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私の頭の中~恋に落ちた瞬間と言葉選びとやくどし~

2022年1月24日

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はるぽ
星のカケラの報告と私の独り言

 今年からブログを始めようとなり、ブログは年数回でいいやと思っていたのに、自分の中で嬉しいことや悲しいことがあって、とても誰かに話したくなったので、またひっそりとここに綴ろうと思います!(笑)
 そして前回、このブログはお喋りと言っていたのですが、よく考えたら、独り言でした。(笑)
 なのでこのブログはちょっとした創作に関連する独り言です♡

 昨年からお縁描き堂・rieさんと星のカケラのグッズや本の作成を進めているのですが、先日、rieさんから表紙として描いて頂いているイラストを見させて頂いたんです!!それがとても可愛くて、感動して、すぐに話したくなってしまって、今、ブログを書いています(笑)

 新しいイラストを見させて頂いた瞬間に、私の頭の中で再生されていた星のカケラの登場人物たちのセリフに息が吹き込まれて、ものすごくひとつひとつの言葉に感情が籠ったような気がしました。そのことにとても感動して、誰かと一緒に創るということはもちろんのこと、私は主に文章を書くので、ジャンルは違うのですが、違うからこそ、イラストの凄さにただただ感激しました。
 特に萌咲ちゃんが私の中のイメージそのままで、自分の中での足りない表現力をかなりの力でカバーして頂いて、それにより、ものすごく、物語が広がった気がして、感謝と嬉しさでいっぱいになりました!

 そして、私は文章を書くからこそ、創作の中でもジャンルの違う自分では分からない、イラストレーター様にしかない、その道の方しか分からない表現というのがあるとすごく思っています。だからこそ、私の描写不足のところや作品にとっての欠かせない部分というのはしっかりと打合せでお話させて頂くのですが、基本はお任せするのが素敵なものが出来ると思い、カラーも含めてrieさんに全てお任せしています。

 お任せした結果、やはりとても可愛らしく素敵なものに仕上げてくださっていて、星のカケラは色をテーマにしているのですが、その色というのを最大限に活かしてくださったイラストにとても心躍りました。

 不思議なもので、色というのは自分の好きな色と似合う色、そして相手から持たれるイメージカラーなどが違ったりします。
 そしてそれらは、どれも大切なのだと、私自身は感じていて、そういうものの素晴らしさをイラストのカラーでさらに広げて表現してくださっています。まだ直接この場でご紹介出来ないのが残念なのですが、ぜひぜひrieさんの可愛らしいイラストやしほちゃん以外の登場人物の姿をお楽しみに!

 書き下ろしの方も、まずはセトモエカップルの物語が順調に書き終わっています!
 以前、恋に落ちた瞬間をテーマにとお話ししていたのですが、それらを既に書き終わっているもの、これから書くもの含めて、やはり大切に入れ込みたいな、との思いで進めています。

 先ほど、自分は文章で主に表現をし、イラストにはイラストの表現の方法があると思っていると話したのですが、文章だけに限らず、役者さんの演技であったり、音楽であったり、映像などで、それぞれ表現方法がまた違うと思っています。

 そして恋に落ちた瞬間というのは、恋愛における表現の中で私はとても美しく、物語には欠かせないシーンだと思っています。
 それはどれだけ恋多き人であったとしても、寝て、起きて、食べてという生きることに必要なサイクルや感情の動きに比べ、人生において、恋に落ちる瞬間というのは必ず回数も少なく、そして時間としては一瞬で、それなのに人生において衝撃的に大きく感情が動くと思うからです。

 それらをイラストや写真では表情などを切り取った美しい一瞬として伝えることができ、映像は表情に限らずカメラワークや情景などで、数秒であるのに見事に表現されていることが多々あります。音楽であっても、楽器だけもしくは歌であれ、そこには確かに感情がのり、それらを短い時間でも深く表現されている作品が多くあります。
 ですが、文章ではただ、「好き」といった言葉を数行書くだけでは、恋に落ちた瞬間が伝わりません。表現したいのは刹那的な恋に落ちるというシーンだけであるのに、しっかりと、それまでの展開や感情の動きを書き込まなくては、その恋に落ちた瞬間というものが伝わらないのです。詩などで短く表現される方もおられますが、物語の中では文章だからこそ、長く書き込まなくてはならず、逆に文章だからこそ長く書き込めるのだと思っています。
 だから、私は恋に落ちた瞬間を表現することを大切に思い、また楽しくも思っています。

