秘密の地下鉄時刻表―世界の子どもシリーズ―No.33_過去編~その手に触れられなくてもep25③~
「黄赤は……三年生。ネロが私のドレスを焦がした年」
「まだ根に持ってるのか? お前が赤いドレスが着たいっていうから。意地悪でしたんじゃなかったんだ。子どもの俺じゃ……買えないから……火で炎色にしてやろうと思ったんだ。……あと習ったばかりの魔法を見せたかったんだろうな。あの時の俺は」
「ふふっ、知ってる。でも、火で色は染められないわ。そもそも、炎の魔法なんて入学前から使いまくってたくせに」
「入学と同時にまだ習ってないのは使うなって禁止されて……三年生でちゃんと習って使ってよくなったから、調子にのったんだろうな」
ああ、直近の記憶は失くしてしまうから、もっともっと前のことを思い出すのも悪くないな。
ネロがマントを摘まみあげると、丁寧にカイネの口周りに未だ零れる血を拭っていく。気を抜けば意識を失いそうな状況で、一秒を惜しみ、一つの可能性の最初の運命の交差の完了にむけ、二人は会話を続けた。
そっと、瞳を閉じてカイネはネロの額に自身のそれを合わせる。少しずつ、頭から引っ張られる魔力のそれが強くなり、いよいよ記憶を封じる手はずが整ったのだと、感覚で察知する。
「黄緑は七年生。それくらいにネロに身長を抜かれたかも」
「嘘つくな。五年生の頃には抜かしてた」
「うーん、そうかな? そうかも。五年生は黄色。……六年生は青色」
「紫は八年生。やっとお前が俺の想いに気づいた」
「嘘ばっかり。ネロが素直になったの間違いでしょ? 私はずっと、子ども頃から、そうね、ネロが青緑の二年生の時くらいから? 好きって素直に言ってたもん」
「好きには種類があるだろ? それに子どもの頃って。別に八年生も……今思えば子どもだろ」
「そう? 九年生あたりから大人ぶってたのは誰?」
「まあ、表向き緑と赤紫の学年も過ごしたけど……飛び級で本当は白と黒の魔法を習ってたんだ」
「……知ってたけど、初めてちゃんと聞いたな」
「お前の成人に間に合うようにしてたから……言えなかった。準備星を修了して勤めだしてこそ、魔法族の男だろ?」
平静を装っていたのに、ネロがひどく優しい声を出すから。
カイネはどうしようもなく、唇を震えさせ、泣き声を抑え込んだ掠れた声で返すより他なかった。
「……ウィルも……飛び級するかもね?」
「どうかな。あいつは優しいから……ゆっくり、大人になればいい」
ネロの大きな手が光の筋を避け、後頭部に触れる。そして、もう泣いてもいいのだというように、カイネを撫でるのだ。ネロの手が動かされる度に、安心と限界が溢れ出していくのである。カイネの髪色は黒を保てなくなり、本来のものへと、つむじから髪の先端へとかけて、戻っていく。
もうお揃いの髪色ではなくなってしまったのが惜しまれるが、それでも、カイネの頭を撫でるネロの手が震えているのが伝わり、魔法族の一人前の男である彼が、涙を零さず、けれどもカイネと同じように泣いているのが分かった。
なんだ、ネロでも泣くのね。私と一緒ね、一緒。
「エレノアやリリーたちは……みんな、すっごく大人になってるかな?」
「ヴァングルもダビデルもな。……確かに俺は大人ぶってたかもな。飛び級して調子乗ってた罰かも。……置いてかれるのは悔しい」
「……本当に素直じゃない。寂しいの間違いでしょ? あと、罰じゃないわ。私たちの……みんなへの愛よ。でも……やっぱり悔しいわ。……戻れるトキがくれば……みんなが働いてる横で、私たちはまだ学期休みだって、遊んでみようかしら」
「やめろ。エレノアを怒らせてみろ。あとでぼこぼこにされるのは俺なんだから」
努めていつものようなやりとりをしていたというのに、どうにも、最後は泣きじゃくるように、カイネは涙を零していくのだ。
たった数時間で、何度、どれくらい、泣いたというのだろうか。
子ども。本当に子ども。全然、姫でも大人でもない。ただの子どもね。
「うえっ、ぼこぼこにされるとか……王子の……うっ……貫禄が……足りないのよ」
「馬鹿だな。泣くか喋るかどっちかにしろよ。ゆっくりでいい。……俺とお前にもちゃんとまた時間が流れるから。無くなるわけじゃない」
「でも、うえっ、今はもう、……時間が、ないっ」
