竜の宝石–Kaine no namida–前編③
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―サンムーン開放式典終了一年後、ミューク国―
「テレシオ! お前、宮廷楽師として芸術サロンに出るということは、その国の代表として出るということだ。わざわざカイネ様が参加される時に、お前があの国の代表として歌うことの意味が分かってるのか!?」
どうやら宇宙中に引っぱりだこのテジオンリも、珍しく家に戻っている期間だったらしい。普段温厚な兄が、鋭い目つきでテレシオを問い詰めていた。
「…………」
テレシオは兄を横目に、先ほど交わしたばかりの契約書と芸術サロンの招待状や招待客リストを丁寧に確認していた。
『今度、我が国で開催される芸術サロンで宮廷楽師としてぜひ、演奏してほしい』
報酬として提示された金額は、宮廷楽師が貰うには桁違いのものであった。けれども、テレシオの目をくぎ付けにしたのは、その金額ではない。それと一緒に並べられた芸術サロンの招待状とその招待客リストに連ねられた一人の名である。
テレシオがこの話を断るなどとは露にも思っていないのだろう、依頼を持ってきた宰相はまるでその表情からもゲスい音が漏れ出るのではないかというくらいに、ニヤニヤとした笑みを浮かべていた。
きっと、テレシオがあまりもの金額に驚愕していると信じて疑っていないのだ。
だからテレシオは相手の思惑通り、二つ返事でこの契約書にサインしてやったのである。
テレシオたちがカイネとネロのその後を知ったのは、式典の翌朝だった。アヴァロンの友人たちも、精霊郷の友人たちも、みんなそうである。
念願の婚約者になれたのだから、まずは二人きりにしてやろうと純粋に思っていただけなのだ。翌日にみんなで祝おうと、たくさんの準備をしていたというのに、どうしてあのトキに限って、二人きりにしてやろうなどと思ったのかと、誰もが後悔していた。
話を聞く限りでは、誰がその場にいようとも、何かできた訳ではなかっただろう。けれども、魔法使いの友人たちでさえ、きっと友人だからなのだろう、大人の判断であの場に呼んではもらえなかったようなのだ。
あの式典のあとから、誰もカイネには会えていない。
カイネはたくさんのものと引き換えに、愛する人とも親しい友人たちとも引き離されて、トキを止めて眠ってしまった。
ネロはあれほどに大切に想っている女性を守るために、胸が引き裂かれるような思いだろう、離れたところに宝物を置いて、トキの流れぬ空間にひとりきり、籠っている。
星詠みの記憶というのを、カイネは提出したらしい。
その影響で、覚えていないらしいのだ。きっとカイネが待ちに待ったネロからのプロポーズの瞬間も、テレシオの心からのお祝いの歌も、周りからの鳴りやまない拍手の音も、二人の息ぴったりのダンスも。
自分の出番を待っていた為、テレシオはその話題で持ちきりだった二人の原初の舞というのを見てはいない。ただ、あの後も二人は婚約者として周りが見惚れるくらいに美しく、華やかに、微笑ましくダンスをしていたのだ。そして、カイネがもう公の場なのを忘れているのではないかというくらいに満面の笑みで、テレシオにアンコールをねだっていたのが、まるで昨日のことのように、鮮明に思い出されるのである。
いつもの二曲目の曲がいいと、それを歌えというからお祝いに心を込めて歌ったら、カイネがその歌に合わせて一人、舞い始めたのだ。
決められたステップのない、カイネの心の表れのような踊り。髪の先端までもが、綺麗なのだ。彼女の動きに規則性などなく、ただ、自由に音を追うのである。的確に、可憐に、官能的に。けれども、独創的に、純真に、清廉潔白に。
初めて見たカイネの舞は、ムーの芸術サロンで他国の姫たちがあれほどにみたいと熱望し、アヴァロンの噴水広場でみんなが口を揃えて好きだと言っていたのが一瞬で分かるほどに、人の心を掴んで離さないものであった。
そして、これほどに素晴らしい舞ができるというのに、ムー主催の芸術サロンのあの時、自分の威信にかけてもカイネの芸術枠に音楽鑑賞としてテレシオの歌を選んでくれていたことに、改めて震えたのだ。
何より、自分の歌で舞ってくれていることに、テレシオは魂からの喜びと、もっと歌いたいという想いが絶えず溢れていた。
「おい、テレシオ! 黙ってないで答えろ! お前は宮廷楽師として歌う意味がわかって……」
「わかってるよ」
「……お前……」
あの美しい舞の記憶へと想いを馳せていたのを、兄は喉など痛めては困るからこんな大声など出してはいけないはずなのに、ご丁寧にテレシオを現実の世界に引き戻してくるのだ。
テレシオがようやくに兄の方を向くと、もう怒りなど引っ込んでしまったのだろう、ひどく傷ついた顔でテレシオを見つめていた。
だからこそ、テレシオは傷つく必要などないので、涼しい顔でいつものように、ニンマリとした笑みを返すのだ。
「芸術に国なんて関係ないだろ?」
兄は目を丸くすると、瞬きと共にその瞳に色を失くし、みるみる表情を変えていくのだ。いくら兄妹でも見たことのない、否、兄妹だからこそだろう、初めて見るひどく軽蔑したようなものへと。
そして、いつ何時も温かな声で話すみんなのテジオンリが、低く冷たい声で言い放つのだ。
「ああ。芸術に国なんて関係ない。だからお前が政治利用される場に、友を傷つける形で宮廷楽師として参加するのが残念だよ」
テジオンリは、もう視界にも入れたくないとでもいうように視線を逸らすと、こちらを見ることなく、そのまま、家を後にしてしまった。
恐らく、本当は休日でも時間ができた訳でもなく、このことを聞きつけて無理矢理に帰ってきてくれたのだろう。
ただ生憎、テレシオの心はもう決まっているので、兄の時間を惜しんでの足労を無駄にさせてしまったようだ。テレシオは桁違いの報酬を、契約書にサインすると同時に振り込んでもらっている。
既に、後戻りはできない状態だった。
テレシオは視線をゆっくりと契約書に戻し、誰もいない部屋で、誰も聞いてもいない真実を、独り言として呟く。
「金は必要だからね。音楽を続けるためには」
カイネ、欲深いやつらはサンムーンから撤退しないし、ずっと揉めてはいるけど、まだ戦争は起こってないよ。ギリギリだけどね。二人が繋いでくれた未来だ。
けどさ、みんな、知らずに軽々しく言うだろう?
