かぼちゃを動かして!㉓―フィフィの物語―
走りゆく中で、自然とフィフィの斜め前をエプリアが庇うように進んでくれる。
その手にはいつの間に出したのかランプが握られていて、ランプを持たない方の手で、はぐれないようにだろう。しっかりとフィフィの指に指を絡めて、昼間のときと同じように、手を繋いでくれていた。
「…………」
けれど、昼間のときと違うのは、なんだかその手がフィフィのよりもとても大きく感じられること。
ぎゅっとしっかりと握ってくれているのに、痛くはならない優しく包み込むような絶妙な力加減は、頼もしく、どこか安心もさせてくれた。
さらに言うと、フィフィは洞窟へと向かう前にコウベニアの実をこの手で採っている。それをエプリアは見ていたのに、ためらわずにエプリアからフィフィの手を取ってくれたことが、フィフィの胸をきゅうっとくすぐるのに、それ以上に、初めての、フィフィではまだその名を知らない優しく温かな感情が、胸に広がっていくのを感じていた。
こういうの、何て言うんだろう。
すると、振り返ったエプリアと目があって、走るペースを落とさぬまま、穏やかに微笑みながら聞いてくれる。
「嬉しい?」
「……嬉しい? ……うん、嬉しい……」
この胸に広がる優しく温かな感情は、何となく、嬉しいの一言で片づけるには足りなさすぎるけれど、エプリアがまたフィフィと手を繋いでくれたことは嬉しいのに変わりはないから、フィフィはそのまま、そう答えた。
「聞くまでもないか。無事に涙が採れてよかった、本当に頑張ったね」
「…………うん」
けれど、エプリアの次の言葉で、エプリアの問う嬉しいの矛先が八色蜘蛛の涙を採れたことであったのに気づき、フィフィはバレないように瞬きをして、そういうことにした。
いつもならばこういうのをすぐに見抜いてしまうのに、意外にもエプリアはフィフィのその返事に疑うことはなく、やっぱり心を読む魔法は使っていないのかも、と安心すると共に、バレなくてよかったはずなのに、もどかしい気持ちも混じって、フィフィの頭は混乱した。
本当は少し違う嬉しいの種類を伝えてしまいたいけれど、涙が採れたことも嬉しいから、これはこれで嘘でもないし、改めて訂正するのもまた変だと思ったのだ。
「…………」
「…………」
そして何よりも、こういうのをわざわざ伝えようとすると、言葉になるよりも前に、勝手にぎゅっと喉が閉まり、何故だか上手く話せなくなってしまうのだ。ただ走っているだけなのに、初めてあの洞窟へと入ったときのように、緊張してしまうのである。
この不思議な現象に明確な答えを得ぬまま、けれども、森の中、手を繋いだままに進める方が嬉しいから、フィフィは沈黙を貫いた。
そうしたら会話が完全に止まってしまって、夜の森の中の音がいつもよりもよく響いた。どこか遠くでフクロウが鳴いていて、どれほど進んでも秋の虫たちが足元で絶えずその羽でメロディを奏でている。そこに一定の感覚、昼間よりも早いペースで、サクっとした草を踏む静かな音が二人分続き、ランプが揺れるカチャカチャとした音と、フィフィが握る箒が時折地面に擦れて、シャリっと気持ちの良い合いの手をいれた。
ひんやりとした夜風が頬に触れ、いつの間にか、きっと洞窟から外へ出る時だろう、レースのハンカチも落としてしまっていたことに気づく。
けれどその分、呼吸はしやすくて、走るのにはちょうどよかった。
すっかりと夜だから、毒草の花粉の影響は行きよりは随分と楽になった。それでも、完全に影響がなくなったわけではない。それなのに、黒い眼鏡もレースのハンカチもしていないにも関わらず、目のかゆみや鼻のムズムズした感覚がさほど気にならないのは、繋いでいる手から広がるたくさんの感情が、全ての意識を持って行ってしまっているから。
「そ、それで……次の作戦は?」
「作戦?」
ためらいがちに沈黙を破ったのはエプリアで、昼間とは違って、嫌ではないのだけれど、今の沈黙はどこかフィフィをソワソワとした心地にさせていた。だからだろうか、頭が回らなくて、エプリアの問いかけに、フィフィはすぐに反応ができなかった。
ぽけっと間抜けにも口を開けるフィフィをみて、エプリアはゆるりとその頬をあげて、もう一度、穏やかな口調で優しく聞き直してくれる。
「これも直前まで内緒かな? ほら、もうすぐコウモリの巣がみえてくる頃だよ、魔女さん」
さ、作戦! これは大変!
