オリジナル童話

ナタリーとキースの魔法茶屋~扉の試験~

2021年12月31日

スポンサーリンク

世界の子どもシリーズ―現代編― ナタリーとキースの魔法茶屋~扉の試験~ 【番外編】

 

 ほんのりと薫る新緑の匂いを柔らかい風が運ぶ。その匂いの先には、大人でも見上げてしまうほどの長い歳月を経て育った樹木たちが並んでいる。木々の間から温かな太陽の光が差し込み、嬉しそうに動物たちが駆け回る。
 そんな森のど真ん中に、不自然にぽつりと木でできた小さな扉があった。とても小ぶりで、大柄な人ならば屈まなければ通れないほどの、ボロボロに傷んだその扉は、何かの建物についている訳でもない。ただただ、扉だけがそこに存在している。何気なくその扉を開いても、ひたすらに同じ森が続いているだけであった。
 それなのに、黒いローブを纏った年頃の魔法使いたちが長い列をなしてその扉の前に並んでいる。

 けれど不思議なもので、ただそこにあるだけのはずの扉はその魔法使いたちがくぐった瞬間に、その魔法使いの姿を消すのだ。詠唱と共に。

「さて、最後はエミリーね。行先はどこにするのかしら?」

 列の最後にいた少女、エミリーに女教師がそう問うと、少女は自信なさげに言う。

「……はい。えっと、ロンドンに……」

 その震える声に気付いたのだろう。教師は優しく微笑みかけた。

「エミリー、大丈夫よ。ただ、あなたが素敵だと思う物を持ち帰ってこればいいの。変装魔法だってたくさん練習したじゃない。自信をもって?」
「……でも、でも。見てください、これ……」

 そう言いながら、エミリーは身体にぶら下げていた手のひらサイズの小さなポシェットを教師に突き出す。

「魔法かばん、こんなに小さいのしか作れなかったのは、私だけです」

 その表情は、今にも泣きだしそうだった。

「こんなんじゃ、何も持って帰ってなんてこれない! せっかくの祝賀祭なのに……。私だけ、きっと貢献できない。魔法学校始まって以来の落第生になってしまいます。……それも、ブラウン家なのに」

 ここブライトアースでは、魔法族と精霊郷の友好の証に、精霊郷の姫たちの誕生日に盛大な祝賀の祭りが行われる。その際、魔法学校の最高学年の者が、お祝いの品を精霊郷の姫たちに献上するのが習わしだ。そして、このお祝いの品の献上は、学校の卒業試験と兼ねられている。

 しかし、このお祝いの品というのがとても難しい。ただでさえ、精霊郷の姫たちへの贈り物となれば、頭を悩ませるというのに、問題はそれだけではない。その贈り物は地上世界、即ち、人間界から持ち帰ったものという決まりがあるのだ。

 人間界へはこの日限り許された特別な詠唱をしながら、この森にある扉をくぐることで行くことが出来る。学びあげた変装魔法で人間界へと赴き、人間界のものをひとつ、持ち帰ってくる。それが決まりであり、試験であるのだ。

 ただし、地上世界とブライトアースとの間には密かな決まり事がある。ことわりの違う世界を行き来するため、それぞれの世界のルールに合わせるというものだ。

 だから、無条件にあちらへと辿り着いた瞬間に、エミリーたち魔法族は魔法を一切使えなくなる。

 そんな中で、唯一許されているのが、物々交換。エミリーたち魔法族はこちらの品物をそっと人間界へと紛れ込ませて、その代わりに特別に許されたこの魔法かばんに入るものに限り、人間界の品物を持ち帰ることができる。

 そして、この魔法かばんの作成もまた、試験の一貫であった。

 この革には精霊郷の妖精や精霊たちの祝福が贈られている。この革に彼らの自然を取り込む力を宿し、人間界にもある数少ない自然の力を利用して、向こうの品物を持ち帰るのだ。

 今にも泣きそうな顔で、エミリーは自身の小さな魔法かばんを見つめる。

「私も……ブラウン家の一員なのに」

 エミリーは勉強熱心で魔法知識学や歴史学の成績こそ良いものの、魔力のコントロールが苦手で、実技はめっきりダメだった。やっとの思いで身に付けた変装魔法と、作り上げた小さな小さな魔法かばん。それは達成感どころか、大きな不安とコンプレックスを生み出してしまったらしい。

「エミリー、大きなものを持ち帰ればよいというものではないわ。あなたはとっても優しい子で、私の優秀な生徒よ」
「でも! 小さなものを大きくする拡張魔法も、物を増やす増殖魔法も私はできません。魔法使いなのに、魔法の使えない、ただペーパーテストの成績の良い、ダメな魔法使い。それも……ブラウン家なのに」

