かぼちゃを動かして!③
フィフィはブツブツと独り言を呟きながら森の手前までやって来て、急にピタリと足を止める。
「あっ」
フィフィが振り返っても、視線のすぐそばでいつも浮いていた見慣れた例の妖精の姿が今日はない。
「そ、そうだった……」
フィフィは一人で森の奥に入ることを禁じられている。そして、大抵の場合は、その付き添い相手はなんだかんだでディグダであった。
「うーーーーん」
腕を組み、唸るように考え込む。流石に、一人で八色蜘蛛のいる洞窟まで行く勇気もなければ、魔法の使えないフィフィでは洞窟に近寄ることさえ難しいだろう。
蛇の抜け殻だって簡単に見つかるものではないし、何より、白蛇のものは分かりにくい。
となると、森の手前をウロウロすることで手に入るものと言えば、ヤモリのしっぽ……だろうか。
「ヤ……ヤモリ……」
フィフィはじっと足元の歩きやすい整えられた土の道を見つめる。
あと数メートルもすれば、そこは草で覆われていて、道がどうなっているのかなんて、目印をつけるか、それこそ魔法を使ったり、妖精たちに聞かなければ、フィフィ一人では道を見失ってしまいかねない。
「ヤ、ヤモリは逃げ足が速いし……後にしようかな」
弱々しく呟いて、そして、フィフィは涙を浮かべる。けれど、その涙が零れるよりも先に、ディグダの先ほどの言葉がフィフィの頭を過った。
『無理だとでも言うのか? お前は魔女になりたいんだろ?』
ぐっと唾を飲み込み、フィフィは顔をあげる。視線の先には、生い茂る木々が来れるもんなら来てみな、とでも言うように、不気味に風に揺られている。その音は、まるで泣き虫なフィフィのことをあざ笑っているかのよう。
「……私、魔女になりたい!」
ぎゅっと拳を握りフィフィは一を歩踏み出す。目指すはコウモリの巣。
目印に拾っては小石を置いてというのを、地道に繰り返していく。
「あそこまでなら、まだ森の入り口が見えるから、道に迷わない」
そして、小石を置くことで注意深く足元をみることにもなり、自然と白蛇の抜け殻もヤモリにも気づきやすくなる。フィフィは集中して、小石を置き続けた。
「だ、大丈夫。だって魔女になるんだもん。ヤモリ、怖くないし」
何度も何度も自分自身にそう言い聞かせながら。
森の手前から斜めに一直線で、木々のあざ笑いなんて気にせずに、フィフィは勇気をもって、進み続ける。
「あっ、見えてきた……」
そこでようやく、フィフィの視界に、緑一面の森の中、木にしては少し淡すぎるベージュがかった何か、が映りこむ。
フィフィはまたチラリと後ろをみて、自分が進んできた小石の列をしっかりと確認する。もうかなり森の中に近づいてきたから、そうそう小石なんてみつからなくなってきていた。
手元の小石はあと3つほど。目の前のコウモリの巣まではあと数メートルたらずだろうか。
ぎゅっと小石を握りしめて、フィフィはぐっと息を飲み、前を見据えて走り出す。目指すは、コウモリの巣に一番近い、あの大きな木。駆けだすと共に風が吹き、また木々が激しく揺れる。
けれど、今はまだ昼間。コウモリはそうそう起きることはないだろう。万が一の時も、フィフィはちゃんと小石を手元に残しているし、目印を頼りに森の手前まで一直線に走って帰ることができる。
「だ、大丈夫!」
フィフィは素早く木の後ろに隠れて、じっといくつも並んでいるコウモリの巣をみつめる。ここのコウモリの巣は藁でできており、何個も何個もこの辺り一帯に家のように並んで作られている。だいたい大きさは、フィフィの背丈くらい。三角柱のように建てられており、入口のようなものは一切見当たらず、どの角度からみても、その藁の巣はぴったりと閉め切られている。それ故にどうやってコウモリたちが出入りしているのかは、誰もわからなかった。そしてそうなると、コウモリがいつ出てくるかというそのタイミングさえも、予想がつかない。
