笑んでくれていた。新しい恋をしろとか、店長はやめとけとか、そんなこと一切言わずに。

「恋ってタイミングっていうもんね」
「どちらとも、タイミングが合わなかったみたい」

 そう言って、力なく、しほは笑って見せる。

 例えばこの先、懐かしく感じられる、あの頼りになる背中を思い出したその時にしほは彼の手を取らなかったことを後悔するのかもしれないし、店長がお見合い相手と結婚したその時に一緒に喫茶店へ行かなかったことを後悔するのかもしれない。

 けれど今のしほには、すぐに隼人君の手を取るまでの新しい関係はできていなくって、それで、お見合いなんてしないでなんて言える程の関係にも店長とはなれていなかった。

 だけどだからこそ、きっと何度同じことが起こったとしても、しほは奏汰君のお見舞いに行くということを選ぶのだろうし、萌咲たちはついて来てくれるのだろうし、そのことに微塵も後悔はしないのだろう。

 そう思うと、しほはきっと自分の中で今出来うる最大限の選択ができていて、そして、何にも代えがたいものを今、ちゃんと築けているのだと思う。

 今度は萌咲が笑って言う。

「まだ分からないよ。これから先、もっとベストな恋のタイミングがあるかもしれないし、そんなタイミングが来なかったら、自分で合わせにいってもいい」
「……うん、そうだね」
「今日みたいに、何かがどこかで少しずつ、変わるかもしれないから」

 すると、少し離れたところから躊躇い気味の瀬戸君の声が響く。

「萌咲?」

 気が付けば、水戸君はもうかなり先の方で待ってくれていて、なかなか動かないしほと萌咲を心配して瀬戸君はわざわざ引き返してくれているようであった。

「大丈夫、何でもないの。すぐ行く!」

 行こう、と萌咲に引っ張られて、しほは海街喫茶へと歩き出す。

 例えば、これから先のことを考えるのなら、約束していた喫茶店を友達と楽しく過ごしたら、色々とまた、アルバイトにだけ集中できたりするかな。

 バイト先から家に戻るまで、泣かないくらい。
 ちょっとズルくても、店長の顔をみたら、この間みたいに、すんごい笑顔でやり過ごせるくらい。

 それで、ちゃんと卒業までは自分のためにシフトを減らさずに学べるだけ学んで、目標のためにお金を貯める。
 それで、アルバイトを辞める時が来たら、その時はパティシエとして尊敬する人として挨拶を交わして、笑顔でお世話になりましたって去るんだ。

 そうしたら、隼人君でも店長でもない新しい人と恋をするかもしれない。
 そうしたら、店長への想いも、隼人君への想いも、きっと新しいものに変わるかもしれない。

 そう心に誓ってしほは萌咲に続く。

 

 

「4人です」
「只今満席でして、お掛けになってお待ちください」
「はい」

 平日なのに混んでるね、なんて言いながら店の外の椅子に腰かける。改めて、奏汰君のお見舞いはもう行けないことを伝えると、しゅんとみんな静かになった。

「でも、初めて自分から検査に行くって言ってくれたって。そういうの、なんか、嬉しいよね。私たち、何か奏汰君の力になることができたってことかな?」
「……うん。きっとそうだよ。奏汰君、やっぱり、しほに会えて嬉しかったんだろうね」
「うん、そうだといいな。でもやっぱり、奏汰君にとってはお兄ちゃんの存在って大きくって、ああいう風に皆で切り絵作ったりとかできて、すごくよかったのかも」

 すると、店員さんが「お待たせいたしました。4名様、ご案内いたします」と店内へと案内してくれる。

「ラッキー! 思ったより待たなかったね」
「うん。何のケーキにしようか」

 しほと萌咲がケーキについて思案しながら店員さんの後に続いていると、レジの傍でフワリとよく知る薫りがしほの鼻をくすぶった。

「えっと、コーヒー6杯で、本当にお間違いないでしょうか……?」
「あ……はい。6杯で間違いないです」
「た、大変失礼致しました。コーヒー6杯で、2340円でございます」
「カードで」

