オリジナル童話

earth to earth~古の魔法使いepisode4~世界の子どもシリーズ―現代編―

2021年12月9日

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「菅原君、このレポートやり直しで」
「えっと、藤原教授。もうこれで5回目です。やり直しというのは、考察や経過観察の部分が足りなかったのでしょうか。それとも日本語のまとめ方でしょうか」
「はっ。そんなことも分からずに聞いてくるからやり直しなんだよ。全く最近の若い子はこれだから困るね。答えをすぐに聞いて努力をしない。とにかく、全部だよ。自分で悪いと思うところ、全部直してくるように」
「……はい」
「なんだ、その態度。いいか、この単位が取れないと大学院への道はないと思った方がいい」

 藤原が人相の悪さを最大限に活かした嫌な笑みで、眼鏡をわざとらしく掛けなおして去っていった。これ見よがしに、白衣をひらめかして。

 あんなに、植物の似合わない植物学者なんていないと、草太は思う。

 ぽつりと廊下に取り残された草太は動く気にもなれず、立ち尽くす。そして、突き返されたレポートを見つめ、小さなため息を漏らす。

 一体、このレポートのどこの何がいけないというのだろうか。

 一度目のレポート提出時は、講義を受ける全生徒の前に呼び出され、「こんな最低なレポートは見たことがない」と抽象的にかなりの長時間、注意を受けた。

 正直、屈辱的だった。

 何故なら、草太は成績優秀でどのレポートもA以上の評価を受けてきたし、何より奨学生だ。大学独自のもので援助を受けているため、成績優秀者の返済免除を毎年狙っている。3回生分までは目途が立っており、もう少しで4回生の分も達成するというところだった。そして、ここで成績をキープできれば、あと少しで大学院への奨学金の援助も受けられることが決まりそうだったのだ。

 藤原に目をつけられるまでは。

 このレポートだって、かなり力を入れて臨んだ。
 他の講義だってそうだ。

 どれだって、出来栄えも出席態度も、自分的には自信があった。

 しかし、レポートは受理されず。出席態度が悪いと罵られ。
 もしかしたら、どこか奢っていたところもあるのかもしれないと、出来うる限り姿勢を良くしたり、出席態度に気を付けた。そしてレポートは必死でやり直した。けれども、言われることは全く同じ。
 そこで仕方なくレポートの題材自体を変えて、一から徹底的に作り直して再提出したものの、言われた言葉は変わらなかった。受け取る価値さえないE判定の根拠はどこにあるのだろうか。

 この講義はレポートの再提出が認められており、逆にレポートが受理されない限り、単位をもらうことは厳しいだろう。
 大学卒業には必要な必修科目ではないものの、大学院へと進むには絶対に取得しておきたい単位だった。

 ただ4度目の提出を拒まれた時から薄々、気づき始めていた。もう、この講義の単位を取ることは難しいのではないかと。けれども、植物学者になるのは子どもの頃からの夢だった。どうしても大学院へと進みたい。諦める訳にもいかず、徹底的に見直して今回の5度目の提出を行ったわけだが、それも受理されなかったわけだ。

 もしかして、と薄々予感していたことが、確信へと変わり始める。
 ぎゅっとレポートを強く握りしめ、どうしたものかと考え始める。けれども、頭に靄がかかったように何も思い浮かばなくって、目がチカチカし始めて、一度ゆっくりと休んだ方がいいと強く感じた。
 何せ、もう連日、かなりの睡眠時間を削っている。さらには一昨日から、ほぼ徹夜だ。とりあえず、帰宅しよう。そう思ったその時。

『ぐうぅううぅう』

 盛大に腹の虫が鳴った。すれ違う学生にチラチラとみられ、不本意な注目を浴びてしまう。そして、講義室前のベンチに腰かけていた見ず知らずの女子生徒にはクスクスと抑えきれないとでもいうような笑い声を浴びせられてしまった。そう言えば、レポートを突き返されるところから興味本位で不躾な視線も向けられていたっけ。
 実は、連日睡眠がとれていないのに加えて、レポートにかかりっきりで、先月からアルバイトにもまともに顔を出せていない。草太の財布事情はまさに火の車。かつかつを通り越している。何とかカップラーメンや激安スーパーでの見切り品で食いつないでいるといってもいい。

 少し前であれば恥ずかしく感じていた周りの視線や笑い声。
 けれど、今となっては、そんなものもどうでもよくなってきてしまっている。
 例えば、誰かが目の前にいるとか、誰かが話しかけているとか、笑っているとか、チラチラ視線を向けられているとか、そういうことは認識できる。
 だけど、ちゃんとした意味で、誰もが草太の視界には映らない。

