秘密の地下鉄時刻表―世界の子どもシリーズ―No.26_過去編~その手に触れられなくてもep18~
星を詠み始めてすぐ、カイネは息を荒げ、目を見開いて苦しむこととなる。海と波を連想し、美しいサンムーンの海の景観が見えるのなど、ほんの一瞬なのだ。やはり、この星詠みには何かしらの訳があるのだろう。ただ海際の生活がしやすい土地を探したらよいのではなかったのである。
星々が視せる光景は断片的で、けれども高速で切り替わり、いくつも、いくつも、まるでその場にいるかのごとく鮮明に続いていくのだ。視覚だけでなく、聴覚から触覚までの五感全ての感覚までをも伴わせながら。
けれども本当に体感してしまえばカイネの身はおろか、精神が崩壊するのが本能的にも分かれば、星もそれをよく理解しているのだろう、決して事の全てをみせようとはしない。星は高速で映像を何度も切り替えながら、けれども、なるべく多くの情報を伝えようと、いくつも、いくつも、視せようとするのである。
そのことは確かにカイネをギリギリのところで壊させはしなかったが、あまりにも速く、あまりにも多い情報はやはりすぐには詠み切れず、まるで地獄のようであった。もしその光景が海は海であっても、宇宙中の星に存在する海という海の日の出や夕焼け、雄大な海洋生物たちの日常を映し出してくれているのならば、いつまでも視られたのかもしれない。けれど、カイネが今まさに視ているのは海の青なんて分からないくらいの暗闇、震え、叫び、別れ。たくさんが、一瞬で奪われていくものなのだ。そしてそれらひとつひとつの視える光景は一瞬であるのに、まるで永遠のように、時間なんてこの宇宙に存在しないのではないかというくらいに、続いていくのである。
「う、あ……やめて。寒い……、あ、くるしっ、や、こわい、怖い!」
『カイネ!? どうした!?』
祈る姿勢など、到底保てるものではなかった。すぐさまカイネは地面へと手を付け、どこか遠くの方で響く父の声を頼りに、ただただ気を失わないようにするので精一杯となったのだ。
星詠みを習い始め、ここまでの恐怖にのまれるのはカイネにとって初めてのことであった。無論、このように取り乱し、感情が剥き出しの声を零すことも。
けれどもそれほどに恐ろしい光景で、かろうじて姫としての何かが、嘔吐するのを我慢させている極限の状態でもあったのだ。
自分自身で星を詠むと、星にそれを求めたというのに、いつの間にかカイネは、もうみたくはないと、もうやめてと、叫ぶように星に祈っていた。
視たくないと思うからこそ、反射的に目を見開いてしまうのに不思議と目を瞑っていようがいまいが、星を詠み始めればその光景は脳裏に浮かび、視えてしまうのである。
どうすることもできず、ただ身体が震えていく。
この震えは果たして、繰り返される地獄のような光景の恐怖からなのか、それとも度重なる海の冷たい水の感触からくる冷えなのか。
「視たく……ない。寒い。こわ、こわい……」
徐々に身体が重くなっていき、ぴったりとカイネの服が肌に張り付くような感覚を覚える。きっと、海水の一滴がカイネの髪から零れ落ちて床が濡れている。そう思うのに、視界にはまるでそのままの、時間の渦の中の暗闇が続いていた。
その暗闇が余計にカイネの恐怖を大きくさせ、星が視せる光景なのか、もしくは本当に自分は波にのまれてしまったのか、分からなくさせるのだ。
「いや、もう無理。や、いやっ。ない、……ない。どうして……?」
ルーマー王の求めた波に強い土地というのを、カイネは見つけることができなかった。どれほどに詠もうとしても、その気配さえ、見つからないのだ。
「……これは、……何? 何が起こるというの……?」
『カイネっ! 何が視えているというのだ!? やめよ、もうよい、やめるんだ!』
「……カイネ王女……」
強くあるべき姫のそれなどすっかりと忘れ、カイネの声は恐怖にのまれたただ一人の少女の震えるものとなっていた。
暗い空間の中でもかろうじて身の周りの様子が分かるくらいであるのは、ルーマー王が脅し用ではなく灯り用としていつの間にか浮かべている青い炎があるからだ。けれども、灯される炎が一般に赤いのに対し青いからだろう。弱々しく父の顔をみようと鏡の方へと視線をむけると、父の姿が視界に映るより先に、青い炎で顔色の悪さが際立ったカイネ自身の姿がぼんやりと自分の目に映り込んだのだ。
脳裏に残る波の光景と鏡に映る弱りきった青白いカイネの顔。それらが合わさったとき、嘆くような感情と共に、ぴたりと星々が映像を視せるのをやめたのである。
「……ああ……なぜ……」
思わず言葉が零れた途端に、まるで悟るかのように、カイネの中で全てが繋がっていく。
