かぼちゃを動かして!㉑―フィフィの取り扱い説明書―fromディグダ

「フィフィ!」
「おい、返事しろ!!」
まだ辺りの煙が収まっていない。フィフィはもちろん、八色蜘蛛がどこにいるのかも分からないから、フィフィの名を呼んでは、様子を見て、というのをエプリアと繰り返す。
ああ、やっぱり、とっとと諦めさせたらよかった。
それなのに予想外の、こいつが、来るから。
それでやっぱり想定以上に、フィフィがすごく、頑張るから。
……迷いが生じてしまったんだ。
ディグダはもっと早くに魔法を使ってでもフィフィを守りたい気持ちでいっぱいであったのに、それができない状況にもどかしさを感じていた。それこそ、不甲斐ないとか、そんなもんじゃ済まないくらいの想いで。
だあああ、くそっ、くそ、くそっ。
そして、そのもどかしさは、状況に対するものだけに留まらなかった。
ディグダは器用に天井から降り注ぐ小石を避けては、焦りと苛立ちを募らせていた。
妖精の体質。これは生まれ持ったもので、決してそのことに違和感を覚えたこともなければ、嫌だと思ったことも一度だってなかった。きっと、フィフィと出会う前までは。
けれど、妖精の特徴とも言えるこの小ささだと、自分の何倍もの大きさのフィフィを守るどころか、小石を避けることでさえ精一杯になってしまうのだ。
「私は大丈夫! 無事なら二人とも先に逃げて!」
ようやく聞こえてきたフィフィの声は、無事そうなのは伝わるものの、相変わらずの反応で、苛立ってディグダの口から大きな声が零れ出る。
「な、そんなことする訳ないだろう!?」
「まて、ディグダ騒ぐな。あの声の位置……八色蜘蛛の真下だ」
確かに声が響いたのは下の方で、その付近には黄金色の瞳が二つ、真っ暗闇の中でもしっかりと浮かび上がっていた。
ディグダはぐっと息を飲み、目と耳を凝らす。
黄金色の瞳が上下に一度ほどゆっくりと動いたかと思うと、トン、と小さく音が響いた。
さっきみたいに大きく動く訳ではないけれど、音的に八色蜘蛛はまだ動く気配がある。
「まずは灯を……」
「いや、でも刺激するのは」
こいつの言う通り、慎重に動く方がいい。でも、早く助けないと。だぁあああ、くそっ。
ディグダはエプリアの言葉通り、光魔法を使うのをやめた。
気に食わないけど、こいつは俺よりも大きいから。フィフィが怪我をしてたら連れだせるのはこいつだけだから。一応、魔法も使えて頼りになるっぽいから。だけど……くそっ。
たくさんの複雑な想いを抑え込み、ディグダは仕方なく、エプリアと相談を始める。
けれど、それを遮るかのように響いてくるのは、古の言語。
「この子を連れて帰る気だろう? 邪魔しないでくれ。昼間に出会ったときに確信したんだ。この子が待ちわびた、運命の子だって」
「え?」
古の言語は、ディグダが生まれる遥か昔、かつて世界に種族の隔たりがなかった頃に魔法が使えし者が共通語として使用していた言語だ。
使われたのが古の言語であるからとか、八色蜘蛛が話しかけてきたからとか、そんなことよりもまず、その内容に驚き、ディグダはわなわなと震える。
こいつ、フィフィを洞窟に閉じ込める気か?
そのためにわざと落石を引き起こしたのか?
「運命の子だって!? 連れて帰るに決まってるだろう。その子は渡せない」
すかさずにエプリアが古の言語で言い返したのだ。
それに内心驚きながらも、何もできないままは嫌で、けれどフィフィを怖がらせてはいけないから、ディグダもまた、妖精の言葉で反論する。
俺は何となく聞き取れても、古の言語を話すまでの知識は……ない。
「逃げられないよう洞窟を揺らしたのか!? そいつに怪我させたらタダじゃおかないからな!!」
「え?」
フィフィを怖がらせないようにディグダもエプリアも古の言語と妖精語を使って、八色蜘蛛とコンタクトをとっている。だから内容は分からなくて当たり前なのだが、当の本人はそもそも自分の話をされているなんて思ってもみないのだろう、呑気な声で「え?」なんて毎回反応するので、ディグダの苛立ちは募る一方だった。
お前はなんでそんなに警戒心がないんだ。
狙われてるんだぞ!!