フィフィは途端に緊張が吹き飛んで、大きな声で、言う。
「ない!」
「ん?」
「「え?」」
そうしたらずっとフィフィたちのすぐ後ろを黙ったままに飛んでくれていたフリーとサディの声も重なって聞こえてくる。
すると、ふよふよとご丁寧にフィフィの前にやってきたディグダが真顔で聞き直すのだ。
「おい、もう一度、聞くぞ? コウモリの巣を採る作戦は?」
徐々に走るペースが緩やかになっていたその足をフィフィはピタリと止め、森の中、立ち尽くす。それに合わせて自然とエプリアと繋いでいた手が離れていった。
顔の真ん前にディグダ、フィフィのすぐ後ろ左右にフリーとサディ、斜め前から振り返り、こちらを見ているエプリア。
みんなの視線を感じながら、フィフィは小さく深呼吸をし、一番に目が合う位置にいる植物の妖精の深い緑の瞳をじっと真剣に見つめながら、聞き取りやすいよう、ゆっくりと、口を開く。
「作戦は、ない」
「…………」
フィフィはみんなの反応を待たず、次の一歩を踏み出す。
ふわりとまた風が吹いて、長い髪が引っ張られるのを感じながら、振り返ることなく、自分の前を進んでいたエプリアを追い越していく。
「さ、作戦ないのに、どうするんだよ!?」
慌てて追いかけてくるのはディグダで、フィフィの顔の真ん前を、向き合うような体勢で、器用に後向き飛行で進んでいく。
どうしても短時間で、作戦らしい作戦は思い浮かばなかったのだ。けれども、採取方法というのはしっかりとチェックしてきたので、何故透明にならなければならないのか、という所の覚悟を持てば、何とかなるのではないかと思ったのである。
ディグダがずっと騒ぐので、フィフィは仕方がなく、コウモリの巣を視界に捉えたところでもう一度立ち止まって、言う。
「……作戦、完全にないわけでは、ない……」
ホッとしたような息をつくディグダを横目に、フィフィは黙ったまま、自慢の箒を地面へと横たわらせ、ポシェットを外し、エプリアから物々交換をしてもらったマントを脱ぎ始める。
「……フィフィ?」
何も言わずに、それでも後ろから静かについてきてくれていたエプリアが地面に置かれたポシェットとマント、それからフィフィの顔を交互に見ている。
視線を感じながらも、フィフィはぎゅっと魔女帽子のつばを力強く引っ張って、何があってもズレおちないように、と祈りながら念入りにかぶり直した。最後にごそごそとポシェットから空の小瓶をひとつほど取り、ハサミを握りしめ、立ちあがる。
「行ってくる」
「え?」
フィフィはおずおずとエプリアの方を見て、小さく唸り、やっぱりと思い、再びしゃがんでポシェットにマント、箒を拾うと、呆然とするエプリアの腕にそれらを渡していく。
「……やっぱり、持っててもらっていい?」
「あ、うん。それはいいんだけど……作戦は?」
再びフィフィに視線が集まり、冷や汗が噴き出るのを感じながら、気まずげに、観念したようにあえて空を見上げながら、フィフィは答える。
「ほら……魔女の服の方が……色が、コウモリに近いでしょ?」
「ん?」
無理やりにニコリと笑い、フィフィはもう一度、言う。
「魔女の服の方が……色が、コウモリに近いでしょ?」
「は?」
行ってきます、とだけ小さく呟き、フィフィはしゃがみ込んで、そのままそっと、コウモリの巣へとなるべく音を立てずに、進んでいく。
要は、コウモリにバレないことが大事なのだ。透明マントってきっと、そういうこと。
半ば無理があるかもしれないけれど、みつかって少々傷を作るくらいの覚悟を持てば、挑戦の価値はあるはず。フィフィは内心震える心を、そう言い聞かすことで沈めていた。
