到着後、さも当たり前のごとく、着替える間も休む間も与えられずに、リファが二番目に嫌いなテスト部屋へと通された。
「……お姉ちゃん!」
「……モクト……」
リファに駆け寄るのは、このネオパルコでリファの次に年長の少年。リファの次の世代の被験者のひとりだ。彼は今、小学校に通っている。確か今年四年生になったばかり。
「FF下がりなさい。今からゼロのテストを開始する」
すかさず研究員がリファの腰元に抱き着くモクトを引き剥がし、自室へと戻るよう指示を出す。けれど、モクトはここで、何の集中力向上のテストが行われているのかの意味など露知らず、去り際に満面の笑みで、言うのだ。
「今日、初めてムービングテストで満点とったんだ。すごいでしょ? これでお姉ちゃんに近づけたかな?」
リファは目を見開き、気づいているクセに、こちらを見ずに黙々とシューティングシステムのパスコードを入力する研究員を睨みつける。小さく唇を噛み、何もなかったかのように、緩く微笑みのようなものを作って、モクトに言う。
「……モクト、ゆっくり休んでね」
モクトは褒められると思っていたのか、今日のリファのように頬を膨らませ「ちぇ、びっくりさせようと思ったけど、お姉ちゃん何でもできるから、やっぱり驚かないや」とだけ残し、集中力向上ルームをあとにした。
研究所は白を基調に造られており、表向き、外側からはただの岩山とみえるようになっている。その岩山はとある洞窟と繋がっており、ファルネストの駅からはこの洞窟を進まなければネオパルコへは辿り着かない。洞窟と研究所構内を繋ぐのは白い小さなパスコードつきの扉で、ひとたびその扉をくぐると、中はまるで今までの岩々が嘘であるかのように、学校の黒板のような深緑の床に、壁と天井は全て白の、二色の世界が続く。真っ白な壁と天井に囲まれながら、深緑の床を歩くと、どこまでもこの世界が地獄のようにループし続けているように見えるのだ。けれど、それらがループしていないと気づくのは、部屋のひとつひとつに、ナンバーが振られているからだ。
集中力向上ルーム、通称08ルームの自動扉がフォンと機械的な音を鳴らしたのを合図に、リファは惜しむことなく力を発動し、怒りを完全に露わにして、目の前の研究員に、問う。
「話が違う。私が任務をするなら、あの子たちにはああいう訓練はさせないと言った」
リファの髪は真っ逆さまに浮かび上がり、身体全身に血が巡り、まるで外の温泉の煙のように、身体の周りをうっすらと蒸気のようなものが覆う。
「……何のことだ」
リファは研究員を睨みつけたまま、先ほどまでモクトがいたであろう部屋の壁際を指差す。そこには、顔や服の詳細などは描かれていないが、明らかに人の影ととれる形の的が複数、用意されているのだ。その的には、いくつもの焦げたような跡が残っている。
「私が日頃させられているのと、一緒だ」
「一緒ではない。ゼロほど詳細な人型ではないだろう? 丸い的が、人型にもみえなくもない的に変わっただけだ」
「……ほぼ同じだ」
「……そうだな。ほぼ、同じだな。だから、そういうことじゃないか? お前にはお前の役割がある。それを忘れるなということだろう、ゼロ・ファースト。いいか、もう一度今日のスケジュールを言っておく。ここで腕ならしをしたら、任務に入る」
「…………」
「いいか、任務に入る」
「…………はい」
リファは鞄を部屋の片隅に置き、せめてもの抵抗に、黒いローファーとソックスを脱ぐ。靴下を床に置こうとして、鞄を置いた衝撃で揺れる、金色のゴーカリマンが視界に映り込んだ。今からリファが行うテストを、ゴーカリマンにみせたくない。学校へと赴く制服を身に纏って、こんなことをしたくないと、強く心が叫ぶ気がした。
ああ、やっぱり、洗濯用の予備だけでなく、研究所用にもうひとつ、制服を注文した方がいいかも。リファはそう思いながら、素足でひんやりとした床の温度を感じつつ、モクトが先ほど使用した部屋の横の部屋へと歩み進める。
