オリジナル小説

タルトタタン

2022年3月10日

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タルトタタン

 本当は二セット洗うはずだった食器を、一セットだけ洗い終えて、シンクの上で指から滴る水の粒を落としていく。

「……今日も、帰ってこなかった」

 あなたの分を作り置いては、冷蔵庫に保存して、でもそれらは食べられることはなくって、次の日の私のお弁当にそっくりそのまま変わる。

 それでまた一人きりの家に帰ってきて、そのお弁当へと変わってしまった空の食器を、また一セットだけ洗う。

 本当は夕食と昼食のメニューが一緒なのは飽き飽きしているのに、やっぱり、二人分の材料を刻んで、それで、考えごとをしながら調理していたら、いつの間にか二人分の夕飯が出来上がっている。

 なるべく、あなたの好きなメニューの、ローテーション。

 それで、今日は帰ってくるかもしれないから、とまだ水滴の残った洗いたてのその食器の横に、昨日のうちにきちんと洗っておいた食器をちゃんとペアで並べて、当たり前のように作った二人分の夕飯を、よそう。

 知ってる? いつも、あなたの方が私の分よりちょっと多いんだから。

 手を拭き終えて、恨めしく冷蔵庫の方を見ながら、呟く。

「太ったら、どうしてくれるのよ」

 私がいつも0.8人前、あなたがいつも1.2人前。それで、二人分なのに。

 それなのに、毎日、毎日、私だけが、一緒に食べるはずだった二人前の食事を一人で食べている。

 いつも取り合うテレビは独り占めなのに、全く、笑えない。

 いつもお風呂にあなたが爆音で聞く音楽が響いて来て、ちょっと煩いくらいだったのに、ここ最近、すごく静か。

 水滴の音って、こんなに寂しかったのね。

 一人きりの部屋は、なんだかいつもより暖房の効きが悪く思えるのは気のせい?

「寒い」

 お風呂上りにこんなに湯冷めを気にするのは、初めて。
 私だって仕事頑張ってるし、帰ってきてからご飯だって作って、洗濯だって、してる。
 正直、一人暮らしだったらこんなに真面目にご飯なんて作らないし、洗濯だって一人分だと量が少ないから、もうちょっとサボれるのに。

 ああ、そうか。

 そういえば、洗濯だけはあなたの分もしてる。

「ムカつく」

 ムカつくのに、その洗濯物だけが、私を安心させてる。

「最悪」

 夜は節約だって言って暖房を切って狭いベッドで二人で丸まって眠るのに、一人だから暖房が切れない。

 本当はね、クタクタ。だから今すぐにでも眠りたい。

 だけど、ムカつくから、テレビもつけずにベッドの上に足を抱え込んで座って、ぼんやりするフリして玄関をみつめてる。

 時計の針の音だけが響いて、ついに長針と短針が重なり合って、仕方がないからクローゼットから毛布を引っ張り出してきて、暖房を切って、また一人で眠る。

 瞬きをして、ついうっかり涙が零れたら悔しいから、そのまま一切、朝になるまで瞼は開かない。

 私が疲れ切って目を開くことが出来るか、出来ないか。その時間帯に鍵がそっと開く音がして、ずっと待っていた手が、私の髪を撫でる。

 目を開きたいけれど、私は開くことができない。

 ねえ、毎日、どこに行ってるの?
 なんで、帰ってきてくれるのに、帰ってきてくれないの?

 言葉を紡ぐのが怖くて、だからやっぱり、私はあなたに気づいても狸寝入り。

 数分ほどベッドの傍に腰掛けて、あなたはまた、シャワーだけ浴びて、着替えて去っていく。

 その香水の匂い、最悪。
 私の好きな、あなたの香りじゃないんだもん。

 バーカ。バーカ。バーカ。

 もう一度静かに玄関が閉まる音を確認してから、私は瞼を閉じたまま、我慢していた涙を枕の上に零す。

「……っつ」

 泣いてないし。泣き声なんて出さないし、目から零れている水滴は、別にあなたを想っての涙なんかじゃない。

 ただ、暖房で、目が乾燥しているだけ。

 だって、あなたは私が一人でも暖房我慢してるなんて知らずに家を出て行くんだから、暖房はつきっぱなしのはずでしょう?

