かぼちゃを動かして!⑧
バクバクと速くなる心臓に反し、意識的に呼吸をゆっくりとすることで冷静さを保つ。
フィフィが何度瞬きをしても、その黒い物体は見間違いなんかではなく、確かに生き物であった。
数えきれないくらいの高速の瞬きの後、フィフィの背丈とあまり変わらないのではないかというくらいに大きなその黄金色の瞳と目が合う。
一瞬で鳥肌が立ち、思わずビクリと肩が跳ねる。驚きと緊張で、フィフィのその真っ赤な瞳もまた大きくギョロリと動いた。
「……っ」
何とか唾を飲みこんで声を抑えた所で、エプリアが一度ほど優しく肩を叩いてくれる。ゆっくりとエプリアの方に視線を戻すと、叫ばなかったことを褒めるかのように、にこりと微笑んでくれていた。
顔の造りこそ全く違うものの、その笑い方は大好きなミス・マリアンヌにとても似ていて、フィフィを見守ってくれるかのようにとても優しいものであった。
「大丈夫。目が合ったって……攻撃してこないでしょ?」
改めてそう言われ、フィフィは再び、違う意味で目を見開く。
もう一度八色蜘蛛の方をみると、まだ大きな黄金色の瞳はフィフィの姿をしっかりと捉えたままで、けれども攻撃どころか、一歩も動いた気配さえなかった。
「うん。本当だ……」
フィフィの横でエプリアがははっと小さく笑うような声を漏らしたのが分かった。
「八色蜘蛛はね、食べるのに人間は好まないんだ」
けれども、聞こえてきた言葉はその優しい笑い方には似つかわない物騒なもの。
「え?」
フィフィが振り返ってエプリアの方を向くと、エプリアは既にフィフィの方を向いていて、しっかりと二人の視線が合わさる。
「……うん。八色蜘蛛はね、偶然、人間は食べない。……だけど身体は大きいから、大きな生き物はもちろん、食べるよ」
「おおきな……生き物……」
「そう。一般に、蜘蛛はハエとか、蜘蛛の巣に引っ掛かった蝶とかを食べる。だけど、八色蜘蛛は大きい。普通に鳥とか、うさぎとか……動物たちを食べるよ」
「ひえっ」
やっぱり怖いかも、そう思い、再び八色蜘蛛の方をみるけれど、その黄金色の瞳は確かにそこにあるものの、もうフィフィの方をみたりはしていなかった。
けれど、肩に添えられていた手に力が籠るのが感じられると共に、エプリアの声が続く。
「そう聞くと、怖い?」
「う、うん……」
肩に添えられた手に沿うように視線をあげていくと、今度は青い海のような瞳が八色蜘蛛の方を見つめていた。
エプリアが真剣な眼差しで八色蜘蛛を見ながら、フィフィに言う。
「でも、八色蜘蛛は俺たち人間は食べないんだ。だから、俺たちにとって、八色蜘蛛は本当は怖くないんだ」
「あ……」
フィフィが声を漏らすと、振り返ったエプリアがフィフィに優しく微笑みかけてくれる。
「俺たちだって、肉を食べる。動物の肉だけに限らず、果物や野菜。フィフィたちが作る薬も植物からできている。全部が生き物なんだ」
どうして今まで気が付かなかったのだろう。
分かっているのに、分かっていなかった事実に改めて気づいたその時にフィフィの中で何とも言えない感情が広がっていく。
自分は何て愚かで、弱虫で、傲慢なのだろうと。
「フィフィも一緒だね。フィフィは悪い奴じゃないって思ってたのに、フィフィも悪い奴」
そうしたら、肩に添えられていた手が離れたかと思うと、フィフィの右手を握り、今度はしっかりと手を繋いでくれる。
「うん。みんな悪い奴。だけど、悪い奴じゃないんだ」
「……うん」
けれども、何かモヤモヤとするような感情を払拭できなくて、目の前の八色蜘蛛を今は怖いと思わないのに、みんな一緒だと言ってくれているのに、何故か泣きそうになってしまう。
「食べないとどの生き物だって、生きていけない」
「うん」
優しい声が、答えが分からないままの感情を落ち着かせるように響く。
「いつだって、誰かにとって誰かは怖い存在なんだ」
「……うん」
繋がれた手を握り返すと、ぎゅっとさらに握り返してくれて、その温もりがフィフィをフィフィでいさせてくれた。
「それでね、八色蜘蛛にとって俺たち人間も、本当は怖くないはずだったんだ。……俺たち人間は、本来蜘蛛は食べないから」
「あ……」
洞窟の向こう側なんて見ても、微かな日の光しかみえないのに、思わずそちらの方を振り返り、確認してしまう。
ずっとずっと、フィフィは八色蜘蛛が怖かった。話に聞いただけだというのに。本で絵をみたことがあるだけだというのに。
それで、エプリアは何て言ってたかな。洞窟の近くには、何の毒草がたくさん植えられている?
