ループ・ラバーズ・ルール_レポート1「出会う」
オズネル二〇二二年―ジョウセイ駅高架下―
リファは息を飲み、握っていた小さなレバーを一気に右方向へと一回転させた。ガタゴトとプラスチックがぶつかり合う音が響くけれど、肝心なガシャンという到着の合図は、ちょうどファルネの通過音でかき消されてしまった。このガチャキューブがあるのは高架下であるため、ファルネの音はとてもよく響く。けれどガチャキューブは音を聞き洩らしたとしても、忠実にコインさえ投入すればレバーを回せて、リファの手元へとそれは必ず届けられる。リファは微かに震える手で、ガチャキューブ機の下方部にある、取り出し口に手を伸ばす。
「モ、モゴロンだと……いいね!」
リファは視線を自身の手に向けたまま、けれども、ユーキの祈りに同意するように、静かに一度ほど大きく頷いた。リファの手が取り出し口に触れるや否や、それはセンサーでぱっと開き、目当ての両掌に収まるくらいのキューブを外の世界へと放つ。そのキューブの色は、黄金。それをみた瞬間に、リファは目を瞑る。
「うえぇええ! またゴールド!?!?」
ユーキの声にリファはがっくりと肩を落とし、ゴールドキューブを取り出す。万が一にも、キューブの中身に入れ間違いなんてことが、絶対にないだろうけれども、あるかもしれないのだから。
リファは慣れた手つきで上蓋を左に回し、カチッと気持ちの良い音を響かせる。すると、中から現われるのは、オーロラ色にラメが輝くゴーカリマンのマスコット。
「うぇえええ! しかもスーパーレア!?!? 伝説のオーロラバージョン!」
やはり中身はお目当てのものではなく、リファは小刻みに頷く。そうなの、私がほしいのではないの、というように。
けれど、ガチャキューブをするためにしゃがみこんでいたリファの手元をよくみるためか、ずっと立って見守っていたユーキが興奮冷めやらぬ様子で、ぐっと顔を近づける。
「こ、ここここ、これ! せ、世界で十個しかない限定のやつだよね!?!?」
ユーキはリファが学校へと赴く際、登下校を含めずっと一緒にいてくれるサポーターだ。
けれど、こうして放課後に学校以外の場所へと共に来るのは初めてのことであった。学校でもほとんど、ユーキが気遣って時折話しかけてくれるとき以外に会話はなく、それらもまた、大抵が移動教室の次の行き場所の確認くらい。だからこんな風に、ユーキの感情が溢れ出ているのを見るのもまた初めてのことで、リファはすぐにユーキが何に感情を向けているのかの判別ができなかった。リファはユーキの方を向き、まじまじとその顔を見つめてみる。頬は紅潮しており、息はいつもより荒めで、手の動きが大袈裟。何度もリファの手元と顔とを交互に見ている。その動きは体育の授業の時でさえみたことのないくらいに、ユーキの中で一番に機敏で、全ての動作が速かった。動くたびにユーキの亜麻色の長いツインテールが凶器のように勢いよく弾けた。リファはじっとと手元のゴーカリマンをみて、ようやくに思いつく。
「ユーキちゃん、ゴーカリマン好きなの?」
「え? う、う、うん。その、リファちゃんほどじゃないかもしれないけど、ほら。流行ってるし! シリーズは全部みてるかな」
途端にユーキの紅潮具合が変わり、それは確かに淡くなったのに、息の荒さもマシになったのに、どこか熱量だけは増しているのだ。その相反する身体の動きがなぜ起こるのか、リファにはすぐに理解ができず、ただユーキを観察することしかできない。
「か、鞄にリファちゃんがつけてるなーとは思ってたんだけど。誰かに貰ったかなにかかと思って。ほ、ほら。リファちゃんよくファンレターとか、ラブレターとか、貰うでしょう? ま、まさか、リファちゃんが自分でガチャキューブするくらいに好きなんて、お、思わなくって……」
