ループ・ラバーズ・ルール_レポート16「虚偽」
「ゼロ・ファースト、今回はこれを暗唱しろ」
「……これは何? それにこの中の何を記憶しろと言うの?」
研究員はリファが00ルームに入ると、小さな机へと着席させた。室内は仄暗く、ここはある種、監視カメラはあるけれど、音声は録音されない仕組みと部屋自体が防音になっている。
リファは目の前の資料に目をやり、初めてみる資料であるはずなのに、中身にどこか既視感があることに違和感を覚えた。数頁ほどめくり、その既視感が何であるのかが分かり、リファの中で反抗心が芽生えていく。
「いいか、古舘教授が到着される前に覚えろ。全部だ。これを入手するのに結構な時間を費やしてしまった。前回の任務からかなり期間が開いてしまったから、準備の時間を削る。今日中に覚えて、指令が出ればすぐに動けるようにしておけ」
「……こんな量、無理よ」
研究員は顔を歪め、目をより一層きつく吊り上げたかと思うと、リファの胸倉を掴み、怒鳴り散らす。
「いいから早く覚えろ。言っただろう、これを入手するのに手間取った。予定よりも任務遂行のスケジュールが押している! 教授が到着するまでに覚えるんだ!」
研究員は直接、リファを傷つけることは許されていない。リファの身体はリファのものでありながら、政府の財産でもあるからだ。リファのことは研究所が管理するものの、そもそもこのネオパルコの研究施設自体が、政府の極秘プロジェクトから派生するものであり、リファはそのプロジェクトの被験者という位置づけだ。さらに言うと、被験者の中でも研究データに欠かせない、最初のカルファワクチンの適合者であり、適合率も最大なのである。
だからだろう、音声が録音されないことをいいことに、ここぞとばかりに、研究員はリファを怒鳴りつけるが、決して殴りはしなかった。
胸倉を掴むにとどめ、リファが反抗しないので、そのまま、手を緩めて席へと戻す。
「どこの財閥も個人情報は漏らさない。けど、高校は別だ……教師は優秀と言えど、一般家庭出身の者がほとんどだからな。それでも、ジョウセイ高校の教師となれば、真面目なものが多く、苦労したよ。けど、一人、都合のよいものがいた。親戚の一人がうちの系列病院に入院中だったんだよ。ああ、あのときの表情を思い出すと、我々も仕事のやりがいがあったよ。……かなり粘っていたけれどね……投薬をやめさせて、意識不明になりかけ」
「やめて。記憶するのに煩い」
「……ふん。最初からすぐにしたがって記憶すればいいものを」
研究員のポータルブルデバイスのバイブ音が響き、彼は一旦、部屋を退出した。恐らく、あいつが駅に辿り着いたのだ。
(あの研究員、わざと直前に資料を渡したな。準備の時間を削ると言っていたが、資料の入手の時点であいつとの約束の期限を過ぎてしまっているんだ。それを私の記憶が遅いせいにするつもりなのか)
資料を渡されてから、数分も経っていない。今日中に、あいつの到着までに覚えろと言うが、なんとお早い到着なことか。
渡された資料は数頁どころではない。二、三センチくらいの厚みがあるのだ。軽く見積もっても二百頁はあるだろう。
(記憶どころか、全ての頁をめくることさえ、間に合わない量)
能力を使えば全頁をめくることなど容易いことだが、それだと記憶ができないのだ。結局のところ、リファは罰を受けることになるのだろう。
(最悪。全部、最悪)
リファはやる気が起こらず、ペラペラと雑に資料を捲り続けた。その多くは知らない顔ばかりであったが、三年のあるクラスのア行のところから、リファは知った顔を見つけてしまったのだ。さらに捲ると、曾澤だけでなく、戸田沖やユーキの写真と情報がびっしりと書かれている頁に辿り着くのである。
そこからの数頁は他の頁と比べ、字だけであれば見覚えのある名前や、何となく見かけたことのある顔がチラホラと現れた。どうやらこの数頁はリファが所属するクラスの情報に該当するようだ。
すると、その女子生徒の欄にはちゃんと、東条リファという名前と共に、リファの写真と東条グループ東条ゼンヤ孫娘という記載や、政府が用意した表向きの経歴などが一言一句違えられずに添えられていた。
「…………」
けれど、このクラスの頁に辿りついてから、この資料に関し、とあることに気づく。リファは再び、曾澤の箇所を確認したのちに、資料をざっと見直し始める。
(この資料、学校から流出したものじゃない。恐らく、個人で用意したものだ)
それぞれの情報はおおよそ、ネットを検索すれば出てくるものばかり。基本的にジョウセイ高校に通う者は、この年頃になると、そういう交流会やサロン、メディアに出る機会も多く、検索能力が高ければ、誰がどこの令嬢子息であるかまでは、調べられる。どうにもメディアには明かしていない本当の個人情報というのは上手く省かれているのだ。
