【小説×宝石】誕生石の物語_地球への贈り物~2月アメシストの物語~後編
『ごめんなさい……私、もう動けないです。先に行ってください』
『一人では無理だ。それに別に山は逃げはしない。ゆっくりと行けばいい』
『すまないが、私は先に行く』
『私もそうしよう。全員でここに留まる方がリスクが高まる』
宝山へと登りだす時期というのは、不思議と後に十二人の弟子となった者は皆、同じ時期にございました。
その中でもアメシストは先頭集団と呼ばれるところ、ガーネットをはじめとするアクアマリンやダイヤモンド、翡翠や真珠、ルビーたちと皆で協力しながら進んでおりました。
けれども、まだ幼い少女でもあるアクアマリンは山頂まであと少しのところで、体力の限界を迎えてしまったのです。彼女はまだ成長途中であるが故に、他の者よりも食料や睡眠がどうにも必要であったことが要因のひとつと言えるでしょう。
ガーネットとダイヤモンドは決して、アクアマリンと共に行動することをやめようとはしませんでした。山へと登る前からガーネットは幼くしてひとりとなってしまったアクアマリンを大変に気にかけては可愛がっており、面倒見の良いダイヤモンドもまた、よく手を貸しておりました。
本来ならばガーネットなど、もっと早くに宝山へと登ることもできたでしょう。けれどもガーネットはアクアマリンが宝山へと登る体力がつくまで待ち、二人一緒に入山してきたのです。面倒見の良いダイヤモンドも、二人が心配であったのでしょう、宝山にはそこまで興味がなかったように見受けられましたが、ガーネットとアクアマリンと共に頂上を目指し始めたのです。
そんな彼女たちと入り口で一緒になったのが翡翠とアメシストでございました。途中で真珠やルビーが加わり、そうして、アクアマリンが休憩するまでの間、行動を共にしておいましたが、頂上を目前にして、またそれぞれ別々に進み始めることとなったのです。
あの時、アメシストは大変に悩みました。最初は残ろうとしていたのですが、どうしても、先に進んでしまった真珠やルビーが気になって仕方がなかったのです。
『私もやはり先に行くことにしよう。アメシスト、一緒にどうだい?』
『翡翠……。ああ、私もなるべく早く先を目指したい。アクアマリン……すまない』
アメシストはどうしても、一番に山を登るという望みを捨てきれなかったのでございます。けれども結果、別れてから数日後であったでしょうか。ひとり荷物の全てを置いたガーネットが、『すまない。一番に登らせてもらう』と、あっという間にアメシストたちを追い越して、登頂後すぐに推称様から頂戴した食料などを抱えてアクアマリンたちを迎えに行ったのです。
よく鍛え上げていたアメシストもまた、二番目に山頂へと到着しました。それとほぼ同時に、アクアマリンを背負ったダイヤモンドと一緒に登ってきた翡翠が、登頂したのです。
アクアマリンやダイヤモンドの荷を全て背負ったガーネットなど、二回目の登頂でありました。
宝山へと登頂できた達成感と、そこから見える絶景。幼き頃から慕っておりました推称様の弟子となることができ、さらには地球へと贈る宝を創る任を頂戴したのは、アメシストにとってそれは大きな喜びとなりました。
けれども、あの時のことが思い出される度に、アメシストの心には喜びだけでなく、同時に心が陰るような心地になるのです。
そのためにせめて宝を創ることに集中しようと、アメシストは作業場に籠っておりました。そうして、できれば、本当は心の奥底で、一番に宝を創り上げたい想いが強くあったのでございます。
けれども、それさえもあっさりとガーネットが一番に創り上げてしまいました。さらに彼女はやはり時間があればアクアマリンを気に掛ける余裕まであるのです。
もちろん、ガーネットは悪くなどありません。しかしながら、それを分かっていても、気にしまいと思えば思う程に、アメシストはそのことが気になってしまい、すると、今度はこんな思いが芽生えてくるのです。ならば一番に珍しい石を創りたい、と。
