かぼちゃを動かして!㉔―フィフィの物語―
ボス・コウモリの視線に合わせて、フィフィは慌てて自分のポケットに目を向ける。
すると、確かにフィフィの足はついているはずなのに、太ももの横あたりから、自分の身体の一部が消えているのだ。
暗くて気が付かなかったけれど、地面が透けて見えるのである。
「え、なんで!?」
後ろを振り向くと、エプリアがフィフィの疑問を晴らすためだろう、ポシェットから確かに先ほど採ったばかりの涙の瓶を取り出し、フィフィとボス・コウモリへと見せてくれる。
「ん? 変だな。読み間違えたのは久しぶりだ。きっとそうだと思ったんだが、なんだ、坊主からマントの薬をもう分けてもらってたのか?」
フィフィは今度はディグダの方を見て、フルフルと首を振る。
絶対にそんなズル、してない。
「だぁあああ、お前こそ疑うなよ。昼からずっと一緒にいただろうが!」
「……そっか、そっか。フィフィ、ズルしてない」
「大丈夫よ、みんな分かってるから」
ならばなぜ、自分のポケットは消えてしまったというのだろうか。
フィフィは恐る恐る震える手でポケットに手を入れようとして、透明の何もない空間にそっとまずは触れてみる。
すると、少し大きな木の枝のようなものが、ごろっと太ももの上で転がるのを感じた。
そのことで足がちゃんとついていることにひどく安心すると共に、ここへと向かう直前、ポケットに何を入れたのかを思い出す。
同じことに気づいたのだろう、そっとフィフィの傍まで寄ってきたエプリアが、言う。
「俺もきっとそうだと思うよ。でもフィフィ、それだけでは透明にはならなかったはずだ。……だからもしかしたら、昼間の藁の一部が、俺たちと揉める前の状態で、そのままポケットの中に残っているのかもしれない。そっと、気を付けて取り出して」
エプリアはフィフィが手に持っているハサミだけを引き受ける。フィフィは小瓶だけを膝の上に置き、左右のポケット、見えなくなっている部分が大きい、右側へと手探りで手を突っ込む。
すると、みるみる手は不思議な空間へと消えていき、ポケットへと突っ込んだ部分は完全に見えなくなってしまった。手に触れるのはきっと今も虹色に輝いている大きな角と、フィフィが最初に自分で採ってきた、コウモリの巣の藁。
その藁が八色蜘蛛の角を経て、二つに分かれている。ひとつは数センチくらいの束で土が混じっているのが分かる。触ると少し、ざらりとしているのだ。
もうひとつは本当に、数本分くらい。だけど、ぴったりとポケットの内側面にへばりついていて、土に触れていないのが、何となく直感でだけれど、フィフィにも分かった。
それらを確認したうえで、フィフィはポケットから手を出し、今度は小瓶を握りしめた状態で、再び手を不思議な空間へと消していく。
若干に震える手で小瓶の蓋を外し、そっと、手探りで、ポケットの中にへばりついている数本分の藁を瓶へと移していく。
ポケットの中で微かに、藁がトン、と小瓶に移る音がフィフィの太もも越しにかしか分からない振動だけで響き、それを合図に、フィフィは再び手探りで、慎重に小瓶の蓋を閉めた。
こちらを心配げに見つめるエプリアと視線を交わし、小さく頷く。
「なんだ、藁は大丈夫なんだな?」
フィフィはそっと小瓶を取り出し、ディグダの方を見つめる。この瓶の中に、確かに数本分、コウモリの巣の藁が入っている。それが使えるものだと証明してくれたのは、もう去ってしまったとても大きな大きな友人が残してくれた友情の証。
フィフィが藁の入った小瓶を取り出すと同時に、右ポケットはすっかりと色を取り戻し、魔女服の黒しか見えなくなっていた。
「……ねえ、この分量でも足りる?」
ディグダはじっとその小瓶をみつめ、小さく頷いた。
それにホッと胸を撫でおろし、フィフィはボス・コウモリの方に向き直って、言う。
