【小説×宝石】地球への贈り物_誕生石の物語~3月アクアマリンの物語~前編

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それは別邸に地球へと繋がる入り口が設けられてすぐ、推称様がとられた十二人の弟子が作業場を与えられ、宝を贈る任に取り掛かり始めた頃のことであります。
「さて、推称様から特別な計らいで別邸にも地球へと繋がる入り口を設けて頂いた。……私は作業を始める前にぜひ地球に行ってみたいと思っている。全員が行くのでは別邸が空となってしまう。順番にと思うのだが、他に行きたい者はいるかな?」
真っ先に地球へと向かうと申し出たのは、翡翠でありました。
翡翠の口ぶりは、まるで全員が地球へと行ける能力を持っているという前提のものであります。
けれども、実際のところは違う想いの者もいるようです。
「……私は……速く宝を創り上げたい。……地球へと行くのはやめておこう。だからここの管理は任せてくれたらいい。皆、安心して向かってくれ」
そして、真っ先に別邸へと残ると申し出たのは、アメシストでございました。
ただ彼女が残ると言ったのは、地球へと行きたくないのではなければ、また、行ける能力がない訳でもありません。
アメシストはその言葉通り、石を創ることに集中したいのでありましょう。
「私も残ろう。別邸は広い。アメシスト一人に管理を任せては申し訳ないし、実のところ、地球の重力というのに合わせるのが得意ではないのだ」
「そうだな、私も残ろう。地球は美しいが先に創ってからゆっくりと巡るのも悪くない」
「ふむ。何名か残る者がいるのならば、私は地球へと行こう。創る前に現地をみる方が、性分にあう」
一人、二人と別邸へと残ると言い、ある者はやはり、翡翠と共に地球へと向かうと言います。そんな中、その赤い瞳をキラキラと輝かせながら、その心は決まっているというのに、それをすぐには口にしない者がおりました。
「アクアマリン、どうする?」
それはガーネットという大変に優秀で好奇心旺盛な女性でありました。
そして、その様子をじっと黙ったままに伺うのはダイヤモンドという男性で、彼の答えも恐らくは決まっております。ガーネットの出す答えが、彼の選ぶ答えになるのでございますから。
「ガーネットさん……えっと……私は……」
ガーネットの問いにアクアマリンはすぐに応えることができずにいました。
きっと、アクアマリンが行くと言えばガーネットは一緒に行くといい、アクアマリンが残ると言えば、本当は行きたいはずであるのにガーネットも残ると言うのでしょう。
ガーネットは何も、一人で行動ができないような女性ではありません。むしろ、ひとたびダイヤモンドがうっかりと目を離すことがあれば、彼女は好奇心の向くままに、あっという間に一人で何処へでも自由に行ってしまうタイプであったといえます。
そんな彼女が好奇心のままに動かなくなったのは、アクアマリンと出会ってからでした。
ここ、天界では、おおよそ100歳を越えるあたりでしょうか、多くの者が聖人を迎えると言われています。その境が明確ではなく、おおよそ100歳と言われているのは、天界人は寿命が大変に長いため、細かい年齢の区切りがないからにございます。
大抵の場合、ひと通りの基礎的な修行が終わり、心身の成長が一定に達すると、食事や睡眠をそこまでとらずとも十分に生命活動が維持できるようになります。
もちろんその域に達したからといって、全くに食事や睡眠をとらない訳ではありません。体力の回復には食事や睡眠は即効性があり、必要に応じて、特に睡眠に関してはある程度は休憩を兼ねて摂る者が多いでしょう。ただ、食事に関しては聖人を迎えれば娯楽に近いものへと変わっていきます。
そのため食事や睡眠の摂取をせずとも動ける間隔が無理なく一週間以上空くようになれば、だいたい聖人したと認められるのであります。そして、修行を重ねれば重ねるほどに、この間隔が長くなっていくのです。鍛錬を重ねれば、年単位で食事や睡眠の間隔を空けることも可能となりましょう。
さらには、聖人というのは終わりではなく始まりでもあり、天界人はそれぞれの目標に合わせさらに身体を鍛え上げ、知識と知恵を蓄え、慈悲の心を学び、己を高めていくのであります。
宝山に登った者の多くはすっかりと聖人し、過酷な状況下でも最低一か月以上は食事と睡眠をとらずとも十分に活動できる域に達しておりました。それだけでもすごいことでございますが、それぞれに十分すぎるほどに身体を鍛え上げ、慈悲の心、知識、知恵共にすばらしいものを持っていると言えるでしょう。
ですが、推称様がとられた十二人の弟子の中で一人、聖人していない者がおりました。
それがアクアマリンにございます。
アクアマリンはまだ100歳を越えていなければ、食事や睡眠は一週間というよりは五、六日に一度は摂取した方がよい年頃でありました。
それは彼女の修行不足という訳ではなく、まだ身体が成長段階にあるからでございます。
年齢や聖人の括りで表現しないのであれば、アクアマリンは幼い少女ではないのですが、女性と呼ぶにはまだ早く、あどけなさの残る少女でした。
けれども、食事や睡眠の摂取ということを除けば、彼女は大変に優れておりました。同じ年頃の少女よりも深い慈悲の心を持ち合わせていれば、身体能力も高く、さらには他の熟練の弟子たちに負けないくらいに知恵や知識を蓄えていたのです。
周りに助けられながらではありましたが、見事に宝山を登り、推称様の弟子に選ばれたのが何よりの証拠でございましょう。
そしてアクアマリンがまだ聖人していないにも関わらずそれほどに優秀であるのは、彼女の生い立ちが影響しておりました。幼い頃に家族を亡くし一人となってしまったアクアマリンは、生き抜くために周りよりも多くを学び鍛え上げねばどうにもならなかったのでございます。