「今日はレベル8から行う」
「……っつ……」
感情が悟られぬよう、リファはぐっと眉が寄せられるのを無理矢理に抑え込んだ。稼働されたシューティングシステムに合わせて、顔だけが印字されていない、リアルな服の着せられた人型の的が、ファルネが通過するくらいのスピードで、動き続ける。
「では、入れ」
「はい」
ネオパルコ内の自室にモゴロンは置いていないから、リファにとっての友達はここにはいない。限界まで能力と身体を使い続け、生き物の生存のルールに従って、栄養剤を身体に流し込み、目を瞑った瞬間に訪れるドブのような黒い世界に堕ちて、次の日にアラーム音と共に目覚めるのが一番楽な朝の迎え方。
部屋に入った瞬間に、人形から飛んでくる、いくつもの鋭利なそれを、リファは空気のルールに従って、浮いて、避けていく。危うくそのうちの一つが二の腕を掠りそうになったけれど、軽やかに身体の向きを回転して上下入れ替え、かかとでそれを蹴り飛ばして、回避する。着地と共にもうひとつのそれがリファの頭上に飛んできて、瞬時に屈めばギリギリ当たると判断し、後方へとバク転することで避けきる。とん、と床に一度ほど手をついて、重力のルールを計算し、身体の重みを変動させる。さらに高く上へと飛び上がり、また空気のルールを利用して、その場に浮くのだ。
そういう時間を学校の授業一教科分よりも長いこと、繰り返していた。時折、リファから動けという、雑音を耳に入れ、渋々、そのいくつかに、従いながら。
「……ふん、全部避けたか。まあ、いい。怪我をしたらしたで、治癒能力の実験ができると思ったが、今は学校に通っているから、言い訳とやらを考えるのが厄介だからな。本当はレベル10まで試したいが……」
リファは相手に悟られぬよう、全身を刺すような痛みと、反動で訪れる重み、乱れそうになる息を肺に留めるのが精一杯で、目に力を入れてぐっと表情を抑えていたつもりが、レベル10という言葉を耳にした途端、うっかりと、表情を漏らしてしまった。血の気が引き、背筋にゾクリとした恐怖を感じてしまい、強張りというのを、相手に見せてしまったのだ。それを見逃すことなく、研究員はさも満足げに、口元を緩め、笑みというのを浮かべながら言うのである。
「……試したいが、今日は任務遂行のための記憶業務がある。教授がお越しになる前に全て覚えるように」
「……はい」
リファが知る笑顔というのは、全てがこういうもの。リファ以外の被験者、次世代のファーストと呼ばれる子たちが時折見せるそれは、くしゃりと顔を崩す、子ども特有のもので、口元を緩めるものは全て、リファにとって気持ちの悪いもでしかないと思っていた。
先に情報統制室、通称00ルームへと向かう研究員の白衣が揺れるのを見守りつつ、フォンと自動ドアが閉まる音を待ち続けた。それを合図に本当は倒れ込みたいくらいだけれど、リファはゆっくりと息を吐くフリをして、全力で酸素を吸い込みたいという身体が悲鳴をあげる欲求を悟られぬよう、通常の呼吸まで戻すのに必要な時間というのを計算する。
けれど今日は全回復するのは不可能だと判断し、研究員にさほど変わりなく見える程度にするしかないと、不自然のない範囲で、なるべくゆっくりと身支度をする。ゆるりと靴下を履き、ローファーに手をかけたところで、スカートの裾の部分が若干、ほつれかけているのに気が付く。
「……最悪」
言えばネオパルコが即日で、どこから用意するのかなんて聞きたくもないけれど、新しい制服を一時間たらずで持ってくるだろう。けれど、ネオパルコが用意するものは、たとえ社会生活のルールに必要なものであっても、リファは極力身に付けたくなどなかった。幸いにもほつれかけの箇所は側面で、もう一度何かにひっかけない限り、スカート自体が割けたりはしないだろう。
