その手に触れられなくても~episode1.2~
こちら直接的な表現はありませんが、一部、災害を連想させる描写があります。苦手な方は無理に読まないようにどうかご注意ください。(前半部分は問題なくご閲覧頂けます。❁❁❁の後から特にご注意下さい)
あれ、ここ、どこだっけ?
微睡む視界の向こうで、自分と大好きなあの人が一緒に、笑っている。
大好きなお花畑。
一面に咲き誇る白い花。
ああ、何の花の名前だったかな。
それで、ここはどこだったかな。
確信めいてわかるのは、きっと、大切な場所っていうこと。
そうしたら、ぎこちなくも、自分に引っ張られてあの人がいつもはしない動きを始めて、じわじわと胸が温かくなってくる。
そうそう、確か一緒に手を繋いで、くるくると踊るの。
「こっち、もっと! ほら、回ってよー」
いつもは絶対にこういうことってしてくれないんだけど。
今日は特別なんだって。
今日は私のお願い、何でも聞いてくれるんだって。
だから、お姫様になりたいって言ったの。
「ばかだな。お前は姫じゃないか」
あなたはそういったけれど、そうじゃないの。
「姫じゃなくて、おとぎ話のような、お姫様がいい。おとぎ話のお姫様はちゃんと、王子様と一緒になれるの。自分だけの、王子様。みんなのお姫様だけど、でもちゃんと、王子様だけの、お姫様になれるのよ」
「…………」
まあ、こういうの聞いてくれる性格じゃないよね。無理矢理だけど、踊ってくれただけで十分。そう思って、困るあなたにむかって適当に笑って家に戻ろうとしたら、腕を掴まれる。
「え?」
振り返ると、真剣な眼差しでこちらを見つめるあなたと目が合った。吸い込まれそうな、紅い瞳。ほんの少し茶色がかって見える瞬間があって、綺麗って思うのに、瞳が揺れるとね、その奥にあるもっと熱い炎のような紅が、またその茶色を飲み込むの。いつだって綺麗で、目が合うたびに、宝石のように、毎回色を変えていくの。
ずるいわ。そういうのって。目が離せなくなるし、本当に吸い込まれたらどうしてくれるつもりなのかしら。
あなたの瞳に囚われた私は、あなたの虜。抗えないの。
あなただけの、お姫様がいい。私だけの、王子様でいてほしい。
私を決して他の男に触らせないで。あなたを決して他の女に触れさせないで。
……そんなわがまま、言えないけれど。
私は姫で、あなたは王子だから。
何秒見つめ合っていたのかなんてわからない。もしかしたら数秒だったかもしれないし、もしかしたら数分だったかもしれない。
ただ、私にとってはあなたの瞳に囚われている時間というのは、全てが一瞬のように感じられて、それでその時間が永遠かのように感じられてしまうの。
いつまでだって囚われていたいと、そう願ってしまうから。
そうしたらあなたが、掴んでいた腕に触れたまま、私よりも骨ばったその手をスライドさせて、今度は私の掌を握る。
そのまま私の手を離さずに、跪いて、手の甲にキスを落とす。
「俺と一曲踊ってくれませんか」
「……っつ」
再びあなたが顔をあげて、その美しい瞳と目が合う。
「……はい」
嬉しくて、少し泣きそうになったのは内緒。
だってね、いつだって、私ばっかり好きだったら悔しいんだもの。
それでね、よく言うでしょ?
重い女の子はダメだって。
わがままは言いすぎたらダメだって。
だけどね、姫はたくさん我慢しないとダメだけど、だけど、お姫様だったら王子様になら我がままを言ってもいいと思うの。たまになら。
だから、今日はわがまま聞いてね。
私は泣かずに、微笑むんじゃなくって、思いっきり笑う。
姫じゃなくて、お姫様でいいから。だから、優雅に笑んだりなんてしない。
大好きな人に向って、心のままに、笑うの。
どんな時だって、アヴァロンからムーをエスコートしてくれる時なんてなかったのに。
なのに、今日はどんな時よりもとびきり丁寧に、とても優しく、ネロがカイネをエスコートして踊ってくれる。
今度はくるくる回るような、無理矢理、ネロの手を引いて踊るものじゃなくって、ちゃんとしたカイネとネロのダンス。
ステップのあるダンスのレッスンなんて大嫌いだったけど、こうやって一緒に踊れるのなら、泣きそうになって怒られながらもちゃんと練習してよかったかも。
それで思う。やっぱりダンスもできるんじゃないって。
いつもダンスは出来ないって断ってたの、嘘なんだ。
ねぇ、これって、あなたが初めてちゃんと女の子と踊るダンスって思ってもいい?