 私の中で恋に落ちた瞬間というのはいくつかのパターンがあり、一番分かりやすいのが一目惚れだと思います。それ以外にはいつのまにか恋に落ちていたのを自覚する瞬間であり、ずっと知り合いだったのに何かがきっかけとなって惚れる瞬間であると思います。(もちろん、他にも色々あると思います……!)
 そして、一目惚れの中でも、意識的なものと無意識的なものがあると思っています。自分でも一目惚れしたと分かっている場合と、本当は一目惚れしていたのに、そのことに気づかずに恋に落ちてしまっている無意識的なものです。私の中で、それらは扉の試験で交差させているつもりです。(笑)

 星のカケラでも一目惚れであったり、いつの間にか一緒に過ごすうちに恋に落ちていたというのを自覚する瞬間、惚れ直すきっかけになったもの、などを番外編も含めひっそりと混ぜ込んでいます。(伝わるかどうかは、分からないのですが……)

 そういうものも、世界の子どもシリーズでも私の中では盛り込んでいて、作品の中であえてその恋に落ちた瞬間を書かないものもあります。ただ、基本的には書きたいなと思っていて、まだ作品によってはその瞬間を書いていないものもあり、それらは誰が誰に恋に落ちるのかも含めて、今後楽しんでもらえたらいいな、と思います。

 シリーズ内で書き終えているものでいうと、あえて恋に落ちた瞬間を書いていないのが、ナタリーとキースの魔法茶屋のアンジー編になります。本当は、物語を構成した時点では、恋に落ちた瞬間も書いていたのですが、出身国が違うといった意味で文化的なものも含めて、少し誰でも閲覧することのできるネット上で表現するのは誤解を生みかねないなとの判断で割愛したんです。
 その割愛した時のデータを先日発掘しまして、本に綴じこむ分には入れても問題ないかもしれないと思い、少しワクワクしながら再構成しています……!

 前回、ここは私の自由に表現する場であると言っていたのですが、私なりに自由であっても、考えた上で割愛するシーンや、言葉を選ぶときがあります。ただどうしても、物語の性質上、避けられない言葉や表現があるのも事実です。
 私の中で、恋に落ちた瞬間というのを書くのが好きというのもあり、男の子サイド女の子サイドといったような、男女を表す表現というのはどうしても多くなってしまうし、使ってしまいます。今の時代、男女の表現は相応しくはないのかもしれません。ただ、私は男女の表現は、個人としては好きなので、使うという判断を下しています。

 そして、シリーズの『その手に触れられなくても』や『未来編』ではそれなりに乱暴な言葉も登場しますし、今後も登場するときがあるかと思います。既にいくつか、入れるかどうか悩んだ表現はあるのですが、正直なところ、大切な人が傷つけられる、命がかかるといったシーンで、綺麗な言葉だけが零れ出るとは思えないのです。きっと、優しい言葉で溢れる世界の方がいいのでしょうが、綺麗ごとだけでは済まない状況も必ずあり、それらを割愛するのはどうしても私が書きたい物語にはならないな、と考え抜いた結果、そういう言葉も最低限選んだ上で書くという判断を下しました。

 物語の中のチェルシーではないのですが(笑)それらを、表現の自由という言葉ひとつで言い訳にするつもりはありません。ただ、物語を書いていて、誰かを意図的に傷付けようと思って文章を書いたことは一度もありません。

 男女の表現に関しても、男女の前に個が必ずあると思っており、だからこそ恋愛においては心が先にくるので、全てが個人の自由だと思っています。正直、性別に関わらず、恋が叶う叶わないというのは恋をした時点では誰にも分からず、その恋の結末は時に嬉しく、時に切ない時が誰しもあるのだと思います…。

 なので、私は神社などで行われている大祓になるべく行かせてもらうようにしています。最初は何をしているのか分からず、神社でたまたま遭遇して、何かやってる!とうのがきっかけでした。
 それを調べたら、人間は生きているだけで罪穢れていくので、それらを祓う的なことが書かれていて、少し複雑な気持ちになったのを覚えています。(※これは当時私が調べて偶然目にしたもので、これらの意味は大祓をされている所によって少しずつ細かい部分や由縁が違う場合があります)
 一生懸命生きてるのに、生きているだけで罪穢れが~なんて言われたのが衝撃的で、そしてすごくショックで、その意味が最初分からなかったのです。正直、神社などへお参りさせて頂くときは、何かの節目であったり、神様頼みしたい時であったり、観光であったりするので、つい優しさを求めてしまっていた自分がいて。(笑)

