かぼちゃを動かして!⑤
「八色蜘蛛って、あの洞窟のですか? また面倒な……」
すぐ傍で息を飲むフィフィを余所に、エプリアとミス・マリアンヌは会話を続けていく。
「お願いよ~。私は夕飯の支度しないとダメだし、どうしても今日必要なの♪」
「またそんなこと言って。八色蜘蛛の涙なんて、お師匠様ならすぐに採ってこれるでしょうに。何か企んでますね?」
「やだわ~、違うわよ。本当に八色蜘蛛の涙がいるのよ。それにね、今日はフィフィの誕生日なの。だから、夕飯はちょっと時間をかけて作りたいのよ」
ニコニコと笑いながらそう話すミス・マリアンヌと再び目が合う。フィフィの大好きなその紫の瞳が優し気に揺れていて、フィフィの胸がじわじわと温かくなっていく。
「フィフィ、今日誕生日なの?」
エプリアの問いに、ミス・マリアンヌが誕生日の準備をしてくれることが嬉しくて、少し照れ笑いしながら、フィフィは答える。
「うん。ハロウィンは……フィフィの誕生日なの」
「え? ハロウィン……?」
すると、ミス・マリアンヌが小袋と小瓶を3つほど渡しながら、エプリアに言う。
「そうよ。今日のハロウィンの魔女見習いの卒業試験が終わったら、フィフィのお誕生日お祝いをみんなでするの♪ 真夜中のハロウィンパーティーね★」
ミス・マリアンヌがそう言ってくれるのが嬉しくて、まだ試験の準備さえ終わっていないことを忘れて、フィフィは大きく頷く。
「うん……フィフィ、ハロウィンパーティーできるように頑張る」
「ええ、きっと大丈夫よ」
すると、何かを考えこむようにエプリアが腕を組み、視線を合わさずにミス・マリアンヌに聞き返すのだ。
「……今年の魔女見習いの卒業試験の内容は?」
「ハロウィンに人間を脅かすことよ」
「……そうですか」
そして、エプリアは小さく一度ほど頷いたかと思うと、ゆっくりとフィフィの方へと向き直った。
「よし、じゃあ、試験までにぱぱっと八色蜘蛛の涙をとってこよう」
「あ、え、えと……」
そこでようやく、フィフィはまた本来の目的を思い出す。
確かに八色蜘蛛の涙は欲しいのだけれど、お手伝いでとりに行くのでは、ダメなのだ。フィフィはフィフィの分が、必要なのだ。
なんて言おうかと悩んでいると、ミス・マリアンヌが付け加える。
「エプリアが採りに行くなら、いつも小瓶3つ分にはなるでしょう? ……私は小瓶1つ分でいいから、残りはエプリアとフィフィで山分けしてくれたらいいわ」
「え?」
「……まあ八色蜘蛛の涙は便利なんで、遠慮なくそうしますけど」
ミス・マリアンヌがさらに微笑みながら、言う。
「エプリアにはちゃんと、特別なお礼を用意してるから、報酬は後払いでお願いね。それでフィフィへのお礼は……」
あまりにも予想外の展開にポカンと口を開けたままでいると、笑顔のミス・マリアンヌとまた目があう。
「今回はラベンダーのポプリと、白蛇の抜け殻と、ヤモリのしっぽでもいいかしら? お小遣いをあげたいのだけど、次に薬を売りに行くまで、ちょっと今月は余裕がないの。ごめんなさいね」
「え?」
フィフィもよく、ミス・マリアンヌからお手伝いを頼まれる。けれどそれはいつも、森の手前までで事済むものばかり。大抵は、薬草集めとか、それらを用いた薬づくり。他にはポプリを作るために花を乾燥させたり、薬草を煎じた後の捨てるお湯を使って、布を染めたりなどだ。そしてそれらの報酬は必ず、お小遣いだった。
フィフィはあまり街にはいかないので、使うとしても、時折ミス・マリアンヌが買い物に行くのについて行って、ケーキを買うくらい。
お小遣いは貰わなくたってお手伝いはするのに、いつも必ず、ミス・マリアンヌはフィフィに報酬としてお小遣いを渡してくれた。
いらないと遠慮しても、どんな物事にも対価がつきものなのだと、そう言いながら絶対にフィフィにお小遣いを受け取らせた。