ネロがリードしてくれるのが嬉しくって、本当なら体重なんてかけたらダメだけど、そのまま彼に身をゆだねる。
少しでも触れあいたくて。
こうすることで、あなたがいないと私倒れちゃうのよって、伝えたくて。
ねぇ、あなたが手を離したら、私、転んじゃう。
なんだかんだで優しいから、こうなったら手を離せないでしょう?
それで手が離せないから。もう少しだけ、一緒にダンスをして? 他の女でもない、私と。
距離が近づくステップの時に、そっと彼の肩に顔を添える。
チラリと見上げてみたら、ずっと騎士みたいに平然と踊ってたのに、ほんの少しだけ、頬が赤く染まってて、驚いた。
「…………」
じっと見てたらそれに気づいたらしくって、目をこちらには向けずに、ちょっとだけそっぽ向いたまま、言うの。
「……なんだよ」って。
なんだ、ネロでも照れたりするのね。私と一緒ね、一緒。
だから、もう嬉しいのが隠せなくって、こういうのって俗にいういい雰囲気っていうものなのかもしれないけど、思いっきり笑って、ステップなんてやめちゃって。それで、そのまま心のままに抱き付いちゃった。
「ううん。何でもない。何でもないの」
「あー、もう。ダンスはおしまいな」
「いや」
「これ以上は俺には無理だ」
「うん。でも、まだダメ」
「なんでだよ」
そう言いながらも抱き付いて離れない私の頭をすっごく優しくなでてくれて。
そのまままたあなたの方を見上げたら、ははっって顔を崩して笑ってくれるの。
風が吹いて、あなたの一つに束ねた肩あたりまである少し長めの髪が、私の頬に触れる。
黒い綺麗な髪が、月夜に照らされて、すごく好き。
その綺麗な髪も、ははって笑い方も、瞳も、なんだかんだで優しいのも、もう、全部が好き、大好きなの。
そのまま風が私の髪まで届いて、とうとう腰近くまで伸びた、金色の髪を揺らしていく。
同時に花びらが舞って、二人だけの世界に、華を添えてくれる。
ステップ音の響かない緑のホールに、シャンデリアの代わりの満月の月光、オーディエンスはいなくって、二人だけの世界で、拍手の代わりに花びらが優しく舞うの。
ねぇ、とっても素敵ね。
「あのね……」
「ん? 何?」
「大好き」
もう一度、彼の胸に顔を埋める。
今度は優しくじゃなくって、ぎゅっと強く抱きしめてくれて、雲が月を隠してくれたから。
だから二人だけの秘密のキスをかわす。
「俺も」
ずるいな。俺もじゃなくって、その先の言葉が聞きたいのに。
そう思うのに、言葉がなくても、ちゃんとその想いが伝わってくるから。
だから私も言葉じゃなくて、さらにぎゅっと抱き付いて、想いを伝える。
また月が雲から顔を覗かせて、少しずつ、辺りを照らしていく。
もう月が全てを明かしてしまうから、秘密のキスはおしまい。
その代わりに、月はまた、ネロの美しく紅い瞳を映し出してくれる。
ずっとずっとみていたい、炎。
私の心を熱くさせる、真っ赤な宝石。
あのね、ずっと、怒られるから言ったことなかったけれど、ドレスと一緒に宝石を身にまとうのが時々重くて嫌だったの。
だけど、少しずつ大人になって、分かった気がする。
女性がドレスに合わせて宝石を選んで身に纏うのはきっと、好きな人をずっと、いつだって傍に感じたいからだわ。自分が一番、綺麗な時に。
私はいつだって、あなたの瞳のような、真っ赤な宝石を無意識に選んでる――……。
❁❁❁
そうしたら式典のあの日。
「結婚してくださいませんか」
あなたがみんなの前で、アヴァロンからムーに婚姻の申し入れをしてくれた。
「……っつ」
そんな素振り一切みせずに、そんなこと一切言わずにいきなりだったから。
すっごく驚いて、言葉がでなくって。
だけど、あなたがずっと私の手を握って、大好きなその瞳で真剣にこちらをみつめてくれるから。
「謹んで、お受けいたします」
多分きっちりとお辞儀して、ちゃんとできたけど。
だけどもしかしたら、普通にいつも通り、笑ってしまったかも。
嬉しすぎて。
でも、あなたも私の言葉をきいて、顔を崩していつも通りに笑ってくれたから。
これはアヴァロンからムーへの申し入れだけど、本当はあなたから私への申し入れだってわかって、もっと嬉しく思っちゃったの。
今日の私は黒髪で、ちゃんと正装にムーの白いドレスを着ていて、今日もあなたは黒髪で、ちゃんと正装にアヴァロンの魔法族の黒いマントに王族専用のスーツを着ていて。私と一緒ね、一緒。