「うん、藁は大丈夫みたい。何度も騒がしくしてごめんなさい。教えてくれてありがとう」
フィフィがニコリと微笑むと、ボス・コウモリはグルルルルと喉を鳴らすように笑い、ばたばたと翼を動かした。フィフィの顔に生暖かい風があたる。
「けどよ、嬢ちゃん。最後に教えてくれ。読み間違えたのは久しぶりだ。一体、何をポケットに入れてたって言うんだ? 涙以外に藁に反応するものがあるっていうのか?」
それを聞き、フィフィは慌てて、例の角を取り出す。
「これね、さっき八色蜘蛛がくれたの。嬉しくって、ポシェットにしまったら瓶とか薬草の採取道具に揺られて傷がいったら困るから、ちょっと重たいけどポケットにいれたの。よく分からないけど、涙もキラキラと光るときがあるから、この光る粉が薬には大事なのね?」
フィフィが取り出した角を見て、ボス・コウモリの鋭い眼光が一転、とても大きく丸められた。
「……嬢ちゃん、角を採ったのか!? どうりで読み間違える訳だ。……どうりで。ああ、読み間違えたのは何年ぶりかわかんねーが、こういうのは嬉しい読み間違いだな」
あまりもの嬉しそうなボス・コウモリの反応にフィフィが首を傾げると、今度はエプリアが、声をあげる。
「ここまでくると、俺でも予想がつく。ここのコウモリたちは……洞窟に戻るのか?」
エプリアの問いにはっとして、フィフィだけでなく、その場にいる全員でボス・コウモリを見つめる。
するとボス・コウモリは、とても力強く翼をバタつかせ、少しずつ、飛ぶ高さを上昇させていく。
「ああ、そうさ。ようやくだ。……時代が変わる。この森から八色蜘蛛は去った。だから俺らも、藁の巣を捨て、洞窟へと戻る。そうすると、俺らはまた普通のコウモリに戻って、知恵の魔力のついた藁はこの森からは誰も採れなくなるだろうよ」
「……そうなの?」
フィフィの問いに、エプリアは小さく頷いた。
「……八色蜘蛛がいるところに、必ずそういう知恵の魔力を持つ生き物が誕生し、それらは独自の文化を発展させる。八色蜘蛛にその居場所を追い出されるからね。……ここでは偶然、洞窟からコウモリが追い出された。けれどきっと、次の八色蜘蛛の住処にあわせて、また居場所を追い出される新たな生き物が発生する。そういう生き物は住処を追われ最期を迎えるか、それともここのコウモリのように知恵を身に着けて生き残るかに分かれる。だから八色蜘蛛の住む近くには必ず、高い知能をもつ生物が誕生するけれど、どこに八色蜘蛛が住むかは角を持つ者にしか分からない。だから自然と、住処を追い出されて高い知能を持つ生き物というのがどの生き物であるかもまた、その場所に行ってみなければ、一見、誰にも分からない。それに八色蜘蛛は一定期間で引っ越しを繰り返す。だから涙とセットで使われる薬の材料っていうのは、毎回材料自体が変わる。次の知恵の魔力を持つ素材が何かによって、他の調合材料も変わるからね。だからとても……魔女の薬の中でも八色蜘蛛の涙は貴重で、調合自体も難しいと……前に本で少し読んだことがある。今日、本当に角をみるまで、おとぎ話の類かと思って、あんまり信じてなかったけどね。ここではあまりにも普通に、全ての材料が揃うから……」
そんなに貴重なものを八色蜘蛛は残してくれたのかと、フィフィはぼんやりとしたまま、自分が手に持つ角を見つめる。
「確かにな。今回は八色蜘蛛が洞窟から出られなくなっちまってたから、長らく引っ越しもなかったしな。こんなに材料が揃う森は最初で最後だっただろうよ。……俺らもようやく、洞窟に戻れる。……しかし、嬢ちゃんが、角を手にする魔女に選ばれたか。……なら、この世界に魔法が残るか、無くなるのかは全て嬢ちゃんが進むこれからの人生によって決まるんだろうな」
「え? どういうこと?」
魔法が無くなる? それがフィフィの進む道で決まる?