 ぎゅっと唇を噛み締めて、浅い眠りのまま、いつもより早く鳴る目覚ましの音を待つ。

 

 

 

「……最悪」

 知ってる? 目が腫れたらメイクのりが悪いから、いつもよりも早く起きて、それで、念入りに洗顔して、冷やさないとダメなんだから。

「ほんと、最悪!」

 それでまた、私は冷蔵庫を開けて、自分のお弁当に昨日の夕食と全く同じメニューを詰めていく。

「冷蔵庫の中くらい、みろ! バーカ。バーカ。バー……」

 これ以上独り言をつぶやくと、自分自身が一番バカだと気づいてしまうから、もう言わない。
 せっかく冷やしたのに目元がまた腫れたら困るから、だから、自分に言い聞かせる。

「別に、一人暮らしの、練習中」

 いよいよ本当に物件とか探し回って、それで色々と……

「準備、した方が、いいのかなぁ」

 流石に、香水の匂いはキツイわ。

「やっぱり、私が一番バカ」

 ああ、とうとうバカなことに気づいてしまった。

 

◆◇◆◇

 

 限界まで、動き回る。極限まで、手を動かす。正直、一分一秒でも長く、眠りたい。

 だから、家に帰る必要は、ない。身体的には。
 だけど、家に帰らないと、もたない。精神的に。

 新しく決まった仕事が忙しくて、ほとんど会社に籠もりきり。
 スマホを触る暇もないし、それに、締め切りも迫ってる。

「大迫君、もう仮眠室使いなさいよ。効率悪いじゃない」
「いえ、どんなに遅くなっても、一回は家に帰るって決めてるんで」

 そう新しい上司に笑顔で告げて、ヨロヨロのまま、駅へと向かう。
 終電は過ぎてしまったから、始発ギリギリまで作業して、それから自宅まで1時間、スマホを握りしめて、タイマーかけて電車の中で眠る。

「なんで連絡ないんだよ……」

 ただ電源を入れても、そこにはつまらないセール情報とか、割引クーポンの通知だけで、肝心なお前からの連絡が、来てない。

「いっつも、俺だけじゃねーか」

 ムカつく。

 たまには寂しいのひとつくらい、無いのかよ。
 何してるのとか、聞かねーのかよ。

 ただ微睡みの中で思い浮かべるのは、やっぱりお前が笑ってる姿だから、まあ、いい。
 あとちょっとなんだ。

 そうしたら、さ。

 

 

 バイブレーションにしていたタイマーが掌で震えて、慌てて飛び起きて、駅から速足でアパートに向かう。

「さっみぃ」

 吐く息が白くって、どうせ駅までの5分くらいの道だから、荷物はポケットに入る分だけ。スマホと財布とお揃いのキーホルダー付きの鍵。

 きっとまだお前は眠ってるだろうから、なるべくそーっとドアを開ける。仕事の日に起こしたら機嫌悪くなるからな。

 はは、眠ってやんの。
 全然、寂しそうじゃねーじゃねーか。

 ムカつく。

 でも俺は待てなくて、そっと髪を撫でる。
 本当は抱きしめたいけど、起こしたらダメだから。数分だけ寝顔をみて、シャワーを浴びて。着替えて急ぎ、会社に戻る繰り返し。

 毎日、あえて、目立つところに洗濯物を置く。

 俺は帰ってきてるからな。
 お前に会いに帰ってきてるんだからな。
 忘れんなよ。

 ……洗濯物だけさせんなとか、後で怒りそうだけど。
 ……全然、今月は家事もしてねぇけど。

 その代わり、絶対に、もっと喜ばせてやるから、ちょっとだけ、ごめん。

 そっと鍵を閉めて、また駅まで走る。

「やっべぇ。乗り遅れたら、座れねぇんだよ」

 流石にちょっと寂しくて、お前の寝顔見過ぎたかも。
 何とか飛び乗った電車で、またタイマーかけて、1時間ほど、うたた寝をする。

 新しい会社はお前の会社寄りだから、引っ越してもいいかもな。それで、この仕事が上手くいったら、いつかはさ。
 お前はあんまり考えてねーかもしんねぇけど、まあ、いい。
 あとちょっとなんだ。

 そうしたら、さ。

 

◆◇◆◇

 

