オリジナル小説

星のカケラ~episode2.888~

2021年11月22日

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はるぽ
時系列的にepisode2.8の後となりますが、構成上、episode7まで読了後、episode2.8の後にお読み頂けましたらより一層お楽しみ頂けるかと思います!よろしくお願い致します
守りたいカケラ~side理事長~

 

 それはちょうど、娘の誕生日の出来事だった。

「はい。約束します。いっぱい泣かせて、それで、彼女が一番美しく輝けるように生かします」

 その一言に、私は静かに頷いた。

 早くに妻を亡くしたからかもしれない。娘は人一倍、しっかりとし過ぎてしまった。そして、妻を早く亡くしたからこそ、この女子大を継ぐということに囚われている。私が、あの壺を取り戻すことに囚われてしまっていたように。

 そして誰に似たのか、良くも悪くも完璧主義な娘は妥協を許さず、決して後ろを振り向かない。時にそれはリーダーとして必要な姿であり、時にそれはリーダーとして最低の姿ともなり得る。

 リーダーとは、後ろの者がついてきてこそのリーダーなのだから。

 例えばリーダーにも、最前線で引っ張るタイプの者もいれば、最後尾で周りを押し上げるタイプの者もいる。

 恐らく、レイン君は後者だ。一見、強引かつ目立つ彼は最前線に立つタイプに見えるが、とても周りをよくみている。だからこそ、最前線にいたとしても一度最後尾まで行き、必ず確認をするということを忘れない。
 一方で娘は後者に見えて、最前線に立つタイプである。それは娘の性格だけでなく、否応なく目立つその容姿により、そうならざるを得なかったとも言える。

 けれど、最前線にいるからと言って、後ろを振り返ることを忘れてはいけないのだ。足元をしっかりと見ずに前だけを見ていると、躓いてしまうことがあるように、時に何かを思い出して振り返らなければ、大切な忘れ物をそのまま失くしてしまうかもしれないのだから。

 そんな娘にとって必要なことは、泣くことだと、私はずっと分かっていた。分かっていたのに、私は娘を泣かしてやることがどうしても出来なかったのだ。

 娘は私の前で弱みを決して見せてはくれない。常に、完璧であろうとするのだ。親である私の前でさえ。

 そんな泣けない娘に私以外でいち早く気づいたのは、レイン君が最初であろう。

 だから私はまだ娘よりも幼い彼と、娘を泣かすという、一見、普通の親ではしないような約束をしたのである。明確にではなく、それも曖昧に。

 それを見事に果たし、彼は今、娘を守り、攫おうとしてくれている。
 どうか、あれが無茶をする前に、もう心のままに攫ってやってほしいと、願っている。

 けれど、娘がどう生きたいのかは、私が決めることではない。
 娘が大学を継ぎたいと願い、それに足るだけの能力があるのならば、それもまたサポートしようと決めている。親としても、この大学の理事としても。

 

 そんな私に、レイン君が躊躇いがちに言う。

「あの、自分の大学の部活のことだからとかではないのですが……」
「ああ、さっきの会話のことかい? 彼には少々、困っていてね。脅し文句として使わせてもらっただけで、アメフト部に抗議は入れないし、このまま引き下がってくれたら、彼個人にも君の大学に抗議を入れることはしない。君たちアメフト部は騒ぎは起こしたものの、日頃から街で挨拶や力仕事のボランティアをしているのも、私も街の皆も知っている。それにあの後、ちゃんとあのキャプテンの子は近隣の店一軒一軒に謝って回っていたそうだしね」

 そう言うと、レイン君は違うんです、と考え込むようにして、続ける。

「……記憶違いでなければ、杏奈さんはしほさんという友人と夏のちびっこ海空キャンプに参加すると言っていました。それも、個人で……」

 私は目を見開く。

「……それは本当かい?」

 レイン君はコクリと静かに頷いた。

「杏奈さん本人から聞いたのではなく、偶然、耳にしたんです。職業柄、こういうのは忘れないところがあって……。もちろん、故意に盗み聞きした訳では……」
「いや、わかっている。でも、そうか……そうか。これは一度調べてみる必要がありそうだ」
「こちらも……キャプテンに聞いてみます。本来、キャプテンは一番礼儀正しくて、穏やかなんです。何か理由があると思うので」

 その言葉に、私はゆるりと微笑む。彼のこういうところが、やはりリーダーに向いていると思うと共に、年齢に関係なく、信頼できると思わせてくれるのだ。
 それは一人の人間としても、娘を任せる親としても。

