かぼちゃを動かして!④
声のする方を向くと、一人の青年がいた。背が高く年齢の判断がつかないけれど、フィフィよりは年上で、きっと大人でもない。
フィフィが視線を頭二つ分くらい上へとあげていくと、その青年と目が合った。ぎょっとして、フィフィは思わず目を瞑ろうとするも、フィフィが目を瞑るよりも先に、その青年は優しく微笑んでくれたのだ。
そしてフィフィが驚いてポカンと口を開けると、青年は笑顔のままに言うのである。
「……あんまり賢くなさそうで心配だけど。俺はエプリア。お師匠様の……ミス・マリアンヌの弟子だよ。だから、君の兄弟子になるかな? フィフィ?」
「……!」
フィフィは驚いてミス・マリアンヌの方を向く。するとミス・マリアンヌもニコリと笑って頷いてくれて、フィフィは安心して、初めて会う兄弟子にキラキラとした視線を送る。
「兄弟子……。お師匠様……。かっこいい!」
フィフィのそんな視線と呟きを兄弟子は特に拒む様子もなく、むしろまっすぐにフィフィの目を見つめ返してくれた。それがフィフィにとっては真新しい反応で、兄弟子にならば独り言や視線だけでなく、明確に話しかけてもいいかもしれないと、フィフィはさらに言葉を続けていく。
「フィフィのこと、恐くない? 嫌じゃない?」
目の前のエプリアという名前の兄弟子は、フィフィと違って、ちゃんとした少し茶色がかったブロンドの美しい髪をしていて、その瞳の色もちゃんと綺麗な深く濃い青。それはまるでいつの日か絵本でみた海のよう。ミス・マリアンヌの屋敷へと招き入れられる前から、なかなか外には出してもらえなかったフィフィは、人の顔なんてあまり詳しく覚えてなどいない。それでも、きっと村で言うならば、目の前の青年はカッコイイ人の部類に入るであろうことがすぐに分かった。
「えっ、恐くないよ。逆にどこに怖そうな要素があるの? むしろすごく弱そうなんだけど」
不思議そうに質問するフィフィに、兄弟子もまた不思議そうに質問を重ねてくる。
けれど、フィフィの耳に入ってきたのは、怖くない、というその言葉だけ。その言葉を聞いた途端に、ぱっと何かが晴れるように、フィフィは嬉しくなって、その先に続いていた言葉なんて聞きもしないで、気が付けば兄弟子の方に駆け寄っていた。
「フィフィが魔女になったらたっくさん魔法を教えてね!」
後ろからクスクスと笑うミス・マリアンヌの声が響いてきて、兄弟子は少し戸惑いながらも、駆け寄ってきたフィフィに何か反応を示そうとしてくれたのだろう、その手を差し出してくれたのだ。
兄弟子の手は、きっとフィフィと同じようにまだ大人ではないはずなのに、背が高いからだろうか、どこかミス・マリアンヌよりも大きいように見えた。普段ならば、誰かと握手をするなど、フィフィには考えられないこと。けれど、兄弟子の手は迷わずに掴んでいいと本能的に思い、フィフィは笑みをもらしながら、その手を両手で握り返すと、ぶんぶんと揺すって握手をする。
「……フィフィこそ、驚かないの? 兄弟子だよ? 魔女は普通、女がなるでしょ?」
けれど、兄弟子から返ってくる反応はまたも予想外なもので、フィフィはぎゅっと握ったままの手を離し、今一度、兄弟子の顔を見つめ返す。
確かにブロンドのその髪は首元がすっきりと見えるくらいに切り揃えられたショートだけれど、村や街でみかけないだけで、女性であっても、こういう髪型を好んでする人もいるかもしれない。身に纏っているのは、背丈にあったサイズのシンプルな白いシャツに、紺色のパンツ。雰囲気や服装はさることながら、背が高いから余計に疑うことなく、男性だと思ってしまっていた。けれど、長い睫毛に穏やかな眉、目鼻立ちもくっきりとしていて、さらには海のような青いその瞳はとても澄んでいて美しく、男女を問わずに綺麗な顔立ち、と表現するのがぴったりと言えるだろう。魔女はもちろん、変装だってお手の物。もしかすると、魔女の中で、兄弟子という言葉はなにも男性だけを指すのではないのかもしれない。
考えれば考えるほど、フィフィは分からなくなっていき、まじまじとその綺麗な顔を見つめながら、それ以上の言葉がみつからず、けれども何かを答えなければと、口を開く。
「……本当は女の子なの? フィフィ間違えちゃった。ごめんなさい」
けれど、素直に謝る言葉しか、どうにも思い浮かばなかった。さらに言うと、もし間違えてしまっていたならばとても失礼なことをしたと、せめて誠意をみせるため、フィフィは勢いよく頭をさげる。長い白銀の髪が揺れ、あまりもの勢いにぶんっと気持ちの良い風を切る音が続いた。
