世界の子どもシリーズNo.25_過去編~その手に触れられなくてもepisode17~
空間の中はシンと静まり返っているのに、凄まじい氣と魔力がひしめき合っていた。まるで電磁波でも浴びているかのごとく、カイネは肌にどこかピリピリとした柔い痛みを感じていた。魔鏡から漏れ出るムーの王の怒りのそれと、ルーマー王の挑発的なそれが激しくぶつかり合っていたのだ。
『何が望みだ』
ムーの王の声は落ち着いた冷静なものであるのに、これまでに聞いたこともないくらいに低く、凄みのある怒りに満ちたものであった。実の娘であってもあまりもの恐ろしさに身震いしてしまうくらいに。
けれど、カイネにはこの恐ろしさが必要であったのだ。王の怒りは戦争を止めようとするものであり、さらにはやはり、王は王である前にカイネの父なのだ。この父の怒りというものが、カイネの意志と正気を保たせていた。
どちらかの王が一言声をあげれば、宇宙三大国と呼ばれるムーとマルアニアの軍が動き、アヴァロンへと宣戦布告の矢が放たれる恐れがある。そんなことが起これば、国の破滅どころか、宇宙規模でどんなことが起こるか分からない。
その運命の行方を、その決断を、握りたくなどないのに、拒否権なくカイネはひとり握らされているのだ。
恐怖で終始、鏡を握るその手は震え続けていた。
それでも鏡を落とさずにいたのは、ひとえに鏡越しでも感じる父の魔力のおかげだろう。たとえそれが怒りに満ちたものでも、カイネにとって父は心から信頼できるのだ。ただただ反射的に父の魔力に反応し、必死に鏡を握ることで鏡を割らずに済んでいるのである。
ここでもしカイネが鏡を落とし割りでもすれば、それこそ交渉もできずに全ての運命が動いてしまうのだ。
けれど、背後から感じるルーマー王の魔力というのも、これまでとは比べ物にならないくらいに恐ろしく、一瞬でも気を緩めれば命はないと感じていた。そちらもまた、本能的に頭をフル回転させねば死が訪れると判断させ、それこそ必死に鏡を握らせる所以ともなった。
カイネはあまりもの圧にこの場に立っているだけで、鏡を握るだけで精一杯だというのに、流石は三大国と呼ばれる国の王たち。父でもあるムーの王はこれほどの怒りを魔力に込めながらも、冷静さを欠いていなければ、ルーマー王も臆することなく、むしろ笑みを浮かべながら交渉を続けるのだ。
「私の望みはムーの姫との婚姻」
「……っつ」
『…………』
その言葉が耳に入った瞬間、カイネは目を瞑った。心から嫌だと思うと同時に、結局のところ、カイネがマルアニアに嫁いだところで最終的な平和という意味でも何の解決にもならなければ、この状況では相手の要求を拒否することもできないのだ。
最悪の事態を想定しながらも、カイネは小さく息を吸い込み、父の判断を待つことにした。
「か、それと同等の情報を」
けれど、父よりも先に口を開くのもまたルーマー王で、それはカイネにとっても王にとっても、思いがけない言葉であったのである。
カイネは瞑っていた目を開くと、反射的にルーマー王を振り返った。すると、いつの間にかあの嫌に自信ありげな笑みは消え失せ、全くもって真剣な表情の一人の王がいたのだ。気が付けば鏡から漏れ出るムーの王の圧も、怒りというよりは真剣な王のそれへと変わっていた。
『……情報を求める?』
「こちらの姫は……特別な、星詠みができるのでは?」
「なんで……」
ただ再び続くのも、全くもって予想外の内容なのである。カイネの弱々しい呟きは、まるで空間に吸収されるかのごとく、王の荒々しい声に書き消されていく。
『ならぬ!!』
カイネが星を詠めることは、公にしてはいなかった。
ムーでも知っているのは王とカイネ直属の付き人たちくらい、アヴァロンでもカイネの星詠み指導に関わったハミル家を中心とした一部の王城に勤める魔法族くらいだった。
一体、どうやってルーマー王はそれを知ったというのか。
答えが出ぬまま、どう応えたらいいかも分からぬまま、ぽかんと開いてしまった口。けれど、それもさせぬくらいに間髪入れず、ルーマー王の冷酷な声が続くのだ。
「では二本目の矢を」
「……っやめて!」
やはりルーマー王は躊躇うことなく、その二本の指が擦れれば、その矢が放たれれば宇宙中が火の海となるのを承知で、指を鳴らそうとするのだ。カイネの瞳にその指が動かされるのが、ひどくゆっくりと映し出された。カイネは手に握っていた魔鏡を覗きこむのをやめ、繋いだままに、王の判断ではなくもはや自分の判断で叫び続けた。
「やめてっ! 詠む! 詠むから、やめてっ!」
『カイネ、やめよ!』
「……いいだろう。まだ二本目の矢は放たないし、ムーとは交渉中ということにしよう」
『カイネっ!』