 真面目な性格のエミリーは自分で自分が許せないといった様子で、きつく結んだその唇と、ぎゅっと握った拳をわなわなと震わせながら、目に大粒の涙を溜める。

「エミリー、あなたが得意なのはペーパーテストだけではないわ。基礎魔法だってトップクラスよ。それに……」
「基礎魔法なんて、皆ができます! それに私の場合、あれは姉妹精霊たちの力を借りているようなものです! 私の力じゃ……ない、です」

 思わず、エミリーが叫ぶ。そんな彼女をみて、教師は叱るでも責めるでもなく、何も言わずにそっと抱きしめた。

「……先生、大きな声出して、ごめんなさい」
「ううん。いいの。あなたの、その素直さと、真面目さがあればきっと大丈夫。さぁ、そろそろ時間ですよ」

 抱きしめられて冷静さを取り戻したのか、エミリーは小さく頷くと、詠唱を開始する。すると、みるみるそのローブの下の服が、人間界での今の流行りに合わせた服装になっていく。けれど、容姿はそのまま。ブラウンの腰元まである長い髪に、大きな淡い緑の瞳。きっとロンドンならば、このままでもバレないから、外見の変装は服装だけ。

 けれど、身体の中身だけはしっかりと、エミリーは魔法をかけていく。例えば、言語の理解能力とか。例えば、日の光の耐久性を上げるとか。

「これで、大丈夫……かな」

 小さく、自分自身に確認するように、エミリーは問う。この扉をくぐれば最後、戻ってくるまでは魔法は使えない。

 知らない世界で、たった一人で、魔法使いであることを隠して、人間界のものを持って帰ってこなければならないのだ。

 けれど、同時にエミリーは思っていた。向こうで魔法が使えたとしても、エミリーはもともと魔法が得意ではないから、別に意味はないのかもしれない、と。そう、エミリーは魔法使いなのに魔法が苦手で、ブラウン家なのに魔力があまり強くない。

 ゴクリと唾を飲み、目を瞑って、目の前の白い扉に手をかけ、さらなる詠唱を開始する。淡くその扉が光ったものだから、この詠唱が成功したことを確信し、エミリーはほっと息をつく。

 いざ、ロンドンへ。

「エミリー、大丈夫。それに贈り物は、祝いたいと思う気持ちが何より大切ですよ。あなたはそれが一番にできる」

 扉を開き、この不思議な空間へと入り込んだその時、扉が閉まるかどうかのところで、小さく教師の声がエミリーの方へと響いた。

「……祝いたいと、思う気持ち」

 一瞬で視界が入れ替わり、バタリと扉が閉まる音と共に、目と鼻の先にもう一つ別の白い扉が現れる。

「きゃっ」

 驚いて思わず声が出るも、エミリーは慌てて手で自分の口を塞ぐ。振り返ると、そこにはよく見慣れたもの、便座があった。

 ここって、トイレの個室? 人間界も同じ構造なんだ……。

 ツンと嫌な臭いが鼻をつく。正直、あまり綺麗なトイレではないようだ。この扉を開けるのが怖いという思いと、一刻も早くトイレから出たいという気持ち。相反する気持ちに決着を着け、高鳴る胸を抑えながら、真っ白な扉を開いた。

「誰も……いない」

 そこにはエミリーがいた個室とは別にもうひとつ個室があるだけ。とても小さな公共のトイレらしく、目の前には古びた鏡と洗面台があった。そこには魔法学校の制服ではなく、見慣れない服装の少女がいて、変装魔法も解けずに無事に来られたことが分かった。そのことに少し自信を取り戻し、ほっと胸を撫でおろす。

 そしてエミリーは急ぎ、トイレを出る。外に出ればレンガの道やオシャレな外灯、可愛らしいお店が並ぶ、ロンドンの街並みが現れる……そのはずだった。

「えっ、嘘……」

 しかし、そこに広がるのは、シンプルなグレーのコンクリートの道に、薄緑色のフェンス。それで、その道の向こう側には果てしなく田んぼが広がっており、そのさらに向こうを山々が囲んでいる。

『列車が発車します』

 知らない言語と共に、不思議なメロディが流れて、細長い乗り物が通り過ぎていく。

「秘密の、地下鉄?」

 けれど、この乗り物はほぼ真四角で、写真やイラストで見たことのある地下鉄とは少し雰囲気が違う。
 煙突もなければ、煙もでない。
 ゴゴゴゴという騒音と共に、凄まじい勢いで突風だけを残して、行ってしまった。

 そうしたら、ポツリとまたエミリーだけが取り残されて、周りに人はおらず、たちまち不安になり、泣きそうになる。

 ここは、どこ――……?