たくさんのことが分からなくて、フィフィはその意味を知りたくて、ボス・コウモリの鋭い目をじっと見つめる。
けれど、確かに言葉はフィフィに向けて言ってくれたはずなのに、ボス・コウモリはあんなにもずっと喋り倒していたのに、突然に黙りこんで、エプリアとディグダへと交互に視線を送っていた。
角をもつ者が歩く道というのは、何か意味があるのだろうか。
フィフィは魔法は使えないけれど、魔法がなくなってしまったら、妖精のみんなだって、エプリアだって、ミス・マリアンヌだって困っちゃうに決まってる……。
フィフィはちらりと、エプリアとディグダ、ボス・コウモリを盗み見て、一通り、目での会話のようなものが終ったのではないかという頃合いに、おずおずと声を出す。
「ね、ねぇ。……もしかして角を持ってたら、この森から出たらダメなの? じゃないと、魔法がなくなっちゃうってこと? ……フィフィ魔法が使えないから、どの道が通っても大丈夫な道なのか分からないんだけど……。一度屋敷に戻らないと試験の準備ができないし、森に住むのちょっと怖いし、どうしたらいい?」
縋るようにボス・コウモリをみると、角をみたときよりもさらに目を丸めて、グルルルルと今日一番と言っていいくらい、豪快に笑い出した。
「ああ、先が読めないっていいもんだな。嬢ちゃんはすごく、何を思ってるのかが分かりやすいのに、何を考えつくのかは全く想像がつかない。……嬢ちゃん、俺らはな、何百手も先が読める。だから、必要最低限のことしか動かないし、誰に対しても、未来のことを予想して話すことはしない。何手も先の……未来予想図を話してしまうと、相手の可能性っていうのを狭めちまうからな」
フィフィには今目の前のことでさえ分からないから、先々が分かってしまうという感覚が分からない。けれど、ほんの一瞬程寂し気に揺れたボス・コウモリの瞳から、相手のために言わない、ということの意味が、先を知りたいという心のあるフィフィには完全に理解はできないのだろうけれど、それらが優しさからくることは分かった。
フィフィはゆっくりと頷くと、ボス・コウモリはグルルと小さく唸り、まるで微笑むかのように、鋭い眼光の瞳をさらに細く吊り上げた。
「けどな、俺らの中で、俺らのルールってのがあるんだ。もし、相手の可能性が50%で二つの道に分かれているとき、俺らは意見を言ってもいいってことにしてる。……いいか、嬢ちゃん。嬢ちゃんはきっと自分のことを真逆に思ってるかもしれんがな、時々いるんだ。才能と性格が正反対である子が。嬢ちゃんはそういうタイプだ」
「……魔法が使えないのに、魔女になりたいって思ってること?」
「グルルルル。近いけど、そうじゃない。そして、そうじゃないから才能と性格が正反対なんだ。いいか、そういうのはな、苦しい。誰だって才能を生かしたいし、けど才能を生かしても、性格と合わないことをしているとそれもまた、自分の良い面が生かしきれないときがあるからだ」
「う、ん……」
自分にとって苦手なことはたくさん思い浮かぶのに、得意なことというのを、フィフィはあまり思い浮かべることができなかった。
何となく、薬草を扱うのは得意かもしれないと自覚できたのに、今はその話をしているようには聞こえなかったのだ。
「でもな、それでも諦めずに進んだその先、才能に拘らず自分の良い面を生かすか、才能を生かして自分の良い面、性格の部分の考え方っていうのを変えていくのか、そういう決断ができるようになる。……もしくはそのどちらでもない道が開いていく」
「うーん、うーん、うん」
フィフィは無意識に腕を組み、空を見上げながら、ボス・コウモリが言っていることの意味を考えてみる。
……わかんないかも。
けれど、ボス・コウモリはきっと、フィフィがその意味を分からないことを分かっていて、話しているのだろう。グルルと、今度は笑い声でも、威嚇でもない、小さな唸り声を鳴らして、続ける。
「……いいか。そうだな、これは坊主もよく聞いておけ。特定の森を縄張りとする魔女がいるように、この世界自体を縄張りとする、世界の食物連鎖の中心となる魔女がいる。……それがな、大魔女って呼ばれる存在だ。でな、マリアンヌはその大魔女の一番弟子だった。……何もなければきっと、マリアンヌが今頃、次の大魔女になってただろうよ」
「ミス・マリアンヌが大魔女? それって、すごいってこと?」
「…………」
エプリアの方をみると、真剣な表情のまま、黙ってボス・コウモリをみつめていて、何となく、このことを兄弟子であるエプリアは知っているのだということが、フィフィでも分かった。
