かぼちゃを躍らせて!⓪―魔法の取り扱い説明書―fromマリアンヌ

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 小さな風が吹き、森の方から数枚の葉が流れ込む。それに伴い、そこにそれは見えはしないが、微かに羽をバタつかせる音を拾い、マリアンヌは屋敷の中へと戻っていく。
  庭からはいつまでも、妖精の子らと賑やかに笑いながら、大きく育ったかぼちゃをひとつひとつ確認するフィフィの声が響いた。するとそこに男の子の声がさらに二つほど加わっていくのだ。その男の子たちの声そのものは特段、昨日と変わりはしない。けれども、二人ともの声に覚悟というものが宿っているのが感じられ、マリアンヌはどこか安心したように、足取り軽く、自分のするべき事へと備えるため、キッチンの斜め向こう、フィフィのそれよりもさらに小さな自室を目指した。
  その途中、特にキッチンの前辺りだろう、うっかりと体重をかけてしまえば、木の軋む音が屋敷中へと響き渡る箇所がある。マリアンヌはその音がお気に入りで、修理をしようと思えばいくらでもできるというのに、あえてそのままにしている。
  けれども、屋敷を譲るとなれば、話は別だ。この音が好きなのはマリアンヌだけで、長く住むのならば、床は頑丈な方が良いのである。
  どれほどの修理がいるのか。それを確認するように、マリアンヌが例の場所をあえて踏んで歩いてみるも、確かに緩んでいる感触があるというのに、なぜかフィフィが走るときのようなリズミカルな音は響かないのだ。そのことがより一層、マリアンヌを愉快にさせ、同時にひどく寂しくもさせた。
「そうね、これくらいなら……修理はわざわざ街の業者に依頼しなくても、エプリアにさせたらいいわ」
 独り言のようで、明確に指示である伝言を残しながら、マリアンヌは厳重な施錠魔法が施された魔女の部屋へと入室する。
  すると、戸を開けてすぐに漂うのはラベンダーの香りで、それを嗅いだ瞬間に、いつからこんな風に自然と笑うようになったのだろうか、マリアンヌはふっと笑みを漏らす。
一昨日作ったポプリか。まだ香りが残っていたのね。
 マリアンヌにかかれば、魔法で全てがあっという間に片付く。手先を使うことであっても、使い魔が器用にこなしてくれるのだ。何かを作ることも、移動させることも、やろうと思えば何もかも。魔法が解決してくれていた。
  例えば魔女だからといって、無条件にこの世界にある魔法が当たり前に使える訳ではない。難易度の高い魔法、ある程度の力がなければそもそも使えない魔法なども数多あり、この世界の魔力そのものが衰退している今、魔法を使うことは珍しく難しいものへと変わってきていた。
  けれども難易度も力も気にする必要のないマリアンヌからしてみれば、逆に魔法以外で何かをすることの方が難しく面倒であるのだ。
  自分で作ったとしても、魔法や使い魔が完成させていたそれは、出来上がるまでがあまりにもあっという間過ぎて、その素材そのものの香りなど、これまで嗅いだことはなければ、あまり覚えてなどいなかった。
「……確かにラベンダーは良い香りね」
 けれども、いつしかマリアンヌは、フィフィが使うものは魔法ではなく自分の手で作るようになったのだ。一昨日作ったのは、しっかりと手で縫った小ぶりのレースの巾着に、乾燥させたラベンダーを詰め込んだポプリ。
  このポプリもまた、これまでに作ってきたものと同様、香りがなくなるその日まで、フィフィが嬉しそうに、大切に部屋へと飾るのだろう。
  無論、このポプリは魔法を使わずに作ったものであっても、魔法が使われていない訳ではない。
  フィフィには香りしか伝わらぬそれも、フィフィには香りしか伝わらぬからこそ、魔法を使ってもいいのだ。
  マリアンヌが魔法を使うのは、作るまでの過程ではなく、それらを作ったあと。