ユーキの俊敏な動きはいつのまにか、くねくねとしたものに変わっていた。紅潮具合もどこか赤みが増していて、けれど、興奮で血が巡っているそれとは少し違ってみえる。やはり、リファにはユーキの今の感情を予測するのが難しかった。けれど、鞄につけているという言葉はしっかりと聞き取れていたので、ユーキも同じようにマスコットを集めているのかもしれないと、判断する。興奮している様子と、ゴーカリマンが好きかという問いかけに、うんと答えていたことを照らし合わせ、リファは一か八かで聞いてみる。
「ユーキちゃん好きなら、これ、いる?」
ユーキの表情がピタリと固まったかと思うと、最初の時と同じように、目を見開いて、叫び出すのだ。
「うえぇえええ! だ、だ、ダメだよ! リファちゃん、それ、ス、スーパーレアだよ? せ、世界に十個しかないんだよ? これ、ど、どれだけ欲しくても……赤ちゃんから大人まで、どれほどお金があろうがみんな平等に、じ、自分でガチャで当てるしかないんだよ? ほら、一日四回までしか引けないシステムで買い占めもできないしね? だ、だから、こんな珍しいの、見れただけで、し、幸せって……言うか」
「……そうなの? むしろこのガチャ、ゴーカリマンしかでないのかと思って、ガッカリしてたんだ。……モゴロン……」
「あ、じゃ、じゃあさ……」
ユーキの声に合わせて、リファが顔をあげた瞬間に、背後から見知らぬ声が響く。
「げっ! スーパーレアじゃん!! ちょ、あれマジで出るんだ?」
「ひっ」
リファと同じく、声がする方へと視線を向けたユーキから悲鳴にも似たような、微かに息を吸う音が聞こえた。その顔は青ざめ、何かに恐れを抱くような表情をしている。
「わ、マジか。ほんとだ。すげーな」
もうひとつ声が響いたかと思うと、未だガチャキューブの前にしゃがみ込むリファの頭上に大きな二つの影が被さった。次のファルネが通過するのに合わせて轟音と共に影は巨大化し、リファの周囲を飲み込んでいく。
「えー、じゃあ俺、もう引く意味ないじゃん。いや、でも、あと四個でスーパーレア以外はコンプなんだよなぁ。最終日、連続ダブりなしの奇跡を信じる!」
「あー、俺はパス。一つ前でスーパーレア出たと思うと萎える。コンプも目指してないし」
リファの目の前にいるのは二人の男性で、一人はカーキーのパーカーにスウェットタイプのズボンをゆったりめに履いている。「コインどこだ~」と呟きながら、そのダボっとしたズボンのポケットを漁っていた。陽気な話し方と高めの声に反し、さほど背は高くないけれど、身体はがっちりめ。ニット帽が印象的で、髪が帽子で隠れている分、顔そのものがどうにも憶えにくかった。強いて言うと、円らという訳ではないけれど大きめの瞳と、何よりしっかりとした眉が、対象を憶えるパーツにはふさわしいと判断し、その瞳をじっとみつめる。すると、リファの視線に気が付いたその男性が、ニカっと微笑んだ。
「え、何なに? 俺、もしかしてモテてる? 女子高生に熱い視線向けられてるんだけど。……ていうか、影でよく見えなかったけど、ジョウセイ高校の子じゃん。めっちゃエリート。……やば、めっちゃ顔もかわいい」
男性はリファに距離を詰め、しゃがみ込む。背後でユーキの「ひっ」という声がまた漏れたかと思うと、ユーキは素早く立ち上がって、一歩後退った。けれど、入れ替わるように連れの男性の影が、リファの真上に被さる。
「あー、確かに。……すごくかわいい子かもしれないけど。俺らが声かけたら怖いに決まってるから。熱い視線じゃなくて、怯えてんの。おら、どけって」
