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世界の子どもシリーズNo.15_過去編~その手に触れられなくてもSecret episodeχ1~―流離の楽師―

2024年12月14日

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世界の子どもシリーズNo.15_過去編
~その手に触れられなくてもSecret episodeχ1~―流離の楽師―

 

―サンムーン開放式典、開始直前―

「ソドレル音、8階7譜。……お時間が早うございます」
「いやさ、やっぱりカイネのエスコートしてから、協力させてもらおうかなって」
「……特殊空間待機魔法。テレシオ様をトキの時間まで控え室へ」
「ああっ、なんでだよ~」

 テレシオが控え室へと戻される直前、控え室の窓の向こうでめくるめく変わる景観の片隅に、ずっと会いたかった人物の後ろ姿を捉えた。

「……カイネっ」

 けれど、護衛が邪魔で横顔さえ見えられなかった。本当に小さく、後ろ姿を捉えただけ。窓の外の景観は一瞬で、また違うアヴァロンの時へと移り変わってしまった。

「時間守の二人、わざとみせたな……。ちぇえ~。でも、惜しかったってことかぁ。やっぱり時間を計算せずに直感で動くのが一番だな。なーんか、そういうタイミングはカイネと相性がいい気がするんだよね~」

 テレシオは抱えていたハープをそっと置くと、衣装がシワになるのも厭わず、ごろりと控え室に置かれたソファに横になる。
 好きな部屋を選んでいいと言われるので、いつもこの部屋を選ぶけれど、アヴァロンの王子がすごく嫌な顔するのだ。

『……お前、絶対にカイネと対の位置になる部屋を選ぶんだよな。試しに定期的にドアと部屋の中繋ぎ変えてみても、やっぱり今日はこっちにするって、絶対に対になる部屋を選ぶんだ…………お前、本当に魔法使えないんだよな?』

 アヴァロンの王子が言うようにテレシオは本当に自分自身で魔法は使えないし、部屋はいつも直感で選ぶ。けれども、毎回あのアヴァロンの王子の苦虫を潰したような顔もおまけでみるのが、いつしかテレシオの楽しみのひとつとなっていた。
 テレシオは今からカイネがひとりで会場に入るのかと思うと、どうにも納得ができない部分があり、腹いせにアヴァロンの王子のあの苦虫を潰したような顔を思い出すように努めた。
 きっと、この控え室にいるのは時間で言うと数十分もないだろう。
 けれど、体感でいうと、いつも小一時間くらいはあるのだ。
 ひとしきり、アヴァロンの王子の苦虫を潰したような顔の全バリエーションを思い返して心を落ち着かせたところで、本当にこの時間を控え室にいる時間として使うため、テレシオはカイネと出会った時のことを大切な感情と共に丁寧に思い出し始める。

♪♪♪

 今日も家を抜け出し、兄の恰好を真似て、アヴァロンへと向かう。
 今、この星はアヴァロンと繋がれている。こんなまたとない機会を逃す奴などいないだろう。もちろん、テレシオも。

「そこのお嬢さん、一曲、どうかあなたの為に歌わせてください」

 いつもの噴水広場のところで、年頃の女性にそう声をかけては、流し目で儚げに微笑み、放っておけない流離さすらいの楽師を装う。

「まあ! じゃあ、一曲だけ」
「ええ。あなたの為だけに、愛を込めて歌いましょう」

 手の甲にキスを落とし、ハープを奏でながら歌い出すのがお決まりのパターンだ。先ほどの女性はうっとりとした表情でこちらを見つめていて、既にテレシオに心傾いている。

 正直、チョロい。もちろん、一人だけの為に歌うなんて嘘。

 まあ、許してよ。今は大チャンスなんだ。だって、アヴァロンは自分の星だけじゃなくて、色んな星とも、繋がっている時期だろう?
 アヴァロンへ行けば、アヴァロンの国の人だけじゃなく、勝手に色んな星のファンを獲得することができるんだ。