「……そうだな。まあ、姫らしくないお前も好きだから、いたずらの罪は俺が被ってやるよ。仕事してるみんなの横で遊んでみるか。いや、逆にみんな休暇とりそうで困るな。国が回らなくなる」
「うえっ、罪じゃなくて、愛。……うえっ。なら、祝日にしたらいい」
「ははっ、相変わらず、無茶言うなぁ。でも平和になったら、一日くらい祝日増やせるかもな」
「……うっ、約束。アヴァロンのみんな、働きすぎ。うえっ……本当は……離れたくない」
「うん」
「私……、忘れたくない」
「……うん」
頭に繋がる光の筋の向こうの魔力が跳ね上がり、カイネの脳裏に一枚の白い花びらがアヴァロンの街を風に乗っていく光景が、浮かぶ。
印象的なのはアヴァロンの人工太陽が顔を隠した後の月の光。月光が花びらそのものが光っているかのように輝かせ、花びらが白いからだろう、とても夜空に映えるのだ。
「私、夜にネロといつものお花畑に行った?」
アヴァロンで密かにデートをするなら、あのお花畑が多い。夜に一人で出歩くことは許されないから、きっと、誰かと一緒なら、ネロに違いないの。
「……俺と一曲踊ってくれませんか?」
もう何があったのかを覚えていないけれど、とても幸せだったということを、強く覚えているのだ。互いに座りこんだままだが、ネロがまるでエスコートするかのようにその手を差し出しているのを見て、カイネは反射的に自身の手を添える。
「はい」
きっと、ダンスをしたんだ。私のわがままに付き合ってくれたのね。
次に脳裏に浮かぶのは原初の舞で、ネロと対になるステップを踏みながら、式典のホールで踊っているのである。左左右、激しいステップに、ややこしい順番とホールの広さの計算。絶えず脳も身体も動かし、本能でネロに惹きつけられるようにして手を取り合うのだ。
「原初の舞。ダンス……ネロも本当は踊れたんだ」
「……お前とだけならな」
じゃあ、これが初めてちゃんと女の子と踊るダンスだったって思っててもいい?
これまでもこれからも、他の女でもない、私と踊ってね。
「ホールでね、たくさんの人が拍手を……」
気が付けば、脳裏に過ぎるのはネロに肩を抱かれ、ホールいっぱいの人たちから盛大な拍手を受けるものだ。とても、とても羽になったかのごとく軽く嬉しい心地で、本当に本当に幸せであったのに、ネロが何て言っていたのかを、思い出せなくなっているのである。
忘れてしまったと言うことさえ罪悪感があり、それ以上を口にはできず、カイネは開きかけた口を閉じた。
すると、ネロが親指でカイネの唇をなぞりながら、宝石のように輝かせた琥珀がかった紅い瞳で射貫くようにみつめて、言うのだ。とても、とても情熱的に。
「カイネ王女、私と結婚してくださいませんかって、言ったんだ」
どれほどに大切なことを忘れてしまったのだろうかと、驚いてネロの瞳を見つめ返すと、その瞳の中にカイネの顔が映し出された。髪色はすっかりと戻っており、気が付けば瞳の色も本来の物へと戻ってしまっていた。けれど、それをじっくりと確認する間もなく、ネロの唇がカイネの口を塞いだのだ。
まるで、それ以上何も言わなくてもいいというように。
唇の温度は、どちらもぎりぎりを生きているからか、ひんやりと冷たかった。そして身体はなんとか熱を生み出そうとしているのだろう、交わされる口づけの合間に漏れる吐息だけがどこか温かく、血と、涙の味がずっとしていた。
カイネの頬にも、ネロの頬にも涙が伝っており、その一滴が耳元まで流れ落ちる。不思議と、涙がそれに触れて、カイネはいつの間にかピアスをしていることに気づくのだ。
ネロの手がカイネの耳元へと伸び、そのピアスに触れながら、優しく微笑むのである。
「……私……」
「大丈夫。返事はいつでもいいんだ。何度だって俺が言うから」
「……でも……」
「お前の分まで、ずっと俺が覚えてるって約束する」
「……っつ」
「どんな時でも好きになるし、どんなトキでも惚れさせてみせる」
「……うん」
きっと、私は忘れてしまうのだ。どれほどに忘れたくないと思っていることも、これほどに愛していることも。
すると、何を言ってももう正解などないと分かるのに、何を言ってもネロならばそれを正解へと導いてくれるかもしれないと、彼が今という一瞬一瞬に紡いでくれる言葉から、触れているこの手の温もりから、そう思ってしまうのだ。
ならば言うべき言葉はきっとどんなトキでも、反射的に出てくる言葉で良いのだと、カイネは喉を震わし、本能のままに唇を動かしていく。
