小説・児童文学

ループ・ラバーズ・ルール_レポート8「走る」

2025年3月8日

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ループ・ラバーズ・ルール_レポート8「走る」

 

 リファはポータブルデバイスを触るフリをして、注意深くホームに残る人たちを、駅の外も含めて、黙視する。

「……誰もいない……」

 先ほどのファルネが到着する前にいた人も、降りてきたばかりの人もすっかりと姿を消していた。そこでリファは面識のない研究所関連の見張りもいないだろうと、判断する。もうガチャキューブの期間は終了し、さらにはモゴロンをこっそりとひとつ入手した後だというのに、リファは何故か、とても研究所関連の人を、特にリファの自由時間は、撒きたいという衝動に駆られたのだ。
 今度は興奮時に表れるような、浮足立った気持ちになり、時間的に急いでいる訳ではないのにリファは駆け足で、ホームの階段を軽やかに上っていく。そして、定期パスというのは本当に便利で、同じ駅から同じ駅に降りても、リファを引き止めはしないのだ。
 エスカレーターに乗りながら、リファの口から「ふふっ」と声が漏れて、リファは自分で自分に首を傾げる。

(なんで……声が漏れたんだろう)

 けれど、その疑問を解決することよりも、心が、身体が、勝手に走り出すのだ。今は学校の体育の時間でもなければ、研究所の身体能力テストの時間でもないのに、リファは身体がしんどくはならない程度のペースで、ファルネの線路沿いから一本内側に入った道を選び、ひたすらに走り続けた。
 時刻はまだ十五時過ぎで、太陽だって、まだ沈み始めてなどいない。もう真っ青という訳ではないけれど、オレンジがかった夕暮れにはまだ早い、どこか陰った青空はリファの心をさらにソワソワとさせた。
 真っ青な空と太陽は、いつもリファを見ているぞとでも言うように、リファを照らし続ける。けれども、昼にも夕方にも属さない、このどこか頼りない空の色は、うっすらと光に埋もれる月の影を残すだけで、リファを照らすことなく、一人で走るのを黙認した。明るすぎる昼の太陽より、輝きすぎる夜の月より、昼の終わりかけの光に埋もれる夕方前の月がいい。リファをそんな気分にさせたのだ。
 リファは徐々に走るスピードを緩め、徒歩に移していく。そのタイミングで突き当りを曲がり、線路沿いの道へと戻った。すると、これまでの景観が嘘のように、緩やかなものが視界いっぱいに広がっていくのだ。砂漠の中のオアシスのように絶妙に自然が紛れ込んでいるのである。
 ファルネ川が、少しずつオレンジがかった空を反射させ、整備された河川敷の芝生の緑によく映えた。けれども、さらにその周りを大型の工場が囲んでおり、製造時に発生する煙を急ぎ気味に放つのだ。ひっきりなしに工場で使われている重機の音が重なり、さらにそれをファルネの通過音が飲み込んでいく。
 リファは川を繋ぐ橋の横にあるコンクリートでできた階段を、ホームの階段を上ったときのように、軽やかに下りて行った。どこか跳ねるようなステップも、周りで常に響く音に吸収されて、リファ自身の耳にさえ、届かなかった。
 橋の真下までは芝生も行き届いておらず、その辺りから地面がコンクリートに切り替わっていた。リファがそこへと辿り着く頃、ちょうど頭上をファルネが通過し、音が籠るように、リファの周りでゴゴゴと響き渡った。煩いはずなのに、籠って高めに響く音は、リファに不思議な感覚を与えた。
 ちょうどこの位置はファルネ川が幅を広げ、さらには緩くカーブがかっているからか、線路を補強するかのように、誰も通ることのできない頑丈なコンクリートの橋を、渡してある。
 きっと、この橋が使われるのは線路の整備のときくらいに違いない。
 そんな特殊な橋の真下というのは、振動の伝わり方が駅ともどこか違うので、リファは通過音を聞いてすぐに、この場所を心地が良い場所と、記憶した。
 ポータブルデバイスの示す時刻はまだ十五時半で、誰もいない高架下の階段寄りの位置にしゃがみ込み、リファは時間が経つのを待った。
 恐らくポータブルデバイスのネットワークはこの位置であれば、特に制限や管理はされないだろう。ただそれでも、リファは人混みであるファルネの中で以外は、極力ネットというのを使わないようにしている。
 以前はそこまでネット自体を使うことがなかったものの、ゴーカリマンのことを調べるようになり、セントパークの施設図を調べるようになり、最近では猫について調べるようになり。
 もし、誰かにリファのポータブルデバイスの中を見られることがあるのなら、それは嫌だと、思うようになったのだ。
 リファの中に芽生えた、この嫌だという感情が何に結び付いているのかを、リファはまだ理解ができていなかった。今はもう、ガチャキューブのモゴロンを入手したあとで、こっそりとピンクのあの子を得るために何かを調べている訳ではないのに、それでも、嫌だと思うのだから。

