かぼちゃを動かして!⑰―フィフィの物語―
フィフィが納屋から出ると、エプリアとディグダがフィフィが手にしているものを呆然と見つめて、声を揃えて呟く。
「「箒?」」
フィフィは今からあれほどまでに怖がっていた八色蜘蛛の洞窟へと再び向かうというのに、色々あったものの、結局のところ交渉が上手くいったのが嬉しくて。何より、恰好だけはすっかりと魔女になりきれたのが、心をワクワクとさせて。
賢い人と意地悪な植物の妖精に見守られながら、笑顔で森の方に繋がる道へと大きな一歩を踏み出す。
フィフィの歩幅に合わせて、魔女帽子が小さくコトンと揺れ動き、顔半分を覆うレースが風になびく。
さらに次の一歩を踏み出すと、今度は手に持つ箒の固い毛先がシャリッと擦れたような音を立て、たくさんの道具の詰まったポシェットが元気よく跳ねた。
森の入り口付近には、ヤモリの罠に、花の蜜でしょ?
鞄の中にはちゃんと小瓶が4つに、採取用のハサミがひとつ。
レースのハンカチとマントは装備済み。
黒い眼鏡と洗濯バサミはポケットから鞄へと。
それから、大事な箒と魔女の帽子を忘れずにね。
うんうん、完璧。
改めて頭の中でたくさんを確認し、フィフィは上機嫌で呟く。
「へへっ。これがね、絶対に必要なの♪」
足取りも軽やかで、歩くというよりはまるでスキップのよう。
そんなフィフィを見つめながら、エプリアとディグダが口を開くも、何かを思い出したように固まり、声を発さずにまた口を閉じた。
「…………何?」
「「あー、うん、いいと思う」」
再びエプリアとディグダの声が被さって、二人は互いに顔を見合う。その様子をみて、フィフィは確信する。
絶対に、何か言葉を飲み込んだな、と。
「言っておくけど、別に箒は飾りじゃないわ」
「マジで?」
「あー、そっか、流石にそうだよね」
誤魔化すような二人の乾いた笑い声に、フィフィはじろりと視線だけで返事をして、そのままずんずんと進み、森へと続く道を進んでいく。
そんなフィフィの動きに合わせて、顔の位置、左右真横に飛んでいるのはフリーとサディ。
フィフィはひとりで素材は採りにいくけれど、今回はフリーとサディも一緒なのだ。それはまるで女の子だけで向かう冒険のよう。その感覚も相まって、フィフィはさらに嬉しくなると同時に、やっぱり洞窟まで向かうのが一人でないことは心強かった。
そんなフィフィたちの後ろをついてくるのもまたエプリアとディグダで、森へと続く道を数メートル進んだところで、ディグダがわざわざフィフィの顔の真ん前まで飛んできて、言う。
「おい、何でお前たちまで森について行くんだよ」
「え?」
フリーとサディと一緒に行くことが今のフィフィの中では当たり前になっていて、一瞬、ディグダが何を言っているのかの意味の理解が追い付かなかった。
すると、ポカンと立ち止まるフィフィとディグダとの間に、フリーが割って入ってくる。フワリとそのブロンドのツインテールと花びらのようなワンピースが揺れて、至近距離だからだと思う、レースのハンカチ越しでも花のように甘い香りがした。
けれど、それはフィフィが嗅ぎなれているラベンダーのような薬草や染色などに使うものでも、先ほど木に塗ってきた蜜のように甘ったるいものでもなくて、どこか可愛らしさに大人っぽさも混じる、甘く、けれど主張し過ぎないどこか控えめなもの。
「ちょっと、いい加減にして。いくら試験だろうが、何だろうが、絶対にフィフィを一人で森になんて行かせない。女の子を一人で森に行かせるなんて、ありえないわ!!」
フィフィからフリーの表情は見えないけれど、その声や堂々とディグダに対峙する後ろ姿は真剣そのもので、どこか怒っているようにも感じられて、嬉しさと戸惑いの両方の感情が湧き上がってくる。
ただ、ここで喧嘩をしていても意味がない。きっとディグダは魔女になるなら女だろうが男だろうが一緒だからひとりで採ってこいと言うに違いないのだ。時間もないし、フリーがそう言ってくれるのは嬉しいけれど大丈夫だと申し出ようとしたそのとき、さも当然のように、ディグダが大声で言うのだ。
「当たり前だ! そんな危ないこと、させる訳ないだろう!?」
「え?」
思わず小さくもれ出たフィフィの声をかき消すように、フリーの声が続く。
「だったら、私とサディでついて行くわ。魔法を使わないことが条件でしょう? ディグダがついて行ったら、フィフィに何かあればフィフィが自分で切り抜けられることでもすぐに魔法を使ってしまうにきまってる。この意味……ディグダが自分で一番分かるでしょ?」
「なっ、そりゃ危なくなったら使うけど、ギリギリまで使わない!」
