小説・児童文学

ウグイスが鳴く夏に

2020年11月19日

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 じっとりと汗が滲んでくる。張り付いたTシャツ。寝返りを打つと広がるムワッとした空気。意識が少しずつ、夢から現実へと引き戻されていく。

 暑い。蒸し暑い。

 そんな気持ち悪さを掻き消すかのように、美しい声が耳に入ってくる。

「ホーホケキョ」

 ああ、今日もウグイスが歌っている。

 毎年、春になるとウグイスはその心地よい声で、朝を告げて起こしてくれる。自分はこの自然目覚ましが好きだ。

 ゆっくりと視線だけを時計にやると、既に昼前。長い二度寝をしてしまったようだ。

「ホーホケキョ。ケキョケキョケキョー」

 けれども、そんなことなど気にするなというように、ウグイスは歌い続ける。

 ああ、美しい。

 しばらく耳を傾け、ふと、ある疑問が浮かび上がる。

「もう初夏だよな。今年はなんで、こんなに長いんだ……?」

 急ぎスマホに手を伸ばす。

『ウグイス 初夏 鳴き声』

 検索であがって来た一番上のサイトをクリックしてみる。まず、目に入ったのはウグイスの別名。ハルツゲドリともいうのだとか。なんだ、自分の感覚は間違ってはいなかったのか、とニンマリする。ただ、こうも書いてあった。地域によっては10月頃まで鳴いている、と。

   では、何故鳴くのだろうか。このサイトによれば、理由は主に2つ。

 一つめは、メスへのアピール。要は、春が繁殖期ということか。納得だ。あんなに美しく歌われれば、メスも喜ぶだろう。そして二つめは、縄張りのアピール。なるほど、卵を守るところから餌とりまで、ほとんどの子育てをメスがするらしい。それを卵が食べられないように、雛が襲われないように、オスが縄張りアピールをして、自身を誇示すると共に、守ってもいるようだ。

 外敵や気候、何らかの理由で繁殖が一度で上手くいかなかったり、時期がズレたりすると、春以降もウグイスは頻繁に鳴くのだとか。

「そうか。なら、このウグイスは妻子を守るために鳴いているんだな」

 小さいのに立派なものだ。

 子どもを守る、妻を守るとはどういうことなのだろうか。ぼんやりと考えてみる。

 自分は幼い頃に母を亡くした。それ故に母親の記憶はあまりない。父は仕事をするために、幼い自分を祖父母に預けた。今でも連絡は取るが、自分が中学を上がる頃くらいには新しい家庭を持ち、祖父母の元に残った自分とは必然的に、距離が開いた。だから、自分にとって、親というのは祖父母だと思う。

 スマホから視線を外し、うっすらと首筋に流れる汗を感じながら、ベッドを出る。リビングで輝いているエアコンを一瞬見つめ、首を振って無理やり視線を逸らす。

「流石に、まだ早いよな。贅沢だよな」

 自分に言い聞かせるようにぼそりと呟いて、押し入れへと直行する。手前にあるものをいくつか押しのけて、透明なゴミ袋に入れられたあいつを取り出す。

「よし、しばらくはお前が相棒だ」

 そう言いながら、ゴミ袋を取り外す。現れたのは、時代遅れの型の扇風機。先日、祖父母の家を整理した時に引き取ったものだ。扇風機の枠を外し、除菌シートで大まかに埃をとっていく。

「まだ動くよな?」

 祖父の顔を思い浮かべながら、ふっと笑みを漏らし、黙々と扇風機を拭き続けた。これは、幼い日の自分が、わがままを言って、祖父に買わせてしまったものだ。

 祖父母の家はかなりの田舎だった。家のすぐ傍に小さな川が流れ、隣の家までも数分は歩く。周りは山々に囲まれ、家からすぐに裏山に入れた。大きな木がそこら中にたっていて、緑、みどり、ミドリ。視界いっぱいに緑色が広がる、涼しい風の吹く所だった。