 エミリーは自分が飛び出してきたトイレの方へともう一度戻り、そこに知らない言語で地名らしきものが書かれていることに気づく。

 きっと、これはどこかの駅。

 その駅をキョロキョロと覗き込むけれど、ここは無人のようで、辺りを見渡しても、やっぱり人の姿自体が見当たらない。

「どうしよう、空間移動の詠唱、失敗しちゃったんだ……」

 その場にしゃがみ込み、看板に書かれている文字を見て、何となく察する。

 恐らくだけれども、ここは日本だ。これらの文字は漢字だろう。何となく、下に書かれているローマ字を頼りに、出来うる限りの推測をし、必死で知恵を絞り出す。

 日本は日本でも、よく話題にあがるような地域ではないことが、一目瞭然であった。何人かの同級生は日本へと向かうと言っていた。けれど、その際にあがる地名は東京がほとんどだ。そして、時折、大阪。後は、古都に憧れる者たちが京都や奈良へと行く。

 ここは、どこ――……?
 ああ、せめて変装魔法の時に日本人になっていれば、多少は言語も分かって、見た目だってすぐに馴染めたかもしれないのに。

 そんな風に思うと同時に、ずっと持っていた日本への憧れの感情も膨れ上がっていく。
 とういうのも、ブライトアースから日本は位置的にかなり離れている。だから、余程魔力が強く、空間移動の詠唱が得意な者以外は、なかなか選ばないし、辿り着けない。

「日本――……」

 エミリーはあえてこの国名を声に出して呟いてみる。

 日本を選ぶ者が少ないのは、人気がないからではない。本当に、扉を繋ぐのが難しいエリアだからだ。
 そうでなければ、むしろ日本は一番人気といっても良いくらいに、人気なのだ。

「大魔法使い、ウィルが暮らした場所――……」

 かつて、地が割れた時、ブライトアースには太陽の光が届かなくなった。けれど、月の助言のもと、地上世界から太陽の光をもってくることに成功した。ロンドンへと繋がる秘密の地下鉄を敷くことで。

 そして、エミリーたち魔法族は、ウィル指導のもと、昼を生きられるように星詠ほしよみを捨てた。正確には、一部のことわりを残して、新しい星詠みをしなくなった。
 長い歳月が過ぎ去り、エミリーたち新星の魔法使いはある程度の日の光に耐えられるようになっていった。

 ブラウン家は、秘密の地下鉄の開発者。大魔法使いウィルの一族であり、エミリーはその子孫だ。

 一族の皆が、魔力が強い。一族の多くは、未だに星詠ほしよみをすることができる。日の光を浴びるのに差支えのない程度にだけれども。

 けれど、エミリーは違う。魔力は弱い。実技は苦手。星詠みなんて、もっての外。日の光にもそこまで強くは、ない。別に日常生活に差支えは、ないけれど。

 しかし、エミリーは気づく。

「こんな私にも、何か、できるかも」

 ここは、日本だ。かつて、大魔法使いウィルが、人になり、秘密の地下鉄で地上世界へと来て、そのまま永住したと言われている、国。

 そして、近年は秘密の地下鉄は運行されなくなってしまい、この扉の試験でしか、地上世界を訪れることは出来ない。

 エミリーは改めて、違う意味で胸を高鳴らせていく。

 本当は、人気の国。詠唱は失敗してしまったけれど、けれど、上手くいけば、人気でなかなか訪れることの出来ない国の物を、持ち帰ることが、できる――……と。

「私も、ブラウン家の一員に、なれるかも」

 エミリーは反射的に立ち上がって、辺りを見渡す。
 しかし、見える景色は先ほどと何ら変わらない。読めない文字で書かれた看板と、田んぼと、それで周りを囲む山々だけが視界に映りこむ。

