秘密の地下鉄時刻表―世界の子どもシリーズ―No.32_過去編~その手に触れられなくてもep24➁~
時空間の中にさらに時空間が繋がれた不思議な空間は、太陽と月を感じられないからかもしれない。まるで自分がどこにいるのかを分からなくさせていた。あまりにも速く流れる光は平衡感覚を損なわせ、ちゃんとこの場に立てているのか、そもそも自分はここに存在しているのか、自信を奪っていく。
けれども、目の前にいる一人の男性、ネロがこの世界に存在する限り、自分が存在しているのかどうかではなく、彼と同じ世界に存在していたいと、どんな時空間の中にいようとも、カイネは強く想えるのだ。
アカシックレコードを刻み終えたネロは息を飲むルーマー王たちに構うことなく、カイネだけをその瞳に捉えて、そっとその手を頬へと触れさせる。愛しさのあまりにネロの手が触れた方へと顔を傾向けると、その掌の全てが頬に触れ、カイネの顔を覆うようにして隠した。けれどもネロはカイネの心とは裏腹に、指の腹でなぞるようにしてその手を後頭部の方に向けて滑らせるのだ。
「っつ……」
式典の為に着用していたイヤリングが外されたかと思うと、耳に鈍い痛みが生じていく。すると、ネロの指からその腕へと、一滴の血が自分たちの涙のように垂れていくのだ。その光景はひどくカイネの心に突き刺さり、自分は今、身体よりも心が痛いのだという事実を伝えてくるのである。
「馬鹿だな。アイオライトがお前の石だったのを、黙ってるなんて。痛いだろうけど、もう少しだけ我慢して」
「……っうん。……痛い。……痛いね……」
カイネの耳に痛みを与えた所以は、式典の前に部屋へと置いて行ったはずの、アイオライトのピアスだった。泣きたい気持ちと、驚きと、けれども瞬時に悟ってしまう悲しさと。その全てが入り混じった情けない表情を、ネロはズルいくらいに優しい笑みで受け入れた。
そして、わざとらしく首を傾けたかと思うと、彼の束ねもれた横髪が揺られて、その耳元を露わにするのだ。するとそこには、血の涙こそ流していないものの、カイネが本来、もう片方の耳に付けていたであろう、アイオライトの片割れが小さく、けれどもとても強く、光を放っていたのだ。
「……でも、黙ってたのは俺も同じだ。竜としてはガーネットが自分の石だけど、魔法族としての本当の石はサンストーンなんだ。だけど、身体に合わなくて使えなかった。でも、カイネがアイオライトなら……使える。アイオライトとサンストーンは……相性がいいから」
ネロの言葉に合わせて視線を滑らせると、もう片方の耳にはオレンジがかった赤い石が、ここだと言わんばかりにその内に秘めたインクルージョンを希望の光のようにキラキラと輝かせた。それが彼の石だということに、驚くよりは溶け込むように合点がいき、全てが運命なのだと、カイネの魂を震わせた。
全てが本当は繋がっていて、互いを補っていたのね。
「……痛いのも……黙ってたのも、全部赦すから……私にも赦しを与えて? 私が黙ってたことも、私がネロの星が導くたった一人の運命の人であることも……」
「ああ。赦すよ。永遠に、愛すよ」
ネロが反対側の耳にその手を滑らせていく。痛いのは嫌いだというのに、あれほどに恐れて嫌がっていたピアスが、もう片方の耳に痛みを与えるのを、ネロの動き数秒が待てないくらいに、カイネは焦がれた。これほどに焦がれるのは、次の痛みは、自らの意志で望み、身体と心に熱烈に記憶したいものであるからだろう。
「……っ」
けれども、待っている時ほど、その瞬間は呆気なく、予想に反して軽く過ぎ去ってしまうのだ。先ほどよりも痛みを感じなかったそれは、血の涙をそこそこに、けれどもあまりにも相性が良いからかもしれない、すんなりとカイネの耳へと、その橙色の輝きを馴染ませた。
すると、それを確認する間もなく、ネロはピアスを指したままに、カイネの耳元で永続魔法の誓いの魔法を施しつつ、囁くのである。
「このまま星を詠めば、俺もお前も命を落とす。だから、俺が星を視て、カイネがそれを詠むんだ」
「え?」
表情に出すなということだろう、ネロがわざとらしく、耳元に口づけを落としながらカイネの肩を強く、掴みなおした。それに合わせてネロの髪がカイネの頬にかかり、ふんわりとネロの香水の匂いが漂って、カイネは戸惑いの感情を隠すため、ネロの口づけと薫りに全身で酔いしれることにした。嘘で感情を隠すよりも、本当にある感情のひとつを素直に出す方が、たくさんを守り、隠せることをこれまでの過去で否応がなく覚えてしまっているのだ。
ただ、表に出す感情と隠す感情のそれが、いつもと逆であることが、救いであり、今の心を保つ一種の意地ともいえる張り詰めた糸のような役割ともなった。
「でもそれだと……逆の方が……」
「太陽と月の狭間の間に……ウィルがいる」
「……!」
天井から顔を覗かせるサンストーンとムーンストーンの結晶のその向こうへと意識を向けると、真っすぐに純粋な魔力が、大人たちの魔力に紛れて待機してくれているのが感じられ、カイネは涙をこらえるのにぎゅっと瞼を閉じた。
だからあえて、魔力が混沌となるようにみんながこれほどまでに魔力を放出しているのね。
カイネが微かに頷いたのが分かったのだろう。ネロは小さく離れると、まるでそれが交換の儀式であるかのように、反対側の耳元に口づけを落としていく。
