世界の子どもシリーズNo.11_過去編~その手に触れられなくてもepisode4~
震える唇を動かして、返事をした途端に今度はネロがカイネを引っ張って、ちゃんとしたステップを踏むダンスを開始する。
ネロの一歩はとても大きくて、ついて行けないのではないかと思うのに、しっかりとカイネが倒れないように支えながら、絶妙な位置で待っていてくれるから、一番にスカートが美しく揺れ、大胆に、けれども優雅さを残して回りながら踊れるのである。
姫として参加する催しでは、ダンスは相手にあわせて自分を抑え込んで踊っている。けれど今は、ネロが一番にカイネが楽しく綺麗に舞えるようにリードしながらステップを踏んでくれているのが踊り始めてすぐに分かった。
ネロは日頃のぶっきらぼうな性格がしっかりと板についていて、滅多にそういう場に参加しなかれば、仕方なく顔を出した際も絶対にダンスはできないと断るのが常であり、周りもそれをそこまで不自然に思わなければ、ダンスを断るのなんて気にならないくらい、会話や魔法で十分過ぎるくらいに立ち回っていた。
それがどこか寂しく、遠目で他の人と踊りながらいつかアヴァロンからムーをエスコートしてくれる日がこないかと、カイネは願っていたのだ。ムーは儀式の度に舞うことで有名で、ダンスは挨拶の代わりといってもよいくらいに、ひとたび集まりに出席すれば、踊っている時間の方が長かった。けれど今、ネロがこうしてリードしてくれる中を存分に踊れると思うと、日頃の苦く長い姫としての挨拶代わりのダンスの時間も、泣きそうになって怒られながら練習した涙の日々も、全てが風に舞って飛んでいってくれるような気になってくる。
ネロ、本当は踊れたんだ……。
いつもダンスは出来ないって断ってたの、嘘なんだ。
ねぇ、それじゃあこれって、あなたが初めてちゃんと女の子と踊るダンスって思ってもいい?
カイネは自然と笑みが零れ出て、どこか夢見心地だったのが、しっかりと柔らかい地面を蹴って、全身で愛しさと喜びを表現しながら踊りたくなっていく。
試しにステップに合わせて大きく身体を反らせてみると、ネロがニヤリと笑いながらそれに応えて支えきったのちに、グイっと引っ張って彼のすぐ傍まで引き戻してくれるのである。
二人で大きく身体を反らしては、決して手を離すことなく、惹かれあうように戻って次の一歩を踏み出す。動きに合わせてネロのマントが気持ちの良い音を響かせながら風を遮り、カイネのいつもの白いワンピースがふんわりと可愛らしく、けれども優雅に揺れてこれまでに着たどのドレスよりも美しく月光を反射させた。
二人は今、姫として、王子として踊るときに習ったステップをちゃんと踏んでいる。けれど、これは誰が何と言おうとも、一人の少女と青年である、カイネとネロのダンスであった。
カイネがチラリとネロの方に視線を向けるも、彼は顔色ひとつ変えず、息ひとつ乱さず、しっかりとカイネを支えながらもステップを間違うことなく踊り続けている。
「…………」
それを見ていると、ネロがリードしてくれるのが嬉しくて堪らないものの、カイネはもう少しだけ、わがままを言いたくなってきてしまうのである。本当なら体重なんてかけたらダメなところで、カイネはあえてそのまま、自分の全ての体重を、ネロへと預けてみる。
ダンスだけでなく、本当は全てにおいて、ネロがいないと自分は倒れてしまうのだと、全身で伝えるために。
「…………」
すると次の瞬間、カイネの背に添えられる手が、触れる部分はとても優しいままなのに、ぐっと力が込められたのが分かった。彼がこちらを見ているのが分かったけれど、もう少しだけ二人だけのダンスを楽しみたくて、カイネは視線をあえて合わさずに、そのままネロに自分の体重を委ね続けた。
ねぇ、あなたが手を離したら、私、転んじゃう。
なんだかんだで優しいから、こうなったら手を離せないでしょう?