「そのギリギリまでの我慢がディグダにはできないって言ってるの! ……私もサディも、フィフィが怪我をしそうになったらすぐに魔法を使ってでも助ける。危ない目にだって合わせない。だけど、フィフィにとって大切な試験がかかってるんだから、本当のギリギリまで信じて魔法では手出ししないわ」
「なっ、俺だってわざとギリギリの基準を緩めて、妨害目的で魔法を使ったりなんてしないぞ! 信じてないとか、そんなんじゃない」
フリーが話にならないとでもいうように、緩く首を振って、またフィフィの顔左側へと飛んでくる。
「もういいわ。そういう意味じゃないし、ディグダだって自分自身が一番に意味を分かってるはずよ。それじゃあ、私たち三人で行くから。さ、フィフィ、サディ、行きましょ」
「う、うん」
ためらいがちにフィフィは頷き、そのままディグダにチラリと視線を移す。けれど、フリーはディグダのことを無視して、進みだすのだ。それに合わせて、サディもこれが当然だというように続くので、フィフィも、固まるディグダから視線を戻し、歩こうと一歩を踏み出す。
すると、止まっていたディグダが突然にフィフィの顔面に向かって飛び始め、あまりにも速いスピードで向かってくるものだから、思わず足を止めて、ぎゅっと目を瞑る。
えっ、ぶつかるっ!
けれど、身構えると同時に頭上に重みを感じ、魔女帽子がコトンと大きく揺れて、視界が暗くなる。
どうやらディグダがフィフィの頭の上、魔女帽子のてっぺんに腰かけているようで、表情こそみえないものの、ディグダもまた、開き直ったように、またも当たり前だろう、とでもいうような口っぷりで、今度は言い切るのである。
「だから、三人で行っても結局みんな女の子だろうが。……お前たちは一緒に行かせる気はなかったんだけど、いい。二人も危険な時は魔法で助けるんだな? なら、何かあっても俺はフィフィには最後に魔法使うって約束する。あと、自分たちの身を守るのに二人はどれだけ魔法を使ってくれても構わないから、今日は俺ひとりだし、なるべく自分の身は自分で守ってくれ。それでいいだろ? ほら、行くぞ!」
「…………」
もうフリーの声はしなくなり、数秒の沈黙の後に、フィフィの頭の上が軽くなる。それに合わせてズレた帽子を被り直すと、ディグダはすでにフィフィの少し後ろへと回っていた。
その方向をみながら、サディがつんとした表情で、言う。
「何がお前たちは一緒に行かせる気はなかった、よ。別にフィフィがコウモリの巣を採りにいったときだって、みんなで後ろからついて行ってたじゃない。何が今日は俺ひとりだし、よ。別に女の子だって弱くないし」
「え!? あの時、みんないたの!?」
「なっ、バラすなよ!」
何やらディグダの慌てた声が聞こえたような気もしたけれど、そんなことよりも、みんながついてきていたことに驚き、フィフィは真相を知りたくてサディの瞳をじっとみつめる。
すると、続くのはフリーの声で、その声はとっても柔らかなもの。
「そうよ? 当たり前じゃない! 女の子が一人で森に行くなんて危ないわ」
「え、でも……」
フィフィが思い浮かべるのはもちろん、ミス・マリアンヌ。いつもふらっと森の中に消えては、魔女の薬に必要な材料を抱えて、あっさりと屋敷へ戻ってくる。
ディグダだってまさに、ひとりで魔女の材料を採ってこいと条件を出しているし、魔女はみんな、ひとりで材料を集めるのが当たり前なのではないのだろうか。
すると、フィフィの心の中をまた読んだかのように、エプリアが微かに笑いながら、説明してくれる。
「お師匠様は桁外れに強いから、例外だよ。それでも、あの人だって一人で森へは入らない。……フィフィには少し、姿を見えなくしてるから分かりにくいかもしれないけど、ちゃんといつも使い魔を連れてるよ。それに自分の縄張りの森以外は他の魔女と一緒に、多分俺たちが生まれる遥か前だろうけど、……きっと誰かと一緒に……行ってたと、思う。そもそも、他の魔女だって、一人だけで森に入ったりなんてしない」
「そ、そうなの?」
フィフィの驚きに、エプリアが笑みを引っ込め、表情はほんのりと悲しげに、けれども瞳の奥底に怒りを滲ませながら、呟く。
「そっか。だから一人で森に入って行ってたんだね。……一応ね、魔女協会の掟で一人で森には入らないよう、決まりがあるんだよ。それを守らないのは、お師匠様くらいだろうね」
魔女協会、という言葉を聞き、フィフィは息を飲む。
今、まさに試験の準備をしているけれど、それを取り決め、フィフィが魔女になれるかどうかを判断するのもまた、魔女協会だから。