「まあ、人によったら、それはすごいことなんだろうな。魔女は誰もが大魔女になることを夢みるし、なりたくてなれるものじゃぁ、ねえ。……けどな、二人とも、聞いてほしいのはそこじゃあねぇ。いいか、大魔女の弟子っていうのは、大魔女になれる可能性のある者しかなれない。そして、次の大魔女候補の魔女もまた、基本弟子はとらないし、仮にとったとしても、それは大魔女になれる可能性のある者しか、絶対に弟子にはしない。……マリアンヌは魔女の掟は守らない。けどな、魔女の誇りは捨ててはいない。魔女として今まで生きてきたんだからな」
エプリアの方を見ると、ちょうど地面に座り込んでいるフィフィの目線の高さに、立ったままのエプリアの手がきていて、その手が微かに震えていることに気づく。
きっと、今、エプリアの顔をみてはいけないし、だけど、ひとりにもしたくないと思って、フィフィは反射的にぎゅっとその手を握り、ボス・コウモリの方を見て、言う。
「うん。フィフィ、あとで大魔女について勉強しておくね。だから今は、試験頑張るね」
分からないからね、正直に、そのままだけど、それを伝えるね。今はフィフィが喋らないとダメな気がするから。
エプリアは黙ったまま、決してフィフィの方を向きはしなかったけれど、しっかりとその手を握り返してくれた。
ボス・コウモリは今度はディグダに視線を向けたまま、けれども内容はまるでフィフィに言うかのように、すらすらと話し出す。
「……魔女になりたいと思うのならば、必ず、二十四時の鐘がなるまでにかぼちゃを動かせ。日付が変わる前から一分、いや数秒でもいいから動かせば、それでいい。もちろん、嬢ちゃんの魔力を宿した魔法を関与させて、な。それで、その角は……嬢ちゃんが進む道、要は人生だな。どんな人生を選ぶことになっても、八色蜘蛛の角はマリアンヌにさえ今はみせるな。嬢ちゃんがどの人生を選んでも、ここぞというときが必ず、訪れる。そのここぞというときにまで、切り札としてとっておけ」
「え?」
戸惑うフィフィをよそに、ボス・コウモリは飛行高さを緩やかにフィフィの顔くらいにまで落として、優しく、言う。
「……俺らにできることはひとつだ。いいか、俺らはすぐにはこの藁の巣を捨てない。周りに八色蜘蛛が去ったとバレないよう、徐々に洞窟へと移るだろう。藁は……坊主が透明マントで少しずつ、必要分とっておくといい。俺らが去った後も、藁の巣はそのまま自然に崩れるまで、そこにあり続けるだろうよ。藁の巣が壊れる時が、八色蜘蛛が去ったと他の魔女たちが気づく頃だと思え。それからな、嬢ちゃん……ありがとよ」
思いがけない言葉にフィフィがまたきょとんとすると、再びボス・コウモリは豪快に笑った。
「……だから言ってるだろうが。俺らは好きで藁の巣に住んでるんじゃねぇ。魔力に知恵が宿るくらいに頭を使いすぎて生活したいんでもねえ。洞窟でコウモリらしく、コウモリとして生きるのがいいんだ」
そっか、そっか。みんな、それぞれに居場所っていうのが、あるのね。
フィフィがニコリと微笑むと、ボス・コウモリはとうとう飛び立ち始める。
「……いいか、嬢ちゃん。50%の可能性で道が分かれてるときはな、どちらの道も間違いではないということだ。だからそういうときは自分の心に従うんだ。それで、心に従ってたら自然と、自分で決断できない時に、ちゃんと心に従えるような環境が整う。意味は分からなくていい、心で決めることだからな」
「う、うん! フィフィもありがとう!」
藁のお礼を言いそびれて、慌ててそう叫んだけれど、ボス・コウモリの翼を動かすその音があまりにも大きすぎて、フィフィの声がちゃんと届いたかは、フィフィには分からなかった。
「……さあ、急いで戻ろう」
「へ? あ、うん」
気が付けばエプリアはしゃがみ込んでフィフィと目線の高さを合わせてくれていて、ぎゅっと、握ったままだった手をしっかりと握りなおして、穏やかに微笑んだ。
フィフィは慌てて角をポケットへと戻し、もう本当は採り終えていた藁を大切に瓶ごとポシェットに移す。
ふと視線を左ポケットの方に戻すと、それらもまた、フィフィの魔女の服の色、黒に色を取り戻していた。
「……戻ってる」
「うん。透明薬の他の材料のひとつに、乾燥したラベンダーが使われるからね。きっと、角の光の粉が手についたかなにかと……ボス・コウモリからもれ出る知恵の魔力とが合わさったんだと思うよ」
「そ、そっか」
すると、慌てたように飛んでくるのはサディとフリーで、フィフィの肩に止まって、急かすように言うのだ。
「急いで急いで!」
「そうよ、フィフィ気づいてないかもしれないけど、洞窟に数時間はいたのよ?」
「ええっ!?」
エプリアが手をひっぱり、やはり言ってくれる。
「さ、行こう。屋敷まで走るよ」
「う、うん」
「……大丈夫。森の中で進むべき道はひとつだけ」
「へ?」
「魔法なんて関係なく、森の中に整備された道があれば、そこを進むほうがいい。ね、フィフィ?」
「う、うううううん」
クスクスと笑うサディとフリーの声が続き、やはりからかわれてる気がするけれど、時間がないから怒る間もなく、フィフィは走り続ける。