 反射的に振り返ると、そこには髪を一つに束ねた背の高い男性が、ちょうど会計をしているところだった。

 聞こえてきたその声は、男性の割には少し高めの優しい声で、ちょっと躊躇った時の声色がああ、あの人らしい、なんて思ってしまうもので、しほは思わず立ち止まる。

「しほ?」

 萌咲がしほを呼ぶ声に合わせて、男性がゆっくりとこちらを振り返った。

「……店長」
「…………やぁ、き、奇遇だね」

 明らかに気まずそうに、店長が視線を彷徨わせながら、頭をかく。

「え、えっと」
「あー、俺は出るところだから。えっと、Wデートかな? 楽しんでね」

 そう言うと、そのまま会計を済ませて、立ち止まったままのしほの方を振り返ることなく、店長はすごい勢いで店を後にした。

 

「お客様?」
「あ、すみません。すぐに行きます」

 慌ててしほは動き出し、案内された席へと反射的に腰掛ける。戸惑い気味の萌咲や瀬戸君たちもそのまま席につき、無言が続く。
 すぐさま冷水が運ばれてきて、メニュー表が渡されて、何となく開いてみたけれど、メニューが全く頭に入ってこない。

 萌咲が気遣うように、しほの肩を揺する。

「しほ、しほってば! 大丈夫?」
「えっ、う、うん! 大丈夫!!」

 そう言って笑って見せるも、萌咲はもちろんのこと、正面に座る水戸君も瀬戸君も困惑した表情でこちらをじっと見ていた。

「しほ、よく見て?」

 萌咲に指差されて視線をまた下におろすと、メニュー表は逆さを向いていて、しほは今度はわざとらしく笑いながら、そのままそのメニューを水戸君と瀬戸君の方へとスライドさせる。

「あ、えっと、先に決めて?」

 そうしたらさらに、瀬戸君が気まずそうに、自分の手に持っているものをしほに見せる。

「あー、えっと、メニュー表、こっちも同じのもらってるかな」
「あ、あれ?」

 慌ててメニュー表を引き戻し、萌咲の方へと渡す。そうしたら、メニュー表の角が冷水に当たって、テーブルの上に派手に水が零れ落ちる。

「うわっ、ごめっ」

 今度は急ぎおしぼりで拭こうとしたところで、水戸君の声が響く。

「落ち着いた方がいい」
「え?」

 水戸君の方を向くと、また眼鏡をカチャカチャと動かしていて、その音を聞いていたら何だか逆らったらいけないような気になり、しほは「はい」と小さく返事をして、テーブルを拭こうと乗り出していた身体を一度、ストンと椅子へと落とす。

 その隙にすかさず瀬戸君と萌咲がテーブルを綺麗に連携プレーで拭いてくれる。

「ご、ごめんなさい」

 しほはしゅんと身体を縮こませ、チラリと三人の方を順に見やる。

「大丈夫、誰にもかかってないし」
「う、うん。ほら、店員さんが新しいお水くれたし」

 そう言ってくれる瀬戸君と萌咲が優しくて、余計に委縮してしまう。そうしたら、眼鏡をカチャカチャと動かしながら、水戸君がさらに言う。

「察するに……」
「はい」
「先ほどのレジにいた人は知り合いなのでは?」
「……はい」

 何だか素直に答えないといけないような気がして、しほは俯きながらも、時折チラリと水戸君の方を見つつ、質問に答えていく。

「それで、先ほどの人は一人だった」
「わ、分からない。もしかしたら、誰かといたかも……」
「いや、店員さんがわざわざコーヒーの注文数を確認していた。明らかに復唱ではなく、驚きの意味での確認だった。それは即ち、人数と注文数に間違いがないか確認したくなる状況だったからだ」
「…………」

