かぼちゃを動かして!⓪―フィフィの取り扱い説明書―fromマリアンヌ
街から森の見える方向へと進むこと、一時間。いよいよ完全なる森へと入るかどうかの頃合い、一軒の大きな屋敷が突然に現れる。
その屋敷は白を基調としていて、黒紫の屋根が印象的だ。そして、その屋敷はとても不思議なことでも有名であった。
何故か遠くからみればその黒紫の屋根は森の景観へと馴染み、まるでそこに屋敷があるかなんて見当もつかないくらいだというのに、いざ屋敷を目の前にすると、白にその黒紫がぐっと映えて、屋敷の存在感が突然に増すのである。
だからだろうか、明確に目的を持ってこの屋敷を目指さない限り、偶然にこの屋敷へと辿り着く者はいなければ、もし道に迷ってうっかりこの屋敷へと辿り着いてしまっても、あまりもの圧にすぐに引き返す者が多かった。
そんな屋敷から放たれる圧というのは、左右均衡に建てられた、その屋敷の境目。中央部に取り付けられた巨大な時計の影響が大きかった。時計の針が動くところを人々は目にしたことがないというのに、時計は一度として止まったことはなく、いつ見ても正確に時刻が刻まれているのである。そして、誰もその時計の鐘の音を聴いたことがないはずなのに、毎夜必ず、24時に鐘が鳴っているのを皆が知っているのだ。
いくつもの噂があるこの時計は、まるで時計台のように、高い位置から屋敷の前に立つ者を見下ろしていた。
その時計に何の圧も感じずにいられる人間が、一体どこにいようか。
そして、この屋敷は高さもしっかりとあり、例えば、時計の取り付けられた箇所を含めば三階建ての建物に相当するだろう。
けれど、大きいのが分かっているのにその中へと足を踏み入れたものは誰一人としていないから、当然のごとく、奥行きを知る者はいなければ、想像さえつかないものであった。ただ外から見た横幅でいうなら、街の店二~三軒分くらいはある。さらに視線をその森側へと向ければ、何ということだろうか、古い納屋までついているのだ。
きっと、裕福な紳士淑女が住んでいるに違いない。
屋敷だけをみれば、誰もがそう思うことだろう。
けれど、屋敷の扉と正門の間にある庭に出てくるのは、恰幅の良い紳士でもなければ、いくつもの宝石を身に着けた淑女でもない。まだあどけなさの残る、細く小柄な少女だった。
その少女は納屋とその裏口についている井戸とを何往復もしたり、庭にある小さな畑で植物を育てたり。よくその庭から続く森への道を通っては、走って帰ってきたり、時折、ひとりで箒を振り回していたり。傍から見れば不可思議な行動ばかりをする子であった。
そんな少女に好んで声をかける者は、いなかった。
なぜなら、ひとたび人が近づけば少女はすっ飛んで、屋敷の中へと駆け込むからだ。
けれど、周りの者もまた、少女が逃げることにも異論はなく、むしろ声をかけられたいとも望むことはなかった。
その少女は屋敷と同じように、左右均衡のとれた美しい顔をしているのだが、その瞳を初めて見る者は必ずといっていいほど、固まってしまう、そんな瞳を持つからだ。
少女の真っ赤な瞳を見て、ある者は悪魔だと、ある者は魔女だと、言うのである。
そして、美しい顔に見慣れぬ真っ赤な瞳をもつその少女をよくよく観察すると、もうひとつ変わった特徴を持ち合わせていた。
少女が日の光が差し掛からぬ薄暗い場所へとどれほどに隠れようとも、その髪は、まるで日の光が反射しているかのごとく、いつまでも輝いているのである。
この辺りで、白銀の髪を持つ者もきっと、いないだろう。
それくらいに、少女は残念ながら街の者からすると悪い意味で目立ってしまう、珍しい容貌をしていたのだ。
けれど、そんな少女の容貌など気にすることなく、とても優しく声をかける、ひとりの妖艶な女がいた。
「さあフィフィ、休憩にしましょう★」
「ミス・マリアンヌ!」
「準備は順調?」
「うん! あのね、ひとつすっごく大きくなりそうなかぼちゃがあるの」
「……そう、ハロウィンが……楽しみね?」
人間というのは、人数が集まれば集まるほど、すぐに何でも真偽に関わらず、真実など確かめもせず、都合が良いようにいくつもの噂を残す生き物であった。この屋敷にも、少女にも、妖艶な女にも、誰も真実を確かめたことのないいくつもの噂があったのである。
その多くが嘘であり、そのほとんどが間違ったものであった。
ただその中でひとつ、ある者がいう魔女だという噂は、あながち嘘ではなかった。
「フィフィ、絶対に試験に合格して、ミス・マリアンヌみたいな魔女になるの!」
「ふふ★ そうね、魔女になってずっと一緒にいましょう?」
なぜならこの全身を黒紫でコーディネートしている、マリアンヌと呼ばれる妖艶な女は正真正銘の魔女で、不可思議な行動をする白銀の髪に真っ赤な瞳を持つ少女は、魔女見習いなのだから。
かぼちゃを動かして!
