秘密の地下鉄時刻表―世界の子どもシリーズ―No.33.3_過去編~その手に触れられなくてもep25.5①~
―二度目の波到着後、繋がりの森―
白い扉へと一直線に竜が飛んできたかと思うと、そのままでは扉を潜れないからだろう、竜はすんでのところで一人の騎士の男の姿へと戻り、勢いよく倒れ込むようにして、荒れ狂う海ではなく、温かな太陽の降り注ぐ森の中へとその身を置いた。
けれど、男は一人ではなく、その腕には顔を青白くした若い青年を抱えていたのだ。
「ぐっ、はっ……はっ、何とか……持ちこたえた」
男が振り返ると、その足の半分は扉からはみ出しており、その下を青々としたというよりは、どす黒い色をした海が、まるでこちらを狙っているかのごとく、畝っているのである。
悲鳴こそ漏らさなかったものの、身が縮こまるような思いで足を完全なる森へと引っ込めると、その扉の小さな小さな木片が、海に落ちるよりも前に風に攫われていった。
けれども、その風はただ自然と吹き荒れたものではなく、やんわりとした透き通るような魔力が宿っていて、風の精たちがもたらしたものなのだと、瞬時に悟るのである。
「……っつ、風の精たちまで」
その風にのって、一枚の紫色の羽が扉の向こうからこちら側へとやってきて、今にも息絶えそうな青年のマントの上へと落ちていく。
「ネロ様っ! ネロ様っ!」
隙さえあらば海へと飛び込みそうであった王子は、男の背に乗せられる瞬間に、王子を預けた魔法族の一人にあえて気絶させられたのである。
最も、あのままであったとしても、遅かれ早かれ、体力と魔力の使い過ぎで気を失っていたには違いなかったのだろうが。
確認に触れたその頬は冷たく、息もかなり弱い。唇の色も徐々に損なわれてきており、治療は急を要した。
「まずい、早く移動させなければ」
王子の腕を取り、自身の肩へと乗せて運ぼうとするも、バランスを崩してしまい、王子の上半身さえまともに持ち上げることができなかった。
魔力どころか、体力、足にさえ力が入らないのである。
「くそう、誰かっ! 誰かっ!」
ああ、俺も竜であったならば。
竜騎士と言えど、男は本物の竜ではない。竜族の末裔であるがゆえに、その身に竜の血が流れてはいるが、それは遥か昔のもの。今では何世代かに数人くらいの頻度で、その血が竜の形を覚えているのか、数分ほどであれば変化魔法で小ぶりの竜に変化できる程度であった。
それでも、変化魔法で竜の姿になれるというのはこのアヴァロンでは誇り高きことであり、竜騎士として重要な役を任されることも多かった。
もし、自分も本物の竜であり、自由自在に変化魔法ではなく竜へと変化できたならば。それも再現で小ぶりの竜になるのではなく、アヴァロンの国竜のように巨大な竜であれたならば、一体どれほどのことができただろうか。
息絶えそうな王子をもっと迅速に運び、それどころかここまで無理をさせずとも、もっと早くに駆けつけ、多くの者を背に乗せて助けられたに違いなかった。無論、この王子にとって最も大切で、アヴァロンという国に愛されていたあの姫をも。
「ああ、申し訳ありませんっ。ネロ様、ネロ様っ! 誰か来てくれっ!」
ただ、竜への変化魔法は、本物の竜でなくとも、かなりの魔力を持っていかれる。飛行だけならば問題もなかったが、あの波を避けながらのそれは、時空間が歪みつつあるのも重なったのだろう、通常の何倍もの魔力を消耗してしまったのだ。
その事実が男のやるせない想いをより一層、増幅させた。
王子が瀕死状態であるというのに、名を叫ぶことしかできず、託されていた姫を見失うどころか、あろうことか海へと置いてきてしまったのだ。嘆いている場合ではないというのに、その身に弱い自分を呪うかのごとく、自分自身への抑えきれない怒りが溢れて、助けを呼ぶその声を荒々しくさせた。
けれど、それがかえってよかったのかもしれない。この蒼然とする森一体の慌ただしい動きや音に負けず、男の声が届いたのである。
一人の魔法族と目が合い、その者が近くにいた者たちに声をかけ、駆けつけてくれたのだ。
「なんと、ネロ様! ネロ様だぞっ!」