けれど、フィフィは密閉されているこの藁の巣の一部をいつどこから出てくるか分からないコウモリたちにバレずにとってこなければならないのだ。
「ど、どうしよう」
フィフィは数分ほど観察を試みたが、コウモリが出入りした形跡はおりか、出入りしそうな気配さえ感じられなかった。そこでさらに注意深く、いくつも並ぶコウモリの巣のど真ん中に位置する、藁の巣のてっぺんに止まったまま眠る、通称、ボス・コウモリを盗み見る。
「寝てる……よね」
ボス・コウモリから目を離さないようにしつつ、フィフィは一歩、木の陰から出てみる。依然、ボス・コウモリは眠ったままで、起きる気配はなさそうだ。
何故だかわからないが、ボス・コウモリは日の光を浴びても平気なようで、いつも一匹外で眠っているのだ。
他のコウモリよりも一回り大きく、そして右目から頬にかけて大きな傷があるのが特徴だ。下手にコウモリの巣に近づこうものなら、このボス・コウモリが襲い掛かってくることで、有名だった。
フィフィはそのまま、忍び足で藁の巣へと近づいていく。目をつけていたのは、一番手前にある巣。ちょうどその付近には藁がいくつか束で落ちていたのだ。
『グルルルルルルルルルルオーーーン』
けれど、あと数歩のところで、ボス・コウモリが大きな寝息を立てる。
「ひっ」
思わず漏れ出てしまった声。フィフィは慌てて手で口を押えるも、もう遅かった。バラバラと手に持っていた小石が零れ落ち、ボス・コウモリがしっかりとフィフィの方を向きながら、ギラリと左目を開ける。
「ひえっ」
いつもならばそのまま泣き帰ってしまうだろうこの状況だが、やはり、フィフィの頭からディグダのあの言葉が、離れない。
「ご、ごめんなさーい」
そうやって叫びながらも、フィフィは落ちていた藁をちゃんと拾い上げ、Uターンして猛スピードで小石の列めがけて走りだしていく。
背後でバサバサと翼を大きく動かす音が、響く。その音は木々の揺れなんかと比にならないくらい、フィフィに恐怖感を抱かせる。
けれど、これは振り返ったら負けだと、フィフィでも直感的に分かる。
そのまま後ろを向かずにまっしぐらに走り続け、小石の列を視界に捉えたところあたりで、バサバサという音はだんだんと遠くなり、フィフィは一気にスピードを上げて、森の手前まで戻っていった。
「……はぁ……はぁ。こ、ここまでこれば、大丈夫かも」
息を切らしながらも、後ろを確認し、ボス・コウモリが遠くの方で屋敷とは反対の方向に飛んでいくのをみて、安堵の息を漏らす。そこでようやく、フィフィはボスリと地面に腰を下ろした。
「こ、こわかったぁああ」
けれど、掌を広げて、ぎゅっと強く握りしめていたものを、見つめる。
「ふふ、ふはははは」
嬉しさで揺れるその真っ赤な瞳で、コウモリの巣の藁がちゃんとそこにあるのを確認する。風で飛んでしまってはダメだから、またぎゅっと握りしめて、フィフィはニンマリと笑う。
「私でも……できた!」
なんとも言えない達成感のもとでフィフィは空を見上げる。まだまだ、ヤモリのしっぽだって、白蛇の抜け殻だって必要なのに。八色蜘蛛の涙なんて、どう入手したらいいのか思いつきもしていないのに。それなのに私にもできる、という感覚がフィフィの全身に駆け巡っていくのだ。
「……魔女に、なる」
魔法の使えないフィフィでは、その目標は遥か遠くに感じられていた。
けれども、このコウモリの巣は、ディグダも、他の妖精の子たちにも手伝ってもらうことなく、ちゃんとフィフィひとりで手に入れることができたのだ。
「私、魔女に、なる!!」
「あら」