そして、そんな彼女をひどく心配し、宝山に登るよりも前から甲斐甲斐しく世話を焼いていたのがガーネットであったのです。
「……私……少し……考えます」
アクアマリンはガーネットから視線を逸らし、弱々しく答えました。
(また宝山に登ってきたときのように、途中で動けなくなったら足手まといになる)
先の話に出た通り、地球というのは天界と違い、重力の計算が厄介であります。確かに天界人と地球の人間とでは、天界人の方が寿命というものが長ければ、身体もずっと強い造りとなっております。
けれどもそれは、実際に残ると即座に選択する者がいるくらいに、聖人していようがいまいが、天界人と言えど、ある程度の適応する能力が必要であったのです。
ただ他者からみて、アクアマリンは身体能力的にも彼女の得意分野的にも、重力に関し、大変に適応能力が高い方でありました。
ガーネットが声をかけたのも、周りが彼女を引き止めもしないのも、それゆえにございます。
ですが、アクアマリンはどうにも悩む心があるようにございました。
ガーネットはもちろん、他の弟子の誰もがアクアマリンを問い詰めることはありません。
そしてやはり、次なる提案を出すのは翡翠でありました。
「確かにそうだね。急かしてしまってすまなかった。もちろん、皆が自由に地球へと行ってくれて構わないんだ。ただ、別邸を空にすることは避けたいのと……やはり重力というのは知識として知るのと体感するのは違うからね。最初はなるべく、大気圏を越えるまでは一人で行かずに皆で行く方が良いと思ったんだ。……私は明日、発とうと思う。もし地球へと思っている者は明日共に発とう」
その意見に誰も異論はございませんでした。納得と感心の交差する頷きがいくつも重なるのをアクアマリンはぼんやりと見つめていました。
(どうしよう、翡翠さんが行って……。ガーネットさんも行けば、ダイヤモンドさんも行くだろうし……アメシストさんの邪魔もしたくない。……地球に行くのは怖いし、残っても一人のようなものだから、それもそれで怖いし)
実のところ、アクアマリンは他の弟子たちと仲が悪い訳ではありませんが、積極的に関わることができない日々を過ごしておりました。
それはアクアマリンが唯一聖人していないことを悪い意味で気にしており、さらに言うと、定期的に食事や睡眠へと抜けるのを恥じる心があったからともいえます。
アクアマリンはほとんどの休憩時間をガーネットとダイヤモンドと過ごし、他に交流があるのは宝山のほとんどを共に登った翡翠とアメシストくらいでありました。
また、アクアマリンが他の者と積極的に交流をとれないのは、恐れと罪悪感も影響していたと言えるでしょう。
宝山の登頂を目指していたあのとき、アクアマリンは登頂の直前で体力の限界を迎えてしまっておりました。
それゆえに、一時期共に登っておりました真珠とルビーは呆れて先へと向かってしまったのであります。
そして、最後の最後、同じく共に登っておりました翡翠とアメシストも、先へと進む決断を致しました。
アクアマリンはもう登頂を諦めておりましたが、もう下山するよりも登りきる方が早いとのことで、ガーネットとダイヤモンドがある策をとってくれたのでございます。
それが全ての荷をおいてガーネットが一人先に登頂し、推称様から分けて頂いた食料を届けに戻るというものでありました。
ガーネットが届けてくれた食料は、アクアマリンをなんとか動けるまで回復させ、ダイヤモンドにおぶわれることで登頂を可能と致しました。
けれどもそのとき、結果として、先に向かった真珠やアメシストではなく、アクアマリンを助けるために荷を置いて登りきったガーネットが一番に登頂することとなったのでございます。
そのことを別に誰も責めたりなど致しません。
ですが、あのとき共に登っていたメンバーの誰もが、アメシストが切実に一番に登頂したい願望を持っていることを感じておりました。そのために密かに全員で頂上を目指し、一番に登る瞬間をアメシストに、とガーネットや翡翠、ルビーたち皆で決めていたのでございます。
けれども何と残酷なことでしょうか、アクアマリンが動けなくなってしまったがゆえに、それらが崩れてしまったのです。
無論、アメシストを一番に登頂させることも彼女に内緒で決めておりましたので、約束があった訳でなければ、揉めた訳でもございません。
それでもガーネットを一番に登頂させてしまったことは、結果としてガーネットにアメシストを裏切らせるようなことをさせてしまい、またアメシストにも苦い想いをさせてしまうこととなってしまったのでございます。
アクアマリンは大変に自分自身を責めておりました。
アメシストは真っすぐに優しい性格で、そのことに対し、何か不満や怒りを零すことはございません。
登頂後もアクアマリンへこれまでと変わらずに接してくれています。
他の者も同じにございます。
ただ正直なところ、アクアマリンにとって今回の宝山への登頂は完全なる達成とは言い難いことでありました。
その一方で、推称様も他の弟子たちもアクアマリンも宝山に登頂したと、認めてくれるのでございます。
(皆さんが聖人されていてお心が広いから許してくださっただけで、アメシストさんとガーネットさんは前ほど話さなくなってしまったし……真珠さんとルビーさんも呆れて内心怒っているはず。……ダイヤモンドさんも本当は私なく、ガーネットさんとお二人でいたいかも……しれない。きっと他の方も、本当は私が弟子に選ばれたことを不満に思っているに違いない)
他の登頂成功者と同じく、弟子に選ばれたからでしょうか。
いつまで経っても、アクアマリンは一人が怖い一方で、未熟な自分を許せずにたのでございます。
登頂に至るまでの出来事はアクアマリンに多くを背負わせておりました。

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