音がすぐに響いてしまう大理石の床に、眩すぎる豪勢なシャンデリアのライトに、城中にオーディエンスがいるのに、ちゃんと二人の世界もあって、今日は花びらはないけれど、たくさんの拍手がホールに広がっていくの。
ねぇ、すっごく幸せね。
式典には各国の王族や要人が来ていたけれど、ムーの代表は私だけだったから。
この婚姻は国としての正式な返事待ちとなった。
「……その婚姻には賛成できない」
けれど式典のすぐ後、ある国の者が、そう言った。
「我が国も、ムーに婚姻の申し入れをしている」
「……ですが」
「それに、大国同士の婚姻は聞き入れがたい。よりにもよって、アヴァロンとムーだなんて」
「……ですが私は……」
自分の控室へと入ったつもりが、空間魔法が施されており、全く違う部屋に繋がれていた。
それも、数ある防衛の魔法陣を巧みによけて、城の中でも人気のない、一番奥にある部屋に繋がれてしまっていたのだ。
目の前には一国の王と、その従者が数名。
自国の者がおらず、ネロとも引き離されて。いきなりの一人きりの対応に、緊張が走る。
どうする?
焦る心を必死に隠して、自分自身に言い聞かす。
言葉を誤ってはダメ。足元を掬われる。
言い淀みすぎてもダメ。相手に舐められる。
だからあえて凛と澄まし、姿勢を正して、言う。
「私は、私としての返事をしたまでです。アヴァロンへのムーとしての正式な返事は国から出します。国の一大事を私一人で決められないことなど、ご存知では? ここでこれ以上のお話をお伺いすることができません」
護衛は扉の向こうに控えている。まだ空間魔法の罠にはかかっていない。扉に若干の隙間が開いている状態だから、この声色で恐らく、緊急事態なことに気づいてくれているはず。
そのまま憮然とした態度でやり過ごすはずだった。優雅に一礼し、扉の向こうへと立ち去ろうとしたその瞬間に、獣族の王が、あっという間に移動したかと思えば、扉をバタリと閉めて、威圧的に言う。
「では、あなたとしてあなたの返事を先にここで頂戴しよう」
「…………」
相手に悟られないよう、一気に魔力をためて、備える。
「……私としての返事は、先ほどの式典の時に話したことそのままです」
「でも、さらに意見が変わるかもしれない」
「……いいえ」
すると、パチンと指を鳴らしたかと思うと、空間魔法で持ち出してきたのは、魔鏡。
「なっ」
ここは宇宙中の各国の要人が集う場所。防衛の魔法陣に引っ掛からずに、こんな大きなものを取り出せるなど、並大抵の魔法使いでなければできっこない。
この人は魔力もとてつもなく強い。取り繕っている場合ではないと察し、慌てて一歩、間をとる。
「おっと」
けれど、やはり相手は獣族の王。到底、戦いなどしたことのない自分では戦うことは愚か、動きさえ速すぎて、力も強すぎて、間合いをとることさえ叶わない。
「さて、これを見てもらおう」
「…………」
魔鏡の向こうには、いつ出陣するか分からない、戦闘態勢の整った獣族の軍の列が映っていた。
「みな、私の一声を待っている」
「……なぜまだ軍の準備を行っている! 今日、平和条約を結んだところだ!」
怒りを表すと共に、緊急の合図を親しき者に悟られぬように放つ。
「……まだまだ子どもだね。条約にサインして、それをすぐに破棄することだってできる。例えば、婚姻の返事を一度して、すぐに破棄できたりするように」
「……何がいいたいの」
相手は威圧的にまた笑み、カイネの顎を掬い、言う。
「……別に。賢くなればすぐにわかるはずだ」
「……紳士ならばわかるはずです。許可なく触れないでください」
「……淑女ならばわかるはずでは? 未来の夫ならば触っても問題ない」
必死に、距離を取ろうとするのに、それが許されないくらいに、追い込まれていく。
先ほど放ったSOSの合図。距離的に一番に近いのはネロのはず。けれど、彼も同じように拘束されている可能性は高い。
もうひとつ放った合図は、精霊卿に向けてのもの。誰か、この城の近くを通りかかってくれていれば、駆けつけてくれるはず。
時間稼ぎを、するしかない。
あえて、その男の手を払う。
「ならば尚のこと、気安く私に触れるな。未来はまだ決まっていない」
「ほう」
「まだ、どこの国とも婚姻は決まっていない。国としての返答待ちだ。この非礼、しかと報告させてもらう。未来の夫候補が、礼儀がなってないなど、言語道断」
