ループ・ラバーズ・ルール_レポート17「取捨」
リファの背後でひどくゆっくり、けれども規則的に歩く音というのが響き、それはリファに鳥肌を立てさせた。心拍数はあがりつつあり、さらに言うと、止めようとして背を伝う冷や汗というのは止まるものではなかった。
(あと二歩であいつは足を止めて、いつもと同じセリフを吐く)
「久しぶりだね。ゼロ・ファースト」
声を聞いた途端に、まるで胃そのものを掴まれたかのごとく、リファは特に何も食事などしていないというのに、吐き気を催すのだ。
吐くものがないというのにこみ上げるそれは、ほぼ胃液だろう。体内で生じる痛みをリファはぐっと抑え込み、けれども、まるでいつも通りだと相手にも思わせるよう、定例の悪態をつく。
「……最悪……」
聞かれてはいけないそれを、これまたいつも通り、かろうじて聞き取れる絶妙な声量でリファは呟いた。
すると、やはり今度は研究員がここぞとばかりにわざとらしく駆けてきたかと思うと、子ども、否、しっかりと大人としての知識を身に着けてそのように振舞うのだから、子どもよりも酷いだろう、大きく音を鳴らして机を叩くのだ。
「おい、お前、誰に向かて……っ!」
(いや、いい。小鉢君。……ですが。こんな感じかな)
「いや、いい。小鉢君」
「……ですがっ! こいつはいつも、自分のワクチン適合率がいいからって図に乗り過ぎなんです。古舘教授にこんなっ!」
(視線を感じる。……見てる。私の後ろから、あいつも資料を読んでる)
「…………」
これまで、リファにとって世界の全てがどうでもよく、興味さえなかった。その世界がほんの少し変わったのは、リファが十歳になるかならないかの頃だ。
第二、第三のカルファワクチンの適合者がこのネオパルコへと連れてこられたのだ。ちょうど、当時のモクトで三歳、一番下の子らが生後三か月に満たない頃であっただろう。
どうやらリファの後、数年ほどは適合者が現れることはなかったようなのだ。ただその間も古舘たちは諦めることはなかったようで、ワクチンは改良に改良を重ねられ、モクトの能力が確認されたのをきっかけに、予備施設から完全にネオパルコ預かりに移行したようであった。
しかし、彼らがネオパルコで過ごすうちに、リファとの決定的な違いが発覚するのである。それが研究員も今まさに喚き散らしている内容のことで、ワクチンの適合率だ。
カルファワクチン適合率というのをリファが百パーセントであると仮定すると、次世代の子たちは人数こそ増えたが、適合率は三十~五十パーセントに留まったのだ。
そのこともまた、彼らにとっては計算外であったに違いない。
このときから、政府とネオパルコはリファをゼロと位置づけ、モクトたち世代をファーストと呼び始めた。彼らはリファたちを区別すると共に、共鳴や適合率向上を狙ったのだろう、積極的に交流を指せ始めたのだ。また、リファが彼らファースト、セカンド世代たちの子らと交流することになったことで、ネオパルコに丸投げであった政府からの介入があったのだろう。その頃からリファの扱いを幾分、マシにしてくれた。さらには唯一適合率が百パーセントであるリファに価値を見出したのだろう。データを得るための観察対象としてだけでなく、保護対象としても扱うように、ネオパルコに命じたのだ。
同じく、ファースト以降の世代の子どもたちも一定の保護が約束されたのだ。
けれど不思議なもので、それ以降の適合者も数年に一度、数人くらいの割合でしか現れず、彼らの思い通りに適合者が増えることはなかった。
今この研究所に隔離されている最年少の子らがフォース世代、そしてつい先日、フィフス世代の赤子が連れてこられたと、リファは聞いている。
カルファワクチンは何かしらの条件を満たした生後すぐの新生児に接種されるのだ。適合するか、そのままか。
生まれて初めて呼吸をし、生きていると声をあげて泣き出す頃には、準備していた研究員たちにワクチンを接種される。
