秘密の地下鉄時刻表―世界の子どもシリーズ―No.36_現代編~扉の試験episode1~
柔らかい風が森中に新緑の匂いを運ぶ。その出所は、長い歳月を経て育った樹木たちだ。森の奥に行けば行くほど、樹木はその背をぐんと伸ばし、まるで樹のトンネルのように木々が揺れる音を籠らせた。それぞれの木と木の間からは天から降り注ぐ太陽の光が漏れ出ており、森の至るところに光のカーテンを作り出していた。鳥が心地よさそうに囀り、動物たちがのびのびと駆け回る。決して触れることのできない光のカーテンは森の生き物たちによって絶えず揺らされていた。
森の中はどこもかしこも同じような緑で覆われている。けれども、突然にぽつりと、ひと際目を引く白い木があるのだ。
不思議と、長い歳月を経ても、木の根も他の植物も、動物たちも。その食物連鎖の中で、白い木を傷つけるようなことは一度もなかったようだ。むしろ、まるで守るかのごとく、その白い木の周りに動物たちが集まり、植物の樹々も、その白い木が十分に保てるスペースを残して育っている。だが、その白い木は木といっても、本物の木ではない。その森へと訪れる、魔法族という種族にとって特別な、木製の白い扉なのである。
「さて、最後はエミリーね。行先はどこにするのかしら?」
「……はい。えっと、ロンドンに……」
その白い扉に魔法族が訪れるのは、珍しいことではない。けれども今日は極めて特別な日らしい。魔法族の、それも年頃の子らが集まって、その扉の前に列を成しているのだ。
その全員が黒いローブを纏っており、不思議な言葉を呟いては、その扉をくぐっていくのである。
けれども、実はこの白い扉、どこにも繋がってはいない。その扉は何かの建物に取り付けられている訳ではないのである。ただただ、扉だけがそこに存在しているのだ。何気なくその扉を開いても、ひたすらに同じ森が続いているだけ。それなのに、黒いローブを纏った年頃の子は、扉をくぐるや否や、忽然と姿を消すのである。
「エミリー、大丈夫よ。ただ、あなたが素敵だと思う物を持ち帰ってこればいいの。変装魔法だってたくさん練習したじゃない。自信をもって?」
「……でも、でも。見てください、これ……」
かなりの長い列を成していたというのに、魔法族の子らは次々と姿を消していき、とうとう最後の一人となっていた。けれどもどうしたことか、その子はなかなか、扉をくぐろうとはしないのだ。
名をエミリーと言い、自信がないのだろう、震えがちの声で、身体にぶら下げていた手のひらサイズの小さなポシェットを教師に突き出していた。
「魔法鞄、こんなに小さいのしか作れなかったのは、私だけです」
世界の子どもシリーズ―現代編―
扉の試験
「こんなんじゃ、何も持って帰ってこられない! せっかくの祝賀祭なのに……。私だけ、きっと献上できない。魔法学校始まって以来の落第生になってしまいます。……それも、ブラウン家なのに」
ここブライトアースでは、魔法族と精霊郷の友好の証に、精霊郷の姫たちの誕生日に盛大な祝賀祭が行われる。その際、魔法学校の最高学年の者が、お祝いの品を精霊郷の姫たちに献上するのが習わしだ。そして、このお祝いの品の献上は、学校の卒業試験とも兼ねられている。
しかし、このお祝いの品というのがとても難しいのだ。ただでさえ、精霊郷の姫たちへの贈り物となれば頭を悩ませるというのに、問題はそれだけではないのである。その贈り物は地上世界、即ち、人間界から持ち帰ったものという決まりがあるのだ。
人間界へはこの日限り許された特別な詠唱をしながら、この森にある白い扉をくぐることで行くことが出来る。
学びあげた変装魔法で人間界へと赴き、人間界のものをひとつ、持ち帰ってくる。