どんな時でも変わらない、心の底からの事実だと思えるものを。
「愛してる」
どれほどのトキが流れようとも、今も、過去も、未来も。ずっと、ずっと愛してる。
「俺も愛してるよ。どれほどの時が過ぎ去ろうとも、ずっと、ずっと」
再びネロと唇が重なりあったかと思うと、カイネの頭から伸びる一筋の光がぐんと記憶を引っ張りだしたのだ。その瞬間に、星が叫ぶのである。詠め、と。
星を、詠む。
けれど、触れる唇に意識が持っていかれて、身も、心も彼への愛でいっぱいであったから。何故星を詠むのか、何について詠もうとしていたのか、もはや分からなかった。
ただ、記憶を損なう一秒前の自分が、星を詠めといっていたから、星が呼ぶから。何よりネロが傍にいるから。きっとそうするのが正しいのだと、迷うことなく詠むのだ。
カイネはただただ、ネロの温もりを感じながら、本能的に最後の星を詠んだ。
❁
ああ、そうだわ。そうだったわ。
気が付くと、カイネはムーの自室で目覚めるあのあとの自分を眺めていた。
目覚めたあのトキ、カイネは何を詠んだかのはおろか、何が起きたのかさえ、全てを覚えてはいなかった。
ただ、目を覚ましたトキには一年近くが過ぎており、式典前の和やかな雰囲気は一転、情勢が激変し、宇宙中でいつ戦争が起きてもおかしくない状態であったのには理解が追い付くのに時間を要した。
その後もトキは戻らないまま、カイネは眠ったり目覚めたりを繰り返し、抑止力の意味もこめて、目が覚める度に公務にだけ顔を出しては、アヴァロンへも精霊郷へも行くことが許されない日々が続いた。
ただただ、アヴァロンから出席するはずのない恋人の姿を探し続け、遠くでみんなの活躍を聞くのが精一杯なのである。
目覚めてからはもちろん、事情を王たちから聞きはしたが、心の奥底に喜びや愛の感情だけが残っているからこそ、言葉だけの事実は嘆きしか生み出さなかった。
それでも、もしカイネとネロを繋ぐものがあるとすれば、それは目覚めたトキに握っていた一枚の紙切れで、本能的に、最後の一瞬の出来事であったから、ぼんやりと二人で星を詠んだこと、二人だけの秘密であることは覚えていたのである。
誰にも言わずに開いたその紙切れには、ネロの筆跡で、二人しか分からぬ魔法の文字で殴り書きがされていた。
『テレシオの歌を聴け』
これが本当に星詠みの情報なのであればそれでいいはずなのだが、カイネはどこか複雑な気持ちにもなった。離れ離れになる恋人に握らせるメモが愛の囁きではなく、本当に必要な情報だけであったのだから。
けれど、もう覚えてはいないというのに、メモを見る度に、嘆きの奥に、確かに最後の最後、彼はずっと信じていたいと思えるような言葉や愛を示してくれたとカイネの中の何かが、そう強く思わせるのである。
そして何より、愛の囁きではなく、本当に必要な情報しか書かないのがネロらしく、そのことがまた、覚えていないはずの彼が示してくれた愛や言葉を信じる所以ともなったのだ。
χ
χ
χ
―二度目の波到来後、サンムーン深海、レムリア海域―
「――な……で、この子が――……」
「しか――……ろ。は……らが……――」
切なさと愛おしさの交差する記憶の夢にまどろむ中、ズキリと痛む傷口が意識を身体の方へと、今の現実へと、引っ張ってくる。
すると、五感は聴覚から戻り始めたのだろうか、どこか遠くの方で、声が聞こえるのだ。
「この……――人……に――」
「ふざ……――な。……そん……ゆ……ない――」
「それ――……と……うの――……!? この……じゃ……」
「わか……――。だ……ら……アト……――で……!」
「わか……――の!? ……この――は……」
「じゃあ――……と……言う――……だ!?」
疲弊と魔力の枯渇、加えて足の傷。身体の至るところが悲鳴をあげているからだろう。会話の内容までは頭には入ってこなかった。
けれど、その声自体をカイネはとてもよく知っているのを戻りゆく意識は捉えていた。
片方は柔く優しい声を余裕のない口調で、もう片方は妖艶で厳しい声を淡々と威圧的に放っている。どちらともに共通しているものがあるとすれば、心の奥底にある隠しきれない怒りの感情と言えるだろう。
「――……が、この子――……を……――」
「そん――……れば――……」
