ループ・ラバーズ・ルール_レポート19「猶予」②
∞∞∞
―リファ負傷前、研究所―
「この資料……すぐには記憶できない。一度に記憶できる量じゃない」
リファがあえて淡々といつも通りに言い放った時には、これまたいつも通り、胸倉を掴まれ、大いに怒鳴られた。
「こんなのすぐだろうが! 適当なことを言うな、ゼロ・ファースト」
(モクトたちを守るには虚偽を意図的に見過ごすことはできない。……でも……)
「……本当だから言ってる……この量はすぐには無理。だって、テスト勉強もある。滞りなくジョウセイ高校で生活を続けるにはテストの結果は必須って言ってた。あそこは記憶していても、問題の問われ方が難しい。気を緩めたら間違えるから、学校の授業はいいけど、テストは勉強しないと無理。これを一気に覚えたら、テストの分の記憶に影響が出る。それに……ジョウセイ高校の子は記憶している事業以外も運営している子が多い。肩書が大袈裟に書いてあるときや、逆に書かれていない時がある。……確認に数か月はかかる」
胸倉を掴む手にさらに力がこもり、リファのすぐ傍で今にも怒りで正気を失いそうな研究員の顔が視界にぼんやりと映っていた。が、決して焦点をそれに合わせはしなかった。
リファは視線を一切合わさないまま、堂々と、そして淡々と説明を加え続けた。本当は緊張と嫌悪感で吐きそうであったが、この話している内容がルール内、嘘のない事実であることが大きかったのだろう、不思議と言葉はすらすらと飛び出してきたのである。
聞き流していたつもりであったが、テストの度に声をかけられ続けたからかもしれない、戸田沖の写真をみていたら、ふとリファはテストに関する彼のコメントを思い出し、即座にそれを借りたのだ。嘘とならないよう戸田沖の意見だとはあえて言わず、あたかも自分の導き出した推論であるかのような口調にすることも忘れなかった。
(いいか、任務が最優先……いや、いい。小鉢君。……のれ、……のれ)
「それくらい、テストくらい自分で何とかしろっ! いいか、任務が最優先事……」
「いや、いい。小鉢君」
研究員が喚く中、静かにあいつの声が響き、リファの掴まれた胸倉は投げ出されるようにして、手放された。
リファがテストでうっかりと名前を書き忘れて成績を落としたこと日以来、古舘も執拗にテストで首位を取ることを命令している。
一種の賭けでもあったが、目論見通りに食いついたことにリファは内心、安堵していた。その感情が漏れ出ないよう、必死に古館たちへの嫌悪感で感情をいっぱいにして、嘘がないよう、ルールを保ちながら。
「例の日まで時間はある。あちらの準備が進んでいれば、記憶すること自体はゆっくりでもいい。記憶した内容は、その後に重要なのだ。……それに……さらにその先、この子のジョウセイ高校での評価というのは最重要事項だからね」
「……古舘教授が……そうおっしゃるのなら」
(法改定……最初は嫌がっていたが、私をジョウセイ高校に通わせる価値を……後から自分たちで付け加えたのか……。次の任務は……きっと一時的にジョウセイ高校を利用するものじゃ……ない)
けれど、そんな次の任務の推測もまだ始めたばかりだというのに、それも一瞬で遮られるのだ。
なんとかなったと心の奥底で秘めて安心していたリファに、ゾクリと鳥肌と吐き気を催す声が、脅しというよりは、呪い。恐怖の文言をその悍ましい口から放ちだすのである。
「だが、小鉢君。君の言う通り、立場を分からせた方がいい」
(ああ……やっぱりこいつに、法律なんて関係ない)
次に続くであろう数々の言葉を考えただけで、まだ傷を負ってはいないというのに、過去に怪我をして癒えた箇所だろうか、全身がまるで怪我そのものの痛みを記憶しているかのように、ひどく痛みだすのである。
「……研究所内のこの防犯カメラ。これはね、一度私たちの元で、政府に繋がる前に違うものへと切り替えられているんだ。だが……抜き打ちチェックもある。編集が追い付いていない時期に来られて、見られたらまずいからね。万が一の時に備え、そんな大けがをするようなテストは、まだしていない。まだ、ね。……だが、いつだって準備はしてあるんだ」
(こいつに……学校への言い訳など……表向きの理由など……必要ないんだった。……全てを捻じ曲げるから)
あえて、悍ましい顔はみないよう、視線を資料の方へと向け続けるのが、精一杯の抵抗であった。
リファは震えそうになる手を必死に堪えていたが、それは無意味で、小刻みに震える手が、リファが握りしめた資料の、紙が脈打つ独特の微かな音を響かせたのだ。
それをみて、研究員がにんまりと嬉しそうに笑っているのを、見はせずともすぐそばから感じる視線で、理解してしまった。
「つい先日、08ルームのテストレベル11の起動確認を終えました」
(…………)
声は、もらさなかった。
けれども、唾を飲む音を、うっかりと。否、不本意ながらも反射的に漏らしてしまったのだ。
