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その手に触れられなくても~episode7①~世界の子どもシリーズ―過去編―

2024年6月8日

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その手に触れられなくても~episode7①~

 

 声のその先には、リアにとって数少ない、この海の中で信頼できるであろう人魚のひとりが、凛とした表情で立ち塞がっていた。濃い青のショートカットはリアが最後に顔を合わせたときよりも少し伸びていた。彼女の息に合わせて泡が小さく発生しては、その伸びた毛先が上下に揺れる。円らだけれど、ほんのりとつり目なその瞳もまた、髪と同じく濃い青。眉はとても凛々しくて、意志も気も強い彼女を象徴するかのよう。

 そんな彼女の瞳は、まっすぐにレンナに向けられていた。さらに彼女の後ろには、茶色いゆるくカールがかった髪に尾は黄色の女の人魚、黒髪に尾は紺色の男の人魚、紫の長い髪をひとつに束ねた、尾も紫色の眼鏡かけた男の人魚がいる。リアが思わずじっと見てしまったからだろうか、その人魚と目が合った。けれど彼は自身の顔の何十倍も大きな水晶玉の装置を担いでおり、無表情のまま、すぐさま視線も意識も装置へと戻した。

「…………」

 リリー以外にも、紫の子がいたなんて。……それよりも……。

 聞き覚えのある声であったから、よく知るひとりを除き、他の者は王宮に出入りする人魚の誰かだろうと漠然とした予想はしていた。
 そこまでエネルギーから悪意は感じられなかったので、きっと、野次馬か何かだろうと。
 ただ、彼らの姿をちゃんと、ちゃんと、視界へと映し込んだ今、リアは知らない子のはずなのに、ひどく懐かしく感じてしまったのだ。
 性別も、色も、階級も、出身も。きっとみんなバラバラ。けれど共通するものがあるとするのならば、みんなリアと年が近いということ。

 ふと視線をずらすと、今度は茶色い髪の女の人魚の子と目が合った。とたんに彼女が顔を崩し、泣きそうになったのをみて、リアも反射的に何故だが泣きそうになってしまった。それに気づいた黒髪の男の人魚が彼女の肩を抱き、リアの方を向いて躊躇いがちに、会釈したのだ。

「っつ……」

 ただただ、息を飲むしかできなかった。

 けれど、今のリアは知らないはずなのに、たくさんの、きっとこの海で過ごしてきた間中に得た知識のようなものが、溢れてくるのだ。  
 例えば、この二人は髪色が違うから王宮勤めではなく街の人魚で、けれど尾に黄や青の階級色が混じる分、何かしらの力が幾ばくか使えるに違いない、など。
 突然、かつて知っていたであろうことが、今の自分には分からないままに、きっとそうだというように、リアの中の記憶の奥底から、勝手に溢れてくるのだ。
 そして、それらがもどかしいのは、情報のようなものは溢れてくるのに、懐かしさや心揺さぶられる感情が溢れてくるのに、彼らのことが、やはり分からないままであることだった。

 固まる以外にどうしようもなく、視線をこの中で唯一知る、青い髪のその子へと戻す。すると、レンナから顔をこちらに向けてくれて、よく知る凛々しい眉のまま元気いっぱいに笑うものではなく、緩く、優しい笑みをみせてくれた。

「チシリィちゃん……」
「リアちゃん、ごめんね。……動くのが遅くなって、ごめん」

 ちょうどレンナたちが来たあたり。薬師の資格をはく奪され困り果てていた頃、海岸沿いへ人間へと売る薬を運ぶ際に声をかけてくれたのが、チシリィとミキチェだったのだ。彼女たちは子どもの人魚の世話をしており、まだ幼い子らはある程度日光にあたる必要があるらしく、定期的に海岸沿いへと出て遊ぶ時間を作るのだとか。

 共に仕事をした時間は長くはなかったものの、その頃のリアにとってはそれが収入源であり、純粋な子どもたちと遊ぶ時間というのも、リアを緑だと差別しない二人との関わりも、とても大切であったのだ。
 あのときに、リア自身が認識していた以上に、とても、とても大切であったのだと、今、チシリィたちの顔をみて、リアは思う。

「……私……」

 王宮勤めになったから、もう私とは関わりたくないのだと、思ってたの。いいえ、そう思い込んで、その事実を突きつけられないよう、傷つかないように自分から関わらないようにしていたんだわ。