けれどもその想いに反し、珍しい石はおろか、水晶を真似て作る以外に、何も創れないのでございます。そのことはさらに、アメシストを追い詰めました。焦れば焦るほど上手くいかず、どれほどに作業場に籠ろうとも、全くに進まないのでございます。
「私は一番に登ることもできなければ、一番に創ることもできなかった。ならばせめて……一番と言えるすごい何かを……今度は創りたかったのだ……。だが翡翠、あなたの言う通りだ。種類に一番などないというのに……恥ずかしい限りだ。だから私は……石の原型となるものさえ、未だにひとり創れていないのだろう」
けれど、翡翠はどこか切なげに地球への入り口を見つめながらに、言うのでございます。
「そういう意味ではないよ。……ガーネットは結果、登頂も創り上げるのも一番であったが、彼女にとっては、アクアマリンと共に登ることが一番の目的で……石もあのタイミングで創り上げることが、彼女にとって一番に大切な理由があったのだよ。ダイヤモンドも石を一番に創り上げることでは、あの男が一番になりたいものを得られないとの判断で、あれは追及することを選んだのだ。皆、全てが綺麗な理由だけで進んでいる訳ではないと思うし、私はそれでいいと思っている。だからこそ、綺麗なものが創り上げられるのだ」
それはアメシストにはなかなかに理解しがたい言葉でありました。けれども、翡翠は決して軽蔑した目でアメシストを見ることも、馬鹿にすることもありません。
「ただね、今の私はとてもよく、アメシストの気持ちが分かるような気がするんだ。……綺麗な心の人に何かを贈りたいと思ったそのとき、その感情は私的なものであるのに、理由が綺麗でなければ贈ってはいけないような気がしてくるのは、何故だろうね」
「え?」
「……アメシスト、あなたはきっと、一番に推称様を慕い尊敬している。皆がそれは熱心に登頂を目指したし、今も必死にこの任に取り組んでいる。一番になることだけに意味がないのは、それぞれにとって、何で一番になるのかが重要だからだ。……あなたはその理由が登頂や今回の任と被っているから、よく分からなくなっていたんだと思うよ。だから、一番に拘ることから一度離れ、アメシストがどうして一番になりたいのかを思い出すと、いいと思うね。どうしても一番になりたい理由がある時、その一番を先に越されると、綺麗とは言い難い想いも芽生えることもあるだろう。……決して、それ自体は悪いことではないと思うんだ。その想いを抱えても、理不尽に相手にぶつけたりなどしていなければね」
それはアメシストの抱える黒い気持ちを代弁してくれているかのようでありました。さらに翡翠は、アメシストがどれほど創ろうとしても新しくは創れず、溜まっていく一方のただ真似ただけであった水晶のそれを、ひとつ摘み上げるのです。
「ほら、アメシストが作る水晶はとても澄んでいて綺麗だ。形も、透明度も。……みんな練習で水晶を作りはしたが、仕組みを理解するために作っただけだから、これほどに綺麗には作れてはいないよ。アメシストが一番だ」
「……弟子の中で……水晶を作るのが……私が……一番?」
翡翠は穏やかな笑みを浮かべ、頷きます。彼が摘み上げた水晶の中に、ぼんやりとではありますが、まるで鏡のようにアメシストの姿が映り込んでおりました。それほどに、アメシストの作る水晶は透明度が高く、そして、とても澄んでいるからこそ、その水晶はアメシストの髪色、紫をとてもよく映し出しました。翡翠がその水晶をアメシストへと返そうと近づければ近づけるほど、まるで水晶そのものが紫色であるかのように見えるほどに。
「アメシスト、私とあなたは……互いに似ているものを追っている。……だからこそ、友からの余計なお世話を言わせてもらうと……私はね、自分の想いを一番に反映させるというのも、いいと思うんだ。例えばその込めた想いの本当の意味が相手に伝わらないのだとしても、ね。……想うくらいは赦されてもいいと思うのだよ」