「よく戻った、任されよ!」
「これはまずい。扉をこのままに……一度あのお部屋へと転送しよう」
「急がねば。日の光もかなり浴びられたのだろう。それも時空間を繋いだまま、あのお部屋からお出になった状態で……」
「どれくらいの魔法族が残った? 誰か! 回復魔法が得意な者は残っているか!?」
「急ぎ王にも連絡をしろっ」
いくつもの魔法陣が重なったかと思うと、すぐさま弱り切った王子は転送された。けれど、この魔法族たちもかなりの魔法を使いすぎてしまっているらしい。誰もの呼吸が荒く、顔色が悪ければ日頃一人で行っているような魔法も、数人がかりで行っているのである。
その場に残り、扉の向こうを確認しはじめる一人に、男は震えを抑え込みながら、問うてみる。
「……どれくらいの魔法族が残ったとは?」
その者はどんな表情をしているのだろうか、扉の向こうをみつめたまま、感情を押し殺した声で、きっぱりと言うのだ。
「ブラウン家とハミル家は一族で向こうに残った。……他にもアヴァロンでネロ様の代わりに扉を動かせる人員分と王の側仕え以外は……向こうへ行ったやもしれぬ。我らもどれ程が残ったのか、明日が来ねば正式には分からぬだろう」
「鳥族も……それに、精霊郷から風の精たちも……」
先ほどまで息も絶え絶えに王子が横たわっていた場所をみつめ、男はブルリと身体を震わせた。まともに力が入らぬ足を動かし、自ら離れたというのに、よれよれと扉の方へと這いつくばるようにして、動いていく。そのことに気づいたのか、扉の前に立っていた魔法族の男が、一歩下がってスペースを開けてくれたのだ。
「カイネ様……」
アヴァロン国だけでなく、宇宙そのものの絶望を感じながら、男は助けられなかった姫の名を呟いた。
「カイネはどこだ!?」
「……!?」
不意をつかれた男が振り返ると、確かに走ってきたのであろう、肩を揺らし、その額に汗を滲ませながら、こちらを見据える一人の少年、否、青年がいた。
これほどに走って来たのであれば、必ずに何かしらの気配があるだろうに、魔力と身体の限界が近かったからという言い訳が通じない程に、その青年の気配はおろか、音のひとつの一切を気づくことができず、男は背後を許してしまっていた。
「テト! 待って、テト。私たちじゃあんたのスピードについて行けない! 繋がりの森の抜け方はテトしか分からないんだからっ!」
その青年がテトと呼ばれたのを聞き、男は自分の勘違いではなく、やはりそれがよく知る少年が青年になった姿であったのだと認識する。
追いかけてきたであろう顔ぶれも、よく知っている子たちばかりであった。けれども、テトに迫るその少女を見た瞬間に、絶望の感情は再び罪悪感として、男の背に、心に、影を落とした。
「カイネはどこだ?」
テトは本当は何かに気づいているのかもしれない、いつもの小生意気な態度はそのままに、けれども確かにその瞳に焦りを滲ませながら、低く威圧的な声で問い直すのである。
元々幼少期から背が高く、カイネたちと同世代に間違われがちだったテトは、さらに身長を伸ばし、筋肉もつけたのだろう、見た目はすっかりと大人といっても過言ではないくらいに成長していた。
「……カイネ様は……おられぬ」
彼らの成長を目にするのは、本来であれば頼もしく喜ばしいことであるのに、王子と姫のことを想えば素直にそれを受け入れることはできず、思わず視線を逸らした。だが、むしろそれは言い訳で、受け入れがたい事実以上に、彼らに合わす顔がなかったのだ。すっかりと成長し、力をつけていた彼らをまだ若く危険だからとアヴァロンに留めさせたというのに、大人であるはずの自分は、情けなくも若き姫と王子を助けることができなかったのだから。
「……っつ、そんな……」
男の返答に、テトではなく、この中で男が最もよく知る少女、リリーが息を飲む音が響き、そのことがより一層、男の胸をひどく締め付けた。リリーが近寄ってくる足音がする一方で、やはり気配なくテトはいつの間にか距離を詰めていたのだろう、気が付けばしゃがみこみ、男のマントを掴んでいた。
