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私の頭の中~マスクの有無と得意不得意と好き嫌い~

2022年7月19日

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はるぽ
いつもの独り言♡

 久しぶりすぎて、いつも冒頭はどのように書いていたのか忘れてしまいました。少し前のブログを見返そうかなと思ったのですが、恥ずかしくなってきたので、見返して恥ずかしさに負けて書けなくなる前にやっぱりそのまま書いてしまおうと決意して、書いています。(笑)

 ブログでもそうなのですが、過去の作品や、過去に書いた何かを見返すときはどうしても、恥ずかしい気持ちになります。連載中の作品はそれらに集中しているのでよいのですが、例えば、書き終えた作品を本にまとめるときなど、少し期間が開いてしまうと、色々、つい手を加えたくなってしまいます。誤字脱字に関しては、可能な限り直してもいいかなとも思うのですが、細かい表現というのを、何処まで直すか、というのは自分の作品であっても、悩んでしまいます。

 何となくなのですが、子どものらくがきが成長と共に絵がどれほど上手くなっていても、当時のままの幼い絵そのものに懐かしさを感じたり思い出として残るように、未熟であってもその時にしか書けない作品があるのかな、と思うからです。

 なので、今は何を書きたいかなと考えた時に、今の時代を生きるからこそ、マスクをテーマにした作品は自分の中のチャレンジとして残しておきたいなと思い、少し前に短編をひとつ書きました。読んでくださった方は例の作品です。そして読んだことないけど気になると言ってくださる方は、よかったら短編コーナーを覗いて頂けたら幸いです…!

 私の中で、挨拶ってとても大切だと思っていて、大切だと思うからこそ、結構勇気がいるときもあると個人的に思ったりしています。そんな中で、このマスク一色の世界になってから、一人でショッピングモールに買い物に出ていた時に、部活終わりらしきジャージを着た女学生とすれ違ったことがあったんです。その女学生は、私をみるなり「あっ」みたいな顔をして。何だろうって思ってたら、そのまましっかりと目を合わせて、わざわざ姿勢を正してから、きっちりとしたお辞儀で挨拶をされたんです。全く知らない子だったんですけど、醸し出される空気から、あ、OGと間違われてる!と思って、でもすれ違い様なので考える時間がなくて、頭の中の一瞬の判断で、とっさに私も視線を合わせて、ちょっと真面目な雰囲気作って、軽めのお辞儀で挨拶を返しました。(笑)

 全く知らない子だったのだけれど人違いで挨拶されたから、そのまま私も挨拶返したって話すと、結構みんなに笑われちゃうんですけど(笑)

 でも、一般的にマスクをしていると相手の顔が全部見えなくて、すれ違い様とか自信がない時があると思うんです。それでも、その子にとって、私と間違えたOGらしき先輩というのはみんながマスクをしている人混みの中でも、わざわざ挨拶をしようって思う関係性なのだなって思ったら、無視できないなって思って。

 私ならそんな関係性の人と目が合って一瞬のすれ違い様にわざわざ挨拶したのに無視されてしまったら、傷ついたり、次回挨拶する勇気がなくなってしまうな、と。だからもし私が全く知らない子だからと無視してしまったら、その女学生は勘違いしたままなので、その子が人違いしてる本当のOGの人に無視されたと思ってしまうかもしれないじゃないですか。それなら私が挨拶を返さないことで変な誤解が生まれてしまうよりも、私が挨拶を返すことで、もし次回本当にその女学生が本物の先輩と再会した時に、挨拶がきっかけで会話が始まる方がいいなって思ったんです。

 そしたら、その女学生たちは挨拶したのが知らない人だったというのを誤解したままでも、前回ショッピングモールで会いましたよね?ってなって、そうしたら、え、会ってないよ? え、挨拶したじゃないですか~!とかなって、あの時の挨拶は人違いだと気付いた時に、あの女は誰だ、と会話のネタに笑ってくれたら、楽しいだろうなって妄想してます。(笑)必要のない勘違いで仲違いするより、全然、そっちの方がいいなって。ちょっと、私、怪しい奴ですけども。(笑)でももちろん、私も変な奴として変な噂になりたくはないので!ちゃんとお辞儀の範囲は人として道譲ったりとかする時に会釈するようなのと、知り合いだけど声出すには距離があるよね的な時に行うのの中間くらいにしておきました。なので、私も女学生たちもきっと色々大丈夫です(笑)