「あ、聞こえてたんだ」

 何も言えないしほに代わり、萌咲と瀬戸君が小さくそう言うのが耳に入ってきた。けれど、その声を気にすることなく、水戸君は続ける。

「そのあたりに関しては、何も事情が分からないからスルーせざるを得ないが……」
「…………」

「結局、触れといてスルーかよ」

 また何も言えないしほの代わりに、瀬戸君と萌咲が小さく呟くのが聞こえてきて、だけどそのままそれさえもスルーして、水戸君は続けていく。

「先ほどの人は、Wデートを楽しんでと言っていた」
「はい」
「だけど、気まずそうで、慌ただしく店を出て、そう言われて君は動揺している」
「Wデートと言われたことに動揺してる訳じゃないんだけど、でも……」
「兎に角。そんなにも動揺するのなら、追いかけた方がいいのではないか?」
「えっ?」

 あまりにもストレートに言われて、しほは思わず固まる。

「当事者はウジウジ考えがちだが、よく分らないが、客観的にみて、追いかけた方が良さそうだった。次はシャーロックホームズの劇にしようと思ってるんだ。どうだろう、この推理」

 何だかよく分らないけれど、水戸君が満足気に笑っていて、そして思う。確かに、事情を知らずに客観的に見ても追いかけた方がいいと言うのなら、何となくだけど、追いかけた方がいいような気がしてくる。

「え、えと……」

 すると、瀬戸君が笑いながら言う。

「水戸はたまに変なこというから気にしないで。だけど……」

 すると、萌咲もまた笑いながら言ってくれる。

「今度は事情を知ってる私が主観的に言う。絶対に、追いかけた方がいい。どちらにしても、ちゃんと話した方がいい。一人でコーヒー6杯頼むなんて、まるで……」
「……誰か、待ってた?」

 無意識に願望とも言えるそんな言葉が、しほの口から飛び出してくる。

 萌咲が静かに頷いてくれて、しほの重石のようになっていた心が軽くなっていく。そして、少し震える声で言う。

「……追いかけて、何を言えばいいんだろう?」
「思ってること全部、言ってみたらいいんじゃないかな」

 しほはガバリと席を立ち、言う。

「今日は、ついて来てくれて、ありがとう! それで、ごめんね。私、ちょっと用事ができてしまったかも」
「うん。行ってらっしゃい!」
「行先は分かってるのか?」
「う、うん。多分お店。行ってきます!」

 しほはぎゅっとトートバックの持ち手を握りしめて、大きく一歩踏み出す。ガヤガヤと賑わう店内は女性客ばかりで、時折みられる男性客はカップルばかり。それで、ここはケーキが人気のお店で、わざわざコーヒーだけ一人で大量に頼む人はきっと少ない気がする。

 店長、敵情視察なら、どうしてケーキを頼んでないんですか?
 店長、前に男一人だと行きにくいって言ってたのは、本当ですか?
 店長、今日ってまだ、水曜日ですよね?

 少しずつ歩幅が広くなり、徐々に早歩きになり、次第に駆け足に変わっていく。
 頭は冷静に色々考えようとしているのに、心はざわざわと落ち着かなくて、それで、勝手に足が動いていく。

 もう恋愛はと思っていたのに、もっと冷静にいっぱい考えた方がいいのに、恋のタイミングは待ってはくれなくて。
 なかなか決められないと思っていた進路は、ようやく決めたのに、手順がたくさんあって、まだタイミングが来ていない。

 だって進路は誰かさんにシフトの件を確認したり、願書を出したりしないとダメだから。
 それで、誰かさんにシフトの件を確認するのなら、先にこの恋に決着をつけなくてはダメだから。

 しほは駆けながら、今日を振り返る。

 
 今日は奏汰君と会うことを選んだ。
 それで、私はきっと、製菓学校へと通う道を選ぶ。
 今日は好きと言われる感情を知った。
 それで、ほろ苦い想いの熱量を思い知った。
 今日は友達と海街喫茶に寄ることを選んだ。
 それで、やっぱり喫茶はせずに店長を追いかけることを選んだ。

 
 たくさん、たくさん、選んだの。

 

