世界の子どもシリーズNo.12_過去編~その手に触れられなくてもepisode5~
―サンムーン開放式典当日―
鏡に映り込む自分の顔をみつめながら、カイネはいつもよりも濃いメイクを自身に施していた。きつめに引いた黒いライナーと、瞼に重ねる紺色のシャドウ。紺に溶け込むようにダイヤの粉が散りばめられているから、どの角度から見ても輝いてみえるだろう。目尻には金箔の効いた黄金色のシャドウをさらに重ね、その金と合うようにルージュもまた、金粉の混じったオレンジ寄りの赤を使う。少女としては、チークはしっかりと入れたいところだけれど、王の代理で出席する式典である。緊張しているように見えても、幼く見えてもいけない。けれど、血色が悪く清潔感を損なうような印象を与えるのはもっとよくない。ルージュよりはしっかりと赤みがかったチークをふんわりとではなく、すっと、頬骨からこめかみに向けて軽く、鋭く、通す程度に入れていく。
「…………」
仕上がりは悪くはない。どこまでが社交辞令かは分からないが、この正装に合わせた正式なメイクというので外に出ると、きまって周囲はとても綺麗だとカイネのことを褒めてくれる。
「私だって嫌いじゃないのよ? ……嫌いじゃないんだけど……アヴァロンでも精霊郷でもこういうメイクはみんなしないのよね。そう、みんな、しないのよ……」
今日のカイネの姿は黒髪の方で、ドレスは昨日と全く同じ真っ白のもの。けれど、やはり似て非なるもので、同じ白ではあるものの、今日のドレスは光沢感のあるシルク素材の、ムーの正装とされている舞踏用だ。儀式があるわけではなく、舞う予定もないのだが、これがムーの正装であり、カイネは必ず正式な場に赴く際、このドレスを選ぶ。
ドレスに合わせてつけるのは、金の長方形を重ねて作られたネックレスに、イヤリング。そのどちらにも、髪色に合わせたブラックスピネルが取り付けられている。
カイネはメイクを終えた自身の姿をじっと見つめなおし、やはり、小さく息を吐くのだ。
「……スピネルも嫌いじゃないの。……むしろ、赤とかピンクのスピネルは大好き。……でも、違うの……。これはムーの国石。だから私だけ……みんなと、違うのよ」
魔法を使うどこの星の国でも、力を最大限に引き出すために、相性の良い宝石や石というのは好んで身に着けられている。中でもアヴァロンは魔法が盛んな国だ。そういった魔法具が多ければ、彼らは生まれると同時に、親から星が選んだぴったりの相性の石が使われたイヤリングが贈られ、それをずっと身に着ける習慣がある。
どの魔法使いもイヤリングをしているし、イヤリングに合わせた宝石や石の嵌め込まれた指輪やブレスレットを合わせて着用することもしばしばある。その中でも王族は、ピアスをすることが許されている。ピアスは直接身体に魔法具を通すも同然なので、魔力の伝達力が大きく、力を最大限に引き出せる代わりに、とてもコントロールが難しいと言われている。危険が伴うために、アヴァロンではピアスの着用を王族以外では禁じており、他の魔法を使う国々に至っては、王族であってもピアスは使わない。
ただ、その宇宙での一般的なルールというのが、ムーでは通用しない。ムーではピアスを禁じられていなければ、王族に至ってはカイネ以外の全員がピアスを着用している。カイネは痛いのが嫌いで怖がりであるがため、頑なにひとりピアスを拒み、正式な場に赴く今日のような場合でない限り、イヤリングも着用しない。
「イヤリングをしたって、私は魔法族になれない……。精霊郷でもみんな、こういうネックレスはしない。特別なペンダントしか身に着けない……。アヴァロンではみんな金じゃなくて真鍮のアクセサリーを使う。……金は嫌がられる……」
ムーが他の星々の一般的なルールに当てはまらないのは、そもそもの魔法の使い方が違うからだ。何が違うのかと問われれば、誰だって明確には答えられない。ただ、体質的な問題があるのだろう。
カイネはアヴァロンの方式でも、精霊郷の方式でも、ムーの方式でも魔法が使える。だからこそ、感覚的に何が違うのかは分かるが、宇宙中のどこへ行っても、そもそも、自分にあう魔法が使えればそれでよいのである。これらの違いを明確に説明する必要に迫られることがなければ、誰かと分かち合うような状況になることも決してなく、ただただカイネは魔法を使う度に自分はみんなと違う、と人知れず疎外感を覚えるだけなのである。そして、これこそ誰にも言ったことがなければ、言いたくないことなのだが、カイネはこの三つの方式の中で、やはり最大限に魔法を使おうと思うと、ムーの方式が一番に合うのだ。