どこで引っかけたのか。リファはふと振り返り、部屋の状況を確認する。床には何十本ものフォークが曲がったり、突き刺さったり、形状を変えて至るところに散らばっていた。そのうちの何十本かは、指令に合わせて仕方なく、顔がただのっぺらぼうなだけの、リファたちと同じような服を着た人型のそれの足元に突き刺さっていた。
「…………もっと、最悪……」
それをみると、もう何も考えたくなくなり、リファはローファーを適当に踏みつぶしながら歩き出す。すると、リファに行くなとでも言うように、鞄につけていた金色のゴーカリマンのマスコットのチェーンが外れ、床にポスンと落ちた。
「…………こんなところに、あなたは触れたらダメ」
急ぎそれを拾い、止め直す時間などないので、鞄の中へと突っ込もうとして、リファが地獄のように感じる研究所と同じ白であるというのに、手帳の上に光るオーロラ色のモゴロンステッカーが、どこか優しさを帯びて、目に止まった。
「……やっぱり、私はみんなと同じじゃ……ダメ」
小さく呟いたその声も、もしかしたらモニター越しに研究員に聞かれているかもしれない。けれど、きっと彼らはリファが発した意味とは違う方に捉えるだろうから、問題ないと判断する。あえて隠し監視カメラのある位置をひと睨みしてから、リファは自動ドアをくぐる。みんなと自分は同じではないと、言い聞かすように、たくさんを諦めるように、わざと自分に向けて呟いたはずなのに、00ルームへと移動中、ユーキやショー、ダイたちの笑みというのを思い出し、それが頭から離れなくなった。彼らの笑顔は確かに子どもたちがみせる無邪気なものと比べ、顔の筋肉の動きの可動範囲でいうならば、研究員たちがみせるそれと同じなのに、表情の種類は子どもたちのそれと、同じなのだ。
知りたい、もっと、知りたい。
リファの心の中の叫びは、リファ自身にさえ、届かないし、届いてはいけないものだった。
to be continued……

次レポートもいつも通りの更新を予定しております!
16~20はほぼ修正もないので、製本作業さえ終われば先読み分も一緒にアップできるかと思います✨
普段全然別の仕事をしておりまして。
合間に日頃のHPにプラス絵本の制作が入っていたので、発売後もしばらく忙しいのが続いておりました。
それに加えて実は腕がかれこれ1年くらい痛くて。
色々試して激痛はおさまっても、日常的にずっと一定の痛みが残ったので、もう治らないと思って諦めつつ、制限しながら活動していました。
ですが、本当に有難いことに良い先生に巡り会えまして(*- -)(*_ _)ペコリ
回復の兆しがでてきたので、しっかり治せるよう無理せずに上手く先読み(ストック)を作成しながら、進めていきたいと思っています!
秘密の地下鉄時刻表がリニューアル更新なのもあり、ストーリーが最新話まで追いつくまでお待ちの間に楽しんでいただけるよう、別タイトルで新規の作品を何か用意したいという想いがありました。
ただどうしても腕が痛かったのもあって、系統が違う?けれど調整がきくよう初稿があるループを選びました。
連載方式に悩んだときもあったのですが、ループで調整ができたのがあって、腕的にもHP続けられたと思います。
今年はこのまま定期更新に関してはループと秘密の地下鉄時刻表の2タイトルで行く予定です💊🐚
ただ、無理のないスケジュールで進めても8月くらいから、先読みの方もカチッとハマって色々進む予定なので、ぜひぜひよろしくお願いします♪
(本当はGWで調整する予定だったのが、でかいエラーを起こしてしまったもので(*- -)(*_ _)ペコリ💦改めてスミマセン)
∞先読み・紙版はこちらから∞
付録としてPDF特典トランプがつきます✨
各キャラのイメージで絵は描き下ろしてます❤♦♧♤
このレポートの該当巻は『Ⅲ』になります!
トランプ付録はA「Rifa」です
※HPは毎週土曜日、朝10時更新中💊∞💊
ループ・ラバーズ・ルール更新日
第2・第4土曜日