半ば無意識にそれを確認するためだろう、何度も瞬きをしながらゆっくりとルーマー王を振り返ると、堂々たる王のそれなど保つことに意味がないというように、苦しげに眉を潜めた王と目があったのだ。
その表情をみれば、あまりにも絶望的すぎる事実の確認を、もはやする必要などないと分かり切っているのに、やはり確認するように問う以外の言葉がみつからず、問うてしまうのだ。
「詠めない……詠めないわ。私に特別な星詠みをしろと……おっしゃいしたよね? では……他の魔法族が……詠んだ後なのですね? 私で詠めないということは……もう……私たち星の声が聞こえる者が聞ける全ての星の声を聞いたことになる……。サンムーンには命の希望が……ない」
問いに加わるのはカイネが視た星詠みの答えで、それは口にすればするほどに、絶望を確定事項にする、ひどく残酷なもの。
震えを越えて力の抜けたその声は、決して大きなものではないというのに、空間中にとてもよく響いた。
カイネは肩を落とし、だらりと力なく床へと座り込む。カイネの様子に驚いたのか、その星詠みの結論から同じく全てを悟ったのか、鏡越しの父が小さく息を吸う音が聞こえた。
サンムーンで波に強い土地がないというのに、サンムーンを大波が襲うことと、サンムーンから多くの人が撤退できないことが確定してしまっている。一体……
「一体、なぜ……。父とアヴァロンの王は確実に自然事象も含め大きな事故や災害のない安全な時代と環境を選んで座標を定めたはず……それなのにどうしてサンムーンをこんな大波が襲うというの?」
いつの間に溜まっていたのだろうか、一筋の涙がカイネの頬を伝っていく。すると、まるでカイネの涙を合図にしたかのごとく、ルーマー王が突然に左膝を地面につける形でしゃがみ込むのだ。そして、両腕をあげると、左指の付け根に右指先を揃えるように合わせ、額へとつけるのである。これは獣族が最も重い意味を持たせて礼をするときのものであった。
それをカイネはやはり、呆然と座り込んだままに見守ることしかできないでいた。
「申し訳……ない。第三者管理を任されておきながら、何者かが座標に介入したのに気づけなかった。ただマルアニアの誇りにかけて……羅針盤と時計盤が不正に使われていないことを宣言する」
放心状態に近いというのに、涙は止まることを知らず、カイネの頬にもう一筋の涙の跡が出来上がっていく。
きっとルーマー王やマルアニア国が悪い訳でなければ、問うてもどうしようもないというのに、それでもどうしても問いたくなり、カイネは口を反射的に開いた。
何かひとつでもいいから、それは絶望の中には含まれないという言葉が欲しくて仕方がなかったのだ。
「どうして……サンムーンから撤退できないことまで……確定しているというの? ……なぜ……」
「恐らく……サンムーンを開くために設けられた十年という時間で……」
ああ、もうサンムーンのプロジェクトが動いた時点で確定していた運命なのね。
「「サンムーンで新しい命が多く生まれているから」」
ルーマー王のとても低いそれと、カイネのとても高いそれが、全くもって正反対な声として重なりあった。その一方で、その声に乗せられたそれは、何とかしなくてはという嘆きと焦りの滲み出た、全く同じもの。
サンムーンは時間軸の違いを気にすることなく、出身も体質も関係なく、誰もが自然に呼吸をし、ありのままの姿で過ごせる環境であるからこそ、宇宙中の交流の場となる中立都市として今日の式典より正式に開放されたのだ。
そして、サンムーン開放の前に、それぞれの星の有志たちが十年という時間をかけて、土地を開発してくれていたのである。
その十年という時間がそれぞれの星の時間軸に関係なく、その場に生きる者に平等に流れたとすれば、それはどれほどに短く、どれほどに長いものであったことだろうか。その時間を大切な誰かと過ごしたそのトキ、その十年の間にどれほどの愛が生まれ、いくつの新たな命が誕生したのかなど、誰もその答えを知らず、その尊さを誰かの言葉だけでは表現できないだろう。
離れがたい愛がすでにサンムーンにはあり、ここでしか生きることのできない新たな体質の者も多く生まれているに違いなかった。
「そして、レムリア星のレムリアとアトラントは……国ごとサンムーンに移住する予定となっている」
「レムリアとアトラントが? ……聞いてないわ。それも国ごとだなんて……せめてそれは止めないと……」
「残念だがそれもできそうにないんだ」
「確かにアトラントの者は急ぎで自然のある土地が必要かもしれないけれど、それでもサンムーンへの移住は危険すぎるわ。それに……」
「違うんだ、カイネ王女。……彼らは実質、もう星がないんだ」
