かぼちゃを動かして!⑱+0.5=⑲−0.5―フィフィの取り扱い説明書―from フリー
「フィフィ、ここからこの黒い眼鏡使うね」
フィフィが眼鏡をかける少し前くらいから、毒草の花粉が風に流されて、フリーたちにも襲い掛かってきていた。
それを風魔法で弾くことはいとも簡単だけれど、それは、したくなかった。
フリーはマントを被り、黒い眼鏡を装着して一生懸命に歩き進めるフィフィをみつめる。
フィフィはいつも真っすぐで、曇り一つない、澄んだ瞳をしている。
ただでさえ、薬草を集めるのはとっても面倒。さらに魔女の薬の材料を集めるだなんて、もっともっと、大変なことなのだ。それなのに、今日も、普段も、それが当たり前だと思い、フィフィは愚痴一つ零すことはなく、こなしていく。
例えば、フィフィがそれを自分の仕事だと思って、愚痴をこぼしてはいけないと思ってしているのだとしても、その薬草集めから薬づくり、今も魔女の薬の材料集めへと向かえること自体がすごいということを、当の本人は気づいていない。
これは本来、とても難しい作業なのだ。一朝一夕では身に付かず、さらには勉強したからといって、誰にでもできることでも、ない。
ねぇ、フィフィ。魔法が使えても、魔女であっても、魔女の薬の材料を集めるのは難しいのよ。魔女だって、八色蜘蛛は怖いのよ。それにね、普通の薬草であっても、こんな期限ギリギリに採ってこいなんて言われたら、怒るか諦めるか、するものなのよ。……普通はね。
さらに強い風が吹き、なるべく向かい風を避けて飛行していたけれど、そろそろ毒草の影響は防ぎきれなくなる頃合いだろう。
それでも、サディも前を向いて飛んでいて、気持ちが同じであることを知り、それはフリーの心を強くさせた。
情けないけれど、二人が先ほどしていた話でいうならば、私は逆に妖精の価値観に縛られ過ぎてしまっている。
本当は毒草が、とても怖い。顔が被れたり、かゆくなったり。そういうのをとても気にしてしまうのよ。
フリーも別にズボンだから悪いなんて思っている訳でなければ、容姿だけが全てだとは思ってなどいない。サディのこともフィフィのことも大好きなのだ。けれどもどうしても、フリーにはズボンを履く勇気がなければ、もしも自分が人間であって赤い瞳をもって生まれていたら、泣きながらもフィフィのように真っすぐな心を持ったままに歩める気はしなかった。
フリーはよく自分の見た目を褒めてもらうことはあるが、決してそれが自分だけに該当することではないと、よく知っている。
それを良い意味で教えてくれるのが、フィフィとサディという友人たちの存在なのである。
フィフィもサディも環境とルールが二人の魅力を隠しがちなだけで、本当はとっても綺麗でかわいいのだ。
ただ、妖精では珍しく、女の子なのにズボンを履くだけ。
ただ、人間では珍しく、瞳の色が赤いだけ。
そのことを除けば、二人は見た目だけでなく、心までもがとっても純粋に、美しい。
フリーは黙々と毒草にも負けずに進みつづけるフィフィに、勇ましく飛行を続けるサディに視線をやり、心の中で大きなため息をつく。
本当に二人は心が美しく、だからこそ、綺麗でかわいい。
けれど、私はそんな心の美しさが、ない。
この期に及んでも、とってもとっても、毒草が怖いの。
例えば二人が褒めてくれたこの見た目。
……毒草で被れて、顔が赤くなったとして、私には何か残るのかしら。
不安でね、仕方がないのよ。
もちろん、毒草の影響が一時的なものであるのは重々にフリーは分かっていた。けれど、お上品な振舞いや見た目というのを取り除いたそのとき、自分には何も残らないような気がし、その想いがフリーの心を不安で支配していくのだ。
すると突然に、フワリとサディの身体に魔法の見えないヴェールがまとわりつく。
「……!」
フィフィにバレないよう、サディが小さく後ろを振り向いた。
一瞬、むっとした顔をしたけれど、すぐに前を向いてそのヴェールを受け入れている手前、嫌ではないのだろう。