 テレシオが聞いた噂では、とある惑星の芸術を発展させるための一環のそうで、アヴァロンでは今、宇宙中の芸術好きの星と芸術を共有しているらしい。

 もちろん、音楽もそれはそれは尊い芸術。

 歌い終えるといつの間にか噴水広場は多くの女性でいっぱいになっていて、正直、気分がいいのだ。
 テレシオが歌う度に、拍手、拍手。拍手喝采。

 そういうのが連日続いていて、日に日に噂は噂を呼び、噴水広場は客で溢れかえるようになっていた。

「あーー、ずっとアヴァロンと繋がってたらいいのに」

 帰宅してすぐ。ニマニマと明日の拍手のことを考えていたからだろう、油断して碌に確認もせずに盛大な独り言をもらしてしまったのだ。すると、珍しくオフだったらしい、兄の声がテレシオの独り言をそれとして聞き流さず、食いついてきたのだ。

「ああ! テレシオ。まーた俺の服を勝手に着てアヴァロンに歌いに行ったな!」
「げっ、いたのかよ。別にいいだろ。兄貴はこっちで仕事があるんだし。私は違うんだ」
「あのなぁ、そういう問題じゃないだろ?」
「いいや、そういう問題だ。だって、歌ってるのは私だ」

 テレシオの国は音楽に溢れている。正直、楽器はみんな弾ける。歌は上手くて当たり前。そんな国の中でも、兄は歌を生業に十分に生きていけるくらいの地位を築いている。
 けれど、テレシオも兄と似たような声を持っているのに、何故か評価されない。それでさらに言うと、女なのが良くないとテレシオは思っている。

「私も男だったらな」
「まーた始まった。そんなの関係ないだろう?」
「あるさ。ある!」

 そんなやり取りを毎日のように繰り返し、結局、兄の恰好を真似てアヴァロンへと向かい、噴水広場で歌うのだ。

「きゃああ! 素敵だわ!!!」

 いつしか、アヴァロンの女の子たちのファンがつくくらいにはなっていて、本当に気分がよかった。
 そんな中、友達に引っ張られてやっていたひとりの少女が目に留まり、初めてならばとサービスで手の甲にキスを落とそうとして、その子は慌てて手を引っ込める。

「チェ、チェルシー! ファンなんでしょう? お願いしたら?」
「いやいや、我はいいよ。どちらかというと、されるよりする側だから」
「こんな機会ないだろう? お願いしたらいいのに」
「そうよ! ねえ、カイネが断るのなら、私がお願いしたいんだけど」

 数人のグループで騒ぐ少しばかり年下であろう女子たちのこのやりとりが可愛らしくて、テレシオは思わず声をあげて笑う。

「ははっ、なら全員に」

 そう言って、彼女たちの手の甲にキスを落とそうとするも、二人の女の子はすっとんできたけれど、カイネという女の子とチェルシーという子は首を横に振り、挨拶を拒まれてしまったのだ。
 この容姿に靡かない子たちも珍しく、その子たちはすごくテレシオの印象に残った。

 あまり、音楽には興味がないのかもなぁ。

 けれど、歌い終わると一変、カイネという女の子が一番に目を輝かせて、テレシオに寄ってくるのだ。

「すごくすごく素敵でした! また聴きたい……!」
「うん、ありがとう」

 なんだ、この子もチョロいじゃん。

 そう思っていつも通り、流し目で儚げな表情を作り、さり気なく手を握りキスを落とそうとする。けれどやっぱり、カイネという女の子は慌てて手を引っこめて「は、恥ずかしいから」と言って、次に噴水広場へとくる日だけを尋ねて、友達と共に去ってしまった。

 そんなカイネという女の子は他の友達が来ない日であっても、ひとりだけずっと通い続けて、テレシオの歌をそれは熱心に聴き、盛大な拍手をいつも送ってくれていた。
 何となく、それがテレシオの日常になっていて、そして、少し天狗にもなっていたのだろう。テレシオは自分はすごいと、自惚れてしまっていたのだ。

 そうしたら日に日に、女の子たちも減ってきて、手の甲のキスとか流し目のポーズとかそういうのが通用しなくなってきたのだ。
 それでも歌い出すとある程度の人が足を止めてくれるから、心の奥底で何かが引っかかりながらも、満足しているフリをしていた。