マリアンヌは納屋を片付けてくると走っていったフィフィの後ろ姿を見送り、納屋の扉が閉まるのを合図に、キッチンへと歩みを進める。
今日のティータイムのために焼いたのは、パウンドケーキ。
フィフィは何でも美味しいと食べるけれど、特にドレンチェリーのクッキーとパウンドケーキが大好きなのだ。
屋敷の中に漂う甘い香りに、マリアンヌは自然と笑みを漏らす。
この屋敷に再び、定期的にお菓子の甘い香りが漂い始めたのは、フィフィがやってきてから。
この屋敷に初めて、ステップに合わせて木の床の軋む音が響きだしたのは、フィフィが走るから。
この屋敷に今、笑い声が響き渡るのは、フィフィがこの屋敷にいるから。
マリアンヌがキッチンへの扉に手をかけると、そこから聞こえてくるのは、マリアンヌが呼んだ訳ではないけれど、自然と住み着いてしまった妖精たちの声。
「嘘だろ、ディグダ!?」
「そうよ、そんなの納得できないわ!」
「いいや、もう決めたんだ。俺は絶対に、契約しない」
盗み聞ぎをする気はなかったものの、聞こえてしまったものは仕方がない。マリアンヌは悪びれる様子もなく、いつもどおり、物音ひとつ立てずキッチンへと入りこむ。
けれど、別に音なんてたてずとも、盗み聞きなんてせずとも、マリアンヌにとっても妖精たちにとっても、それらの結果は全て一緒。
他のどれほど優秀な魔女たちであってもマリアンヌの日頃隠しきっている魔力にはなかなか気づけないだろうに、ここにいる妖精たちは、中でもディグダは、絶対に気づく。
そして、マリアンヌもまた、妖精らがどれだけマリアンヌに隠し事をしたくとも、この森に関わる自然を魔力の源としている限り、特にマリアンヌが管理している魔女の屋敷にいる間は、目の前でみていなくとも、全てのことが魔力から読み取れてしまうのだから。
静かにティーセットを取り出し、湯を沸かしだす。
話しに夢中になり、気づくのがいつもより遅れたのだろう。マリアンヌが部屋の中まで入ってきていることをようやくに感じとった妖精たちは、慌てて飛び散っていく。きっと扉の前にいたときから、ひとりだけ気づいていた妖精、ディグダだけを残して。
マリアンヌは振り返ることなく、背後に強い魔力と視線を感じながら、けれども特段気にとめることもなく、フィフィのために丁寧にパウンドケーキを切り分けていく。
そして、ディグダもまた、何も言葉にせず、強い魔力と視線だけでマリアンヌにその意志を示して飛び去って行った。
きっとじきに、フィフィの叫び声が響くことだろう。
マリアンヌはティータイムの準備の手をとめることなく、瞬きひとつで自身の部屋に置いていた五通の手紙を、目の前へと引き寄せる。
手紙がマリアンヌの部屋からキッチンへと辿り着くまで、ものの数秒。
自分で引き寄せたというのに、その手紙にさえ目もくれず、自分以外誰もいないはずのキッチンで、明確に相手に向かって、マリアンヌは話出すのだ。
「これを今すぐにあの子に届けて頂戴」
「……すぐとはどれくらいです?」
「すぐと言えばすぐよ。ああ、でも、全部すぐに渡してはダメよ? 一時間おきに一通渡してね? だから、あら……結果、すぐじゃなくなるわね。手紙を渡しきるのに五時間もかかっちゃうじゃない」