レムリアとアトラントの者は助けられると、せめてもの希望を確定にしたかったのだろう、カイネが捲し立てるように話すのを、ルーマー王が遮った。その眉は顰められ、伏せられた目が、とても言い難い事実、即ちこれから話すことは嘘ではないと、前置きをされているかのように、ひどく鮮明にカイネの目に飛び込んでくるのだ。
「まさか……噂されていた環境汚染が……」
ゆっくりと、ルーマー王の首が縦に振られ、カイネは思わず小さく息を飲んだ。驚きのあまりに反射的に動いたカイネのその手は、口元に添えられていた。
そして、その呟きに答えるのはずっと黙って様子を見守っていたムーの王である、父だった。
『もう、誰も住めないくらいに、この数年で……いや、このサンムーンでいうと数年だが、レムリア星の暦でいくとここ数か月といった短期間で、一気に汚染が加速していった。マスクをしていても、肺が侵されるそうだ。……もはや、レムリアとアトラントだけではない。ティルクも住めなくなってしまい、アトラントとティルクは再び合併し、アトランティスとしてサンムーンに移住する手はずだったのだ』
「そんな……」
『……ルーマー王よ。事態は理解した。次元を繋いだのは私。介入に気づけなかったのは私の失態でもある。即刻アヴァロン王と会議を……』
父の声に合わせてカイネが視線を手鏡へと移したその時、なぜか父の顔がブレてみえるのだ。次第に、手鏡自体も小刻みに揺れていくのである。
そして、すぐさまその揺れは大きなものへと変わっていき、カイネは慌てて父と繋ぐ手鏡が途切れぬよう、掴もうとする。
けれどもそれよりも先に、揺れではなく、いくつもの魔力が重なり合って空間中にひしめき合っていき、薄暗い時間の渦が瞬く間に変化していくのだ。
まずいわ、鏡がっ。それにこの魔力はルーマー王のものじゃない!
「あっ」
『カイネ、何事だっ』
けれど、鏡を掴もうとしたその手に鏡が握られることはなく、鏡の持ち手の部分がカイネの指先に触れただけで、鏡はカイネの手元に残るどころか、カイネが手を伸ばしても届かない、向こうの方へと行ってしまった。
「ムー王よ、申し訳ない。お察しだと思うが、もうこうなってしまった以上、宇宙間で争いが起こるのは避けられない。だとすれば……詠めないとしても、何とか希望となる星を詠んでもらうしかないのだ。……このままではサンムーンでの恐ろしい出来事だけでは済まない。これを皮切りに宇宙中で……大きな戦争が起こっていくだろう。それも三大国を欺いて、時間に介入した者がいる最悪の状況でね」
『…………』
カイネでは動けぬほどの揺れも、獣族となれば、それも獣族の中でも王となれば、些細なものなのかもしれない。ルーマー王はいつの間に移動したのだろうか、カイネでは掴み切れなかったその魔鏡を拾うと、鏡越しの父と視線を交わしたのちに、ゆっくりと、カイネに向き直るのである。
「カイネ王女、星を詠んでくれ。もう一度」
「……答えがないというのに……星を……もう一度?」
「せめて……波がくる時期だけでも、分からないだろうか」
カイネの手は、まだ星を詠み始めてなどいないというのに、勝手に震え出していた。星詠みはかなりの魔力を消耗する。あれほどまでの規模の事象を詠もうとしたのだ、疲弊は魔力的なものだけでなく、体力にまで影響を及ぼしていた。
おまけに、絶望的に立ち塞がる全ての残酷な事実が、すでに多くの気力をも奪ってしまっている状態だ。
星を……詠む?
あの悍ましい光景を、再び?
今の魔力と、体力で……?
『……カイネ、王命だ。詠まなくていい。お前、その状態でもう一度星を詠んだら……死ぬぞ』
鏡はルーマー王の手の中で、もはやカイネは父の顔をみることさえ叶わない。その声だけを頼りに、判断せねばならなかった。
そして、父が考えていることは、まさにカイネが本能的に恐怖として感じていることそのままなのである。
「わ、私……」
けれど、ルーマー王は引くことはなかった。一歩、さらに一歩と、カイネに近づいてくるのである。
もう威圧的な魔力など放ってはいないというのに、ひどくカイネは追い詰められている感覚に陥っていく。
そして、やはり星詠みは命がけで行うものなのだ。
先ほどの自分は、何と言って星を詠むと言った?
「……時期だけでも、詠んでほしい」
『ならぬ!』
災害と、戦争と。
多くの命と、自分の命。
どれを一番に考えても、恋人の顔しか思い浮かばなかった。
「……ネロ……」
ああ、嫌だと、叫びたい。
to be continued……
✶✵✷
星を詠む
誰の為に?
星詠み(先読み)はこちらから☆彡
秘密の地下鉄時刻表Vol.6(No.26~No.30,songまで収録中)
2025.5月中旬予定🐚
※HPは毎週土曜日、朝10時更新中🐚🌼🤖
秘密の地下鉄時刻表―世界の子どもシリーズ―更新日
第1・第3土曜日
先読みは「秘密の地下鉄時刻表―世界の子どもシリーズ―_星を詠む」より🚇