「何で、よりにもよって何もないところに……」

 そして思う。例えここがもし東京や大阪、古都で有名な京都や奈良であったとしても、こんな小さな自分の魔法かばんで一体何を持って帰ることができるというのか、と。

 すると、たちまち、誰も通らないこの土地と何もない周りの景色とで、焦りと情けなさと、不安とがぐちゃぐちゃになっていく。

「確かに詠唱は失敗してしまったけれど、せっかく日本まで来られたんだから、最後まで頑張らないと……!」

 零れそうな涙を腕で無理やり拭って、とりあえず、線路沿いにエミリーは走り始めた。

「お店、何かお店を探さないと」

 そのまま進むうちに、日が暮れはじめ、山の中にぽつりぽつりと赤い光がつき始めた。吸い込まれるように、無意識に足がそちらへと動いていく。

「お祭り……?」

 その灯りの先には山に沿って長い階段があり、大きな鳥居があった。

 そして、エミリーは頭をフル回転させて、自分自身の中にある知識を絞り出していく。

 こういうの、本で読んだことがある。確か、神社、というのだ。それで、これもまた本に書いてあった。こういうお祭りはこちらでは縁日というって。

 先ほどまで人がいなかったのが嘘みたいに、その鳥居の向こうは人々で賑わっている。

 キラキラと輝く数々の店を見て、先ほどまでの不安が嘘みたいに、エミリーの心をワクワクとさせていく。小さくて丸い焼き菓子はふんわりと甘く、少し香ばしい薫りを漂わせていて、エミリーの視線をついつい奪ってしまう。そして、水に浮かぶ水玉もようの小さな風船は可愛らしくて、エミリーは欲しくてたまらなくなる。けれど、その周りには小さな子どもばかりがいるから、近づくに近づけない。ただ、その水に浮かぶ可愛らしい風船をつり上げる子どもたちの笑顔がとても可愛らしく、見ているエミリーまでもが、心温まった。

 それぞれの店に書かれている文字はどうしても読めないが、数字はロンドンと同じのため、何となく、エミリーでも分かった。単位が違うため、本で読んだ日本のことを思い返しつつ、これらの店が提示している価格は、エミリーがチェックしていた品物よりも、かなり安いということが分かった。

 それなのに、どれもとても輝いてみえるのだから、不思議なものだ。

『よ、お嬢ちゃん。こんな田舎まで海外から観光客の人が来てくれるなんて嬉しいねぇ。わたあめ、ひとつどう?』

 すると、ある一軒の店でエミリーは声をかけられる。けれど、言語が分からない状態なので、何も答えることが出来ず、首を傾げる。

『わたあめだよ。わ、た、あ、め』

 やはり分からなくて、再び首を傾げる。

『うーんと、そうだな。ザラメ。えーっと、シュガー! シュガア!!』

 最後の方が何となく聞き取れて、砂糖と言っているのを理解し、小さくコクコクと頷く。

『みてな?』

 すると、おじさんが手で大きな丸い容器を指差したため、一歩近づく。おじさんがキラキラと光る魔法の粉のようなものをその容器に落とし、風を巻き起こして、そして、細い棒でくるくると白い雲を作り上げていく。

『す、すごいわ! この世界にも魔法があるなんて……!』

 目を輝かせて、おじさんに言うが、伝たわらない。けれども、どうしてもすごいというのが伝えたくて、エミリーは手を大きく動かして、ブンブンと興奮したまま何度も頷く。

 すると何となく喜んでいるのが伝わったようで、おじさんが言う。

『嬉しいなぁ、そんなに喜んでくれて。ほら、一口、味見にどうぞ』

 さらに何かを言いながら、今度はおじさんがその白い雲をちぎってエミリーへと差し出す。

 けれども意味が分からずに、首を傾げていると、今度は後ろから、声が響く。

「試食だって。食べていいよって言ってくれてるんだ」

 エミリーが振り返ると、淡いヘーゼルナッツ色の瞳と目が合った。とても芯の強そうなその瞳の輝きはそのままに、少し目尻を下げながら、その人が優しく微笑む。ブロンドがかった淡い茶色の短髪が、その瞳をとてもよく引き立てていた。そして、すごく優しい表情をしているのに、キリっとしている眉が、この人はとても頼りになりそうだと、本能的にエミリーに思わせる。

「あ、ありがとう」

 どうやら、通訳をしてくれたらしい。英語を話してるから、きっと英語圏内の国の人だ。

『お嬢ちゃん、早く! これ、絞んじゃうんだよ』

 何かをまたおじさんが言っていて、声色的に急がないとダメなことを感じて、受け取る。
 そうして、それを頭上に等間隔で吊るされている赤い光にかざす。

「綺麗……。本当にすごい魔法だわ……」

 そうしたら、クスクスと笑い声が聞こえ、気が付けば、エミリーのすぐ近くに先ほどのヘーゼルナッツ色の瞳の彼が、立っていた。

「これ、すぐに食べないと絞んじゃうんだって」
「え?」
「うん、綺麗だよね。でも、すぐに食べないとダメな食べ物なんだって」

 そう言われて、じっとこの白い雲の欠片を見つめて、エミリーは思う。食べてしまうなんて、もったいないと。

「はは、食べるのがもったいないって顔してるね? だけど、そんな……ははは、やっぱり可笑しいや」

 何故その人が笑うのか分からず、エミリーは首を傾げる。

「ま、魔法みたいって、君、本当に可愛らしいね。ねぇ、そんな魔法みたいなお菓子、眺めてるより、食べてみたくない? せっかくだから、魔法のお菓子の味もちゃんと味わわなきゃさ」