コウモリの巣からは整備された土の道は近くて、もう草を踏む静かな音ではなくて、明確に走る音が二人分、続いていく。カチャカチャとランプが揺れる音と箒がシャリシャリと擦れる音が先ほどよりも大きく響いて、虫たちが奏でるメロディが耳に入ってくる余裕はもうなかった。
「じ、時間っ!」
屋敷の時計は夜の二十三時を指していて、フィフィはぐっと喉を鳴らし、緊張で唾を飲みこむ。
焦りと不安とで何度も瞬きをしながら罠を確認すると、ヤモリの方はまだかかってはいなくて泣きそうになったけれど、蜜を塗っていた木にはぼんやりと白い影がフィフィの視界に映り込んだ。
「白蛇だわっ」
小声でそう言いながら、フィフィは木の方へと近寄る。
そっと覗きこむと、小さな白蛇が木についた蜜を一心不乱になめていた。そこへさらに近づこうとして、シューッと威嚇する音と共に、フィフィの足にもうひとつの白い影がとびかかろうとして、フィフィは咄嗟に一歩後退る。
「フィフィ!」
それに合わせて、グイっとエプリアがフィフィの腕を掴んで、しっかりとさらに後ろへとフィフィを引っ張り込む。
「……母親の白蛇だ」
フィフィはコクコクと頷き、母白蛇の向こうにいる小さな白蛇を見つめる。既に他の生き物が蜜を舐めてしまった後なのかもしれない。あの大きさの白蛇が蜜を舐めるにしては、あまりにも減り過ぎていた。
「まだ脱皮が半分もいっていないわ」
「……そうだね。母親の方は見守ってるのかもしれない」
フィフィは焦る心をどうすることもできなくて、まだかかっていないのに、いても立ってもいられなくなり、もう一度ヤモリの罠の方へと向かおうとする。しかし、またシューッと母白蛇が威嚇するので、驚いて、うっかりと言葉をもらす。
「別にいじめたり邪魔したりなんてしないわ。むしろ、私だって応援してるんだから。……すごくすごく、急いであなたたちの脱皮した皮がほしいのよっ。悪いけど、忙しいからヤモリの罠に……」
けれども、母白蛇は尚もフィフィの後をついてくるのだ。
必死過ぎて、いつものように蛇が怖いという感情がそこまでわかなかったものの、脱皮を終えていない白蛇たちに構う余裕が今のフィフィにはなくて、振り切ってヤモリの罠の前にしゃがみこんだところで、再び、白蛇がシューッと唸ったのが分かった。
「……だから、フィフィ……」
そうしたら母白蛇の赤い瞳と目があって、フィフィと同じだ、と反射的に思ってしまった。
その途端、もう間に合わないかもしれないと、涙が滲んできて、それでも何故か母白蛇がシューっと鳴き続けるので、フィフィはようやく、脱皮をしている子どもの白蛇の方へと視線を向ける。
「蜜が……足りないのね? もう少し、欲しいの?」
母白蛇が大きく蠢(うごめ)くのが分かり、フィフィなりに何となくを悟る。
八色蜘蛛から居場所を追われた生き物は知能が高くなる。……この子たちもそうなのかも。洞窟やその付近を使えなくなったとしても、この子たちはまだコウモリたちと比べ、この森の中でも別の生きる場所を見つけやすいから、コウモリたちほど目立って進化はしていない。それでもきっと、他の森の蛇たちよりも知能が高いんだわ。
「……でも、ダメよ。あれには促進力を高めるハーブを混ぜてるの。大人の白蛇を想定してあの量を木に塗ったけれど……他の生き物に蜜を多く先に食べられてしまっていたのだとしても、あの子のサイズだと……あれ以上はダメだわ」
するとやはり、母白蛇はじっとフィフィの言葉を聞いていて、それ以上シューっと唸ることもなく、そっと子蛇の所へと戻り始める。
ふと視線をあげると、エプリアが苦しそうに眉をひそめていて、ようやくに気づく。きっと、フィフィには普通の蛇の威嚇する鳴き声にしか聞こえなくても、魔法の分かる者には白蛇の言葉の意味というのが明確に分かるのかもしれない。
やっぱり自分ではダメなのだ、そう思って泣きそうになるけれど、視界の片隅で、子蛇が……小さな白い影が一生懸命に動いていて、時折、本当に小さな赤い瞳が動くのが、赤いからこそ、白によく映えて夜だというのに目についた。フィフィと全く同じ、赤い瞳が。
そうしたら子どもの白蛇が、フィフィの方を見ながらシューっと唸ったのが分かって、本当に少しだけ、脱皮が進んだような気がした。もしかしたら目の錯覚かもしれないけれど、でも、そんな気がしたのだ。
フィフィの足は自然と再びそちらの方へ向き、蛇の親子が何を言っているのか分からないけれど、懸命に脱皮をしているのが伝わり、呟く。
「……もし、言葉が分かれば、意思疎通をしながら脱皮を手伝えたのかもしれないわ。でも、ごめんね。まだ、手伝うにしても早すぎる気がするのよ。……私本当は蛇さんたちは苦手だから詳しくないの。でも、そうね。私も諦めないわ」
フィフィが動くのに合わせて、足元で、パキッと音が響く。靴越しに感じるのは、ゴロリとした、土の道にしてはおうとつのある何かの感触。
昼間に蜜を塗った時に使った木の枝……!
