秘密の地下鉄時刻表―世界の子どもシリーズ―No.33_過去編~その手に触れられなくてもep25①~
「ぐっ……あと……少し」
「……っつ」
きっと記録されているからであり、カイネの前であるからだろう。ネロはやはり肺に無理矢理息を吸い込んでは、速くなる呼吸をゆっくりと保ち、代わりに額に滲む汗の量を増やして耐え続けた。
ネロの呻きに合わせて名を呼びたくなるも、ネロの集中力を切らさぬため、カイネはぐっと言葉と息を飲み込んだ。もし、互いの助かる確率をあげるのならば、冷静に対処することでそれぞれの負担を軽減するのが必須であるのだ。さらに言うと、ネロは恐らく、なるべく星を視ないように努めながら、星を視ているに違いない。ネロの意識を引っ張る訳にはいかなかった。
カイネも集中しようと、短い瞬きを経てその瞳を閉じようとするに合わせて、繋いでいる手に力が込められたのだ。
再び目をあけて確認すると、ネロが乱れがちなその息を抑え込むようにして吐きながら、小さく笑んだ。カイネは頷く代わりに、繋いでいるその手にぎゅっと力を入れて、ネロと同じく周りに分からない程度に大きく肺に息を招き入れた。
意識を向けるのは婚約者の指や温もりではなく、天井を挟んで時空間の向こうにいる、少年の魔力。
どこか不安げで所々に精密さに欠く、けれども純粋にまっすぐな魔力はしっかりとネロの視た星の情報を、カイネの元まで送ってくるのだ。
星の間の床はネロの魔力を月の間の壁伝いに太陽と月の狭間の間へと送り届け、ウィルの魔法を経て、それは再び、太陽と月の狭間の間から太陽の間の壁伝いに、星の間の床のアイオライトの力でカイネの力を増幅させ、星を詠ませた。
集中するのは、星の声。視てはいけない。星を詠まずに、星を詠むの。
私が詠むのは全ての可能性ではなく、時期が分かる光景。
星よ、ネロが視た情報の中で波の時期が分かるものは、どれ?
断片的に切り替えられるそれは、視るのをせず詠むだけに集中しようとしても、カイネの脳裏に悍ましい光景を高速で映し出しては、心が壊れる前にカイネの意識を指先へと戻した。
「う、……あ……」
「……っ」
身体は震えるのだという概念を思い出すと、指先は素直に温もりを求めてカイネの意思に関わらず、勝手に小刻みに震えだしていた。けれども、それはただ一人で震えるのではなく、しっかりと、恐怖を感じているということをそのままに、大きな手に受け入れられていくのだ。
カイネもまた、荒々しくなるのを努めて抑えながら、意識的に長く、喉が震えるのを強行突破して息を吐き出していく。
ダメ。時期が、分からない。海は直前までずっと穏やか。何をみて時期を判断すればいいというの?
突然に荒れ狂う海を前に、波にのまれるということ以外のそれを見つけ出せないのである。表向き、カイネはネロと手を繋いで冷静に星を詠んでいるようにしか見えないだろう。
けれども、元々魔力があまり残っていない状態から始めた星詠みであるのだ。きっとそれはネロも同じであるというのに、カイネはもう立っていられないくらいにフラフラとし始めていた。
それでも立っていられるのは、星を詠み続けていられるのは、ネロがどこか引っ張るように繋いでいる手を通して体重を預けさせてくれているからなのである。
さらに言うと、恐らくはこの場にいる魔法族の皆が、可能な限りアイオライトの床を通して魔力の増幅や回復魔法を施してくれているのだ。
ああ、早く詠まないと。早く……。
けれど、想いも虚しく、時間がどれくらい経ったのだろうか、キツくなってきたのであろう空間の向こうにいるウィルの魔力が大きく乱れ、突然に流れ込みそうになった普段通りのカイネが本来直接詠む莫大な量の星詠みの情報が脳裏を掠めてきたのだ。
思わず叫びそうになるのを必死に堪え、ネロにしがみつくようにすると、すぐ傍で人が倒れるような音が、響いた。
血の契約を結んだタルバニアにもまた、カイネと同じように負担がかかってしまったのだろう、限界が来てしまったようなのだ。
さらにはタルバニアは一族で忠誠を誓うと言ったのだ、他のハミルの者も恐らくは何かしらの影響があるに違いなかった。
ただカイネがいよいよ喉を震わせる頃には、誰かがウィルのサポートに回ってくれたようで、向こう側の魔力が安定したのだ。
再び悍ましいながらに幾ばくか調整された情報は、カイネに何とか倒れずに荒々しい息を零すに留めさせた。
ああ、ごめんなさい。ウィルは大丈夫かしら。本来なら私たちが守らないといけないはずだったのに。
ふと、意識が波からウィルに向いたその瞬間、カイネの脳裏にウィルの顔が映し出されたのだ。
ダメ。集中しないと。……あれ?