「あは、あはははははは。あら、やだぁ。小さい頃はよくあったけど……あははは。女の子に間違えられるの、久しぶりねぇ。あはははははは」
そうして顔をあげると共に耳に入るのは久しぶりといってもいいくらいの、ミス・マリアンヌの盛大な笑い声。ミス・マリアンヌは時折、一日中続くのではないかと思われるくらいに、いつまでも、いつまでも笑う時がある。今回もきっと、ツボとやらに入ったのだろう。兄弟子も兄弟子で、ミス・マリアンヌの笑い声というよりは、どこかフィフィに、開いた口が塞がらないとでもいうような表情を向けていた。
「あは、あははははは。やだわー、もう♪ あなたたち、気が合いそうで安心したわ」
「いや、いいですから。一回、色々説明してくださいよ!」
兄弟子はじとっとミス・マリアンヌに言葉だけでなく、目でも訴えかけるかのように、強い視線を送っていた。けれど、ミス・マリアンヌはそんなことお構いなしで、笑いすぎて滲んだ涙をぬぐった後も、手でお腹を押さえ、笑い続けている。
「あー、もういいですよ。俺から説明します!」
兄弟子はどこかきつめに頭を掻きながら、目を瞑って小さく唸ると、言葉を選ぶようにして、まるで小さな子どもに話すかのような口調で、話し出すのだ。
「えっと……さっきも言ったけど、俺はエプリア。女の子じゃない、ちゃんと男だよ。それで、魔女なんだ。……だからまぁ、男の魔女。うーん、魔法使いって言葉の方がいいのかな? とりあえず、魔女は普通、女がなるから……だから俺は離れた所で生活してる。この辺りだと、ちゃんとした魔女しか魔法は使ったらダメだからさ」
きっと、とても分かりやすい説明であったと思うし、実際にそうなのだろう。けれど、フィフィの中で、男の魔女と魔女と魔女は普通は女という言葉、そして兄弟子という存在が目の前にいる事実が複雑に絡まってしまったのだ。何より、兄弟子はとても背の高く男性が好む服装や髪型をしている一方で、男女問わずに言える綺麗な顔立ちでもあることが余計にフィフィを混乱させてしまった。全てがぐるぐると回り、とうとう、答えがよく分からなくなってしまったのだ。明確に反応することができず、間抜けにも、ぽかんと口を開くことしかできないのである。
えっと……結局、兄弟子は男の子で、だけど魔女で、魔女は普通女がなるって……じゃあ、最終的に女の子になるの?
「あー……、伝わったけど、伝わってないかも。嫌な予感がするなぁ。ねぇ、フィフィ……俺、男だからね?」
「う、うん! お、男の子!」
あれ? 一周回って、やっぱり男の子に戻ったかも。
これ以上はあまり何も言わない方がいいかもしれないと、フィフィはとりあえず、兄弟子をみながら頷き、ニコリと目一杯、微笑んでみる。
けれど兄弟子は穏やかな笑みを浮かべたまま、どこか納得もしていなさそうで、じっとフィフィに視線を向けたまま、何かしらの言葉の続きを待っている。
どうにか最終的に男の子であることはその圧から理解したものの、正直なところ、どうやって男の子に戻ったのかというのが、あまり理解できていない状態のため、これ以上の言葉をフィフィは上手く見つけ出せないでいた。
すると、ようやくに笑いが収まったらしいミス・マリアンヌが、目に涙を浮かべたまま、説明を足してくれるのだ。
「フィフィ、魔女には魔女の掟や仕事があるでしょう? 実は男の子で魔女の仕事ができる子は少ないのよ。……だからね、エプリアは魔女と言えば魔女なんだけど、まあ、私の弟子で、魔女の仕事ができる男の子ってこと♪」
「……魔女の仕事ができる、男の子。……すごいな」
それを聞き、フィフィはとても遠い存在をみるかのように、改めて兄弟子の方へと視線を向ける。
今、まさにフィフィがしていることも、そうなのだ。魔女の仕事のひとつ、魔女の薬を作るための、材料集め。
そういうのが、目の前の兄弟子はできるというのだから、それも口ぶり的に、当たり前に魔法が使えるというのだから、今のフィフィには、尊敬という言葉を口にするのがもったいないくらいに、目の前の人は同じようにまだ大人ではないのに、とてもすごく思えた。
「……俺は別に、魔法が使えるだけで、魔女の薬を作ったりとかは、そこまで得意ではないけどね」
けれど、その魔法が使えるというのが、魔女になるためにはとても大切なのだ。フィフィは緩く首を振り、「……すごい」と小さく呟いた。
「……。でね、エプリア★ フィフィの髪と瞳の色は、この辺りの村ではちょっと珍しいから。……驚かれることが多くて、フィフィはあまり人間が得意ではないの」