「これに少し蜜が残ってるかもしれないわ。このくらいなら、追加で舐めても……」
そこまで言いかけて、フィフィは慌てて、近くにあった大きめの石を運び出す。それはフィフィが両手で抱え込んで運ばなければならないくらいに、とても大きなもの。重さも本いくつ分か、分からないくらい。
「フィフィ?」
心配げなサディの声に続き、フィフィの意図に気づいたフリーが叫ぶ。
「フィフィ! こっちにも大きなのがある!」
「ありがと! サディ、何か薄い布を持ってきて。何でもいいの」
「わかった!」
フリーが見つけてくれた、先ほど運んだものと同じくらいの石も運び出す。今度は納屋から小型のナイフを持ち出し、枝の先が鋭くなるように、調整する。もう時間がないし急ぐから、鋭くするのは気持ち程度。
フィフィはサディから渡された布巾を受け取り、そのど真ん中に枝を突き刺す。さらに突き刺した状態で、ぎゅっと、枝を縛るように布巾を結び、枝と布が離れないようにした上で、石と石の間に布を挟み込む。
「よいっしょっと」
もう八色蜘蛛の掃除をした後だから、身体はクタクタで、力仕事はいつもよりも上手くできない。それでも、何とか巨石で鋭利な枝を固定し、フィフィは子蛇に向かって叫ぶ。
「みて? これを、こうね……ひっかけるの」
フィフィは落ちていた葉をその固定した鋭利な枝にさし、引っ張るようにして、葉を割いてみせる。
「私じゃ、言葉が分からないから、上手く引っ張るのを手伝えない。まだ、引っ張るには微調整しながらじゃないと、早すぎるかもしれないから。だけど、自分で枝でひっかけて、自分のペースに合わせてなら、引っ張れるでしょう?」
子蛇は黙って、自分と同じ赤い瞳をこちらに向けていて、シュッと小さく鳴くと共に、細長い舌をチロリと出して見せた。
うん、通じてるっぽい。
「あのね、枝、ここに固定しておくから使って? それでね、後でもう一度見に来るから、あなたのペースで脱皮をしてくれていいから、枝に引っかかった脱皮が終った部分、カットして先に私にも分けてね」
子蛇はまたシュッと鳴いて、枝の方へと動きだした。
うん、これなら大丈夫そう。
今度は必死で、ヤモリの罠を何度も何度も確認し、ヤモリが入り込むのを待ち続けた。そうして、時計の針があと五分もすれば二十四時になるかならないかの頃、ようやくにヤモリが一匹、罠へと誘い込まれる。
「かかった!」
フィフィは叫び、エプリアから貰ったマントを、その罠へとまるで人に着せるかのように、被せる。
そのマントの首もと、真上に位置するところの網の部分を手が入るくらいにハサミで切り、フィフィは手を突っ込む。フィフィの指と指の間にニョロリと苦手な肌触りが素早く通り過ぎ、全身に鳥肌が立ち、涙が滲む。
「うえっ、ヤモリ! ヤ、ヤモリ、捕まえないとっ!」
震えるような情けない声と悲痛に叫ぶ声が、入り混じる。
すると、コウモリの巣から戻ったきり、黙りこんでいたディグダがようやくに口を開く。
「もう諦めろよっ!」
「い、嫌だ! ヤモリ、ヤモリ……!」
「っつ! 白蛇の皮だって、お前、結局採れてないだろうが!」
「うっ、うえっ、今から! 今から先に、脱皮が終りかけの部分をもらってくるから! だからっ!」
「待て」
遮るのはエプリアの声で、それはフィフィをさらに泣かせるもの。
「……白蛇の皮はフィフィはもう持ってる。ほら、足元をみて」
「え?」
すると、すぐ傍に母白蛇が、子蛇の破けた皮の一部を、咥えてもってきてくれていたのだ。
「あ、ありがとう。ありがとう……!」
「……蜜のお礼だって。フィフィ、脱皮の時期に完璧に調合されたあの蜜を食べるのは、魔力を持つ蛇にはすごく、縁起のよいことなんだ」
それでも、ヤモリを捕まえなければ意味がなくて、嬉しいのに、泣きそうなのに、焦りの意味でも泣きそうで、何も言葉が思い浮かばず、フィフィはコクコクとだけ頷いて、再びヤモリの罠に手を突っ込む。
「ヤ、ヤモリ。う、うえっ。速い、待って。う、うえっ。ヤ、ヤモリ!」
何度も何度も、ニョロリと気持ちの悪い感触が、確かにフィフィの指と指の間を通り抜けるのに、どうしても、掴めない。