 毎日、毎日、選ぶんだ。
 毎日、毎日、生きるんだ。

 

 今、私は自分の心を知っている。
 きっと本当は、ずっと、ずっと、知っていた。
 だけど、悩まないと見つけられなかったの。

 

 小さな宝石。私のカケラ。

 

 息を切らしながら、辿り着いたのは裏口で、ついいつものクセで来てしまったけれど、門に手をかけても定休日の今日は当たり前に鍵がかかっていた。

「店長……」

 

 きっと隼人君が今日私を追いかけてくれたみたいに、私も今日、店長と何かを話さないとダメなんだ。そんな気がする。

 

 慌てて正面の入り口へと回るけれど、やっぱりドアは施錠されていて、しほはその場に立ち尽くす。

「どうしたら、いいんだろう」

 何気なくポケットに手を突っ込んだら、クシャリと紙が潰れる感触があり、はっとそれを取り出す。

「……でんわ、電話!」

 それは隼人君に渡されたあの電話番号の書かれた紙で、それをみて、コンビニから送ってもらった時に店長の連絡先を聞いていたことを思い出す。

 そして、スマホをタップしようとして、一度止まる。

「ダメ。このままじゃ、ダメ。ちゃんとしなくっちゃ」

 すっと深呼吸をして、しほは震える手で、丁寧に番号を押していく。ひとつひとつ、間違わないように、紙に書かれているそのままの順番で。

 コールの音が何度も続いて、程なくしてそれは留守電へと切り替わった。案の定、隼人君はまだ家にはいなかったけれど、しほはゴクリと唾を飲み、小さく深呼吸をして、ピーっという音をしっかりと聞いてから、話していく。きっと後でメッセージを聞いてくれるであろう、隼人君に向けて。

「こんばんは。しほです。えっと、今日はありがとう。奏汰君にも隼人君にもまた会うことが出来て、嬉しかったです。……私、自分の進路を決めました。ものすごく、まだ遠い道のりだけれど、いつの日か奏汰君と隼人君が噂を聞きつけて買いたいって思ってくれるような、そんなお菓子を作れるパティシエになろうと思います。そうしたら、きっと離れていてもまた今回みたいに会えるかもしれないから。だから、私も頑張るからって、奏汰君にそう伝えてください。それからっつ。それから……隼人君の言葉、すごく嬉しかったです。私にとって奏汰君も隼人君も、大切な友達。今日のこと絶対に忘れません。またみんなで会える日を楽しみにしてます。今度こそ、約束……」

 そこでプツリと留守電の終了時間が来て、通話が切れてしまった。

「ちゃんと約束まで入ったから大丈夫……かな」

 しほはありがとうの気持ちを込めて、目を瞑る。だってやっぱり、自分の背中を押してくれたのは奏汰君と隼人君という友達なのだから。

 しほはまた新たに大切なカケラを見つけたのだ。

 大人も子どもも関係なく、自分自身で頑張るということ。
 好きと言われる感情と、好きだという自分の感情。
 大事なのは過去に築き上げたものだけでなく、今から築き上げていくものもあるということ。

 ねぇ、今の私は、どう生きる?
 ああ、今の私は、何を選ぶ?

 ぎゅっとスマホを握りしめて、顔を上げる。

 まだ今日を諦めたらダメ。

 
 もう一度、ウィンドウ越しに厨房の方を見るけれど、灯りはついていなくって、しほは唸る。

「……ここで、待とうかな」

 すると、すっとしほの横に人影が現れて、その大きな影がその場にしゃがみこむように動いた。

 視線を落としていくと、そこにはまるで小さな男の子が怒られた後みたいに顔を埋めて、しゃがみこんでいる男の人がいた。その手にはスマホが握られていて、しほが下を向いたのに気付いたのか、チラリと視線をこちらへと向けて、その人は話しかけてくる。