さらに言うと、メディアなどに一切の情報を明かしていないであろう生徒に関しては、推測で適当に肩書を添えたのだろう、ジョウセイ高校にいれば知っている情報であり、ジョウセイ高校にいなければ知り得ない情報の個所は、嘘の記載が織り交ぜられていた。
極めつけは写真である。有名な財閥の公の場に出る生徒の顔写真はそのまま、ネットニュースや新聞に掲載された写真を、制服を着ているようにみえるよう合成しているのだ。けれども、それ以外のメディアや公の場に顔を出さない生徒に関しては、校内でみる顔がほぼないのである。
一年生や二年生の多くは、元々リファも記憶をしていない子が多いので確証はないが、メディアに度々取り上げられる生徒以外は、本当に知らない顔が多い気がするのだ。むしろ、実在する人物の写真がないように思えるのである。
例えば図書館で見かけたことのある、過去の校内新聞や卒業アルバムなどに映っていた者と、それこそモゴロンを観るためにつけたテレビ放送で定期的に流れるCMに登場する俳優たち。何人かの特徴が重なりあってみえるような人物がずらりと並んでいるのである。
逆に記憶するつもりは毛頭なかったが、先日廊下でぶつかってしまった一年の女生徒の顔が一切見当たらないのだ。
もちろん、その女子生徒の件だけで断定することはできない。けれどもリファが公の場に顔を出さない生徒に関して校内でみる顔がほぼないと感じたのは、公の場に顔を出さないというのに、本人の写真がそのまま使われている人物をいくつか見つけたからである。
この嘘だらけの情報の中で唯一、ほぼ正しい情報が記載されている箇所があったのだ。それがリファのクラスの頁である。
正直なところ、クラスのほとんどの生徒を、きっちりとは覚えていない。ユーキと戸田沖以外に、特に話すことはないからだ。
けれども、その唯一きっちりと覚えているユーキも戸田沖も公の場に顔をだすことがないのをリファは知っている。それなのに、彼らの写真はつい先日校内で正式に撮られたばかりのものが使われているのだ。
さらに言えば、クラスメイトに関しては流石のリファも字だけで良いならば、何となくは全員の名前は憶えていたのである。
すると、顔が分からずとも名前さえ分かれば答え合わせができるかのような簡単な、けれどもジョウセイ高校にいなければ知り得ないような情報がリファのクラスの生徒の欄には多く記載されていた。他のクラスや学年と違い、どうにも自信がない情報であったとしても、それが嘘ではないと消去法で分かるくらいに基礎的な情報ばかりが載っているのである。
そして顔が分かる者に関しては、公の場に出ないような生徒であろうとも、戸田沖やユーキ以外も、きっちりと日頃クラスで見かける顔と一致していた。
(クラスメイト……記憶する必要なんてないと……思ってたのに)
リファはこの資料の違和感に気づけるくらいには、自分の想像以上にクラスの生徒の名前や顔や、その他の情報を覚えていることに驚いた。
けれども逆を言うと、いざ確認してみると、想像以上に名前と顔が一致するクラスメイトも少なくもあった。
ただいずれにしても、他のクラスや学年に違和感を覚え、リファのクラスに関しては恐らく嘘がないという判断がつくくらいの記憶が、記憶しようとしていなくとも、ジョウセイ高校に通うだけでも自然とリファの中にも蓄積していたようなのだ。
そして、そんな真実しか記載されていないリファのクラスの中でも一点、明確に嘘の情報が並べられている箇所を見つけたのである。それはリファでも確信めいて、すぐに気付ける内容であったのだ。
恐らくこの資料を用意した人は、リファをよく知っているのだ。
リファがどういう情報であれば嘘だと見抜けて、誰の情報であれば確信をもって、情報の判断ができるかということを。
(違う……)
クラス内の誤情報というのはユーキの個所だけなのである。仮にリファがクラスメイトのことを把握しきれておらず、他の生徒にも若干の嘘が紛れていたとしても、ユーキの情報だけ、詳細に嘘が記載されているのだ。
「ちゃんと……記憶してる……」
ユーキは部活に所属などしていない。
それは政府から提示された情報としても全て覚えているし、リファが部活に関して質問したときも、ユーキは何もしていないと答えていた。何より、毎日一緒に帰宅しているのだ。
けれどユーキの部活欄にはボランティア部とあり、ボランティアの活動内容に、入院中の子どもたちへの本の読み聞かせや寄付と記載されているのだ。活動先として、複数の病院名と共に。