 それが崩れてしまったのは、兄が正式に仕事としてアヴァロンにやってきたとき。なるべく時間が被らないようにと思ったのに、ついつい噴水広場に長居してしまったのである。

「きゃああ!! すごい!!! テジオンリ様だわ!!」
「きゃあああああ!! かっこいい!!」

 テレシオの歌を聴いてくれていた女の子たちも一瞬で兄の元へと駆けて行ってしまったのだ。そして、ひとりの女の子に気づかれてしまう。

「そういえば、噴水の楽師様ってテジオンリ様に似てないですか?」

 兄が女の子たちの視線にあわせ、テレシオの方を振り向いたのだ。兄妹だから分かる範疇で、兄がぎょっとした表情の時にみせる、目の見開きをみせた。そしてやはり、兄もまた兄妹だからだろう、一瞬でテレシオのこと(状況)に気づいてしまい、営業スマイルというのを浮かべたまま、困ったときの声色のそれで答えた。

「し、親戚の子……なんだ」
「え、そうなんですか!! 言ってくださいよ~」
「はは、あははは」

 テレシオもまた、周りのキャーキャーという声に流離の楽師らしく、何も言わずにちょっとした久しぶり感を漂わせて、あえて哀愁感のある笑みを浮かべてみせる。けれど、心の内はまるで哀愁なんてものはなかった。苛立ちと、それ以上にくる、恥ずかしさ。
 それはもちろん、周りの女の子たちに対してではなく、テレシオ自身に対して。兄がわざわざ親戚の子と言ってくれたのは、テレシオが懲りずに男装していたからだ。
 テレシオは女性にしては背が高く、声もどちらかというと低め。
 体格も骨ばっていて、女性らしい身体つきかというと、そうでもなく、兄同様に顔自体は整っているのに、あまり男性受けはよくない。
 けれど、兄ほど男らしくも歌えなくて、女の姿のままで歌っても、誰一人、足さえ止めてくれないのだ。
 だからずっと、テレシオは素晴らしい才能の兄から逃げ、歌が上手くて当たり前の自国を避け、ファンを獲得するために性別を偽って歌い続けていたのだ。実力ではなく条件を整えて、甘い蜜を吸うために。

 すると、あくる日から全てが変わっていく。
テレシオが歌いに来ても、皆が兄の話を聞かせてほしいとせがみ、歌わせてはくれなくなったのだ。
 ただただ女の子と会話をして、一日が終わるのである。それでもチヤホヤされることから離れられなくて、テレシオは噴水広場で喋り続けた。
 そうしたら、一番に熱心に聴いてくれていたカイネという女の子だけが、ぱったりと来なくなってしまったのだ。

「ふうう。よし」

 それでも、どうしても歌いたくなって、テレシオはある日、男装せずに女の姿で歌うことにしてみたのだ。それは、アヴァロンに通い始めてから、初めてのことであった。
 すると、どうだろうか。やはり、結果はこれまで通り、何一つ変わりはしなのだ。歌声は確かにテレシオのままなのに、男装の時とは違い、誰も足を止めてはくれないのである。
 それでも、なんだか久しぶりに歌うのは楽しくて、テレシオは観客がいないままに、歌い続けた。

 本当の自分はこんなものだ。歌うのは楽しいけど、観客はやっぱ、最後までゼロ。なっさけな~。

 そう思って一人寂しく帰ろうとしたその時、噴水から離れたところで、一人の女の子が人目も惜しまずに盛大な拍手を送ってくれたのだ。
 例の、カイネという女の子だった。
 けれど、今は男装をしていないから、テレシオはペコリと頭を下げて、そのままに走って帰ることしかできなかった。
 走りながら、バレたらどうしようかと焦っていたけれど、それでも、心の中で何かが弾けているような感覚が帰宅してもしばらく、続いていた。

 その日から、男の姿でテジオンリの親戚としてのトークをしてから数曲だけ歌って、たくさんの女の子からの拍手を貰っては、その次は女の姿で誰も観客がいないなか、歌うというのを繰り返す。
 ただ決まって、どちらの姿の時でも、歌う瞬間だけカイネという女の子は必ずにやってきて、盛大な拍手を送ってくれた。