「ありがとう。そのこともよろしく頼む」
「では、これで……」
「いや、待ちたまえ」

 そう言って、私はごそごそと一枚の名刺を出す。

 本当は娘とレイン君が付き合い始めたのは当の昔に知っていた。だから、いつか時がきたら、ずっとこうすると決めていた。

「ここに、連絡をしてみるといい」
「これっ……」

 私はまた静かに頷く。

「勘違いしないでくれたまえ。これは君が娘の彼氏だからではない。君自身のその人間性と可能性、そして、壺を取り戻してくれた時の腕を見込んでのことだ」
「ありがとうございます」

 彼は丁寧に一礼してくれる。顔を上げたその表情はいつも通り感情こそ抑えてはいるものの、その強い瞳の奥に、確かに何かの情熱を宿していた。

 ああ、やはり、私の目に狂いはない。彼に紹介してよかった。

「これくらいしかできないが、きっと君の役に立つだろう。私の古くからの信頼できる友人だ。京都から出たがらないのが困りものだが、ここで取り扱う伝統工芸品は一級品のものばかりだ。古代から続く人脈もすごい。気に入られたら、君の縁もきっと広がっていくだろう」
「この信用にきっと応えてみせます」
「ああ、信じている。君もただでさえ忙しいのに、娘の送り迎えを申し出てくれて、ありがとう」

 そう言って、彼と握手を交わし、私は大学へと戻る。

 確か、もうほとんどの手紙を事務処理へと回してしまっていたが、この春に来た分の手紙はまだ理事長室で保管されているはずだ。

 その手紙を回収し、私は深く息をついて、自分の出来うることをひとつひとつ行っていく。

 まず気になるのは今日のこと。杏奈は恐らく、友人に縁日のイベントの準備を代わってもらっている。そのこと自体には問題はない。だが……。

「頼るという意味を履き違えなければいいが」

 そう思いながら、私は手紙のことを調べつつ、翌日の縁日をそっと見守ることにした。

 

 

「ちょっと! ここで工作教室なんてされたら困るの。これは縁日のイベントには含まれてないわ」

 騒がしくなる食堂へ、私は何事もなかったかのように、偶然を装って顔を出す。

「大盛況だね。いやあ、空飛ぶ金魚は大好評だ」

 私の一言に、杏奈と親しい萌咲君は苦笑いをし、その横にいた青年が明らかに警戒の眼差しでこちらを見返してきた。

「理事長、すみません。すぐに撤去させるので」

 事務員が私の顔をみてギョッとして、慌ててまた萌咲君たちに注意をする。それを私は急ぎ揃えた一枚の書類と共に、やめさせる。

「すまないね、私の書類処理が遅れてしまってね。彼らは悪くないんだよ。先に食堂の特別使用許可証を渡すので、急ぎ追加手続きをしてもらえないだろうか」
「そ、そうだったんですね。あなたたち、ごめんなさいね。すぐに、手続きして参ります」
「いや、君も悪くない。本当に私のミスなんだ。それで、まだいくつか追加の書類がある。今日中に持っていくので、後でそちらも処理してもらえないだろうか」
「は、はい!」

 その約束を取り付けて、驚いたような顔をする萌咲君とその横にいる青年に、わざとらしくウィンクしてみせる。

 昨日、提灯が業者のミスで手配が間に合わなかったとの報告を受けていた。どうするのかと思って心配していたら、早朝に萌咲君がいそいそと自身の切り絵を飾ってくれたのだ。

 彼女の目の下にはクマが出来ていた。恐らくだが、昨日の提灯が足りないというのを聞いて、急ぎ作ってきてくれたに違いない。

 彼女は趣味で作って家に溜まっていたものだと、そうみんなに言っていた。けれど、同じような柄の金魚ばかりをこれだけの個数、こんなにもタイミングよく、作りためているだろうか。

 それを杏奈は確認せずに、テレビ取材を受け、提灯の代わりに飾ったとしか伝えなかった。杏奈はこの金魚の切り絵を提灯の代わりに業者が準備したと思っているのだ。

 幸か不幸か、萌咲君が早朝から飾り付けをしてくれていたから、これが萌咲君の作品だというのを彼女の親しい人しか知らない。

 けれども、彼女の親しい人たちはどれほど怒っているのか、杏奈は気づいていない。もちろん、杏奈にそんな意図はないけれども、これらが杏奈の手柄として伝わり、萌咲君が蔑ろにされている状況に、真実を知っている者と知らない者とで、揉めてしまったのだ。