 だけど、やっぱり、悔しいから。バカな私だってすごいんだって、証明してやる。

「おはようございます」

 目の腫れを何とかして、バッチリメイクで隠して、それでこうやって、笑顔で挨拶して出勤する。

「あ、広瀬君、ちょっといい?」

 そうして呼ばれたのは、上司から。

「どうだい? このプロジェクト、やってみないかい?」

「ほ、本当に私がですか?」
「ああ。先方も、是非、君にとのことでね」

 そう言われて、心躍る。

「あ、ありがとうございます!」
「ああ、それでなんだけどね……」

 突然舞い込んできた、新しいプロジェクトの仕事。

 先方との打合せで、少しオシャレなカフェへと向かう。

 順調に打合せをしていると、先方に電話がかかってきて、急ぎの案件で、資料がないと受け答えが難しそうな雰囲気だったから、会釈をしてあえて席を外す。

 その隙に、少しだけお手洗い。
 どれくらい時間を潰そうかな。

 長すぎてもよくないだろうし、早すぎても気を遣わせちゃうし。

 そうしたら、同じカフェの片隅で、よく知っている顔を見つける。

「……嘘」

 思わず、声が漏れる。だけど、大丈夫。誰にも聞こえてないと思うし。

 一カ月ぶりに見るあなたは、とても嬉しそうに、笑っている。

 綺麗な髪の長い、眼鏡の似合うスレンダーな女性と一緒に。

 ああ、自分がバカだと気づいただけでなく、認めさせられちゃったじゃない。

 遠目からでも眼鏡越しに綺麗な瞳が瞬きして、形の良い唇で、あなたに向かって言葉を紡いでいて、それで、あなたが一番嬉しい時の笑顔で話しているのが、分かる。

 香水。

 その匂い、私、嫌いだったの。
 でも、なんか分かるな。
 その人に合いそうな匂い。

 綺麗で、仕事が出来そうで、だけど、大人っぽいのに少し甘さの残る、香り。
 ちゃんと自立していても、可愛さの残るような、そんな人に似合うような、香り。

 だから気づかないフリをして、私は通り過ぎる。
 できれば香りがこちらまで漂わない道を選んで。

 それなのに、どうしてこういう時だけこっち向くのよ。

 あなたに釣られて、女性までもがこちらを振り向こうとする。

 私そんな綺麗で可愛い人と視線を合わせる自信も、心の余裕もないんだって。
 あなたは私の気持ちなんて何も知らないし、逆に今何を考えているのかも、分からないけれど。

 私は気づかなかったフリを押し通して、そのまま顔を背けて歩き続ける。

「み……」
「広瀬さん! お待たせしました。申し訳ありません」

 電話を終えた先方が笑顔でこちらまで呼びに来てくれて、心底ほっとする。

「いえ。お気になさらないでください」

 むしろ、ありがとうございます。こんなに誰かに、それも仕事関係の人に仕事以外で感謝したのは初めてかもしれない。

 心の底から、泣きそうになるのを何とか抑えこんだ、力の抜けた笑みが漏れた。
 気を抜いたら泣きそうだから、だから、席に掛ける前に一度だけ、心の中で悪態をつく。

 バーカ。バーカ。バーカ。

 もっと分からないところで、浮気しろ。
 というか、浮気するなら、別れてから次に行け。

 香水の香りが移るくらいに一緒にいるって、何事?
 もうそれは、そういうことでしょう?

 別にちゃんと一人でやっていけるくらいは私だって、稼いでる。
 ちょっと大変だけど、やっていけるから、そんな同情で家に置いてもらってるみたいなの、絶対に嫌。

 同情でズルズルしてるなら、もう、私に構わないで。

 

 

「さっき、どこまでお話進みましたっけ?」
「あ、えっと。確か、次の企画の撮影場所です」
「そうでした。次はこちらの資料を……」

 私は仕事まで失う訳にはいかないから、意地だけで、目の前の男性の話に集中する。

「……え、本当ですか?」
「はい。そういうことで話が進んでいるので」

 ムカついて、最悪で、惨めな一日に、僅かな光。

「ぜひ、お願いします!」
「はい。では早速週明けから……」

 仕事が、大きく進んだ。私、正社員になれるかも!

 

◆◇◆◇

 

 ほんの少し苦くて、甘酸っぱいタルトタタン。

 土台のタルトの甘みと、カラメルの苦みと、リンゴの酸味。

 それはまるで、繰り返される月日を一緒に過ごしてきた私たちみたい。

 私たちが導き出す答えは、甘みか苦みか、それとも酸味か。

 ねぇ、どれ――……?

 

◆タルトタタン◇

 

つづきは本にて

 

短編集『死神のホワイトチョコレート』に収録中♡

男女の目線交互に物語が進んでいきます。中編作品になります🍎

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❁はるぽのアトリエ❁

はるぽのアトリエ:https://haruposatelier.booth.pm/

 

世界の子どもシリーズも、星のカケラも、短編集も、はるぽの和み書房やpixivFANBOXで一度、掲載したものをまとめたものになります。そのため、本を手に取って下さる方に少しでも楽しんで頂けるよう、どの本にも書き下ろしの番外編や短・中編作品、あとがきを入れるようにしております!こちらは本のご購入を検討中の方向けの試し読み用のため、予告なく公開を終了する場合がございます。何卒よろしくお願い致します°˖✧

 

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