 そして何となく、まずは男の姿で噴水広場へと行くのをやめてみることにしたのだ。
 けれど、女の姿で歌っても結局ファンはつかなくて、最初は自由に歌うだけでも楽しかったのに、無観客で歌うのはやっぱり惨めで辛くなってくるのである。

 そんな日々が続き、とうとう噴水広場へと行っても歌う気が起こらず、ハープを片付けて帰ろうとしたその時、声を掛けられる。

「どうして今日は歌わないの?」
「え?」

 それはカイネという女の子で、この子が毎日来るのは男の姿でも女の姿でも歌っている時だから、きっと音楽ならば何でも好きなのだと、いつしかそう思うようになっていた。
 だからつい、自分よりも年下の女の子なのに、テレシオは苛立った口調で言ってしまうのである。

「君にはわからないよ。どれだけ歌っても、女の私じゃダメなんだ。男のような声も出せないし、女にしては低すぎる。観客がいなくてみじめに歌う私の気持ちなんてわかるわけないだろ!」

 はっと気づいて、八つ当たりをしてしまったとテレシオが慌てて顔をあげると、カイネという女の子はきょとんとした顔をしていた。

「観客はいつもいっぱいいるじゃない」
「はぁ~あ? いつも、君だけじゃんか」
「ねえ、歌ってよ。私、いつも2曲目に歌ってくれるやつが好きなの。あれ、男装してる時しか歌ってくれない。あれを本当の姿のままで聴きたいの。こっちの日の方が、若干声が高くてね、掠れる瞬間がすごく好きなの」

 そう言われて、テレシオは驚く。ずっと同じように歌っていたはずなのに、テレシオは無意識に男装している時と、この姿の時、歌い方を変えていたようなのだ。それも、曲を、自信のある曲ほど、男装の時にしか歌わずに。

「え、どっちも私って気づいてたの?」

 カイネという女の子はさも当然だろうとでもいうような表情で、何度もぶんぶんと頷くのである。

「ここにいる人はみんな気づいてるよ」
「え?」

 すると、カイネという女の子はてくてくといつも噴水広場で新聞を読んでいる強面のおじさんたちの所へと寄っていき、「ね?」と言うのだ。
 驚いてそちらの方を向くと、そのおじさんたちは秘密を暴かれたと抗議するかのような唸り声と共に、視線を新聞からカイネという少女の方へとあげていくのである。

「なんでバラすんだよ。明らかにこのお姉さんは隠してただろう? だからみんなで黙って聴いてたのに。なあ?」
「あー、もう。カイネ様にはかなわないなぁ。全く。ほら、今日から拍手は解禁だな」

 すると、カイネという女の子は怒ってる訳ではないのが分かる程度に、柔く冗談めかして、けれども言葉だけは本気で、その場にいる者を責めるのである。

「もう。素敵な音楽には拍手するのが当たり前ってずっと言ってたのに! みんなこっそり聴いてるなんてズルいんだ」
「あー、そうだな。俺らが悪かったよ。恥かしかったんだ。お姉さんごめんね。いつもありがとう。今日も歌ってくれないか?」
「は、はい」

 テレシオの返事を聞くや否や、カイネという女の子はとびきりの笑顔でやはり、初めてのリクエストをくれるのである。

「いつもの2曲目に歌う曲ね! ちゃんとフルで歌ってね!!」

 その子の背後で、ちょうどヴァロンの日が沈み始めて、ああもうすぐ夕方なんだなとテレシオはぼんやりと認識した。その夕暮れの色が、その子の白いワンピースを深い橙色に染めていく。そうすると、まるでその子も太陽の一部なんじゃないかと思えてきて、その子の笑顔から太陽の温かさを分けてもらっているような気になってくるのだ。その温かさを確かにテレシオの胸の中で感じたその時、その温もりは小さな情熱へと変わっていったのだろう。