  このポプリには、それこそ覚悟を決めた男の子たち、エプリアやディグダたちが身震いするであろう、呪いや悪意、ちょっとした悪い虫を跳ね返す加護の魔法を施してあるのだ。
あと何回、フィフィのために食事を作り、ポプリや服を用意してあげられるのかしら。
「…………」
 屋敷の主であるというのに、マリアンヌはこの屋敷で一番に小さな空間を、自分の部屋に選んだ。
  屋敷の構造的にパントリーか何かに使う場所であっただろうここは、気密性が高く、窓ひとつない。それこそそこに、得意な魔法で魔女特有の頑丈な施錠魔法つき扉さえ取り付けてしまえば、もう誰もここには立ち入れないだろう。
  そんな魔女の部屋に置かれているのは、小さな机とベッドだけだ。
  特に持ち物など、マリアンヌにはないのだ。
  魔女の道具というのは納屋にしまってはあるが、あれらは必要であって、別に必要ではない。
  服もいつも同じ魔女服を着るために、全く同じデザインのそれは、空間魔法でいくつかストックしてあるが、それ以外の服を、マリアンヌは持ち合わせてなどいない。その空間に同じく置いているは、黒紫の魔女帽子に、まるで飾りのような杖と、箒くらいだ。
  そんなマリアンヌの唯一といってもいい持ち物は、あえて魔法をかけず、あたかも大切ではないように、無造作に机へと置いてある。
  それをマリアンヌはひどく愛おしそうに手にとると、おおかた五年ぶりに、自身の耳へと着ける。
  魔女の基本というのだろうか、大切なものに幾重もの魔法を施すからこそ、あえて唯一の持ち物であるこのイヤリングには、魔法を施さなかったのである。
「……ヴェルモン……あと何分くらいだ?」
 「五分ほどかと」
 マリアンヌの声に合わせて、マリアンヌが最も重用している使い魔のひとりが姿を現す。
  彼は猿のような見た目に山羊のような太い角、カラスのような嘴と翼に、鷲のような手足と鋭い爪を持っている。知能は人間以上で、その魔力は大魔女に敵わずとも、魔女と同等くらいの魔法が使えるだろう。
  例えば、マリアンヌには及ばないが、そこらへんにいる新米の魔女では手足がでぬくらいに、知識も魔法も十分に使えるのである。
  また、彼にはさらなる特徴があり、伝説の生き物と呼ばれるそれと同じように、必要に応じて姿を透明にできるのだ。
  ヴェルモンは前回の反省を活かし、羽ひとつ、うっかりと落とすことはしなかった。
  そして、忠実なる使い魔としての役目を果たすため、主人の伝言をその場で復唱するのだ。
「床の修繕は確かにエプリア殿自身がするようにお伝えいたします」
 「ええ」
 「森の中にいる魔女協会の魔女見習いは三名ほどでございました」
 「今年はフィフィを入れて四人が試験予定だったかしら。他はどうでもいいから人数を忘れちゃってたわ。三人ね」
 「……三名のうち、ひとりが大魔女候補の弟子でございます」
 いつの間に例の空間から取り出したのだろうか、室内では外している黒紫のフィフィとお揃いの魔女帽子をマリアンヌはぐっと深く被り直した。それは帽子が決して飛ばぬようにというよりは、思わず鋭くなってしまうその紫の瞳を隠すためと言えよう。
  マリアンヌは意識を森の中、のこのことマリアンヌの縄張りである森へと下見にきた三人の魔女見習いへと向けていたのだ。そして三人の魔女服の魔力のそれを読み取り、まるで獲物をみつけた獅子のように、ゆるく笑むのだ。
「ほう、ひとりはウォンティの弟子だったか」
 「左様にございます。そして、残る二人の魔女見習いの師となる魔女と……他の大魔女候補三名も、ここを目指しております」
 「ふん、全員でくるか。まあ、不足はない」
その言葉にヴェルモンは静かに頷くと、一番に重要なことを、言い足すのである。
「……確かにラベンダーは良い香りかと思います」
 「ええ」
 「久方ぶりのその耳飾りも、よくお似合いでございます」
 「……ありがと」