けれどもフィフィがしゃがみながら進み始めてすぐ。わずか数歩程度であっただろう。途端にバサッと大きな翼が何度も動かされる音が響き、後ろの方でランプが灯されているエプリアたちがいるであろう場所に、不気味な影がフィフィの縮こまった身体の影の真上に出来上がる。
「…………」
翼のバタつく音にかき消されながらも、「本当に賢くない」「嘘だろ」と、ほぼ同時に、けれども全く違う言葉が重なって聞こえてきた。
ああ、もう走るの嫌だ。
フィフィがぎゅっと目を瞑ったその時、グルルルと小さく唸る声と共に、思いがけない言葉が続く。
「なんだ、昼間のじゃ足りなかったのか? 坊主も追加で採りに来たっていうのに。今回はえらくたくさん薬を作るんだな」
「え?」
しゃがみ込んだままに見上げると、右目から頬にかけて大きな傷跡のある、フィフィの顔よりも遥かに大きな身体が、不気味な影の要因たる翼をバタつかせ、こちらをみていた。
この貫禄は疑うことなき、ここを縄張りとするコウモリの中のコウモリ、通称、ボス・コウモリ!
「こ、言葉……」
「ああ、俺らは別にあえて喋らないだけで、古の言語から人間の言葉まで全部わかるぞ」
フィフィがいることがバレているにも関わらず、ボス・コウモリは攻撃してきたりなどしなかった。
不気味な翼がバタつく音に合わせて、フィフィの顔に生暖かい風があたる。
「な、なんで?」
お、怒ってたんじゃないの? お、襲ってこない?
たった一言。フィフィはなんで、としか言っていないのに、ボス・コウモリはすらすらと話し出す。
「ああ、別にここを荒らされることがあれば俺らは攻撃するけどよ、嬢ちゃんはそんなんじゃないだろう? いつもなるべく静かにこの辺りを移動して、薬草も採り過ぎることなく、採っていく」
「でも……フィフィ、お昼に藁もらったし……だってあのとき……」
恐怖心は未だあるものの、フィフィはボス・コウモリがあまりにも普通に話しかけてくるものだから、つい、尋ねてしまう。
「ああ、空気に触れたらダメだから、すぐに瓶に入れろよって教えてやろうとしたんだけどよ、すごい勢いで走ってくし、そこの坊主が嬢ちゃんの後を追いかけてったからよ、別に大丈夫かと思ってな」
「へ?」
フィフィは思わずエプリアの方を向くも、エプリアもフィフィと同じように、驚いた顔をして固まっていた。
それを察してか、またボス・コウモリはすらすらと話し出す。
「久しぶりだな。ああいう完璧な採り方するのは坊主だけだからすぐにわかった。マリアンヌの一番弟子だろ? まあ、坊主とも喋ったことなかったもんなぁ。お前さん絶対に透明マントを使うし、魔女の服一度も着たことないだろう? で、こっちの嬢ちゃんもなかなか魔女の服を着ねぇもんだからよ、話しかけていいのか分からんかったんだよ。一緒に屋敷に住んでるだけなのか、魔女の弟子なのかは流石に森からみてるだけじゃあ判断がつかねぇからな」
ポカンと口を開けていると、ボス・コウモリはフィフィに視線をやり、やっぱりすらすらと続けるのだ。
「まあ、ここまで来たら数分話し込むくらいで結果には影響ないだろう。俺らの巣がいる薬ってのは、だいたいひとつか、ふたつだ。来た方向からして、涙は無事に採れたんだろう? で、嬢ちゃんのことだから、もう白蛇とヤモリの罠はしかけてる。まあ、日頃の様子からして、恐らく確率的に、日付が変わるか変わらないかくらいに、罠にはちゃんとかかってるだろうよ。……まあ、その体勢じゃ辛いだろ? 立つか座るか、しな」
フィフィはどうしたらいいのか分からず、チラリとしゃがんだまま、エプリアの方を見る。そうしたら真剣な表情のまま、ボス・コウモリの方をみていて、ほんの一瞬フィフィに視線を向け、頷いてくれた。
フィフィは脚の力を抜き、ストンと地面にお尻を着地させて、そのまま正座をするような形で座り直す。