「これは、萌咲ちゃんが一生懸命作ったものなのに!」
「何言ってるの? 適当なこと言わないで。今日のイベントは全部ANNAプロデュースのものよ。いつも思ってたのよね、大したことない癖に、杏奈の友達だからって、おこぼれで目立とうとしないでよね」
「なっ!」

 その言い争いを、そっと泣きそうな顔で止めたのもまた、萌咲君だ。そして、他のことが上手く回るようにどれほどしほ君が動いたのかも、杏奈は気づいていない。

 あれは自分に出来ることは他人も当たり前に出来ると、そう思っているのだ。

 人には向き不向きがある。それなのに、リーダーが一声言って皆を動かすのと、そうでないものが懸命に何かを動かすのにどれくらいの労力の差があるのかを、あれは知らない。

 何が起こっているのかを知っていても、学生主体のイベントに私が口を出すことは許されない。そして皮肉にも、杏奈と親しいからこそ動いてくれた二人を庇えば、さらに杏奈の友達だからだと、二人の正当な評価が逆に不正をしているかのように扱われてしまうのだ。

 私ができるせめてものことは、この工作教室を正式なものとして取り扱うこと。理事長として。

 

 そして、もうひとつ、私はこの縁日で黙って耐える青年の姿を目撃してしまったのだ。

「これ……今日までなんだ。縁日が終わってすぐに行けば間に合うと思う。代わりにいってくれないかな?」

 そう言って青年がしほ君に今日が最終日のクリムトの特別展のチケットを手渡す。しほ君はぎょっとした顔でそのチケットを見つめる。

「こ、これ! 入場制限があるやつで、すぐに前売りが完売しちゃったやつだよね?」
「う、うん……。萌咲がすごく見たがってたから、知り合いに無理言って譲ってもらったんだ。だけど……」

 そう言って青年は、子どもたちに笑顔で工作教室をしている萌咲君を愛しそうに見つめる。

「今日はこの特別展よりもきっと、最後まで工作教室をすることに意味があると思うんだ」
「そうだね、うん。私もそう思う。でも、工作教室が終わってからじゃ、間に合わないの?」

 青年は笑顔で言う。

「片付けまでちゃんとやり切らなくちゃね。それに、萌咲はそういう所、すごく真面目だから」
「そっかぁ。そうだよね」
「だから……」

 しほ君がゆるゆると首を振る。

「親友がこんなにも頑張ってるのに、私がこんなすごい展覧会、代わりに行くことできないよ」
「でも……」
「うん。でも、このままじゃチケットがもったいないよね。今日ね、私の仲良しの後輩ちゃんがわざわざ助っ人で駆けつけてくれたの。もしよかったら、その子にあげてもいい?」
「うん。ありがとう」

 そう言って、そのチケットをしほ君が遠慮して断る後輩の子へと譲り、その子に萌咲君へとクリムト展のお土産を買ってきてあげてほしいと、自身のお金をそっと渡して頼んでいる所まで見届けて、私は一度理事長室へと戻る。

「すみません、宝海女子大学の者ですが……」

 急ぎ電話をかけて、送ってもらった電子データに間違いのないように必要事項を入力して、印刷する。その他の書類と、理事室の引き出しに大切にしまっておいた、とある封筒を手に、また食堂付近へと戻る。

 萌咲君が席を外し、青年が一人になったところを見計らって、私は声をかける。

「君が、瀬戸君で間違いないかな?」
「……はい」
「今日、折り紙の買い出しをしてくれたのは瀬戸君だと聞いてね。経費で落とすために、領収書をもらいたいのだが、まだ手元に残っているだろうか」

 私がそう言うと、彼は先ほどの警戒の視線から明らかにそれを敵意に変えて、こちらを見据えてきた。

「それって、経費で落として、工作教室も杏奈さんのプロデュースにするためですか?」

 ああ、いい瞳だ。彼は真実をしっかりと自分の目でみて、確認する。権力に屈することなく。

「これを見てもらえないだろうか」

 そう言いながら差し出したのは、工作教室の申請書で、責任者の所には萌咲君の名前を記載して印刷し、私の許可のサインを記している。後は領収書と共に、事務へ提出するだけだ。

「……失礼なことを言ってしまって、申し訳ありませんでした。これが、領収書です」

 きっと、レシートが出されると、そう思っていた。けれども、彼はちゃんと最初から領収書をもらってきてくれていたようで、しかもそこには萌咲君の名前が記載されていた。

「君は最初からそのつもりだったんだね?」
「……いいえ。杏奈さんのものとして処理されるのなら、個人としての記録であっても、俺がとっておくつもりでした。何かの時のために。今、俺たちがもっている確かな証明となるものは、今日の日付と折り紙の購入履歴と彼女の名前が書かれたこの頼りない紙切れだけだから」