「ねぇ、誰を待つの?」
「……、店長!」
「ねぇ、俺の店の前で電話してるのに、着信は俺にじゃなくって……それで、しほちゃんは今から誰を待つんだろう」
「えっ」

 そう言われて、店長がずっと握りしめているスマホの方を見る。

「大人げないかもしれないけど、ずっとあの日から連絡待ってたんだ。水曜日、一緒に行こうって言ってくれるの……」
「そう……だったんですか?」
「うん。自分でああいった手前、夕方からでも一緒に行きたいなんて言えなくて、もしかしたら気が変わって来てくれるかもって、海街喫茶で一人で待ってて。そしたらしほちゃんは他の男の子と一緒で、こっそり店から出るつもりが見つかって……馬鹿みたいだろ?」

 ははは、としゃがみ込んだまま店長が自嘲気味に笑う。いつもは視線を合わせてくれるのに、全くこっちを見てはくれなくて、下を向くか、正面を向くか。その瞳にしほの姿は映してくれない。だけど、何だかものすごく、本当はしほのことを見てくれているような、そんな気になってしまう。

「今日はずっと、私のこと、待っててくれたんですか?」
「……うん」

 そう言いながら、また俯く店長が、何だかとても愛しく感じられて、どうしてこんなにカッコイイのに、こんなに可愛く思えてしまうのだろう。

「私、今日はお見舞いに行ってきたんです」
「……そう、なんだ」

 しほがそう言うと、店長は顔を上げてこちらを見つめる。その目をしっかりと見つめ返して、しほは続ける。

「奏汰君って言うんです。お兄ちゃんの方が隼人君。二人とも、とても大切な友達でこれからも私の大切な友達」

 微笑むと、店長がまた気まずそうに視線を逸らして、言う。

「うん……。きっとそうなんだろうね。しほちゃんは嘘をつかないから。……この間は、あんな風に怒ってごめんね」
「いえ、私も約束を曖昧にしちゃって、今日も、待たせてしまって、すみませんでした」
「いいんだ。うん、そのやっぱり、若い子は若い子同士がお似合いだなって、今日、痛感したんだ。本当に、こっちこそ、ごめん」

 そう言われて、何だか胸がモヤっと疼く。

「それってどういう意味ですか?」

 今度はしほがしゃがみ込んで、店長に視線を合わせて、言う。ほんの少し、声を低くして、少し睨むような形で。

「しほちゃん……?」
「私、店長と話がしたくて、ここに来たんです。まずは今日のこと、謝ろうって思いました」
「う、うん」
「だけど、今、すっごくイライラしてます。自分でもよく分らないけど」
「え、なんか、ごめん」

 しほはムッとした顔のまま、一拍置き、萌咲の言葉を思い返す。
 そうだな、言いたいことを全部、言ってみよう。

「若い子は若い子同士って、それって、やっぱり私では恋愛対象にならないって遠回しに言ってるんですか?」
「違うよ! そうじゃなくって……」
「じゃあ、お見合いするから、だから適当な理由つけてそんな風に言うんですか? なんでお見合いするのに、喫茶店に誘うんですか? 恋愛対象じゃないって言うなら、どうして待っててくれたんですか? こんなの全然分かんない!」
「いや、待って。お見合いは関係な……っ」
「恋愛対象じゃないなら、お見合いするなら、若いからとか大人とか子どもとか遠回しに言うんじゃなくって、ちゃんと店長から一人の男性として私を振ってください」
「違う、違うんだ! ……ん? いや、待って、待って。ちょっと待って。しほちゃんが振るんじゃなくて、俺が振るの?」
「え、そうですよね?」

 すると、みるみる店長の顔は赤くなっていき、いきなり勢いよく立ち上がる。

「しほちゃん!」
「は、はい」

 真っ赤な顔のまま、店長がこちらを見つめながら、少し声を上ずらせて、しほの名前を呼んだ。釣られて、反射的にしほも立ち上がる。

「若い子同士っていうの、取り消させて。その、つい、他の男の子といて、ヤキモチ焼いてしまったんだ。それで、お見合いの件も、ちゃんと断ってるから……好きな子がいるからって」
「それって……」
「か、カッコ悪いかもしれないけど、ずっと断ってて、昨日もお見合いの話は断るつもりだったんだ。だけど、好きな子の前で、好きな子がいるからなんて……言えなくて。だから今朝、ちゃんと先方に挨拶して断ってきたんだ」