 それで、私自身も勝手に妄想して、笑ってくれてたらいいかなって気分よく思えるので、挨拶って悪くないなって思うし、そういう風に挨拶できるあの女の子は素敵だな、OGの先輩といつまでも仲良くあってほしいな、私も挨拶とかちゃんとしたいなってなりました。

 そうしたらこの女学生に会ったことで、ずっと忘れていたのに、ある方のことを思い出したんです。私はこのマスクの世界になる前から、冬の終わりから春にかけては花粉症があるので、よく通勤時間はマスクを着用していました。その通勤途中に、何曜日かだけ、毎回すれ違う海外出身の方がいたんです。それで、またこのパターンなんですけど(笑)全く知らない方なのですが、初めてその方とすれ違った時に、感動の再会のような雰囲気で「あっ」みたいな顔の後、とても素敵な笑顔でお辞儀で挨拶されて。それで私一応、英文科卒でして……異国の地で挨拶する勇気的なのに思うものがありまして。その時も、これはっと思って、まさかこの後毎週すれ違うことになるなんて思ってなかったので、そのまま私も笑顔で何となく挨拶を返したんです。

 そうしたら、そこから不思議なマスク越しの笑顔のお辞儀挨拶というのが、毎週文通のように続きまして。(笑)

 でもあるとき、違う曜日に一本早い電車で通勤してコンビニに寄ったら、その方とコンビニで遭遇したんです。その時にその方がスマホを取り出して、「よしっ」みたいな空気で私に声をかけようとして下さって。その何回か前から、どうしようかな、って悩んでるような雰囲気のまま、お辞儀の挨拶を続けて下さってたので、予兆はあったんです。それで、ああ、流石に連絡先を交換しても、私はその人にはなれないと思いまして。その時は正直にすみません、的な表情でお辞儀してそのまま急いでるような雰囲気で去ったんです。でも、その時のその方の顔がとっても悲しそうで、胸が痛くて。私も本当に、からかってるとかそういうのではなくて、連絡先を聞きたいと思うような方との勘違いで、しかも異国の地での日本人の知り合いの方と間違われてると思うと無視するに、無視できなくて、罪悪感ありつつも言い出せず、ズルズルと挨拶文通をしてしまっていたので、黙っていることで悲しませてしまったと思ってすごく反省したんです。

 なので、その次のすれ違う時にマスクをわざとずらしてみたんです。そうしたらその方すごく驚いていて、だから前回のコンビニで急いで去ったのね、的な空気になって。(会話はありません。表情とリアクションのやりとりです)もう一度すみませんの意味で、私もお辞儀を返して。それきり、その後もすれ違うことがあったんですが、ただすれ違うだけで、その方とのお辞儀の挨拶は終わってしまったんです。

 ですが不思議なもので、またある違う曜日に、コンビニでその方と再び出会ったんです。それも、入口の所でコンビニから出る側と入る側で、道の譲り合いになって、左右同じように動く感じで「あ、あ、あ」とお互いに前に進めなくて。最初は足元しかみてなかったんですけど、顔をあげたら、その方だったんですよね。お互いに顔見た瞬間に、「あっ」となって、自然と二人で笑い合って、道を譲り合って、また笑顔でお辞儀して別れたんです。

 そうしたらその後から、またいつものすれ違う曜日を迎えたのですが、お互いに笑顔で自然と挨拶の文通が再開されたんです。その後私も異動になってしまったので、もうその方とはそれきりなのですが、人違いから始まったのに、確かに異動までの最後の何回かの挨拶というのは、私とその方とのちゃんとした挨拶だったんです。

 名前も知らないその人のことを今でも覚えていて、異国の地でも挨拶をする勇気をもつ素敵な笑顔の方だったので、ああ、今もその方が笑顔で幸せに過ごしてくれたらいいなあとふっとマスクをきっかけに、思いました。

 そして、コンビニでもう一度再会したこととかを思うと、その方は本当に素敵な女性の方だったので、もし私がイケメンの男性だったらラブロマンスが始まっていたかもしれないな、とも改めて思って、ふっと笑みが漏れました。(例えの表現なので、恋愛に関しては男女関係なくご自身の思われるものを大切に、作品でもブログでも、これらは一例として聞いて頂けたらなと思います…!)