「だから諦めろって! もう三分もないだろうがっ!」
「い、嫌だ。待って、待って? あとは掴むだけだから!」
本当は分かっている。その証拠にフィフィの頬には涙が伝っていて、ディグダが何度もやめろと言うけれど、手は一切、止めなかった。止められなかった。
無理矢理に罠の網の一部を切り取ってそこに手を突っ込でいるから。鋭利になったその網の切れ目がめくれ上がった魔女服の袖から露わになった素肌に食い込んで、いくつもの切り傷を作り、血を滲ませる。
隙間からヤモリが逃げないようにとマントを被せたから、中がよく見えなくて、手探りだから余計にヤモリを掴むことができない。
「フィフィ! フィフィ!」
「やめて、止めないで。ヤモリ、怖くない。怖くないから!」
「違う、そうじゃない。無理に嫌いなものに触れなくていい。魔法は使わないアドバイスだから。これを使うといい、手袋」
「あ……」
普段採取用に使っている手袋を、エプリアがフィフィのポシェットから取り出してくれていた。それを慌てて受け取って装着するも、やっぱり掴むことが、できない。
チラリと時計をみると、もうあと一度ほど時計の針が動けば、二十四時を指してしまう頃合い。フィフィは泣きながら、ディグダに向かって叫ぶ。
「お願い! ちゃんと後でヤモリにも触って、自分でしっぽ採ってみせるから。ちゃんと罠にはかかってるから、お願い! ズルいけど、先にかぼちゃを動かして……? お願い!」
ディグダが苦しげに眉をひそめ、ヤモリの罠とエプリアの方を何度も交互にみて、小さく唸ってから、叫ぶ。
「っつ……ダメだっ!」
「ああ、そんなこと言わないで。お願い!」
「ディグダ、もういいだろう!? 罠にはちゃんとかかってる。揃ってるも同然だ」
「お願い、ディグダお願い! 今あるお小遣い全部でケーキを買ってくるから、お願い!」
どうしてもどうしても、ヤモリが素早くて、掴めない。罠にはかかっているというのに、フィフィに鳥肌を立てさせる感触だけを残し、決してその身体を掴ませはしないのだ。
すると、ディグダがフィフィの顔の真ん前に来て、震えながらに問う。
「なあ、こんなに急いでるのに、なんで白蛇の皮、ギリギリまで待つんだよ。無理矢理引っ張ったら、もっと早くにとれただろう?」
「だ、だって。まだあの状態で引っ張ったらきっと、痛い」
「なぁ、やっぱりヤモリが罠にかかったのは、サブリナの実を置いたやつだっただろう? お前、分かってたんだろう? この匂いに釣られるって。それで、サブリナの実、本当はいくつあった?」
「……二つ、二つあった。ごめっ、ごめん」
「何で二つとも使わなかった?」
「だって、あれは緊急時に使う薬にもなる実だから……だからっ」
「でも、それはお前を除け者にする人間の緊急時の薬だろ!? それで今日はお前にとって人生を賭ける試験だろ!? なんで二つとも自分に使わないんだよっ。そんなんじゃあ、魔女はやってけないんだよっ!」
その言葉にフィフィの涙腺は崩壊してしまって、完全に泣きながら、情けなくも、悲痛な声で言う。
「ごめっ。私が悪かったから! そういうの、私の悪いところだわ。これから直すから、だから、だから……っ!」
ディグダがぐっと目を瞑り、今日一番に苛立った、大きな声で叫ぶ。
「っつ! お前は馬鹿だな!!! それはお前の悪いところじゃなくて、良いところだろうがっ!!!!」
まるでそれを合図にしたかのように、屋敷の時計から二十四時を告げる鐘の音が、鳴り響いた。
手の傷なんてどうでもよくて、網の先端が肌に食い込んでいるのに、勢いよく手を引っ張る。
二の腕から血が垂れ始めて、サディとフリーが駆け寄るけれど、フィフィは構うことなく、ディグダだけを見つめて、静かに問う。
「……なら、どうして? それなら別に、かぼちゃ動かしてくれてもよかったじゃない」
視線を逸らし、ディグダもまた、叫びはせずに、冷静に言う。
「だからだろうが。なぁ、フィフィ。どうしてお前の良いところを捨ててまで、泣きながら捕まえるような、苦手なヤモリや蛇を扱う魔女にならないといけないって言うんだよ」