 ただそこにいるだけで、あるだけで、草太の生活に彩りを灯さない。
 ただ耳に入るだけで、意味は分かるだけで、全ての言葉が雑音にしか聞こえない。

 それなのに、あの藤原の嫌な笑みが脳裏から離れず、心が、頭が、ざわつくのだ。
 
 今、なんとか握っている自分の心を保つ最後の一本の細い糸。それを離してしまったら、それがプツリと切れてしまったら、叫んで大暴れしてしまいそうなくらいに、もう限界だった。
 眠いのと苛立ちが相まって、目つきが悪くなり、余計に視界が狭まる。そんな中で見つけたのは、講義室のベンチ横に設置されているゴミ箱。
 づかづかと大股で歩いて、ゴンっと大きな音が響いて激しく蓋が揺れるくらいの勢いで草太は手に持っていたレポートをゴミ箱の中に突っ込んだ。

「ひっ、ごめんなさい」
「ちょ、やば。行こ行こ」

 ゴミ箱の横に座っていた女学生がまた何やら雑音を残し、こちらに視線を向けながらそそくさと去っていった。
 それらを気に留めることもなく、そのまま歩き進め、匂いに釣られ、気が付けば食堂の前へとやってきていた。ごそごそとポケットから財布を取り出すも、中は100円と入っていない。

「先月は何日シフトに入れたっけな……」

 片手の指で数え切れる程しか入れていないことに気づき、余計にお腹が空いた。
 確かあといくつか、カップラーメンが残っている。それで食いつなごう。そう思い、踵を返そうとしたその時、自分の名前を含む音が耳を捉える。

「菅原君、ちょっと話をしないかい?」

 そちらへと視線を向けると、グレーよりかは白色がかった髪の、目を細めてほほ笑む眼鏡の男性がそこにいた。七三に分けられた髪が印象的で、けれどもサイドは短く刈り上げられているので、七三特融の威圧感や変な生真面目さがない。額には深く皺が刻まれているものの、その表情や雰囲気から、その皺が厳しいからではなく、優しいからできたものだとすぐに感じ取れる。さらにその優しさに、上品に鼻の下に添えられた髭が、落ち着きや賢さを加えるので、どこか安心感を与える顔をしていた。

「木戸先生……」

 私がごちそうしよう、と言ってくれたので有難く、その申し出を受けることにした。草太の中で久しぶりに、誰かの顔をしっかりと映し出し、騒音以外の音を拾ったようなそんな気がした。

「ひとつじゃなくていい。食べられるだけ、注文しなさい」

 そう言われて、大盛のカツカレーと肉うどんと唐揚げ定食を注文した。そうしたら、野菜も食べなさいとサラダを買ってきてくれて、食堂のおばちゃんがデザートに果物をサービスしてくれた。

「いただきます」

 ほんの数か月前までは食べ慣れていた味なのに、初めて食べるかのように美味しくて。カレーはカレーの味がして。うどんは温かくて、出汁が身体中に染みわたって。唐揚げの肉汁が口の中に広がっていって、米の甘みと絡まるんだ。ああ、久しぶりのお米。米ってこんなにおいしかったんだなぁ。サラダは高いだけだなんて思っていたけど、これだけ食べたらやっぱり、さっぱりしたものを挟みたくなって、トマトがいい感じに胃の中に注ぎ込んだ食材をまとめてくれるんだ。

 うまい。美味い。旨い。

 無我夢中で、食べ続けた。俺はこんなに食べるタイプだったなんて驚きだ。

 うどんの汁にぽつりと水滴が落ちて、何だか息がし辛いことに気が付く。瞬きをしたら、まつ毛が濡れて、いつの間にか自分の頬に涙が伝っていたことに気づく。
 声を出したいのか、うどんを啜りたいのか。身体と心がもうぐちゃぐちゃだった。
 泣きながら食べるなんて、きっと目立つに違いない。けれども、木戸先生がおばちゃんに言って予約してくれていた席は食堂の一番奥の壁側で。今は昼時もすっかりと過ぎた食堂の終わる間際で。
 だから、本能的に食べることを優先したんだ。それで、涙が出て、これだけ周りの状況を理解できている自分に、あれらの視線や笑い声が自分の心を蝕んでいたということを認めざるを得なくなった。

 この涙がとても尊い生理現象であることを感じながら、草太は目の前の食事と人の温もりを食べ尽くした。カツカレーも肉うどんも唐揚げ定食も、そしてサラダも。全て。

 そうして落ち着いてお茶を飲み始めた時に、木戸先生がそっとテーブルに分厚い紙の束を置いて、こちらへとスライドする。

「素晴らしい出来です。大切にとっておきなさい」

 それは先ほど捨てたはずの、草太のレポートだった。

「でも、もう意味がありません。俺は……」

 木戸先生は何も言わずに、ゆっくりと首を振った。そして一拍置いてから口を開く。

「この講義の単位は難しいかもしれませんが、大学院の試験自体は受けられます」
「……でも、それさえも……。まず、奨学金が……」
「はい。だから、菅原君は嫌でしょうが、一度、藤原教授に謝りなさい」

 最も信頼していた人に、一番言ってほしくない言葉を言われ、愕然とする。

 

 

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