 バス停までおよそ40分。さらにバスに乗って通う学校の周りはちゃんとコンクリートで、隣の家というのは、本当に真横に存在した。初めて友達の家へと遊びに行ったとき、これを隣というんだと、幼心に驚いた。友達の家には、ゲームや漫画といった素晴らしいものが沢山存在して、代わる代わる、何人もの友達の家に、度々お邪魔したものだ。

「えっ、お前ん家、エアコンないの?」

 いつの日だったか、友達たちに言われたこの一言を今でも覚えている。そう、祖父母の家にはエアコンなんてなかった。今の時代、年々気温も上がり、エアコンなしの生活は厳しいかもしれない。だが、20年以上前の、かなりの田舎。山々に囲まれ、近くに川まで流れていると来たら、エアコンがなくても十分に涼しい。涼しかったんだ。

 

「もう来年は中学じゃ! エアコンがないと、俺だけ勉強に集中できん!」

 それなのに、自分は祖父にわがままを言って困らせた。ゲームだって、漫画だってほしいとは決して言わなかったのに、何故あれほどまでにエアコンに執着したのかは、分からない。エアコンがあるのは当たり前という事実が、自分だけ世間から外れているように感じて焦ったのかもしれない。もしくは、皆にいる親は手に入らなくとも、エアコンならば、買えば手に入るとでも思ってしまっていたのかもしれない。

 もし、祖父母が自分を引き取らずに生活していたならば、裕福とはいかなくとも、十分に余裕のある老後を過ごしていたことだろう。

 祖母は決して、自分の新しい洋服や物を買わなかった。いつからかは分からない。祖父はまず、たばこをやめた。お酒を飲む回数が減った。そして、自分がエアコンが欲しいといったあの日から、たまに飲むお酒さえ、やめてしまった。

 働き始めた今ならわかる。

 お金を稼ぐということが、どういうことなのか。
 育ち盛りの男の子を養うということが、どれほど大変なのか。

「悪いな、これで勘弁してくれな。エアコンやないけど、お前専用じゃ」

 それからしばらくして、祖父が買ってきてくれたのが、この扇風機。当時では最新型のモデルだった。扇風機自体はリビングに一台はあったというのに、エアコンの代わりにもう一台と、ものすごく申し訳なさそうな顔をして、渡されたのだ。

「エアコンじゃないと、嫌じゃ!」

 それなのに、自分はそう言ってしまったのだ。今、過去に遡れるのなら、当時の自分を殴っているだろう。そんな自分を祖父も祖母も一切怒りはせず、ごめんな、と言うだけだった。

 あれから、それなりに勉強して、東京という地名の入る一流大学とまではいかないけれど、それなりの公立大学に入って、家庭を何とかもてるくらいの給金のそれなりの会社に就職した。

 悪くはないけれど、決して、エリートコースではないと思う。それでも、祖父母は最後まで、言い続けてくれた。「自慢の孫や。お前と暮らせて儂らは幸せじゃ」と。

 

 扇風機のスイッチを入れる。自分と同じように、それなりに涼しい風が暑さを紛らわせてくれる。

 すると、タイミングよく、玄関が開く。

「ただいまー」

 身重の妻が帰って来た。

「マタニティヨガ、どうだった?」
「すっごく楽しかった。胎動もすごくて! この子、運動好きなのかも」
「そうか! 将来はスポーツ少年だな!」
「まだ性別は確定じゃないから分からないわよ。っていうか、あつっ! エアコンつけようよ」

 そう言われ、躊躇うことなく、エアコンのスイッチを入れる。

「お前も涼しいよ。……けど、エアコンには敵わんよな」

 そして、そっと扇風機のスイッチを切った。

「え? 何て?」
「いや、何でもない」

 自分には我慢というのは難しいようだ。

 ウグイスは鳴いて子を守る。祖父は我慢をして、自分を守った。なら、自分はどうやって子を守るのだろう。

「すぐにお昼作るからー」
「あっ、俺が作るから座ってて」

 何度考えても、答えはでない。でも、思いつくできる限りのことをしようと思う。

 

Fin

 

 

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