「……御冗談を。あの子が今住まう場所まで行くのに何日かかると……」
「あら、すぐにつくでしょう? す、ぐ、に」
「…………」
何もない空間に、一枚の大きな黒い羽が落ちる。
それを見ていた訳ではないのに、マリアンヌは再び、瞬きひとつでその黒い羽を目の前に引き寄せる。
「あらやだ。わざと羽を落としていったわね? フィフィがみつけて怖がったらどうしてくれるのよ。全く、久しぶりにお仕置きが必要かしらね?」
もうじきマリアンヌの森を抜けるであろう上空を飛んでいる使い魔から、抗議するような魔力を感じとり、マリアンヌは小さく息をついて、またも瞬きひとつで、引き寄せた羽をその場から消してみせた。
屋敷内の至るところにいる妖精の子らが「ひっ」と震えるような声を漏らしたのが少し気に入らないけれど、ちょうど、フィフィのご機嫌なステップ音が近づいてきたので、マリアンヌは全員を許すことにした。
ふふ、みんなラッキーだったわね。
さて、そろそろかしら。あと三秒。
二、一……。
「えーーーーー! なんでーーーーーー!?!?」
フィフィの叫び声と、ディグダのツンとした魔力を感じ取り、マリアンヌはキッチンの窓をあける。
「フィフィ、紅茶の準備ができたわよー?★」
真っ赤な目をパチクリとさせ、せわしなく、首をこっちに、あっちに向けて。ディグダの方をみながら、ぐぬぬと息を飲んだあと、フィフィはマリアンヌの方を見ながら返事をする。
「ミ、ミス・マリアンヌ! す、すぐ行きまーす!」
「ふふ★ 紅茶が冷めないうちに来てね?」
ディグダったら……。せっかくフィフィが一番飲みやすい温度で紅茶を淹れて、しっとりする抜群の頃合いまでパウンドケーキを置いてたのよ?
フィフィのために一番美味しくなるタイミングで用意したんだから。ティータイムがズレて少しでも温度の狂った紅茶とパウンドケーキをフィフィの口に運ぶことになったら、今日の夕飯抜きにするから。
他の妖精らの「ひっ」という声と共に、彼らが大急ぎでディグダを黙らせ、フィフィをなだめて二人をキッチンへと誘導する。
五、四、三、二、一……。
「ミス・マリアンヌ!」
「フィフィ、いらっしゃい★ 今日のお菓子はあなたの大好きなパウンドケーキよ★」
あら、よかった。計算通りの時間だわ。
今が一番、ケーキも紅茶も最高のタイミング。
マリアンヌが大層可愛がる、魔女見習いの少女、フィフィが嬉しそうに、テーブルに腰かける。
真っ赤な瞳をキラキラと輝かせ、マリアンヌが焼いたケーキをみつめ、にっこりとした笑顔で喜びを表現してくれるのだ。
「やったぁ! 私、パウンドケーキ大好き。ミス・マリアンヌ、ありがとう!」
「よかったわ★ おかわりもあるから、いっぱい食べてね?」
「うん! いただきまーす」
フィフィの全身から感じられる喜びと、その笑顔にクスリと笑みをもらしながら、人知れず、マリアンヌは強く、願う。
早くハロウィンが来て、ハロウィンが永遠に続けばいい。

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