 すると、今度は明確に、マリアンヌは微笑んだのだ。敵に挑む時に漏れるそれでもなく、演技をするときのそれでもなく、魔女としてのそれでもなく。ただのマリアンヌとして。
  それは常に妖艶で麗しいマリアンヌの中で最も美しい笑みであり、いかなる時よりも優しいものであった。
「……っつ。本当に私もお連れにならないおつもりですか?」
 「ええ。あの時に言ったでしょう? フィフィが魔女として生きないのなら、私は魔女として生きる意味がないの。……この世界で最期を迎えるのならば、あなたはこの屋敷で……誇り高き最強の魔生物、ヴェルダンテティの最後のひとりとして、皆と共に存分に魔法を使う人生を全うなさい」
 「…………」
 この世界の魔法は滅びつつある。その典型的な例として、八色蜘蛛や八色蜘蛛に住処を奪われて進化する高知能生物たちも、数が少ない。そして、魔生物や、魔女という存在自体も。
  マリアンヌに仕えるこのヴェルモンも、絶滅魔種の生き残りなのだ。ヴェルダンテティという魔生物は他の魔女たちにとっては絶滅したとされており、親も仲間もいなければ、もう番さえもいない、本当にヴェルモンだけなの魔種なのだ。それ故に彼は子孫を残すことが叶わなければ、この世界の食物連鎖から消えるヴェルダンテティという魔種の最後を見届ける運命を担った生き物なのである。
  そして、とうとうエプリアだけでなく、フィフィまでもが魔女協会から正式な魔女として認められなかったがために、この世界は魔女も滅びることが決まったも同然となってしまったのだ。
「別に魔女協会になんて在籍したくもなければ、拘りもなかった。ただ……あの実がなければ、フィフィは魔女として生きられなかった。あの実がなる最後の木は、魔女協会の管理下の元」
 「……枯れゆくウィチェリーの木……」
 「本当に馬鹿なやつら。フィフィならきっと、もう一度あの木を蘇らせることができたでしょうに」
 「はい。それにエプリア殿も……唯一の男の魔法使いの生き残りであったでしょうに……」
 「ええ、きっとね。……大魔女候補となれば、隠された歴史を知っていたはず。……あの時も、今回も。全てが愚かな判断だった」
 すると、またいつの間に取り出したのだろうか、魔女には欠かせない道具、フィフィのそれよりも何十倍も使い込まれた箒が、マリアンヌの手に握られていた。
  トンっと一度ほど床にその柄で音を響かせると、マリアンヌはとうとう抑え込んでいた全ての魔力を、この屋敷に、この森に、この世界に……放ったのだ。
  マリアンヌの魔力の放出に合わせて、愛しくも大切な唯一のイヤリングが、マリアンヌがマリアンヌであることを喜ぶかのように、大きく揺れ動く。
「……やはり帽子も、箒も、イヤリングも。全てがとてもお似合いでございます」
 「ええ、そうでしょうね」
マリアンヌはフィフィに出会ってから、このイヤリングをずっと、外していたのだ。もしもう一度つけることがあるのならば、ただのマリアンヌとして生きる時だと、決めていたがために。
「魔女協会の掟など関係なければ、あの子たちはとうに見習いを卒業できるレベルに達している。なにせ、大魔女でも苦労する八色蜘蛛の涙を採ってきたのだからな」
 「はい」
 「私は今日一日だけ……魔女に戻る。よって、弟子であるあの子たちも今日一日限り、魔女だ」
 「はい」
 「誇り高きヴェルダンテティの最後の生き残りヴェルモンよ、お前が証人だ。これより我が縄張りに、余所者の魔女はいれぬ」
 「……はい」
マリアンヌの縄張りとなる森の周りに、余所者の魔女を弾く結界をはると、さらに彼女は、森の中でケラケラと笑う魔女協会の魔女見習いの子らに、夜が来るまで特別な幻想空間の森へと、誘ってやる。
せいぜい、あの子たちの準備ができるまで……夜が来るまで、幻覚の森で人間を脅かす気でいるといい。
「この森はこの世界最後の誇り高き魔法を使う生き物たちの住処だ。森の中は私の優秀な弟子の魔女たちが守る。だから私は、外からこの森を守ろう」
かぼちゃを躍らせて!本編につづく