かぼちゃを動かして!⑲
例の毒草が多く植えられている地帯に、仲間外れのように一凛、丸く黄色い綿のような花が咲いていた。とても可愛らしいというのに、この黄色い花をみると、特に街に住む女の子たちは一目散に逃げていく。
「ちょっとだけ、寄り道。サディもフリーも少し離れてて」
「え、でも……」
「これ以上はダメ。ただでさえ、毒草にも気を付けないとダメなのに」
「ううん。私たちに毒草の影響はないから……心配しないで」
二人は優しいからきっと、作業の全てを傍で見守り手伝おうとしてくれるだろう。けれど、二人はあまりにもフィフィと身体の大きさが違いすぎるのだ。フィフィであれば少しで済むことも、二人にとっては大惨事になりかねない。だからフィフィはあえて、レースのハンカチをそっと取り外す。
「じゃあ、離れる前にひとつ、お願いしてもいい? 今からコウベニアの実をとるわ。……これは匂いがキツイでしょ? だから悪いんだけど、ハンカチを結び直してほしいの」
笑顔でそう言うも、ここは毒草の花粉も飛んでくるから、ほんの一瞬外しただけで鼻が今にもムズムズとしてくる。
「へ、へくっしょ」
堪えきれずにもれ出たくしゃみは、微笑みながらだったから、中途半端な不格好なものになってしまう。それを恥ずかしく思うものの、そんなことを気にもしていられないので、「へへっ、変なくしゃみでた」なんて誤魔化しながら、もう一度、フリーをみる。
フリーが急ぎ飛び寄って、ハンカチの端を摘まむと、器用にそれをフィフィの頭の後ろで結び直してくれる。さっきよりも、かなり強めに。
だから結ぶときにフリーでは少し力が足りなくて、それを何も言わずにサディが手伝う形で、固く、結んでくれた。
へへ、こんなにしっかりと結んでくれて、ハンカチを離すと鼻の上にくっきりと線がいきそう。
そんなことを思いながら、サディが無言で頷いて、フリーを連れて後ろに下がってくれる。
例えば、さっき教えてくれたみたいに、妖精が女の子らしくするのがとても大切であるのならば、これは絶対にフリーに付き合わせてはいけないのだ。
フィフィは丸く黄色い花を見つめながらしゃがみ込み、そっと地面に箒を置く。
この黄色い花びらは、中央部に種となる実を秘めている。それを守るように、まるで球を作るかのように無数の花びらがついているのだ。
花びらをちぎろうとすると、白い汁がにじみ出て、強い匂いを放つ。それはハッカと玉ねぎを刻むときの匂いをさらに濃くしたようなもので、スースーを通りこして、目や鼻が痛くなるほどのもの。
手にそれがつけば、洗っても数日間は匂いが残るくらいに、強烈。
スースーを通り越して生じる痛みは、目を充血させてしまうくらい、匂いだけでも染みて痛い。
鼻がやられると、しばらく息を吸うたびに激痛が走るから、フィフィは鞄から洗濯バサミを取り出して、レースのハンカチの上から自身の鼻をつまむ。
こんな姿は決して、お上品ではないだろう。それにどうして街の女の子たちがコウベニアをみると走って逃げるのかというと、この辺りに住む子たちは年頃になると香水をつける習慣があるからだ。甘い香りが好まれて、ハッカのようなこの匂いが手や服に付こうものなら、その服はもう着ないし、手から匂いがとれるまで家から出ないくらい。
街の女たちの間では、嫁に行きたくばコウベニアから逃げろっていう教えまであるくらいなのだ。軽く花に触れるくらいならば匂いの影響なんてない。けれど、その教えの元となった人は匂いは花からでる汁が原因だなんて知らないまま、花の上に転ぶか何かして実を潰してしまい、花自体が元凶だと思っているに違いないのだ。
とても、私たちに多くを与えてくれる花だというのに。