 ああ、なんだろう、本当にこの子の笑顔のために歌いたいな。

「えっと、カイネちゃんであってる?」
「うん! カイネって呼んで!」
「わかった。カイネのために、心を込めて歌うよ」

 その曲が歌い終わる頃にはアヴァロンの人工太陽がはすっかりと沈んでいて、そして、男装して歌うときよりもたくさんの人が、噴水広場に集まっていた。

「あーあ。素敵だからみんなに聴いてほしかったんだけど、明日からもうここで聴けなくなっちゃうから嫌だなぁ」
「え?」

 今日は珍しく、カイネは少し離れたところではなく、テレシオの真ん前で聴いていたのが不思議だった。どうして明日からは来てくれないの、と聞こうとしたその時、大きな声が響く。

「見つけましたよ! カイネ様!! 毎回毎回、この時間にいなくなると思ったら!!! もう逃がしませんからね!!」
「…………ね? 明日から来れなさそうでしょう?」

 カイネはがっしりと腕を、明らかな作り笑顔で眉をピクピクと動かす年配の女性に掴まれている。

「そうでしょうね。もう絶対に逃がしません。例のお茶会の準備があるとあれほどに言っているのに!! そろそろ踊りの……」
「やあね! そのために来てたんじゃない!」
「またそんなこと言って……」
「本当よ! 私、今回は踊らないもん」
「じゃあ、何をするっていうんです? 絵ですか? ピアノですか?」

 すると、カイネがむっとした顔で言い返す。

「絵はかけませーん。ピアノも弾けませーん。今回は踊りもしませーん」
「なら、何をするって言うんです!」

 呆然とそのやり取りをテレシオはみていたが、程なくして、噴水広場に集まっていた客の拍手が、慣れたような笑い声に変わっていったのだ。
 けれど、周囲の様子なんて関係ないのだろう。カイネはカイネのままにニコリと微笑みながらこちらを向いたかと思うと、テレシオの手に一通の封筒を握らせるのだ。

「絶対に来てね!!」
「え?」
「私、絵もかけないし、楽器もできないけど、耳には自信があるの!」
「え?」
「今日で決めたわ! 絶対に2曲目の歌を、今日の姿で歌ってね!」

 そう言い残して、カイネはずるずると引きずられる形で、女性に延々と小言を言われているのに聞く様子もなく、連れていかれた。
 戸惑うテレシオをみて、カイネと一緒に今日聴いてくれた強面のおじさんたちが、がはがはと笑いながら、テレシオの肩を叩く。

「もう逃げられないな。運命だ! 頑張れよ!」
「やぁ~、カイネ様は何しでかすか分からないからねぇ」
「カイネ様の踊り好きなんだけどね~また見たいもんだ」
「え? だから、コレ、何?」

 テレシオがどれほど聞いても、笑顔で肩を叩くだけで、誰もそれ以上は言わない。
 仕方がなく、黙ってその封筒を開けて、テレシオは驚愕するのである。

ムー主催 宮廷芸術サロン招待状

「な、な、な、なにこれ~~~!!!」

 周囲から笑い声が絶えず響き、いたずらかと思ったけれど、本当に王印が押されていて、テレシオは心底ビビるのである。

 いやいやいやいやいや、えっつ、いやいやいやいやいや、ええっ。

 その晩は眠れなくて、信じられなくて、兄にも父にも言うことはできなかった。
 しかもテレシオが招待状を貰った段階では、その招待日まで3日もなかったのだ。

 日がなさ過ぎて、荷が重いとも断れないし。普通に畏れ多くて断れないし。でも荷は重すぎるし、でも光栄過ぎて行きたいし。

「いや~、でもな~。うーん、でもなぁ」

 テレシオはひとり、招待日まで噴水広場へとは行かずに自室にこもり、考え続けた。正直なところ、どの答えを出しても、ある意味で正解というのはないのだろう。
 けれどテレシオの中で、どれほどに悩んでも、心にその判断を委ねたとき、結局に辿り着く答えがひとつであることは、本当は始めから分かっていたのだ。