「なるほど。あくまで、まだどことも婚姻は決まっていないということだな?」
そのまま相手の目を見ずに、遠くを見据えて、続けていく。
「そうよ。それに……私がどこと婚姻を結ぼうとも、ムーの力は変わらない。たったひとりの姫のために、国が動くとでも思うの? 私ひとりを無理に捉えたところで、ムーを思うようにできると勘違いしないで」
「……それは、どうだろうね」
獣族の王は寂し気にそう言うと、魔鏡に向って、パチンと指を鳴らす。
「……矢を、放て」
「なっ!」
そのまま一人の獣人が一礼すると、宣戦布告用の特別な矢を戸惑うことなく、放った。
「どこに放った!!!」
「……ムーだ」
「なっ」
「その慌てよう、分かっているだろう? あなた一人が式典へと参列した意味を。ムーの王が国を離れられないくらいに、緊張状態が続いていた。だから、大臣クラスの職のものではなく、一番大事な姫を平和条約の式典にわざわざ参列させたのだ」
「……戦争がしたいの?」
「いいや、あなた次第だね」
そう言いながら、魔鏡に向ってさらなる合図を送り、鏡の向こうで獣軍が次の動きをみせる。
「……次はどこに打つ気だ! 次は、どこにその矢を放つ!?」
「無論、アヴァロンだ。未来の夫候補のいる国は、潰しておかなくてはな?」
「まだ……婚姻は」
「でも、心は決まっているのだろう? 一国の姫と王子が結婚するということは、そういうことだ。しかもそこまで心の決まった相手など、相手の国が攻められては黙っていないだろうな」
「……っつ! やめて!!」
叫ぶと同時に、こちらも魔法陣を発動させる。
「ほう。流石だな」
「黙れ」
カイネが持っているのは、小ぶりの魔鏡。大きめの手鏡サイズのもの。
魔鏡を即刻ムーに繋ぎ、叫ぶ。
「待って! まだ、待って!」
カイネの声に合わせて、戦闘準備を整えていたムーの軍がピタリと止まり、獣族の軍もまた、同じく動きを止める。
「話し合いの価値がありそうだ」
そして、獣族の王がニヤリと嫌な笑みを浮かべる。
『何が望みだ』
鏡越しの王の言葉に、獣族の王は言う。
「婚姻」
「……っつ」
「か、それと同等の情報を」
思いがけない言葉に、ぎゅっと瞑っていた目を開く。
『……情報を求める?』
さらに獣族の王は、言う。
「こちらの姫は……特別な、星詠みができるのでは?」
「なんで……」
カイネよりも声を荒げて、王が言う。
『ならぬ!!』
「では二本目の矢を」
「やめて!」
『カイネ、やめよ!』
部屋の中と魔鏡越しの視線が、自分に集まっていく。
「何を、詠んでほしいの? それによるわ」
獣族の王がぐっと声にさらなる力を込めて、言う。
「海だ。新しい土地を探している。どんな荒波でも耐えられる場所を、詠んでほしい」
「……どういうこと?」
「……そのままだ。獣族は水に弱いものが、多いからな。安住の地が見つかれば、他国に攻め入ったりなどしない」
『カイネ、やめよ……!』
響く声と、闇夜を彷徨うような、出口の見えぬ取引。
「……それだけでは聞き入れられない。すぐに約束を違えられたら困る。まずは軍を……」
そういうや否や、獣族の王はすぐさまパチンと指を鳴らし、軍のもの全員の武装を解除させた。
「それだけでは……」
さらに黙ったまま指を鳴らし、今度はアヴァロンに放とうとしていた矢を、折ってみせた。
「…………」
「あとは、これでどうだ……」
獣族の王は、自身の持っていたナイフで親指を切り、特別な魔術紙に血を垂らす。
「血の契約……」
そこに血で文字を書き、獣族の王印を押す。
※血の契約。その血を垂らしたものの命をかけて、約束を守るというもの。約束を違えると、身体中に流れる血に反応して、命を落とす。
「私の命にかけて、ムーとアヴァロンへ侵攻しない。そして、あなた自身に忠誠を誓おう」
「……わかったわ。波に強い、土地ね」
『カイネ……!』
「……大丈夫。魔法陣は厳重。この人たちは例外みたいだったけれど。誰にもバレないわ」
『そういう問題では!』
「先に約束を破ってはいけない。私も国を守るために、星を詠みましょう」
姫として正式にムーのお辞儀をし、カイネは星詠みを始める。
✶
✵
✷
「どういうこと? 何故こんなに、波に強い土地がないの? おかしいわ……」
星を詠み、少しずつ、違和感に気づいていく。
