竜の宝石–Kaine no namida–後編①
―芸術サロン当日―
テレシオがその国の宮廷楽師として登場してすぐ、各国の参加者がざわつき、視線がテレシオではなく、カイネへと集中していた。
カイネに視線を向けないのは、アヴァロンとムーの王だけ。アヴァロンからはやはりネロは欠席で、王がひとりで参加しているようで、怒りに満ちた目でテレシオを睨んでいた。
一方のムーの王は、相も変わらず悍ましいほどの氣と圧を放ち、主催国の王を睨みながら、叫ぶのである。
「興ざめだ! 帰る!!」
「おやおや、そういえば、そうでしたなぁ。我が国の新しい宮廷楽師は、ムーの姫のお気に入りでしたなぁ」
この場にいるカイネだけが、式典前後の記憶がなく、あのトキのダンスのためにテレシオがわざわざ演奏したことを覚えてはいない。ただ事実として聞かされただけだ。
けれどだからこそ、カイネとネロの婚姻に戦争をチラつかせて真っ先に反対しているこの国が、二人の婚約のお祝いの歌を歌ったテレシオを起用することが、どれほどに残酷で侮辱的なことであるのかを分からない者など、この場にはいなかった。
ムーの王が立ち上がると、主催国の宰相がさらに言うのだ。
「おやおや、ムーの王は帰られるのですか? 芸術に国なんて関係ないはず。芸術を通し、この鑑賞会のあと平和について話し合うのではなかったのですか? ムーは平和条約に反対の意あり、ということですかな」
今度は皆の視線が一斉にムーの王に集まっていく。国のことを思えば、席を立ってはいけない。けれど、大切な姫のことを想えば、テレシオがこの場で歌うことを黙認するのもまた、王の評判と権威を下げることになるだろう。
「……ほう、そのように見えるか?」
けれど、ムーの王が引き下がることはなかった。王は決して再び着席しようとはせず、扉の方へと向け、歩き始めたのだ。周りの国々の不安げな視線と、訝しげに王の背を見る視線とが、交差する。ただただ、いつ声が漏れてもおかしくないくらいに、宰相だけがニマニマと嬉しそうな笑みと視線をその背に送っていた。
「お待ちください」
すると、今度はカイネが立ち上がり、ムーの王の方へとドレスの裾をあまり揺らすことなく、優雅に。けれども急ぎ足で王を追いかけるのだ。そのままに二人ともが退席するのかとその場にいる全員が思ったその時、カイネは王の斜め前へと出たかと思うと、それはそれは美しく王に向かって一礼し、よく通った声を響かせるのだ。
「どうか、怒りをお沈めください。まだ我が国が主催の芸術サロンの時のことを怒っておられるのですか?」
去ろうとしていた王がピタリと動きを止めたのがわかった。するとカイネは、次に皆の方へと向き直り、フワリと優雅に笑むのだ。誰もが見惚れてしまうほどに美しいのに、どこか可愛らしさも残る、そんな笑顔で。
「皆さま、申し訳ありません。ムーと言えば踊りが有名でありましょう? ですが王が主催の芸術サロンの時、私、どうしてもテレシオ様の歌を皆さまに聴いていただきたくて、約束を破って踊らなかったのです。私の出番の折、踊らぬ代わりに、テレシオ様に歌っていただいたのです。ふふっ。きっと、王はテレシオ様の歌に妬いておられるのです」
「…………」
王がようやくに首を動かしたのがその後ろ姿からもわかり、カイネへと視線を送っているのが分かった。王がカイネの方を向いたからだろう、カイネは今度はとびきりに可愛らしい笑みを浮かべながら王の手を握ると、まるで子どもがねだるように、その手を席の方へと促すように引くのだ。
「どうか、機嫌を直してくださいな。もう私も幼くはありません。今日はちゃんと、テレシオ様の歌を聴いても、私の番が来ましたら踊りますわ。だからぜひ、テレシオ様の歌を聴かせてください」
王も本当は国のことを思うと帰ることなどできなかったはずだ。周囲に向けての悍ましいほどの氣と圧こそ引っ込めなかったが、カイネの言葉と行動を黙って聞き入れ、王は無言で戻ると、再び着席するのである。
すると、その後を黙ってついて戻ってきたカイネが、着席する前に、周りに向けてそれはそれは美しく一礼し、子どものように愛らしい表情で、けれどももう、女性として抑えきることのできない、艶っぽさの滲み出る微笑みを浮かべるのである。
「酷いですよね? 王ったらいつまでも、私のことを子ども扱いなさるんですから。お時間を取らせてしまい、申し訳ありません」
その言い方までもが可愛らしくて、皆がほっとしたような息をつき、完全に場が和む。けれど、突然にカイネはくいっと顔をあげ、今度は凛とした強い笑みで、芯のある透き通った瞳でまっすぐに、主催国の王を見ながら、明らかに声色を変えて、言ってのけるのだ。
「私も年頃ですのに、困ったものです。もう子どもではありませんので、ちゃんとして良いことと悪いことの善し悪しが分かるくらいには成長しております」