 そう言われて、確かにそうだと思い、エミリーは意を決して、そのお菓子をパクリと口の中へと入れる。

「ん~~~~甘い」

 口に入れた瞬間に、たちまちそのお菓子はエミリーの心を、ふわふわさせた。

 先ほど、おじさんはこれは砂糖だと、そう言っていた。砂糖なのに、口に入れた瞬間に溶けて、エミリーが知っているものとは食感がまるで違う。甘くて、美味しくて、それで、心をワクワクさせていくのだ。

 エミリーは、目をキラキラと輝かせる。そして、その屋台の400円という数字を見て、慌てて財布を出し、そうして気づく。

「ロ、ロンドンのお金……」

 がっくりと肩を落とす。そして、考える。食べ物は、持ち帰ることが出来ないし、そもそもこのわたあめという食べ物は大きすぎて、エミリーの魔法かばんには到底入らない、と。

「どうしたの?」

 ヘーゼルナッツ色の瞳の彼が、エミリーの背丈に合わせて少し屈みながら、目線を合わせて聞いてくれる。

「あ、えっと、その」

 英語で喋ってくれるから、有難いのだけれど、何故か振り返ったその瞬間から、どうも彼の瞳を見つめていたら、吸い込まれそうで、エミリーは落ち着かなくなってしまうのだ。

 口ごもるエミリーに向かって、またヘーゼルナッツの瞳の彼が、目尻を少し下げて、優しく微笑む。エミリーが上手く喋れるまで、待ってくれてるようだ。

 例えば、もし秘密の地下鉄に乗り、天秤のルールを守って乗車切符を入手して地上世界へときたら、それはことわりがちゃんと調整される。

 戸籍とか、言語とか、そう言ったものが全て、こちらで生きていけるように整えられる。

 けれど、扉をくぐっての移動は、ただの移動。戸籍はもちろんのこと、言語も勝手に整えられることはない。
 だから皆、扉をくぐる前に事前に変装魔法を施し、さらにそこに言語機能を付けて人間界を訪れるのだが、やはりそれは即席の魔法。時間と共に、その効果は薄れていく。

 地上世界と地下世界では言語はもちろんのこと、言葉の音が少し、違う。だから、魔力の弱いエミリーは少しずつ、英語が上手く話せなくなってきていた。

「大丈夫。ゆっくりで、いいよ? 君はどこの国からきたの?」

 かなりの間、口ごもってしまったのに、彼は未だに腰を屈めて、そして微笑んでエミリーが話すのを待ってくれている。
 けれど国と言われてもブライトアースなんて言うことはもちろん出来ないため、エミリーはとりあえず、本来の行先であったロンドンで話を押し通すことにした。

「ロ、ロンドン……」
「へぇ……! 僕と一緒だ」

 彼がとても嬉しそうに、笑う。そして、再び、エミリーに聞いてくれる。

「日本は初めて? 緊張するよね。困ったことがあったら、言って? 僕でよければ手伝うよ」

 彼の声は不思議とエミリーをとても安心させる。だからつい、エミリーはそのまま悩みを打ち明けてしまう。

「あ、ありがとう。私、持って帰る物……お土産を……探してたの。わたあめ、持って、帰りたいけど……絞んじゃう」

 すると、彼が今度は声を上げて笑う。

「あははは。可愛らしい悩みだなぁ。確かに絞んじゃうかもねぇ。でも、宿までなら大丈夫かもよ?」

 宿までと言われ、ひやりとする。エミリーが、魔法界から来たことは、バレてはいけない。上手く誤魔化さなければならず、慌てて付け加える。

「今日、もう、国に帰る……から」

 すると、ヘーゼルナッツ色の瞳の彼が、うーんと唸りながら、顎に手を添えて、思案する。

「……今から?」

 そう言いながら、彼は空を見上げ、そして、腕時計を見る。その様子をみて、失敗してしまったかもしれないと思い、エミリーは冷や汗を流しながら言う。

「え、えっと。今からじゃなくて……お、落ち着いたら。だけど、わたあめは、絞んじゃう……から」

 するとまた、ヘーゼルナッツの瞳の彼が、優しく微笑んで言う。

「大丈夫。今からだと暗いから心配しただけだよ。それで、お土産探してるんだよね?」
「う、うん……」

 やはりヘーゼルナッツ色の彼の瞳を見ると吸い込まれそうで、エミリーはたちまち落ち着かなくなっていく。さらに、変装魔法も解けかけ始めているのが感じられ、言葉も上手に喋れなくなっていくものだから、エミリーの言動はぎこちなくなる一方だ。