それが決まりであり、それが試験であるのだ。
ただし、地上世界とブライトアースとの間には密かな決まり事がある。理の違う世界を行き来するため、それぞれの世界のルールに合わせるというものだ。
そのため、あちらへと辿り着いた瞬間に、無条件にエミリーたち魔法族は魔法を一切使えなくなる。
そんな中で、唯一許されているのが、物々交換である。エミリーたち魔法族はこちらの品物をそっと人間界へと紛れ込ませて、その代わりに特別に許されたこの魔法鞄に入るものに限り、人間界の品物を持ち帰ることができるのだ。
そして、この魔法鞄の作成もまた、試験の一貫であった。
鞄に使われている革には精霊郷の妖精や精霊たちの祝福が贈られている。この革に彼らの自然を取り込む力を宿し、人間界にもある数少ない自然の力を利用することで、向こうの品物を持ち帰ることが可能となるのだ。
今にも泣きそうな顔で、エミリーは自身で作り上げた小さな小さな魔法鞄を見つめている。
「私も……ブラウン家の一員なのに」
エミリーは勉強熱心で魔法知識学や歴史学の成績は非常に良い。だがその一方で、魔力のコントロールが苦手で、実技はめっきりダメだった。やっとの思いで身に付けた変装魔法と、必死に作り上げたこの小さな小さな魔法鞄。他の魔法族であればこれでも十分だと満足するに違いないだろうに、エミリーはそれでは満足しなかった。
エミリーが用意した変装魔法と小さな小さな魔法鞄は、費やした時間と努力と、エミリーの生まれ。それらを思うと、達成感どころか、大きな不安とコンプレックスを生み出してしまったらしいのだ。
「エミリー、大きなものを持ち帰ればよいというものではないわ。あなたはとっても優しい子で、私の優秀な生徒よ」
「でも! 小さなものを大きくする拡張魔法も、物を増やす増殖魔法も私はできません。魔法族なのに魔法の使えない、ただペーパーテストの成績の良い、ダメな魔法使い。それも……ブラウン家なのに」
真面目な性格のエミリーは、自分で自分が許せないといった様子で、きつく結んだその唇と、ぎゅっと握った拳をわなわなと震わせながら、目に大粒の涙を溜める。ただそれでも、彼女が気づかぬだけで、その意志や決意は強いのだろう、決して俯きはしなかった。まるで自分に向き合うかのごとく、どれほど弱音を吐こうが、涙を滲ませようが、先生から視線を逸らすことはしないのだ。
「エミリー、あなたが得意なのはペーパーテストだけではないわ。基礎魔法だってトップクラスよ。それに……」
「基礎魔法なんて、みんなができます! それに私の場合、あれは姉妹精霊の力を借りているようなものです! 私の力じゃ……ない、です」
自信もないのはないのだろうが、どうにも正直で自分に厳しいところもあるのだろう。エミリーはどうしても、実技の能力を認めることができずにいるのである。ついつい力が入ってしまったのか、いつしか会話の声は大きくなってしまっていた。
そんな彼女をみて、教師は叱るでも責めるでもなく、何も言わずにそっと抱きしめるのだ。
「……先生、大きな声を出して、ごめんなさい」
「ううん。いいの。あなたの、その素直さと、真面目さがあればきっと大丈夫。さぁ、そろそろ時間ですよ」
抱きしめられて冷静さを取り戻したのか、エミリーは小さく頷くと、詠唱を開始する。すると、みるみるそのローブの下の服が、人間界での今の流行りに合わせた服装になっていくのだ。
けれど、容姿はそのまま。ブラウンの腰元まである長い髪に、大きな淡い緑の瞳。きっとロンドンならばこのままでもバレないだろうと、力を温存するため、エミリーは外見の変装は服装だけに留めた。