 こんな風に自分の中ではマスクのエピソードというのがいくつか他にもあるのですが、印象的なのがこの2つでした。特にマスク一色の世界になってからの、女学生の勘違いの挨拶がきっかけで、今の時代を生きるならマスクの物語を書きたいとなったのですが、同時に思い出した挨拶文通に関しては、あの時の気持ちは大事にしてもエピソードを物語として使いたくないな、とすごく思ったんです。例えばこれを男女に置き換えてそのまま恋愛のストーリーにすると運命的な感じになるかもしれないし、取り入れたら面白くなるかもしれないのですが、何となく、これは名前の知らない方だけれど、私とその方だけの思い出のままにしたいなと思ったんです。けれど、私にとってマスクに関するすごく特別な思い出なので、ブログに綴ってみました。

 創作をしていると、経験をそのままエピソードとして取り入れるという方もおられるかもしれないし、想像や空想から全く違うものを取り入れて創られている方もおられると思います。
 私も経験からくる感動や感情というものは大切にしていますが、都度、自分では上手く言葉にできないのですが、それらがきっかけで書きたいとなったり、これはあえて書きたくないとなったりします。

 人って得意不得意があると思うのですが、それらは物事の特色としてもあると思っています。そういう特色というのは創作物にもあり、例えば私は文章をメインで創作を行っていますが、他のジャンルの作品をみさせて頂くのもすごく好きだし、とても尊敬もしています。私はレジンとかで色を重ねるのは好きなのですが、イラスト自体を描くのは得意ではないので絵が描ける人はすごいなって思うし、音楽を聴くのも好きだけれど、作曲だってできないし、映画やアニメも好きだけれども、映像を作るなんてすごいな、となります。(すごいしか言えてないですね!語彙力!笑)

 そして絵には表情がつくし、そのワンシーンのイメージを強く伝えることができると思うし、音楽には曲だけでなく歌詞がついて歌ったり、誰かが演奏したり体感に変わりやすいです。そして、映像は時に音楽と融合したり、ストーリーがあって、イメージもしやすくて、と得意とすることやその表現のバリエーションは多いと思います。(これも一例で、もっともっと、色んな素敵な面があると思います)

 そんな中で、文章が得意とすることは何かなと思った時に、文章だからこそできる遊びというのを、短編なら短編として、長編なら長編として、自分自身が楽しむために、そして読むというのは結構な時間を頂戴するので、読んでくださった方に少しでも文章が得意とすることを楽しんでもらいたいなという想いで、私なりに書いています。

 個人的な感覚なのですが、文章というのはイメージを伝えるというよりは、イメージを読み手に任せて、してもらうという特色が強い気がするのです。
なので、私は脳内にイメージが浮かんで書くタイプなので、絵が描けたらもっと伝えられるのになとなるときはあるのですが、絵は得意ではなくて(笑)
だから、書くというので、読み手のイメージに頼るからこその書き方をする時があります。(イメージに頼るからこそ、それらは伝わっていても伝わっていなくてもいいし、だけど、こんなこと言って、もし私だけしか分からないようなストーリー展開のものばかりだったらすみません…!)

 今までに書いた作品でもそういうのは取り入れているのですが、ここ最近では短編ならば『放課後に降るサイコロの雨』で、中編ならば『ホラー・ミラー・スケルトン☆』で、長編ならば『星のカケラ』でそれらをたくさん取り入れてみました。『放課後に降るサイコロの雨』はシンプルなので結構分かりやすいかなと思うのですが、『ホラー・ミラー・スケルトン☆』に関しては、人の感じ方によって変わるので、少しわかりにくいかなと思うし、わかりにくいからこそ、テーマと共に密かに楽しんでもらえたらいいなって思いで書きました。そして、『星のカケラ』自体は長編なので文章自体ではなく、番外編をたくさん組み込むことで、構成自体を文章ならではの楽しみ方として楽しんでいただけるように書いたつもりです。