「嘘だ。さっき、あいつの匂いと……微かにカイネの匂いもここに戻ってた。……お前からも微かに二人の匂いがするじゃねぇか」
テトがすっかりと見た目は成長したと表現したくなるのは、やはりこの横暴な態度があるからだろう。子どもではないというのに、未熟な物言いや振る舞いが、子どもの頃の彼らを彷彿させて、するとやはりネロやカイネが幼き頃に走り回っていた姿までが連想され、情けなくも男は大粒の涙を零していたのだ。
「すまない……連れて……戻れなかった……」
その言葉と同時にテトがマントを掴んだかと思うと、見た目に違わず力も相当に強いらしい、片手で男の身体を持ち上げたのだ。それに抵抗する体力もなければ、そんな気力も資格もなく、男は殴られるのを覚悟にされるがままにしていた。
すると、リリーが声を震わせながら、努めて明るい声で言うのである。
「ちょっと、テト……。カ、カイネは……あれよ、きっと……アヴァロンじゃなくて……ムーに戻ったって……ことよ……。そうですよ、ね?」
「……っつ……」
いっそ、殴られた方がマシであったかもしれない。その言葉は男の心に深く刺さり、ただ嗚咽を漏らし、首を振るしかなかった。宇宙最高峰と呼ばれる誇り高きアヴァロンの鎧が揺れる音が、こんな虚しく響く日がくるなどと、騎士を目指した幼き頃には、思いもしなかったことだ。
「……いいえ。……ムーにも戻られて……いない。……サンムーンに……海に……」
ただ、せめて自らの罪を、首を振るだけでなく口に出して説明するのが筋だと、男は必死に声を絞り出した。リリーが一歩後退る音がし、他の子らが悲鳴のような声を上げたのが分かった。
けれどもテトだけは、やはり気配を消したまま、男を殴るどころか地面へと投げ出すこともなく、静かに、本当にいつの間にか、男を地面へと座らせるようにして、マントを掴む手を緩めていた。
「ネロは?」
けれどもやはり、ここに駆けつけた子らは、テトは、子どもの頃から成長しているらしい。見た目に加え、何かしらが大人になっているようなのだ。感情のまま乱暴に扱われなかったことに驚きを隠せないでいるも、やはり口調や態度はまるで少年の時と変わらないのである。
そのことが調子を狂わせたのだろう。罪悪感や情けなさがあるというのに、男は気が付けば口を動かしていた。
「ネロ様は……何とか連れ戻った……ただ、危ない状況で……」
すると、走り出したリリーが扉の向こうへと飛び込もうとして、それに気づいた魔法族の男と他の精霊郷の子らが、数人がかりでそれを制するのである。
「いや、離して! 離して! ああ、離れるんじゃなった。いつも一緒にいたのに、どうして! どうして今日だっていうのよ!」
「やめろ、リリー。まだ波は荒い。危険だ!」
「聖樹令よ? 風以外は……出たら……う、ひくっ、ダメだよ」
聖樹令という言葉を聞き、男は再び、風に舞う羽を、否、風そのものを、風など目に見ることはできないというのに、見つめていた。
本当は彼女たちも精霊郷から出てきてはいけなかったのだ。むしろ、出られないようにされていたところを、察するに抜け道を通って出てきてしまったのだろう。聖樹令は精霊郷の中で最も重い令である。それを破ればそれこそ、精霊郷を追放されかねないくらいの。
その聖樹令を出してでも精霊王は森から出るのを禁じ、その中でも風の精たちだけに特別に郷から出る許可を出していたらしい。
「離してってば! お願いよ、どうして水じゃなくて風だって言うのよ! 私なら海でも大丈夫だから! 離して、助けに行くの! 離してってば!!」
「いい加減にせぬか、リリー。行かせはせぬぞ」
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このepisodeの該当巻は『Vol.7』になります!
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秘密の地下鉄時刻表―世界の子どもシリーズ―更新日
第1・第3土曜日
先読みの詳細は「秘密の地下鉄時刻表―世界の子どもシリーズ―星を詠む」より