「まさか……」
すると、奥に控えていた従者の男の一人が、そのフードを外す。
「……申し訳、ありません。アヴァロンが一人、タルバニア=ハミルにございます」
「……どおりで……」
道理でこんなに強い防衛魔法陣を潜り抜けて、あんなに大きな魔鏡をだしたり違う部屋へと空間魔法が繋げたのね。
「いいわ。私しか、詠めないのね?」
「……申し訳……ありません。ネロ様にも先ほど報告し、別室で他の魔法族の者と、ご自身で詠むと……以前から打診していたムーの王たちも、他の国と緊張状態になってでも、カイネ様には星詠みをさせないと……ですが……」
横を向くと、獣族の王が、跪いて一番意味の重い敬礼をしていた。
「すまない……」
自分の魔力と、詠まなければならない情報を計算し、小さく息をつく。
「あと、少しなら……」
『カイネ……!』
悲痛な叫びが魔鏡の向こうから聞こえてきて、もう一度、星を詠む。
けれど、あまりにも情報が多すぎて、グラリと視界が揺れ、身体のバランスを大きく崩す。
「うっ、これ……以上は流石に……」
何度も何度も波にのまれる光景が脳内へと入り込み、あまりもの恐怖に身体が小刻みに震えていく。膝をつき、乱れる息をそのままに、なんとか吐かずに、大好きな人たちの顔を思い浮かべることで、精神を保つ。
いや。もう、無理。無理。これ以上は詠めない。
「せめて時期だけでも……!」
身体の力が抜けて、倒れそうになるカイネを支えながら、ハミル家の人が叫ぶ。
けれどその声と同時に、ネロが扉をけ破って、護衛と共に入り込んでくる。
その姿はボロボロで、どれほどの人たちに止められながら、乗り込んできたのかが分かる。
尚も腕を、他の者に抑えつけられながら、こちらへと来ようとしてくれていた。
「カイネ!」
「ネロ!」
「すみません……」
「え?」
けれど、凄まじいスピードでハミル家の人が、ネロに向って攻撃魔法を放つ。
「うっ」
「きゃっ」
両腕を縛られた状態では避けきれず、ネロに直撃する。そのまま気を失いそうなネロに向って、さらに追加の一撃を放とうとするのをみて、叫ぶ。
「やめて!」
「……カイネ様……次第です」
「……時期ね?」
小さく頷くその人の顔は悲痛に歪んでいた。
ああ、わかるけど、わかるけど、だけどこんなの、わからないよ。
そのまま涙を零し、星を詠む。
もう意識が遠のき始めていた。
「……ち、きゅう? 火山が……」
「やはり、連動してましたか。これで時期がおおよそ絞れます」
そう言うや否や、また新たな魔法陣を発動させる。
「……星詠みの記憶を……頂戴します」
「……い、や……やめて」
そう言うけれど、本当は自分でもわかっていた。
最後にみえた星で、私は彼と一緒にはいなかった。
「カイネ!!」
叫ぶネロに向って言えるのは、ただ、一言。
「ごめんね」
ずっと、計算しながら星詠みをしていた。何年分の、力を使ったか。
けれど、もう、最後の一回はコントロールも計算も、できなかった。
ネロのせいじゃないとだけ伝えたくて、最後に精一杯に笑ってみせる。
ネロのせいじゃ、ない。
アヴァロンのせいじゃ、ない。
もちろん、ムーのせいじゃ、ない。
本当はこの部屋にいる誰のせいでも、ない。
だけど、私にとっては、全部、全部、ここにいる人たちのせい。
大好きなあなたの叫び声と共に、記録として、記憶を封印される。
だけど、どんな魔法にだって、どんな力にだって、完璧なんて存在しない。
きっと、私の幸せな、あなたが求婚してくれた今日の記憶ごと奪われる。
どうか、あの時のダンスの記憶は、残りますように。
せめて、もう波で気が狂いそうな星詠みの内容は、残りませんように。
記憶が奪われたその先にあるのはきっと、事実だけ。
事実なんてたやすく、変えられてしまうのだ。みんなの都合のいいように。
「本当に……申し訳……ありません」
涙を零しながらにそういうハミル家の人が、血の契約に署名を加えたのが、遠のく意識の中で見えた。
だけど、そんなの、ほしくないよ。
私がほしいのは、大切な人たちとの未来だけ。
大好きな人との時間だけ。
私は私の命分しか望んでなかったのに。
私の記憶は、私だけのものなのに。
たくさんの魔法が飛び交う光景は、もうただの光にしか見えない。
眩い光に包まれながら、私の意識はついに途絶える。
星を詠む。
誰の為に?