 そう呟く彼はどこか悔しそうで、とても申し訳ないことをしてしまったと、強く思った。こんなこと、私の口から言えることでは、ないのだが。若い子が苦しむために、理事をしている訳ではないのだ。私はそっと目を瞑り、小さく息をして、続ける。

「拡散されてしまった情報がどう伝わるのかは、私にはどうすることもできない。けれど、しっかりと事実を記載して、その事実を大学として守ることは、まだ間に合うと思ってね」
「……俺は無力です。何もできない。だけど、この紙切れ一枚よりも、大学で処理して頂く方が、もう少し頼りになる」

 そう言いながら、彼は大切なたった一つの今日の真実の記録を私に託してくれた。だから、私は彼の信用に応えるため、もらった大切な紙の代わりとなるものを、手渡す。

「これは、コピーなんだが、念のため君の部でも保管しておいてくれないかな?」
「これって……」
「萌咲君の功績はうちの大学のものとして記録が残るが、我が大学は女子大だからね。手伝ってくれた君の功績は記録として残すことが出来ない。だから、君の大学の演劇部へと正式にうちの大学から狼の着ぐるみの貸し出しを申請させてもらった。急ぎだったからね、向こうの理事から直々に、承諾の返信を頂いている」

 彼はまじまじとその申請書を見つめ、その視線を萌咲君の名前と自分の大学名が記載されている所でしっかりと止めた。

 彼はこの意味が分かるのだろう。萌咲君の名前で書かれた工作教室の備品としての衣装の貸し出しの申請書。もちろんそんなつもりは微塵もないが、これでうちの大学だけの処理で、名前のみが杏奈のものとすり替わってしまうかもしれないという懸念を払拭できたのではないだろうか。大学間での正式なやり取りで偽装は絶対にあり得ないのだから。

「折り紙代は後で事務のものが手続き後に萌咲君経由で君へと渡すことになると思う」
「ありがとう……ございます」

 そう言って、彼はようやく敵意の視線を警戒まで戻して、一礼してくれた。

 だから、私はさらに付け加える。

「それでね、今日は学生主体のイベントだからね。誰にもアルバイト代などを出すことができない。例えば、違う大学なのにこうやって朝から手伝ってくれた子がいたとしても」
「……別に、そんな奴がいたとしても、大学の為に手伝ったのではなく、ある女の子の為に手伝ったので、アルバイト代なんて逆に欲しくないと思いますけどね」

 わざとらしく、少しムスッとした顔で視線を逸らす青年に私は笑みを漏らす。ああ、とても清々しい青年だ。

 そんなあからさまな態度をとりつつも、ちゃっかりともう返さないとでもいうかのように、先ほどの申請書を鞄の奥へとしまい込んだのを私は見逃さなかった。

 権力には屈さない、けれども、使える権利はしっかりと手に入れる。

 本当に賢くて、状況をみて言葉を飲み込み、その一方で、決して自分の心は偽らない、その姿が本当に好ましくて、微笑ましかった。

「はっはっはっ。君は、本当に、気持ちがいいね」
「……どうも」

 彼はあえてわざとらしく、ムスッとした顔を続ける。お宅の娘さんに本当は怒ってますから、とでも言わんばかりに。それを顔には出して口には出さないのだから、面白い。萌咲君の為に理事長の私には表向き逆らわず、けれども静かに抗議を続けているつもりなのだろう。

 ああ、約束するよ。必ず、君の元へと折り紙代が戻るように手続きをしてみせよう。

 だから私もわざとらしく、彼に言う。

「実はここに、オペラのペアチケットがあってねー。それで、ちょうど来週なんだが、どうしても私は行けなくなってしまったんだ」
「……そうですか」
「いやー、困ったなぁ。今から誰か代わりに行ってくれる人を探すのは、大変だなー。だけど、せっかくのチケットがもったいないなー。いやー、実は関係者の知り合いが特別にとってくれたものでねー。S席のそれも一番、舞台がよく見えて、音もよく響く座席なんだけどねー」
「……理事長なら、すぐに誰かみつかるんじゃないですか? 一週間もあれば」