「そう。だから、ミス・マリアンヌはあの毒草をたくさんこの辺りに植えているんだ。人間から八色蜘蛛を守るために」
「……フィフィ、逆だと思ってた」
「そうだね。俺もこの意味が分かったのは本当につい最近だよ」
「みんな悪い奴。だけど、悪い奴じゃない……でも……」
「うん。でも、攻撃する必要がないのに攻撃したら、また悪い奴に戻るんだ」
「……うん」
俯きそうになるフィフィを、繋いだ手をひっぱる形でエプリアが前を向かせる。
「……でもね、フィフィ。何で攻撃したくなるのかを忘れたらいけない」
「え?」
「攻撃にも色んな種類がある。この場合は、怖さから自分たちを守ろうとして生じる攻撃なんだ」
「自分たちを、守る?」
「そう。誰だって、自分が食べられる運命だからって、大人しくは食べられようなんて思わないし、思えるものじゃないんだ」
「……うん」
「人間はみんな、八色蜘蛛が人間を食べないということを、知らない」
思わずポカンと口を開けて、エプリアを見つめ返す。
すると、クスクスとエプリアが声を漏らしながら笑う。
「だからね、知識と思いやりが大事なんだ。自分を守るため。それから、不必要に誰かを傷つけないために」
「……うん!」
けれど、初めてみる少し意地悪げな笑みを浮かべながら、エプリアが言う。
「でも、攻撃せずに怖くて逃げるっていうのも、俺はいいと思うよ。自分を守るためにも、相手を守るためにも。ね、フィフィ?」
「……う、うううん? うん」
あれ? 褒められたのかな? 笑われたのかな?
あれ? フィフィがいつも怖くて逃げてるの、知ってる?
だけど、エプリアからそう言われたら、何故かモヤモヤしていた心が少しばかり楽になった気がした。
そんな中、またカシャリと金属が合わさる音が響き、気が付けばエプリアがシャツから再びあの綺麗なペンダントを取り出していた。
エプリアはペンダントの方を見ながら、どこか怒りをもはらんだような真剣な眼差しで言う。
「思いやりはすごく大事なんだ。だけど、やっぱり、攻撃にはいろんな種類がある。……人間や魔女は、特にね」
「え?」
こんなこと本当は分からなくてもいいんだ、そう言うように少し寂し気にエプリアが微笑んで、続けていく。
「残念だけど、人間には何もしてないのに酷いことを言ったりしてくる奴もいるだろ?」
「…………うん」
それは、フィフィも村にいる時に十分すぎるくらいに知って、今でも感じる時が、ある。
「……人間だけじゃなくて、魔女もなんだけどね。そういう攻撃からは知識だけでは自分も相手も守れないんだ」
じゃあ、どうやって守ったらいいんだろう。
ずっとずっと、逃げてばかりだったフィフィには、逃げる以外の守り方がさっぱり分からなくて、思わず首を傾げる。けれど、心を読まれたかのように、エプリアがまたクスクスと笑いながら言う。
「もちろん、逃げるのも大正解なんだけど」
「う、うううん」
「あはは、大丈夫だから。そういう意味じゃなくて本当にこれも大正解」
「え?」
思わず見上げると、エプリアと目が合い、青い瞳が優しく揺れ動いた。
「俺も逃げるよ。ここは危険だな、この人は嫌だなって思ったら」
「エプリアも?」
フィフィと違ってたくさん魔法も使えて、容姿もちゃんとしていて、そしてこんなに賢いのに、エプリアでも逃げたいものがあるなんて。