「……分かっています。この宇宙に生ける者として、詠んではいけないことは詠まないと、この命に誓ってお約束します。……婚約も……ムーの姫としてはまだどことも成立していない状況だと、理解しています」
気が付けば、十分にカイネがその目で存在を認識できる距離に、五人の獣人たちがカイネを囲むように立っていた。カイネの背後にはルーマー王、四方八方をルーマー王付きの獣族の護衛たちが。カイネの手には魔鏡が握られ、その鏡の向こうで緊迫した表情の王が、カイネを見つめていた。それぞれの者が、それぞれの想いで、カイネに視線を集中させていく。
カイネは黙ったまま、頭につけていた髪留めを外す。変装の意味も兼ねての髪型であったが、もうそれどころではなかった。髪色は黒のままだが、髪留めを外した今、カイネの髪の長さはいつも通り、腰元まで達していた。カイネがしゃがみこむと、長い髪が今は緊急事態だというのに、まるで普段と同じように揺れ動いた。
カイネは黄金の髪留めを躊躇うことなく地面へと置く。そして、それをスタンド代わりに、手鏡を立てかけ、固定するのだ。星詠みをしやすくするために。無論、鏡はムーへと繋いだままである。
立てかけた鏡からその手から離す瞬間に、鏡越しの王と目があった。けれど、それは王としての瞳ではなく、父としてのそれ。
ムーの王は決して公私混同して王命を出したりはしない。けれど必ず、王でありながら父であることを捨てもしない人であった。その姿はカイネに王としても父としても敬愛をもたせた。それと同時に、純粋に、姫としても娘としても、その深い愛を感じることができていたのだ。
だからこそ、どれほどに辛いことがあろうとも姫として日々生き、決してカイネとして生きることを諦めずにいられたのである。その両方がなければ、カイネはカイネではなく、また、姫としてもあり続けられなかっただろう。
二人の王の圧と、戦争を起こしかねない先の見えない交渉の決断に、カイネは震えあがるくらいには、まだ子どもだ。
けれども、どれほどに恐ろしくとも、震えあがろうとも、自分の運命を放棄しない程度には大人へと成長してきている。
カイネはただカイネとして、鏡越しの父に小さな笑みを漏らした。
あのね、私……大丈夫ではないし、だけどそれでも動けるくらいには、大丈夫だよ。
カイネは鏡から手を離すと、迷うことなく立ち上がった。そして堂々と、ルーマー王に向き合った上で、問うのだ。凛と、背筋を伸ばし、決して声など震わせずに。
「何を詠んでほしいの? それによるわ。……アヴァロンとムーが兵をあげてでも守るべき運命であれば、この命に代えても星は詠まない」
ルーマー王がカイネに合わせて改めて姿勢を正し、じっとこちらの瞳を見据えながら、先ほどまでのやり取りが嘘であるかのごとく、とても柔く、穏やかな聞き取りやすい声で言うのだ。
「海だ。……波について。サンムーン内で、新しい土地を探している。どんな荒波でも耐えられる土地を……。それを、詠んでほしい」
「……どういうこと?」
「……そのままだ。獣族は水に弱い者が多い。魔法が使えぬ者も、水に強いとは言えないだろう。サンムーンの拠点内でも安住の地が見つかれば、全ての星々で再び平等となる条件が見つかる」
「…………」
『カイネ、やめよ……! 海だぞ? 大規模な星詠みは身体に負担がかかるっ!』
ああ、何が正しくて、何が間違いで、どれが運命で、どの未来を生く?
カイネは小さく息を飲み、肺に空気を溜めていく。
ずっと、凄まじい圧を感じていたからこそ、今のルーマー王が突然ここまで穏やかに魔力を引っ込めたのが気がかりだった。さらには、全ての星々で再び平等となる条件が見つかる、と言ったのだ。
……星を詠む意味はある。星に問うても、星々はサンムーンの海について詠むことを、拒みはしていない。……ならば最後、情報を伝えるかどうかの私の判断になるわね。
カイネは目を瞑り、肺に溜め込んだ息をゆっくりと吐き出していく。そうして最後の一息を吐き終わったところで、目を開き、心を決めるのだ。
星を、詠む。
「いいわ、星を詠みましょう。でも、それだけではダメ。約束を違えられては困る。まずは……」
「もちろんだ」
そういうや否や、ルーマー王は指を鳴らすのではなく、魔鏡に向かってその手を払うようにして、軍にひとつの指示を出したのだ。
すると、彼らは一斉に武器を地面へと置いていくのだ。何千、何万といるというのに、誰一人躊躇うことなく、そっと、物音ひとつ立てずに。
「それだけでは……」
カイネの頭の中で、ルーマー王の『条約にサインして、それをすぐに破棄することだってできる』という言葉が幾度となくフラッシュバックするのだ。
どうする?