『今日で決めたわ! 絶対に2曲目の歌を、今日の姿で歌ってね!』

 嬉しすぎるんだよなぁ。歌い方も、声も、曲も、ちゃんと全部聴いてくれた上で、そう言ってくれたのが、分かるから。

 カイネの言葉と笑顔を思い出すと、テレシオの中でもう生まれてしまった情熱というのは、心に従うだけの勇気を生み出すには十分だったのだ。

「よしっ」

♪♪♪

―サンムーン開放式典、開始直後―

「ソドレル音、8階7譜。……ミュージ星ミューク国、テレシオ様。お待ちしておりました」
「よく言うよ~。ずっとここにいたじゃん! カイネに一人で会場に入らせるくらいなら、私がエスコートしたってよくないか? いくらプランのひとつだとしても、カイネだけが何も知らないんだろう? 言っとくけど私、男装の時の姿、絶対にアヴァロンの王子にも負けないからね」

 少しずつ気心の知れてきた、いつもの時間守たち。
 テレシオは久しぶりとなるカイネに会いたくて仕方がないのに、どうも時間厳守な彼らはやはり、僅かばかりでも早くは繋いではくれなければ、エスコート役をどれほどに申し出ても、特殊魔法でテレシオを別空間へと隠し、許可してはくれなかった。

「……知っていますか? あなたはアヴァロン中の男に嫌われています。どうかこれ以上、我らが君主のポジションやアヴァロンの男の立場を奪わないでいただきたいものです」
「まあね? アヴァロンの女の子からたっくさんラブレターもらっちゃってるけどね? でも、どうかなぁ。女の子にモテちゃうのは私の抑えきれない才能だからなぁ。……だからなぁ、協力するのはいいんだけど、モテちゃう立場から言わせてもらうと、女の子一人でエスコートなしで行かすとかあり得ないんだけど……」

 テレシオの回答に苦笑いを浮かべ、ブラウン家の者はそれ以上答えようとはせず、そそくさと暦の封を開ける作業に入ってしまった。すると、どうしたのだろうか、時間守のあまりテレシオとは話したがらないハミル家の者が、向こうから話しかけてきたのだ。

「私も今回ばかりはテレシオ様のご意見に賛同しまする。私はアヴァロンの国にお仕えはしておりますが、このアヴァロンのため、ネロ様というよりは、カイネ様にお仕えしているとの認識でいますので。……招待状に細工するあんな愚かな王子など、ちょっとした幻覚でもみせさえすれば、わんわん泣いてお国に帰るでしょうに」
「おおっ、いいね~。今日は随分と気が合いそうだ。……まあ、言葉の節々、相変わらず二人とも私に対して失礼だけどね?」

 けれど、ハミル家の者もまた、テレシオの回答を表情一つ変えずに無視すると、何事もなかったかのように、時間封を開けに入った。

「……ネロ様だってつまらぬヤキモチだけでエスコートなしでわざわざカイネ様をひとり会場入りさせたのではありませぬ。あえてあれを周辺国に見せたかったのだと思いますよ。我々の期待を裏切らぬ、それは美しく気高き登場の仕方でしたよ」
「だーかーらー。何で私だけ別空間に隠して、せめて一緒に外からでも様子を観させてくれなかったんだよ~」

 テレシオがクレームを言っている間に、時間守は会場から少しずれた空間へと繋いだ時空間の入り口である渦を作り出す。
 その渦の向こうには、赤く、青く、星々の光を散りばめさせた、暗闇と光の絶妙に入り混じる空間が広がっていた。

「……久しぶりの再会はズルなく双方にとって、久しぶりの方が感動が大きくなりますでしょうからね」

 テレシオは幾度も酔ったこの空間を、もう慣れた足取りでしっかりと歩み進めていく。

「それは間違いない。私だってやっと、歌いたい人の前で全力で歌えるんだからさ」

 背後から二人の溜息が重なり合い、けれども、堂々とテレシオはカイネの元へと歌いに行っても良いのだと思える後押しの言葉を漏らしてくれるのだ。

「だからタチが悪いのに、モテることを認せざるを得ないので、アヴァロンの男にだけやたらと嫌われるのです」
「だからそれでもエスコートはあなたには頼めなかったのです。これから先、あなたという味方が、社交いう戦いの場でカイネ様には必要になる。……切り札は最後までとっておかないと」