リファはネオパルコの系列、所謂、息のかかった病院というのを、知らない。ユーキの名と共に連なっている病院が、どこの系列の病院であるのか判断がつかなかった。
「…………っ」
リファは廊下の向こうから一定のリズムで響く足音を拾い、思わず扉の方に視線を向けそうになる。けれど、少しでも動けば、監視カメラに記録されてしまうのだ。机に腰かけたまま、必死に資料を覚えるフリを続けた。
ぎゅっと手に力を入れていなければ手が震えそうだが、それさえも監視カメラにとられてはいけないのだ。脳と身体の両方が極限状態の中で、このあとのやりとりの全てを予測計算し、ミスなく動かなくてはならなかった。
(研究員もあいつもこの資料の真偽がまだ分かっていないんだ。確かめようがないから)
ジョウセイ高校の生徒情報が欲しいから、この資料を用意させたのは間違いない。けれど、知らないからこそ、情報がほしいのだ。
そこで浮上するのが、知らない情報の真偽をどう確かめるかということである。
先ほど、研究員は聞いてもいないのに、ペラペラと資料を用意した者は提出を最後まで渋ったというような趣旨のことを話していた。
きっと研究員はこれが虚偽資料である可能性も疑っているが、本物である可能性も否定しきれない状態なのだ。
資料を渡すタイミングがぎりぎりであったのは、ひとつは本当にあいつに怒られるのをリファのせいにするつもりなのは確実だろう。けれども真の狙いは、この資料の情報の正誤を確かめることにあるのだ。
リファがあいつを恐れているのを知っているからこそ、考える暇を与えず、あいつがくる直前での、嘘がつけない状況下でのリファの反応で情報の正誤を見極める算段なのだ。
わざわざモクトにああいう訓練をさせ、その後、リファにレベル8までテストを行わせたのもその一環に違いなかった。
レベル8までいくと、今日は偶然怪我をしなかったが、大抵、どこかしらを負傷する。身体の疲れや痛みは判断力を鈍らせる。精神的な揺さぶりは、さらにそこに拍車をかけるだろう。
珍しく、リファの背に汗が伝い、リファ自身が自覚している以上に、かなりの恐怖と焦りを感じているのが分かった。順調に足音は近づいてきて、恐らく、あと数十秒後には、あいつが入室する。
それなのに、リファはまだ決断ができていなかった。
ユーキの情報はサポーターに任命されているからこそ、政府もネオパルコもよく調べてある。それでも尚、ユーキの情報に、わざわざ政府やネオパルコも気づきにくいであろう嘘がひとつ、この資料には織り交ぜられているのだ。
リスクを冒してでもそうしたのは、リファがどんな状況下でこの資料に目を通し、正誤の反応をみられるであろうことを予想して作成した可能性が高かった。
偶然、一頁目からめくる時間があったからよかったが、あいつが到着後に資料を渡されていたら、真っ先にクラスの頁で、それもユーキの箇所から情報の真偽の判断を開始していたことだろう。
何が狙いで、あえてリファに虚偽資料であることを分かりやすく気づかせ、ユーキの箇所にあからさまに秘密を隠したというのだろうか。
もし今、リファが資料の嘘を指摘すれば、ユーキやユーキの家の会社が疑われ、何かしらの影響が及ぶのは間違い。
けれども今、この資料の嘘をリファが報告せずに、そのことがあいつや研究員にバレた場合、モクトたちはどうなるというのか。
この資料には偽りだらけの情報の中に、一部真実があり、さらにその真実の中に、秘密を隠した嘘がある。
この資料の作成者はリファの味方か、敵か。
(……ユーキちゃん。……モクト)
今はまだ、リファが資料の真偽に気づいていること自体を、研究員にもあいつにも悟られてはいけない。
監視カメラの位置が背後でよかったとリファは思った。リファは決して楽しくなどないのに、自身の口角があがっているのを感じていたからだ。最近、口角が動き、笑うという感覚のある時が増えたからだろう。しっかりと、極限状態の中で自分が今笑っているというのをリファは認識できているのである。
それならば、表情のルールというのを覚え始めている今、物理的ではなく、精神的にも研究員を撒くことも可能かもしれないのだ。
背後でドアが開く音が響く。
(あいつが……きた。ルールを発動させろ。ルール内で嘘も真実も表情もみせるな)
to be continued……
∞先読み・紙版はこちらから∞
付録としてPDF特典トランプがつきます✨
各キャラのイメージで絵は描き下ろしてます❤♦♧♤
このレポートの該当巻は『Ⅲ』になります!
トランプ付録はA「Rifa」です
※HPは毎週土曜日、朝10時更新中💊∞💊
ループ・ラバーズ・ルール更新日
第2・第4土曜日