確かに風魔法を使ってしまうと、フィフィにも毒草がいかないように魔法を使ったとみなされてしまうから、使えない。
けれど、防御魔法を薄くしたヴェールであれば、サディだけが守られて、フィフィの材料集めへの影響はない。
フリーはあえて、後ろを振り向きはしなかった。
きっと、自分たちよりもかなり後ろの方で、みんなもついてきているのだ。
それで調べずとも、サディにヴェールの魔法をかけた犯人は分かってしまう。きっと、ダクネに違いない。
考えたわね。まさか防御魔法をこんな形で毒草よけに使うとは思わなかったわ。
いつもならば、こういうのに怒るサディが黙ったままなのは、表向き、フィフィのためだろう。けれどきっと、本当の意味で怒らないのは、ヴェールをかけてくれたのがダクネであるからだ。
そんな友人のやり取りが可愛らしくて、フリーはクスっと笑う。
そして、胸が温かくなると同時に芽生えてしまうのは、寂しさ。
……守られる女の子って、いいな。
そしたらきっと、サディがヴェールをまとったからだろう、なるべくフリーに風がいかないよう、楯になるように飛ぼうとしてくれるのだ。
それをフィフィにバレないよう、緩く首を振って止めようとするけれど、サディは気づかないフリをして、フリーを庇うような飛び方を続けるのである。
ふふ、守ろうとしてくれるのがすごく嬉しいけど、ダメよ、ダメ。あとで私がダクネに怒られちゃうわ。
「……!」
けれど今度は突然に、フリーの身体の周りにフワリと見えないヴェールができて、自分にも誰かが防御魔法を使ってくれたことに気づく。
あまりにも驚いて、フリーは後ろを向くけれど、魔力の感覚的にそれがみんなではないことが、分かってしまう。
……ディグダね。
こういう見えない壁を作るような防御魔法は、一瞬ならばよいけれど、維持しようと思うとかなりの魔力を消費する。さらに、形態をここまで薄く変形させていたら、難易度は跳ね上がる。
こんなことができるのは妖精たちのなかでも、ダクネとラティ、そしてディグダくらい。
振り返ったとき、ラティの魔力が違う動きをしたから、私じゃない、の合図。
「…………」
ディグダの方をみても、何食わぬ顔で、いつも通り、フィフィに憎まれ口を叩いている。
そして、ディグダ自身にはもちろん、風魔法も防御魔法も、そういうのは一切、使っていないのだ。
ダクネは絶対に、サディを守るため。
でも、ディグダのは少し、意味が違う。
毒草を嫌がるフリーの心を見透かされたのかもと、ヴェールを拒む理由もお礼を言う口実も見つけ出せぬまま、進んでいく。
「フリー、大丈夫よ」
「サディ?」
フィフィがディグダの憎まれ口に反応している隙に、サディが力強く微笑みながら、言ってくれる。
「私もフィフィと一緒に、と思って自分にも魔法を使う気はなかったよ。でも、別に毒草にかぶれるのが嫌じゃないとか、そういうのでもないよ」
「……そうね。誰だって嫌だから、あの毒草が植えられているんだもの」
睫毛を伏せて、フリーは自分の醜い心の内を、隠す。
でも、それだけじゃないの。
それ以上に、私はそういうのに拘り過ぎている。
けれど、サディはこれもお見通しのよう。
「誰だって嫌なんだから、フリーが嫌なのはもっと当たり前。だって、日々、綺麗であれるよう見た目やお上品な振舞いを人一倍に努力してるでしょ? 誰だって自分が一番努力している部分が崩れるのは嫌に決まってるし、重ねてきた努力は堂々と守っていいよ」
「……サディ……」
「それにディグダがめちゃくちゃな要求してるんだから、ディグダにヴェールでも何でも作らせたらいいよ!」
「でも……」
「だっておかしいでしょう? なんで妖精の私たちが一番得意としてる魔法を禁止されないとダメなのよ。何となく分かるけど、でもやっぱり、絶対に意味わかんない!」
ツンとそう言ってサディが頬を膨らますその姿はとても可愛らしくて、そして怒り方があまりにもいつも通りで、フリーは肩の力が抜けて、クスクスと笑い出す。
「そうね? 大切な友達を守りたいんだから、一番得意な魔法を取り上げられたら、たまったもんじゃないわよね」