 この待ち時間、リファはポータブルデバイスを触ることができないので、ぼんやりと川の色の変化を眺めながら、鞄の中に詰めてきたものに想いを馳せていた。昼休みのあのとき、五分前の鐘の音がリファを止めなければ、リファは鞄の中身をユーキに見せてしまっていたかもしれない。
 けれどそうなると、ユーキは前回の寄り道の際も終始怯えているようであったから、リファの今日の行動も嫌がるかもしれない。それを思うと、あのとき、昼休みが短いと感じたけれど、今日に限ってはある意味、それでよかったのかもしれないとリファなりに考えていた。
 絶えず音が響くこの空間で、微かに靴の間に小粒の石のようなものが、コンクリートと摩れる音が混じる。リファは顔をあげ、視線は階段の方に向けずに、じっと、その音の行方を耳だけで追った。そして、その音はリファのすぐ横で止まり、リファの頭に影を落とす。

「…………」

 リファは真横から視線を感じたものの、特に声を掛けられることはなかったので、そのまま優しい人たちを待ち続けた。そして、その人もまた、階段下から数歩ほどのところで立ち止まり、リファに背を向けて、黙々とポータブルデバイスをいじり出した。
 正面を向いたまま、視野に入る範囲で言うならば、先ほど来た人は女性。黒いエナメルの丈の短めのジャケットに、伸縮性のありそうな、黒の太ももあたりまでのタイトなワンピースを着ている。ワンピースの丈はリファよりもずっと、短め。靴もエナメル素材の、足首がしっかりと隠れるような紐靴。胸あたりまである髪は金髪で、左側にピンクのメッシュが入っている。立ち姿も堂々としていて、すらりと長い脚が印象的。まだ顔を見ていないから分からないけれど、記憶するならば髪。
 けれど、髪型は定期的に誰しも変わるのが常なので、その人の特徴として憶えるにはあまり適さない。ただ後ろ姿から、圧倒的な雰囲気というのが醸し出されていて、リファは本能的に曾澤と何か似たようなものを感じ取り、機嫌を損ねないでおこう、と即座にインプットした。
 すると、軽やかな足取りで、もう一人、誰かが階段を下りてくるのが感じられた。その人はリファと同じように、完全にかかとをつけず、主につま先で下りるタイプなのだろう、そこまで靴底とコンクリートが擦れる音は感じられなかった。

「……今日は無理かも。先客」

 その人が下りきるかどうかで女性が口を開き、ハスキーボイスというのだろうか、女性にしては低く、声だけでは男性と迷うようなそれは、リファの背筋をゾクリとさせた。

「…………」

 けれど、いつの間にかリファの頭上に影が被さり、リファは驚いて顔を向ける。そこには一人の男性が立っていて、リファはしゃがんでいるにしても、背はかなり高めなのが窺えた。
 白いきちっとしたシャツに、細身の脚にフィットするような、スーツパンツ。ネクタイはしていないけれど、背広のようなものを腕に抱えていて、ゴーカリマンが変身する前の姿で働いているバーの店員のときのような服だな、とリファは思った。
 目は細めで、眉はそこまできつくはない。だから怖い印象はないけれど、どこか飄々とした、表情の読めない顔をしていた。

「…………」

 リファは反射的に眉に力が入り、じっと、睨むようにその男性をみてしまう。どうしても、警戒せずにはいられなかったのだ。注意深く音に意識を向けていたのに、女性の声に気を取られたからでもない、明らかにこの男性は移動のルールの音がないように感じられたのだ。
 僅かな距離ではあるけれど、どうやって階段からここまで、この人は移動したのだろうか。
 男性の口元が動き、その唇が震えるかどうかのタイミングでファルネが通過し、音がこの空間を遊ぶように、何度もこだまする。
 男性は視線を上へと向け、ファルネの通過を待つことにしたのか、喉仏だけを動かし、声を発することなくその場に立ち尽くした。
 すると、ファルネが通過し終えるかどうかの頃合い、バタバタとそれらの音に負けないくらいに、急ぎ気味の、慌ただしく階段を蹴る音がいくつか重なる。そして、階段を下りきったのだろう、足音が止まると共に、気の抜けた緩い口調の声が続く。

「いや~、悪りぃ。末ぽんに捕まって資料運ぶの手伝ってたら、一番に着くはずがデコポンコンビと同じになっちまった~」

 リファが声のする方へと視線を移すと、そこには緩い黒のトレーナーに今日はグレーのスウェットパンツ、ニット帽は一昨日と同じで、ひと房だけ金の髪が顔を覗かせている男性が立っていた。
 リファは間違いがないよう、すぐにその人の眉を確認する。
 今は目を細めて笑っているから瞳の色は見えないものの、可愛らしい印象を与える笑い方、けれどそれ以上に男性らしさを残すその凛々しめの眉は、リファが記憶したその人の特徴と合致した。
 反射的に立ち上がり、リファは目の前に立つ男性をすり抜けて、記憶通りのその男性の元へと、駆け寄る。

「ショー!」
「え?」

 待っている間中、顔の筋肉が動くことはなかったのに、いつの間にかリファの頬が緩んでいるのが、自分でも分かった。

 

 

レポート9

 

∞先読みはこちらから(レポート6~10収録中)∞

ループ・ラバーズ・ルールⅡ

 

はるのぽこ
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ループ・ラバーズ・ルール更新日
第2・第4土曜日

 

 

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