喰われなくても捕まったら意味がないだろうが!
「まさか。運命の子に怪我をさせたりするわけないだろう。ああ、この子から聞いた。妖精の子がいたんだな。嬉しくて飛び上がったら洞窟が勝手に揺れたんだ。怖がらせたな、わざとじゃないから許せ」
「聞いたって? フィフィ、お前と話せるのか? まさか古の言語を知ってるのか? フィフィ、わかるなら返事して?」
エプリアの問いかけに、フィフィの反応を待って全員が黙り込むも、シンと沈黙が続くばかり。
いや、俺もまさかとは思ったけど、屋敷でずっと一緒にいたんだ。フィフィは古の言語を知る以前に耳にしたことさえないはずだ。一体、何がどうなっている?
すると、八色蜘蛛の声が続く。
「なんだか分からないけど、この子とは会話が出来てる気がするんだ。だから絶対にこの子が運命の子に違いないんだ」
「だああああ! 意味分からないこと言うなよ! そんな訳な……」
そう叫んでから、ふと、フィフィに出会ってすぐのことを思い出す。そういえばフィフィは妖精語なんて分からないから会話なんて成り立たないはずだったのに、なんかみんなと会話が成り立ってたなと。
そしてそのことがきっかけ、というのだろうか。ディグダたち妖精は何となく人間の言語が分かるため……こっちの世界には勉強のために来たものの、あのときに古の言語ではなく、人間の言語を話せるようになるところまで覚えることをみんなで選んだのだ。
だから八色蜘蛛の言っていることは間違ってはないのかもしれないし、八色蜘蛛はちゃんと、人を見る目があるのかもしれない。
けど、こいつもこいつでなんか腹立つんだよな。
黄金色の瞳で、絶対にふふんとでも馬鹿にしたように笑ったに違いない。誇ったような瞳の揺らし方で、ディグダに話しかけてくるのだ。
「ほらな? お前も心当たりがあるんだろう? この子、妖精語もわかってないっぽいからな」
「な、俺らは俺らが人間の言葉を覚えたからだよ!」
「ふーん、どうだかな。でも、それとこれとは別だ。とにかく、洞窟にきたってことは、そういうことだ。邪魔しないでくれ。ずっとこの時を待ってたんだ」
ツンとした声でそういう八色蜘蛛に、ディグダは慌てて反論する。
「な、ダメだダメだ! そいつは料理も裁縫も掃除もからっきしダメなんだから。そいつの料理食ったら失神するぞ!」
「失神……なるほどな。だからかぼちゃケーキ作るの渋ってたのか」
「料理? かぼちゃケーキ? 運命の子にそんなことはさせない。でも……掃除もできないっていうのか? そんな訳ない。箒を持ってきているじゃないか」
「だぁあああ。掃除はできるけど、それもそんなに上手くない。まともにできるのは掃き掃除くらい! だからそいつは蜘蛛の嫁には向かない。諦めろ!!」
八色蜘蛛はその黄金色の瞳を一瞬丸くして、また嫌みったらしく、ふふんと馬鹿にしたかのように、笑い声交じりで言ってくる。
「なんだ、そういうことか。俺は別に嫁は求めてない。運命の子を求めてるんだ。掃除も完璧じゃなくていい、掃き掃除さえできたら問題ない」
「だぁあああ、だからダメだって……ん? 嫁にいらないなら、何にいるって言うんだよ?」
八色蜘蛛は視線をディグダから斜め前へとずらし、そこで動きを止める。そういえば確かに、その位置らへんからエプリアの声が響いてきていたなと、ディグダは自分ではもはやよく分からないこの状況をどうにかするようエプリアに促すため、黄金色の視線の先に飛んでみる。