そんなの、わからない。
星を詠む。
何の為に?
そんなの、わかりたくない。
星を詠む。
そうするしか、なかったから。
星を詠む。
大切な人たちが、傷つくのが嫌だから。
そして強く思う。
星なんて、詠みたくないと。
そして強く願う。
未来なんて、知りたくないと。
私はただ、生きたいだけだったのに。
大好きな人と。
だから祈る。
私の大切な人たちを、守ってと。
だから求める。
一分一秒のトキを。
ネロと一緒に過ごせる、トキを。
誰に願う?
星に。
だって人は、容易く奪うから。
誰に祈る?
星に。
だって人は、すぐに争うから。
χ
χ
χ
「――……ア? ――……リア!」
揺れる身体に驚いて、目を開く。微睡む視界いっぱいに、美しい紫が映りこむ。
「……?」
「リア! リアっ!」
だんだんと視界が明確になってきて、しっかりとその美しい紫以上に綺麗な、大好きな顔が映りこむ。
とっても綺麗なその顔を引き立てる緩いウェーブがかった髪は淡いパープルで。けれど瞳の紫はものすごく濃くて、目は自然と流れるようにすっと伸びてるの。だけどね、まつ毛が長くてたれ目がちだから。クールな美人に見えるのに、優しさが溢れてるの。
「リリーっ!」
反射的に手を伸ばし、ぎゅっと抱き付く。
「リア、よかった! 酷くうなされてたからっ」
「リリーっ! リリーっ!!」
大好きな親友。大好きな声。安心する温もり。
久しぶりにリリーに会えたのが嬉しくて、子どもみたいにしがみつく。
海の中で体重なんてわからないのをいいことに。
そうして、思う。
あれ?
海の中では分からないって、どうして思ったのだろうって。
リアが抱き付く力を緩めると、リリーが困った子どもをあやすかのように、優しく頭を撫でながら言う。
「……久しぶり。ごめんね、なかなか会いに来れなくて」
「ううん。大丈夫、だい……じょうぶ……なの……」
困らせたくなくてそう言ってみたけれど、自分の頬には涙が伝っていた。
それらは海の中ではただの泡となって分からないはずなのに、リリーにはすぐにバレてしまうのだから、本当に、敵わない。
「泣いてるのに、大丈夫なわけないじゃない」
「でも……この涙は……」
リリーが溜息をつきながら、言う。
「……そうね。夢をみていた時から、泣いてたわ」
「……そう、みたい」
ずっと、流れていた気がする。
「なんの夢を……みていたの?」
リアはぼんやりと目の前の親友をみながら、微睡みの中でみた光景を思い出そうとする。
「……わからない」
けれど、夢は確かにみたのに、それらを思い出すことができないのだ。
「そう……」
ただ、涙と感情だけはちゃんとリアの中に残っていて。
「でもね、ものすごく胸を熱くする絶対に幸せっていう想いと、胸が何個あっても足りないくらいに引き裂かれるような、それらが傷ついたら、自分が傷つくよりももっと辛い、大切な何かがあったのを覚えてる」
「……リア」
頬を伝う涙の量がいつの間にか増えていて、海の中だと分からないはずなのに、きっと親友は気づいてて、心配げにこちらをみつめている。
ものすごい想いが胸に残っているのに、上手く言葉にできなくて、どうしようもなくて、ただ呟く。
「ものすごく愛しくて、とてつもなく切ないの」
そんな訳の分からないことを言っているのに、リリーは笑ったりも、気味悪がったりもせずに、優しくリアを抱きしめる。
「そう。大丈夫、大丈夫よ。あなたの中の感情は、あなたに嘘をつかないから」
だからね、もう胸がぐちゃぐちゃになりそうな状態だけど、安心して泣けるの。
「リリーっ……!」
そのまましばらく泣いてしまって、でもリリーは何も言わずに笑ってくれて、思う。
せめておとぎ話のように、零した涙が真珠に変わって、それがリリーの何か役に立てばいいのにって。
でも、そんなことは起こらなくって、涙は涙で、私はただのリアだから。
だから何もできないから、正直に言うの。
「ごめんね。いつも、ごめんね」
「どうして?」
「泣いちゃって、ごめんね。それで、優しくしてくれてありがとう」
そしたらリリーは優しいから、笑って言ってくれるの。
「馬鹿ね。親友なんだから、そんなの当たり前でしょう? むしろ、なかなか会いに来れなくてごめんね」
その言葉が嬉しくって、ずっと胸の奥に残っていた叫びたくなる感情がほんの少し和らいで。肩の力が抜けて、リアはまた微笑む。