ネロの吐息が耳にかかり、唇が触れて、香水の香りが、カイネの頬にかかるその髪が、カイネをくらくらとさせた。瞑っていた目を開けて、ネロに酔いしれるようにして、繋がれた向こう、本来のそれが本当にあるはずの場所で待つウィルの魔力と照準を合わすため、カイネは天を向いた。
「それでも……星が詠める保証はないし……」
「このままでは私たちは助からない」
今度は這うようにして、耳元から頬へとその唇を滑らせ、小さく音を立てながらカイネの頬に甘く切ない口づけを落とすのだ。刹那的に心を震わすような、声を残しながら。
「俺は時を止める」
柔らかな唇が頬を離れ、ネロの琥珀がかった紅色を捉えるかどうかの狭間、カイネはその瞳を見つめるよりも触れることを選んで、首元に腕を回し、勢いよく背伸びする。視界には瞳ではなく唇を捉えたままに触れたから、もうネロの表情は分からない。ただ、強引に重ねたその唇はすぐさま熱を帯びて、カイネからのものであったのに、あっという間にネロからの口づけへと変わっていき、何度も何度も、ネロは角度を変えてその愛と情熱を注いだ。
けれど、もう時間が待ってはくれないのをよく分かっているからこそ、最後にもう一度、カイネから啄むような短いキスを返し、互いの額を突き合わせて、決意を囁く。
「私はトキを止める」
ネロが本来の姿を明かすなといったのは、この為ね。ウィルが太陽と月の狭間を繋いでくれるのならば、お互いの能力を明かさずに、全ての力を開放した状態で負担を軽減して星を詠むことが可能になる。
……きっと、誰かが星を詠んで、可能性を視てくれたんだわ。その可能性のひとつがウィルと……お互いが隠していた星が選んだ石。石の力を借りることだったのね。
カイネもまた、ネロがそうしてくれたように、ネロがつけているピアスへと永続魔法のそれを返した。二人にしか分からない感覚と魔力は、ピアスそのものには影響はない。見ているものにとっては、左右で違うピアスをしているとしか見えないだろう。
それぞれの耳で、六角形のアイオライトと、雫型のサンストーンが互いの魔力を宿して輝いた。
耳たぶを貫通するピアスは、余程のことが無い限り、イヤリングと比べ落とすことはない。たった一人の星が導く運命の人と交換したらからこそ、落とすことのないピアスそのものに愛おしさを感じ、こればかりは互いが姫と王子でよかったと、強がりであっても思えるひとつの痛みと事実へと変わった。
痛みが過ぎ去りあとも、耳に重みが残っている感覚はカイネに安心感を与えていく。そのまま数センチほどの距離を作ると、どちらからともなく手を合わせ、決して離れぬように指を絡め合った。
ネロはルーマー王に星を詠む意を伝えるためだろう、首の向きを変えて大きく頷いたのが、至近距離にいるからこそ、それが目を瞑ったままの状態でもよく分かった。
カイネは星詠みに集中するためというよりは、触れ合っている温もりに集中するため、目を瞑ったままそれ以上を動きはせず、タイミングは全て、婚約者に任せることにした。
確かに今触れているのはカイネとネロであるが、これは婚約者であるからというよりは、ある種の公務として王子と姫が星を詠むためであるという意味が強い。だからこそ、婚約者として触れ合ったままに繋いだ手の温もりだけに、星を詠むその瞬間まで、浸っていたかったのである。
「星を詠む」
うん、二人で。だけど、星は詠まない。
ネロの声に合わせて、カイネは心の中で返事をした。小さな呻きや震えを漏らすことはあったけれど、ネロの魔力は全てウィルへと向かっているのが分かった。カイネはウィルの魔力が動くまで、婚約者が視ているであろう悍ましい光景を、その恐怖を、嘆きを少しでも共有したいと、些細な震えも、手に握る汗も、彼が堪えている呻きも漏らすまいと、繋いでいる手に意識を集中させた。
ネロの肺が大きく膨らみ、呼吸が荒くなった頃、彼は一筋の汗を額から零した。それが顔のラインに沿って顎から床へと滴り落ちると、ネロの魔力に呼応してアイオライトが淡く、青い光を放つのだ。カイネの白いドレスがその青に染まり、さらにそこにムーンストーンやサンストーンが不規則に入れ替わり立ち代わり光を重ねていく。それは式典で着ることのなかった紺色の星のドレスのようで、ピアスと共に着るはずであったドレスは、やはり形を変えてこうして着ることとなるのだ。
片側だけのアイオライトのピアスに合わせて、ドレスもまた王が用意したそれではなく、星の青いドレスという側面だけを残し、白いドレスのまま、まさしくアイオライトそのものの光に照らされた、ピアスに合うドレスとなった。それも、もう片方の耳に付けられたサンストーンの輝きに合わせるかのごとく、本来のドレスのダイヤの代わりにサンストーンとムーンストーンが交互に青の中に散りばめられるかのごとく、輝きを放つのだ。
避けられない運命と辿るべき運命。なら、今の私たちの運命は何?
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星を詠む
誰の為に?
星詠み(先読み)・保存版はこちらから☆彡
このepisodeの該当巻は『Vol.7』になります!
※HPは毎週土曜日、朝10時更新中🐚🌼🤖
秘密の地下鉄時刻表―世界の子どもシリーズ―更新日
第1・第3土曜日
先読みの詳細は「秘密の地下鉄時刻表―世界の子どもシリーズ―星を詠む」より