「おいで?」

 しかし、彼はそんなこと気にする素振りもなく、エミリーに手を差し出す。けれどどうしたらいいか分からず、エミリーは再び首を傾げる。そんなエミリーを見ながら、彼はふっと笑みを漏らすと、そっとエミリーの手を掴んだ。

 そしてそのまま、自然に指を絡めて、彼はエミリーと手を繋ぐ。

「わ、わわ」
「行こう」
「ど、どこに?」
「縁日の探検。お土産探し。通訳してあげる」

 彼に手を引かれるまま、エミリーはキラキラとしたお店を回っていく。水に浮かぶ風船を一緒に釣ったり、あの甘くて香ばしい薫りの焼き菓子を一緒に食べたり。息を吹きかけたらクルクルと回る綺麗な飾りを見たり。

 どれも、綺麗で、可愛くて、美味しくて。何より、エミリーの心をワクワクさせた。

 けれど心とは裏腹に最後の方はほとんど上手く喋れなくなっていくので、だからこそ、エミリーは言葉には出せない代わりに、めいいっぱいジェスチャーと笑顔で、彼に気持ちを伝えていった。

「うーん、どうしようか。確かにロンドンまで持って帰れそうなものは、無いかもしれないねぇ。とりあえず、どれが一番好きだった?」

 そう問われ、エミリーが思い浮かべるのは、やっぱり、あの食べられる白い雲。

「ま、ほうのお菓子!」

 そう答えると、彼はまた声を上げて笑い出して、「おいで?」と言いながら、エミリーの手を引いてくれる。

『わたあめをひとつ。それで、作り方を教えてください』

 エミリーの分からない言葉でそう言うと、ヘーゼルナッツ色の瞳の彼は、あの細長くて丸い不思議な装置の前へとエミリーを連れて来て、その装置を指差す。

『あいよー! 試食気に入ってくれたとは、嬉しいねぇ。ちょっと大きめに作るよ』
『ありがとうございます。できればゆっくりめで作ってもらって、この装置の仕組みも解説してもらえたら嬉しいです』

 彼と店のおじさんが、あれよこれよと話していく。エミリーはどうしたらいいか分からずにオロオロしていると、おじさんがまた魔法のお菓子を作り始め、自然と目が釘付けになる。

 それらはやっぱりエミリーの心をワクワクと踊らせる。砂糖が高速で回転し、白い糸となって、それらがクルクルと巻かれ、食べられる雲へと変身していく。

「まほう、の、お菓子……」
「うん、そうだね。こんなに笑顔にしてくれるなら魔法のお菓子だね」

 もっと近くで見たくなり、エミリーがその装置に触れようとしたその時、おじさんが慌てて止める。

『わ、危ない。これ、熱いんだよ』
『すみません』

 装置に触れようとしたエミリーの手を、ヘーゼルナッツ色の瞳の彼がぎゅっと握って制す。そして、少し困ったように眉を下げながら、言う。

「この装置、熱いんだって。温めて、高速で回転させて、最後に冷やして固めてるみたいだ。作り方を聞いたんだけど、家で作るのは難しそう。ごめんね?」

 そう言われ、わざわざレシピを聞いてくれていたことが嬉しくて、エミリーは彼を見上げて、何度も瞬きする。
 彼も見つめ返してくれて、そして、優しく微笑みながら、頭を撫でてくれる。

「大丈夫。まだ他にもお店があるから、いいお土産がきっと見つかるよ」

 彼のヘーゼルナッツ色の瞳と視線がぶつかり、その後ろで、お店のライトや、先ほど彼に教えてもらった提灯と呼ばれる赤い光がキラキラと輝く。

 するとたちまち、ライトの光で彼以外の他のものが見えなくなり、まるで自分と彼だけがそこにいるかのように、視界に映るものすべてがエミリーを錯覚させる。

『ほい。出来上がり!』
『ありがとうございます』

 彼がおじさんから白い食べられる雲を受け取り、そしてそれをエミリーにと渡してくれる。
 先ほど貰ったものとは比べ物にならないくらいに大きくて、エミリーは少し興奮してしまう。

「まほうの、おかし」
「うん。わたあめって言うんだって」
「わた……?」
「わ、た、あ、め」
「わ……あ、て」

 地下世界にはない音で、変装魔法もいよいよ解け始め、エミリーは上手く発音できない。

 すると、エミリーが困っているのを感じ取ってくれたのだろう。彼はごそごそと鞄からメモを取り出して、スラスラと何かを書いていく。

「これで、分かるかな?」

 そのメモにはローマ字でWATAAMEと書かれていた。
 ローマ字は何とか読めるため、このメモのおかげで、近い音の発音が分かりやすくなり、エミリーは顔を綻ばせる。

「わたあめ」
「うん」

 けれど、いよいよ変装魔法が完全に解け始め、エミリーは焦り出す。そろそろ、駅のトイレに戻らないといけない。

 そして、あることに気が付いて、エミリーは慌てて言う。

「おかね!」

 彼がさらりと支払ってくれていたけれど、既にかなり沢山のお店へと連れて行ってもらった後だ。けれど、今になってまた思い出す。エミリーはロンドンの通貨しか持ってきていないことを。