サード世代からは、ひとたびワクチンに適合してしまえば新生児の頃から彼らはネオパルコ預かりとなってしまうのだ。そのため保護者というのは、生後すぐに子どもを突然に連れていかれるのだから、精神を病むことが多い。それでも、多くの子の両親が、今現在も週末の度に面会へと研究所を訪れている。
ただリファに限っては面会にくる身内もいなければ、同世代もおらず、モクトたちがネオパルコへと移るまでの、一人で育った研究所での十年というのは、幾度も繰り返される身体テストの苦痛しか記憶にない。
それでも、モクトたちが現れたそれ以降、ゼロであるリファは、両親と引き離された彼らのお姉ちゃんとなったのだ。
彼らは純粋に笑い、リファを本当の姉のように慕う。それはリファの中で確かに研究所でも栄養を採り、眠り、明日を迎えるだけの何かを与えた。リファにしっかりと能力を身に付けさせ、知識を可能な限り、蓄えさせた。自分が動かなければ、自分が最初に理解しなければ、伝えなければ、研究データを残さなければ、自分が味わったようなあの痛みから、彼らを守れないからだ。
「どうだい、資料を入手したと聞いたが。全て記憶したか?」
古舘はリファが嫌がるのを分かって、わざと耳元でその声を落とした。
ひどく不快なそれは、胃に焼けるような痛みを生じさせ、吐き気を助長し、リファの身体的体調不良を加速させた。
こめかみに突き刺すような痛みを発生させ、リファの視界がぼやけるくらいに頭をくらくらとさせるのである。
リファはあえて、ユーキ以外は正しい情報が載せられているであろうクラスの頁を開いていた。彼らがこの距離からすぐに読んで理解できる箇所など、リファのところくらいなのだから。
「東条リファ。東条グループトップ、東条ゼンヤの孫娘ともなれば、容易いだろう」
ネオパルコは政府の所有機関であるというのに、古舘たちは政府の目を掻い潜り、データの改ざんや禁じられている能力テストや実験を行っている。古舘をはじめとしたネオパルコに勤務する研究員たちはリファたちを保護対象ではなく本当に実験道具にしか思っておらず、政府から研究費用だけを抜き取り、古舘の独断で研究所の全てを動かしていた。
ただ同時に、彼らは本当に金がないのだ。政府からの予算とやらを得ねば、完全なるカルファワクチンの完成を前に、研究所自体が維持できなくなってしまうのだろう。
これは古舘がペラペラと話したというよりは、研究所内でヒソヒソと話す他の研究員と、ここにいる小鉢のような馬鹿な研究員が勝手に悪態をつきながらリファにうっかりと漏らしてくれる情報を掛け合わせて判断したものだ。
リファを含むここにいる被験者に何かあれば、政府から予算が下りないため、直接的に危害が加えられないのだ。
(……どの財閥との繋がりを求めてる?)
ただ、実情はネオパルコはほぼ古舘のもので、政府の力はあってないようなもの。政府が辛うじてここに口出しをする権利を持っているのは、ネオパルコの予算を喪失したら困るからであり、まだ未成年のリファたちにとっては、表向きの肩書きというのが作れた方が便利であったのだ。
けれどもどうにも、自分たちと政府を繋ぐもの、その予算とやらを自分たちで、それも卑劣な方法でかき集めようとしているのだ。
(……最悪。……ほんと、最悪……)
この資料を、次の任務を、どうするのか。これまでのリファにとって、悩む必要などなかった。
日頃から、リファは自分の身体でさえ、どうでもよいと思って生きている。どうせ、生涯をこの研究所に縛られて生きねばならないのを、リファは知りたくなくとも理解しているからだ。
さらに言えば、あと一年足らずで、リファは未成年という立場から抜け出てしまう。古館の独壇場と化したネオパルコの暴挙を止めることができない政府の、唯一持っている法律という切り札の保護さえなくなれば、またあの一人で生き抜いた子どもの時に逆戻りなのだ。
リファにとって、ここからの解放とは、ただ身体が壊れるのを待つだけであった。だからこそ、どれほどにきつい身体テストもこなし、疲れは愚か、ボロボロの身体を、研究員にさえ悟られないよう、常に努めているのである。