 何となく、例のクリムト展のお詫びだと勘づいているのだろう。敵の施しなど受けないとでも言うように、彼は頑なに聞き流す。

 この若々しさに、私はついつい楽しくなってしまって、さらにわざとらしく言う。

「あー、思い出したなあ。これは娘の友人の萌咲君が、ものすごーく好きな演目のオペラだったなぁ。なかなか取れないチケットで、ものすごーく、良い席なんだけどなぁ」
「俺、来週空いてます」

 思わず吹き出しそうになったけれど、そんなことをしたら彼は受け取ってくれないだろうから、私はそれを我慢して、穏やかな笑みでチケットを差し出す。

「そうか、行けなくなってしまって困ってたんだ。ぜひ、代わりに楽しんできてくれたら嬉しい」
「……ありがとう、ございます」

 そこにちょうど萌咲君が戻ってきたので、私はそっと「萌咲君が気を遣わないように、チケットは私が行けなくなって譲ったものだというのは、内緒にしておいてくれ」とだけ付け加えておいた。

 きっと、純粋で正直な彼のことだから、スマートに自分が用意したチケットとしては出さずに、譲ってもらったと言いかねない。だからこれは、理事長としてではなく、可愛らしいカップルを見守る大人としての応援の一言である。

 彼はしぶしぶ、けれども、萌咲君の為という言葉があるからこそ、素直に頷いてくれた。

 萌咲君が近づいた瞬間に、彼は私へと向けていたあのムスッとした顔を一転、それはそれは優しい笑みへと変える。さて、邪魔者は去るとしよう。

 

 そうして、私は再び理事長室へと戻り、最後にもう一軒、急ぎの電話を行う。

『はい、星宙パティスリーです』
「宝海女子大学の者ですが……」
『はい、お世話になっております。先日のお問い合わせの件でしょうか?』
「そうです。そちらではこういった受注はされていないようなのですが、今年度だけでもいいのでお願いできないでしょうか?」
『そうですね……。今年度だけでしたら、宣伝も兼ねてお受けしたいと思います』
「よかった。では謝恩会のスイーツはそちらでお願い致します」

 すると、受話器越しに、その男性は躊躇いがちに問う。

『あの、ひとつお伺いしても良いですか? 先日開店した海街喫茶は御大学の卒業生がされているお店で有名です。なぜ、わざわざうちなのですか? それも今年度だけでもいいなんていう、条件つきで……』

 この人も素直に何も聞かずに引き受けてくれたら有難いのにと思いながら、声が漏れないように、私はそっとほほ笑む。

 みんな、警戒心と純粋な心と両方を持ち合わせていて、ああ、瑞々しい。そして、どうか、このままでいて欲しい。

「私は実力主義なんです。身内贔屓をしたとしても、明らかに、この辺りで一番美味しいのは星宙パティスリーさんです。それに、謝恩会当日、晴れ着姿で長時間過ごす女学生たちには甘すぎるこってりとした海街喫茶のケーキよりも、お宅のさっぱりとしたオレンジケーキが、好ましいと思うのです」

 そう言い切ると、受話器越しに小さく息を呑む音がした。きっと、オレンジケーキで意味が通じたに違いない。もちろん、実力主義という部分にも一切の嘘はないのだが。

『わかりました。やはり、今年度だけ。今年度だけお受けさせてください』
「……そうですか。うちとしましては、ずっとでも良いのですがね」
『いえ、来年度以降は、その都度、また実力主義でうちに頼みたいと思っていただけたときに改めて依頼して頂けたらと思います。私も実力でやっていきたいので』
「はっはっはっ。毎年、謝恩会のスイーツが楽しみで仕方なくなってしまったなぁ」
『……それでは、改めて打合せにお伺いいたします』
「ああ、それでね。その件なのだがね。前にも言った通り、謝恩会ではビュッフェ形式をとろうと思っている。だから一度、星宙パティスリーのケーキを打合せの前に全種類食べさせて頂きたいと思ってね。それらを注文させて頂きたい」

 そう言うと、少し悩んで、その人は言う。

『打合せの際に、一口サイズのものをご用意して持っていきます。ですので、わざわざご注文いただかなくても』
「はっはっはっ。いや、私の言い方が悪かったね。私は甘いものが好きなんだ。だから、一度個人的に全部注文して食べさせて頂きたい。謝恩会で初めて食べるケーキがあるなんて、嫌じゃないか。もちろん、事務員や他の者と一緒に食べるので、サイズも心配は無用です。明日、何人かでそちらに取りに行くので取り置きしておいて頂いても?」
『……分かりました。甘いものがお好きと仰って頂けるのなら、是非に』