仮に汁に触れてしまったとしても、フィフィから言わせれば、手に付いた匂いはそこまで気にしなくても、隣に立つくらいでは相手には分からない程度のもの。
それに服の匂いだって、ラベンダーを乾燥させた花弁入りの石鹸で二~三回くらい洗えば、いつの間にか落ちている。そんなことで捨ててしまうのにもったいないと、常々思っていた。
せめて採取のときに、手袋をすればいいのかもしれない。けれど、この時期に花びらをちぎってまで実を取るのは意味があって、花が枯れて完全に実が固くなり種となってしまうと薬としては使えなくなってしまうのだ。みんなが忌嫌うこの白い汁と匂いそのものがとても重要で、まだ実が柔らかいときに煮たてて薬液に付けた状態でそれを保管し、使う直前にすらなければ、効能が激減してしまう。そもそも、種では固すぎて、どれほど液につけようとも、することさえできないのだ。
そんな柔い状態の実を採るのだから、繊細に扱わなくてはすぐにつぶしてしまうのである。
手袋越しではダメ。素手でそっと、実を取り出さないと。
花に触れようとしたところで風が強くなってくる。それに今日は黒い眼鏡をかけているから、目の痛みは防げるけれど、視界が悪くていつもより花がちぎりにくい。
斜め上から視線を感じて、きっとただその作業をみているだけに違いないのに、ついその視線が気になってしまうのだ。
そして、それと同時にまた、誰も怒ってなどいないのに、叱られた子どものようにしょげた気持ちと強がりが入り混じった、フィフィをソワソワとさせる感情が全身に駆け巡る。
そう、フィフィは気づいてしまったのだ。ずっと、コウベニアの匂いを気にする街の女の子たちのことを、フィフィは心の奥底でどこか馬鹿にしていたということを。この実のことを何も知らないくせに、と。
けれど、フィフィだって知らなかったのだ。こういう姿を見られることが恥ずかしいと思う感覚や、匂いや目の充血を気にしてしまう心情を。
さらなる自分の愚かさや、新たな種類の恥ずかしいという感情を知って、そういうのを気にもとめなかったこれまでの自分をまた、フィフィは恥ずかしく愚かしいと思った。
少しでも花に触れすぎないように急ぎたいのに、いつもよりも視界が悪くて、風が強くて、余計に時間がかかる。
すると、フィフィと花の間に白い布が割り込み、視界を遮る。
「……俺のシャツだけど、使って。あー、えっと、中にもうひとつ、ランニングを着てるから、安心して」
「え?」
そのシャツは視界から消えたかと思うと、そっとフィフィの頭に被せられた。既に頭には帽子を被っているというのに。
突然の思いがけないことだったから、洗濯バサミで鼻をつまんでいて不格好な姿をしてるのに、つい振り返ってしまった。
ほんの一瞬、エプリアと目があって、フィフィは今の自分の姿を思い出し、慌ててまたコウベニアの方に向き直る。
「…………」
やはりこれは恥ずかしいという心情で、けれどそれ以上に、自分の何かを削るかのように苦しく胸を締め付けるものがフィフィには感じられたのだ。
視界には可愛らしいはずの、とても多くを与えてくれるはずのコウベニアがあるのに、いつものように採取できない自分が情けなくなるし、今までだって、これからだって、きっとフィフィはこうやって生きていくのに、今の感情はあまり知りたくないものだとも思ってしまった。
たくさんのことが頭を過るけれど、何よりも、薬草を扱うのを一瞬でもためらう自分の心にフィフィは気づきたくなかった。
そしてエプリアがなぜシャツを被せてくれたのかが分からなくて、それがどうしても気になるのというのに、やはり今の姿で後ろを振り返りたくはなくて、前を向いたまま、フィフィは動けなくなってしまう。
なんでシャツを?