エプリアがミス・マリアンヌの言葉に合わせて、こちらを見たのがわかった。とても視線を感じるけれど、フィフィはつい反射的に俯いてしまい、エプリアの海のような青い瞳を見つめ返すことができなかった。
「なるほど。確かに人間は変なところに拘りますからね。……まあ、魔女もだけど」
特にフィフィの反応を待たずに呟いたそのエプリアの声は、先ほどまでよりもどこか低く感じられた。それが印象的で、さらに言うと、エプリアの口調はまるでフィフィの髪と瞳の色が変わっているから驚かれるのは当たり前だというよりも、フィフィが隠れたくなるのも仕方がない、というようなもので、淡い期待をこめて、フィフィは顔をあげる。
すると、エプリアはずっと、フィフィが顔をあげるのを待ってくれていたのだろうか、フィフィの真っ赤である目を捉えると、とても優しく、微笑んだのだ。
ここに引き取られてからというもの、フィフィは人と遭遇する度に、慌ててミス・マリアンヌの背後に隠れるのが常であった。けれど、エプリアは本当に、フィフィから視線を逸らすこともなければ拒むこともなく、彼の厳しい言葉や口調は、フィフィを責めるというよりも、どこか周りに向けてのものであるように感じられたのが、フィフィの胸の奥に、そっと溶け込んだような気がした。
「フィフィ、ごめん。……今日は呼び出されたからここに来たけど、俺は別に普段魔女の仕事はしないから魔法は教えてあげられない。だけど、勉強とか、そういうのなら何でも教えてあげるよ。兄弟子だからね」
「えっ、本当!?」
兄弟子はフィフィが切実に望む魔法は教えてあげられないと確かに言ったのに、何故だかフィフィにはその言葉よりも次に続いた勉強を教えてくれるという言葉が、魔法を教えてもらうこと以上に喜ばしいことのように聞こえたのだ。
「すっごく嬉しい! あ、でも、えっと、お兄さん弟子は……あれ? お兄さんは……?」
フィフィが視線を揺らすと、兄弟子がずいっと、一歩前に出たのがわかった。
「別にエプリアって呼んでくれていいよ。フィフィ?」
「うん! エプリア! あ、そういえば、何でフィフィが名乗る前にフィフィの名前分知ってたの? 魔法で分かったの?」
エプリアと呼んでいいと言われるのが嬉しく、反射的に綻んだ表情のままに、フィフィは質問を重ねてみる。すると、返ってくるのは、笑顔は笑顔でも、どこか優しさの残る、苦笑い。
「うん、そんなことで魔法は使わないかな。魔法を使うのも体力がいるしね。というか、ずっとお師匠様と喋ってるの、後ろで聞いてたからね」
「えっ、いつの間に!」
エプリアはその笑みを引っ込めると、突然に黙り込む。そして、その整った顔の片眉をさげ、訝しげに目を細めて、ミス・マリアンヌに視線を向けるのだ。それはまるで、何かを見定めているるかのよう。
「それで……急に来いとか。何の用事ですか? フィフィの……新しい弟子の紹介ですか? 俺は……」
すると、ミス・マリアンヌが質問をしたエプリアではなく、フィフィの方を向きながら、笑顔で言うのである。
「いいえ。ちゃんと師匠から弟子たちへお仕事よ。今回はフィフィにも手伝ってほしいの」
「え、フィフィも!?」
大好きなミス・マリアンヌのお手伝いはしたいけれど、フィフィは卒業試験の準備をしなければいけない。
そう、まだまだ、課題は山積み。ついつい兄弟子が気になって話し込んでしまったけれど、夕暮れまでにヤモリのしっぽに、白蛇の抜け殻に、あの八色蜘蛛の涙まで採ってこないとダメなのだから。
「あ、でも、フィフィ……」
けれど、ミス・マリアンヌはそのまま話し続ける。
「大丈夫よ、夜の魔女見習いの卒業試験までに間に合うように終わる仕事だから」
「……あの、その……」
脅かしに行くのに最適な時間には間に合ったとしても、その準備がまだできていないことを、ミス・マリアンヌは知らない。
視線を泳がせて困っていたら、遠くの方でずっと様子を覗っていたディグダと目が合った。
「私!」
意を決し断ろうとしたその時、エプリアが頷きながら先に返事をするのだ。
「まあ、いいですよ。せっかくだから、妹弟子の実力も知りたいし。夕方までに終わらせてきます。それで、仕事って?」
フィフィは驚いて、エプリアの方を見つめる。
妹弟子の、実力?
思わず固まっていると、先ほどまでの少し張り詰めた空気が一転、ふわりと空間が動くかのように、いつもの屋敷の雰囲気に引き戻す、ミス・マリアンヌの陽気な声が、響いてくる。
「八色蜘蛛の涙をとってきて♪」
「は?」
「えっ?」
ミス・マリアンヌが突然に呼び出した兄弟子とフィフィへのお仕事。それは予想だにしない内容のものだった。