「ううん。ありがとう。会いに来てくれて、嬉しい。ずっと、寂しかったの」
「私も寂しかった」
二人でコツンとおでこを合わせて、笑い合う。
これが、私たちの合図。これが、私たちの信頼。
ずっとずっと、海の中でこうしてきたの。ずっとずっと、同じ部屋で、どんな時も一緒に過ごしてきたの。
「……それにしても、相変わらず酷いわね」
リリーがおでこを離し、寝ぼけていたリアが落ち着いたのを見計らって、そう言った。
リアはその言葉に合わせて、じっと荒れ散らかった部屋を見渡していく。
「……うん。もうずっと。部屋をあけると絶対にこうやって荒らされるの。鍵もすぐに壊されちゃう。だからもう、施錠したり片づけたりしない。大事なものは、大事にしまっておいた方が、余計に目をつけられるから、もうあえて荒らされたままにしてるの。大切なものが、大切ってバレないように」
そう言い切ったリアを、リリーが再び抱きしめてくれる。
「ごめんね。ずっと、王宮から部屋に戻してほしいって言ってるんだけど……」
そんなリリーに対し、リアはゆるりと首を振る。
「ううん。リリーはお医者さんなんだもの。みんなに必要とされて当たり前だわ。王宮に求められてる人を私の個人的な希望で個室になんて引き止められない」
「リア、そんなこと言わないで。私だって、王宮じゃなくって、リアと一緒がいいんだから」
「……リリー」
瞳を揺らしながら親友をみつめると、仕方がないわね、とでも言うように呆れながらも優しく笑ってくれる。
「……それにしても。その赤いリボン。どうしたの? 寝てる間も今もずっと握りしめてる」
クスっと笑われて、ようやく気付く。ずっと、無意識に握り続けていたアヴァロンからもらった紅いリボン。
「あ、う、うん。ちょっとだけ……」
「ちょっとだけ?」
言い淀んで、アヴァロンのあの瞳を思い出し、少し胸がぎゅっとなって、リアはもじもじとしながら、親友に言ってみる。
「……ちょっとだけ、特別なの」
分からないけれど、出会ったばかりの魔法族の人の話をするのは何だか憚られて、だけど、何となくアヴァロンからもらったリボンは特別だと、勝手に口が動いてしまったのだ。
先ほどの夢と同じように、訳の分からないことを言っているのに、リリーは決して笑ったりはせず、優しく微笑んで、言ってくれる。
「そう。特別なものが増えるのはいいことだわ」と。
だからリアは安心して、いつもの笑みを零せる。
「うん!」
けれどすぐに、現実を思い出して、顔を俯けて、言う。
「でも、どうしよう。部屋に置いてたら、また荒らされちゃうし、取られちゃうかも」
リアは緑だからと、元々みんなからきつくあたられていた。けれど、レム姉さんと仲が良かったのもあり何とかなっていたのに、新しい海域の人魚たちがやってきてからというもの、レム姉さんはリアを遠ざけきつくあたるようになった。そのことが余計に、周りのリアに対する扱いを酷くさせていった。
日常的に繰り返される冷遇。浴びせられるきつい言葉と言うだけ言って、リアの言葉と意思は無視。
それだけならまだしも、リアは色が美しくないから視界に入るのも不快だと、仕事もはく奪されてしまい、街での買い物までもが門前払い。挙句は部屋をあけると、必ずと言っていいほど、そこら中が荒らされて物が壊されている始末。
「……っつ、許せないわ」
ゆらりとその美しい紫の髪をなびかせながら、リリーが怒る。
けれど、リリーは確かに怒っているのに、そのことにひどく安心して、リアはとびきりの笑顔で、言ってしまう。
「リリー、大好き。ありがとう」
「もう、リアったら。もっと怒りなさいよ」
呆れたように言うリリーに、わざとらしく肩を竦めてみせる。
そして、心の中で思う。もう、どうしようもないの。日常過ぎて、怒るってことが、わからない、と。
「でも、そうだな……このリボンは、失くすの絶対に嫌」
何故だか分からないけれど、強くそう思ってしまう。
そうしたら、リリーが目をぱちぱちと動かして固まると、ふっと微笑んで、また言ってくれる。
「なら、身に着けておいたらいいわ」
「え?」
「せっかくのリボンなんだから、髪を結ってみたら? 身に着けておいたら、部屋が荒らされても、絶対に失くさないわ。……そもそも、部屋を荒らすなんて許せないけど」
「身に着ける……」
思わず呟いてしまったその言葉に、リリーが何度も頷いて、言ってくれる。
