ループ・ラバーズ・ルール_レポート18「記入」
ザワザワとする休憩時間、最近では収まったはずであるのに、リファは転入してすぐの頃のような注目を浴びていた。けれど、特に声をかける者はおらず、皆チラチラと視線だけを送り続けている。
その中で、そういう視線は向けず、直接声をかけてくるのはユーキだけだ。その瞳は心配というよりは、決意が漲っていて、ユーキはリファの机に一枚の紙を置く。
「あのね、よかったら……ここに名前、書いてほしいの」
「名前?」
その紙にはいくつもの空欄が並んでおり、一番上の欄に金森ユーキの名が。その下一段は空欄で、さらにその下には戸田沖孝全の名が記されているのだ。
リファが学校生活に必要な提出書類の類かと思ったが、なぜ、既にユーキの、さらには戸田沖の名まで記されているのか、リファにはすぐに判断がつかなかった。驚きのあまり、リファはゆっくりと数回程、大きく瞬きをした。
すると、動かしたのは瞼だというのに、ズキリと頬に痛みが走るのだ。この程度の痛みには慣れっこではあるものの、日頃、顔の筋肉を動かすことがなく知らなかったが、顔の筋肉というのは自らの意図や予想に反して動くことが多いらしい。リファはまだこの表情に合わせて不意打ちに訪れる痛みというのには慣れておらず、声こそ漏らさなかったものの、つい、眉をピクリと動かしてしまった。
「……痛む?」
ユーキの瞳が不安げに揺れていて、リファは痛いは痛いものの、この程度は痛みに含むものでもないと思い、緩く首を振る。
「これくらい、大丈夫」
「……本当に、こけたんだよね?」
ユーキがまた、先日の河原での聴取のような、有無を言わさぬ圧のある目でリファを見つめ返す。リファは喉を震わせ、言葉の代わりに唾を飲み込み、数秒してから「うん」とだけ答えた。
ユーキに質問に対して隠し事をするのは憚られ、けれども本当のことも言えないので、事実と事実をこじつけてルールを保ったのだ。
怪我をした。
そして、その前後で本当にこける機会があったので、こけた、と。
リファの頬にはガーゼからはみ出るくらい、青あざというのが出来ており、少し腫れている。制服のスカートから露わになる太ももあたりにも、いくつも絆創膏が貼られていた。白いその手首には、肌の色よりももう一回り白いものが巻きつけられている。けれどもその白いものは腕だけでなく、その整った顔の蟀谷あたりをも数周ほど、陣取っていた。
「…………」
「…………」
ユーキは無言で視線を送り続けていたが、リファはあえて差し出された紙を集中して読むフリをした。
本当はユーキの反応や表情が気になって仕方がなかったのだが、これ以上を説明ができないため、リファは無言を貫いたのだ。
登校時、リファはファルネを降りてすぐのジョウセイ駅のロータリーでユーキと待ち合わせて、徒歩で学校へと移動している。
今日初めてユーキと顔を合わせた時、やはりひどく心配されたが、リファはその際も「……こけたの」とだけ説明した。あの時はそれ以上を追求されなかったものの、登校中、ユーキは昨日みせた時のように顎に手を添え、真剣な表情でずっと何かを考えるように歩いていた。
そのため登校時はあまり、会話ができていない。
けれど、リファが痛みを感じないようにか、いつもよりも歩くペースがゆっくりめであったのが、記憶に新しい。
朝の代わりとも言えるこの追及も、リファが一度目と同じ説明を繰り返したために、ユーキはそれ以上を尋ねはしかなった。
ユーキは怪我のことには触れず、再び論点を机に置いた紙に戻した。
「あのね、部活。どうかなって」
「部活……?」
昨日のことがあり、リファは部活というものに、それもユーキの言う部活というものに過敏になってしまっていたのかもしれない。珍しくもその声や口調は普段の淡々としたもと打って変わって、不審がるような、相手に真意を問うようなものへとなったのだ。
けれどもユーキはそれを突然の申し出に対する戸惑いと感じたのだろう。悩むように小さくうーんと唸ると、今度は問いかけではなく、震える声で言い切るのである。
「リ、リリリ、リファちゃん! 部活しよう!」
ユーキはやはり紙の上方部、金森ユーキと名の記された下側を指差すのである。その指は声と同様に微かに震えていた。よくよく見れば、その紙には新規部活申請書と記されているのだ。
そして、ユーキの名の欄には部長。小田沖の名の欄には部員とも明記されているではないか。
「私が部長で、リファちゃんが副部長。こ、こここここ、ここに。名前。……書いてほしいの」
「……っ」
ユーキが指差すその空欄の箇所には副部長と記されているのである。
リファは今度こそ、驚きで小さく息を吸い込んでしまった。さらにはつい目を見開いてしまい、再び思いがけず顔の筋肉を動かしてしまったのである。先ほどよりも大きく動かされた顔の筋肉は、頬だけでなく、頭にまでズキリと鋭い痛みを走らせた。
そして、怪我による痛みだけでなく、身体そのものが疲労をも含め限界に近かったのだろう。普段のように、身体がリファの希望通りに言うことを聞かないのである。
今は、ユーキの反応に合わせて身体は動かさずに静止するところであるはずが、痛みを感じてリファの身体はリファの意志に反し、勝手に動いてしまったのだ。その反射反応は、傍からみれば問いかけに頷くような形の動きとなってしまったのである。
けれど、それはまるで、悲鳴をあげた身体が、ルールを考えすぎて頷けないリファに代わりに、頭よりも、心よりもさきに、動いたかのようでもあった。