けれども、目には見えない身体の中身にはかなり念入りに魔法をかけた。例えば、言語の理解能力とか。例えば、日の光の耐久性を上げるとか。自信がないからこそ、下調べや準備は他の子の何倍も力を入れていたと言える。
「これで、大丈夫……かな」
自分自身に問うようにエミリーは小さく呟いた。
この扉をくぐれば最後、戻ってくるまでは魔法は使えない。
知らない世界で、たった一人で。扉の試験に臨む者は魔法使いであることを隠して、人間界のものを持って帰ってこなければならないのだ。
けれど、不安と同時にエミリーはこうも思っていた。向こうで魔法が使えたとしても、エミリーはもともと魔法が得意ではないから、別に意味はないのかもしれない、と。
ゴクリと唾を飲み、目を瞑り、静かに深呼吸をする。息を吐ききるのを合図に円らな緑の瞳を大きく開いて、白い扉にのノブに触れると、さらなる詠唱を開始する。
そして言い終わるかどうかの頃合い、淡い光がその扉の隙間から漏れ出たものだから、魔法が成功したことを確信し、エミリーはほっと息をつく。
いざ、ロンドンへ。
扉のこちらとあちらは真っ白な光で遮られており、その向こう側を見ることはできない。けれど、足を踏み入れると、確かにエミリーの足はこの繋がりの森には現れず、ここではないどこかの地へと足をつけたのだ。足の裏には地面を踏むような感触があるのである。
時空間が変わる狭間では、立ち止まることの方が危険だと言われている。
一瞬不安に押し負けそうになったものの、それでも優等生のエミリーは授業で習った通り、完全に自身の身体を扉の光の向こうへと、通した。最後、ローブの裾までもが光の壁をくぐったのを時空のそれは認識したのだろう、扉が閉まろうとする気配を感じた。
すると、まだ向こうの声が届く距離であったらしい、教師の送り出す声がエミリーの心に強く響く。
「エミリー、大丈夫よ。贈り物は、祝いたいと思う気持ちが何より大切なのですから。あなたは気持ち、それを大切にできる心を持っている」
心。祝いたい……気持ち。
「はい、先生」
届くかどうか分からない空間にいたが、真面目なエイリーは最後まで返事を怠ることをしなかった。そして、最後の先生の言葉はエミリーの背中を押してくれるには十分すぎる、勇気の魔法のように感じられた。
魔法ではなく、心であれば、誰と比べることなくエミリーも自信をもってもよいような気にさせたからだ。
エミリーはすぐさま、試験に集中しようと心を切り替えるに努めた。扉をくぐるとはどんなものなのだろうと、自信がないなりに、楽しみにする気持ちも密かにもっていたからだ。
よく、まるで宇宙のように、空間は暗いというのに、星々が散りばめられたような光と時間の渦が明るく、時空間の移動はとても美しいというのを父や母、先輩の魔法使いたちから聞いていた。
エミリーも怯えずにその光景は目に焼き付けたいと、しっかりと目を開けていたのだ。
けれどもどうしたことか、たった一度ほど瞬きをしただけだというのに、瞬時に視界が入れ替わり、バタリと向こうの扉が閉まる音と同時に、目と鼻の先にもう一つ別の白い扉が現れたのである。
「きゃっ」
驚いて思わず声が出るも、エミリーは今、まさに人間界へと来たのだ、不自然のないようにしなくてはと、慌てて手で口を塞いだ。その手は緊張で震えている。
目の前は向こうのものとは違う、白い扉がひとつ。横の壁も視界に入ってくるから、どこか狭い個室のようだ。左右の壁も白そうだが、背後はどうなっているのか。
エミリーの手はさらに震えを増していくも、冷静に、あくまで冷静に状況を把握しようと、恐れながらも振り返ってみる。
……トイレ?