「時計盤がなぁ……やっぱり影響するのかなぁ……。でもなぁ……みんな金は嫌っていうし……嫌われるの嫌なんだもん」
精霊郷では魔法は星々というよりも、自然との結びつきが強い。故にあまり、アクセサリーを力と合わせて使いはしない。特別なペンダント以外、アクセサリーは本当に装飾として使うのだ。
ただアヴァロンではやはり、アクセサリーというのは魔法具や魔法を使う際に欠かせない自身の一部ともなるような使い方をする。そして、そんな重要な役割を果たすアクセサリーというのは、石や宝石に限らず、繋ぎとなる金属部分にも重要な意味がある。それぞれの体質にあった魔力が伝達しやすい金属というのがあり、アヴァロンの者は個人に合わせた特別な合金比率の真鍮で作られたアクセサリーを好む。なんでも彼らの魔法の性質上、それ以外の金属は魔力が伝達しすぎてしまうらしいのだ。特に金は相性が悪いらしく、ひとたび彼らが力を使えば、すぐに溶けてしまうのだとか。
けれど、ムーの者は金が最も相性がよく、力を最大限に引き出せる。真鍮も使えなくはないが、そういう運命なのだろう。ムーでは金が一番に獲れる金属であり、さらにいうと、他の国が真鍮のアクセサリーを好むので、わざわざ真鍮のものを使うよりも、銅や亜鉛を外に出し、金やそれ以外の物を取り入れる交易をした方が互いにメリットがあるのである。よって、金以外は使う習慣がないのだ。
これらの些細な事情は、カイネにとってはとても大きな悩みの種となった。ムーの装飾でアヴァロンを訪れると、居心地が悪いどころではすまないのである。例えば、アヴァロンの者は当たり前に魔法を使う。けれどもその魔法でうっかりと客人の姫の金を溶かしでもしたら大問題となるのだ。カイネがこの姿で外にでる時、アヴァロンの者は決まって、カイネと距離をとりたがった。それはネロも例外ではなく、この装い自体が嫌いな訳ではないのだが、みんなに、特にネロに距離をとられるのがどうにも嫌で、カイネは服装やアクセサリーをはじめ、周りと違うメイクというのもまた、嫌いではないのだが素直に受け入れられないでいた。
今日の式典はアヴァロンで行われる訳で、きっといつも通り、カイネは他のどの国の者よりもアヴァロンやアヴァロンの民のことを知っている自信も好きである自信もあるのに、その彼らから遠ざけられることが容易に予想できた。
「……せめて精霊郷の装いができたらな……」
そんな呟きを漏らす頃に、付き人のひとりが化粧台のパーテーションをわざとらしくノックする音が響くのである。
「はーい、大丈夫よ」
「カイネ様、失礼致します。いつもの長い独り言はそろそろ終わる頃合いですかね、って……まあ! 今日もご自身でメイクをなさったのですね? ……ドレスも、アクセサリーも……。全く、私たちの仕事を奪わないでくださいましっ」
そうは言うものの、予想の範疇だったのだろう。手に持っていた紺のダイヤの散りばめられたドレスを手早く壁にかけると、それに合わせて用意された装飾品を置くと同時に、奥に控えたいたもう一人が当たり前のように、カイネが身に着けているアクセサリーに合わせた髪飾りを運んでくるのである。
「……だって、アイオライトが自分の石って、バレたら嫌だもん。それに……」
お決まりの続きをよく分かっている付き人が慣れた手つきでカイネの髪に触れながら、呆れたように、けれどもどこか優しさを含んだ溜息を漏らし、言うのだ。
「黒髪に紺色は合わないんですっけ? ……はぁ。もう、どれを着たってお綺麗ですのに。せっかく王が成人に合わせて特注なさったのに」
「うん。着るわ……成人したらね。そのときは星が選んだ石、アイオライトだって、着けるわ。うーん、でも……せめて、イヤリングに加工してくれないかしら?」
「王はピアスにしろとおっしゃられると思いますよ? それにアイオライトが星の選んだ石であることを、そんな頑なに隠さなくてもよろしいのでは? 星がどの石をカイネ様に選ぼうが、アヴァロンの方たちはすんなりと受け入れてくださると思いますがねぇ」