それをまじまじと頷くように見守っていたのはボス・コウモリで、誰もまだ何も言ってなどいないのに、彼は再び、すらすらと話し出す。
「なんで俺がお前さんたちに話しかけ、攻撃しないのかが分かるか? ……魔女の弟子だからだよ、この森を守る魔女のな。だからな、魔女の服っていうのは、大事なんだ」
フィフィは反射的に帽子のつばをぎゅっと握り、まじまじと自分のひざ元をみつめる。ずっとずっと憧れていた魔女の服は、今日一日ですっかりと汚してしまったと思っていたけれど、思いのほか、よれてもなければ大して汚れてもいなかった。
ボス・コウモリはそんなフィフィの様子をみてか、グルルルルと奇妙で豪快な笑い声を響かせながら、またもすらすらと話し出す。
「そうさ、魔女の服は丈夫で汚れにくい。そして誰の弟子か一発で分かるようにその魔女の加護ってのが、ちゃんとついてるんだ。だからポケットの中なんてとっても優秀だ。小瓶に入れる方がよりいいが、嬢ちゃんが持ってった藁だって、わりとすぐにポケットに入れたから、さほど空気に触れてないし、十分に使えただろう?」
「え?」
驚いて声をあげると、エプリアがようやくに口を開く。
「でも……落ちたのを拾ってるから……」
エプリアはとても気まずそうに、視線を地面へと向けた。それを見たボス・コウモリはグルルルルと笑うように鳴いた。
「ははん、なるほどな。薬がたくさんいるんじゃなくて、そういうことか。お前さんたちはやっぱり、マリアンヌが見込んだだけあるな」
お前さんたち? ミス・マリアンヌが見込んだ? 聞き間違いかな。
「グルルルル。嬢ちゃん、間違いないさ。お前さんたち二人とも、マリアンヌが見込んだあいつの愛弟子だよ。なにせ、二人ともたやすく八色蜘蛛の洞窟へと入ることができる」
「それは八色蜘蛛が人間を食べないからでしょう? それを知っていればみんな入れるんじゃないの?」
ボス・コウモリはチラリと視線をエプリアの方へと向け、何度か頷くような動きをみせた。
「グルルルルオオオン。確かにな、マリアンヌは何も教えないタイプだからな。いいか、八色蜘蛛はな、本来誰も近寄らせないんだ」
ええっ、あんなに自分から近づいてきてたのにっ! 絶対に嘘だ。
「今、嘘だって顔をしただろう? それが洞窟に入れる証拠だ。八色蜘蛛が透明なのは、不要な争いを嫌うからだ。透明になって、姿を隠すんだよ。あの洞窟にいる八色蜘蛛のように姿が見える時に近寄れば、本来大暴れするってもんだ。嫌がるんだ、他の生き物が自分に近寄るのをな」
きょとんと首をかしげると、しっかりと被り直したというのに、やっぱりフィフィの魔女帽子はコトンと揺れ動いた。
だんだんと見慣れてきたボス・コウモリの顔には確かに消えることなく大きな傷があるけれど、眼光もとっても鋭いけれど、表情はとても温かであることに気づく。
「八色蜘蛛が唯一近寄らせるのはその森を縄張りとしている魔女くらいだな。逆に言うと、全ての生き物に認められない限り、縄張りとする森を持つ魔女なんて生まれやしないんだ。……魔女はな、食物連鎖の中心にいる存在なんだ。全ての生き物を助け、助け過ぎないんだ。食物連鎖を保つためにな。それで、これはまあ、魔女の間でも知られてないことだが、お前さんたちは近づける者だから、言っても構わないだろう。八色蜘蛛が近づくことを許す魔女ってのの条件が、優しいことだ」
「え、優しい!? それが条件なの?」
フィフィの騒がしい声の後、エプリアのぼそりとした呟きが続く。
「ありえない。あのお師匠様が……優しい? ん? 待て……。俺も何で近づけてたんだ?」
フィフィが驚いて振り向くと、エプリアは腕を組み真剣に考え込んでいた。
え、そこは絶対に迷わないとこっ。二人ともすごく優しいのに!