白い肌に、すっと通った鼻筋。真っ黒で円らな瞳はほんの少し垂れ目気味。顔は美人と称するのに相応しいくらい、左右均衡のとれた整ったもの。けれども、ネロと同じく漆黒の髪はまだ伸びきっておらず顔の周りで外はねしているのが、どこか可愛らしい印象を与えた。細い身体はローブ越しでも分かってしまうくらいで、同年代の子と比べ、背丈も低い。しっかりと顔を合わせて会話をすれば間違うことなどないのだが、彼の体形や顔つき、雰囲気は近くで見なければ、性別がすぐに判別できないくらいに中性的な要素を持ち合わせていた。共に星詠みの訓練で顔を合わせた頃は。
けれども、よくよく視ると、今カイネの脳裏に映し出されるウィルという男の子は、しっかりと男の子なのだ。やはり同世代の子と比べると、背は低めだろう。けれども、深く被ったローブに隠されすぐには気づけなかったが、髪は鎖骨にまで達していそうで、可愛らしい印象を与えていた外ハネはもう存在しなかった。そして、身長はそこそこである一方で、華奢であった細い身体は最低限の騎士の方の訓練にも参加しているのだろうか、筋肉がつき始めているのか、肩幅が以前よりもしっかりとしつつあり、その後ろ姿がどこか頼もしいのだ。
ウィルだけど……今のウィルじゃないっ!
もっと詳しく詠みたい。そう願うと今度は強い風が吹き、ウィルのローブが外れていくのだ。露わになった頭と顔は、やはり成長が感じられるもので、円らな瞳は円らなままに、けれども眉がしっかりしたのだろうか、顔の成長に合わせてどこかキリッとした印象を与え、以前にまして顔のパーツごとの距離感やサイズ感が整っているのである。けれどもそれほどに綺麗な顔立ちだというのに、女の子と見間違うことなどないというくらいに、頼もしさと凛々しさが明らかに加わっているのだ。
そして、再び風が吹いたかと思うと、揺られたローブの動きに合わせて、ローブの下に着ている魔法学校の制服の襟元の色が、くっきりと、カイネの目に焼き付くように映るのだ。
カイネが驚いて息を飲むのに合わせて、ネロがカイネを支えようと絡め合う指に力を入れたのが身体の方に伝わり、星詠みに集中していたカイネの意識がぐんと現実に引き戻されていく。
それに合わせて、あっという間にウィルの姿は小さくなっていき、程なくして、今と一度目を含め、カイネが視た全ての波の中でもっとも大きなそれが不気味に動くのを脳裏に掠め、星は映像をピタリと止めた。
「はっ……はっ……は……」
大きく目を見開き、明確に息を切らすカイネにネロは限界を迎えたと思ったのだろう、とうとう繋いでいた手を離し、カイネの肩をがっしりと掴み、揺すり始めるのである。
「カイネ!? おい、カイネ!?」
肩が、視界が、揺れる。ネロが、こっちを、見ている。色が、視える。
ぐんと感覚が現実に引き戻されても、カイネの脳裏には一色の色が焼き付いて離れず、意識をすぐに切り替えることができずにいた。
しっかりと視界はこちらへと戻ってきているのに、未だ焦点が定まっていないからだろう。ネロは必死で肩を揺すり、何度も「カイネ!?」と名を呼び続けるのだ。
ネロの表情は怯えそのもので、星を視ているときよりも明確に彼はどこか焦っている。触れる手や動き、表情や声色からもそれが感じられ、絶え間なく恐怖の感情が溢れてくるのだ。
カイネは本能的に早く伝えなくては、と思う。そして、まだ喋るほどにはしっかりと意識が戻っていない中、その思いだけで手を動かしていく。冷え切った震える指先で、ネロの頬に触れるために。
「カイネ? よかった」
すると、ネロは性急にカイネを力いっぱい抱きしめた。ほんのりと痛みを感じるくらいのきつい抱擁は、冷え切った身体に温もりを与えると同時に、時期という重要な情報を断言するに必要な勇気を供給してくれるのだ。カイネの意識は完全に戻り、再び自分で、自分の五感を支配していく。神経を研ぎ澄ますと、身体の先端まで流れる魔力が、本当にあとわずかであることを、強く実感させた。
「黄緑。黄緑色だった」