 また『星のカケラ』では番外編だけでなく、特別編も書いているのですが、それらは得意不得意というのを得意と苦手をテーマとしても取り込んで、物語を書いています。

 これは星のカケラを書き終えてでも話しているのですが、私自身も書いていて、苦手の壁というのにぶつかりました。それで不思議だなと思うのですが、好きなことでも続けていたらその中でさらに得意なこと、苦手なことにぶつかるときがあり、そういうのは好きだからこそ、苦手にぶつかると余計に辛く、好きだからこそ夢中になって続けられる可能性があるのだろうなと思いました。そして、その逆で嫌いなことのなかにも、きっと進んだその先に得意なこと苦手なことがあるのだろうな、とも思ったのです。

 よく子どもが学校で国語は好きだけど算数は嫌いだから、嫌いな科目は勉強したくないとか、理科とか使わないから勉強しなくてもいいんじゃないって、言うのを耳にするのですが。
 私自身も得意をたくさん伸ばして、好きをたくさんたくさんしたらいいと思います。合わないものを無理に続ける必要もないのではないかな、とも思っています。けれど、好きなもってやっぱり、嫌いなものを知らないとどれだけ好きなのか分からなかったり、知らないところで好きを続けるために嫌いなことの勉強の一部を使わないとダメな時もあるのだろうな、と。そして、そういうのにぶつかったとき、得意と苦手や好きと嫌いは分かっていないと、進むために何をしたらいいのか悩むのだろうなと思いました。苦手もいつしか続けていたら好きになるかもしれないし、嫌いもいつしか続けていたら得意になって、それほど嫌いではなくなるかもしれません。

 でも、これだけ苦手と嫌いも続けると意味があるというような話をしていると同時に、残酷ではありますが、人には向き不向きというのもあり、どうしようもなく変わらない苦手や嫌いがあるとも思っています。そういうものに対しては、やっぱり無理に続けなくてもいいし、挫折という言葉になってしまうのかもしれないですが、違う道を選ぶのも時に大切だったり、得意を伸ばすことの方に時間をかけることがいい場合もあるのではないかとも、思います。

 けれど、こういうことに感情はつきもので、頭で分かっていても心が追いつかない時があり、それでも時間というのは進んで行くので、どうしようもなくても、前に進まないとダメな時があります。
 そういうのもまた、私なりに『星のカケラ』や『ホラー・ミラー・スケルトン☆』、『放課後に降るサイコロの雨』に詰め込んでみました。

 また作品には評価もつきもので、自信があります!と言えたら一番良いのですが、自分でも独特の書き方してるかもしれないな、という自覚はあるので、文章を書くのが得意、文章に自信があるとはなかなか言えない自分がいます。ですが、苦手にぶつかりながらも自分の好きなことを詰め込んだので、書き終わった時に、自信があるの!とは別の、自分にしか分からない、書けたの!みたいな喜びがあり、私が私の好きを続けるためには、この感覚を大事にしたいなと、この春から夏にかけて色々な作品を書き終えて、強く思いました。

 そしてこれだけ、好きを伸ばして、無理に嫌いはしなくていいと自分でも思ってるしここで綴らせて頂きながらも、自分がそれを出来てるかというと、情けないくらいにできていない時も多々あります。子どもには好きなことをたくさんさせてやりたいと思うのですが、やっぱり仕事の時は構ってあげられないし、疲れていたらなかなか思うように理想の育児というのができません。また、好きだからといって、毎回遊園地へと連れて行ってあげられる訳ではないし、嫌いだからと毎日はみがきを拒否された日には普通にめちゃくちゃ怒ってしまう自分もいて、後で怒ってしまったことに反省するのに、同じことを繰り返してしまったりします…(笑)
 そして、自分自身の仕事や創作のことも上手くできなくて悩んだり、そうなると子育ても仕事も創作も全てのことが自分にとって苦手にみえてしまったり、けれどやっぱり子どもは大切だし、仕事しないと生きてけないし、好きで書くのはやめられなかったりと、不器用な自分がいます。未だに、自分の得意と苦手はなかなかわからなかったりします(笑)