「ええ。ずっと身に着けていたらいい。その大切なリボンで髪を結っていたらいい。きっと可愛いわ」
一瞬、リボンをつけた自分を思い描くも、それはとても心が跳ね上がるほどに嬉しく、胸を締め付けるかのように苦しく切ないと、気づく。
「だ、ダメよ」
「なんで?」
そして、思わず飛び出てしまった言葉が止まらずに、リアは情けなくも想いを露土していく。
「……私に、……緑の私に……こんな綺麗な色は似合わない」
そうしたら親友がぎゅっと手を握ってくれて、力強く、言ってくれる。
「そんなことない」と。
だからリアは、緑でもいいと言ってくれるリリーの優しさと、緑の私では何をしてもダメだという現実との折り合いをつけるように、力なく、笑って見せる。
「あは……は。私ももっと綺麗な色だったらな」
そうしたらアヴァロンともっと……
そんな想いが無意識に頭に過り、はたとそのことに気づいて、慌ててぶんぶんと首を振る。
「リア?」
「あ、ううん。何でもないの。綺麗な色になりたいって、思っただけ」
リリーがまた、少し怒り気味に、言う。
「……リア、あなたは綺麗よ。あんなのルールがおかしいだけ」
「で、でも……」
けれど、リリーはリアを強引に鏡台の前へと座らせると、とびきりの笑顔で、言ってくれる。
「私が結ってあげる」
「わ、わわ。あ、ありがとう……」
そうしてリリーに髪を一本の長いポニーテールにしてもらい、鏡を呆然とみつめる。
そこに映る自分の顔は、よくわからなかった。確かに鏡に映っているのに、淡い緑の瞳と髪しか、目に入らないの。
入園してすぐの頃はもっともっと深く濃い緑だったけれど、最近は少し淡くなり、パステルグリーンくらいにはみえなくもないくらいにはなっていて。このまませめて、緑がかった水色にならないかしら、なんて、思っていた。
だけど、そんな緑にちょこんと、リボンがリアに新たな色と温かな気持ちを、添えてくれる。
「紅い……リボン」
赤よりももっと深い、紅。海の中にはないから、私を決していじめない色。
「うん。すごい、似合ってるわ」
振り返ると、自信満々に笑うリリーと目が合って、私よりも自信満々に微笑んでくれるから、何だかおかしくて。つられてリアも笑う。
「えへへ。似合ってたら、いいな」
「ええ、可愛いわ。すごく似合ってる」
そして、リリーが時刻を確認し、慌てて言う。
「いけない。私、リアを迎えに行くっていう体で、ここに来る許可をもらったんだった」
「……迎えに行く? 私を?」
すると、リリーがまた微笑んでくれる。
「ええ。ようやく王宮への許可が取れた。一緒に、女王陛下に直談判しに行きましょう」
「……何を?」
すると、またリリーが怒ったように、続ける。
「っもう! 今の状況をよ。こんなのって許されないわ!」
「で、でも……」
けれどもリリーは怒ったまま、言ってくれる。
「だめよ。私が医者なら、リアはとても優秀で欠かせない薬師だわ」
「でも……」
「いいえ。でもじゃないわ。絶対にそうなんだから。女王だって、最初はきっと、他の海域から来た姫たちを気遣っただけよ。もう落ち着いたし大丈夫。行きましょう」
「う……うん」
「リア、大丈夫よ。花たちは本当に、あなたにしか反応しない。あなたしか咲かせられないわ」
リリーにそう言われると何だか嬉しくて。そのまま頷いて、王宮の方へと泳いでいく。
「私でも……役にたてたらいいな」
そんな言葉を、呟きながら――……。
χχχ
そして、また思い知ることとなる。この直談判もまた、ただ増えていく悲しみの泡のひとつに過ぎないことを。
けれど、封じられた記憶の奥底で、カイネは知っている。
みんなが、ただ目に見えることだけを、悲劇と呼ぶけれど――……。
自分にとっては、愛する人と引き離されたあの式典のトキから、全てが悲劇なのだと。
部屋が荒らされたって、何も思わないのは、もう大切なものがないから。
それなのに、また願ってしまう新たな時間。
それなのに、握りしめてしまう紅いリボン。
記憶に呼びかけるその紅いリボンが、リアの頭の上でヒラリと揺れる。
きっと本当の意味で、全てをみているのは、この紅いリボンだけ。
そして、その真実を、きっと誰もが知らない。
To be continued……

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