そして、汚らわしい手がリファの肩に触れ、わざわざ耳元で囁くように言うのである。
「すばらしい。では、そちらの研究データを今日は持ち帰ろう。ゼロ・ファースト……今回は記憶に集中できるよう、私も手伝ってやろう。しばらく学校を休むのもいいと思ってね。……学校をいつでも休めて……テストの成績が多少悪くなっても誰も文句を言わないように理由を作るのはどうかと思ってね。東条家ともなれば、事件に巻き込まれたり……そうでなくとも、交通事故などこの世界には溢れているからね」
「……っ」
「畏まりました。理由は怪我の具合に合わせてそのように致します」
ひどく嬉しそうな研究員の声は、呑まれた恐怖によって、リファの中で怒りにさえ変えることができなかった。もう、リファにできることは、恐怖に飲まれたまま、記憶する意図があるのを示すため、せめて手にもつ資料を鞄へとしまいこむこと。
(……落ち着け、落ち着け。……資料から手を離すな。……移動の時が、資料をしまい込む、チャンス……)
「全く、最近はレベル8でも怪我をしなくなってしまったから、困ったものだ。治癒の方の記録が足りない。それに、ゼロ・ファーストが怪我をすると砂原が煩い。砂原の対応は時間を消耗させるから面倒なんだ」
「本当にあの女はしつこい。毎回、古舘教授の手を煩わせて!」
「砂原が動くより前にテストを終えるように。ああ、表向きの理由というのを彼らは好むからね……政府に申請書を送ると同時に、テスト運転だといって、レベル11を開始しろ。無論、政府に送られる方のデータ表示はレベルは8でいい。これまでずっとレベル7で負傷するデータを使っていたからね。先ほどの怪我をしなかったというレベル8のデータをレベル7と表示して一緒に添付しておくように」
(……落ち着け、落ち着け。……週末……サルアさんに会える……耐える意味は……ある)
モクトたち子どもらとユーキの顔が頭を過り、リファは震える手の指先にまで力を入れて、それらを無理矢理押さえつけようと試みた。
(……ある。……意味は、ある)
すぐに記憶できない。この理由は機嫌こそ当たり前に損ねたが、ルール内、嘘をつかずに時間を稼ぐことに繋げたのだ。上出来といっていいだろう。
やはり、戸田沖のテストに関するコメントを引用したのがよかったに違いないのだ。古舘の反応と判断からして、戸田沖のそれは、社会的なそれと同じだということなのだから。
リファは無理矢理立たされるようにして、リファは痣ができるくらいに腕を引っ張られ、08ルームへと歩かされた。それでも、決して資料を握るその手を離さず、鞄を掴むのも忘れなかった。
「……離して。歩ける」
「ふんっ。逃げるなよ」
(逃げない)
逃げれば子どもたちに、特にモクトに何をされるかわからないのだ。
逃げられないのを分かっていて、研究員はわざわざ、馬鹿の一つ覚えかのように同じセリフを吐くのである。
リファは腕を振り切ると、歩きながらあたかも自然の流れであるかのように、資料を鞄の中へと突っ込んだ。
(これで……資料を……持ち出せる。この研究員の性格や言動を考えれば……リファの記憶待ちの間に……元データの確認はしないだろう)
資料さえ自宅の方へと持ち出してしまえば、研究所内の誰かの目に触れるのを避けられるとリファは予測している。
足が震えたそうにしているのを、力づくで捻じ伏せて、いつも通りに歩き続けた。
レベル10どころかレベル11のテストというのは、受ける前であっても、その言葉だけで、リファが地獄を生きていることを、強く知らしめる。ただ、リファは地獄の生き方を、少しずつでも記憶しているのだ。
(任務は中止にはできない。……でも、今ではなく、あいつの言う例の日までは先延ばしにできた)
リファが任務を続ける限り、モクトたちにしばらく手出しはされないだろう。あとはユーキの方だ。
病院を調べるか。ユーキを調べるか。
元データをどうにかして奪って改ざんするか、資料作成者を突き止めるか。
(……怪我の具合と……回復具合で……動ける範囲が、決まる)
聞き慣れてしまったこの施設の自動ドアの音は、まるで地獄への通過音だ。08ルームに入った瞬間に、リファは恐怖で震えるよりも前に、よりよく動けるよう、力のかなりを、開放した。
「開始」
08ルームは危険であるからこそ、あいつらは運転中、隣接した操作監視ルームで待機している。そのため、スピーカー越しにあいつらは指示を行う。あいつらの声を直接耳にしないでいいということだけが、この08ルームの唯一の良い所だった。
最初の一撃が、先ほどの二倍近いスピードで鋭利さを増して飛んできたのを捉え、リファは確信めいて、自分に言い聞かす。
(怪我をしないんじゃない。……学校に行けるだけの……動ける怪我に……留めろ)
to be continued……

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第2・第4土曜日