話しながらも手を休めないカイネの付き人たちは本当に優秀だ。あっという間に、腰元あたりまであった髪は内側で結い上げられ、金にブラックスピネルの嵌め込まれた髪飾りでかっちりとまとめ上げられる。付き人が手を離すと、外側の髪がフワリと流れ落ち、腰元まであった髪は胸元あたり。重めのボブへと変身していた。
カイネは黒髪の姿の時も、顔そのものを変えたりはしない。けれど、印象は変える必要があった。例えばこの格好をするときは、正装である場合が多い。自然とメイクは濃くなるので、顔の特徴という点では問題はない。けれど服装は正装の中でもカイネは舞踏用の白いシルクのドレスしか着ないので、それでは心元ないと、髪型を大きく変えるように命じられている。髪にはその毛先にまで魔力が宿り、魔法を使う国の王族は男女問わず髪を伸ばすことが定着している。特に女性は腰元くらいまで伸ばすのが当たり前といったところだろう。そのため、女性陣は結うことで好みの髪型へと変えてお洒落を楽しむのだ。カイネもまた、お洒落を楽しむという名目ではないが、ムーの正装のときは、内側に隠すように結うことでボブカットにみせることにしている。
先ほどよりもさらに姿の変わった、短い髪の自分の姿を見つめながら、カイネは呟く。
「そうね、きっと受け入れてはくれると思うわ。……ムーの姫として、客人としてならね? でも、私にとっては、それではダメなのよ……」
「……ですが……」
付き人の励ましの言葉を受け取ることさえ辛く感じられ、カイネは無理矢理に目一杯微笑んでみせる。筋肉とは不思議なもので、口を左右同時に動かして頬の位置さえあげてしまえば、ちゃんと笑っているように見えるのだ。あとは瞳に感情を添えれば表情の完成である。けれどもカイネは嘘をつくことも好きではないので、笑顔は付き人の優しさに対しての感謝を、そして瞳に感情を乗せれば泣いてしまうかもしれないから、素直に、感情が溢れていて困っていると、訴えかけるに留める。
「アイオライトは一番星のエネルギーに近い石。アヴァロンの国石。……だから星は、本来誰かの生まれもって定められた石にアイオライトは選ばない。だってみんなの石だから。……確かに私は星が詠めるけど、詠み方が特別だし、アヴァロンでは例外の石が、自分の生まれもって定められた石。生まれた時からすでに、アヴァロンの一員にはなれない運命だったのかも。……想像ができないのよ。アヴァロンで誰も身に付けない石のピアスを……交換してくれる姿が、ね。……あ、ほら。もう出発の時間。行かなくっちゃ」
一方的に言い切るだけ言い切って、カイネは鏡からも付き人からも視線を逸らし、逃げるように部屋を出ようとする。部屋の向こうでは、護衛も兼ねた魔法から武術まで戦闘にも長けた付き人が控えている。カイネが子どもの頃からよく知った付き人たちとは、部屋の中までしか共には過ごせない。彼女たちの身支度の手伝いから、きめ細やかな気遣い、心のうちを話せる信頼度は群を抜いているが、表舞台に立つ時のカイネを取り巻く危険な環境を考えれば、外を一緒には歩けないのだ。
「カイネ様らしくありません。あなたは石に運命を振り回されるお方ではありません。あなたの運命の中で、全ての石を回して光らせるお方です。……よいではありませんか。ネロ様に言っておやりなさい。魔法族の王子なら、アヴァロンの国石に選ばれた恋人の身も心も。全ての敵から守って堂々と手に入れてみせないさいってね」
部屋の扉が締め切られる前に響いた言葉は、カイネのすっかりとしぼんでしまった心を叱咤し、今から赴く公の場で姫として立ち居振舞うだけの気力を蘇らせてくれた。カイネは扉が閉まるかどうかの数センチの隙間から、付き人の目をみて、今度こそ本当に感情を乗せた瞳で、にっこりと微笑む。
「……ええ。最後まで諦めないことにするわ。石に振り回されず、私の運命を回すため、石に味方してもらいましょう」
星を詠む魔法族の中では、宇宙中でたった一人、星が導く運命の人がいると信じられている。そして、魔法族の多いアヴァロンでは星が導くたったひとりの運命の人と出会い、互いに想いを通じあわせた時に行う特別な習わしがある。なんでも、生まれた時から身に着けて離さない、星が選んだ自分の石が使われたイヤリングを片方ずつ、永続魔法をかけて交換するらしいのだ。それは魔法族というよりはアヴァロンでの、特別な儀式のようなものだ。