また約束を違えられたら。星を詠んでからでは、魔力を消耗し過ぎて逃げる機を失うかもしれない。
きっと全てを疑ってかからなければ、王など、上に立つなどできないのかも……。
ただ、カイネの頭には心を熱くさせる言葉も、幾度となく繰り返されていた。
『カイネ王女、私と結婚してくださいませんか』
『ならぬっ!』
恋人がどれほどの圧にも屈さずに紡ぎ出してくれた言葉と貫いた愛は、王でありながら決して父であることも捨てない父の怒りと愛は、純粋に、王であろうが上に立つものであろうが、信じてもいい人がいるというのを思い起こさせてくれるのだ。
全てを、全てを疑い出すと……もう何もできない。怯えが生じてしまう。それでは星を詠んでも、姫として真っ当な交渉ができない。
恐れるな。
震えるな。
疑って怯えるのではなく、決して約束を違えさせないくらいの、自分であれ。
相手に隙を与えるな。
「いえ、いいわ、信じましょう。星を詠んだらまずはアヴァロンへは矢を放たないと……約束しなさい」
怒りでも怯えでもない魔力を放ちながら、カイネはルーマー王の瞳のその奥を、じっと、見据えた。
すると、ルーマー王は微かに目を見開き、すぐさま魔鏡に向かって手を二度ほど振り落としたのだ。鏡の向こうで、獣軍がその身に纏っていた鎧までもを黙って脱ぎ捨てていくのである。さらには、国旗までを下ろし、矢を持った一人がとても大きな音を立てて、アヴァロンに放とうとしていた例の矢を折ってみせたのだ。
「…………」
「カイネ王女の安全の確認がとれるまで、無論、ムーは武装を解除しなくていい。そして、カイネ王女、どうか無礼を許してほしい。私も約束を違えないと示そう」
ルーマー王は、自身の指のひとつを、氷の刃へと変形させ、それをナイフ代わりに親指を切ってみせたのだ。今は密着というよりは、人が人と話す時の適切な距離を保っているというのに、その刃を動かす動作に合わせて、冷気がカイネの肌にも伝わってくる。それほどに冷たい氷に指を変形させているというのに、切った親指から垂れる血は、カイネと同じように真っ赤であった。
「私が間違っていた。頼み事をするならば、私が先に誠意を見せるのが筋だというのに。……あなたは平和と国のために命をかけて星を詠むのだから、私も平和のために命をかけよう。……血の……契約」
水色がかった光の魔法陣がカイネとルーマー王の真下に敷かれたかと思うと、特別な皮で作られた決して破れることのないと謳われる魔法皮紙が現れたのだ。
「ルーマー・ヴィ・マルアニアの命にかけて、ムーとアヴァロンへ侵攻しないと誓う。カイネ王女自身にも、忠誠を誓う。あなたの許可なく、指一本、あなたへと触れない。あなたには決して嘘をつかない」
ルーマー王の言葉はそのまま、魔法皮紙へと刻まれていく。最後の一文字が刻み終わるのに合わせて、彼の指からその赤い血が滴り、魔法皮紙に彼の魔力が流れていくのだ。
血の契約のなされたその魔法皮紙を、ルーマー王は黙ったまま、わざわざムーの王が見守っているカイネの手鏡の前へと、置きに行く。
突然、どうしてここまで……。
カイネはそれをあえて口にはせず、ただ目を瞑り、一度ほど頷いた。
なるべく音を立てずに、肺へと息を吸い込み、それをゆっくりと吐き、呼吸を整えていく。
「……波に強い、土地ね」
『カイネ……!』
カイネはあえて鏡の方をみず、迷いのない素振りで言い切るのだ。自分自身へも言い聞かすかのように。
「……大丈夫。先に約束を破ってはいけない」
『……っつ』
カイネはドレスを摘まみ、右足を斜め後ろに大きく下げると、ルーマー王の瞳をしっかりとみつめてから、恭しくお辞儀をする。それはムーの姫として、正式に依頼を受けて星を詠むということを意味していた。
「私も命にかけて、平和のため、国のために星を詠みましょう」
「頼む」
ルーマー王の声は、とても力強かった。けれどそれは決して高圧的なものでもなければ、恐怖による支配でもなく、本当に国を想って頼む一人の王のもの。
恐らく、最初からルーマー王はカイネの星詠みが目的であったのだ。
きっと、この星詠みには何か事情がある。
カイネは星を詠むため、祈るように手を組み、その場に座り込む。
静かな空間の中で、カイネが息を吸う音だけが、とてもよく響いた。
星を詠む。
何の為に?
きっと、それが今の私の運命だから。
その先の未来は、星を詠んでから、また自分で決めればいい。
to be continued……

🐚次話更新について🐉
GWというすばらしい連休があるので🎏その付近で先読みを整えたいと思います!先読み刊行しているとある種ストックができるのでものすごくライフバランスを取りやすくなります。ですが1、2話であれば比較的すぐに書けるものの、一気に5話分用意するのがきついです。よく、虫食いのように1話目2話目できてるけど3話目かけずに4話目と5話目ができてるよ。8割出来てるけど、結局真ん中が出来てないから全部出来てないよ。困ったよ。みたいな感じになります。劇的なストーリー部分より緩やかなシーンの続く繋ぎが一番に難しく感じます😢
※HPは毎週土曜日、朝10時更新中🐚🌼🤖
世界の子どもシリーズ更新日
第1・第3土曜日
先読みは秘密の地下鉄時刻表より🚇