 承諾してくれて、私はようやく、息をつく。

「それでだがね、そちらにうちの大学の生徒がアルバイトとしてお世話になっていると聞いたのだが」
『……はい』
「とても良い子でね、何か仕事が増えた際は、そこ子の都合さえ合えば、多めに仕事を振ってもらっても構わないだろうか。例えば、大量のケーキの取り置きとか、大学への打合せの付き添いとか。きっと、大学内のことに詳しい」
『……生憎、うちは実力主義なので、従業員は平等に扱っております』
「それは失礼した。きっと、その子は今月、多めにシフトに入りたくなるのではないかと思ってね」
『お言葉ですが、来月からの新作に向けて、既に優秀な従業員の確保は行っておりますので』
「そうでしたか」
『……ですが、従業員を平等に扱うという中に、頑張る子や詳しい子を多く起用するということも含まれていますので、きっと御大学の生徒さんの都合が合えば、その子を頼らせてもらうことになるかと思います』
「そうですか。うちの大学の生徒は頑張っていますか。とても信頼できる店長さんの元で働かせて頂いているようで、安心致しました。それでは、明日の14時ごろ、ケーキを引き取りに行かせて頂きます」
『畏まりました。お待ちしております』

 電話を切り、私はまた声を上げて笑う。

 ああ、本当に、なんて将来性のある若者ばかりなのか。とても頼りになる誠実な男性であった。

 

 さて、これでいくつのカケラを守ることができたかな。
 そして、いくつのカケラを今から守ることができるかな。

 

 夕刻、大盛況で終わった縁日の報告に来た娘と二人、私は理事長室で向かい合う。
 萌咲君の切り絵の件を、伝えながら。

「そんなっ。私、今からテレビ局に電話して、それから、大学の皆にも……」

 そう言って慌てて理事長室を飛び出そうとする娘の名を呼び、私はソファへと腰掛けさせる。

「そんなことをしては、さらに混乱させ、萌咲君のことを悪く言われるだけで終わる」
「でも……」

 まだ食い下がる杏奈に、私は覚悟を決めて、叱る。

「何故、昨日の準備に行かなかった?」
「それは……」

 口ごもる娘に、私は容赦なく、言う。

「忙しくて、投げ出したのか?」

 娘は顔を上げ、首を振る。

「違う。違うわ! 私、忙しくていっぱいいっぱいになってしまっていたの。だけど、二人が準備を代わってくれるって。それで、私、やっぱり全部頑張りたくて」
「ほう……」
「だから、私! これからは周りを頼って、皆を頼って、やっていこうって……!」

 娘がそう言った瞬間に、私は今までで一番厳しい口調で、娘の名を呼ぶ。

「杏奈」

 ビクリと驚いた娘が、姿勢を正す。

「頼るという意味を、履き違えるな」
「……それは、どういうこと?」

 本当に意味が分からないという瞳でこちらをみる娘を、真剣で厳しい眼差しで見つめながら、私は言う。

「お前が今日したことは、頼るのではなく、手柄を取るということだ」
「……っつ」

 ぎゅっと拳を強く握り、唇を噛み締める。けれども、娘は一滴たりとも、涙を零さない。
 そのことを悲しく思いながらも、私は厳しい口調で続ける。

「何も萌咲君だけのことを言っているのではない。裏で準備をしてくれた、皆のことを言っている。あまりにも準備が追い付かなくてね、しほ君の後輩や友人が多く、本来縁日の準備メンバーではなかったのに手伝ってくれたのを知っているか?」
「……っつ。いいえ」
「もし、お前が最初から自分の力量をしっかりと把握し、ひとりでイベントの準備を進めずに、リーダーとして皆に企画の時点で役割分担していたら、今日のことは全て皆の手柄となっていた」
「……はい」
「分かるね? 最悪、事後報告でもいいのに、お前は確認せずにテレビといった公の場で、自分が責任者としての縁日のことしか紹介しなかった。一言、みんなで作り上げた、友人が手伝ってくれた、と言うだけで違ったのに。こうなると、裏で人知れず皆が流してくれた涙と汗はどうなる? 何人が本来は縁日の手伝いのメンバーではなかったのに、動いてくれたのか」
「……私、最低なことをしてしまったのね」
「そうだな。もちろん、彼ら自身の頑張りは消えない。けれど、映画でもよくあるだろう? 目立つのはやはり俳優や監督だ。けれど必ず、エンドロールには携わった人の名前が刻まれる。エキストラであっても、所属している会社名が刻まれる。そうすると、その人たちの小さくとも大きな功績は、しっかりと残るんだ」
「…………」
「大きなことを成すときに、誰しも一人では成し遂げることなど、できないのだよ。どこかで必ず誰かが携わり、裏でそれを支えてくれている。目立つというのは、そういうことだ。そういうことも分かったうえで、お前は先頭に立てているか?」