 ですが、自分の人生の中で辛い状況であったときに、ふとした言葉に傷つき、ふとした言葉に救われる、というのを経験したことがあるんです。その人は悪気なく、環境が違うからこそ、発した言葉であったのに、当時の自分には泣いてしまうくらいに辛く、その人は何気なく、私の状況を知らないからこそ発した言葉であったのに、当時の自分には泣いてしまうくらいに救いだったんです。
 それらを実感した時に、私もきっと同じことを気づかない間にしてしまっているのだろうな、と思ったんです。誰かの何気ない言葉に傷ついて救われているように、きっと私の何気ない言葉で傷つけてしまったり、逆に誰かが笑ってくれているのかもしれないな、と。
 その時から、確かに生きているだけで罪穢れがあり、大祓で祓ってもらうということの意味を自分なりに見つけたような気がしました。
 ひとりひとり環境も性格も違うからこそ、何気ない言葉で傷つき、傷つけられ、そして言葉や言葉に準ずる媒体を使う時点で、それらは避けられないのだろうと。
 だから、私は言葉を扱っているからこそ、自分の言葉で誰かを傷つけてしまっているかもしれないというのを忘れないために、大祓になるべく行かせてもらうようにしています。赦されるためであり、気をつけて言葉を扱おうという、心がけを大切にするための自分の中のイベントです。

 こうやって語っていますが、普通に日常生活では泣き言をいい、喧嘩したら普通にガンガン言っちゃうときありますが…。それらも含めて大祓に行かせて頂こうと……思います!

 そういう意味では、言葉遊び的なものも大好きで、『やくどし』の時に私は言葉を変換して、自分に言い聞かせて生きるようにしています。
 諸説あると思うのですが、その中の何かの記事で、厄年というのは、年齢によっては昔は結婚や出産が早かったので、子育てや忙しい時期が落ち着いた人に村の役が回るように、『役の年』が設けられて、それらが役年となり、そこから色々加わって厄年になったと。
 それを見た時に、誰かのために役を勤める役年なら素敵だな、とすごく思ったんです。

 だから、厄年は人生の中で、役のある年で役年。それで、自分に何か役があるなら、飛躍する方がいいから、絶対に躍年!

 そうやって、厄年の時は躍年と自分に言い聞かせています°˖✧
 気にしないのが一番かもしれないですが、私は気にしてしまうタイプなので!(笑)
 もちろん、諸説ありますし、かつて読んだ記事も朧げな記憶なので、私が厄年からの役年で躍年に変換するのが好きという、本当にただの独り言です!

 お付き合いいただき、ありがとうございました。

はるぽ
まとめ。星のカケラのrieさんが描いてくださったイラストがめちゃくちゃ可愛い♡私なりに精一杯、言葉やシーンを選びながら楽しく書かせてもらってます!(笑)

✾余談✾ ~私の中の一目惚れ~

 そういえば、誰か相手のいる恋に落ちる瞬間というのは人生において回数が少ないと思うのですが、日常生活では意外に多いなと思いました。私は、お出かけ用の靴や鞄は一目惚れしたものをよく買います♪
 靴なんて不思議なもので、サンダルはひと夏の恋で終わることもあれば、ブーツは冬限定の恋。時々ちゃんとお店で試させてもらったのに、いざ使えば靴擦れができて。しばらくしたら靴擦れも治り仲直りする恋もあれば、最後まで合わずに数回しか一緒に歩いていないのにお別れする恋があります。数回でのお別れは未練が残り、もう一緒に歩かないのに、下駄箱でしばらく眠ってもらっていたり…。
 私の場合はフォーマル用の靴は、大抵の場合、喧嘩しながら無理矢理お付き合い願うパターンになります。毎回、ちゃんとお互いにフィーリングを確認して相棒になってもらうのですが。(笑)喧嘩して、そのまま懇願しても振られてしまった子がいて、私は熱烈に一目惚れした靴だったので、お別れしても尚、まだ未練が残っている子がいます…笑

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