 十分近い距離だったのに、店長がさらに一歩、しほに近づく。この間並んで歩いた時もバイトの時も、店長と距離の近い時なんてあったはずなのに、何かがいつもとは違う。

 しっかりと、目が合う。吸い込まれそうなくらい深い凛とした瞳に、真っ赤な顔をしたしほの顔が映りこむ。

 こんなに近くで店長と向き合ったのは出会ってから初めてのことで。触れそうで触れない距離なのに、ほんのりと店長の熱が移ってしまいそうな、あと数センチの二人の隙間。

 胸が押しつぶされそうにギュッと締め付けられて、心臓が飛び出そうなくらいに熱く、速く、鼓動を打つ。

 心臓の音で店長の声を聞き逃してはダメだから、瞬きをしながら、店長の口の動きをしっかりと見る。

「しほちゃんが好きだよ」

 それと同時に、弧を掻いた眉に少し上がった口角、全てを包み込むかのような優しい笑顔がしほに向けられる。

「わ、私……」

 店長の豆だらけの手が、しほの手をそっと握る。そして、再び、店長が口を開く。

「お見合いもしないし、誤魔化したりしない。だから、俺とのこと考えてほしい」

 小さく深呼吸をして、店長が意を決したように言う。

「結婚を前提に、付き合ってください」

 予想外の言葉に、しほは固まってしまう。そしてたちまち、ただでさえ熱かった頬が益々熱を帯びていく。

「け、結婚!?」
「わ、待って、待って。口が滑った。まだしほちゃん若いし、縛り付けるつもりはないんだ。その、真剣に! 真剣に考えてるって意味で言いたくて」

 握っていた手を店長がさらにぎゅっと握りしめる。

「と、友達から! 友達からでいいから、ゆっくりでいいから、俺とのこと考えてくれないかな?」

 じっと目の前にいる男性を見つめてみる。しほよりも背が高くて、一回りも年上で、いつも余裕な素振りで振り回す色気たっぷりなそんな人。だけど、今は真っ赤で何度も瞬きして、それで、視線を横に逸らしながらも必死に自分の手を離すまいと握ってくれている。

 ああ、そうだ。私はこのカッコよくて、可愛い人が好きなんだ。いつもいつも、必死に誰かの為に、夢中でお菓子を作って。いつもいつも、優しい笑顔で誰かの為に優しいお菓子をこの豆だらけの手で作るこの人が。

 しほは瞳を揺らし、笑顔で言う。自然に嬉しいという想いと、そして愛しくて愛しくて堪らないという感情をこめて。

「結婚と友達はちょっと差がありすぎますよ」
「う、うん……」
「だから、中間で。恋人からお願いします」

 そう言うと、視線を泳がしていたその愛しい人がしっかりとしほの目を見つめ返してくれる。彼の瞳の中に、再び自分の姿が映る。

「それで、結婚はあと2年、待ってください」
「……2年?」
「はい、私、やっぱりここでアルバイト続けながら製菓学校に通います。それで、しっかりと自分の足で立てるようになったら、その時に改めて結婚も検討してください」
「しほちゃん……」
「それまでゆっくり、お互いのこと知っていきたいです。今から新しく、店長との関係を築いていきたいです」

 店長が、嬉しそうに笑ってくれて、その笑顔は新作のスイーツが出来上がった時のように無邪気なものだった。

 気が付けば周りは薄暗くなっており、信号やネオンの光が、しほと店長を照らしていた。今日はお互いに私服で、しほは緑色の、エメラルドグリーンのポロシャツワンピ、店長は青と黄色のチェックのシャツで、白のコックコートじゃないから、ちょっとだけ反射する外の光の色は分かりにくい。