その男性もまた、同じようなパーカーに黒いスウェットタイプのズボンを履いていた。違う所と言えば、パーカーの色が茶色なくらい。けれど、こちらの男性はかなり背が高くて細身らしく、ゆったりとした着こなしというよりは、サイズがこれしかなくて、横に生地が余っているという感じだった。影で顔はよく見えなかったけれど、長い脚が伸びて、リファの目の前の男性の背中を軽く小突くように蹴った。
「いやいや、冗談だって。けど、どけないんだな、これが。……ごめん、お嬢ちゃん。それ、何回目? スーパーレア引いても、まだする感じかな? 今日が最終日だから、俺も引きたいんだわ」
それを聞き、リファはゆっくりと瞬きして、固まる。そうなのだ、最終日だというのに、上限の四回を先ほど終えてしまったのである。絶望的な気持ちで、リファは無言で立ち上がり、小さくお辞儀する。
「リ、リファちゃん! い、いこ……!」
すぐさまユーキの手がリファの腕を掴み、耳元でほんの微かに震える小声が響いた。リファは視線だけをユーキの方に向けると、青ざめた顔のまま、目には涙さえ滲んでいるのに、瞳の奥はしっかりと据わっていて、眉間に皺をよせながらも、その眉はキッときつくつり上がっていた。悲しんでいるのか、怒っているのか。二種類の感情が見て取れる表情や仕草を同時にされると、リファにはどうしても、相手の気持ちの判断がつかない。けれど、ぎゅっとリファの腕を握るその手には、ユーキにこんなにも握力があったなんてと思わせるもので、それらを感情と状況に照らし合わせ、リファは言う。
「寄り道に付き合わせて、ごめんね。遅くなっちゃった」
すると、ユーキはさらにぐいっとリファを引き寄せて、表情そのままに、けれども明確に否定だと分かるようにぶんぶんと何度も首を振るのだ。
「そうじゃない。そうじゃないよ。あ、あ、あああ危ないから早く駅に行こ!」
「うーん……? うん」
怒っていないし、帰路に急いでいないのに急ぐのは何故なのか。リファには考えても分からず、けれども誰かと一緒の寄り道なんて初めてのことなので、何か寄り道にはリファがまだ理解していない学校のルールがあるのかもしれない。身体の向きはガチャキューブの方向のまま、ユーキに引っ張られるままに足だけが駅の方へと進みだしたものだから、変にねじれて、ぎこちない動きになる。身体のバランスを取ろうと肩を進行方向へと向けたところで、動きに合わせて鞄が大きく揺れて、リファのマスコットが地面へと落ちていく。
「あ、」
けれど、ユーキはそれに気づかずにどんどんと進んでいく。リファはどうしようかと悩むけれど、あのマスコットが、何かのルールに則って急いでいるかもしれないユーキを止めてまで大事なのかと問われればそうではないので、そのままユーキについて行く。
「あー、待って」
けれど、ユーキが掴む腕と反対の腕を掴まれて、リファは驚いて振り返る。
「ひ、ひえっ」
声に反応したのはユーキも同じで、リファを掴む腕から明確にユーキの震えが伝達して、リファの腕まで小刻みに揺れ出したのだ。
ユーキはこの男性が追いかけてきたこと自体に酷く驚いているようだったけれど、リファは違う。この人は明らかに、移動のルールがなかった。
リファはよくその男性の顔をみようと、目に力をいれて、大きく一度ほど瞬きをする。再びファルネが通過して、轟音と共にそこら中の影の形を変えるから、少し厄介。けれど、このファルネは超快速だったようで、それも一瞬のことだった。
「……っとに綺麗な顔してんな」
そうぼそりと呟く声がして、先ほどまではそこまで印象的だとは思わなかったのに、リファは瞬時にその声を記憶した。ユーキとはほぼ身体が密着しているけれど、その男性とは腕が掴まれているといっても、互いの手がほぼ伸びている状態でだから、人ひとり分くらいの距離はある。