 チシリィが緩く首を振り、再び微笑む。やはり、それはリアがよく知る、どこかあどけなさの残る元気いっぱいのものではなく、すっかりと大人びた少し穏やかなものへと変わっていた。
 彼女は凛と背筋を伸ばし、レンナの方へと向き直る。その動きに合わせて小さな泡が生じ、前よりも伸びた髪が、静かに揺れ動く。濃いくっきりとした青は彼女がどのような動きをしようとも、綺麗に青くそこにあるだろう。けれど、先ほどにパナトリアと過ごしたときにも感じたように、色そのものではなく、チシリィのその様が美しく、リアは痛感するのだ。自分たちがもう何もできない子どもではなく、大人になりつつあるということを、強く、とても、強く。
 これまでの記憶がなくてどれほど迷うようなことがあろうとも、彼女たちの美しさを、今の自分が忘れないように、心の奥底に刻もうと、しっかりとその姿を瞬きすることなく、リアは静かに見守り続けた。

 ずっとずっと、記憶を失う前から仕事をしていたというのに、子どもの面倒をみる時間だってあったというのに、まさに今、今であるからこそ、ちゃんと大人になれるような、そんな気がしたのだ。

「な、なんじゃ、お前。色は濃いようじゃが、いち青の階級の者が、」

 レンナが口を開くのを、もう付き人たちは止めようともせず、ただじっと、チシリィたちの動きをリアと同じように見守っていた。

「見て分かりませんか? 水晶記録機です。これらで、夕刻の騒ぎを全て記録してあります。……リアちゃんもリリーさんも絶対に、傷つけさせない」

 リアは目を見開き、紫の髪の子がもつ水晶玉の装置を食い入るようにみつめる。一方のレンナもまた、ぽかんと口をあけ、それらを見つめていた。
 全員の視線が集まったのをみて、チシリィがいくつかの指示を出すと、依然無表情のまま、紫の髪の子が詠唱を始める。すると、水晶玉の中にリア、リリー、レンナの姿が映し出され、さらにそこから、声が響いてくるのだ。

『い、いたっ』
『誰が声をあげていいと言った? 階級なしの緑がピンクの我の許可なく声をあげていいとでも?』

 それはちょうど最初にレンナがリアを例の扇子でぶったときのもので、一言一句、正確に記録されていた。
 けれど、リアとレンナの声よりももっと大きな声が、その記録機から、流れてくるのだ。

『リアちゃん! あの勘違いエセ薬師が! 許せない!』

 それに合わせて画面が少し揺れ、さらに声が続く。

『おいっ、静かにしろ。気持ちは分かるが今は動くな。まずは記録だ』

 リアは慌てて水晶玉から視線を移すと、チシリィが瞳いっぱいに涙の泡を浮かばせ「ごめん、ごめんね」と小さく呟き、気まずそうに、紫の髪の子が顔を背けるのだ。

 ガツンと頭を殴られたような衝撃をうけ、気が付けばリアはチシリィの元へと向かい、抱き着いていた。

「ごめっ、ごめんね」
「私も、ごめん。ごめん」

 けれど、それを遮るのはやはりレンナで、水晶玉を睨んだままに、言うのだ。

「な、なんじゃ。水晶記録機など、いくらでも魔法で改ざんできようが。み、みんな、そんなの分かりきっておる。だからこういう記録は……公的な証拠に……」

 ただ、今度ばかりはさすがのレンナも怯えがあるのか、その声はどこか震えがちのようにも聞こえる。
 けれど確かに、水晶記録機は珍しく、リアも記憶を失くす以前はどうであったか知らないものの、リアとしてみるのは初めての代物だった。それだけでも驚くべきことだが、それを扱える者がいて、きっちりと映像が乱れることなく記録が残っていることが信じがたかった。
 こういう特殊な魔法具を使うには相当の魔力と、扱うに優れた力の持ち主がいなければ成せないと、リアでも聞いたことがあるのだ。
 さらに言うと、レンナにしては的を射た発言をしており、こういった魔法具は観劇といった娯楽には向くが、魔法が頻繁に使われるこの世界で、裁判の記録としてはあまり採用されにくいのである。

 リアが心配げにチシリィを見上げると、彼女は大丈夫だと小さく頷き、抱き着くリアから離れ、また凛とした振舞いでレンナたちの前に出る。

「前王の……魔法陣の組み込まれた水晶記録機です。前王の遺言により、私たちが特別に、条件を満たす緊急時のみ使用を許可されていました。たとえ違う海域の出身であっても、前王のお力はお覚えのはず。この水晶玉の記録は国を跨いで公的にも扱えます……まじないも、光にしかみえない高速の魔法玉だって、物質的に目に見えない魔法だって、全部、誰がどう出したかまで、全てが映し出される。誰もこの魔法陣は破れないし、改ざんできない……たとえ、女王陛下にだって」

 

 

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