 そんな私ですが、環境的に最近少し落ち着いたのがあり、どうやってこれから生きていこうかなと改めて向き合う機会がありました。今年は本当に色々あったので、作品を書き、色々考えながら、私は楽しく生きていきたい、と強く思ったんです。だから、これからは『楽して生きる』というのを目標にしたいな、と。
 楽して生きるというのは、さぼったり、ズルしているという意味によく捉えられがちかなと思うのですが、文字通り、楽という部分に楽しいという字が使われているあたり、楽しく生きるということに繋がると思うのです。

 楽しいと思えることとは、時間があっという間に過ぎ去ります。例えば苦手なことをするよりも、得意なことをする方が作業はスムーズで短い時間で何かを成し遂げることができます。そうすると苦手なことをするよりも時間に余力が生まれ、その時間をたくさんの楽しいことに使うことができます。そして例え苦手なことでも、好きなことであれば楽しくて無我夢中で取り組み、いつの間にかしんどい時間さえも忘れて時間が過ぎ去っているかもしれません。
 だからそういう意味で楽しく過ごせるようにしていたら、自然と得意なことや好きなことで時間を上手に使って、楽して生きる、になるのではないかな、と思ったんです。

 そして私自身もしんどいことは正直、ごめんだわと思うので(笑)シンプルにそういう意味でもズルするとかではなくって、自分の得意と好きを上手に使いながら、楽して生きたいと思っています。

 気が付けばいつもよりも超ロングな独り言になってしまったのですが(すみません)、それにこうやって目を通してくださっている方もまた、挨拶の女学生ではないですが、とても優しい方なのだろうなと思います。そんな優しい皆さんにとっても、楽して生きる道がそれぞれで既に見つかっている、もしくはこれから先、見つかればいいなという願いを込めて。

 ご閲覧ありがとうございました°˖✧

はるぽ
まとめ。マスク越しのラブロマンスが始まるのはきっと、その人たち次第♡(笑)

 

 

☆余談~私の続けようと思った瞬間~☆

 私自身、ブログを書くことやホームページとかの運営を続けるのかどうか、悩む時がよくあります。これから先も、日常は動くので決断を迫られる機会はあると思うのですが、悩んだ末に、今はとりあえず続けようと思ったのが、有名な作品のヒロインとヒーローに感動したのがきっかけだったりします。

 なんか、ブログ綴ってると特に思うのですが、日ごろから私は心の中の独り言と、頭の中での一人脳内会議みたいなのが頻繁にありまして。(笑)みんなそんなものだと思っていたのですが、人と話していて、それはどうやら人によって違うということと、多分人よりそれらが多いということに気づきまして(笑)でもどうしようもないし、自分やばいかもと思ってたんですけど、カタリナが脳内会議してるのを見て、ツイッターで炭次郎が心の中の独り言今日も多いなってみんなに言われてるのをみて、「私も一緒!」と安心したんです。ああ、こんな人他にもいたんだなと。(キャラですし、カタリナや炭次郎みたいに自分がすごいとかではなく、独り言が多い感じがという意味です!ファンの方、すみません)

 そして、カタリナも脳内会議して道切り開いて行ってるし、炭次郎でさえ心の中の独り言多いんだから、私も多くていいんじゃないかなと素直にいい意味で笑いながら思えた時があって。その時に、ああ、だから私は書くのをやめられないのだろうな、とも思ったんです。創作をしていると、書く意味について考えることがあったのですが、私は多すぎる心の中の独り言を作品やブログに無意識に出すことで生きてるのだろうなと思ったその時に、自分にとって書く意味というのは絶対にあるな、となりました。

 では書くというのに焦点をあてた時に、日記帳のように一人黙々と書くのでもいいのじゃないかと自問自答するのですが、写真と一緒に何かを表現したり、ブログで独り言を書くのも手書きより打つ方が速いので、全然、自分のために、一旦続けたらいいのかな、と思えて、今に至ります。独り言の多い自分はカタリナと炭次郎に勇気をもらって今も続けています。

 私も曲りなりにも作品を綴っているので、自分がそうであるように、他の誰かの何かに繋がったり、お気に入りのキャラたちを誰かに届けられたらいいなと思います!そうなれるよう、日々、精進したいと思います!

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