今度は違う意味で驚いて何度も瞬きしていると、エプリアがさらに優しく微笑みながら言ってくれる。
「もう一度言うよ。フィフィ、俺は君を信頼してる。逃げるか、信頼関係を築くか。信頼も知識以上に、守ることに繋がると思うんだ」
その言葉がグッとフィフィの胸に入り込んで、真っ赤な瞳を揺れ動かす。兄弟子だからではなくて、魔法が使えるからではなくて、エプリアだからフィフィも信頼したいし、信頼されたいと、衝動的に思った。
「うん」
けれど、その想いをすぐには言葉にできなくて、ただただ頷くことしかできなかった。それでも何となく、エプリアにはこの想いが伝わっているような気がして、繋いでいる手を今度はフィフィからぎゅっと力を入れて握り返してみる。
そしたら、エプリアがフィフィの視界にしっかりと入りこむようにペンダントを見せながら、言う。
「だから、フィフィには俺の秘密を明かすよ。八色蜘蛛とはお互いに攻撃する必要がないから、利害関係が一致している。だから本当はミス・マリアンヌと八色蜘蛛との間で人間から守る代わりに涙をいつでもとってもいいっていう約束があるんだ」
「そうなの?」
「うん。だけどね、八色蜘蛛が言うんだ。悲しくもないのに泣けないってね。だからいつでもとってもいいけど、涙はそっちが泣けるようにして、勝手に採取しろってさ」
それを聞いて、ばっと八色蜘蛛の方をみると、また黄金色の瞳孔が左右に動いていて、でもなぜか、表情なんて見えないのに、笑っているように感じられた。
カチャリとまた金属が合わさる音がして、その音に合わせて視線をペンダントの方へと戻す。不思議な色をした紫のペンダントは、やはり時折、青や金色、赤を交えながらまるで動いているかのように、角度によって色が変わって見える。そしてよく見ると、その中央部分には砂時計のようなマークがあった。
「……この涙の採り方、絶対にミス・マリアンヌには言わないでほしい」
「え?」
「俺の秘密。フィフィには教えるから助手を頼むよ」
「う、うん」
フィフィで本当に役に立つのだろうか。
そう思ったその瞬間に、思いがけない言葉と、またも初めてみる、少し恥ずかしそうに視線を泳がすエプリアの表情がフィフィに飛び込んでくる。
「涙を採るまでには少し魔法は使うけど……涙を採るのに魔法は実は使わないんだ」
「え?」
「……まあ、後で詳しく説明するから、ちょっとみてて。今からこのペンダントでこの洞窟の空間を動かすから」
たくさんのことが頭に入ってきて、追いつかないフィフィに気づいているのか気づいていないのか。エプリアは尚も恥ずかしげに視線を逸らしながら、小さな声でフィフィでは分からない詠唱をすると、ペンダントを光らせ始めた。
チクタクと時計のような音が響き渡り、ペンダントが高速で紫や青、赤や金へと次々に色を変えていく。
「この洞窟の空間だけ、夜に動かす」
つづく
かぼちゃを動かして!は完結済みの作品のため、⑨以降のこちらでの掲載は閉じさせて頂いております。
連載をお読み頂いていた方々、ありがとうございました!
⑨以降は、本よりお楽しみいただけましたら幸いです🧹🎃♡
※現在SHOP調整中。しばらくおまちください。