 テレシオは二人の熱烈な褒め言葉に、喉のウォーミングアップも兼ねて、ヒューっと高めの一吹き、絶妙な音階の口笛で答えておいた。

 テレシオはムーの芸術サロンの日を境に、音楽の旅に出ていた。

 あの日、あの時。ムーの芸術サロンでは緊張し過ぎて歌えなかったのである。厳密に言うと、歌えたけれど、歌えなかったというのが正しいかもしれない。
 サロンで歌った後、みんな拍手をくれて、カイネは笑顔で喜んでくれたけれど、テレシオは気づいたのである。あのとき、カイネは自分の芸術披露の枠を、音楽鑑賞として、テレシオの歌をみんなの前で披露することに使ってくれたのだ。
 けれどもあれはテレシオの音楽が素晴らしいのではなく、本当にカイネの好みとしか言いようがなかったのだ。
 だから、白状すると、ただただ運が味方しただけで、あのサロンに参加できたこと自体、実力ではなかったのである。けれど、普通に実力があるよりも、すごくラッキーな運で、運命であったと、それが自分の強みであると、テレシオは自負している。
 テレシオの緊張し過ぎた下手な歌を聞いたムーの王は、主催国としての威厳があるのだろう。最後までカイネに踊りを披露しろと命じたけれど、カイネは頑なに拒んだ。
 テレシオ自身も明らかに自分だけがレベルが違って、正直、恥ずかしいなんて遥かに通り越して、絶望的な気持ちであったし、処罰されるかもしれないと気が気じゃなかった。さらに言うと、カイネの踊りを見たことはないものの、参加している姫たちはぜひ見たいと目をキラキラさせて言うものだから、頼むから踊ってくれと、ずっと心の中で叫んでいた。

 ただ、あのときは芸術サロンの中でもムーが主催の、気心の知れた姫たちのお茶会だったらしく、カイネも譲らなかったのをよく覚えている。
 サロンが始まってすぐは、テレシオだって、その場にいる周りの誰だって見惚れてしまうくらいに綺麗な礼儀作法でお辞儀をし、他の国の芸術披露をそれは可憐に鑑賞していたのに、もう街の時とほぼ同じような素の表情で、涙目になりながらも、カイネはムーの王に反論するのだ。

『芸術は、自分が一番好きなものを大事にしていいのです。絶対に踊りません』

 その瞬間に、テレシオの心の中で、初めて本当の自分の姿で噴水広場で歌ったときのように、何かが強く弾けたのだ。これではダメだと思い、テレシオはムーの王にもう一度歌い直させてほしいと、願い出た。正直そんな畏れ多いことをよく言えたなと、周りの者はもちろんのこと、テレシオ本人も思ってしまうほどの空気間だった。けれど、あの日のテレシオはカイネの言葉を聞いた途端、そんな空気間をも弾き飛ばしてしまう程の衝動が身体中に走り、気が付けば口が勝手に動いていたのだ。
 そうしたら他の姫も慌ててテレシオの味方をしてくれ、それもあってか、本当のお情けなのか。もう一度だけ、歌わせてもらえることとなったのだ。
 その泣きの一回、テレシオは最後の一音までその時の自分ができうるものを、カイネのために歌い切った。
 カイネが噴水広場に聴きにきてくれる形でこれから先もカイネの前で歌うことが出来たとしても、テレシオが本当にカイネのために楽師として宮廷で音楽を届けたいのならば、今、ここで歌い切らなければその機会は永遠に損なわれてしまうと本能的に感じていたのだろう。
 その想いは、歌は、きっと、カイネには届いていたとテレシオは今でもずっと、信じている。カイネが先日の噴水広場で見せた笑顔と同じ太陽のような、けれども姫としての強く気高き笑みで、拍手を贈ってくれたから。他の姫からも、社交辞令ではない拍手が貰えたと、未熟ながらも音楽を奏でるからこそ、拍手の音の違いで感じることができた。
 何より、ムーの王も形だけの小さな拍手を「カイネの好きそうな音楽だ」という言葉と共にくださったのだ。