 娘は俯きそうになるも、顔をあげ、こちらをしっかりと見つめ返す。その姿をみて思う。娘は明らかに一人で突っ走り、リーダーとして配慮に欠けている部分も多い。だが、こういう逃げない姿もまた人を惹きつけ、リーダーとして皆に求められる所以なのだろう。

 黙り込む娘に、ふっと笑みを漏らして続ける。

「お前は今、忙しいだろう?」
「……はい」
「時間というのはな、忙しい人だけに貴重なのではない。皆、平等に、貴重なのだよ。その人、その人にとって、一分一秒、尊いものでただ過ごし方が違うだけなのだ」
「……っはい」
「それをお前のために、皆、割いてくれたのだ。そのことを忘れるな。そして、事前にスケジュールを開けておいてもらうのと、急遽開けてもらうのでは時間の使い方という点で、意味が変わってくる」
「……時間の、使い方」
「そうだ。誰しも一瞬一瞬、どう時間を使うかを選択して生きている。そして、誰だって計画通りにはいかない。だから、選択が続いていくのだ」
「……それは、大変身に染みて実感しました」
「だからこそね、誰かにとっての大切な選択を、直前で変更させるというのは、代償が大きくついてしまう時がある」
「……っつ、はい」
「お前がわざとしたことではないことも、しほ君や萌咲君が友達だからこそ自ら手伝ってくれたこともちゃんと分かっている。そしてだからこそ、今こうして話しているのは分かるね?」

 娘は少し潤めがちになりながらも、やはり泣きはしない。静かに黙って、頷いた。そんな娘に胸を痛めながら、そして本当に強情だ、そう思いながら、私は心を鬼にしてさらに続ける。

「原田隼人君という子を、知っているか……?」
「原田……。いいえ、でも隼人……聞いたことがあるような」

 私は小さく息をついて、昨日見つけ出した彼からの手紙を杏奈へと渡し、読むように促す。

 途中から目を見開いて、大きく瞬きし、娘は口に手をあてて、「うそ……」と小さく悲鳴のような声を上げた。

「心当たりが、あるんだね?」
「……はい。でも、あの日、二件の水難事故があって、そのうちの一件が、しほが川に落ちたことだったの。でも、あそこから1キロも離れてるし……」

 自分の中で整理するようにそう呟いて、杏奈は「まさか……」と呟いて固まる。

「きっと、そういうことなのだろう」
「……時々、しほは夢でうなされてる。まるで、川に流されてるかのようなうわ言を漏らしながら」

 杏奈の手紙を握っていた手がダラリと力を失くす。絶望的な表情をしている娘に、私は悲痛に目を瞑りながら問い続ける。

「あの時、何があったか、聞く必要がありそうだ……話してくれるかい?」

 目にいっぱいの涙を溜めながらも、やはり決してそれを零さずに、娘は頷く。

「でも、もう大学も閉める時間だ。お前たちはこのキャンプに個人で参加したと聞いているが、あっているかい?」
「はい。下見のつもりで、大学からではなく、個人で参加しました」
「では、私も理事長ではなく、父親として話が聞きたい。場所を変えよう」
「…………」

 黙りこくる娘の前に、私はそっと真っ赤なドレスを着た杏奈が堂々と表紙を飾る、例の雑誌を見せる。

「これ……」
「モデルのアルバイトもしているね?」

 さらに眉を顰め、今にも泣きだしそうな表情で娘はこちらを見ていう。

「ごめん……なさい。そのことも話すつもりだったの」

 私は呆れるように笑みを漏らし、モデルとして活躍する娘の姿をスクラップした特製のノートを見せる。

「杏奈、私は今日父親として、理事長としてお前を叱ったが、怒ってなどいない。そして、モデルの仕事は、本当によく頑張っている。父として、誇りに思うよ」
「……お父様」

 スクラップノートをペラペラと捲りながら、杏奈が悲痛な表情で、目を瞑りながら言う。

「私、一番大切な友人二人を最低な形で裏切ってしまった」
「…………」
「それでっ。たった一人の大切な家族のお父様にずっと嘘をついていた。私、わたし……」

 そっと杏奈の肩を叩き、私は微笑んで言う。

「今日、縁日は大盛況だったね。それは、皆が陰ながらにたくさん動いてくれたから、成功した。けれども、宣伝や集客はお前がモデルとして頑張っていたからだ。そのことも、忘れてはいけない」
「……っつ。でも、でも!」