フィフィのあまり使うことのないお小遣いは、いくつもの貯金箱から溢れ出るくらいに、貯まっている。
今月は厳しいという、初めて聞く言葉と、今回の報酬として並べられた数々の品名。フィフィが一番好きな、ラベンダーのポプリと、今一番必要な白蛇の抜け殻と、ヤモリのしっぽ。
「で、でも……」
躊躇うフィフィに近寄り、ミス・マリアンヌがぎゅっとフィフィの手にある物を握らせて、それ以上の言葉を遮る。
「まずは、ラベンダーのポプリを先に渡すわね。白蛇の抜け殻とヤモリのしっぽは、エプリアに小瓶と一緒に預けてあるから。八色蜘蛛の涙をとってきた後で、エプリアからもらってね」
「え?」
「それじゃあ二人とも、お願いね♪」
そのまま、ミス・マリアンヌは鼻歌を歌いながら、屋敷の中へと入って行ってしまった。
いつの間にかディグダも姿を消していて。
屋敷の前の庭に、エプリアとフィフィの二人が残される。
「……フィフィ?」
気がつけば、つい先ほどフィフィが駆け戻ってきたばかりの、森へと続く道の前にエプリアはもう立っていた。
「あ、えと……」
どうしたらいいのか分からなくて戸惑うフィフィに、エプリアが優しく言ってくれる。
「大丈夫。おいで?」と微笑みながら。
不思議とエプリアのその声を聞いたら、胸に残る温かさと切なさがすっと心の奥底に溶け込んで、足が軽くなったかのように、一歩を踏み出すことができた。
「うん」
素直にそう答えて、エプリアの少し後ろを歩き出す。
エプリアの歩く速度はほんの少しフィフィより速くて、早歩きで整えられた土の道を必死についていく。
けれどフィフィは、エプリアにまだ言っていないことがある。
「それで……フィフィは何の魔法が得意なの?」
そして、必死に早歩きをしながらも、あれやこれやとそのことについて考えていたものだから、この質問につい、そのままのことを、答えてしまう。
「フィフィ、魔法、使えない……」
「ん?」
はっと慌てて口に手を添えるも、既に時遅し。
エプリアが立ち止まり、ゆっくりとフィフィの方を振り返る。
ずっとずっと冷静だったその顔は、表情こそそこまで変わらないのに、明らかに瞬きの回数が、増えている。
そして、フィフィもピタリと立ち止まり、気まずげにエプリアと地面とを交互にみる。隠すつもりはなかったものの、こんな風に言うつもりも、なかったのだ。正直に言った上で、八色蜘蛛の洞窟までついて行かせてもらって、何か手伝えることをと、思っていた。あわよくば。
仮にお手伝いは無理でも、一人で森の奥には行けないので、せめて洞窟まで一緒に行かせてほしいと頼もうと、淡い希望を抱いていた。
そのためにどんな順序で打ち明けようか道すがら考えていたのに、ついあっさり明かしてしまったのだ。
けれど、いくら何でも、こんな森の手前でバレてしまっては、説得するどころか、門前払いもいいところ。手伝いはおろか、洞窟までついていくことさえ、足手まといだと拒まれる可能性は高い。
どうしても、八色蜘蛛の涙がほしい。
それに、ミス・マリアンヌが預けてくれた報酬だって、必要。
魔女になりたい。でも、嘘もつけない。
そもそも、うっかりと正直に何も考えずに言ってしまった後だ。
地面の方をみるのをやめ、ゆっくりと視線を目の前のエプリアの方へと定めていく。怒っている感じはなく、ただただ、表情は今までと同じまま、何度も瞬きをして、フィフィの返事を待ってくれている。
フィフィはその深く青い瞳をみつめながら、ゴクリと唾を飲み、小さく息を吸って、もう一度、正直に言う。
「フィフィ、魔法、使えないの……」
あと数歩も進めば、整えられた土の道は完全に草だけの緑一色となり、フィフィ一人では進めない領域に達するだろう。
強い風が吹き、葉が飛んでいく。それに合わせて、先ほどと同じように、何もできないフィフィをあざ笑うかのような音を立てながら、木々が大きく揺れ続けた。