「まあ、誰からみてもこの嬢ちゃんは優しいだろうよ。難しいかもしれんがな、利口さや厳しさも、時に優しいってことだ。マリアンヌアは自分の利益を問わず、手を出し過ぎない。坊主は争いや傷つけることを避けるため、闇雲に動く前に知識を身に着ける。三人ともタイプは違うが、昨今の魔女の中では珍しい、優しい魔女だろうよ」
フィフィはエプリアとミス・マリアンヌと同じように、三人共、と褒められたのが嬉しくて、もじもじとしてしまう。どこか照れてしまって、視線を地面へと向け、またチラリとボス・コウモリの方に向けると、その鋭い眼光の瞳と目があった。
するとどうだろう、強面なことには変わりないけど、優しく笑ってくれている気がしてくるのだ!
「グルルルル。素直な子だな。まあ、そんな嬢ちゃんのために、ひと肌脱いでやろう。いいか、優秀な坊主にそこの気高き妖精の子らよ。嬢ちゃんの実力を見誤っちゃあいけない。なあ、嬢ちゃん、なんで昼間、藁を巣から直接引っこ抜かなかったんだ? あの位置からだと、巣から直接引っ張れそうな藁の個所もあっただろうに」
フィフィはもう真っ暗の夜空を見上げながら、昼間のことを思い返す。今はマントを着ていないから、夜風がひんやりと冷たくて、気を抜いたら震えてしまいそう。
「うーん、だって、あの感じは……今みたいにハサミを持ってたらいいけど、無理矢理引っ張ったら巣自体が壊れちゃうわ。あっ、でも、ハサミを持ってたとしても、慎重に切らないとダメだろうから、フィフィは怖くて急いじゃって、綺麗には切れないかも。だから透明マントがいるのよね、きっと。……結局、昼間だったら全部がダメだわ」
「……そうだな、お前はそういう奴だよな」
「……そっか、知識よりも前に、フィフィはそういう判断をするんだ」
みんなが何を言っているのかが分からなくて、けれども要は採り方を知らないから採れなかったのだろうし、やっぱり、必要な道具というのは冷静に考えて、必要なのだろう。
改めて自分はダメな奴だな、そう思ってがっくりと肩を落とすと、ボス・コウモリがフィフィに再び問う。
「嬢ちゃんよ、あのとき、地面に落ちたのを拾ってっただろう? いくつか地面に落ちてたよな? なんであれを拾っていったんだ?」
どうしてそんな分かりきったことを聞くのだろう?