 だから、今は二人だけの世界。

 今度はしほがぎゅっと手を握り返して言う。今の自分の気持ちを。

「店長が好きです」

 緑とお菓子とあなたがスキ。

 

 

 

 

✾✾✾✾✾

 

 

 ホールに飾られた胡蝶蘭の花に、整列する各々の好きな色の袴を着た女子たち。
 その祭壇の上で、理事長が締めくくりの言葉を紡ぐ。

「卒業、おめでとう。若者よ、気高くあれ」

 謝恩会に移り、天井のシャンデリアから放たれる光が、豪華な食事と、華やかに輝く乙女たちを照らす。ビュッフェ形式で並べられている食事の一角に色鮮やかな果物の飾られたケーキがいくつも顔を覗かせている。

 どれも次々とお皿に盛られていくけれど、その中でも、しほの大好きな洋ナシタルトとオレンジケーキは特に減りが早かった。

「相変わらず星宙パティスリーのケーキは人気だね」

 萌咲がそう言って、自分の皿に盛っているフルーツのケーキを、口に運ぶ。

「うん。なんか、私も嬉しい」

 へへと、笑うしほと萌咲の所に、杏奈が近づいてくる。

「よかった、コレ渡したかったの」

 そう言って杏奈が手紙の束をしほに、来年度の大学のパンフレットを萌咲に手渡す。

「コレ……?」

 二人で首を傾げるも、杏奈はいつもの美しく優雅な笑みで微笑むと、「またね」と言って去ってしまった。謝恩会を取り仕切る杏奈は、今日はほとんど司会進行で話す機会がない。

 萌咲がパンフレットをペラペラと捲っていく。何かの記念かな、と思っていたら、しほはとあるページで「あっ」と声を上げる。

「見て、ここ!」
「え?」

 そのページはちょうど、教育学部の箇所で、保育学科の所に縁日のイベントの写真が使われていた。そこに映っているのは萌咲で、その横には空飛ぶ金魚の切り絵と、工作教室の様子も掲載されていた。卒業生代表として、萌咲が取り上げられているのだ。

「……遠目からの写真が使われるかもとは聞いてたんだけど、てっきり杏奈としほの三人で映ってるやつかと」
「大盛況だった縁日のイベントだって!」

 そこには自身の切り絵の特技を生かし、イベントに貢献。その後も人気保育園に内定といった内容の紹介文が書かれていた。

 萌咲が目を揺らしながら、パンフレットを見つめている。
 その顔はとても嬉しそうで、きっと謝恩会が終わったら、真っ先に瀬戸君に見せるんだろうな、としほはにやけてしまう。

 しほも視線を自分の手の方へと戻し、渡された手紙をみて見る。一番上の封筒は、住所の部分も差出人の部分も黒く塗り潰され、誰からのものか分からなくなっている。

 首を傾げながら、一番上にあった封筒を開き、中身を出してみる。中には三枚の便箋が入れられており、まず一枚目に目を向ける。そこにはとても丁寧で礼儀正しい文言で、理事長への挨拶が綴られていた。

 こんなの読んでもいいのかな。そう思っていたら、すぐさま自分の名前が飛び込んでくる。

 貴大学の三波しほさんに3年半前、夏のちびっこ海空キャンプにて溺れかけていた息子を助けて頂きました。本当に本当にありがとうございました。また、今夏、息子が手術の際、ご学友と共にわざわざお見舞いに来てくださり、入院中で訪れることのできなかった縁日で行われていた工作教室を特別に体験させて頂き、大変喜び、励まされておりました。心より三波しほさんに、そしてご学友の方に感謝いたします。

 その後も何度も何度も繰り返しお礼が綴られていて、そして、この手紙をどうか届けてほしい、と締めくくられていた。

 息が止まりそうになり、慌てて二枚目をめくる。すると、そこには便箋の線から目一杯はみ出た元気な文字で、ぎっしりとお礼と近況が書かれていた。その中から、手術が上手くいったということ、将来先生になりたいと書かれている文言を見つけ、しほは声を漏らして、涙を零す。