カイネは魔法族ではないが、星が詠める。だからだろうか、生まれた時に魔法族に倣って、星が選んだ石というのを、王が用意してくれていたのだ。身に着けてはいないが、大切に、とってある。
カイネはどうしようもなく、ネロに惹かれてしまうところがある。その理由を見つけるのが難しいくらいに、熱烈に、ただただ惹かれてしまうのである。きっと、星が導く運命の人というのがいるのならば、カイネにとって、ネロが唯一の人なのだろう。
けれど、ネロにとって、カイネがそうであるかは分からない。星が導く運命の人というのは、自分にとっては絶対的な存在だが、必ずしも相手にとっても自分が星の導く運命の人であるとは限らないらしいからだ。そう聞くと、それは運命の人と呼ばないのではないかと言いたくもなるが、星をずっと詠んでいると、嫌でも分かるようになってしまうのだ。運命の人とは必ずしも恋愛的な意味として存在する訳ではないと。多くの場合がそうであることが多いが、稀に、恋愛として実るのではなく、自分たちの運命の発展に欠かせない人として出会い刺激しあって終ることもあるのだ。そもそも、出会うこと自体が奇跡に近い、そんな相手だからこそ、星が導く運命の人と言われている。出会えるだけで、それはある種の喜びでもあるらしいのだ。
星が導く、運命の人……。
それでもやはり、カイネは恋愛的な意味でネロに惹かれてしまうし、ネロにとってもそうであってほしいと、願い望んでしまうのである。子どもの頃からずっと一緒だったからこそ、出会えただけでもよかったと言うにはあまりにも胸を締め付ける想いが、愛が、カイネの中で大きくなりすぎてしまっているのだから。
ネロ、私ね、もうすぐ16歳になる。ムーではね、16が成人なの。
ムーの王族の中で、特に姫は、16までに婚姻しなくてはならない掟がある。それを拒んで逆らうには、16に満たないカイネにはあまりにも力が無さ過ぎて、それを甘んじて受け入れるには、16に満たないカイネはあまりにも若すぎて、大人の事情というのをまだ知らなさすぎるのだ。
何度も何度も断り、それでも後を絶たないカイネへの婚姻の申し入れの中に、アヴァロンという国名は一度だって、目にすることもなければ耳にすることもなかった。
秘密の恋人との関係は、子どもの頃の恋に終わり、愛には変わらないのかもしれない。それでもやはり、カイネは誕生日の前日まで諦めるに諦めきれないのだろう。
恋の駆け引きとやらは得意な性分ではない。だからせめて、素直に好きだと伝えている。それも、十分過ぎるくらいに。
あとカイネに出来ることがあるとすれば、少しでも美しくあれるよう、服や髪型を自分にとって一番に似合うものを選び、整えることくらいだった。それなのに、立場が邪魔をして、似合うものの中でも彼の好み、というもので着飾ることも、許されないのだ。
一日一日が、一分一秒が過ぎる度に、カイネの中では恋しい気持ちと、焦る気持ちが募る一方であった。
「……もう、時間がないの……」
成人の誕生日まで、あと一か月もないわ……。
「畏まりました。移動魔法を使われますか?」
カイネの独り言を、式典の開始まで時間がないと勘違いしたのか、部屋の外からの付き人兼護衛の者が、表情一つ変えず、とても真面目な声色でそう答えた。
全く予想をしていなかったところから返事がきて、カイネは虚をつかれ、さらにはそれがあまりにも今の状況全てにおいてぴったりの返答であることが可笑しくて、自然と口角があがり、気が付けばいつもの笑みが漏れていた。
「……いいえ。移動魔法を使う程は急いでないかも。まだ……大丈夫みたい。ありがとう」
「そうですか? 畏まりました」
そう、一瞬で動けてしまう移動魔法を使うほどには、式典も誕生日も時間は迫ってはいない。例え最後の一人であろうとも、式典の開始前に会場に辿り着きさえすれば、例え誕生日を迎える一秒前であっても、恋人がさらいに来てさえくれれば、それでいいはずなのだ。
短くなった髪は、ただ移動するだけでは昨日のように靡くことはない。アヴァロンの城の赤い絨毯の上を、音をたてることなく、カイネは静かに、そして優雅に、姫らしく歩き続けた。
to be continued……