それで手が離せないなら。もう少しだけ、一緒にダンスをして?
他の女でもない、私と。
そんな想いを分かった上でか、お姫様の願いを聞くために気づかないフリをしてくれたのか。ネロはそのまま、何も言わずにダンスを続けてくれた。
きっと、ダンスひとつでこんなに喜んでいるのは、私だけ。
いつだって、私ばっかりが好きみたいで悔しい。
だけどやっぱり、好きで、チャンスがあればすぐにでもあなたに甘えたいの。
次のステップでグイっと彼が引き戻してくれるのに合わせて、カイネはそっと彼の肩に顔を添える。今度は流石に恥ずかしいから、体重を全て預けるのではなく、半分だけにして。
ちゃんとカイネだって、誰かが言っていた恋愛のお決まりというのは、頭の片隅には入れている。重すぎる女の子はダメだとか、わがままを言いすぎるのはよくないとか。
けれど、例えば今日はお姫様というお願いを聞いてもらっているのだから。姫はたくさん我慢しないとダメだけど、だけど、お姫様だったら自分だけの王子様にならばちょっとばかり、多めにわがままを言ってもいいはずなのだ。……たまにならば。
カイネはそう思うことで、最後に残ったほんの少しの遠慮も取り払って、そのまま残りの半分、体重の全てをネロに預けていく。
ステップはどちらからともなく完全に止まっていき、再び花畑の真ん中に二人で立ち尽くす。
先ほどまでと違うのは二人の距離で、いくら通年温かな気候のアヴァロンであろうとも、ノースリーブでは肌寒さを感じさせる夜風が、カイネの火照った身体を冷やそうとした。
それでも、すぐ傍にあるネロの体温と、緊張を孕んだ胸の高鳴りが、カイネの身体を火照らせ続け、夜風が浚うのは体温ではなく、カイネの髪だけだった。彼と二人きりならばよいかと、今は全ての魔法を取り払って、本来の姿のままでいる。腰元まで伸びた流れゆく髪にネロがそっと触れたのが感じられて、カイネは視線をネロの肩から瞳へと移してみる。
すると、意外にも自分と同じように、平然と騎士のように踊っていたネロの頬も、ほんのりと赤く染まっているのが、至近距離だからこそ、見て取れたのだ。
「…………っつ」
じっとそんな珍しいネロの様子を盗み見ていたら、視線に気づいていたのだろう、彼は視線を触れている髪に向けたまま、目をあわさずに、いつものぶっきらぼうさ全開の声色で言うのである。
「……なんだよ」
それがまた可笑しくも、愛おしくて。カイネは満面の笑みを浮かべる。
なんだ、ネロでも照れたりするのね。私と一緒ね、一緒。
「あは、あははは」
すると、もう嬉しいのが隠せなくなり、俗にいういい雰囲気というものだったかもしれないのに、カイネは思いっきり笑いながら、ネロの背に手を回し、心のままに抱きつくのである。
私ばっかりが好きな訳じゃなさそうだから、私ばっかりが好きでもいいわ!