「いい――……だ。――……をすく……――理由は……い」
「い……わ。――し……が――ろの……――をかけ……る」
記憶の夢と現実の狭間、まどろむ中で響く声は、普段ならば聞き洩らしてはいけないような状況下で聞く組み合わせなのを起きようとする脳は認識しており、どうにか聞こうとするのに、重い瞼は開くことなく、内容が入らぬまま、耳がその声だけを拾っていくのである。
ちゃんと、ちゃんと話を聞かなきゃ。
「お――……やめ――よ!」
「じゃ……しな――い……!」
すると、声が一層荒げられると同時に、たちまち身体中が熱くなり、血というよりは、知っているけれど馴染のない魔力が身体中を巡りだすのだ。
いや、やめて――……。
本能的にそれを拒否したいと思うのに、重い瞼も身体もいうことを聞かず、とうとうその魔力は足にまで達したかと思うと、足の傷どころか、足そのものを火傷したかの如く熱くさせるのだ。それはカイネがよく知っている情熱的であるのに優しい炎のそれではなく、強く熱して感覚を奪うようなものなのである。
焼けるような痛みと感覚を失っていく恐怖は、余程に辛かったのだろう、まだ身体が動かないながらに、呻き声を漏らさせたのだ。
「……いや――、いや……――」
けれど、それは痛みに対するものではなく、身体より感じ取った危機を、心が泣き叫ぶように回避したくて必死に拒否するものであった。
彼と一緒のままがいい。
確かに心からそう願うのに、途端に彼が誰であるかが分からなくなるのだ。そのことに、いやだと声を漏らした自分がひどく嘆くのを感じていた。けれども、心が嘆いているのに、それに反してどうにも理解が追い付かないのである。
あれ? 彼って誰だっけ――……?
to be continued……

次回でep25はラストになり、サンムーン編が完了となります📚
その後、サンムーン編のエピローグ的な話としてep25.5が全2回、そしてサンムーン外で起こっていた出来事を本編補足の番外編として全5回でお送り予定です🐚
番外編と並行して作成しました詞もアップ予定です🐉💧(これにてVol.7分完了です)
ep25の、特に今回更新のシーンは私にとってはとても想い入れのある個所でした🐚🐉
書いている私自身も早く先へと進みたく、リニューアル更新を開始してからの1年、とても長く、もどかしく感じる時が多々ありました📚
ただ辿り着くまでが長かったからこそ、今回の更新が私にとっても主人公のカイネにとっても特別なものになったと思っています🐚
いわば、今回のシーンはカイネにとって長い時間をかけて積み重ねたものが一瞬で損なわれるものです⌛
私自身、月夜のダンスや式典、ピアスの交換のシーンなど、なるべく丁寧に、大切に、一年という時間をかけて描写しました🌛🌼
そして、長く時間をかけて書いたからこそ、一瞬で失われたそれが、いかにカイネにとって大切であったかの象徴だとも思っています🐚💓🐉
物語のことだけでなく、きっと多くのことにおいて、築き上げるのには長い時間を要するというのに、損なわれる時は一瞬であるのだと思います🌛
だからこそ、他者に対しても、自分に対しても、誰かの築き上げた大切な何かを壊さないよう、自分の築き上げた大切な何かを壊されないよう、それぞれに思いやる言動が大切なのだと、書いていて改めて感じました🌞
そして、サンムーン編を越えると時を移し、雰囲気を一転し、現代編に突入しています🚇(Vol.8まるっと現代編です)
ぜひ、ep25のあと……次の現代編のあと……もう一度全体prologueに戻った上で、今後の物語の続きを楽しんで頂けたら嬉しいと想い、懸命に構成・作成しました🌠
特に時間の現代編はある種、読み切りのような機能も果たすので、気軽にお楽しみいただければと思います!
最後に……
今週?(先週?)は土曜日ではありませんが、10/31ハロウィンにフィフィの方も特別更新を行っております🎃
よければそちらもぜひ🧹✨
ご閲覧ありがとうございました!📚
✶✵✷
星を詠む
誰の為に?
星詠み(先読み)・保存版はこちらから☆彡
このepisodeの該当巻は『Vol.7』になります!
※HPは毎週土曜日、朝10時更新中🐚🌼🤖
秘密の地下鉄時刻表―世界の子どもシリーズ―更新日
第1・第3土曜日
先読みの詳細は「秘密の地下鉄時刻表―世界の子どもシリーズ―星を詠む」より