その言葉が出るよりも先に、ふよふよとご丁寧にフィフィの顔の前まで飛んできた植物の妖精が、コウベニアの花のすぐ傍で、言う。
「お前は馬鹿だなあ。それ、大事な魔女帽子なんだろう? 帽子は洗いにくいんだから、遠慮なく借りとけ。シャツは汚れても、いつも使う特製の石鹸ならすぐに匂いだって落ちるだろう? ほら、とっとと採るぞ。押さえといてやるから」
「……ディグダ」
「あ、言っておくけど。これはさっき拾ったやつだから、魔法で出したんじゃないぞ。ほら、急げよ」
「うん、ありがとう」
そうだった。これは大切な魔女服で、魔女帽子。これが魔女の仕事なんだから汚れてもいいんだけど、やっぱり汚したくはないの。それでいつもよりも採りにくいのはきっと、ディグダがいなかったから。
恐らくフィフィが知らなかっただけで、ウィニーが風魔法が一番に得意だけれど、どの妖精も基本的な自然魔法は使えるから。なんだかんだでいつも森へと付いてきてくれていたディグダが、この辺りの風をどうにかしてくれていたのだろう。毎回、コウベニアの実を採るときだけ、都合よく風がやむ訳などないのだ。毒草の花粉がフィフィが採取するエリアだけ飛んでこないわけ、ないのだ。
フィフィは今日、魔法がなく歩いてみて、それらが自然と、けれども本当にとても分かったのだ。
ディグダが自身の背丈と変わらぬくらいの、大きな葉を傘のように扱いながら、その長めの茎の部分で器用にコウベニアの花の中心を押さえ、風で揺れるのを止めてくれる。
花がぶれないだけで、かなり作業がしやすくなる。フィフィはそっと、いつもよりもずっとずっと丁寧に、すごくすごく集中して、その花びらをちぎり、中の実を探す。
目の前の意地悪なはずの、今日は魔法を使わない植物の妖精にこの実の汁が絶対にとばないように。フィフィよりもとても小さな身体に、この匂いが染みないよう、なるべく早く作業が終るように、と。
薬を作る際の基礎でもある、慎重かつ迅速をいつも以上に心がけた。
「あった。……ひとつだけ、分けてね」
大抵の場合、中に実は三つくらい。わざわざ花を刈らずにここで実をひとつだけ分けてもらうのは、次の命を絶やさぬため。
花はとり過ぎてはいけない。草も、生き物も、何だって。命あるもの全てが本当は、そう。
採れた実を、薬草用の湿った布を入れた小さな容器へと手早くしまい、フィフィはそっと立ち上がる。貸してくれたシャツを落とさないように、大切に手で押さえて、傍にいる植物の妖精に少しでも風が届かないように、気を付けながら。
「もう大丈夫。ディグダ、ありがとう」
「おう」
魔法を使わなかったからだ、ディグダの目、すっごく充血してる。
「エプリアも、シャツ、ありがとう」
「うん、大丈夫」
この辺りは毒草の花粉が飛ぶから、服の袖は絶対にある方がいい。
不格好に洗濯バサミで鼻をつまんでいるけれど、恥ずかしいよりも大切なものが、たくさんあるのだろう。フィフィはフィフィの仕事をそのまましてもいいのだと、実を採り終える前にちゃんといつものように、思えるようになっていた。
向こうからフリーとサディが飛んでくるのがみえて、鞄の中から手早く布巾を取り出し、フィフィは手を拭う。
嗅ぎなれているからやっぱり、フィフィだけの感覚で言うと、この匂いはそこまでは気にならない。けれど、周りがどう思うかというのを、気にする心を知った。
なるべくサディとフリーに近づきすぎないようにと、少し距離をとって進もうとして、二人がぎゅっと、フィフィの両頬に抱き着いてキスを落とす。
「「馬鹿ね」」
なんだか泣きそうになって、小さく頷きながら、フィフィは言う。
「……そうかも」
へにゃりと笑いながら、鼻をつまんでいた洗濯バサミを外し、かがんで大切な箒を拾う。
確かに匂いがつくって嫌なことなのかも。試験が終ったら、花を煎じた汁で湿らせた布で箒を磨こう。
ちゃんとエプリアのシャツも、物々交換してもらった今羽織っているマントも、いつもよりも丁寧に、花の香る石鹸で洗濯しようっと。
フィフィが歩き出すと共に、またシャリっと箒が擦れる音を残す。
それに続くように、草を静かに踏む音が、再び二人分、続いていく。
毒草の花粉は、マントのおかげでほとんど大丈夫。鼻はムズムズするけれど、視界は暗くて見えにくいけれど、目の方も大丈夫。