「……でしょ!?」
ふと視線をディグダとエプリアの方へと向けると、二人ともいつもより、まばたきの回数を増やしながら、それでもいつも通りの表情と口調を保ち、フィフィに絶えず話しかけていた。
けれど、まばたきの回数以外はいつも通りなのに、いつも以上に心の声がフィフィ以外には、丸わかり。
「………………」
ぼうっとしてしまうフリーの手を、突然にサディがぎゅっと握ってくれる。凛々しく微笑んでくれるその姿は、本当に、うっとりしてしまうくらいに頼もしかった。
「大丈夫、ありがとう」
「私はフィフィもフリーも大好きだよ」
「……私も」
ふふ、サディと手を繋いじゃって、今頃向こうの方でダクネが怒ってるわ、きっと。
ふと視線をフィフィの方に戻すと、やっぱり、一生懸命に何かを考えながら歩いていた。何か考え事をするとき、フィフィは必ず、視線を空の方へと向ける。
今は黒い眼鏡をかけていて、レースのハンカチで顔半分を覆っているからフィフィの表情なんて分からないはずなのに、何となく分かってしまうのだから、フィフィはどれだけ見ていても飽きることはない。
ねぇ、フィフィ。フィフィがしていることだけど、フィフィは自分で気づいてないでしょう?
いつもね、視線を空に向けるのに、顔まで一緒についていってるのよ。
ほら、また動いた。
フィフィの首は常にどこかに傾いている。今は空に向かって斜め上。ディグダの声が響いたら横に顔を向けて、エプリアの声が響いたら自分よりもかなり背の高いエプリアの目をみようと、一生懸命、見上げるのである。
身体の小さな自分たちに対しても、いつも目をみて話そうとしてくれるのが、フリーはいつも嬉しく、そこがフィフィの大好きなところのひとつでもあった。
私たちにとって赤い瞳は特別怖いものではないから、その色だって好きだけど、それ以上に純粋な、その澄んだ瞳が、好きなの。
そんなフィフィを観察するのがフリーの楽しみなのに、いつもフィフィの傍にディグダがやってくるのだ。すると、見ようとしなくても、勝手にディグダまでもが視界に入ってくるので、フリーは参ってしまっていた。
こっちもね、フィフィと同じでとっても分かりやすいの。ただフィフィと違うのは、素直じゃないところ。口から零れ出る言葉と表情が、全然一致してないのよね。それでも結局、身体が勝手に動くというのかしら、ディグダはフィフィの傍を絶対に離れないし、とっても過保護!
日頃一番フィフィに魔法を使っているディグダが、今回フィフィに魔法を使うなというのだから、フリーもサディも、他の妖精たち全員が驚き、事情が事情でなければ、どの口が言うんだ、とみんなで突っ込んでいただろう。
小さく息をつき、フリーは疲れ切った心の葛藤に、改めて結論を自分自身に言い聞かす。
フリー、好きな人に好かれないと、意味がないのよ、と。
けれど、今回ばっかりは、切なさよりもほんのりと、心の奥底で苛立ちが勝ってしまうのだ。
サディの言う通り。私の努力を維持するために、フィフィを傷つけないために、このヴェールは有難くまとうわ。本当に、ただそれだけよ。
本当はフィフィにこのヴェールを使いたいくせに!
好きな子以外に優しくしたらダメなのに! 本当に悪いやつ!
フィフィとサディを見習って、ツンと顔ごと視線を空に向けてみる。
けれどその瞬間にディグダがくしゃみをして、フリーはつい、またそちらに視線を向けてしまう。
「…………………」
やっぱり切なさもぬぐいきれなくて、毒草から守ってくれるフリーをまとう見えないヴェールが、どれほどダメだと言い聞かせても、勝手に喜びと嬉しさも、胸の中の秘めた恋心へと浸透させていくのだ。
……好きな子以外に優しくしたら、ダメなのに。
もっといっぱい、くしゃみをしたらいいわ。
フィフィが心配してくれるように。
だけど、なるべく風がやむといい。
だって毒草は、毒草だもの。
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