「ううん。何でもない。何でもないの」
「あー、もう。ダンスはおしまいな」
「いや」
「これ以上は俺には無理だ」
「うん。でも、まだダメ」
「なんでだよ」
そう言いながらも抱き付いて離れないカイネの頭をネロは慈しむように、撫で続けた。
カイネが再び顔をあげると、今度はとうとう、ネロがははっと声をあげながら、顔を崩して笑い出すのである。
まるでタイミングを見計らうかのように強い風が吹き、ネロの一つに束ねた黒髪がカイネの頬を擽る。それは確かにどこかこしょばいはずなのに、甘く痺れるような心地は、カイネの頬ではなく胸に広がっていった。ネロの手がカイネの髪から離れたかと思うと、そっと背に回され、包み込むようにとても優しく抱きしめ返してくれるのである。さらに二人の距離が縮まって、どこかいつもよりも速いネロの鼓動がカイネの耳にまで響いてくる。その音とスピードは、素直でない彼の代わりに、言葉としてではなく音として、彼も同じ気持ちであるという事実を伝えてくれていた。
黒い綺麗な髪が、月夜に照らされて、幻想的。
その綺麗な髪も、ははって笑い方も、瞳も、なんだかんだで優しいのも、もう、全部が好き、大好きなの。
風はさらに強さを増し、ネロの髪だけでなく、カイネの髪も浚い、花畑中に、白い花弁のシャワーを降らせていく。
今日の会場は、ステップ音の響かない緑のホール。ライトはシャンデリアではなく満月の光。オーディエンスはいなくって、二人だけの世界で、拍手の代わりに花びらが優しく舞うのだ。
ねぇ、とっても素敵ね。
「あのね……」
「ん? 何?」
「大好き」
すると、背に回された腕にさらに力が込められて、二人の距離がより一層縮められていく。今度は優しくではなく、ぎゅっと強く抱きしめてくれ、その力強さはカイネが求めてやまない頼もしさを、カイネの心にまで安心として浸透させていった。
あの瞳がみたいと顔をあげると、ずっとライト代わりに二人を照らしていた満月を雲が覆い、影と共に、カイネの大好きな炎のように情熱的で美しい宝石を隠していくのだ。それを残念に思うのに、それよりももっと甘い心地が唇に伝わり、カイネの心に、全身に、痺れるような感覚と、熱。そして愛おしさを、巡らせていく。
「俺も」
二人だけの秘密のキスに全てを託して、ネロは王子様の甘さまでも月灯りと共に隠してしまった。カイネは俺もの言葉の続きが聞きたいのに、それ以上は決して言ってくれないのである。やっぱりそれを私ばっかりでズルいと思ってしまうのに、文句を言うよりも先に、再び唇から彼のとても熱い情熱が伝染し、カイネの全身に痺れと甘さを巡らせて、それらが言葉が足りない彼の代わりに想いを伝えるから。その熱と甘さに溺れて、私ばっかりが好きでもいいと、そう思ってしまうのだ。
けれど、愛おしさからこみあげるちょっとした悔しさは拭えなくて、カイネもそれ以上はあえて言葉にせず、さらにぎゅっと強く抱き付くことで、想いを伝える。月が雲から顔を覗かせて、二人の秘密を暴いてしまう一分一秒の時間を惜しみながら。
月光が足元の白い花の花弁を照らし始めるのを合図に、カイネはそっと、ネロから離れる。彼と数センチでも離れることも、秘密のキスが終ってしまうのも心に切なさを残すけれど、代わりに月はネロの美しくも情熱的な紅い瞳を映し出してくれる。
ずっとずっとみていたい、宇宙中で何よりも情熱的な炎。
それはカイネの心を熱くさせる、ネロだけが持つ真っ赤な宝石。
カイネとネロはどちらからともなく、並んで城へと歩み出す。
すると、ネロの動きに合わせて、彼のマントについた白い花弁の一枚が、カイネの鼻先へとくっつく。
「ついてる」
ははっと笑いながらネロがカイネの鼻に触れ、カイネがアヴァロンで一番好きな花の花弁をとってくれるのだ。もう秘密の場所を離れてしまったから彼の甘さを直接感じらはしないけれど、代わりにその花の甘い蜜の薫がカイネの鼻から心へ、記憶へと、刻まれていく。
摘み上げた花弁にネロがふっと息を吹きかけると、それはそのまま風に乗って、自分たちよりも先にアヴァロンの城の方へと流されて、あっという間に目で追えなくなってしまった。
私の居場所である花よ、風に舞い、彼と共に過ごせる場所をどうか増やして。
ネロの横で、カイネは花に願いを託し、星々に切実に祈る――……。
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