背後からクスクスと笑う、陽気な声が響く。
「フィフィ。気合が入ってるわね♪ ということは、ディグダと無事に契約が結べたってことかしら?」
フィフィは嬉しくて、ぱっと顔を綻ばせ、そのままミス・マリアンヌに抱き着く。
「ミス・マリアンヌ! あのね! 私ね、ひとりでコウモリの……」
一番に大好きなミス・マリアンヌにこの達成感を言いたくて、ついフィフィは口が滑りそうになる。
けれど、はっと気が付いて慌ててミス・マリアンヌから離れて、にっこりと誤魔化すように笑いながら言いなおす。
「ひ、ひとりで、コウモリ型の脅かす飾りを、つ、作ってたの」
ミス・マリアンヌもまたフィフィをみつめながら、ニコリと優しく微笑んでくれる。
「あら。じゃあ順調なのね♪ ……ボス・コウモリの飾りなんて作ってみたら、怖すぎてみんなビックリしちゃうかもしれないわね~」
フィフィは先ほどのボス・コウモリのことを思い出し、ブルっと肩を震わせて、言う。
「確かにそうだわ。目つきもものすごーく、他のコウモリより怖いし、寝息だってものすごーく怖いし、それにあの飛んでる時の翼を動かす音なんて、もっともっと怖かったもの。ボス・コウモリの形のかぼちゃもいいかもしれない!」
「そうね~。ボス・コウモリは怖いわね~。いつも巣を見張ってるから、例えば、ヤモリのしっぽをとるよりも、白蛇の抜け殻を見つけるのよりも、コウモリの巣を採ってくるのなんて難しいかもしれないわね」
それを聞き、フィフィは嬉しくて嬉しくて、また口が滑りそうになる。
「あ、あのね!」
すると、ミス・マリアンヌの背後でディグダがふよふよとわざとらしく意地悪な笑みを浮かべて飛んでいるのが視界に入り、フィフィは慌てて口をつぐむ。
「どうしたの? フィフィ?」
「な、何でもないの」
「そーお? じゃあ、今日は試験に備えないといけないし、屋敷の中で一緒にクッキーを食べてお茶をしましょう♪ 森の奥なんて、一人で行くのは試験が初めてでしょう? しっかりと休まないと」
「……! クッキー!! ……でも……」
クッキーはフィフィの大好物。気が付けばフィフィはお昼を食べ損ねてしまっていた。少しくらいなら休憩してもよいかも、そんな考えが一瞬過るけれど、ディグダに言われた言葉と、ミス・マリアンヌの『試験に備える』という言葉がフィフィの胸を締め付けて、大好きなクッキーよりも、もっと強い何かが、フィフィの心を占めていく。
「あ、え、えと。今日は試験の準備があるから……お菓子は、た、食べない」
「あら。フィフィの大好きなドレンチェリーのクッキーも焼いたのよ? 夕暮れまで少し休憩したらどう?」
「チェリーのクッキー! あっ! でも……だ、ダメなの。え、えっと」
ミス・マリアンヌに試験よりも前に森の奥へ行くことも、まだディグダと契約ができていないことも知られてはいけない。
フィフィは視線を泳がせながら、何とか言葉を絞り出す。
「い、一番に! ちがう、一番で卒業したいから。今日は準備頑張るの」
「……そう。でもフィフィ、八色蜘蛛が洞窟から出てきたら困るし、白蛇の抜け殻は丸一日探しても見つからない日もあるし、ヤモリだってすばしこくて、追いかけてたら森の奥までいつの間にか入ってしまってるかもしれないわ。だから……」
「え、八色蜘蛛、洞窟から出たりするの? ヤ、ヤモリだけじゃなくて、白蛇の抜け殻も……そんなに見つからないなんて」
「そうよ、だから……」
すると、そこに割って入るように、男の人の声が響いてくる。それも、フィフィがよく聞き慣れている男の子の妖精たちのものではなく、人の。
「まーたお師匠様の心配性が始まった。というか、急に絶対に来いなんて言うから来てみたら。いつの間に新しい弟子をとったんですか。俺、聞いてないです」