「ロンドンので、も、いい?」

 そうしたらまた、彼はヘーゼルナッツ色の瞳を輝かせながら、目尻を下げて、優しく微笑みながら、言う。

「デートだから、ここは僕に支払わせて」
「え? で、でも……」

 躊躇ためらうエミリーに彼は小さく息を漏らした後、そっとエミリーの片頬に手を添え、その反対の頬に口づけをする。

「じゃあ、お代はこれでいいよ」

 今度は目尻を下げずに、吸い込まれそうなほど深く、意志のしっかりと宿った瞳でみつめながら、口元だけを緩やかに動かして彼は笑った。
 それがとても、目の前にいる人は、男性だと、そう思わせるもので、胸がぎゅっと締め付けられて、たちまちエミリーの顔を真っ赤にさせていく。

「わ、わわ」

 どうしよう。エミリーはまた取り乱しそうになるも、地上世界の訪れる国によっては挨拶で頬にキスをする、というのを以前に本で読んだことがあったのを思い出す。

 そういうことかな?

 そう思い、エミリーも彼をマネて、彼の頬にキスをする。

「……っつ」

 彼が驚いたように、息を漏らす。そしてそのまま至近距離で目が合い、彼の揺れる瞳が、先ほどよりもさらにぎゅっと強くエミリーの胸を締め付ける。

「ねぇ、君は……」

 彼が何か言おうとしたその時、エミリーの名を誰かが遠くで呼ぶ。それも、向こうの音で。

 エミリーは反射的に、音が響く方へと近づいていく。すると、一軒のお店のその向こう、木々が並ぶ暗がりで、見知った顔を見つけて、驚く。

「ナタリー!」

 それはエミリーと正反対の、魔法も得意で、精霊郷の姫とも姉妹契約をしてる、妹だった。

「エミリー! よかった。早く!」

 エミリーには何が起こったのかは分からないものの、自分が呼ばれていることは、すぐさま分かった。そして、これは緊急事態だということも、瞬時に悟る。

「急に、どうしたの?」

 彼が慌てて、追いかけてきてくれる。もう少し話がしたかったけれど、エミリーはもう行かなくてはならない。

「家族……が、むかえ、に来たの」

 彼がまた一歩、エミリーとの距離を詰めたその瞬間に、またナタリーの声が響く。

「エミリー、急いで!」

 後ろで響く声と、目の前にいる戸惑いながらも、エミリーのことを見つめる彼。

 彼に何か言わなければならないことがあるような気がするのに、焦る心が、その言葉を上手く導くことをさせない。

 ただ、どうしても何かお礼がしたくて、本能的に、これしかないと思い、エミリーは自身のイヤリングを外す。それも、片側だけ……。

「こ、れ。貰って……」
「え?」
「わた、し、いかなく……ちゃ」

 ありがとうの意味を込めて、彼に向って微笑む。そして、「早く!」と叫ぶ妹の方へとエミリーは駆けていく。

「待って! 君の名前は?」
「エミリー」

 彼が、真剣な眼差しで、言う。

「また会いたい。ロンドンに戻ったら、連絡して」

 その言葉を最後に、ナタリーに腕を引っ張られ、視界がぐるりと動く。

 そして、ドサドサと倒れこむ音がして、気が付いたらあの扉のある森の中へと戻っていた。
 もう空は真っ暗だった。

 ゆっくりと起き上がると、ガバリとナタリーが抱き着く。

「エミリー! 良かった!!」

 訳が分からず、反射的にナタリーを抱きしめ返しながら、エミリーは首を傾げる。

 すると今度は、先生がエミリーから離れようとしないナタリーごと、ガバリと抱きしめる。

「よかった。二人とも戻ってこれて」
「どういうことです……か?」

 そして、事情を聞いて、エミリーは息を呑む。古くから続くこの扉は錆びれてしまい、時空に歪みができてしまったのだとか。よくよく見てみればその扉の上の方が大きく欠けてしまっている。この欠けから、時空にズレが生じてしまったのだろう。

「あなただけ、行き先がずれていることが、ロンドンにいないことが分かって……他のみんな無事に戻ってきたのだけれど、なかなか帰ってもこないものだから」
「まさか、日本にいたなんて」