洞窟内は八色蜘蛛の魔力で呑まれるから、それ以外が、分からなくなるのだ。だからどうしても、声だけが頼りであったものの、八色蜘蛛の視線の先へと進むと、エプリアのためている魔力の痕跡がようやくに感じ取れて、何となく、全員の位置関係を把握することに成功する。
ディグダが近くに寄ってきたのを気づいているのか、気づいていないのか。エプリアは特に身体も魔力も動かすことなく、ぼそりと呟く。
「……そういうことか」
「だから! どういうことだよ!? 嫁じゃないなら、何にいるっていうんだ!?」
そこでまた響くのは八色蜘蛛のちょっと嫌味ったらしい声。
「ふん。運命の子と聞いてすぐに嫁だと思うのは、お前たちの願望の表れだろう。俺たちはそんな若いうちから嫁は求めない。でも人間は寿命が短いっていうもんな。まあ、妖精は短くはないが……魔女と同じくらいだから、長くもないのか?」
「煩い! だから、なんでフィフィが運命の子なんだよ!」
八色蜘蛛は説明が面倒らしく、黙り込む。けれど、お前が言えとでも言うように、視線をエプリアの方に向けている。
「俺も……信じてはなかったんだけど、本に書いてるのを読んだことがある。八色蜘蛛は本来、一人の魔女にしか涙を採らせないんだ。心を許した魔女にだけ、自分の居場所が分かる角を渡し、掃除をさせる。掃除のお礼に自分の涙や脱皮の殻を渡すらしい」
「なんだ、それ?」
「……それが、俺にもなんでそんな変な内容の言い伝えがあるのか分からないんだ。お師匠様は基本、何も教えない人だったからね。……ただの逸話か面白話かと思ってたんだけど、あの本に書いてあったことはどうやら本当らしい」
すると、八色蜘蛛がにやりとでも笑うかのように、嬉しそうに黄金の瞳を上下に動かして、言う。
「……最近は来てなかったけど、あの涙の採り方。マリアンヌの一番弟子だろ? 俺は掃除さえしてくれたら男でも女でもどっちでもよかったんだが、お前は結局、一度も箒を持ってくることはなかったからな」
「俺は魔女ではないし、基本、飛行はしないし、飛行したとしても箒は使わないからね。……でも、その掃除係って危険じゃないのか? あと、フィフィはまだ魔女じゃない。魔女見習いだ」
「別に魔女に拘りがある訳じゃない。基本的に俺たちに近寄ることが許されるのも、角を預けるに値するのも、魔女っていう結果論さ」
「……なら、まずは俺が……」
エプリアの魔力が跳ね上がったのを感じ、ディグダもまた、警戒する。
俺はその本に書かれていた掃除係とやらの詳しいことを知らない。
もし、その掃除係というのが危険なことだったらやっぱり、フィフィには……。
するとそのとき、八色蜘蛛の足元で明らかに何かしらの魔力反応があり、そのあとで小さく、箒が掠れる音が響いた。「よいしょっと」という、呑気な声と共に。
「あ」
八色蜘蛛の視線がじろりと自身の足元にいったかと思うと、どこか弾けるような声で、嬉しそうに言ってくる。
「お前でもよかったけど、どうせなら男より可愛い女の子の方がいい。本人もやる気みたいだしな?」
「…………」
「…………」
う、嘘だろ?
「だぁあああああ。何でこのタイミングでそんな動きするんだよ!?」
「あー、うん、もう仕方がない。フィフィ! 俺たちはフィフィが涙を採れると信じて、ここで待つよ」
「へ?」
よく分からないけど、こういうタイミングでそういう動きをするんだから、間違いなくフィフィは運命の子なんだろうな。
何でもかんでも惹きつける。だから、放っておけないんだ。
くそっ、絶対に、魔女になんてさせない。
疑うことを知らない、間抜けな「へ?」という声が、いつまでもディグダの耳から離れなかった。
かぼちゃを動かして!⓪―フィフィの取り扱い説明書―fromマリアンヌ