まだちょっとプロポーズしただけのことだ、アヴァロンとムーの結託に繋がる恐れがあるから婚姻は認められないって。覚えてないのなら、ちょうどよいってさ。
テレシオが宮廷楽師として仕える国は真っ先にアヴァロンとムーを批判し、婚姻に一番に反対の意を唱え始めた国である。
「私はそれがちょっとじゃないって、分かるんだ。私もすごく時間をかけて、ようやく有名になったんだからさ」
あんな大きな式典で歌えるくらいになるまで、どれほどの音楽の旅をしたことか。
たった数十分の演奏に、どれくらいの練習をすると思う?
その数十分の間に、どんな想いを込めて、魂を震わせて、どれほどを音に託すのかなんて、知らないだろ?
カイネたちだって、同じだよな。
あの日の為に、二人がどれだけの努力と想いと愛を重ねたかなんて、知りもしないくせにさ。
カイネが眠っていることは、親しき者の間でしか、知られてはいない。
表向き、カイネはこの一年、時計盤から見守るという役を全うするため、ムーから出られないことになっていたのだ。どうやら、例のトキの記録とやらに、カイネを守るため、虚実を混ぜたネロの演技がよく効いていたのだろう。その理由を疑う者はいなかった。
ネロの虚実でいう真実の方で、カイネが時計盤から座標を見守るというのは、戦争への抑止力となることを狙ってのものであったが、これは十分すぎるくらいにその効果を発揮した。
正直に言って、戦争が起こらなかったのは二人が離れ離れになることを選んででも、アヴァロンとムーとに分かれて、座標を守ると明言し、実行してくれたからだ。
けれども真実の中の事実の方で言うと、座標はすでに繋がれているため、ネロさえあの部屋で時間を繋ぐ役目を担ってくれてさえいれば、カイネが時計盤から動いてはいけないということはなかった。
時計盤はムー国にあり、時計盤に選ばれし者しか近づけないことになっている。実際は、時計盤自体には誰でも近づけるようなのだが、宇宙最古の魔法具のひとつだ。厳重に保管されているために、一般に近づくことが許されていないのは事実で、他国の者もそれを疑いはしない。
そのためにカイネが時計盤から本当に次元を見守っているのかどうかの確認は、本当の意味では誰にもできない状態だ。ネロはそれをよく分かっており、カイネがトキを止めて眠ってしまうのも知っていたからこそ、あえて二人別々で座標を見守ると明言したのだろう。
そして、ネロの思惑どおり、彼の真実と嘘を交えた演技と偽りのない愛はカイネが安全に眠っていられる時間をかなり稼いだ。
周りも最初は縋るようにして、時計盤から離れるなと煩いくらいに言っていたくらいなのだから。
けれどもやはり、宇宙には本当に、清らかな心の者もいれば、醜い心の奴らもごまんといるのだ。
だんだんと怖くなってきたのだろうか、ここ最近で急に態度を変え、実は裏で操っているのではないか、本当に時間に介入した犯人ではないというのなら、逆に時計盤から離れてみろと騒ぎ出したのである。
どうしたものかと口実を考えていると、眠っているトキにまで、本当に可哀そうに、何かを感じ取ったのかもしれない。カイネは突然、目覚めたらしいのだ。けれど、トキは戻っていないから、目覚めては眠って、というのを繰り返しているらしい。
そして、あの式典前後の記憶がないカイネは、あのトキ何が起こったかの事情だけを聞かされ、涙ひとつ零さずに、目覚める度に誰もが見惚れる笑みを浮かべて抑止力のため、公務にだけは、参加するのだ。
どうやらカイネは今、目覚めているトキらしい。今回の芸術サロンに出席するようなのだ。
「……さて、かなり長期間の遠征になりそうだ」
テレシオは契約書を大切にしまい込み、芸術サロンに向けての準備を開始する。しばらく、この国には帰ってはこないだろう。
「なあ、カイネ。……カイネならわかってくれるよな」
私には歌しか、ないんだ。弱くて、ごめん。ごめんな。
to be continued……
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秘密の地下鉄時刻表―世界の子どもシリーズ―更新日
第1・第3土曜日
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