決して、リファの立場からも痛みを感じている状況的にも喜ぶところではないはずなのに、リファは自身でも気づかぬうちに笑みを浮かべていたのである。
頷くように見えるその反射反応と、リファが漏らしてしまった笑みは、ユーキにリファが同意していると認識させるには十分であった。
(部活……思いがけない、チャンスだ……。これでユーキちゃんの動きが……分かる)
リファの反応にユーキはひどく安心したように大きな息を漏らすと、力の抜けたような笑みを浮かべた。
「よ、よかった。じゃあ、もう今名前書いてもらっていい? 顧問は国語の谷村先生だよ。基本的に、自主活動だから、心配しないで。戸田沖君に副部長を頼もうか悩んだんだけど、ほら、理科研究部の部長だから。校則的に兼部は大丈夫なんだけど、流石に部長とか副部長は重複したらダメみたい」
「部員。同じ……部活」
戸田沖の方へと視線を向けると、今リファとユーキが何の会話をしているのかを分かっているのだろう。わざとらしく、こちらを向きながらまるで合意のように、眼鏡を押し上げたのが見て取れた。
すると、リファの中で昨日の学校での出来事の些細な、けれどもリファにとって大きなユーキとの休憩時間が損なわれたことへの理解が追い付き、リファの心の中で何かが溢れていくのを感じていた。
リファは瞬きを繰り返し、ユーキを見つめながら明確に嬉しいという気持ちを乗せて微笑むのである。
同じ笑みでも今の方が先ほどよりも顔の筋肉の可動域が広いのだろう。痛みはさらに強くなった。そして、さらに頭では熟考した方がいいというのを分かっているというのに、勝手に休み時間は短いという決まり事(ルール)を引っ張りだして、リファはすぐさま返事をしなければいけないという体で、今度は明確に、頷くのである。
「よ、よかった~」
リファはどこかソワソワとした心地で、ユーキの指示通りに名前を記入した。特に寒い訳でも、腕の痛みが限界を迎えた訳でもないというのに、リファの手は、名前を書くためにボールペンを滑らせる間中、微かに震えていた。
「えっと……これであってる?」
「う、うん! じゃ、じゃあ、私、出しておくね!」
リファが名前を書き終わるのを見ていたかのように、本日最初の休憩時間が終わりの合図を告げたのだ。ユーキはリファの名が加わった紙をその胸に抱え込むようにして、席へと戻っていった。
そしてその次の休み時間から、移動教室の時を除き、ユーキが教室にいることはほとんどなかった。それは昨日と同様、リファにとってはどこか物足りなさを感じるに違いない一人の休み時間であるのに、どこか昨日とは違う一人の時間となったのだ。そして、不思議とゴーカリマンの放送日でもないというのに、授業中も含めてとてもソワソワとした心地が続くのである。
リファは気を抜けばすぐに廊下の向こうを見てしまうようになり、すると決まってその度に廊下側の席にいる戸田沖と目が合うのだ。戸田沖は都度、眼鏡を押し上げながら笑っているような表情を浮かべるため、リファは慌てて視線を戻し、いつも通り、ぼんやりと過ごすよう努めた。
(……ユーキちゃん……)
とてもユーキと話をしたい気持ちと、今日ばかりはユーキが忙しくてもいいという相反する感情がリファの中で渦巻いていた。
ユーキが忙しいのはリファも同じ部活というのに所属するためだ、そう思うと、昨日のような拗ねた心地はなくなっていった。
それどころか、早く手続きを終わらせるためだと思うと、ユーキの教室の不在の時間というのはとてもリファにとって喜ばしい時間のようにも感じられてくるのだ。
ただ、今日はどうにも身体がいつにも増して動かないという、変えられぬ事実がリファには付きまとった。その事実はユーキと話している間中の、リファではコントロールできない表情というものから、痛みを伴わせる。それらは決して我慢できないものではないが、リファにうっかり痛みの表情をもらさせるリスクを伴わせた。
リファのこれまでに学んできた判断でいうならば、学校にいる時間に苦痛の表情を浮かべるのはふさわしくない。それこそ、痛みが付きまとう所以となっている笑顔の方が、きっとふさわしいのだろう。身体が思うように動かない事実は、リファを大人しく席に留まらせる理由ともなった。
(痛いから……笑わない方がいいのに……顔の筋肉が……勝手に動く。でも……)
ただリファの中で、顔の筋肉が動く度に感じる痛みは顔そのものにあるはずなのに、笑う度にツキリと胸に、何かが胸に刺さったのかと確認したくなるような感覚を続くのである。
その感覚はアニメでモゴロンが悪く言われる度に体感する胸の締め付けにとてもよく似ていた。
(……ダメ。喜んだら……ダメ……)
リファはそれが何であるかを明確には答えられないというのに、そう思ってしまう所以をある種ちゃんと理解もしていた。
身体の痛みも、胸の締め付けもきっと、この怪我を伴うことになった原因が関係しているのだ。
リファは昨日のことを思い出しながら、どこかふわふわとした心地を締め出すように、自分に言い聞かすのである。
(これは……任務の一環と思うようにしなくちゃ。ユーキちゃんと部活……。部活を利用すれば……ルールを保てる。ルールを保てる。…………ルールを保て)
to be continued……

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