けれど、リファと違い、モクトたちはもう何年かの猶予がある。ネオパルコが予算づくりに奔走している間は、まだ政府の保護の手もある程度は届くかもしれなかった。ならばリファができることは、自分の身体が壊れるのを待ちつつ、その間はなるべく古館たちの矛先を自分以外に向かぬようにすることの一択であった。
リファは相手の反応を探るのに反抗的な態度こそちらつかせはしたが、自らの意志で任務も能力テストも拒むことなく受け入れ、身体がどれほどの悲鳴をあげようとも、無理を重ね続けたのだ。
もしこの世界に生まれたことに意味を見出すのならば、リファにとってそれは、モクトたちに辛いテストの矛先が向かないようにすることであり、そのことは、この意味のない日々の中でも、リファの存在意義を成り立たせるのだから。
何かがあれば、リファは自分の存在意義を生み出す、モクトたちにとって有利に働く何かを選んできた。
今回も迷うことなどなかったはずなのに、先ほどするりと落ちた金色のゴーカリマンがどうしても最後まで、頭の中を過るのだ。
(……ダメ。……ダメなの)
ゴーカリマンがこんなところにいてはいけないように、ユーキもこんな所に関わってはいけないのだ。本来であればきっと、サポーターでさえ、巻き込んではいけなかったのだ。
焼けるような胃の痛みは喉元までやってきており、リファにとって吐くということがこれほどに恐ろしいとであったことを、知らしめるのだ。
ユーキの笑顔を思い出すと、焼けるような痛みとは別の、温もりのようなものを胸に感じるのである。昨日感じたあの温かい身体は、リファのように壊れていいとは、思えなかった。
「おいっ、お前、返事をしないか!」
苛立つ研究員の声と、無言で視線を送る古館の圧が、リファの耳に、背に、迫っていた。けれど、リファは目の前の資料から集中を逸らしてはいけない。
(捲れ、捲れ。頁を、捲れ)
無言のままに、リファは指と視線だけを動かしていく。
(吐きたい。壊れたい。でも……吐けない。壊れてほしくない)
モクトたちかユーキか。
資料と、改ざんと、古舘と任務。
ワクチンと能力者。法律と予算。
たくさんのルールがリファの脳内で複雑に絡み合う。
やはり、どうして資料提供者は、リファがこれを最初にみると分かった上で、重要な情報をユーキの項目に混ぜ込んだのかが、焦点となってくるだろう。いくらリファに身近なサポーター役であるからと言っても、サポーターであるからこそ、彼らが特に気をとめない部活の項目でさえ、気づかれる可能性はゼロではなかった。
(……嘘はつけない。でも、まだ、気づいていることに、気づかれてはいない。ルール内で、動く。……動く。感情を出すな)
リスクと秘密。正と誤。嘘と誠。
研究員の言葉通りならば、彼の親戚の入院先に圧力がかかったことによる、リファを苦しめるための復讐か。それともやはり、何か特別な意図があるのか。ある種念入りで、けれど容易に見破れる資料の改ざんは、リファのいつもの迷いない決断を鈍らせた。
政府と研究所。学校と社会。正義と、悪。
(ああ、最悪。……ほんと、最悪……)
リファの生きる世界に、ゴーカリマンのような正義の味方は存在しない。
優しいレディーマンは現れない。
怪獣、怪獣、怪獣。
全員が、怪獣なのだ。
(怪獣でもせめて、モゴロンのような怪獣がいればいいのに)
あまり間があきすぎると、それこそ不審がられるだろう。リファは心を決め資料を捲る指を止める。そして、手と喉。両方の震えを無理矢理に抑えつけ、感情もそのまま、いつも通りの怒りと怠惰で覆って、徐に口を開く。
(ルールは絶対。嘘をつくな。嘘をついては、いけない)
「この資料……」
いつになく、嫌に自分の声が部屋中に響くような気がした。
to be continued……
∞先読み・紙版はこちらから∞
付録としてPDF特典トランプがつきます✨
各キャラのイメージで絵は描き下ろしてます❤♦♧♤
このレポートの該当巻は『Ⅳ』になります!
トランプ付録は2「Yuki」です
coming soon
※HPは毎週土曜日、朝10時更新中💊∞💊
ループ・ラバーズ・ルール更新日
第2・第4土曜日
