世界の子どもシリーズNo.14_過去編~その手に触れられなくてもepisode7~
足の先端を大理石に滑らすように、けれども決して音を鳴らして引きずらすことなく、カイネは右足を定位置に戻す。右足の定位置は左踵にその中央部側面が触れる程度、たとえドレスで隠れていたとしても、足と足の隙間が見えないように美しく立てる位置だ。
腰の角度もきっちり戻すと、背筋をピンと伸ばし、先ほどの微笑みをほんのりと残しながらも、堂々と前を見据えた。その視界の片隅に、本来、カイネが男性のエスコートというものの代わりに、友好的に共に会場入りすることを頼んでいた姫たちが、その瞳を心配げに揺らしたのが分かった。彼女たちの星では婚姻という制度がなく、個々が自立して生きることを文化としている。そのため、恋愛という概念がなく、どちらかというと、他の星のニュアンスで言うならば、他者との関わりは血縁関係の者であっても、友情と表現するのが近いらしいのだ。もちろん、宇宙は広く、他にも男女で婚姻やそれに類似したパートナーシップを結ぶことを習慣としないところもある。ただ、それは男女の組み合わせに限らないだけで、婚姻制度そのものは存在する場合が多い。故に、婚姻制度のある星の姫という立場でエスコートを伴わずに会場入りする国はきっとないだろう。カイネにとってエスコートを頼まずとも唯一、それと同等の礼儀を重んじ、周辺国に王位継承や婚姻のアレコレを言われない会場への入り方があるとすれば、心から満足して婚姻制度を取り入れておらず、周辺国への婚姻制度にも反対をしない彼女たちにエスコートではなく、友として挨拶を交わし、親しき同盟国として共に会場入りしてもらうことだった。
けれど、こういった公の集まりではある程度の人数が集まると、待ち時間というのが、ただの交流の場ではなくなる。特に今回はサンムーンの開放の式典。サンムーンは宇宙の中立都市として、全ての星の国の者が自由に交易できることとなっている。中立とはいえ、そこから自国にとって利益をもたらすような交易ができるかどうかは、ある種、今日持ち帰る情報に大きく左右されるだろう。
そして、いくら中立都市が開放されるからといって、上座というものがないわけではない。それぞれの星と国で既に交易が行われていれば、新たにその話を持ち掛けたい国だっている。星の位置関係や、国の規模、歴史。そういったものを暗黙の了解で重んじながら、交流のタイミングやそれぞれが腰かける位置を決めるのだ。
カイネが本来、最後ではなく、最後の方になるようにと動いていたのも、そのためである。今回のサンムーンの開放には、アヴァロンとムーがそれぞれに時間と次元を繋ぎ、地上世界と地下世界に特別な魔法陣を敷かなければ実現しなかった。この式典の開催国であるアヴァロンはもちろんのこと、ムーも最重要招待国といっても過言ではない。
ただ、今回は王ではなく、姫であるカイネの出席である。各星々の種族によって、寿命というものが違うため、宇宙の中で明確な年功序列というものは存在しない。それでも、生きた年数というので言うと、いくら最重要招待国であったとしても、カイネと他の国の王とを天秤にかけたとき、式典のプログラムとして明確にムーがトリとしての役目を求められていない限り、それ以外の場で変に威張ったような印象を与えるのはよろしくないのだ。むしろ、平和を謳うこの場で、ムーが威張っているといった印象を周辺国に持たれるのは、最悪なのである。
例え本当に婚約者がいないというのが真実であったとしても、成人を控えた姫が、未だ婚約者を持たずにいると信じる者の方が少ないのだ。
エスコートなしでの入場は、ある種、婚約者を意図的に明かさないと周辺国に示しているかのように。最後に登場するのは自分たちの国、次元を繋いだムーこそ主役だと主張しているかのように受け取られかねないのである。
共に同盟国として会場入りを頼んでいた姫たちも、彼女たちがムーと共に会場入りするのであればという条件の元、可能であるぎりぎりいっぱい、受付終盤間近くらいに時間を調整してもらっていた。それは姫である自分たちはどうしても、挨拶に行かねばならぬ同盟国の王がおり、最後の入場ではダメであること。また、結局、カイネも同盟国の姫もエスコートがないことにかわりないので、一番目立たない終盤くらいが絶妙のタイミングであったのだ。
けれど、意図的にカイネが最後にされたことで、彼女たちもまた、どうしても挨拶に行かねばならぬ国や王たちがおり、カイネの会場入りの時間にはどうしても扉付近から移動せざるを得なかったのだろう。
……このタイミングで本来挨拶に伺わせていただく予定だった王たちのところへは行けない。全員が到着してしまっている状態で私から挨拶に伺うと、勝手に順位をつけているかのように、受け取られかねない。
「…………」
カイネは仕方なく、どこの国へも挨拶をせず、程よい席に着席しようと黙視で確認する。けれど、ほとんどの国が既に着席しており、カイネが腰かけても不自然ではないテーブルでは、本当に物理的に上座としか言いようのない席しか空いていないである。
表情には出さず、困り果てて視線だけを滑らせるその中で、ひとりの王子がニンマリと嫌な笑みを浮かべたのが分かった。