翡翠はアメシストが作った水晶をその手に握らせると、特にアメシストの返答を求めることなく、自分の作業場へと向かってしまいました。アメシストの掌の中で、本来の透明色と取り戻したその石は、ひんやりと氷のように冷たい心地を与えます。けれども決して、溶けはしませんでした。
「まるで氷みたいだ。……けれど、氷を本物に例えたとき、水晶が偽物となり、水晶を本物に例えたとき、氷が偽物となる。……似て非なるもので……似ているからこそ……」
(どちらもが連想され、どちらもの良さが分かる)
アメシストの中で、幾度となく友の声が繰り返されました。それは十分に、きっと無意識に認めまいとしていた己の心を認めさせるものでもありました。
アメシストは初めて、心からの想いを、独り言としてでも、口から零すことができたのです。
「私は……一番になりたい。……どんな、形でも……」
その日、アメシストはひとつの美しい紫なる石を創りだしました。
その宝石は地球ではアメシスト、和名を紫水晶として、広く流通し愛される石となります。
「アメシスト、おめでとう。とても綺麗な石だ……。まさか水晶に色をつけるとは。意外と言えば意外だが……何というのだろう。とても、あなたらしさも感じるのだ」
新たな石の誕生を、同じ十二人の弟子である仲間たちはそれはそれは祝ってくれました。中でも好奇心旺盛なガーネットにとって、アメシストの作り出したそれは盲点をつく斬新なものであったのでしょう。ガーネットは新たな石の誕生をとても喜んでは、褒めてくれるのです。
その祝福に、アメシストはほんのりと赤らんだ笑顔で答えました。
「……自分でも意外であった。けれど、推称様の創られた水晶が、どの石よりも一番好きだと気づいたのだ。その水晶を広く楽しんでもらうために、尊敬の意を兼ねて、水晶に色を付けさせていただくことにした」
「ああ、本当に素晴らしい。この石だけでも楽しめるし、水晶と共にも楽しめる。……そういえば、なぜ紫色だけを選んだのだ? 黄色がかったものもあるというのに」
アメシストは紫水晶を創る途中、後にシトリン、黄水晶と呼ばれるものも創っておりました。それもまた、地球で長く愛される石となりますが、彼女は自分の石として、紫のそれを推称様へと提出致しました。
まじまじと不思議そうに石を見比べるガーネットでありましたが、その横で翡翠が苦笑いし、日頃から表情を出さないダイヤモンドがほんの一瞬顔をしかめたのをアメシストは見逃しはしませんでした。自分の心を知ると共に、彼らの反応の意味が理解できるようになったからでしょう。
「ああ、石として黄色いものも地球へと贈るが、私の名は紫のものだけにつけようと思う。……その答えは……畏れ多く……口には出してはいけないんだ。だから敬意を込めて、石に想いを託したのだ。それが私の、一番であるから」
きっと、翡翠やダイヤモンドをはじめとする弟子の多くは、秘められた想いに気づいていることでしょう。大変に優秀なガーネットではございますが、彼女がその答えに気づくのはもう少し先のこととなります。
(いつも一番のガーネットよりも先に、私が到達する答えがあったとは。ダイヤモンドには悪いが、たまには私が先をゆくものがあっても良いだろう、私からあえて答えは言うまい。……そもそも、この答えの辿り着く先は、それぞれに違うのだから)
無事に石を創れたからではなく、この石を創ったからこそでしょう。この日を境に、アメシストはもう、仄暗い気持ちに支配されることがなくなったと後に語っております。
紫水晶
アメシスト
💎毎月第5土曜日(第5土曜がない月はその月の最終日)更新💎
💎Point💎
アメシストの和名は紫水晶になります。稀に天然のものもあるようですが、アメシストに加熱処理を行い褐色化させたのがシトリン(黄水晶)になります。また、ひとつの結晶の中に紫色の部分と黄色の部分がある水晶をアメトリンといいます。