 私はさらに続ける。

「実はね、来週約束していたお前の誕生日祝いのオペラなんだがね、私のミスでチケットが取れていなかったんだ」
「……そんなの、全然いいわ。今の私に祝ってもらう資格なんて、ないもの……」

 困った娘だ。私は小さくため息をついて、言う。

「大切な娘の誕生日を、祝わない訳がないだろう? だからね、今日は突然のリスケジュールをさせてもらうよ。今から、お祝いの食事に行きたい。レイン君と3人で」
「え?」

 私は驚く杏奈の顔を見ながら、微笑む。本当に、困った娘だ。

「昨日、レイン君が挨拶に来てくれたよ。娘さんとお付き合いをさせて頂いています。どうか、アルバイトの送り迎えをさせてくださいってね」
「うそ……」
「本当だ。嫁に出すならこういう男がいいと思えるくらいに、レイン君はしっかりとしている。……いい人に、巡り合えたね」
「うそ……」

 娘の目頭に先ほど無理矢理引っ込めたはずの涙が再びたまり始める。

「それでね、このしほ君のキャンプの件に気づいて教えてくれたのもまた、レイン君だ」
「れ、レインが?」
「ああ。だから、まだ諦めるな。レイン君がこうしてまた繋いでくれている」
「うっつ、うっつ、私……」

 ずっと泣かなかった娘が、彼の名前を出した途端に、ようやく涙を零し始めた。ああ、悔しいけれど、やはりもう娘は巣立つ時なのだろう。父の私よりも頼れる男の人を、見つけたようだ。

 嬉しくもあり、寂しくもあるこの感情を私は噛み締めながら、娘を立たせて抱きしめる。

「大丈夫だ。3人でキャンプのことも、これからのことも全部、話し合おう。それで、最後はお前の誕生日祝いだ」
「っつ、はい」

 そう返事をして、涙を零しながらも笑う娘に、私は妻の面影を重ねる。
 ああ、そう言えば、あいつを泣かすのにも苦労したな、と思いながら。

「さて、我々が長居してしまっては、警備の人が困る」
「そうね。それで、どこで食事をするの?」
「ああ、それはね、レイン君に任せてある。彼に任せておけば間違いないだろう?」

 そう言ってウィンクすると、娘がプッと吹き出しながら笑った。

「そうね。だって、味も美しくないとダメだ、ってよく言うんだもの」
「だろう? こういうときは、素直に得意な人を頼ればいいんだ」
「ええ、そうね」

 正門で待つレイン君の顔を見た瞬間に、娘が心の底から安心した表情をしたのを見て、私はほっと息をつく。
 叱るのは、もうおしまい。後は、大切な人の手を握りながら、このお前にとっての辛い時期を耐えるといい。

 私は、娘のカケラを守ることはできただろうか。父として、理事として。

 

 生きていれば、時に苦しく、時に辛く、時にタイミングが合わず、耐え忍ぶだけの時期もあるだろう。けれども、あの青年が一枚の紙きれで守ったように、あの青年が何度も何度も粘ったように、あの男性がそっと傍で見守り続けているように、人知れず細い糸で何かが繋がるときがある。

 

 若い芽よ、自分たちの可能性を、諦めるな。各々の道を信じて、突き進め。

 

 若者よ、気高くあれ。

 

 

 

epilogue

ここにあえて番外編のepisode2.8、episode2.888を組み込むのが、私がこの物語を書く上での拘りした。理事長目線のepisodeを2.888にしているのは、こんな風に頑張る誰かに何かしらの縁が繋がればいいなという願いを込めてみました。次回、epilogueにて完結となります。その後、あとがきと小説内に登場するお菓子の再現をまとめたものを更新予定です。また、こちらでは公開予定に含んでおりませんが、この番外編の続きであり、episode7までの物語が繋がっていく物語として杏奈のその後や店長目線、隼人君目線、セトモエカップルの小話を書き下ろし予定です。ご興味のある方は、ぜひ、お待ちいただけましたら幸いです。ご閲覧ありがとうございました°˖✧

 

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こちらはコラボ企画の小説になります!お縁描き堂・rieさんのイラストからイメージを受け、作詞・ストーリー作成をはるのぽこがさせて頂きました!共作でしか生まれない世界観を楽しんで頂けたなら幸いです♪

 

 

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