 ああ、もっと上手くなりたい。

 深々とお辞儀をし、強い感情がテレシオの身体中を駆け巡って、たくさんを自覚するのだ。兄と比べると、足りないのは圧倒的にプロ意識と技術と努力だと。
 そのままの足で、テレシオはアヴァロンが募集していた芸術の記録集めの仕事に申し込んだのである。
 芸術の枠はいくつかあるが、テレシオが申し込むのはもちろん、音楽の枠。自国の代表として、自国の音楽を広げ、他国の音楽を覚え、その記録を提出するといったものだ。
 本来ならば、テレシオではその仕事は知名度がなさすぎて、申請さえさせてもらえなかっただろう。
 現に、一度とならず何度も、断られたのだから。
 けれども、情熱というのをテレシオはもう、知ってしまったから。
 プロ意識と技術を身に着け努力を重ねると決めたあと、兄の名を使わない手はなかった。兄がアヴァロンにいる時に申請し、テジオンリの妹の歌ならば聞いてみたいと兄のファンに言わせ、まずは受験資格をもぎ取った。兄がアヴァロンにいる時とはすなわち、アヴァロンの者が兄の歌を聴くときということだ。いつものテレシオならば、兄が歌った後に自らも歌うなど、絶対にしないことだった。けれど、この宇宙の中でムーの王の怒りほど怖いものはないと知ったテレシオに、兄の後に歌うだけならば、もはや恐れることではなかった。
 一次審査を通過し、二次審査を通過し、三次審査を通過し。
 テレシオは審査に通過するために、音楽自体は実力で勝負したけれど、まだ足りない技術や経験は、才能を存分に生かし、補った。モテるのも才能なのだ。アヴァロン中の女の子という女の子を、味方につけることにしたのだ。
 それは後に、アヴァロン中の男に嫌われたと言われるほどのファンの獲得の発端となった。テレシオはアヴァロン中の女の子の心を、歌だけなく、やはり流離の楽師のトーク術をも含み、掴んでいったのである。男装をするのではなく、とてもカッコイイ、女性楽師として。

 異例の抜擢で決まったこの音楽の旅を、たくさんのものを背負って、やり切ったのだ。
 けれどもだた一言、それを何と表現すると問われたら、こう答えるだろう。

 ムーの姫のお気に入りであり続けるためさ、と。

「あ~、あああ、あ~」

 トキの調整のされた会場横の待合室で、テレシオは本格的なウォーミングアップを開始する。

 テレシオは音楽の旅で、たくさんの星と国の音楽に触れて、たくさんの文化の中で自分の音楽を伝えて、その全ての音と感動を、宇宙のさらなる発展のため、記録していった。
 それはテレシオの目標である、技術と経験を身に付けさせ、さらには宇宙中の多くの国で高くその歌とハープ演奏が評価されるところまでの結果を残しつつあった。

 あのさ、カイネ。あのムーでのお茶会のあと、すごくすごく頑張ったんだ。ちゃんと、大国ムーにテレシオの名前が届くくらいには、私も有名になってきただろ? テジオンリの妹としてではなく、テレシオとして。

 その努力が実る日のひとつが、残しつつある結果を確実に残すところまでいくのが、今日の式典への参加である。テレシオは今日、テジオンリを差し置いて、特別な招待状で、特別な形で、カイネと同じ式典に参加することになっているのだから。
 きっと、今日の招待に兄ではなくテレシオが選ばれたのは、音楽の優劣ではなく、テレシオの才能であるモテることが、とてもとても、効果的に働いたから。それを捨てずに、突き進んだから。

「よし、今日のコンディションはばっちりかな」

 トキの時計が刻む時刻を見て、テレシオはにんまりと笑う。もうすぐ、テレシオのとっておきの出番がやってくるのだ。
 ハープを大切に抱え、テレシオはいよいよ、スタンバイに入る。

 さあ、カイネ。ムーの姫のお気に入りの楽師って叫んでくれていいよ!

 君の為にしか、歌わないからさ。いや、私が君の為に歌いたいんだ。

 

※毎週土曜日、朝10時更新予定🐚🌼🤖

 

世界の子どもシリーズNo.16

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