質問の意味が分からなくて首を傾げていると、ボス・コウモリがグルルルルと愉快そうに鳴いた。
「当たり前にできると分からないもんさ。いつも通り選んだんだろう? そのいつも通りに、どういう基準であの藁を拾ったのか言うだけでいい」
「え? う、うーん。だって、あの束くらいだったんだもの。綺麗に使えそうなのが。他は完全に地面に触れてしまってたから。ああいう落ちてるタイプのを拾うときは、あれくらいの束じゃないと、中から綺麗なのを選別できないのよ。普段、薬草を集めるときはね」
「……なるほど」
「だぁあああ、何で気づかなかったんだ。毎日一緒に薬草採りに行ってるのに!!」
「完全に俺たちのせいだ」
「だな。だぁああああ」
二人が何を言っているのかが分からなくて困っていると、ボス・コウモリが言ってくれる。
「伝わったならいい。要はな、全てを一般的なやり方でしなくてもいいってことだな。嬢ちゃんよ、本には空気に触れないよう透明マントで隠れて藁を瓶に直接差し込んで根元から切るような類のことが書かれてるんだろう? いつもこの坊主がするやり方だ。でもな、嬢ちゃんの言うように、ああいう束になってるやつは、意外に中心部には空気……っちゅうか、厳密に言うと魔力が逃げずに十分に使える状態のが残ってるってもんだ。あのな……これは何で俺らが藁の巣を作るかに由来するんだ。いいか、俺らはな、藁に住みたいんじゃねぇ、藁に住まざるをえなくなったんだ。八色蜘蛛が洞窟をとっちまったからな」
「……そうなの? 藁がとっても好きなのかと思っちゃってた」
続くのはエプリアの声。
「あー、本当に俺たちのせいだ。藁はあのままで大丈夫だったんだ。……フィフィ、ボス・コウモリの言う通り、コウモリの巣が薬に必要とされるのは、ここのコウモリ特有の知能の高い魔力、『知恵の魔力』が強く藁に付着するからなんだ。八色蜘蛛に洞窟を追い出されたコウモリたちが、生き残るために通常の何百倍もの知恵を使って巣を作るからね。藁に住むコウモリは何百手も先を読むことができるって言われてるんだ。だから、空気に触れたら即アウトというのは例えで、地面に落ちてしまうと、魔力が地面に吸収されたり風に流される場合が多いから、ああいう採り方が推奨されてるんだ」
「え、じゃ、じゃあ……」
「本当にごめん。フィフィは日頃から薬草集めをしているから、落ちているものの中でも薬に使えるような状態のものを見抜くことが当たり前にできるんだ。人間の薬だろうが、魔女の薬だろうが、薬は薬だからね。きっと基礎は一緒なんだ。だからあの時、あのままでも十分にあの藁は使えたんだと思う。でも俺たちと揉めたせいで風に飛ばされて……」
フィフィは視線を落とし、ボス・コウモリの向こうに連なる藁の巣をみつめる。
例えば、透明マントはないけれど、巣を崩さない範囲で、少しはみ出ている藁を今から新たに分けてもらうことはできないだろうか。
すると、ディグダがまたふよふよとフィフィの顔の横くらいに飛んできて、言う。
「もう時間もない。俺らのせいだし、今回はエプリアが採ってきた、あっちの藁でいいことにする。……ごめん」
やったっ!といつもなら叫んでしまいそうなのに、その方が早く進めていいはずなのに、ぎゅっと喉が閉まって、眉が勝手に寄せられていく。何故だかフィフィはすごくすごく、うん、とは言いたくなくなってしまったのだ。
それはエプリアにもディグダにも怒っているとかではなくて、心の中の何かが、すごく引っかかるから。
「グルルルオオン。本当にマリアンヌが弟子にする子はいい瞳と心を持っている。そうだよな、八色蜘蛛の涙を採ったんだ。藁だって自分で採ったのを使いたいに決まってる。大事な大事な試験に挑むんだろう? ルールじゃなく、気持ちも重要だろうよ」
「…………!」
自分でさえ上手く言葉にできないこの複雑な気持ちを見事に言い当ててしまうボス・コウモリを、フィフィは目を丸くして見つめる。
「けどよ、安心しな。嬢ちゃん、採ってきた八色蜘蛛の涙、ポケットにしまってるんだろう? 昼間の藁も一緒にいれてるんじゃないのか? ほら、両方のポケットのところが少し、透明になってるぜ。まだ昼間の藁も使えそうだぞ」
え? ポケットが透明!? それにフィフィ、八色蜘蛛の涙を入れた瓶は鞄にしまってたはず!