流れ的にこれはムーの王に向けた言葉であるのに、本当はそうではないことが誰の目にも分かって、その場にいた全員が息を飲む。静かに微笑むのはアヴァロンの王だけで、ムーの王は目を瞑り黙ってそれを聞いている。そしてこのカイネの言葉に反論すれば、それこそ、自分はして良いことと悪いことが分からない子どもだと自ら主張するようなものだから、これはそのまま、ムーの王と姫のじゃれ合いの一環として、場がまとまるのだろう。
「よい。今日はしかと踊れ。そして、いくつになろうと、お前は私の子どもなのだ。ずっと、守るべき、な」
ムーの王も悍ましい程の氣と圧を引っ込めたかと思えば、身の毛もよだつような底の見えない恐ろしい魔力の一旦をその身体に揺らめかせて主催国の王を一睨みしていた。
テレシオはあまりもの恐怖で背筋が凍り、喉がぎゅっと絞まるような感覚を覚える。けれども、今からテレシオは歌うのだ。恐怖に飲まれて、ムーの芸術サロンの時のように碌に歌えないなどという失態をおかす訳にはいかなかった。破裂しそうな心臓に、絞まりそうな喉に何度も何度も脳から伝令を出し続け、プロとしての心構えを保ち続けた。
ああ、これが本当に王族の集う空間で、カイネはその中で咲き誇る花であり、ムー国というのは花が咲き続けるだけのことがある大国なんだ。
このピリついた空気の終わりを告げるのもまたカイネで、カイネはムーの王の言葉に合わせて、ドレスの裾をつまみ、深く、綺麗に一礼する。そして、そのまま前を向き、今度は軽く、わざわざアヴァロンの王に向けて、礼をしたのだ。
これがずっと沈黙を貫いたカイネの意志だと分かり、そしてそのあまりもの美しさと気高さに、皆がやはり息をのむしかできないのである。
彼女は愛をもって場の空気を和ませ、そして、愛をもって自分の心を真っすぐに貫くのだ。決して、何人にも自分の王のことも、ムー国もアヴァロン国も、この場にいない婚約者のことも、自分自身のことも、汚すことなど許さないとでも、言うように。
だからこそ、テレシオもこの場で絶対に歌うと、心に誓っていた。このようなカイネの意志を受け取ったからには、尚のこと。
すると、わざとらしい咳払いが響いたかと思うと、宰相がテレシオに向かって、半ば金切り声にも近い形で、叫ぶのだ。
「テレシオ! さっさと歌え!!」
別に、言われなくたって歌うさ。これが仕事なんだからね。
テレシオは手に持っていたハープを置くと、演者席からすくっと立ちあがった。誰もが演奏前の挨拶をすると思っていたに違いない。
けれども、テレシオがその席から一歩、二歩と離れたくらいから、ひそひそとした声が漏れながらも、やはり、今から披露するのがムー国の姫のお気に入りだった楽師のテレシオだからだろう、誰も制することなく、成り行きを見守っているようだった。
テレシオは歩いている間中、無言を貫いた。テレシオがその歩を進めるにつれ、ひそひそとした声はより一層大きくなり、視線は好奇と同情とが混じりに交っていたが、努めて気にしないようにしていた。
「…………」
「…………」
何故ならテレシオが気にするのは、この場で一番に気高く美しい姫の機嫌だけなのだから。
真っすぐに一定のスピードを保って歩き続けたテレシオは、カイネの目の前にまで辿り着いていた。テレシオが前へと出た瞬間から、カイネとはずっと、目があっていた。
辿り着くまでの一歩一歩を着実に、丁寧に。そして決して怪しまれぬよう、テレシオはカイネから視線を逸らしはしなかった。
丸腰であることが分かるよう、あえてハープも持たず、武器を仕込めばすぐさま分かるようなぴっちりとした衣装を選んできたのだ。
テレシオはカイネの前に跪くと、右拳を左手で包み、頭上に持ってきて、顔を下げる。
そして、ミューク国で一番に重い意味をもつ礼を保ちながら、ゆっくりと、その場にいる全員に一言一句、漏れることなく聞こえるように、歌を歌う時のように、声を張り上げて、テレシオは宣言するのだ。
「テレシオ=ラ=ルーレ。現在はこちらのカンナブリア国の宮廷楽師を命じられております。音楽に国は関係ないため、多額の給金を頂戴したので仕事として、今回は参加しています。ですが、テレシオとして、カイネ様に忠誠を誓い、カイネ様のために心を込めて歌います。……それが、テレシオとして一番に良い演奏ができ、この場にいる方により良い音楽が届けられると信じているからです。この忠誠と私の音楽はカイネ様がおられる限り、ずっとずっと、カイネ様のためだけに続くでしょう。それが結果として、多くの者に自分の音楽を最高の形で届けることになるからです。どうか今日も、これからも。カイネ様のために歌うことをお許しください」
to be continued……

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秘密の地下鉄時刻表―世界の子どもシリーズ―更新日
第1・第3土曜日
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