すると、そこにはよく見慣れたもの。便座があったのだ。それも意外なことに、すぐにそこがトイレだと気づくくらいには、人間界も魔法界と同じような構造をしていた。
ただ理解が追い付いてくると、他の感覚もまともに機能し始めるようだ。ツンと嫌な臭いが鼻をつくのである。
正直、あまり綺麗なトイレではないようだった。
繋がったのが個室なのは有難かったけど……トイレはトイレでも、もうちょっと綺麗なお手洗いの方がいいかも。
この扉を開けるのが怖いという思いと、一刻も早くここから出たいという衝動。相反する気持ちに決着を着け、高鳴る胸を抑えながら、エミリーは真っ白な扉を開いた。
「誰も……いない」
目の前には少し錆びた鏡が取り付けられた、白い手洗い場が二つほどあった。錆びてこそいたが、鏡の機能は失っていないのだろう、そこには魔法学校の制服ではなく、見慣れない服装の少女が映っており、変装魔法も解けずに無事に来られたことが分かった。そのことに少し自信を取り戻し、エミリーはほっと胸を撫でおろす。
エミリーが今いるのは、どうやら公共の小さな手洗いらしい。たった今扉を開けたその横にももうひとつ、同じような個室が存在した。誰も使っていないようで、扉は開いたままだ。
奥には小さな窓、手前側には扉の無い出口が顔を覗かせていた。外から漏れ出る光に釣られるようにして、エミリーは手洗い場を後にする。
ロンドン! 憧れの、ロンドン。
辿り着いた場所が手洗い場であり拍子抜けしたのか、エミリーは緊張よりもわくわく感が勝っていた。早くロンドンの街並みを見たい、そんな一心で躊躇うことなく、手洗い場を飛び出したのだ。
出口の向こうには、レンガの道やオシャレな外灯、可愛らしいお店が並んでいるに違いない。
ロンドンの素敵な街並みが現れる。その……はずだった。
「えっ、嘘……」
しかし、そこに広がるのは、シンプルな鼠色のコンクリートの道に、薄緑色のフェンス。そして、その道の向こう側には果てしなく田んぼが続いており、そのさらに向こうを山々が囲んでいるのだ。
『列車が発車します』
知らない言語と共に、不思議なメロディが流れて、細長い乗り物が通り過ぎていく。
「秘密の、地下鉄?」
けれど、この乗り物はほぼ四角で、写真やイラストで見たことのある秘密の地下鉄とは少し雰囲気が違った。煙突もなければ、煙もでないのである。
ゴゴゴゴという騒音と共に、凄まじい勢いで突風だけを残して、あっという間に行ってしまったのだ。
すると、ポツリとまたエミリーだけが取り残されて、周りに人がいなければ、数える程度しか物自体も見当たらず、たちまち不安になっていくのだ。
ここは、どこ――……?
エミリーは自分が飛び出してきた手洗い場の方へともう一度戻ってよくよく観察してみる。
すると、その手洗い場というのは、まさに秘密の地下鉄に登場するような、列車らしきものが高速で通過した線路に隣接していたのだ。
乗り場とおぼしき機械でできた装置があり、窓のようなものがあるけれど、カーテンがかかり閉じられていた。
その乗り場から視界を広げていくと、知らない言語で地名らしきものが書かれていることに気づく。
きっと、これはどこかの駅。それも、ロンドンじゃないっ!
to be continued……

🐈お知らせ🐈
現代編の突入にあわせまして、魔法茶屋通信を開始いたします☕✨
占い師さんとのコラボ企画がスタートします💓
現代編の舞台となります「ナタリーとキースの魔法茶屋」に合わせて、魔法茶屋通信として今月の運勢などを配信させて頂く予定です✨
詳細が決まりましたら、改めてお知らせ致します!
お楽しみに♪
✶✵✷
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このepisodeの該当巻は『Vol.8』になります!
※HPは毎週土曜日、朝10時更新中🐚🌼🤖
秘密の地下鉄時刻表―世界の子どもシリーズ―更新日
第1・第3土曜日
先読みの詳細は「秘密の地下鉄時刻表―世界の子どもシリーズ―星を詠む」より