その言葉に、とうとうフィフィの感情が爆発する。
「そんなの、そんなのどうでもいいもん! なんで? なんで!? ディグダだって知ってるじゃない!! 魔女見習いの試験に受からないと、魔女になる秘薬が貰えない! 魔女にならないと、フィフィだけが……フィフィだけが人間で、みんなと生きる速度が違う!! サディとも、フリーとも、ディグダとだって! ミス・マリアンヌとだって、一緒にいられない!! ……フィフィだけ、ひとりぼっち。ディグダのこと、友達だと思ってたのに!! ディグダは一緒にいたくないの?」
ディグダはずっと、視線を逸らしたまま、何も言わなかった。
そのことにもっと腹が立って、フィフィは尚もひとり、叫び続ける。
「ディグダなんて、大っ嫌い! 大っ嫌い!! ……大っ嫌い!!!」
フィフィは泣きながら屋敷の中へと駆け込んでいく。一直線に向かうのは自分の部屋で、途中、あんなに大事だと言っていた魔女の帽子を落としても振り向きもしなかった。
サディとフリーが必死に追いかけてきてくれているのが分かったけれど、二人の顔さえ見ずに、フィフィは部屋の扉を締め切った。すぐさま窓にも、扉にも鍵をかけて。ひとり、ベッドへと突っ伏す。
扉の向こうからはサディとフリーの泣き声が、窓の向こうからはディグダとエプリアが言い争うような声が響いてきたけれど、それらはフィフィ自身の泣き声ですぐに聞こえなくなった。
「ああああ、うわあああああっ、ああっ、うああああああっ」
誕生日が過ぎ去り、フィフィは完全に十四歳、魔女見習いとしていれる期限であった十三歳を、終えてしまった。
つづく

🧹🎃ハロウィンの魔法発生中🎃🧹
物語を読むというのは、ある種、疑似体験としてここではない世界や非日常的な冒険を楽しめるといった魅力があると思います。
ですがそもそも、今、現実世界で自分たちが物語を読んでいるという行動そのものも素晴らしい体験であったりします。
今お読み頂いている「かぼちゃを動かして!」は、このフィフィの物語の世界を疑似体験すること、そしてまさに今、現実世界で物語を読むという体験をしていること。その二つを重ねあわせ、HPを見に来てくださっている方には読み方も含め、楽しんで頂きたいという想いで作り込んだものになります。
そのため、連載当時は㉔の公開を10/30の夜。そして10/31のハロウィンの日に最終話㉕がくるように執筆し、企画としてフィフィと同じように一夜を明かして感情を同じように感じて頂くという、更新日時も含めてひとつのエンターテインメントとなるようご用意していました。
もしかしたら本当に偶然、この再掲となるかぼちゃを動かして!の㉔を連載当時と同じように10/30にお読みいただいている方もおられるかもしれないのですが、1/365の確率なので、多くの方は該当しないと思います。
ですがせっかくファンタジー作品をお読みいただいているので
「ハロウィンだと思い込む魔法」にかかったと思って🧹
364/365の確率で㉕をお読みいただく日がハロウィンでない日であっても、最終話の㉕をハロウィンに読んでいると思ってお楽しみいただけたらと思います🌈🕷💧
作品の中だけでなく、読むという行動そのものを含め
フィフィと同じ感情でかぼちゃを動かして!の世界を、最後の一行まで楽しんて頂けたら幸いです🎃
はるのぽこ

もともと、フィフィは続編を書くと決めた時点でいつかタイミングをみて全公開をするつもりではありました。ただ、「かぼちゃを動かして!」は、こうしてHPまで連載や再掲を読みに来ていただいている方には読み方も含めてお楽しみいただけるように作り込んだもので、㉔と㉕をハロウィンの魔法として連日でお楽しみ頂きたいという想いがありました。そのため連載当時はハロウィン企画として、再掲の今回はGW企画として準備しておりました。思いがけないエラーで㉓の更新からは日付が開いてしまいましたが、ぜひ、㉔と㉕は連日でお読みいただきたいので、㉕は明日更新したいと思っています!また明日の朝、フィフィたちと共にお会い出来たら幸いです🎃