 その手紙の最後にはしっかりと、奏汰、と名前が書かれていた。

「よかった……よかった」

 突然泣き出したしほに驚いた萌咲が何かを言う前に奏汰君からの手紙をそっと渡す。そうしたら、横から同じように泣く声が漏れてきた。

 滲む視界の中で三枚目の手紙に視線を向けると、そこには達筆な文字で『メッセージ嬉しかった、ありがとう。また友達としていつの日か。』とだけシンプルに書かれていた。もちろん、隼人という名前と共に。

「隼人君……」

 そして、他の手紙の束をみると、やはり住所の部分は黒く塗りつぶされているものの、全て差出人が原田隼人になっており、宛先は理事長宛てにも関わらず、手紙の中には何度も何度も弟を助けてくれたしほという女学生に向けてのお礼と、その子に届けてほしいといった趣旨の文言が書かれていた。消印を見れば3年半前から定期的に送られていたことが分かった。

「うそ……」

 手紙の最後に一枚、メモが添えられており、諸事情ですれ違いがあり、女学生の特定に時間がかかってしまった。申し訳ない。といった内容の理事長からの謝罪文があった。

 しほはその手紙の束をぎゅっと抱きしめて、目を瞑る。

 そうか、自分が思っている以上に、私のこの4年間は、私の選んだ生き方は、尊いものだったのだな、と。

 そして、ブッフェコーナーの片隅に並べられているケーキの列から、オレンジケーキをそっと自分の皿に盛る。

「最後の一個だ」

 それをそっと口の中に頬張る。しっかりと煮詰められたオレンジに酸味はなく、程よく焦げた砂糖の甘みと苦みが口いっぱいに広がっていく。ケーキ自体はしっとりとしているのに、他の焼き菓子よりは硬めで食べ応えがあり、噛むたびにオレンジピールの爽やかな薫りが強くなっていく。

 もうお腹はいっぱいのはずなのに、食べられてしまうのだから、すごいものだ。

 飲み込んだそのケーキは、しほの中でたったひとつの特別なオレンジとして弾けていく。
 たくさんの想いと、決意と、未来への希望と共に。

 

「次はドコへ行こうかな」

 

★シホのカケラ 完★

 

episode2.8

 

※今episodeは作中に詞の一部を挿入しております。よろしければ、コラボページよりそちらも合わせてお楽しみ頂けますと幸いです。

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シホのカケラはこれにて完結になります。ラストのシーンをepisode7に入れ込むか悩みましたが、ここまでをシホのカケラとさせて頂きました。作中の中で、しほちゃんは保育士という選択肢からパティシエを目指す、ということを選んでおります。ですが、これは職種の優劣を表現するものでは決してありません。保育士であっても、パティシエであっても、はたまたモデルであっても、子どもであれ大人であれ、主婦であれ、学生であれ、この小説を読んでくださった方々のそれぞれの道でのご活躍を心よりお祈りしております!

 

次回、episode2.8のレイン目線、理事長目線の番外編を更新の後、最後にepilogueを予定しております。私自身はepilogueを書くのを一番楽しみにしておりました。一旦、本編として内容的には完結ともいえますが、是非、epilogueまでお付き合い頂けますと幸いです。また、こちらでの公開には予定しておりませんが、店長目線の物語、隼人君目線の物語、セトモエカップルの小話、杏奈のその後の物語なども書けたらなと思っております。ご興味を持ってくださる方おられましたら、またお知らせ等が出来たらなと思いますのでお待ちいただけますと幸いです。すっかり長編となってしまいましたが、ここまでこれて嬉しく思います。ご閲覧ありがとうございました°˖✧

 

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こちらはコラボ企画の小説になります!お縁描き堂・rieさんのイラストからイメージを受け、作詞・ストーリー作成をはるのぽこがさせて頂きました!共作でしか生まれない世界観を楽しんで頂けたなら幸いです♪

 

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