それなのに、まるで耳元で囁かれたのかと勘違いするかのごとく、低く、小さく呟いただけであったその声は、とても柔く、リファへと伝達したのだ。決して聞き取りやすい状況でも、意図的に伝えようとしたわけでもないというのに、強く耳に残り、それはリファが知っているこの世界の声のルールの中で、即座にこの人は優しいと判別できるものだった。その瞳はパーカーとまるで揃えたかのように、濃い焦げ茶。糸目ではないけれど、どちらかというと細めで、つり目がち。背が高いからか一見怖くも見えるけれど、瞳の揺れ方に怖さは感じられず、あまり眉もつり上がっていないからだと思う。飄々とした、良くも悪くも、表情が読みにくい顔立ちをしていた。ほんの数センチではあるけれど、顎を突き上げるのが癖なのか、それが他の人と比べて独特で、視線が目元よりも口元へと導かれて、薄い唇がリファの目に止まった。その唇がゆっくりと震えて、またも耳元で囁くかのように、声を発する。
「あー、ごめん。脅かす気とかなくて。これ、落としたから……さ」
低いのに、優しく聞こえて。音量も小さめで、特段活舌がよい訳でもなさそうなのに、何故か聞き取りやすいのだ。この人を憶えるには顔のパーツよりも絶対に声だと、リファは判断する。けれど、声を記憶することに意識を使ってしまって、言葉自体を聞き取るのを忘れてしまった。とてもよく聞こえていたのに、ちゃんとは聞き取れておらず、リファは無意識に表情から何かを読み取ろうと、焦げ茶の瞳をみつめる。
すると、声とまでいかない、鼻息とも思えるような、微かな笑う息を漏らし男性はリファの手にマスコットを握らせた。
「すげーな。これもスーパーレアじゃないけど、なかなかでない人気のレアバージョンだ。こんな高架下に置いてかないでやって」
「あ、」
手元に視線を移すと、金色のゴーカリマンがリファの掌にすっぽりと収まっていた。普段は紺色の鞄の横についているのに、色白と言われるリファの掌にいるからか、いつもよりも金の反射具合が神々しく見えた。リファも何か言葉を発そうと喉に力をいれるも、リファの腕を掴むその手はとうに離れされていて、男性は既に背を向けていた。
「び、び、びびび、ビックリ、したね。な、なな、何もされずにすんで、よ、よかった」
けれど、もう片方の腕はしっかりと掴まれたままで、その指から伝達するユーキの震えは酷くなっているものの、決してリファから手を離すことはなかった。もう一度、ぐいっと腕がユーキの方へと引っ張られ、リファに駅まで行くことを、促しているのが分かった。
「き、きっとこの時間だと、まだギリギリ座れるか……」
「げぇえええ! またモゴロンかよぉおお! しかもこれで売り切れだと!? ざけんなよぉ、回数制限的には、あと三回は引けるだろうが~」
ガチャキューブを引き終えたらしい男性の大袈裟な声が、ユーキとリファの動きを止めさせた。リファの身体は吸い込まれるように、その男性の方へと動き出す。
「あ、リファちゃ……」
腕を離してしまったユーキが、慌てるようにリファの後を追いかけてくるのが足音で感じられた。先ほど別れたばかりなのに戻ってきたリファに、男性の二人ともが驚いたように視線を向ける。けれど、リファが向かうのはこの男性たちのもとではない。ずっと求めていた、ただひとつ。ピンクの少し弱そうな、敵キャラの怪獣。
「……モゴロン……」
「え?」
リファはガチャキューブを引いた男性の横に、自然としゃがみこんでいた。その掌に乗せられている、ピンクの怪獣を、近くでみるために。
「ああ……リファちゃん……」
ユーキの声が背後でした気がしたけれど、ファルネがまた通過して、轟音で全ての音がかき消されたので、聞こえなかったことにした。
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ループ・ラバーズ・ルール更新日
第2・第4土曜日