なるほど、恥をかかされたと思って、その仕返しね。だから絶対にあの王子は嫌だったのよ。
その王子はちょうど、招待状の紙を用意した国の王子であった。さらに言うと、カイネが先日、丁重に二度目の婚姻の申し入れを断ったばかりの。
これだけの厳重な魔法確認がなされる招待状の文字を書き換えられるなんて、確かに大した度胸と、ある意味で才能はあるわ。だけど、愚かにも程がある。平和を謳うための式典でこんなことになって、これがきっかけで戦争の火種にでもなったら、どうするつもりなの。
けれど、確かにその王子も愚かではあっても、知能的には中途半端に馬鹿ではないのだろう。カイネが座っても不自然ではないテーブルの絶妙な位置に腰かけ、さらには自分の横の席を空けているのだ。そして、ふふんと笑った上で、カイネに分かるようにわざとらしく、自分の横の空席を指差したのである。ここならば、空いているぞ、と言わんばかりに。
私が断ってすぐに、婚約が決まったと、次の式典でお披露目するとの誰も聞いていない情報をそういえばわざとらしく周辺国に言いまわってるとか、まわってないとか。確かにこの間の姫茶会で聞いた気がするわ。そう、そういうことね。
カイネがげんなりとした気持ちを押し殺し、なんとかこの状況を、不自然に時間をかけずに立ち回らねばと思ったそのとき、例の王子が立ち上がったのだ。そして、カイネの方を見据え、こちらに向かって歩き出したのである。
「待ちくた……」
と、勝手に王子が言葉を口にしかけたその時、その愚王子とカイネとの間を遮るように、ひらりと白いマントが揺らめいたのだ。
「カイネ王女、お待ちしておりました」
「……っつ」
カイネは驚いて丸くなってしまった目を、周りに悟られぬよう、その長い睫毛を伏せ、瞬きすることで誤魔化した。そして、人知れずに喉を小さく震わせ、初めてみるネロの白い魔導騎士服姿に息をのんだ。
アヴァロンの魔法族は日の光が体質に合わないため、王族も含め全ての魔法族が正式な場であっても必ず、厳重なる遮光素材の黒い魔導服や魔導騎士服しか着用しない。けれど、今日のネロはその逆。アヴァロンにどれほど通おうとも見たことのない、白い魔導騎士服を着用していたのだ。そしてそれは生地の色こそ白であるが、その胸元にはちゃんと、金でアヴァロンの文様の刺繍が施されており、たとえ色がいつもと違おうと、王族の正装であることが一目瞭然であった。
ネロが右手を左胸の金の文様に重なるように添え、左手を腰の後ろへと持ってきて、右足をひき、とても恭しくアヴァロンで敬意を示すお辞儀で声をかけてきたのだ。
ただ残念ながら、このポーズは本当に丁寧な挨拶の一種で、まるでエスコートしてくれるときのそれではない。
カイネがじっとネロを見つめていると、チラリとこの会場に魔法で設置されたトキの時計に視線をやったのが分かった。
その時計が示す時間を見て、それが本当に、式典を開始する数分前であることに気づき、カイネは考えを巡らせていく。
例えば、時間守はきっと、カイネが招待状をみせた時点で、誰かが意図的に招待状に細工をしたこと、そして、カイネが本来到着したいであろう時刻を過ぎてしまっていたことに気づいていたはずだ。それでも、そのままカイネが最後になるようにしたのは、不必要に干渉し過ぎないためだろうとカイネは思っていた。互いに警戒をすることが互いを守ることに繋がるのと同様、変に介入しないことが我が身だけでなく、自国を守ることにも繋がるからだ。
けれど、愚王子が本当に数字の意味が分からずにゴソベル暦6ヘルツと書いたのならばただの馬鹿としかいいようがないが、流石に開催時刻が分かっていて時間を変えたならば、最後のひとりであろうと、数分前ではなく十分から十五分前に着くようになるはずだ。
アヴァロンの者は過去に介入しない。それが例えば現在進行形で行われるトキの調整された空間で起こることであろうとも、一分でも過ぎればそれは事実として決定するため、過ぎ去りし時間へと繋ぎはしないのだ。となれば、彼らは時間を確かに調整したけれど、あえて本当の開催時刻ギリギリとなるトキへと、未来の時間に繋いだのだろう。
ネロが顔をあげた瞬間に、その紅い瞳が、今日のカイネの黒い瞳をしっかりと捉えた。滅多に笑わないアヴァロンの王子が、それはそれは穏やかな笑みを浮かべているのである。
……なるほど。昨日から本当は招待状の細工にも気づいてたから、何でもお願いごと聞いてやるって言ったのね。怒るなよ、っていうのと……なんてズルいのかしら。確かに私が剥れないように、ネロは絶妙に二回お願いを聞いてくれている。無理矢理踊ったダンスと、本当に踊ってくれたカイネとネロのダンス。この件のご機嫌取りと、本当に恋人を甘やかす意味の両方。……こんなの、信じるしかないじゃない。
きっと、恋人は見事にこの窮地を救ってくれるのだろう。ネロが人前で仏頂面を封じてここまで愛想よく振舞うときは、本当に王子としてそう動かねばならぬとき。ネロの動向に恋人として、一国の姫として、両方の意味でその些細な表情の変化の全てを見逃すまいと、注視した。
※毎週土曜日、朝10時更新予定🐚🌼🤖
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