 そう言われて、ほっとすると共に、優秀過ぎる妹に頭が上がらなくなる。

 ナタリーは行方知れずのエミリーのエネルギーを感知し、追いかけてくれたようだ。そして、今日は試験の日。試験を管理する先生も、他の生徒たちも皆、魔力をかなり消費してしまっていた。

 だからこそ、誰も日本まで扉を繋げられる者がおらず、エミリーよりも何学年も下であるのに、学校内で最も魔力の強いナタリーが迎えに来てくれたのだ。

「そう、だったんだ……。私のミスじゃなくて、時空にひずみができていたのね」

 エミリーは色々な意味でほっと胸を撫で下ろす。

 二つの痛みを残して。

 戻ってきたときに、気づいてしまったのだ。
 とうとう、持ち帰るものが決められないまま、物々交換ができず、何も持って帰ってこれなかったということを。
 きっと、エミリーは学校創立以来、初の落第生で、そしてやはり、ブラウン家の落ちこぼれとなるのだろう。

 

 そして、この日の試験を最後に、扉の試験は中止され、この一枚の錆びれた白い扉は封印された。

 

✶✵✶✵✶

 

 

「さあ、次はエミリーの贈り物です」

 エミリーは息を呑みながら、前に出て、お辞儀をする。
 そして、震える唇を何とか動かして、ゆっくりと話し出す。

「私、エミリー=ブラウンはわたあめをお贈り致します」
「わたあめ?」
「はい。私は、このレシピを持ち帰りました。これを今から再現し、それを精霊郷の姫君たちにお贈りしたいと思います」

 そう告げると、エミリーは彼のくれたメモをちらりと見せた後、またお辞儀をして、魔法の詠唱を始める。

「ファイア!」

 エミリーは基礎魔法しか得意ではない。けれど、基礎魔法でも、工夫すれば、ワクワクする魔法を作り出せることを、あの日、知った。

 諦めてしまっていた、この試験。姫君たちへの贈り物。 

 それをヘーゼルナッツ色の瞳の彼が、一枚のメモで、繋いでくれたのだ――……。

 何も持って帰ることが出来なくて、失格になるかと思ったその時、魔法かばんの中から一枚のメモが出てきたのだ。
 
 それはナタリーに手を引かれるままに勢いで魔法かばんに突っ込んでいた、彼があの時、書いてくれたもの。

WATAAME

ザラメ→目の粗い砂糖
熱っする
高速回転
冷やす

 

 そして、そのメモの裏側にはシエリア=ウィリアムという名前と、電話番号と、ロンドンの住所が書かれていた。

 そのメモを愛しい気持ちでぎゅっと握りしめながら、エミリーは大鍋を温め終わると、目の粗い砂糖を投入する。

「ウィンド!」

 そして、今度は姉妹契約をしている風の妖精たちに手伝ってもらいながら、鍋の中を円を描くように高速回転させる。

「まぁ! 色が変わっていくわ」

 そして、綺麗にデコレーションしたとっておきの棒に、出来上がった白い糸を巻き付けて、魔法の雲を作っていく。

「コールド!」

 最後は急速に鍋を冷やして、それらをしっかりと固める。

 綺麗に出来上がったわたあめを、姫たちの方へと持っていき、お渡しする。

 一歩下がり、中腰に跪き、左膝を立てて、両手をきつく結び、額へと当てて一礼する。精霊郷での正式な礼の形だ。
 そして、微笑む。あの時のエミリーのように、喜んでもらいたいという、心からの願いを込めて。

 

「精霊郷の姫君方へ、こちらのわたあめをお贈り致します。こちらは人間界でみつけた、心が躍る魔法のお菓子です」

 

 エミリーは見事、トップの成績で扉の試験に合格した。そして、心の奥底で誰にも言わず、誓う。

 いつの日か、秘密の地下鉄に乗る。それまでに絶対、英語をマスターする、と。
 もう一度、あのヘーゼルナッツ色の瞳の彼に、見つめてもらうために。

 戻ってきたときに気づいた、二つの胸の痛み。

 そのひとつを彼が一枚のメモで取り除いてくれたから、もうひとつの胸の痛みは、エミリー自身で取り除くと、メモをみつけた瞬間に、そう決めたのだ。 

 

✲思い出のWATAAMEは魔法のお菓子✲

 

 

この世を繋ぐもの―海と地下鉄と扉―

世界の子どもシリーズ―時間の記録―

世界の子どもシリーズ全一覧

番外編なので期間限定公開で考えていたのですが、思ったよりも重要な物語になったので、しばらく置いておこうと思います!
ご閲覧ありがとうございました°˖✧

-オリジナル童話

© 2022 はるぽの和み書房