確かに魔法の使えないフィフィは、魔女見習いの集まりに、一度もまともに参加させてもらったことが、ない。
だからだろう、掟の内容を知らなければ、その存在自体さえ、知らなかったのだ。
何となく分かっていたことを、まだ何となくにしか分からないままにフィフィはその掟の末端を知った気がして、ぼんやりと、けれどもどうしようもないので、「そうなんだ」とだけ呟き、再び前を向いて歩き出す。
けれど、フィフィの既にかなり汚れている真っ新だった黒い靴が織り成す足音とは別に、もうひとつの足音が、フィフィの背後に続く。
フィフィが振り向くより先に、やっぱり響くのは、ディグダの声。
「なんでお前までついてくるんだよ」
それで、返ってくる声もまた、やっぱりとても堂々としたもの。
「いや、俺だってフィフィを手伝うって言ったし、そもそも女の子を一人で森に行かすわけないだろう?」
「なんだよ、一応、試験に繋がるから掟とやらを気にしてるのか?」
「掟なんて関係ない。むしろ魔女の掟なんて意味がない。……まあ、そういう意味では確かに、森に一人で入らない、は魔女の掟の中でも唯一守ってもいい、一番まともな掟かもしれないけど」
それを聞いたディグダが呆れたようにため息をつき、「掟関係ないならついて来んな!」と言ってフィフィたちの方へと飛んでくる。
もう時間がないので、フィフィもそのまま進みだすと、迷いなく、エプリアの足音もまるでフィフィとセットのように、同じような音を刻んで続いていく。それが密かに嬉しくて、ほんのりと口元が緩むけれど、今はレースのハンカチがそれを隠してくれているし、何よりディグダもエプリアもフィフィの後ろにいる。だからきっと、これはバレていない。
それが数分ほど続いたところで、とうとう、その二つの足音を意地悪な妖精の声が静止させるのだ。
「だぁあああ。ややこしくすんなよ!」
しびれをきらしたディグダが、叫びながらエプリアの方へと飛んでいく。それに合わせて振り返ると、笑顔なのに、すごくすごく、意地悪な表情をしたエプリアが視界に入った。
「いや、そもそもさ。魔法を使わずに守るんだったら、この中なら俺が一番に適任だ。俺の姿なら、人間の目にも見えるしね?」
「だあああ。お前、マジでムカつく奴だな!」
けれど、それをぴしゃりとサディが遮る。
「ディグダ、煩い! ディグダだってフィフィとエプリアが八色蜘蛛の涙を採りに行ったとき、ダメって言われたのに、勝手について行って、途中でミス・マリアンヌに捕まってたでしょ! おあいこよ! あとエプリアも、ついてくるなら黙ってついてきて! 別に本当は私たちだけでだってちゃんと、フィフィのこと、守れるんだからね!」
「え?」
それを聞き、思わずまた、フィフィは足を止めてしまう。
けれど、フリーがクスクスと笑いながら、「放っておきましょ。むしろ、今のうちに先に進みましょ」と言うので、フィフィは小さく頷いて、またツンとディグダにそっぽ向くサディとフリーと共に少しペースを速めて歩き出す。後ろで騒ぐ二人を置いて。
「やっぱりな。何かついてきてる気配がしてたんだ。あれはお前だったのか」
「なっ、俺は元々契約の途中だから、見張る義務があったんだ。突然現れたお前がズルしないようにな!」
「なら今度は俺が、お前がズルしないよう見張ってやる」
主張している内容は庭で話していたときと変わらないはずなのに、背後で響く二人の声は、どちらをも意地悪にも賢くも感じさせない。
さらには確かに言い争っているはずなのに、どこか仲良くも見えてきて、フィフィはクスリと笑う。
「あの二人って意外に気が合いそうだね」
けれど、そんなフィフィにまた、目を細め、ほんのりと口角をあげ、思わずドキリとするような、魅惑的な笑みをフリーがみせる。
「どうかしら。気が合うから、揉めるのかもよ?」
「え、そうなの?」
気が合うのに、揉める。
フィフィには矛盾しているその意味が分からなくて、そして後ろの二人が、あのとき決して馬鹿にしていただけでなく、心配してくれていたことも、漠然とだけれど分かるようになって。
フィフィは確かに足を前へと進めながら、どこか頭の中で、後ろの二人のことを思い返していた。
ずっとずっと、フィフィは自分がまだ子どもだから、未熟だから付き添いがいるのだと思っていた。きっと、それも間違いではないのだろう。それでも、女の子が一人で危ない、と言ってくれた言葉がほんのりと、理由は分からないけれど、胸をくすぐるような、何かこしょばく感じさせるような、そんな心持ちにした。
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