「え?」
「詠めた。詠めたの。あのね、波が来る直前の、あの子の姿が視えた。……魔法学校の学年の色。黄緑だった。だから、波が来るのは六年後。六年後だわ」
カイネが緩く笑みを漏らすと、ネロは驚きを隠せないといった様子で固まる。すると、やはりこれほどまでに緊迫した状況だというのに、そのままカイネと同じように緩い笑みを浮かべるのだ。まるで互いが鏡であるかのごとく。
「そう、か……。黄緑、か。だから波の時期は二人でしか詠めないと、星は言っていたんだ。カイネにまだ言えてなかったが……あれからあの子は飛び級で……編入試験の方も受かったんだ。だから、本来の学年のままの計算でいい。四年後。波は、四年後にくる」
「つっ……そう。頑張ったのね」
「ああ」
わざと気配を消さなかったのだろう。背後から近づく足音のひとつは、どこか遠慮がちに、けれども明確に魔力と音を放って、カイネたちに近づいてくるのだ。
トンと、最後にひとつ、足音ではない無機質な音が混じったかと思うと、空間中に肌がビリビリとするような圧が放たれ、気が付けば頭上には水晶で創られた巨大な六四テトラヒドロンが浮かんでいた。その周囲を金属でできた環が三つほど、均等に、交差するように取り付けられているのである。その環からチェーンのようなものが伸びているかと思うと、滅んだとされる古の文字や花々の見事な彫刻のなされた金属棒と繋がっていた。
その底辺の直径は二十センチ程。高さは二メートル近いルーマー王の背の倍以上はあるだろう。水晶で造られた六四テトラヒドロンを揺らしながら、五メートル近い高さのある金属棒を、ルーマー王は易々と片手で持ち上げた。
「波は四年後で間違いないんだな?」
「ああ、四年後で間違いない」
「……本当にすまなかった。命がけで得た情報は、ありのままに記録として残し、伝えさせてもらう。そして……もうひとつ……ひどいことを言わせてもらうと……」
弧を描くようにして揺られる水晶は、たくさんの石の光を吸収し、まるで虹色の石であるかのように光を放っていた。
けれども、よくよく見るとそれは石の光だけではなく、これまでのやりとりのひとつひとつを、その一四四面に映し出していたのだ。
ルーマー王が隠していた古代魔具を持ち上げて地面へと突くと同時に、地面は激しく揺られ、ビリビリとした音と魔力の振動が空間中にそれを伝えていく。そして跳ねるようにして動く六四テトラヒドロンはチェーンをまるで楽器のように奏でながら、ルーマー王が濁した言葉の先を、催促し始めるのだ。
カイネは決して、ルーマー王の方を見ようとはしなかった。けれども、テトラヒドロンの跳ねる幅は大きくなるばかりで、チェーンが絡まりそうになっては戻るそれは、まるでカイネたちの命を賭けた全てを奪う自覚などないのだろう、あざ笑うかのように金属が掠れる音を放ち続けた。
「その役目は私たちが致します」
to be continued……

・10月に新サーバーへ移行予定です🚙(特にリンクやサイトのアドレスの変更はありませんので、これまで通りにご閲覧いただけます✨)ただ移行中、一時的にアクセスできない可能性があります👀なるべく土曜日の更新に被らないようにしたいと考えていますが、アクセスできない場合は時間を置いてHPに遊びに来ていただけたらと思います(*- -)(*_ _)ペコリ💦
・10月31日に土曜日ではありませんが、ハロウィンのため特別更新を予定しております!🎃✨ハロウィンがお好きな方はぜひ、遊びに来てください🧹🕷🌈
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このepisodeの該当巻は『Vol.7』になります!
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秘密の地下鉄時刻表―世界の子どもシリーズ―更新日
第1・第3土曜日
先読みの詳細は「秘密の地下鉄時刻表―世界の子どもシリーズ―星を詠む」より