けれどエプリアは風魔法を使いなどしなければマントも羽織ってはおらず、さらにその状態でシャツを貸してくれたから。シャツを着直す前にその肩や腕がうっすらとかぶれ始めているのが、チラリと見えてしまった。
大丈夫かな、でもフィフィのために付いてきてくれているのに、何て言えばいいのだろう。ディグダだっていつも通り飛んでいるけれど、きっと、目が痛いはず。
横に並ぶエプリアと、正面を向いたままに、フィフィの少し前を飛行するディグダ。
ディグダの後ろ姿をぼんやりとみつめ、盗み見る形でほんの少しだけ首をすくめ、エプリアを見上げてみる。
けれどちょうど、こちらを見ていたエプリアと目が合って、また海のように深く優しい瞳で、穏やかに口角をあげて微笑んでくれる。
「大丈夫だよ、シャツ。気にしないで」
「あ、う、うん」
「俺も薬草とか、ハッカみたいなこういう匂い、嫌いじゃないしね」
フィフィが今気にしていたのは毒草の方だけれど、先ほどのコウベニアのことをエプリアがそれほどまでに気にしていないと言ったのを聞いて、フィフィは自分が自覚していた以上に、とても安心してしまった。
エプリアはああいうの、気にしないんだ。よかった。
「あれは痛み止めには欠かせない。特に火傷の痛みによく効く。……人間のね」
エプリアだってミス・マリアンヌの弟子なのだから知っていて当たり前のはずなのに、その言葉にフィフィは驚いてしまって、再びエプリアの方に視線を向ける。そしたらまたこちらを向いてくれて、微笑んでくれているのに、瞳は優しいというよりも、真剣そのもので、吸い込まれそうになって、またドキリとフィフィの心臓を跳ね上げさせた。
「冬がくるとどうしても、暖炉とか鍋料理で火傷をする人が増える。……俺も何となく薬草の知識はあるけど、しっかり学びはしなかった。あまり集めたり煎じたりは、得意じゃない」
「エ、エプリアが……得意じゃないことがあるって、ちょっと不思議」
「本当に? 正直、たくさんある。知識だけもっててもダメなんだって、改めて今日、気づくことがたくさんあったよ」
そう話すエプリアは、そういえば年齢を聞いていなかったけれど、兄弟子だからきっとフィフィよりはいくつか年上に違いない。けれどもその姿は、その差がいくつかではなく、フィフィよりもかなり上のように、とても大人に感じられた。逆に年齢を聞きたくないなと、思うくらいに。
フィフィと離れすぎていたら遠く感じてしまうし、逆に少ししか変わらなかったら、それもまた自分が幼く感じられて恥ずかしいから。
けれど、エプリアが少しためらいがちな口調で頬を掻きながら、フィフィの方を向いているのに視線をあえて逸らして、付け加える。
「……でも、やっぱり知識は持っててよかったなって、さっき思った。賢くて優しい子に、気づくことができる。……俺はコウベニアの実の使い方を知っていて、ちゃんと使えるっていうのは……お洒落な香水をつける以上に、魅力的なことだと……思う」
「え?」
聞き返した途端、エプリアと目があって、まだ夕方ではないはずだけれど、黒い眼鏡の隙間からみるその頬は、少しだけ赤みがかっているような気がした。
けれどエプリアは珍しくプイっと顔を背けて、今度は一転、尖ったような口調で、言う。
「ほら、ついたよ。魔女さん」
「あ、う、うん」
もう目の前に、八色蜘蛛の洞窟がある。
集中しないといけないのに、どうしてだろう、胸がソワソワとしてしまうの。だってフィフィは香水よりも、薬草を触ることが多いから。
それでね、少し、嬉しくも思ってしまった。
なんだか今のエプリアは年齢に関係なく、少しフィフィと近いような気がしたから。
「……それで、作戦は?」
エプリアのがうつってしまったのかもしれない。ちょっとだけフィフィの頬も熱を持ってきたけれど、今は黒い眼鏡にレースのハンカチを装備しているから、エプリアの表情はみえるけど、向こうにフィフィの表情はみえない。
いつも心を読まれてる気分だったから、こういうの、ちょっといいかも。隠さなくてもいいのに、バレないなんて!
だから、頬が染まったまま、心が落ち着かないまま、今から使う大切な箒をぎゅっと強く握りしめて言う。
「ある! 箒を使うの!」
「ん?」
さっき、不必要に攻撃したらダメだってフィフィも優しい人に正しい賢さで教えてもらったから。
だからフィフィも悲しくない涙を分けてもらおうと思って。
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